織田の天主は揺るがず 作:戦国大好き侍
6月4日夕刻、山崎の激戦は終息した。総崩れとなった明智軍から離脱した明智光秀は、忠臣明智秀満の戦死を経た後京方面の沓掛山中で落ち武者狩りに遭い、謀反からわずか三日という短期間でその生涯を閉じた。
土民によって届けられた光秀の首級は、直ちに織田信忠総大将の本陣へと運ばれた。信忠は、変わり果てた光秀の顔を検分し、謀反の結末の悲劇を噛みしめた。光秀の「天下」は、織田信長が健在であるという事実の前で、虚妄と化したのである。
後方に控える織田信長は、首級を見ることはなかった。森乱丸に対し、信長は冷徹に命じた。
「その首は直ちに京へ運び、六条河原にて晒せ。この世に、我に歯向かう逆賊がどのような末路を辿るか、世に示すのだ」
信長の裁定は、謀反人に対する織田家の断固たる姿勢であり、京の混乱を最小限に抑え、事態の収束を内外に宣言するものであった。
光秀が討たれた同時刻、光秀に唯一呼応した若狭の武田元明の運命も尽きようとしていた。
元明は、若狭武田氏の旧領回復という野心にって光秀に味方した。彼は丹後・若狭方面への圧力を強めていたが、山崎の決戦が予想外の速度で明智の敗北に終わったことで、その賭けは即座に破綻した。
丹羽長重と細川忠興が連携し、武田元明が籠る拠点、あるいはその周辺を完全に包囲した。
武田元明のもとには、光秀の敗死という絶望的な報が届いていた。もはや、織田軍に降伏しても逆賊として京へ引き出されさらし首となる運命しか残されていないことを悟る。
「…大義なき謀反に身を投じたが、せめて最期は武士として散ろう」
元明は、降伏や捕縛されることを潔しとせず家臣たちに見守られながら、静かに自害して果てた。
これにより、畿内・近国における光秀に呼応した勢力は6月4日中という極めて短期間で完全に掃討され織田天下への対抗勢力は一旦すべて消滅した。
明智光秀の首実検と武田元明の討伐完了を受け、織田信長と信忠による戦後処理は、6月5日から直ちに開始された。
功績の評価と報償
論功行賞は、総大将として迅速な出兵を行った織田信忠と、戦いの主力を担った畿内衆に集中した。
池田恒興 中川清秀 高山右近
光秀の防御線を突破し、山崎の光秀主力を殲滅した最も重要な功労者として、その地位は揺るぎないものとなり、光秀の旧領の一部が報償として与えられた。
丹羽長重 織田信孝
天王山での戦功により、家中での立場はさらにいっそう強くなり信長からの信任を確かなものとした。
徳川家康
堺から馳せ参じ、信忠の命に応じ退路を絶つ態勢を整えた天下の盟友としての功績は極めて大であり、信長からの厚い報償と信頼を得た。
丹羽長重 細川忠興
連携して武田元明を討伐し、光秀に与した勢力を一掃した功績が認められ、武田氏の旧領の一部を与えられ、それぞれが領地と地位を固めた。
信長は、光秀の旧領を信忠へ与えることで、畿内における嫡男の権力を盤石なものとした。光秀の謀反は、結果的に織田信忠に総大将としての実戦経験と畿内諸将を従える権威をもたらすための試練となった。
「死ななかった信長」の威光はもはや絶対的なものとなった。謀反がわずか三日で鎮圧され対抗勢力が瞬時に掃討されたことにより誰もが織田信長による天下統一は不可避であると確信した。
ここに、明智光秀の謀反は織田信忠を擁した織田天下の基礎をさらに強固なものとするための礎として歴史に刻まれることとなった。
次回は朝廷と秀吉ら辺を書こうかなと思ってるのですが、ちょいと案が思い付いてないので多分2日ほど投稿遅れます()
三職推任どうしよ
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信長 太政大臣
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信長 関白
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信長 征夷大将軍
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信忠 太政大臣
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信忠 関白
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信忠 征夷大将軍