レベルアップが終わらない。   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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『長い、長い一日目 1』

 両親が事業で破産し、"さしおさえ"られた僕が、迷宮奴隷として《クリオIII》にやってきた最初の日……

 『迷宮都市』の奴隷あっせん業者から僕を買い取った、盗掘会社のおじさんに連れられて入ったテントの中。

 それが、僕が銀の髪と金の瞳を持ったエルフ──ルツィア・シルヴァワルツと出会った時の光景だった。

 

『おい、ルツィア。新しい採掘奴隷だ。

 ガキの上に安モンだからな。使い潰したら、また新しいの連れてきてやるから言え。』

  

 僕は背中を乱暴に押され、手錠を後ろ手に付けられていたので、受け身も取れずにテントの床に倒れ込んだ。

 

 氷のように冷たい床。口の中ににじむ鉄の味。

 

 胸の中が、黒く冷たく硬いもので充満していた。

 『迷宮都市』で、それなりに豊かな暮らしができていた数週間前までが、まるで記憶の中にしか存在しない楽園のようだった。

 

 少し前から、夜中に両親の喧嘩が絶えなくなって、ある日スーツを着た人たちに僕の家の扉が蹴破られたんだ。

 もともと仕事ばかりで、僕に興味がない人たちだったけど、それがよりあからさまになった数週間だった。

 

 そこからの僕の運命は、まさしく急転直下だった。

 売りとばされた先での、奴隷商人からの"かわいがり"と、この盗掘会社に買い取られてからの、人間扱いされない生活……

 そして、この《クリオIII》という世界の冷たさに、僕はすっかり打ちのめされていて。

 自分の力ではどうにもならない"うねり"のようなものからの暴力に、慣れきってしまっていて。

 

 たぶん僕は、もう……あの頃から、思い始めてたんだろうね?

 

 "生きていたくない"、って。

 

『…………』

 

 その時──ちゃりっ、と。

 当時から黒いピアスでばちばちだった彼女の長い耳が、僕の頭の上でうつくしく鳴ったのを覚えている。

 

 首をもたげ、顔をあげて地面からそれを見上げた。

 ランタンでオレンジ色に照らされた綺麗な横顔が、冷たい表情で僕を見おろしているのが見えた。

 月か雪の、女神みたいな女の人。

 

『……あのね。ここは託児所じゃないのよ。

 そんなお茶くみも満足にできなさそうなガキ、連れてこられても困るんだけど。』

 

 その女の人は、手に持っていたぶ厚い装丁の本をため息まじりに閉じてから机に置くと、脚を組み替えて僕をあごで指し示した。

 

『どうせ、この《クリオIII》じゃあ大半の迷宮奴隷が3年も保たずに死ぬんだ。

 寒さか、怪物か……レドニコフの衛兵どもにやられてな。

 どうせ使い捨てるのなら、できるだけ安いのを……ということだ。

 また数が減ったら補充しにくるから、文句を言うな。』

 

 そう言い残して、奴隷商から僕を買い取ったおじさんは、僕をそこに置いてテントから出ていった。

 

 静かになった。

 地面に倒れた七歳の僕と、ピアスばちばちの女の人、二人きり。

 

『あんた……いくつよ?』

 

 十数秒の沈黙の末、ようやく彼女が僕にそう聞いてきた。

 先ほど、僕を買い取ったおじさんと話していた時よりも、いくらか優しい声だったのを覚えている。

 

『七歳、って……』

 

 僕の歳を聞いて一瞬、悲痛に歪められた唇。

 

 彼女は僕の手をとって立ち上がらせて、まとっていた襤褸を脱がせると。

 温かいお湯で濡らしたタオルで、体を拭いてくれた。

 

 全身の傷跡がひどくしみたけれど、不思議と嫌じゃなくて。

 

 それから着替えさせた僕とふたりで椅子に向かい合って、彼女がくれたスープに息を吹きかけていた僕に。

 女の人は、ほんの少しほほえんで口を開いてきた。

 

『あたしは……ルツィア。

 あんたの名前は?』

 

 僕はミメイ。

 ただの、ミメイ。

 

 そう答えながら、僕は。

 自分でも意識してないぐらい、心の深くで……こう、思ったんだ。

 

 このひとのためなら、僕なんか死んでもかまわないって。

 

 ……いや、少し、ちがうかも。

 このひとのために死ぬことができたら、僕にも価値があると思えるかも知れないって、たぶん当時の僕は思ったんだろうね。

 

 こんなに優しくて、綺麗な女の人のために死ねたら……

 そして彼女が、ほんの少しでも、僕のことを覚えていてくれたら。

 それ以上の幸せはないのにって。

 

 あれから、僕は十四才になり。

 ルツィアは、僕に対して二度と笑ってくれなくなり……

 そして、タイラーさんや他の迷宮奴隷たちは、みんな死んでしまったわけだけど。

 

 けっきょく僕とルツィアだけは、マロースツィと"地吹雪部隊"から迷宮都市まで、逃げおおせることができた。

 

 僕の目には、今なお焼き付いている。

 

 天と地が崩れ落ちていく《クリオIII》が。

 荒ぶる吹雪の化身たる将軍と部隊が。

 とある英雄譚の、最期の1ページが。

 

 【レベルが、上がりました!】

 

 頭に、景気の良いファンファーレのような声がひびいた。

 

 物語の新しいページをめくるには、うってつけの音色だった。

 

 僕は自分の意識を、遠い過去の追想から、現在に移すことにした。

  

 

 

 

 

 

   第二話『長い、長い一日目』

 

 

 

 

 

 

 《クリオIII》のゲートから、ほうほうの体で迷宮都市に逃げ込んだ僕とルツィアを待っていたのは、スーツ姿の男たちだった。

 

 地面にへたりこむ僕らを、なにも言わずに見下ろしていた彼らの中心にいた若い男は……

 なにやら、機械のようなものを耳に当てて、どこかと連絡を取っているようだった。

 

『……数十分前から"氷の迷宮街"全域で発生していた、《クリオIII》ゲートの機能不全と、関係していると疑わしい人物ふたりを発見しました。

 ええ。みすぼらしい少年と……銀髪・ピアスが特徴的なエルフの少女です。

 は……殺せ? 少年の方は任せるが、エルフの方は確実に……?」

 

 彼は、しばらく通信機の向こうにいる誰かと問答をしていたようだったが、やがて深い息を吐きながら頷くと。

 通信機をポケットにしまい込んで、ふたたび僕の方を見てきた。

 

 ……ルツィアを医者に見せてほしい、なんて言える状況では、なさそうだった。

 むしろ、目の前のスーツ男の向けてくる視線は、レドニコフ兵と大差ないようなものに感じられた。

 

 殺意。敵意。

 

 その証拠に、彼は腰にさしていたサーベルのようなものを抜き放ち。

 僕が大事そうに抱えているルツィアに、その切っ先を向けてきた。

 

「……『境界防疫局(B.Q.B.)』の権限により、指定・異界人の即時処分を開始する。」

 

 有無を言わさぬ宣言だった。

 僕はルツィアをそっと横たえ、スーツ姿の男の前に立ちふさがった。

 

 ピリッ、とした空気が僕とスーツ姿の男の前に走る。

 僕は右手を虚空に握り込み、"ヒート・パイプ"を発現させようとした。 

 

「おいおい……なかなか、いい感じの空気になっているじゃないか。

 オレも、まぜてくれよ?」

 

 ──そんな、場違いなほど脳天気な声が聞こえた途端、ひりついていた空気がさらに重苦しくなったような、そんな感覚をおぼえた。

 

 マロースツィが目の前に現れた時と、近い感覚だった。

 有無を言わさず圧殺されそうになるあれよりはむしろ、からみついてくるようなプレッシャーだけど──絶対的な強者。それだけはわかる。

 

「っ……」

 

 その重圧の出どころは、スーツ姿の男の後方からだった。

 僕は後ずさり、それまで僕の方を向いていたスーツ姿の男たちもまた、向こうの方へ振り向いた。

 

「──"蒐集英雄"……

 英雄譚級迷宮探索者が、なぜここに……?」

 

「なぜ、って……あはは。ひどいなあ。

 お前ら『境界防疫局(B.Q.B.)』の下っ端だろ。

 オレは、お前らの上位組織から依頼されて、ここに来たんだよ?」

 

 "蒐集英雄"──。

 スーツの男にそう呼ばれた人物は、まるで散歩でもしているかのような、ゆったりとした歩みで僕の目の前に姿を現した。

 

 一見してその人は、ゆるゆるふわふわとした雰囲気の美男子にしか見えなかった。

 色白で細身の長身。

 ずっと、ニコニコ笑っている。

 洒脱なコートを身にまとって、灰色の髪の毛をなびかせた青年。

 

 だけど……なぜか僕には、分かったんだ。

 "こいつはやばい"って。

 

「ンー……そこに倒れてるエルフ……ああ。長らく"公社"から捜索命令が出ていたやつか……

 本命だった魔女はけっきょく見つからなかったし、手土産にはちょうどいいかな?

 まあ、オレのコレクションにしてやってもいいけど……

 それは、捕まえてから考えればいいか。」

 

 "蒐集英雄"は、ルツィアを見て、目を愉快そうに歪めると、

 

「と、いうわけで。

 漁夫の利を取るようで申しわけないけど……

 そのエルフ、オレにくれないか?」

 

 ──彼の左手に、なにか冊子のようなものが出現した。

 

─────────────────────

【『5級魔顕"魔法少女のルーズ・リーフ"』】

『かつて"魔法少女"と呼ばれていた迷宮探索者グループの一人が保有していた30枚組のルーズ・リーフ。』

『"魔法呪文"が書かれた頁を破り捨て、対応する詠唱をすると、それを代償に極めて強力な魔法攻撃を行使できる』

『一日に一枚ずつページ枚数が回復していくが、全ページを使い切った場合、使用者は不明なプロセスの後に、理性なき怪物に成り果てる』

─────────────────────

 

「"魔顕"っ……待て!  

 英雄アジルールフォ、あなたとやりあうつもりは──!」

 

「あっはっは。うんうん。

 ──『死に至る薔薇条網(ローゼン・ギロチン)』。」

 

 "蒐集英雄"が、自分の手元の冊子のページを一枚破り捨てながら、そう言うと。

 

「ぁ、がっ……!?」

 

 全身に激痛が走り、視界が真っ赤になった。

 僕の目の前にいるスーツ姿たちは、全身の皮膚を突き破って出てきた有刺鉄線のようななにかに悲鳴をあげながら、鮮血を吹き出して倒れている。

 きっと僕も、あんな感じになっているんだろう。

 

 だけど、あいにく──今の僕は、たぶんこの世の誰よりも痛みに慣れている。

 死にそうなぐらい痛くて、じっさい数十秒後には死んでしまいそうなぐらいの傷だけど、この程度では僕は止まらない。

 

 僕は、全身からぼたぼたと血をこぼし、痛みに歯を食いしばりながら立ち上がり。

 目の前でノートを片手に悠然と佇んでいる"蒐集英雄"を睨みつけた。

 

 

───────────────────

【"蒐集英雄"、アジルールフォ:レベル████("観測範囲外")

───────────────────

 

 

「ほお、立てるんだ……やるね。

 みじめで好きだよ。お前みたいな、なんの力もない、ど根性だけのガキは……」

 

 "蒐集英雄"は、相変わらずニコニコと笑ったまま、僕を見ていた。

 

 僕はそれを意に介さず──右手に、僕の"魔顕"を。

 "ヒート・パイプ"を発現させた。

 

「…………?」

 

 僕の手の中で、ゆっくりと輪郭を帯びていく"ヒート・パイプ"。

 それに対し、はじめはすこし怪訝そうな顔をしていた"蒐集英雄"は。

 

「……は?」

 

 完全に実体を持ったそれを見た途端。

 表情から色を消して、にわかに目を見開いていた。

 

 だが、その唇だけは異様に釣り上がり、彼の興奮を物語っている。

 

「……おいおい、おいおいおい……

 随分なモノを、持っているじゃないか……

 そんなモノを持っているのなら、はやく教えてくれよ。

 いじわるだなあ。」

 

 "ヒート・パイプ"を構えて臨戦態勢をとる僕をよそに。

 彼は、目元をおさえ、感極まったかのように震えていた。

 

 なんなんだろう……この人。

 強いとかそれ以前に、なんか、変だよ。

 調子が狂いそうになる。

 

【レベルが、上がりました!】

 

 頭に、もはや聞き慣れたその声が響き渡った。

 僕の全身の傷が時間を巻き戻したかのように治癒し、力が入るようになる。

 

 "蒐集英雄"は、レドニコフの"地吹雪部隊"すらおののいていたその光景を、笑顔で見つめたあと。

 うわ言のように……なにかをつぶやきはじめた。

 

「ああ……神様……

 クソみたいな人生でも、毎日を必死に生きていれば、たまにはマシなことがあるって、ほんとうだったんだね……」

 

「っ……」

 

 次の瞬間、僕の視界から彼の姿がかき消え、

 

「今は、おやすみ……」

 

 耳元でささやくような声が聞こえ、僕の首筋に衝撃が走る。

 

 僕の意識が、黒く染まった。





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