世界がゾンビまみれだが、それはそうと記憶がない   作:九条空

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Monkey see, monkey do

「うおわぁ!? なにやってんすか!?」

「おお、レオナルドくん。こんばんは」

 

 没頭を、レオナルドの声によって引き戻される。

 私は机から顔を上げると、部屋にやってきたレオナルドが驚愕した理由を察した。

 部屋は紙束まみれで、足の踏み場もなくなっている。

 紙のすべてに計算式やらなにやらが書き連ねてある。全部私が書いた。

 だがそのすべてが今役に立つものではなく、目的にはたどり着けなかったものである。

 私の挨拶に、レオナルドは不満を示した。

 

「今は昼ですけど……」

「こんにちは。そうか、ちょっとのつもりが12時間経っていたみたいだ」

 

 この仕事にとりかかった時は夜だったと思ったのだが、窓の外を見れば確かに明るかった。

 この病院、幻界病棟ライゼズは、なにやらたまに不思議な世界をさまよっていたりするらしいので、窓の外の時間が本当に正しいものなのかはわからない。

 しかし時計を見る限りでは、今は1時のようであった。昼か夜かわからないが。

 レオナルドの脇をすり抜けて入って来たルシアナ医師が、私の腕から針を抜きながら言った。

 

「いや、36時間経ってるよ。あまり点滴を過信しないで欲しいけど。今は物資難でもあるし」

「……すまない」

 

 それほどまでの集中力を発揮していたとは思いもよらなかったので、私は素直に謝罪した。

 しかし私が頑張れば物資難どころかゾンビパニックが終了するかもしれないのだし、点滴等は必要経費だったと信じよう。

 新しい点滴をつけ終え、ルシアナ医師はまた別の場所へと駆けて行った。

 

「ルシアナさんは本当にすごい人ですよね。知ってます? この病院、ゾンビも収容してんすよ」

「実験体?」

「治療対象っす」

「それはすごいね」

 

 私には死体にしか見えないが、ルシアナ医師にとってはゾンビも患者のようだった。

 治る見込みがあるのだろうか。見込みなどなくとも……か。

 

 私にはなかった観点だったので、口に手を押さえて唸る。

 なるほど。ゾンビウイルスを殺してゾンビを崩壊させる方向性でしか考えていなかったが、そうしなくともよい道があるのなら。

 

 再び計算式を書きなぐろうとしかけて、レオナルドが訪ねて来ていたことを思い出す。

 最初に彼が聞いたことに、私は返事をしていなかった。

 

「記憶は変わらず戻らないが、私が科学者だというのは本当のことらしい。学生時代に所属していた部活動が何かは思い出せないが、化学式なら簡単に出てくる」

「そんなに集中して、何してたんですか?」

「パスワードが守る、その先のものをもう一度発明しようとしている。なに、一度は私が発明したというのなら、もう一度できるだろうと思ってな」

 

 パソコンの前で、紙とボールペンを放った。こめかみを指で揉む。

 頭が痛い。眼精疲労だろうか。

 丸一日以上ああしていたというのなら、どこがどう痛くても納得できる。

 計算中、自分がどういう姿勢を取っていたのかも記憶にない。

 

「私が設定したパスワードを思い出すには私の記憶が必要だろうが、私がパスワードで守っているワクチンならば、思い出などなくとももう一度作れると思ってね。残っていたウイルスに関するデータを貰ったから、それを解析している」

 

 あのあと、スティーブンが私に寄越したデータだ。

 渡されたUSBの中には、ゾンビウイルスに関するすべての研究と、そのワクチンについてのデータが入っていた。

 

 ワクチンのデータは完全ではない。

 完全なものだったら、これをもとにして既にワクチンが生成されているだろう。

 ライブラの面々もデータの解析に取り組んでいるようだが、お手上げ状態らしい。

 

 データが欠けすぎていて読めない、と。

 しかし私には不思議と、その欠けた部分がよく見えた。

 不思議ではないのかもしれない。このデータを集めたのが、かつての私だというのなら。

 

「あんまり無理しないでくださいよ」

「ゾンビや、ゾンビに食われそうになっている人の前でも同じことが言えるか?」

「そうは言っても、もはやゾンビじゃない人間の方が貴重なんすよ。ひとりでも減ったら損失です」

「人間が1減ってゾンビが1増えるより、人間が1減るだけで済む方がマシだと思わないか?」

「過労死する方向性で話してます?」

 

 その方向性で話していたので頷いたら、レオナルドに頭を小突かれた。

 

「やっぱり僕は、アンタが正義の科学者だって信じますよ」

「うーん、私は自信がない。善人ならば、自分の体でさえ使い潰さないと思う」

「そこはほら、善意のマッドサイエンティストということで」

 

 善意のマッドサイエンティストは過労死をするのか?

 

「ウー」

 

 レオナルドが開けっ放しにしていた部屋のドアから、廊下が見える。

 そこを、キョンシーのように両腕を伸ばし、口にビール瓶を咥えさせられたゾンビがのろのろと歩いて行くのが見えた。

 なるほど、この病院がゾンビを収容しているとは本当のことだったらしい。

 あれはリハビリの歩行だろうか。

 

「あ、ザップさんがまた脱走した。ちょっと手伝ってきます」

「君はたくましいなあ」

 

 ゾンビがその辺の廊下をうろうろしているのは、ちゃんと脱走だったようだ。

 レオナルドが慌てもせずにゾンビを追いかけて行ったので、特に問題はないのだろう。

 彼は強い男だ。知り合いがあんな姿になっていたら、私なら泣いてしまいそうなものだが。




ビール瓶版禰豆子
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