レベルアップが終わらない。 作:幕霧 映(マクギリス・バエル)
僕とルツィアの背後で、恒星のような灼熱が爆ぜた。
巨星が──墜ちた。
そう、錯覚するほどの爆発。
ぬるい突風が僕の首筋を撫ぜる。
走る僕たちふたりの影が、目の前の雪景色に色濃く浮かび上がる。
積もる雪への反射光だけで、目を細めてしまうほどのその光熱を放っているのは。
僕らの後ろで、マロースツィら地吹雪部隊を足止めしているであろう、タイラーさんだ。
僕とよく似ているようで、じっさいにはまるで正反対の人間だったあの人。
過去の恐怖と後悔を、二十年以上胸に秘め続け。
燃えがらのように、いつもへらへらと笑っていた、彼。
しかし彼は今、かつて打ちのめされたすべてに打ち克って。
この暗く冷たい《クリオIII》の凍土を盛大に融解させながら、まばゆい灼熱に燃えている。
最後に見たあの人の背中が、目に焼き付いて離れなかった。
理由の分からない涙が、ずっとこみ上げ続けている。
どんなおとぎ話に登場する勇者も、きっとこれほどまでに僕の心を焼き焦がすことはない。
迷宮都市の英雄、タイラー・バーンズ。
きっと、僕の目の前で繰り広げられたのは、あの人の英雄譚の、最後の一ページだったのだろう。
もっとあの人に話を聞けばよかった。
もっとあの人のことを見ておけばよかった。
もっと、もっと、
「タイラーさん……」
「ミメイっ……このバカ! 前向いて歩く!
"地吹雪部隊"以外のレドニコフ兵の包囲は、まだ抜けてないんだから!」
ルツィアに手を引かれて走りながらも、首をひねって後ろを振り向いた。
蒸発した氷雪がもくもくと煙になって、タイラーさんとマロ―スツィの衝突の結末は見えなかった。
『ミメイ……お前も、後悔だけは残すなよ……』
僕はずっと、自分はいつ死んだって、後悔なんてしないと思っていた。
なにもないから。
からっぽだから。
運命に対して、僕はいつだって限りなく無力だったから。
やりたいことも、なりたいものも……
この閉塞しきった氷の大地では、考えることなんてできやしなかったから。
「っ……」
涙をぬぐい、歯を食いしばり、僕は前を向いた。
この胸にあるものを、うまく言葉にすることはできない。
でも、僕は、もしかすると……
ああ、なりたいのかもしれない。
絶望を知りながらも……運命に、立ち向かうことができる人間に。
「っ、らァ!」
ルツィアが、僕らの行く方を立ちふさぐレドニコフ兵の顎を蹴り上げた。
ごぎり、と蹴られた首から音を出しながら倒れる。
だがそれによってできた隙に、右横にいた兵士が警棒でルツィアを殴りつけた。
彼女は目をしかめつつも即座に裏拳を放ち、それを食らった兵士は地面に倒れる。
しかし、幾人も群がってくる数の暴力を捌き切れず。
ルツィアの顔面に、横殴りの警棒がクリーンヒットした。
「っ、こんっの……、」
ルツィアが頭をおさえながら、たたらを踏んだ。
どろりとした血が、彼女の顔へ垂れている。
「ルツィア……!」
そこに追撃を加えようと警棒を振り上げたレドニコフ兵相手に、僕は全力の体当たりをした。
が、びくともしない。まるで巨岩にでも組み付いたかのように、僕の体には激痛が走るが向こうは平然としている。
「っ……」
この兵士は"地吹雪部隊"ではない。
あの精鋭たちはほぼ全員、タイラーさんが引き付けている。
つまり、こいつは単なる一兵卒。
しかしそれでも、僕からすれば大差ない、圧倒的な暴力だった。
──"レベル"差。
──"存在の格"の違い。
昨日、タイラーさんに聞いたことからそう直感する。
いくら僕が痩せっぽちで、男のくせに上背も体重もルツィアよりないくらいガリガリだったとしても。
単なる物理的な筋肉量とは別の、隔絶した格の違いを感じた。
「あぐっ……、」
レドニコフ兵が、警棒の柄で無慈悲に僕の背中を打った。
吐きそうなほどの痛みとともに、僕は崩れ落ちる。
「──!」
ルツィアが、倒れた僕を見て、なにかを叫んでいた。
頭から血を流しながら、必死の形相で。
泣きそうな顔で。
朦朧とする意識の中で、なぜだか僕は自分がまだ幼い頃、ルツィアと出会ったときのことを思い出していた。
死に際に見る夢……走馬灯、っていうんだっけ。
いつだったか、タイラーさんが教えてくれた気がする。
こういう、なんの役にも立たないような知識は、大抵タイラーさんが教えてくれるから。
『アンタ……いくつよ?
……はあぁ?
七歳、って…………最低……』
七歳の頃。迷宮奴隷として、《クリオIII》にやってきた時。
はじめて見たルツィアは、氷の世界の女神のように僕の目に映った。
今より怒ったり怒鳴ったりすることはずっと少なくて、その代わりに、いつも悲しい顔をしていることが多かったからかもしれない。
『なに……眠れないの?』
『……寒くて、さみしくて?』
『慣れなさい。これから先の人生、ずっとそうなんだから。』
『それとも、なに……あたしに、母親みたいに、あんたを抱きしめながら子守唄でも唄えっての?』
『はっ。笑える冗談ね。』
『……なによ。その目は……』
『…………はあっ。おいで、一回だけだからね……』
僕が幼かったからか、ルツィアは今じゃ考えられないぐらい優しかった。
よく気にかけてくれて、たまに笑ってくれて。
僕も、ルツィアに懐いていたと思う。
だから十歳ぐらいのころ……
ある日の採掘場の落盤事故で、ルツィアを突き飛ばして、僕は生き埋めになったんだ。
上手いこと空洞ができて、ちょっとした擦り傷で済んだけど……
瓦礫から僕を助け出したルツィアは、血だらけの自分の指先を気にもせずに、はじめて怒鳴ってきた。
『──死にたいの……』
僕はそれに。
自分よりも、ルツィアに生きていて欲しいから、というようなことを返した気がする。
それから、ルツィアは僕にキツく当たるようになったんだ。
ずっと、なんでかわからなかったけど……
今なら、理由が分かる気がする。
僕が、ちょっと優しくされただけで、その人のために命を捨ててしまうぐらい、チョロいやつだったからだろうね?
僕を可愛がったりしたら、ころっと自分のために死んでしまうって、ルツィアはその時わかったんだ。
どうして、こんなに大切なことを、ずっと忘れていたんだろう。
怒りっぽくなる前のルツィアは……いや、僕が気がつけなかっただけで、怒りっぽくなってからも。
誰より、優しい人だったじゃないか。
……僕のような、
ろくに生きる気のない、奴隷ひとり、自分のために死なせるのが、許せないぐらいには……
キィンッ、という、耳鳴りのような音が、僕の耳に届いた。
倒れた体勢から、なんとかその音が聞こえた方を見ると、そこには……
レドニコフ兵たちに手のひらを向け、指先からバチッバチッと、緑色のスパークのようなものを散らしている、ルツィアの姿があった。
「ハァ……魔術・■■・■■■……!」
歌うような響きをともなった未知の言葉で、ルツィアがなにかを口ずさむ。
それを見たレドニコフ兵たちが、一気に警戒を高めるように武器を構え直した。
だが、その次の瞬間。
ルツィアの両耳の黒いピアスが淡い光を放つとともに、指先のスパークが収まり。
「──っ」
ルツィアが、目。鼻。口から、おびただしい量の血を吹き出して、地面に膝をついた。
「る、つぃ、ぁ……」
膝をついたまま、ルツィアは血だらけの顔で僕に目をやった。
その、ルツィアの顔は……むかしと同じ、悲しくて優しい表情をしていた。
動けない僕たちに、レドニコフ兵たちが武器を振り上げ──ぴたりと、静止した。
なんだ──?
彼らは僕たちが逃げてきた方角に視線を釘付けにして、武器をおろし、直立不動の姿勢を取っている。
彼らが、追撃の手を止めてまで、敬意をはらう存在。
僕は、最大限の嫌な予感をおぼえながらも、そちらを見る。
『……』
息を呑んだ。
そこには、マロースツィの姿があった。
──タイラーさんを殺して、僕たちを追ってきたのだ。
だが、けして無傷ではなかった。
荘厳な鎧の右半身が、どろどろに融解して、さながら怪異譚に出てくる異形のようだ。
そして……右肩のあたりに、タイラーさんが持っていた鉄パイプが、深々と突き刺さっている。
それは主なきあとも未だ熱を持ち続け、"ジュウウウ……ッ"と、マロースツィの肉体を焼き焦がしている。
それなのに。
マロースツィの歩みは、まったく揺らいでいない。
まっすぐと、身動きを取れない僕とルツィアのところまで歩を進めてきた。
『か、閣下……』
『……見つかったか、"コア"は』
焼き焦げ、嗄れた声で、マロースツィは部下たちになにか問いかける。
部下たちは、マロースツィの姿に腰を引かせながらも、首を横に振った。
それが、芳しくない答えだったのだろう。マロースツィの纏うプレッシャーが、さらに大きくなった気がした。
『……』
マロースツィが、自分の肩に突き刺さった鉄パイプを掴むと、強引に引き抜いた。
そしてそれを、苛立ったように、地面に投げ捨てた。
冷たい雪の上に突き刺さった鉄パイプが、だんだんと熱を失っていく。
僕は、ほとんど無意識に、その方向へと這っていた。
星に手を伸ばすように、必死に、手を伸ばす。
『……その二人を、帝国防諜部へ連れて行け。
そして、拷問を含めたあらゆる方法で、コアの在処を聞き出せ。』
『はっ!』
レドニコフ兵たちが、膝をついているルツィアを乱暴に立ち上がらせて、連行しようとしている。
そしてちょうどそれと同じタイミングで──僕は、タイラーさんの持っていた鉄パイプに、指先を触れさせた。
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【『7級
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──瞬間。無機質な声が、僕の頭にひびいた。
僕が手を触れさせた途端、タイラーさんの鉄パイプは、霞のように消え去ってしまった。
だが──直感する。
本当に消えたわけではないと。
僕の中に、なにかとてつもなく熱いものが入り込んで来たのが、分かったからだ。
僕は、"クリオ・マンティス"との戦闘で、タイラーさんがそうしていたように。
虚空に手を伸ばして、力強く握り込んだ。
「──"ヒート・パイプ"……!」
まだ僕の手には太すぎる鉄パイプが、だんだんと手のひらで輪郭を帯びていく。
数秒かけて、陽炎のように揺らいでいた鉄パイプが、完全に実体を持っていく。
「ううぅ……!」
それを支えにして、僕は地面から立ち上がった。
そして、震える両足で、雪を踏み締めながら、
「ぁ、あああぁ!!!」
たどたどしい足取りで、走る。
"ヒート・パイプ"を、ルツィアを連行しようとしているレドニコフ兵相手に大きく振りかぶり、僕はそれを振り下ろした。
だが、僕が渾身の力で振るった"ヒート・パイプ"は。
あっさりと、レドニコフ兵の警棒に受け止められてしまった。
「ぐっ、ぅぅぅ……っ」
そして向こうの警棒の一振りで僕は吹っ飛び、まるでゴムボールのように雪原を跳ねた。
当たり前だ。
同じ武器を使ったところで、僕はタイラーさんではないのだから。
彼と同じようになんて、戦えるわけがないのだ。
僕の意識が霞むにつれて、手の中の"ヒート・パイプ"の輪郭も不安定になっていく。
僕の心を満たしていたのは、後悔だった。
ルツィアを守れない。
タイラーさんの武器を受け継いでも、それをぜんぜん上手く使えない自分自身に対して、失望していた。
死にたくない。死にたくない。
まだ、死ねない。
そう頭の中で反芻し、雪に手をついて必死に立ち上がろうとする、僕の視界の中で。
なにかが、青く光っているのが見えた。
それは、先ほどまで、僕のポケットの中に入っていたもの。
地面を転がった衝撃で、こぼれ出たのだろう。
倒れこんだ僕の目の前に……
昨日、自称・魔法使いからもらった、青い宝石が輝いていた。