レベルアップが終わらない。   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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『僕が世界を滅ぼした日 2』

 つるはしを振るい、重たい荷車を押す。

 ルツィアから怒鳴られ殴られ。

 タイラーさんや他の仲間たちからは笑われたり、なぐさめられたりする。

 

 僕はいつもの日常を送りながら、何度もポケットに入れた宝石の感触をたしかめていた。

 

 それが、さっきの現実離れした出来ごとが幻ではないと納得する、唯一の方法だったからだ。

 

 "これは、きみの行き詰まった人生を壊すための鍵だよ。"

 

 あの人は、そう言っていた。

 何の根拠もないけれど、何となく、あの言葉は嘘ではない気がして。

 何度もその"鍵"の感触をたしかめていた。

 

「──おい! 誰かっ、誰かタイラーを呼べ!

 やばい怪物が出た!」

 

 寒空に、異様な金切り音と、仲間の悲鳴が響いた。 

 

 僕がそれの聞こえてきた方を見ると、そこには──氷の鎌を持った、三メートルほどのカマキリが暴れている。

 

 

───────────────────

【クリオ・マンティス:レベル870】

───────────────────

 

『■■■■■!!!』

 

 金切り音の正体は、その怪物の咆哮のようだった。

 

 見たことがない種類の怪物だった。

 迷宮奴隷の仲間が咄嗟につるはしを振るうが、硬質な音とともにカマキリの外殻に弾かれ。

 その氷の鎌で、持っていたつるはしごと胴体を両断されて絶命した。

 

「──っ」

 

 蜘蛛の子を散らすように、採掘をしていた迷宮奴隷たちが逃げ出した。

 

『■■■■■!!!』

 

 カマキリは巨体の癖して、信じられないほど素早かった。

 音もなく、まったく目に止まらないほどの速度。

 ある場所で血しぶきが上がったと思ったら、その時にはすでに次の死人が出ている。

 

 ──あれは本気でヤバい。

 

 どんくさい僕でも、そう直感するほど圧倒的な存在感を、その怪物は放っていた。

 

「かひゅっ」

 

 僕の真横で、走り抜けようとしていた仲間が、胸を切り裂かれて倒れた。

 さっき、僕を昼休憩から呼び戻してくれた仲間だ。

 

 僕はしばし呆然としていたが、まだ彼に息があることに気が付き、すぐに駆け寄った。

 

「浅い……内臓はこぼれてない。

 大丈夫。すぐ止血すれば、死なないよ。」

 

「ごぷッ」

 

 彼は倒れたまま何かを言おうとして、口から血を吐いたが。

 その目は爛々とかがやいて、『死にたくない、死にたくない』と雄弁に語っていた。

 

「……」

 

 だが、その時。

 採掘場を駆け巡っていた"キルルル……"という異音が、僕の目の前で止まった。

 怪物が、氷のカマキリが脚を止め、僕の腕の中で浅い息をする仲間を見ている。

 

 仕留め損ないに気がついたらしい。

 虫のくせに几帳面なやつだ。と悪態を吐きたくなる。

 

 僕は、手に持っていたつるはしを構えようとして──やっぱり無駄だな、と思ってやめた。

 現にさっき、通じていなかったじゃないか。

 

 無駄な抵抗をするぐらいなら、覚悟を決めて楽に死ねたほうがいい。

 生きるのにも死ぬのにも後ろ向きな僕だが、痛いのは人並みに嫌いだ。

   

 深く息をする。

 寒気が針のように肺を刺したが、ふしぎと心臓の鼓動は落ち着いていた。

 

 これから、死ぬと言うのに。

 僕はその運命を、あらかじめ結末を知っていた映画のいち展開のように、受け入れてしまっていた。

 

 まあ実際、遅かれ早かれ訪れた結末だろうし。

 

 スローモーションになった視界の中で、氷の死神がその鎌を振り上げる。 

 

 ──それが、僕めがけて振り下ろされた。

 

「フー……クリオ・マンティスか。

 サイズからして、『詩吟譚級』の最上位から『幻想譚級』ってとこだな……」

 

 瞬間。

 聞き慣れた男の声とともに、怪物が横合いから蹴り飛ばされた。

 "メキィッ"、と。なにかが軋み砕けるような音とともに。

 

『■■■!?』

 

 錐揉み回転しながら吹っ飛んだ怪物は、5メートルほど先で体勢を整えて着地すると、氷の鎌をがちんがちんと鳴らして威嚇してくる。

 蹴り飛ばされた部分の甲殻が、放射状にひび割れていた。

 

「よう。生きてるかよ、ミメイ。」

 

 怪物を蹴り飛ばしたのは、タイラーさんだった。 

 彼は呆れるほど普段通りに、力の抜けた感じの立ち姿でたたずんでいた。

 

「タイラーさん……」 

 

「そいつ連れて、ちょおーっと下がってな。

 あいつは本来、ここいらには出てきちゃいけねえレベルの大物だ。

 さしづめ、この雪原の頂点捕食者ってやつだわな」

 

 だが、その表情は、僕がよく知るものではなかった。

 初めて見るぐらい真剣な顔で言うタイラーさんに、僕はこくこくとうなづき。

 負傷した仲間を引きずって、彼の後ろに下がった。

 

 ……勝てるの? 無理じゃない?

 

 僕は、タイラーさんの大きな背中と、その向こう側で鎌を打ち鳴らす怪物を見ながら、冷や汗をかいていた。

 

 タイラーさんは、元・迷宮探索者だが、今こうして迷宮奴隷堕ちしている以上、そこまで腕が立つってわけじゃないはずだ。

 『迷宮都市』じゃ食っていけなかったから、今の彼がいるわけで。

 

 僕のような一般人よりは遥かに強いにしろ、あの怪物に勝つ手立てがあるとは、到底思えなかった。

 

「──なーんて、考えてんだろ?

 ……まあ、見てろよ。

 俺には俺の事情があるのさ。」

 

 タイラーさんは、僕の懸念を見透かしたようにそう言って笑い。

 虚空に右腕を伸ばし──そこにまるで何か武器が存在するかのように、強く握り込んだ。

 

 ──"ズズッ"。

 

 そんな音とともに、タイラーさんの手の中で……

 棒状の何かが、だんだんと輪郭を帯びていく。

 

 そして数秒後、完全に実体を持ったそれは──先端が曲がった、無骨な鉄パイプのようなものだった。

 

───────────────

【『7級魔顕(まけん)・"ヒート・パイプ"』】

 『1度振るうごとに、持ち手以外の表面温度が100℃ずつ上昇していく鉄パイプ。』

 『温度の上昇に際限はない。』

 『"ヒート・パイプ"本体は自身の熱で融けることはないが、持ち主はその限りでなく、継戦にはインターバルを要する。』

───────────────

 

「なんだ……あれ……」

 

 タイラーさんは、怪物──"クリオ・マンティス"を睨みつけたまま。

 その鉄パイプを数回ほど、空中に素振りした。

 

 するとたちまち、鉄パイプは自身にくすぶっていた熱を思い出したかのように赤熱しだし、《クリオIII》の冷たい大気を歪ませる。

 

「ミメイ。ルツィアにご褒美の煙草3箱、頼んどいてくれよ」

 

 冗談めかした言葉とともに、タイラーさんは爆発的な踏み込みで一息に"クリオ・マンティス"へ肉薄すると。

 赤熱した鉄パイプで数度、激しくその鎌と打ち合い、向こうの武器をどろどろに融解させたあと。

 はじめよりさらに熱量を増したように見える鉄パイプを大上段から振り下ろし──"クリオ・マンティス"を真っ二つに溶断してしまった。

 

「ふう……」

 

 絶命したカマキリに背を向けたタイラーさんが握る鉄パイプは、そこに存在しているだけでも足元の雪をどろどろに溶かすレベルの熱量に達していたが。

 タイラーさんが持ち手から手を離すと、霧のように空中に散って消えた。 

 

「おぉいみんな、終わったぞぉー。

 なんとかなったー!」

 

 タイラーさんが、普段通りの少し間の抜けた声でそう呼びかけると、散り散りになっていた仲間たちがおそるおそる、といった様子で集まってきた。

 

「ミメイ。」

 

 地面にへたり込んでいた僕のところまで歩いてきたタイラーさんは、僕の頭をくしゃっと撫でながら、髭面を若干ニヒルに歪めて笑ったのだった。

 

「今の、ないしょな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、タイラーさんのおかげで、仲間の犠牲は四人で済んだ。

 僕が応急処置をした彼も、なんとか一命を取り留めて、今はルツィアが設営した医務テントで寝かされている。

 

 あの事件のあと、ルツィアは今日の採掘予定の中止を指示した。

 その代わりに僕らは、採掘場の外れの方にスコップで穴を掘り、そこに死んだ仲間の死体を埋めた。

 

 死んだ者が使っていたつるはしが、その者の墓標の代わりになる。

 

 これは、僕が《クリオIII》に来た頃から変わらない慣習だ。

 

「ウォルツ……ミハィア……ベレム……ココット……」

 

 ルツィアは、つるはしの頭の部分に持ち主の名前を刻み、それを地面に突き刺した。

 

 この採掘場で死人が出たのは、今回が3度目だ。

 新しい墓標に並んで、10を超えるつるはしが地面に突き立っている。

 

 すべて、ルツィアが自分の手で名前を刻んだものだ。

 

 ……僕が死んだら、ルツィアはちゃんと墓標を作ってくれるだろうか?

 

 作ってくれるといいな。

 もし僕が明日、死んだりしたら……

 それが唯一、この世界に僕という人間が生きていた、証拠になるだろうから。

 

 真新しい墓標の前でしゃがみ込み、じっと動かないルツィアの小さな背中を見つめながら。

 僕は、そんなことを思った。

 

 

 

 

 夜。

 僕らは、焚き火の周囲で暖を取りながら、夕食を取っていた。

 

 今日は、長い一日だった。

 自称・魔法使いのお姉さんとの出会い。

 クリオ・マンティスなる怪物の襲撃。

 

「よっこらせ」

 

 なんだか夢見心地のような感覚で、僕が焚き火を見つめていると。

 僕の隣に、タイラーさんが座ってきた。

 

「……あれ、タイラーさん。顔の怪我、治ってる?」

 

 昼間、ルツィアに殴られて腫れていたはずのタイラーさんの顔は、綺麗さっぱり治っていた。

 

 

「ん……ああ。レベルアップしたからな。実に7年ぶりだぜ」

 

 タイラーさんはあっけらかんと、そう答えた。

 

「レベルアップ……」

 

「迷宮都市の法則だ。

 なにかを殺すと、その相手の存在の"格"に応じた経験値が取り込まれ……

 それが一定に達すると、自身の存在の格──"レベル"が上がる。

 そして、その"レベルアップ"によって肉体がより強くつくり変えられる過程の中で、その損傷も治る。

 肉体を作り変えるわけだから、ひとつのレベルアップが終わるのにも、普通はそれなりに時間がかかる……」

 

「そうなんだ……」

 

「おいおい。義務教育受けてねえのか、ミメイくんよ」

 

「受けてねえよ。しってるでしょ。」

 

「ハッハハ! 悪い悪い!」

 

 焚き火で煙草に火をつけ、上機嫌そうに紫煙をくゆらせるタイラーさんに、僕は昼からずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「なんで……」

 

「どうしたよ」

 

「タイラーさん、あんなに強いのに……

 なんで、奴隷になんてなっちゃったの。」 

 

 僕の質問に、タイラーさんは、すっと表情を消して。

 くゆる煙草の煙の向こう側に視線をさまよわせながら「……俺は物心ついた時から、頑丈さだけが取り柄のガキでなぁ。

 ななつで業界に入って、今のお前ぐらいの年の頃には、すでに迷宮探索者として1人前の腕だったぐらいだ。」と語り始めた。

 

「そんな俺は、二十代の頃には、業界じゃかなり名のしれた迷宮探索者になっていた。

 今からすると信じられないと思うだろうが、本当だぜ。

 財閥の重役どもや、組織の顔役どもが、"英雄サマ〜"なんてへつらってきてよ。

 とうぜん、金も女もうんざりするぐらい集まってきて、『迷宮都市』の1等地に借りたでっかい事務所で、大して好きでもねえワイン片手に、ふんぞり返ってたもんだ……」 

 

「ほんとに信じられないやつだ。」

 

「言うな言うな。

 ところがある日、10年来の付き合いの戦友が、やべえ事件に巻き込まれてな。

 それこそ、迷宮がひとつ消滅するぐらいの大事件だぞ。」

 

「消滅……迷宮が……?」

 

 迷宮が消滅するなんて──そんなの、ひとつの世界が滅ぶようなものじゃないか。

 そんなことがあり得るのかと疑問を覚える僕をよそに、タイラーさんは話を続ける。

 

「そいつに助けを求められてクビ突っ込んだ、その事件で……

 俺は、人生ではじめて死にかけたんだよ。

 殺されかけた。

 武器も策も尽きた状態で、化物みたいな魔法使いどもに囲まれて……

 いくら頑丈とはいえ、本当はそこで死んでいたはずだった。

 ……だが俺はこうして生きている。

 みじめに生き延びて、今お前にこうして語り聞かせている。」

 

 ──「なぜなら俺はその時、仲間を置きざりにして、死にものぐるいで逃げだしていたからだ」と。

 タイラーさんはまぶたを閉じて、そう話を結んだ。

 

「その後はもう、思い出したくもない。

 取り返しのつかない挫折。

 信用の失墜。自分への失望……

 『迷宮都市』じゃ、クソほどありふれた転落話。

 大酒とクスリに溺れた俺は、『迷宮都市』で大暴れした挙げ句。

 力も財産もぜんぶ取り上げられて、迷宮奴隷に落とされた。

 それがお前の目の前にいる、冴えないオヤジの顛末ってやつだ……」

 

 煙草を焚き火の中へ投げ捨て、タイラーさんは数秒、沈黙した。

 

「……だがよ。今の生活には、それなりに満足してるんだぜ。

 これも、ほんとさ。

 じっさいのとこ、ルツィアの奴隷使いはそこまで荒くないしな。

 お前や、気の良い仕事仲間だっている。

 人間、流れ着いた先に、それなりの暮らしがあるってこった……」

 

 あたりはすでに闇で満ち、ほとんどの仲間たちは毛布に身を包んで寝入っていた。

 

 タイラーさんの過去を聞いているうちに、僕は……

 自分が心のどこかで、"羨ましい"と感じていることに気がついた。

 

 僕はずっと、自分とタイラーさんは根本的な部分で似ていると思っていたのだ。

 

 だけど決定的に違った。

 『迷宮奴隷』としての立場に甘んじているという点において、僕とタイラーさんは同じだが、ひとつだけ違う点がある。

 

 タイラーさんにとってここは、流れ着いた場所だけど。

 僕にとってここは、初期地点であるということだ。

 

 僕もタイラーさんのように、いろいろなものを見たり、感じたりしたあとに、ここに来ていたのなら……

 ここの生活のなかでも、生きる実感を持つことができたのかもしれないと、そう思った。

 

 ぜんぜん似てなかった。

 タイラーさんが燃え殻だとしたら、僕ははじめから火のない、ただの灰だ。

 

「タイラーさんは。」

 

 なんだか裏切られた感じがして、腹がたった僕は。

 眠る前にひとつ、意地悪な質問をしてやることにした。

 

「もしもまた、絶対に勝てないような敵が現れたら。

 ここを守るために、戦うの?」

 

 僕がそう聞くとタイラーさんは、くっくっと噛み殺すように笑った後。

 僕の額に、軽くデコピンを食らわせてきた。

 

「いたっ……」

 

 そして、燃え殻のような暗い瞳で、こう言った。

 

「……いいか、ミメイ。

 タイラーさんに言わせりゃあな……

 人間ってのは、そう簡単には変わらねえ。

 現に俺は、20年前のあの日、ケツをまくって逃げだした後から、何一つ考えを変えちゃいない。

 そして……これからも、絶対に、変わることはない……」

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