レベルアップが終わらない。   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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『煙の英雄譚・終演』

 

 

──たったの一度だって、ないですよね?

 

 

 

 

──……あなたが、誰かのために、戦ったことなんて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──タイラー・バーンズ──

 

 

 

 金。評判。人脈。力。

 かつて、俺にとってすべてだったもの。

 

 

 

 最初の記憶は、立ちこめる蒸気とオイルの臭い。

 人間が消耗品の紙ナプキン同然にしか扱われない『迷宮都市』でも、二番目か三番目くらいにはにろくでもないマフィアが牛耳っていた"煙の迷宮街"に生まれた俺にとって。

 それは、生きるのに必要不可欠なものだった。

 

 ゴミ漁りでかろうじて食いつないでいた八つのころ、はじめて組織から受けた仕事は、平たくいえば強盗殺人だった。

 と言っても、奪ったのは財産じゃないし、さらに言うと、殺したのは人間でもなかった。

 

 蒸気機械に人格を移した成金ヤロウをぶっ壊して、そのパーツをバラして売った。

 あれは人間の言葉を話していたし、命乞いだってしてきたが、人間ではなかった。

 

 はじめて稼いだ金で、ずっと外から眺めるだけだった丼物屋に入った日のことは、今でも忘れない。

 俺の二本の腕は、金を稼いで、自分に飯を食わせることができる。

 そう自覚した時の感動は、よく覚えている。

 

 たとえそれが、誰かを踏みにじって手にしたものであっても。

 

 ずっと眺めるしかできなかったものが、手に入った。

 だから、思っちまった。

 "あの迷宮都市一等地区のネオンの中にも、入れるんじゃないか"って。

 あの煌々とかがやく楽園の中に入れれば、死ぬまで苦しみなんてものとは無縁の人生が手に入るんじゃないかって。

 

 まったく、馬鹿な小僧だったな。

 けっきょく、血反吐はいて掃き溜めから顔を出した先にあったのは、きらびやかなだけの肥溜めだった。

 この世に楽園なんてない。すくなくとも『迷宮都市』には。

 人間が生きる社会ってのは、下も上も地獄ばかりだった。

 

 二十代の半ばあたりまで、ほとんど眠った記憶がない。

 貧しくなるのが怖くて、ひたすら仕事をしていた。

 

 『迷宮都市』でゼロから成り上がるのに1番は、迷宮探索者になることだった。

 ゲートを通って危険な異世界に足を踏み入れ、そこの物品や人間をかっさらい、時には戦争に参加したりもする。

 

 俺は、頑丈さと腕っぷしだけが取り柄の男なので、それがものをいうあの業界では、トントン拍子に出世することができた。 

 それなり程度には、目端もきいたしな。 

 

 才能があった。

 

 気鋭の迷宮探索者。

 戦争の英雄。

 さんざん持ち上げられた俺は、ついついその気になり、調子に乗り──ある日唐突に、虎の尾を踏み、すべてを失った。 

 

 こいつだけは裏切らないと誓っていた親友も。

 俺なんかに憧れて業界に入ったっていう、バカでかわいい後輩も。

 もう少し金が貯まったら、プロポーズしてやろうと思ってた女も。

 

 俺が逃げ出したから。

 

 俺がいたところで、どうにかなったかは怪しい相手だったが、それは大した問題じゃない。  

 

 たぶん、俺がほんとうの意味で絶望したのは、仲間を失ったことに対してじゃない。

 あいつらを置いて逃げ出した、自分に対して絶望したんだよな。

 

 だから、今こうして、ここに立っているのも。

 愚かな俺の……自己満足に過ぎない。

 

『──ぐあああっ!』

 

 青白く光る鉄パイプとかち合い、武器ごと胴を溶断されたレドニコフ兵が、悲鳴をあげて倒れる。

 

 "地吹雪部隊"。そう呼ばれる精鋭たち。

 全員が、難解な呪術を込められた、『迷宮遺物(アーティファクト)』の槍や盾の装備を許されている。

 

 ──二百と七十人ほど、切り捨てた。

 左肩と右腿、そして右胸に槍を食らっているが、気に止めない。

 "ヒート・パイプ"の輻射熱で、傷はすぐに止血される。

 四方八方から襲い来る"地吹雪部隊"に袋叩きにされぬよう、戦場を疾走しながら武器を振るう。

 

 仲間を見捨てたあと、『迷宮都市』のシステムが俺にもたらした、貧相な魔顕(まけん)

 『迷宮都市』では不条理なことばかりだが、極めつけがこれだ。

 

 ひたすら頑丈で、振るうほど際限なく熱くなる。それだけの武器。

 俺がかつて保有していた、迷宮産の魔剣やらアーティファクトやらとは、比べるべくもない、

 

 だが、今の俺の手には。

 この無骨な鉄パイプが、どうしようもないほど馴染んでいた。

 

【レベルが上がりました!】

 

 そのアナウンスとともに、体が軽くなり痛みが消える。

 

 肘鉄で背後のレドニコフ兵の顔面を砕きながら、"ヒート・パイプ"をなぎ払って、行手をふさいでいる盾兵の陣形を破壊した。

 

 俺の手の中にある鉄パイプはすでに、直接触れずとも、熱の余波でレドニコフ兵を殺害しうるレベルの熱量に達している。

 振るう俺自身の体も、ちりちりと焼き焦がされていくのがわかる。

 

 本来、致命に近い傷を負わなければ即座には実行されないレベルアップによる回復が始まったのが、ここが俺の扱えるぎりぎりの熱量であることを示していた。

 

 ──頃合いだ。

 そう直感した俺は満を持して、先ほどから逃げ回っていた重圧の方向へと振り向いた。

 

 そこには、『厳寒の化身(マロースツィ)』が立っている。

 『迷宮都市』とそれに連なる無数の異世界の中でも、おそらくは最強の存在のひとつ。  

 神話の中の神話。迷宮都市を、沈めうる存在。

 

 視線を浴びるだけで、まるで猛吹雪の真っただ中にいるかのような錯覚に陥っている。

 本能が、あれと戦うなと、力の限りをもって警笛を鳴らしている。

 脚が、震えを止められずにいる。

 

 どうやら、俺は……

 この期に及んで、まだわが身がかわいいらしい。

 

 それがおかしくて、かみ殺すような笑い声を漏らしながら、俺は新しい煙草に火をつけた。

 たぶん、人生最後の一服になるだろうそれを、俺はゆっくりと吸い込み、吐き出した。

 

「よお……将軍さま。」

 

 死体の山をあるいて、厳寒の化身(マロースツィ)が俺の目の前までやってきていた。

 

『……』

 

「あんたが、なにをとち狂って、こんなセコイ盗掘に出張ってきたのかは知らないが……

 とりあえず、感謝しておくぜ」

 

 視界の端で、ルツィアとミメイが逃げた方向を見ながら、俺は言った。

 

「おかげで、俺の人生にも、ようやく……

 はっ。()()ってやつが……生まれそうなんだ……」

 

 口端を歪めて、俺はヒート・パイプを構える。

 青白く光るそれは、さながら寿命を迎える寸前の恒星のように、臨界の熱を放っている。

 

 持っているだけで、死にそうな灼熱に襲われる。

 あと、何度振れるかはわからないが……

 今のこいつならきっと──あの神話にも、届きうる。

 

「ふう……よし。」

 

 咥えていた煙草を吐き捨てて、俺はマロースツィを見据えた。

 

「行くぞ」

 

 全力の踏み込み。

 マロースツィに肉薄した俺は、下段から斜め上にすくい上げるような軌道で、その鎧にヒート・パイプを振るう。

 

『──絶凍城郭(クレポス・モロース)。』

 

「なんだ、こいつぁ……!」

 

 マロースツィが短くなにかを詠唱するとともに、氷河のような半透明の防壁が展開され、"ヒート・パイプ"を拒絶した。

 

 ギュラギュラギュラッ──という、高熱の物体が氷を溶かすような音が響くが、マロースツィが展開したそれは限りなく分厚く、破壊できそうにない。

 

 その隙にマロースツィは、右腕の槍を俺めがけて引き絞り、一寸先の絶死を予感させる一撃を放つ。

 

「──!」

 

 全身をよじり、ヒート・パイプを下段から振るい、その槍を迎え撃つ。

 

 さらに熱を増した鉄パイプが、槍の穂先を上に弾き飛ばし、絶死の軌道をずらした──はずだったが。

 

 俺の意識が一瞬、黒く染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……、ごほっ、ごほっ……」

 

 血を吐いている。

 目が、よく見えない。

 左腕が、壊れている。

 全身の骨がひび割れている

  

 なぜ、俺は地面に倒れている──

 

 何が起こった。

 遥か遠くから、マロースツィの影が無傷でこちらに歩みを進めている。

 

 ぶっとばされた。気を失っていた。

 真っ向からかち合ったわけではない。マロースツィの槍を下から打ちすえただけで、俺は何十メートルも吹き飛んで、こうして死にかけている。

 

 ──戦いに、なっていない。

 

 俺が唯一マロースツィに与えたのは、武器の破損だった。

 ヒートパイプと打ち合ったヤツの槍は、穂先がどろどろに融解して、使いものにならなくなっている。

 

 だが、俺をせせら笑うように。

 マロースツィはその槍を地面に突き立てると、なにかを詠唱した。

 

葬列の処刑槍(フューネラル・カピヨー)……』

 

 《クリオIII》の冷たい大気がきらめく氷の粒子となってマロースツィの右手に集まっていき──数秒で、その手の中に氷の槍が作り上げられる。

 それを握りしめ、マロースツィは俺にとどめを刺すべく近づいてくる。

 

「……はぁ、はぁっ」

 

 荒い息を繰り返しながら、震える脚で立ち上がる。

 

 わかっていたことだ。

 現役を退き、装備も力も喪った俺が、太刀打ちできる存在でないことは……

 

 いや、現役の頃でも結果は大差なかったか、これは。

 そういうレベルの話じゃないな。

 

 あばらが肺に刺さっている。

 ヒュウ、ヒュウ、という、末期(まつご)の呼吸が、喉から漏れている。

 

 みぞおちのあたりから口に、絶え間なく、ごぷっごぷっと黒い血がこみ上げ続けている。

 内臓が、いくつも破裂していた。

 

 終わりだ。

 数秒後には俺は死ぬ。  

 もう、戦えはしない。

 立っているのが、奇跡だ。

 

 ああ、クソ……どれだけ時間を稼げた……

 気絶しちまってたせいで、ルツィアとミメイがどこまで逃げたのかも、わからない。

 

『……まだ、立つか……

 きみは……良い、戦士だ……』

 

 俺の目と鼻の先で脚を止めたマロースツィが、レドニコフ語でなにかを言っている。

 

『……休むと良い。

 天の宮殿は、あなたを英霊として受け容れるだろう。』

 

 そして、手をくださずとも死ぬであろう俺相手に、槍を振り上げた。

 

 

 世界がゆっくりだった。

 マロースツィの槍の軌道が、鮮明に見える。

 

 なのに体がいうことを聞かない。

 寒くて、寒くて、

 指先一つだって、思い通りに動かせそうにない。

 

 だが。

 ひどく揺れ、だんだん暗くなっていく視界の中で。

 青白く燃える"ヒート・パイプ"だけが、存在感を放っていた。

 

 俺の意思の具現たる、魔顕。

 はげしくプラズマを散らし、まだ俺が終わっていないことを伝えてくる。

 

「ごぼっ」

 

『──!』

 

 血を吐きながら、激しいプラズマを散らすヒート・パイプをマロースツィに振るった。

 

絶凍城郭(クレポス・モロース)……』

 

 死体同然の男からの不意打ちにもかかわらず、マロースツィは危なげなくそれを防いだ。

 

 体の感覚はない。

 だが、肉体を超えたなにかが、俺を突き動かしている。

 

 何度も、何度も、何度も──

 血を吐き散らし、意味をなさない絶叫を吐き散らし、ヒート・パイプを振り下ろし続ける。

 

『…………』

 

 押し込むように、俺の存在そのものを、杭として深くあの神話へねじ込むように、灼熱を突き立てる。

 

 マロースツィの展開していた術式が、食い破られた。

 やつの右肩に、"ヒート・パイプ"が、ズブズブと穿たれるのが俺の見た最期の光景だった。

 

 

 

 "ヒート・パイプ"の熱で、俺の肉体が蒸発していく。 

 

 

 

 

 未練、失望。

 

 けして取りはらえない泥濘のようだった、すべてが。

 

 

 

 青白い灼熱の中に、溶けて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生きるために、生きてきた。

 

 意味のない人生だった。

 

 大して、大切にも思ってもいない自分かわいさに、かけがえのないものをいくつも喪った。

 

 後悔はいつだって、何の意味もなさなかった。

 

 あの日からずっと俺は、どうやったらこの後悔と罪悪感を清算できるのかって、そんなことばかり考えて生きてきた。

 

 どうすれば、このしみったれた男の人生に、幕を引けるものだろうかと。

 

『──あなたは、英雄なんかじゃありません。

 …………()()()()()()()()

 たった一度だって、ないですよね?

 意義や誰かのために、戦ったことなんて……』 

 

 細剣を腰に()いた、ひだまりのような瞳の色をした女が俺にいった言葉を思い出す。

 

 そうさ……ティティ。

 はじめて出会った頃からお前はただひとり、俺って人間の本質を見てくれていたって、今は思うよ。

 

 だから。好きになったんだ。

 

 お前のいったとおりだったよ。

 けっきょく俺は、最後まで自分本位。

 本当の意味で、誰かのために戦うことなんて、できはしなかった。

 

(……だが…………俺は……)

 

 それでも、ようやく、

 なにかを、のこせた、

 そんな、気が──、

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