レベルアップが終わらない。   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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『僕が世界を滅ぼした日 1』

 ──世界が、音を立てて崩れ落ちていく。

 今、僕の目の前に広がっているのは、そんな光景だった。

 

 これはたとえ話じゃない。

 灰色の空が、古くなったペンキのように剥がれ落ちて、その向こうから真っ黒な虚空がのぞいている。

 大地は重苦しい地鳴りとともにひび割れ、底の見えない裂け目にどんどん人々が吞み込まれていく。

 

 僕もまた、立っていられないほどの疲労と激痛で、地面に膝をついた。

 

 文字通りの意味だ。

 僕の目の前で今、ひとつの世界が滅びようとしている。

 

【レベルが上がりました!】

【レベルが上がりました!】

【レベルが上がりました!】

【レベルが上がりました!】

 

【レベルが、上がりました──】

 

 一方、目の前に広がる壮大な地獄とは裏腹に。

 僕の頭には、底抜けに明るい声が鳴り響いていた。

 くりかえし、くりかえし、頭がどうにかなりそうな響きをともなって。

 

 ──この声が意味するのはつまり、この阿鼻叫喚が、僕によって引き起こされたということだ。

 

 『なにかを殺すと、その『存在の格』に応じた経験値が取り込まれ、レベルが上がる』。

 それが、この世界──いや。無数の異世界をつなぐ『迷宮都市』の法則。

 誰かから奪うことを肯定するような仕組み。

 そんな奇妙なシステムが、僕が生まれた『迷宮都市』には敷かれている。

 

【レベルが上がりました!】

【レベルが上がりました!】

 

「ルツィア」

 

 僕はふと、僕と手を繋いでいた少女の存在を思い出し、彼女の名を呼んでみた。

 

 僕の手を引いて、何度もつまづく僕に怒鳴りながらも。

 半ば引きずる形で、ここまでいっしょに逃げてくれた、誰よりも優しい少女の名前を。

 

「ルツィア……」

 

 ぎゅっと彼女の手を握りしめたが、握り返してくれることはなかった。

 

 

 

【レベルが、上がりました!】

 

 

 

 心臓が痛いほど拍動している。

 視界が白んでいる。

 喉がひどく渇いている。

 世界は音を立てて崩壊していく。

 

 事ここに至るまでの経緯を、説明しなければならないだろう。

 

 何も持っていない、虫けら同然の奴隷だった僕が……

 世界を、滅ぼすまでの話を。

 

 ああ、いや。身構える必要はないんだ。

 そんなに大した話でもない。

 なにせ、こんなことになってしまったのは……ちょっとした、偶然の巡り合わせみたいなものなのだから。

 

 

 

  第一話『僕が世界を滅ぼした日』

 

 

 

 僕の名前はミメイ。

 ただのミメイ。

 年は、確か14か15で、どこにでもいる普通の──普通の、『迷宮奴隷』だ。

 

 迷宮奴隷というのが何かというと、読んで字のごとく、都市での市民権を持たず、危険な迷宮で強制労働をさせられる人たちのことである。

 そのまんまだね。

 

 じゃあここでいう『迷宮』ってのが何かというと、僕が今いるこれは、ちょっと字面と実態がちがう。 

 

 迷宮。あるいはダンジョンという言葉から、一般に想像される光景……

 ──個性豊かな冒険者たちが挑む、薄暗い石造りの玄室。

 ──ひしめくデス・トラップ。

 ──そして、それらを切り抜けた先にある金銀財宝。

 

 そういったものは、僕がいる『迷宮』には存在しない。

 

 平たく言えば、『迷宮』はそのひとつひとつが別個の『異世界』なのだ。

 それぞれに広大な面積と文明社会が存在し、人々が暮らしている。

 

 なぜそんな、ひとつの異世界に等しい場所が『迷宮』という呼ばれ方をしているかと言えば、むかしの名残りにすぎない。

 まだ、ゲートの向こう側にある異邦の全貌が明らかになっていなかった『迷宮都市』の黎明期、その名残りである。

 

 『迷宮都市』には、そんな異世界もとい『迷宮』につながるゲートが無数に存在し。

 それを糧に、ネオンさんざめく巨大経済圏として成り立っている。

 

 しかし、そんな『迷宮都市』は、路地裏に寝る場所を確保するだけでもお金がかかるわけで。

 

 7年ほど前に、僕の両親は破産し、幼かった僕は奴隷として売り飛ばされ。

 僕はいま、こうして──

 

「──ほぅら奴隷ども! もっと気合を入れてつるはしを振りなさい?

 あんたらが採掘した資源の量次第で、アタシの懐とあんたらの明日の食事の充実具合が変わるって、理解しているのかしら?

 まったく、やりがいのある職場よねェ? 

 ちょーっと頑張れば、こんな美人を喜ばせられるんだから!」

 

 すり鉢状になった露天掘りの現場。

 白い息を吐きながら、鉱床につるはしを振るう僕たちの後ろで、明らかに性格が終わってそうな女の声が響いた。

 

 ──極寒の『迷宮』で僕はいまこうして、おなじく迷宮奴隷の仲間たちとともに、原始的なつるはしで鉱石採掘に従事している。

 

 より効率的なドリルやらダイナマイトやらを使わないのは、お金をかけたくないのもあるだろうが、一番は目立ってはいけないからだ。

 つまり、僕たちが従事しているのが、不許可のもと行われている盗掘行為であるからだ。

 

「ふう……」

 

 僕は深いため息とともにヘルメットの顎ひもをゆるめ、腰に手を当ててぐぐっとのけぞった。

 ずっとつるはしを振るっていると、背骨がおかしくなりそうになるのだ。

 

 僕の視線の先には、分厚い氷岩のような雲に覆われた空がある。

 あの空が晴れたのを、僕は見たことがない。

 

 ──敵性ダンジョン『クリオIII』。

 それが、この世界の名前。

 少なくとも『迷宮都市』の偉い人たちはここをそう名付けた。

 

 僕が半生を過ごし、そしてそう遠くない将来には骨を埋めることになりそうな世界だ。

  

 ここに未来はない。

 盗掘者として『クリオIII』現地政府の役人どもに処断されるか、シンプルに粉塵で肺がダメになって死ぬ。

 そうなった仲間を、これまでに何人も見てきた。

 

「ア、ン、タに言ってんのよ、ミメイ! さぼんない!」 

 

「いっ……」

 

 その時。

 空を見上げて憂鬱な気分になっていた僕の視界に、にゅっと銀髪の少女の顔が割り込んできて、ヘルメットの上から拳で殴られた。

 ヘルメット越しでも痛い、というより、ヘルメット越しじゃないとただじゃ済まないであろう、金づちみたいな威力のゲンコツ。

 

 その後、ひんやりした細い指先が僕のほっぺたを"むぎゅう"と掴んできて、無理やりその主の方へ顔を向かせる。

 

 少女が、僕を冷ややかに見下ろしていた。

 

「すっ、すいやひえん……」

 

「……ガキの頃からどんくさいやつよねェ……アンタってさ。

 ほんっと成長がないやつ。

 つぎ、さぼってるの見つけたら飯抜き」

 

「ふぁい……」  

 

「ふんっ……グズ。出来損ない。」

 

 ほっぺたをぐにぐにされながら謝罪した僕に鼻を鳴らし、少女は──われらが現場監督、ルツィア・シルヴァワルツは、不機嫌さを隠しもせずに去っていった。

 

 かがやく銀髪に黄金の瞳。

 はっきりいって現実離れしたレベルの美人なのに、とがった耳にばちばちに空いたピアスと、常にドブネズミでも見るかのようにゆがめられている目元のせいで、ヤカラ系の人に対して抱くのと同じような恐怖しか感じない少女だ。

 

 ヤカラ系・ピアスばちばち守銭奴銀髪エルフ。

 趣味は、銀行通帳を見てニヤニヤすること。

 

 ルツィアという少女について、二行で説明するとそうなる。

 いや、僕が幼い頃はじめて出会った頃から、今と同じ見た目なので、たぶんほんとは少女でもないんだろうけど。

 

 ルツィアは誰にでも態度がキツイが、むかしから僕には特に当たりがきびしい気がする。

 

 はじめのうちは、いくらか優しかったんだけど。

 嫌われたのかな。

 嫌われてるんだろうね。

 マンガの主人公みたいに、出会った美少女はみんな、僕に惚れてくれればいいのにね。

 

 ……いや、もしもあのルツィアが僕に対して、頬を赤らめながら甘い声を出してきたりしたら、きっと僕は恐怖のあまり泣いちゃうだろうけど。

 

「はっは、あんま真に受けんなよお、ミメイ。」

  

「タイラーさぁん……」

 

 怒られてしょんぼりしている僕の頭に、くしゃりと骨張った手が乗せられた。

 彼はタイラー・バーンズさん。

 僕と同じ迷宮奴隷で、四十代半ばほど。筋骨隆々の体格だ。

 

 彼は、傷だらけだが愛嬌のある無精ヒゲ面でいたずらっぽく笑いながら。

 親指でルツィアを指さした。

 

「ルツィアはきっとお前に気があんのさ……なあ?」

 

「あ" ぁ" ?」

 

 ルツィアを揶揄し、彼女にどすのきいた声で凄まれるタイラーさん。

 それを意に介さず、にやけヅラで彼はさらに続ける。 

 

「ああいう女は、憎からず思ってる男には特にキツく当たるもんだぜ。

 そういうアプローチしか知らねえのさ。

 その代わり、一回落ちたら、昼も夜もとことん──おぁっ!?」

 

 どすっ!と。

 背後から放たれたルツィアのヤクザキックが、タイラーさんの背中を強打し、彼は倒れて地面に顔面を強打した。

 

「その理屈だと、アタシはあんたみたいな、迷宮探索者くずれの冴えないオヤジのことが、大・大・大好きってことになっちゃうけど……

 あはッ、そんなに冗談が好きなら、あんたの顔面も冗談みたいなことにしてあげよっか?」

 

 ルツィアは青筋を浮かべ、穏やかに微笑んでいた。

 デフォルトが不機嫌な彼女は、キレると逆に笑うのだ。

 とても穏やかに。ほんと女神みたいに。

 こわい。

 

「ま、待っ……」

 

 うずくまって悶絶しているタイラーさんにマウント・ポジションを取ると、ルツィアは拳を振り上げ……

 

 ……うん。

 僕はそそくさと、肉が叩き潰されるような音に背を向けて、仕事へと戻った。

 

 僕の日常って、こういう感じだよね。

 暴力的で、下世話で、ひたすら貧しい。

 そういう星のもとに生まれたのだ。僕は。

 

 深い溜め息とともに、僕はふたたび空を仰いだ。

 

 

     ※

 

 

「奴隷ども〜? エサの時間よ〜?」

 

 ルツィアの声とともに、僕ら迷宮奴隷の一団は仕事の手を止めた。

 

 こんな生活の中でも、いくつか楽しみはある。

 そのひとつが食事の時間だ。

 メニューは塩のスープに、カチコチの黒パン。

 現場監督者であるルツィアの機嫌が良い日には、ここに卵やハムが付いたりすることもある。

 まあそんな日は、年に5回あるかどうかなんだけども。

 

 僕らは、すり鉢状になっている採掘現場の縁のあたりにたむろしながら、食事をとり始めた。

 

「いてえ……」

 

 ルツィアによって顔をぼっこぼこにされたタイラーさんが、傷口に塩気が染みるのか、顔をしかめながらスープをすすっていた。

 

 これも、見慣れた光景だ。

 タイラーさんは趣味がセクハラな、ちょっとどうしようもないオヤジなので。

 あのヤカラエルフのルツィアに対してもたびたびそういった言動をとっては、今回のように殴る蹴るの反撃を受けている。

 

 タイラーさんは元・迷宮探索者で、迷宮奴隷に堕ちて久しい現在でも、肩幅や前腕の筋肉からはかなり鍛え込まれているのが伝わってくる。

 

 実際、彼はすごく強い。

 採掘場にはたまに、僕なんか腕の一振りで殺せるような怪物が迷い込んでくるのだが。

 そういう怪物を狩るのは、タイラーさんの役目だ。

 怪物が出た時はいつも、僕らが散り散りに逃げ出す中でタイラーさんが駆けつけて。

 数分後には、処理を終えたタイラーさんが怪物の死体の前で煙草を吸いながら、僕らに安全を知らせてくれる。

 

 だがルツィアはエルフで人外なので、僕が百発殴っても大して堪えないであろうタイラーさんを、あの細腕で殴り倒せる。

 

 異界から流れてくる異種族が存在する『迷宮都市』において、僕やタイラーさんのような只人は、比較的か弱い存在なのである。

 

「ちょっかいかける相手は選ぼうよ、タイラーさん」

 

 僕がタイラーさんに呆れ声でそう言うと。

 彼はふんぞり返りながら首を振って、"やれやれ、わかってないな坊主……"とでも言いたげに溜め息を吐いた。

 

 どうして偉そうなんだろう、このオヤジは……

  

 じとっとした目で彼を見る僕に対して、タイラーさんはとうとうと語りはじめる。

 

「いいか? ミメイ。

 タイラーさんに言わせりゃあ、セクハラってのはな……

 無視されたり、愛想笑いで受け流されたりするのが一番キツイんだ。

 特に、俺はここじゃ一番の古株だからな。

 毎回律儀に殴り返してくるルツィア以外にやったって、つまんねえのさ……」

 

 よくわからない持論を垂れ流すタイラーさんに適当な相槌を打ってから、僕はその場を離れた。

 顔面フルボッコのセクハラオヤジの講釈を聞きながらでは、せっかくの飯がまずくなってしまう。

  

 僕は、採掘場から30メートルくらい離れた岩場に腰掛けると、そこで一人、もそもそとパンをスープに浸して齧り始めた。

 

 じっくり咀嚼をしながら、湯気をあげる鉄の器の向こう側を、ぼうっとながめる。

 

 氷岩の空。荒涼とした雪原。

 僕が七つか八つの頃から、まったく変わらない《クリオIII》の原風景。

 僕の人生に対する無力感と、閉塞感の象徴。  

 

 ここで奴隷のまま死んでいくことに対して、恐怖とか惨めさとか、そういうものを感じたことはない。

 

 なにせ僕は、心底から生きたいと思ったことがないから。

 "ああなりたい"だとか、"こう生きたい"だとか、そういうものがないから。

 生きながら死んでいるような僕は、生きることにも死ぬことにも、今ひとつ実感がない。

 

(でも……退屈だな)

 

 それだけは思う。

 唯一、僕の中にある切実な感覚だった。

 

 はやく終わらないかなって。

 

 冗長な映画を見ているようで。

 僕は、自分の人生に、飽きているのだろう──

 

「ぶえ……ぶぇぇぇ……」

 

 そのとき。

 岩場に腰掛けた僕の足元から、潰れた蛙があげるような声が聞こえた。

 

「へっ」

 

 僕は、きょろきょろと周囲を見回したあと、自分の足元に目をやった。

 ぱっと見、地面にふかぶかと雪が積もっているだけに見えたが。

 目を凝らすと──そこには、人が埋もれていた。

 

「だっ、大丈夫でっすか」 

 

 あまりに驚きすぎて、口調が変になっちゃったよ。

 体を覆い尽くすほど雪が積もっているから、かなり長いこと倒れていたんだろうけど、うめき声をあげたということはまだ息があるのだろう。

 僕は急いで、その人の体を揺さぶった。

 

「女の人……?」

 

 ひとまず仰向けにしてあげようと触れたその体は、細くて柔らかかった。

 ぐるんと転がして体勢をひっくり返すと、顔が雪まみれになってはいたが、その人物はたしかに女性だった。

 

「ぶえっ、ぶえ……っ」

 

 彼女は、うわ言のように数回、そんな声をもらしたあと。

 

「ぶぇぇぇっくしょい!!!」

 

「うっわきったな」

 

 盛大なくしゃみとともに、僕の顔に鼻水やら何やら、いろいろなものをぶち撒けた。

 

 

 

 

「いやー、ごめんごめん。

 私としたことが、恩人の顔を汚してしまうとは。」

 

「しょっぱいー……」

 

「あはは、味の感想はやめてよ。恥ずい」

 

 ぐしぐしと自分の顔を拭いている僕にそう言いながら、彼女は何が面白いのかけらけらと笑っていた。

 

 僕が雪の中から発掘した女性は──率直に言えば、魔女のような格好をしていた。

 とんがり帽子にひらひらしたローブ、薄紫のデイジーのような色の髪と瞳。

 年齢は──外見上は、ルツィアの少し上。二十歳前後くらいに見える。

 僕からすると、結構なお姉さんだった。

 

「ごちそうさまでしたっ」

 

 そんな彼女は、僕があげたパンとスープをがつがつと食べ終えた後、ロープの裾で口を拭きながらそう言ってきた。

 

「悪いねー。何から何まで。」

 

「行き倒れてたわけだし、また倒れられても困るから……」

 

「ほんと助かったよー、もう魔力もカツカツでさ。

 あと5分ぐらい休めば、この迷宮から出られる程度には回復するかな。」

 

「まりょく……?」

 

 聞き馴染みのない単語に、僕が首をかしげたのも束の間。

 僕のお腹が、ぐうーっと鳴った。

 その音に、お姉さんは目をパチパチと瞬かせて、気まずそうに口を一文字にした。

 

「……あれれ、もしかして少年、お腹すいてました?」

 

「まあ、はい……」

 

「えー、えー……? 

 それなのに私に、あのクソかったいパンと海水みたいなスープ、あげちゃったの?」

 

 僕らの主食を貶されてちょっとムカついたけど、まあ事実なので素直に頷いた。

 

「あちゃあ……マジかぁ……」

 

 するとお姉さんは、困ったように手で目元をおさえた。

 

「べつに、そこまで気に病まなくても。

 言われた通りに仕事してれば、毎日もらえるものだから」

 

「……そっか……採掘奴隷か。なるほどねえ……」

 

 僕の頭から足元まで視線をすべらせて、そう呟く。

 彼女はなにかに納得したように何度か頷いたあと、僕の目をまっすぐ見据えてきた。

 

「へい、少年。お名前おせーて」

 

「ミメイ、ですけど……」

 

「ふむふむ、ミメイくん……未明くん? 

 なかなかどうして、運命を感じざるを得ない名前してるじゃないかキミィ……」

 

 お姉さんは、空中に指筆を走らせながら、さっきより大きく頷くと。

 急に真剣な顔になって、言葉を続けてくる。

 

「お姉さん、未明くんのこと中々気に入っちゃったからさ。

 きみがくれたものと同じぐらい、大切なものをお返ししてあげよう。」

 

「え……なんだろう、どんぐりとか?」

 

「あは……なめんな?」

 

「いや、行き倒れてた人が良いものくれるっていったら、そんなもんかなって……」

 

 お姉さんは、ローブの懐をゴソゴソして何かを取り出すと。

 僕の前に、ぎゅっと握り込んだ拳を差し出してきた。

 

「ところがどっこい、未明くんが助けたのは、ただの行き倒れじゃない。

 ──私、魔法使いだから。」

 

「魔法使い」

 

「そ! それも、おとぎ話に出てくるような……

 とーっても悪くてこわい、悪の魔法使いなのだよ……

 ふぇっふぇっふぇ。」

 

「なに、そのわざとらしい笑い方……」

 

 いかにも悪の魔女っぽい笑い方をする彼女に呆れながらも、僕は、彼女が差し出した手におずおずと自分の手を近づける。

 

「未明くん」

 

 すると彼女は、僕の手をとって、両手でぎゅっと何かを握りこませてきた。

 ずっと雪に埋もれていたというのに、温かくて滑らかな、女の子らしい手だった。

 

「──これは、きみの行き詰まった人生を壊すための鍵だよ。

 砕けたとき、きみの目に映る景色の、すべてが変わることになるものだ。」

 

 彼女は、僕の目と鼻の先までその顔を近づけてきて、そう言った。

 綺麗な顔立ちなのに、僕を覗き込むその瞳だけは、ゾッとするほど冷たい色を帯びていた。

 

 その時はじめて僕は、目の前のお姉さんのことを怖い人だと感じた。

 それも、ルツィアなんかよりずっと、遥かに、おぞましい何かだと。

 

「今、空っぽのきみは、これから……

 『迷宮都市』で多くのものを失い、多くの何かを手にすることでしょう」

 

 耳元で囁かれるその声とともに、なぜだか。

 もう二度と引き返せない道に迷い込んだような、そんな感覚に陥っていた。

 

「──その旅路の先で、また私に会いにきてね。

 ぜったいだよ。未明くん」

 

 最後に、僕の頬にちゅっと口づけをして。

 お姉さんは、僕から離れた。

 

「っ……はぁっ、はぁっ……!」

 

 彼女に手を離されてはじめて、僕はずっと自分が呼吸を忘れていたことに気が付き、荒い息を繰り返した。

 

「おーい、ミメイ! 昼休憩は終わりだ!

 またルツィア姐さんにどやされっぞー!」

 

「あ……す、すぐいく!」

 

 背中から聞こえてきた、迷宮奴隷の仲間の声に、僕は咄嗟にそう返した。

 そしてすぐに、お姉さんの方へと振り向く。

 

「あのっ。」

 

 ──だがそこにもう、彼女はいなかった。

 こつぜんと、何事もなかったかのように。

 僕の行き詰まりな日常の象徴である、荒涼とした雪原だけが広がっていた。

 

「……」

 

 白昼夢でも見ていたのだろうか。

 そう思いかけて、すぐにそれが見当違いであることに気がつく。

 

 僕の右手には、仄かな熱を放つ、ビー玉より二まわりほど大きな蒼い宝石が握られていた。

 

 

 

 

 

 

────────────

「……あー、あー、かわいかったなあ、ミメイくん。」

 

 時空の狭間のような場所を、魔女が鼻歌混じりに歩いている。

 

「彼は、私のプレゼント、喜んでくれるかしら」

 

 魔女は無邪気に、心底楽しげに微笑んで、先ほどの少年に思いを馳せる。

 

「──あの世界の心臓。レドニコフ帝国から盗み出した、《クリオIII》のダンジョン・コア。」

 

 そう言い残して、魔女は軽やかな鼻歌とともに、次元の彼方へと消えていった。

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