世界がゾンビまみれだが、それはそうと記憶がない   作:九条空

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busy as a bee

「パーシヴァルさん!」

 

 再び研究に集中して、あれから何時間、何日が経ったのかもわからない。

 成果は確実に出ており、机上の空論から、実験段階にまで入っていた。

 

 ふとレオの声が聞こえ、ついでに肩に痛みを感じた。何か刺さっている。これは爪か。

 体に爪が刺さって初めて、目の前に化け物がいることに気がついた。

 象のような巨体、アリクイのように長い舌、これは先日見たニューロファンシーパピーの変異体だ。

 いつのまにか院内に入り込んでいたらしい。

 

 私に爪を立てていたニューロファンシーパピーが大きな口を開いた。

 私の頭が無くなる前に、クラウスがニューロファンシーパピーを殴り飛ばす。

 私の肩の肉が半分くらい持っていかれたが、手先は動くので問題がない。私は試験管を握った。

 

「避難を!」

「いや。もう少しなんだ」

 

 これほど化け物に接近されていることにすら気づけないほどの集中は失ってしまったが、完全に過集中の状態から脱したわけではない。

 未だ痛みがあいまいで、ほとんど目の前の研究しか目に入らない。

 手元で薬液を攪拌しながら、彼らに言った。

 

「すまない。浅慮だったが、もうすぐたどり着けそうなワクチンの製法は、ヒントすら書き記していない。私が死んだらすべてがおじゃんだ」

「だったらはやく逃げましょうよ!?」

 

 そもそも()()()()()()やっているので、メモに残すのは難しい。

 もはや悲鳴のようなレオナルドの提案に、私は首を振った。

 試験管を持ち替え、ビーカーを手に取る。

 

「それもできない。おそらく最も高い水準での医療行為が可能なこの病院においてでさえ、物資難でこの材料が最後なんだ。悪いが、今の実験に失敗したら世界は一生ゾンビまみれだと思ってくれ」

「承知しました」

 

 わかられるのが早い。視界の端で、クラウスがこぶしを握った。

 

「クラウス・V(フォン)・ラインヘルツ。推して参る」

 

 ゾンビには死がない。だからこの戦いに終わりはない。

 

 ニューロファンシーパピーは、遺伝子を操作して生まれたペットだ。

 猫や犬、象やキリンなど、様々な動物をかけあわせ、人間や異界人がかわいいと思う、手のひらサイズの生き物として誕生した。

 その魔改造された遺伝子がどうやら、ゾンビウイルスと最高の相性だったらしい。

 人間ゾンビの何十倍という再生力を持ち、体が半分以上ちぎれ飛ぼうが瞬間的に再生する。

 これはなかなかの絶望だ。

 怪物のおぞましい唸り声と、クラウスがそれを殴打する音をBGMに、私は黙々と作業を続けた。

 

 突如として実験室の窓ガラスが割れ、私の頭にガラスが降り注ぎ、部屋の中にゾンビが飛んできた。

 ゾンビは全身複雑骨折しているのを無視して、唸りながら私の足を掴んだが、不思議なことにゾンビは一瞬にして氷漬けになった。

 私はやっぱり無言で、シャーレに入ったガラス片をピンセットで取り除いた。

 レオナルドは穴の開いた壁の向こうに叫んだ。

 

「ルシアナさんは!?」

「ゾンビを収容している病室がこいつに壊されて手一杯だ! 悪いがそっちは任せていいな、クラウス!」

「無論」

 

 目まぐるしく変わる薬剤の反応を見て、その場で配合を調整しながらも、意識の片隅で私は感心した。

 この化け物は、自分が生き残るために排除すべきが私であることがわかっている。

 私が今まさに完成させようとしているワクチンが、己にとって最大の敵であることを理解している。

 だから戦力を分散させるために、この病院が抱えるゾンビという厄介な患者を解き放ってからここに来た。

 

「君は頭がいいな。狙うべきは私だとわかっている」

 

 薬液の色が変わるのを待ちわびる間、私は呟いた。

 この戦いを終らせるには、私の研究が必要だ。

 だからクラウスのことは気にしない。彼がどれだけ傷つこうが、今は無視をする。

 それは自分の体の傷を無視するより、0.0001ml単位で薬液を調整するより、よほど骨の折れる作業だった。

 

「しかし知能とは時に欠点だ」

 

 ようやく、私は実験器具から目を上げて、ニューロファンシーパピーのゾンビを見た。

 私には拳法の才能はなかったが、ダーツの才能はあったらしい。

 私が投擲した注射器は、ニューロファンシーパピーの皮膚の、比較的柔らかい箇所に突き刺さった。

 注射器の中身は当然、完成したワクチンだ。

 まあ、完成しているかどうかは、これからの反応を見て確かめるわけだが。

 この病院では治験の参加者に困らない。

 

「君がきちんと動物的本能に従っていれば、彼には立ち向かわなかっただろう」

 

 ワクチンを打たれて、元のかわいらしい姿に戻ったニューロファンシーパピーは、クラウスの姿を認めるとすぐに「きゅーん」と鳴き、しっぽを巻いて逃げ出した。

 クラウスは、手のひらサイズの小動物に逃げられて、心なしか悲しい背中をしている。

 ワクチンの生成に成功したことを喜ぶ前に、私はすてんと転倒した。

 

「パーシヴァル殿!?」

「大丈夫ですか!?」

 

 私は笑いたかったが、かすかな吐息がもれるだけだった。

 深く息を吸い込んで、血反吐が出ないように気をつけながら口を開く。

 

「大丈夫じゃないことくらい、聞かなくてもわかるだろ?」

「でもこういうときはつい聞いちゃうじゃないっすか、うわァ血が! 目を閉じないでください! 死んじゃいますよ!」

 

 私に声をかけ続けるレオナルドの隣で、先ほどまでの雄姿がなんだったのかと思うほど、クラウスはおろおろしていた。人には得手不得手があるらしい。戦闘が得意なものもいれば、治療が得意なものもいる。

 

「ここをどこだと思ってるの?」

 

 私の見間違いでなければ、小柄なルシアナ医師が数人集まってきたかと思うと、くっついて成人女性のサイズになった。私のものとは違う白衣がひらめく。

 

「病院だ。死なせるわけがない」

 

 病院とは、人を治す場所であると同時に、人が多く死ぬ場所でもある。

 しかしそんな反論も許されないほどの、ルシアナ医師の手腕であった。

 私は半分以上もう死んでたと思ったのだが、助かった。

 私が死んでは、今さっき完成したワクチンの製法を誰に伝えることもできないので、それでよかったのだろう。




ザップ・レンフロさんお誕生日おめでとうございます
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