レベルアップが終わらない。   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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※国家の名称が某ソシャゲと被ってしまっていたので変更しました。
※スネージナヤ帝国→レドニコフ帝国


『僕が世界を滅ぼした日 3』

「──奴隷ども、起きなさい!

 昨日の遅れを取り戻すために、馬車馬が横目にドン引きするぐらい働いてもらわなきゃ困るわ!」

 

 ルツィアのキンキン声とともに、僕は目を覚ました。

 

 さて、今日もいつもの朝がやってきたぞ──と起き上がり、骨をバキポキ鳴らす。

 

「……おい、ルツィア」

 

 と、そのとき。

 珍しく、僕らよりもだいぶ早く起きていたらしいタイラーさんが。

 採掘場の外れから怪訝そうな表情で歩いてきて、ルツィアに声をかけた。

 

「どうしたってのよ、タイラー。

 アンタが、早起きなんて……」

 

「なにかが、おかしいぞ……

 レドニコフ国家警備隊と『地吹雪部隊』の連中が、そこらをうろついてやがる。」

 

「……なんですって?」

 

「昨日の"クリオ・マンティス"襲来といい、この周辺で確実になにかが起こってる。

 早いとこ……可能なら今日中に、この採掘場からはずらかった方が良い。」

 

 ルツィアは、鬼気迫るタイラーさんの言葉に、しばし考える素振りを見せたあと。

 「……わかった。すぐに荷物をまとめて、東の7番採掘場に移りましょう。」と言ったのだった。

 

 

 

 ……あとになって、思い返せば。

 この時点で、僕は気がつくべきだったんだ。

 昨日から続く一連の異常が、あの魔女との出会いに端を発していることに。

 これから起こる本当の地獄が、僕を中心として巻き起こるということに。

 

 僕のポケットの中で、青い宝石が熱を帯びていた。

 

 

 

 

 

「……やべえぞ、こいつぁ……

 連中、アリ一匹通さねえって構えだぜ。

 厳戒態勢の国家警備隊に、地吹雪部隊……冗談だろ。完全武装の『厳寒の化身(マロースツィ)』までいやがる。」

 

 ルツィアから借りた望遠鏡を覗き込みながら、タイラーさんが絶望しきった声でそう呟いていた。

 

「セコい盗掘に対して、出張ってくるような戦力じゃねえ……

 『迷宮都市』に戦争を仕掛けてきたときと、遜色ねえぐらいの戦力だ……」

 

 ……あらためて言うが、僕がいる"迷宮"──《クリオIII》は、事実上、ひとつの"異世界"だ。

 僕らは『迷宮都市』から《クリオIII》へ、違法な盗掘行為を働きに来ている、いわば侵略者の立場である。

 

 そんな侵略者にとって、一番の脅威はなにか。

 それは無論、異世界の国家である。

 

 ──レドニコフ帝国。

 

 それが、異世界としての《クリオIII》における覇権国家であり。

 僕らがいつも逃げ隠れし、たびたび見つかってはみじめな撤退戦をするハメになっている勢力の名前だ。

 

 人口、17億人超。

 強大な軍事力と、莫大な労働生産力をもって《クリオIII》に覇を唱え、『迷宮都市』に対して過去3度の戦争を仕掛けているらしい。

 

 代々の皇帝直属の精兵たちである『地吹雪部隊』──そしてそれを率いる常勝将軍『厳寒の化身(マロースツィ)』は。

 侵入を許した時点で、『迷宮都市』の陥落が確定するとされるほどの怪物だという。

 

 僕は一度だけ『厳寒の化身(マロースツィ)』を遠目に見たことがある。

 

 5年以上前のことだ。

 戦っている姿を見たわけでもないのに、"これと敵対してはならない"、と全細胞が告げるのを感じた。

 

 彼こそは、レドニコフの生ける軍神。

 《クリオIII》の凍土の権化。

 

 ──どうやらそれが今、僕らのいる採掘場を包囲しているのだという。

 

「……この中に、レドニコフ語を話せる者は?」

 

 黙りこくっていたルツィアが、か細い声で僕らにそう聞いてきた。

 

 彼らと会話が成立するか否か。

 向こうの言語を話せるものがいるなら、誤解を晴らしたり、交渉をする余地が生まれる可能性がある。

 

 しかし──誰も、手を挙げることはなかった。

 当たり前だ、ここにいる者はほとんど、小学校にすら行けていない迷宮奴隷なのだから。

 タイラーさんも、肩をすくめて首を横に振った。

 

「俺が現役の頃は、《クリオIII》……もといレドニコフとは、ゴリゴリの戦争中だぜ。

 諜報部門にでもいなきゃ、学ぼうとすら思わねえよ。」

 

「そう……クソっ。

 じゃあ、あたしが交渉しに行くしかないじゃない……!」

 

 ルツィアが、心底げんなりしたような顔をしながら、重々しく腰をあげた。

 

「え……ルツィア、喋れるの……? 

 レドニコフ語……」

 

 僕が思わずそう漏らすと、ルツィアは顔をいつも以上に苦々しく顔を歪めて怒鳴ってきた。

 

「喋れるわけ無いでしょ!?

 ……けど、むかしの雇い主の客に、レドニコフ人がいたから。

 カタコトなら、ぎりぎりいけるかもってくらい……!」

 

「か、カタコトでいけるの……」

 

「いけるわけないでしょ!?

 相手は、レドニコフの伝説の将軍よ?

 童話や歴史小説にだって名前が出てくるような、本物の大英雄なの!

 言葉が通じたって精神性がちがいすぎて、会話が成立するか怪しい相手なんだから……」

 

 ルツィアと僕がぎゃんぎゃん言い争いをしていると、タイラーさんがゲフンゲフンと咳払いをした。

 

「あのー、ルツィアさん。

 夫婦喧嘩の最中、まことに恐縮なのですがねえ……」

 

「誰がっ……!」

 

 タイラーさんは、咥え煙草にマッチで火をつけて、一服してから。

 すっと、僕らの後ろを指さした。

 

「ふう……将軍様の、お出ましのようだ。」

 

 僕とルツィアが、ぎぎぎとタイラーさんの示す方向へ振り向くと。

 そこにあったのは──統制の取れたひとつの雪崩が、明確な意思を持って迫りくるかのような光景だった。

 

 "地吹雪部隊"。

 

 雪にカモフラージュする白い軍装に身を包んだ、軽く千を超える屈強な兵士の一団が……

 ほとんどひとつの足音のもと、こちらに進軍している。

 

 どれだけの訓練を積めば、軍隊がこれほどの練度に達するのか、想像することすらできないほどだ。

 

 ましてや、もしも彼らとぶつかりあった時。

 僕たちがどうなるかなど──

 

『…………。』

 

 そして、その進軍を先導する存在は、先述した軍隊に比して、個人ながらまったく見劣りしていない。

 いや──むしろ、相対する僕らが感じる重圧は、"彼"単体の方が遥かに上だった。 

 

 平均して大柄なレドニコフ人の中でも、頭抜けた体躯の騎士。

 白銀の鎧に、帝国の威光を示す濃紺の外套をはためかせ。

 最も特徴的なフルフェイスの兜には、レドニコフの神獣である、梟の羽毛を持った鹿──"アウルホルン"の翼があしらわれている。

 

 『厳寒の化身(マロースツィ)』とその精兵たちが、僕らの目と鼻の先まで迫っていた。

 

「……スーッ」

 

 彼らの軍装に負けないぐらい顔面蒼白のルツィアが、死ぬ寸前みたいな深呼吸をしながら、一歩を歩みだした。

 いやたぶん、僕の顔面もあのぐらい蒼白なんだろうけど。

 震えが止まらないもんね。

 

「……まっ、ここまでだな……」と。タイラーさんのぼやきが聞こえる。

 

 地吹雪部隊へと歩みを進めるルツィアとは裏腹に、彼は。

 煙草をくゆらせながら、乾ききった眼差しで、どこか遠くを見ているようだった。

 

 

『──ミスター! ……ぁーえとっ、われ、われはっ、あなたの槍のっ、敵になるほどの者では、ありませんっ!』 

 

 たどたどしいレドニコフ語で、そう叫んだルツィアに。

 厳寒の化身(マロースツィ)は右腕で制し、自分と部下の進軍を止めさせた。

 

 通じて……いるのだろうか……?

 

『──エルフの■■……きみは私の■■のようだが……

 娘よ。きみたちは、レドニコフの■■■を、そしてこの世界の■■を、大いに侵犯している……』

 

『ぁー、です、そうです。ミスター。われわれは、あなたがたの、資源を少々、ほんとうに少々、ちょびぃっと、すずめの涙ほど、侵犯してしまいまして、ですねェ……』

 

 ──会話が成立している。

 ルツィアの顔にほんの少し、余裕が戻っていくのがわかった。

 どうやら厳寒の化身(マロースツィ)は、僕らが想像していたよりもずっと、理性的なようだった。

 

 厳寒の化身(マロースツィ)は、厳然とした、巨木のうろから響くかのような声で、僕たちを指さした。

 

『──違う。このような涸れた■■■の盗■などは、さしたる問題ではないのだ。エルフの■■よ。

 きみたちは、我らの世界の■■を、奪ったのだ。

 返してもらう。返してもらうぞ。

 "払暁神話"……あの魔女の、■■■なのだろう。

 ゆえに、きみたちは──』

 

『んあっ……!

 えっえっえっ。ちょえっ……はァ?

 知らないっつーの! これ以外! 

 盗掘以外! あんたらにぶち殺されるようなことは! やってないって言ってるのよ!

 アンダースタァン? アンタ何歳よ!

 ボケてんじゃないのジイさん!』

 

 何やら交渉の旗色が悪くなったようで、テンパったルツィアが、自分の頭を人差し指でとんとんしながら地団駄を踏み、おそらく罵詈雑言であろう言葉を喚き立てるが……

 厳寒の化身(マロースツィ)はそれをまったく意に介さず、右腕の巨槍の柄をどすっと地面に打ち付けた。

 

『──万死に値する』

 

「あああもうっ。交渉決裂ー!

 話になんないんだけど、このジジイ!」

 

「なんかっ、なんか最後の方、明らかにルツィアの方から喧嘩売ってなかったかな?」

 

「うっさい! うるさいうるさい! 

 あたしのせいじゃない! あたしのせいじゃない!

 じゃあアンタがやんなさいよー!」

 

「ルツィア! 前! 前!」

 

 僕の叫びで前に向き直ったルツィアの視線の先、そこには巨槍を振り上げる厳寒の化身(マロースツィ)の姿があった。

 

「っ……」

 

 咄嗟に飛び退いたルツィアがいた場所を、厳寒の化身(マロースツィ)の巨槍が叩きつけた。

  

 ──大量の火薬が炸裂したかのような、轟音と衝撃が僕の全身を打つ。

 

 足元がぐらりと揺れる。

 深々と積もっていた雪がまき上がり、猛吹雪の只中にいるかのごとく、僕らの視界がホワイト・アウトした。

 

 白に染まる世界の先。

 槍が打ち付けられた中心点から、10メートルにもおよびそうな巨大なクレーターが、地面に穿たれているのが確認できた。

 

 大自然の猛威を彷彿とさせる、圧倒的な破壊力に、思わずぞっとする。

 ひとりの人間が持っていい破壊力じゃない。

 もし、彼の攻撃が体を掠めたりすれば僕は──良くて、血の霧だろう。

 

 その一撃が作戦行動開始の合図だったようで、彼の部下たちまでもが動き出した。

 

「ッ、つぅ……あ、ん、のジジィ……!」

 

 直撃は避けたのにもかかわらず、あまりの衝撃に吹き飛んだルツィアが、僕の足元にまで転がってきた。

 

「ルツィア……」

 

 助け起こそうと、差し伸べた僕の手は。

 ルツィアによって、強く払いのけられた。

 

 かじかむ右手が、じんじんと痛むのを感じる。

 

 ルツィアは倒れ込んだまま、殺意すら滲んだ視線で僕を突き上げてきた。

 

「……立てる?」

 

「生意気ね……あんたに手を貸されるほどの傷だったら、もう死んでるわよ。

 ──あんたみたいな出来の悪い役立たずが、あたしの力になれるなんて思い上がり。もう二度とするな。」

 

「うん……それもそうだね……」

 

 ルツィアは悪態を吐きながら立ち上がり、服についた雪をはらった。

 よかった。口も体も元気そうで。

 

 とはいえ、僕たちを取り囲んだレドニコフ帝国の精鋭部隊が進軍してきているという絶望的な現実は、なにも変わらない。

 

 迷宮奴隷の仲間たちは、悲鳴をあげながら逃げ出しているものがほとんどだった。

 だがその全員が、マロースツィが率いる地吹雪部隊に行く手を阻まれては、命乞いをしながら虫をすり潰すような槍の一撃で殺されている。

 

 どうやら、是非もなしに皆殺しのようだ。

 

 ルツィアは、四方八方で繰り広げられている殺戮に対して、張り裂けんばかりに叫んだ。

 

「──散り散りになるな!

 闇雲に突っ走ったって、連中の包囲を抜けられるわけが……!」

 

 しかしこの混迷の中、前後不覚に陥ったみんなは、普段は絶対服従なルツィアの命令すら耳に届いていないようだった。

 

 いや、厳密には、届いているが聞き入れていないのだ。

 絶対的な死の恐怖が充満した中で、生存本能に逆らって他人に運命を委ねられるほど理性的な人間は、少なくとも迷宮奴隷の中にはほとんどいない。

 

 僕はこうして比較的冷静だけど、それは頭がいいわけじゃなくて、生存本能の方があんまり機能していないからってだけだろうし……

 

「……っ、」

 

 自分の声を聞き入れず、散り散りに逃げては潰されていく迷宮奴隷たち。

 その光景を前に、ルツィアがほんの一瞬、泣き出しそうな顔になった気がした。

 

 ルツィアの泣きそうな顔なんて、はじめて見た。

 死ぬ前に珍しいものが見れたと喜ぶべきだろうか。

 

 ……いや、はじめてでもない気がする。

 僕が今よりずっと幼い時。

 ルツィアが今より、優しかったころ……

 あの時は、何があったんだっけ?

 

 凍てついた思い出の彼方に、なにか温かなものが明滅している気がしたけれど。

 でも、もう、よく思い出せないや。

 

 彼女について鮮明に蘇ってくるのは、ここ数年の、怒鳴られたり殴られたりする恐怖と痛みばっかりだ。

 

「……ミメイ」

 

 ルツィアに名前を呼ばれて、思考を止めた。

 気がつくと、ルツィアの側に立っている迷宮奴隷は、僕だけになっていた。

 

 迫りくる軍勢との距離は、もう30メートルもない。

 弱々しい表情で立ち尽くすルツィアが、ひとりごとのように問いかけてきた。

 

「……タイラーは。」

 

 僕は、きょろきょろと辺りを見回してみる。

 どこにも、死体の中にも、タイラーさんの姿はなかった。

 

 逃げ出したのだ。二十年前と同じように。

 

 タイラーさんぐらい強ければ、もしかするとひとりだけなら生き延びれるかもしれない。

 生き残ってくれるといいな、と思う。

 僕はあの人のことが、結構好きだったから。

 

「逃げたみたい、タイラーさん」

 

「……そう。そうよね。

 あたしがあいつでも、そうする……」 

 

 ルツィアは、体の芯から寒さに震える時みたく、自分の体を抱きしめるように腕を組んだ。

 

 ──人間はそう簡単には変わらない。

 タイラーさんは昨晩、焚き火の前でそう言っていたっけ。

 

 僕もそう思う。

 僕もついぞ死ぬまで、生きるに値する熱とでもいうべきものを、心に宿すことは出来そうにない。

  

 タイラーさんは有言実行した。

 僕も彼も、最後まで変わらなかった。

 

 なんだ、やっぱり似てるじゃん。

 その事実がちょっぴり嬉しくて、こんな状況にかかわらず、僕はほんの僅かに笑ってしまっていた。

 

「ルツィアは、どうするの。」

 

 僕が他人事のようにそう聞くと、ルツィアは唇を噛みながら答える。

 

「……『迷宮都市』につながるゲートまで、なんとか逃げるしかないわ。

 この世界は、連中の庭だから……

 でも、ゲートを開くための鍵が、あたしの手元にはないの」

 

「迷宮都市につながる鍵……それは今、どこにあるの?」 

 

「あたしのテントにある、金庫の中……」

 

 ルツィアの視線の先には、マロースツィの軍勢が立ちふさがっており。

 その向こう側に、彼女のいうテントがあった。

 

「……無理じゃないかな?」

 

 彼らから逃げるためには、鍵が必要だけど。

 鍵を手に入れるためには、彼らの包囲を突破しなくてはならないという。

 なんだか、理屈が破綻してて絶対にクリアできないパズルみたいだね。

 

「ああ、クソっ……拘束具がなければ、包囲に穴を開けるぐらいは……」

 

 ルツィアは忌々しそうに耳のピアスに触れながら、そう悪態を吐いていた。

 それを横目に見ながら、僕はぽつりとこぼす。

 

「僕は……もういいかな。これで終わりで。

 でも、ルツィアが助かるために、僕にできることがあったら、それをやって死のうと思うから……

 なにか、思いついたら教えてね?」

 

 それは、紛れもない本音だった。

 

「…………」

 

 舌打ちとともに、ルツィアの長い耳がぴくっと震えた。

 

 横目で、こちらを睨みつけている。

 

 ……あ。そういえば、さっき。

 僕なんかがルツィアの力になれると思いあがるなって、怒られたっけ。

 さっそくやっちゃったよ。

 

 殴られるかな。

 ルツィアはその気になれば、僕なんて素手でひねり殺せるだろう。

 彼女の拳で死ぬのと、レドニコフ兵の槍で死ぬの、どっちの方がしんどくないかな。

 

「あんたは、ガキの頃から、ずっとそうよね……

 自分の命になんて、なんの価値もないって思ってるみたいな顔して……

 なにも考えずに、信念もなく、他人のために身を投げ出して……

 あたしはずっと、それが嫌で嫌でたまらなくて……」

 

「……ルツィア?」

 

 心ここにあらず、という様子で、らしくもなく要領を得ないことを呟いているルツィア。

 ぼくはそれがよくわからなかったので、彼女に聞き返そうとして、

 

 ──僕の視界の外で、凄まじい灼熱の爆ぜる気配がした。

 

「っ……?」

 

『"■■英雄"──なぜ、なぜヤツがここに? 生きていたというのか……!』

『盾を■えるな! あの男には、鎧も重盾も意味をなさない!』

『■■め──レドニコフの凍土を焼き尽くす、■の■■……!』

『隊列を■えろ! 突破させるな!』

『ふ、不可能です! 第六■■■隊、作戦行動不可! 食い破られます──!』

 

 レドニコフ語で、地吹雪部隊の精鋭たちが 悲鳴に近い叫び声をあげるのが聞こえた。

 僕らを包囲している白い装備の群れの中を、なにかが暴れまわっているようだった。

 オレンジ色の光を放つ凄まじい熱源が移動するたび、その場所でレドニコフ語の悲鳴があがる。

 

 ──なんだ? なにが起こっているんだ?

 

 怪訝に眉をひそめる僕の頭に、ひとつの可能性が首をもたげてきたが、即座に否定する。

 

 そんなわけがないんだ。

 それだけはない。絶対に。

 彼が、ここにくるわけがない。

 

 僕は誰より、それを理解しているはずなのに。

 

 レドニコフ軍相手に大立ち回りをしているその熱源が、こちらに近づいてくるたび、僕は。

 人生ではじめてと言っていいぐらい、心臓を巡る血潮が沸騰するような──

 そんな感覚に陥っていた。

 

「よお……ルツィア、ミメイ。  

 ……他の、連中は……間に合わなかったか。」

 

 どうして。どうして。どうして──

 無数の疑問符が、頭を駆け巡っている。

 

 咥えタバコから紫煙をくゆらせ。

 赤熱した鉄パイプで、僕らを襲う雪崩を焼き溶かしながら。

 

 ──全身血まみれのタイラー・バーンズが、レドニコフ兵の死体の山から、悠然と歩み出てきた。

 

「ん……? どうしたよ。ふたりして。

 今にも死にそうな顔で、しかも幽霊でも見るようなツラしやがって。

 そんなに俺が恋しかったのか?」

 

 唖然とした顔で自分を見つめている僕たちに、タイラーさんは。

 血だらけの顔で、いつも通り。

 無骨だが愛嬌のある笑みを浮かべていた。

 

 ──"逃げたんじゃ、なかったの"。

 そう溢した僕に、タイラーさんは右目の目元をひくっと歪めた。

 

「……ああ? 俺が、逃げるって……? 

 バカ言ってんじゃねえ。

 それだけはねえだろ。

 お前、昨日の夜、ちゃんと俺の話聞いてたのか?」

 

 ──"人間は変わらないって"。

 ──"二十年前に逃げ出したあの日から、俺は考えを変えていないって"。

 ──"そう言っていたじゃないか"。

 

「はあ……おいおい……

 勘弁しろよ、ミメイ。

 やはりお前は義務教育を受けろ。

 そんで、国語を重点的に勉強しろ。

 読解力のない男はモテんぞ〜」

 

 やれやれ、と首をすくめながら、タイラーさんは僕を小馬鹿にしたような軽口を叩く。

 

 それから、右腕の鉄パイプを力強く一振りした。

 彼の放つ熱が一段と増し。

 その灼熱の余波が、僕のかじかんだ心を、溶かしていくような気がした。

 

「俺は、二十年前のあの日、逃げ出したあと……

 掃き溜めの路地裏でぶっ倒れて、絶叫すらかき消しちまうようなどしゃ降りに打たれながら……決めたんだよ。

 "次、同じような絶望と出くわした時、何があろうが逃げ出さない"ってな。

 ──あの時の決意から俺は、何一つ変わっちゃいない。」

 

 意味がわからなかった。

 なにかに、頭を殴られている。

 うまく考えられない。 

 

 つまり──つまり。

 タイラーさんは、ずっと前に、変わっていたんだ。

 そしてそれからずっと、変わらずにいたんだ。

 

 くすぶる織火のように。

 二十年間、ずっと、決意の熱を心に宿したまま──

 

「ルツィア!」

 

 タイラーさんは、ポケットからなにかを取り出して、ルツィアに投げた。

 咄嗟にそれをキャッチしたルツィアは、目を見開いた。

 

「タイラー、あんた、これ……」

 

「『迷宮都市』へのゲートにつながる鍵だ。

 悪いな。上等な金庫だったのに、ブッ壊しちまった。

 あと、勝手にレディのテントに入ったのも謝るが……

 ハハッ、案外、かわいい趣味してたな?」

 

 ルツィアの手に握られていたのは、複雑な機構が合わさったような見た目の、大きな銀色の鍵だった。

 

「そいつで、ミメイを連れて逃げろ。

 ちょうどそこに、俺が通ってきたいい感じの道があるだろ?」

 

 タイラーさんが顎で示すのは、彼が今しがた食い破ってきた、包囲網の風穴だった。

 その一角だけ、死体の山が折り重なっており、生きたレドニコフ兵はひとりもいなかった。

 

 そして、他のレドニコフ兵やマロースツィたちの視線は、タイラーさんに集中していた。

 僕らなど取るに足らない、圧倒的な脅威だと、タイラーさんは彼らに判断されているようだった。

 

「タイラー、さんは……?」

 

 僕の声は、震えていた。

 

「逃げないの……?」

 

「ふう……なあ、ミメイ。

 俺は今、久々にいい気分だよ。」

 

 煙草をふかし、タイラーさんは笑っている。

 

「いいか、ミメイ……

 人生にほんとの失敗なんて無い。どれだけ負けようが、流れついた先で楽しくやれてれば万事オーケーってのが、俺のポリシーなわけだが……

 たったひとつだけ最悪なのは、なんだと思う。」

 

 タイラーさんは、ぴんと人差し指を立てた。

 

「後悔だ。後悔だけは毒だ。心を殺す。

 人生が楽しくなくなる。自分を好きじゃなくなる……

 ……毎晩、まぶた裏の亡霊に対して、"殺してくれ"って懇願する羽目になる。

 だから。ミメイ。

 お前も、後悔だけは残すなよ?」

 

 そう言い切り、タイラーさんは唇を獰猛に歪めると。

 凄まじい熱を放つ鉄パイプの先端を、マロースツィに突きつけた。

 

『…………』

 

 マロースツィは、動じない。

 ただ《クリオIII》の凍土と同じようにそこに在り続け、圧倒的な威容を放っている。

 

「──行け。」

 

 タイラーさんがどすのきいた声で叫んだ。

 

「タイラー……今なら、あんたの手首にキスだってできそうよ。

 またいつか、どこかで会えたら……

 その時は、良い酒をめいっぱい奢ってあげる。」

 

「ハッ……」

 

 ルツィアの言葉に、タイラーさんが、ひらひらと手を振った。

 

 僕の手を取り、ルツィアは駆け出した。

 タイラーさんを置いて。

 僕がまだ、彼の言葉を受け止め切れていないまま。

 

 この胸にともった、熱の正体もわからないまま。

 

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