世界がゾンビまみれだが、それはそうと記憶がない   作:九条空

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Ants in one’s pants

 見間違いかと思ったので、私は瞬きをした。しかし何度目をこすっても、突如現れた女性が、レオナルドの頭の上にしゃがんでいるのは変わらない。

 

「レオ、こんなところで道草食って何してるの」

「チェインさん!」

 

 レオナルドにも見えているようなので、おかしいのは私ではなく世界の方だったらしい。

 私の視線に気づいたレオナルドが、自分の頭の上を指さして言った。

 

「えーと、こちら同僚のチェインさんです」

 

 同僚というのは頭から生えてくるものなのか。

 私の認識ではそんなことはありえないのだが、それは記憶喪失故の無知かもしれぬと思うと聞きにくいな。

 

「こんにちは。レオナルドと一緒にゾンビから逃げてきた者です」

「こんにちは。そんなにのんびりしていて、よく生きてたね」

 

 のんびりしているのだろうか。

 私は首を傾げたが、こうしてわざわざのんびりしているかどうかを考えるあたりが、のんびりしているのかもしれない。レオナルドがチェインに尋ねる。

 

「ザップさんは?」

「ゾンビ集団の先頭」

「今もまだ戦って……!」

「もう狩られる(ゾンビ)側」

「ザップさーーん!?」

 

 彼らの共通の知り合いである誰かが、ゾンビになってしまったらしい。

 

「そ、そんな強いゾンビがいたんすか!?」

「高そうなアクセサリーをつけているゾンビから追いはぎしようとして、ガブッと」

「なにやってんだあの人」

 

 顛末を聞いて、レオナルドは一気に呆れた。

 

「一応物資は持ってきたよ、はい」

「僕こんな銃使えませんけど!?」

「ないよりマシでしょ」

 

 見間違えでなければ、今までチェインが背負っていたアサルトライフルは、突然に彼女の体を貫通して自由落下した。

 レオはそれが落ちる前にキャッチしたが、扱いがわからず右往左往している。

 私はレオの持つ小銃を横から取って、くるりと振り返り、ちょうどバリケードを突破してきたゾンビに銃口を向けた。

 

 ズダダダダ、と銃弾が発射されるたび、銃を支える腕に規則的な衝撃を感じる。

 全弾を撃ち尽くしてマガジンを外し、リロードのために手を伸ばそうとして、装填する次の弾薬がないことと、ものすごく自然と銃を取り扱っていることに気がついた。

 

「レオナルド、科学者って普通、このくらい銃は撃てるものなのか?」

「いや……科学者にもガンマンにも詳しくないんで……」

 

 ライフルを真横に持ち、私に噛みつこうとしていたゾンビの口に噛ませる。

 弾がないのならただの鉄の棒なので、噛ませたままゾンビの腹を蹴り、遠くに蹴飛ばした。

 

 やってから思ったが、鉄の棒でも今の私には必要だったかもしれない。

 素手で殴る以外の攻撃手段を失ってしまった。

 こういうポンコツをやらかすあたり、それほど戦闘に慣れている気はしないが、判断のミスは記憶喪失だからなのだろうか。

 今のところ元軍医とかならまだわかる程度の技能だが、はたして。

 

「ジリ貧だなあ。お嬢さん、あなたはどこから来たんです。ひとまずあなただけでも逃げるべきでは? 可能であればレオナルドを連れて行って欲しいが」

「あいにく私って一人乗りなの」

「絶世の美女のお嬢さん、そこを何とか」

「あのね、口車に乗ったとしても運べないの」

 

 軽口をたたき合っていると、私が押しとどめていたゾンビが蹴散らされた。

 それはゾンビたちを押しのけて、我々の前に立つ。

 インドゾウより大きいであろう巨体に、全身に生えた黒い体毛、頬まで裂けた口の中にはびっしりと鋭い牙が並んでいる。口からはしとどによだれが垂れており、こちらを食べる気満々のようだった。

 ぎょろぎょろとした巨大な目が私たちを見つめ、ハッハッと息を荒くし、前足はいまにもこちらに飛びかかりそうに屈伸した。レオナルドが悲鳴を上げた。

 

「ウワァーッ! あれはゾンビなんですかなんなんですかーッ!?」

「私に聞かれても。自分の名前すらわからんのに」

「だからパーシヴァルさんでしょォーッ!」

「丁寧にありがとう。そしてあれはたぶん、最近流行の手乗りペット・ニューロファンシーパピーによく似ているので、ゾンビウイルスに感染してああいう感じに進化しちゃったんじゃないか」

「わかってんじゃねーっすかーッ!!!!」

「いや推測にすぎないし」

 

 私は少しばかり落ち込んで、ため息をついた。

 

「というか私、最近流行の手乗りペットについて覚えているのはなんなんだ? もっと覚えていたいことがあったがな……」

「アンニュイになっとる場合かーッ!」

 

 確かにそうだ。私は失った記憶の中に、この状況を解決する技能があることを願った。

 銃が撃てたように、実は自分がとんでもない拳法使いだったりしないだろうか、とありそうでなさそうなことを考える。

 ちょいと構えてみたが、何も思い出せなかった。

 

「ごめんね! 友達を食べないでくれ!」

 

 そんな声とともに、ニューロファンシーパピーのゾンビは、()()()

 ビルとビルを飛び越えてやってきた大きな塊に弾き飛ばされて、3つほどビルをぶち抜いて飛んで行った。まだ生きているのかはもう見えない。

 ゾンビを弾き飛ばした、赤色をした大きな人型は、流動的に姿を変えると、腹部のあたりから人間の顔が出てきた。

 これはゾンビではないんだよな? 誰かに教えて欲しかったが、その前に本人が名乗った。

 

「こんにちは。僕はドグ・ハマー、彼はデルドロ・ブローディ」

「ご丁寧にどうも。私は記憶喪失だが、レオナルドが言うにはパーシヴァル・マーコリーというらしい」

「それは大変だ。僕に手伝えることがあれば言ってね」

 

 とてつもない好青年だ。

 会って数秒の人間の境遇を、これほどまで親身に心配することができるとは。

 特に今はゾンビパニックの最中である。記憶喪失の人間一人くらい無視されて当然だ。

 これは頼れる友達だとレオナルドを振り返れば、彼はとても焦っていた。

 

「刑務所の壁壊れたんすか!?」

「いや、それは大丈夫だよレオ。署長もほら」

 

 署長と呼ばれた女性は、ドグに紹介されて彼の……いやデルドロの方の? 右手の上からこちらに挨拶をした。都市がめちゃくちゃになりかけているとは思えないほどビシッとスーツを着こなし、真面目に話をした。

 

「彼は監視下に置かれている。しかし対応は流動的だ。我々の()も半分ほどゾンビになっているのでな」

「ワー……」

 

 話を聞くに、今さっき我々を助けてくれたこの青年と、その……鎧? の彼は囚人であるらしい。

 まじまじと考えるたびに脳みそがエラーを吐き出しそうになるのだが、血液のように見える彼に人格が宿っているのは、実はこの世界では普通のことなのか?

 質問したいが、これが記憶喪失が故の無知だった場合、ゾンビの群れという大問題に立ち向かう彼らを邪魔してしまっているようで申し訳がない。

 ひとまずは沈黙は金ということにしておこう。

 

「そのままもう半分もゾンビになってくれりゃいいんだがな」

「駄目だよ、デルドロ」

 

 ドグがぎゃははと笑うデルトロを戒めていると、彼らはふとある方向を向いて動きを止めた。

 

「おいドグ」

「ああ、悲鳴だ。じゃあレオ、ちょっと行ってくる!」

 

 ご丁寧に署長も連れて、彼らは再びビル群を飛び越えながら、人助けに行ったようだ。

 レオナルドは頭を抱えた。

 

「頼りになる人がいなくなった……!」

「ちょっと。私がいるでしょ」

「チェインさんは一人で逃げるじゃないっすか」

「そりゃそうだよ。でも、最期の言葉は覚えといてあげるよ」

「パーシヴァルさん、辞世の句考えといたほうが良いですよ」

「一句詠めるほど思い出がないな」

 

 なにしろ記憶喪失である。この世がゾンビまみれになる前を知らない。

 五七のどこかには「ゾンビ」という三文字が入ってしまうだろうな。

 季語だとすればゾンビの季節はなんだろう、夏ではなさそうだ。腐敗が早くより臭そうで嫌だから。

 

「ちなみにザップさんの最期の言葉は?」

「32万ゼーロ相当のネックレスに腐った手で触んじゃねェ! だよ」

 

 最期の言葉は、忘れてもらったほうが良いこともあるらしい。

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