織田の天主は揺るがず 作:戦国大好き侍
6月3日 朝 京・東福寺
明智光秀は、東福寺本陣で最大の絶望に直面していた。信忠の工作による「朝敵」の綸旨は既に承知していたが、その後に届いた織田信長生存と信忠総大将による3万の討伐軍即時出陣の報せが、光秀の心を完全に打ち砕いた。
「信長が... 生きておるだと? 私はこの謀反を何のために...」
光秀の眼には、信長生存という悪夢が、現実の軍事的な崩壊として突きつけられていた。
「朝敵」という烙印と「信長生存」という事実は、明智軍の士気を一瞬で粉砕した。京を抑える兵士たちは動揺し、光秀の権威は地に落ちた。
さらに、光秀が期待をかけていた諸大名からの報せは、全て絶望的なものであった。
筒井順慶、細川藤孝・忠興、中川清秀、高山右近は、軒並み光秀との関係を断ち切り、織田への忠誠を示した。
池田恒興は、討伐軍の先導役として出陣。
「筒井も細川も、そして中川までもが... 織田の生存に怯え、掌を返したか!」光秀は歯噛みした。
全てが闇に包まれた光秀のもとに、唯一、希望の光となる報せが届いた。
「殿! 若狭の武田元明が、光秀様への協力を表明! 丹後方面への牽制を開始いたしました!」
武田元明は、若狭以北の動きを封じ、この混乱に乗じて若狭国内の権益回復を狙っていた。彼は、朝敵という大義を無視し、光秀に全てを賭けるという最後の野心的な決断を下したのだ。
光秀の顔に、久々に微かな血色が戻った。
「武田元明... 唯一、私の大義に呼応したか! よし、丹後の細川を圧迫し、丹後方面を牽制せよと伝えよ! 私はまだ孤立していない!」
しかし、この唯一の味方の参陣も、大坂から迫る3万の主力軍に対抗できる規模ではなかった。光秀は武田元明を心の支えとしつつも、目の前の絶望的な軍事状況を覆す必要があった。
光秀は最終的に、京に留まることを諦めた。
「...京を捨てる」
「全軍、山崎へ! 淀川の西岸で陣を張り、大坂からの討伐軍を迎え撃つ! 逃げるのではない、淀川との隘路で敵主力を叩くのだ!」
光秀は、東福寺から山城国と摂津国の境にある要衝、山崎へと軍を移すよう命じた。京を捨ててでも、地の利を生かした防衛線で、生ける信長に挑む、最後の抵抗の道を選んだのだ。
時は少し遡り
6月2日 夕刻 若狭国 石山城
若狭武田氏の当主、武田元明は、居城である石山城の城下で、大坂と京からの複雑な報せに直面していた。
報せは二つ。一つは、明智光秀が織田信長を討ったという当初の報。そしてもう一つは、信長が生存し、光秀が朝敵となり、大坂から大軍が迫っているという、織田家からの圧倒的な圧力であった。
元明は、信長によって旧領を奪われ、丹羽長秀など近隣の勢力と従属する中で、長年不遇を囲っていた。彼の眼前には、光秀の謀反という、現状を打破する唯一の機会が転がっていた。
「殿、織田からの使者は、即刻光秀討伐に加われと申しております。しかし、もし光秀につけば、丹羽を討つ名分も立つのでは...」元明の近習の一人が進言した。
元明は険しい表情で、机上の地図を睨んでいた。若狭の大部分を占める丹羽長秀らの織田方の勢力は、常に若狭武田氏の脅威であった。光秀が信長を討てば、若狭の旧領回復は容易となるはずだった。
そこへ、明智光秀からの使者が到着した。光秀からの使者は、すでに光秀が朝敵とされ、多くの大名に裏切られているという事実を隠しきれていなかった。
「武田殿、光秀様は若狭武田氏の旧領回復を約束する。どうか、北陸の動きを牽制し、光秀様に力を貸していただきたい!」
元明は、光秀の使者が顔に浮かべる焦燥の色を見た。彼は、光秀が完全に追い込まれていることを理解した。光秀の謀反は既に大義を失い単なる反乱に成り下がっている。
しかし、その瞬間元明の心に閃いたのは大義なき野望であった。
「信長が生きている。織田の大軍は明日にも京へ向かう。今、光秀につけば我らも朝敵となり滅亡は免れませぬぞ」近習が諌めた。
元明は冷笑を浮かべた。「滅亡か... このまま信長に従い、旧領も回復できずに細々と生きるより若狭武田氏の復権を懸ける方が、武門の誉れというもの。それに、丹羽勢は光秀討伐に参陣するであろう。ならば、我らが光秀につくことで、丹羽を若狭から引き剥がし、若狭を混乱に陥れることができる!」
元明は、光秀の謀反を利用し、近隣の敵対勢力を牽制し、若狭国内で主導権を握ることを最終目的とした。これは、勝ち馬に乗るのではなく、泥沼の混乱を望む、破れかぶれの決断であった。
元明は光秀の使者に言い放った。
「承知した。光秀殿に伝えよ。若狭武田は光秀殿に与する、と。我らは若狭の動きを牽制し、光秀殿の背後を固めよう。ただし、光秀殿は必ずや、織田の大軍を京で食い止めねばならぬぞ!」
元明は、光秀の使者を帰すと、直ちに自領内の兵を動員しすると共に旧臣の若狭衆に合流を糾合し若狭の丹羽領への牽制行動を開始させた。
彼の決断は、織田方によって完璧に固められた包囲網の中で、光秀にとっての唯一の、しかし何の助けにもならない「味方」となった。若狭武田氏は、この瞬間、自らの滅亡を賭けた、孤立した戦場へと足を踏み入れたのである。
次回は決戦の予定ですが全く考えてないので多分投稿遅いです()
史実通り山崎での決戦と決まりました