アリスが我が家に現れた 作:ふらちないおちのえちちなおちち
八月下旬。
夏休みも終盤に差し掛かった頃。
「あっつーい……」
シャツの胸元をパタパタと扇いで風を送る。
僕は自分の住むアパートの廊下を渡っていた。
「301号室……ここだ」
勉強道具の入った鞄を携えて、とある部屋の扉の前に立つ。
自身の身嗜みに乱れがないか確認して、インターホンに指を伸ばした。
『ピンポーン』
インターホンの軽快な音が間延びする。
ただ友達の家を訪ねるだけなのに、どことなく緊張している自分がいた。
しばらくすると横開きの自動ドアが動く。
この部屋の入居者である、彼女が姿を見せた。
「───お待たせしました、マオくん」
新雪のような綺麗な白髪が目に入る。
出迎えてくれたのは、クラスメイトのノアちゃんだった。
夏休みに会うノアちゃんの服装は、学校がないので当たり前だが私服だった。
水色と白を基調とした涼しそうなワンピースは清楚な彼女のイメージによく似合っている。一切の日焼けを知らない、すらっと伸びた腕やシミひとつないデコルテに目を奪われた。
普段は学校の制服姿しか拝む機会がなかったので、新鮮な私服姿に思わず「うおっ美少女」と声が出てしまった。不覚だ。
「うふふ、マオくんには何度言われても照れちゃいますね。さあ上がってください」
「はーい、お邪魔しまーす」
女の子の家に上がるというシチュエーション。
歴戦の美少女ゲーマーの僕からすれば、これだけはハッキリと言える。事件だ。
僕は思春期特有の期待で胸を膨らませながら、戦地に出陣するサムライの面持ちで家に上がった。
こうして彼女の家に赴いた理由。
それは、夏休み明け早々に待ち受ける実力テストに向けた勉強会のためだ。
これまでのユウノア主催の勉強会は、主に放課後の教室や図書室で行われていた(僕が逃げるのを未然に防ぐため)
しかし、ご近所さんということが分かってからは、無理に登校する必要もなくなった。各々の自宅を使って勉強会ができるようになったのだ。
そうして今日。
同じアパートに住んでいたことが分かってから、僕は初めてノアちゃんの家を訪ねた。
靴を脱いだら綺麗に揃えて、おずおずとスリッパに履き替える。
リビングまで案内してもらった。
「ほへー……」
「ふふ、あんまりきょろきょろ見られると恥ずかしいです」
「あっ、スマソ……」
ノアちゃんの指摘に恥ずかしさを覚える。
玄関から廊下を通ってリビングまで清潔感があり、掃除が行き届いてるのを感じた。なんか姑の掃除チェックみたいなことしちゃった。
そういえば同居人であるユウカちゃんも女の子だ。
おまけにしっかり者同士、部屋の掃除は気を遣っているに違いない。
所々に可愛らしい雑貨が立ち並んでいて、女子力の高さが垣間見える。あとなんか良い匂いした(重要)
僕が借りてきた猫みたいにリビングでソワソワしていると、ノアちゃんがティーセットを持ってきた。
「マオくんはジャスミンティーは飲めますか」
「結構好きだよ。ペットボトルのやつしか飲んだことないけど。
というかノアちゃんが淹れてくれたものなら何でも飲める。液状のアツアツの鉄でも」
「ふふっ、鋳型じゃないんですから。お好きなら良かったです。いま淹れますね」
ノアちゃんが洗練された手つきでお茶を淹れる。
おぉ~、美少女は何してても絵になるなぁ。毎秒が神スチルとか作画班が死にそうだ。アニメへの出演は控えてもらおう。
片手間にジャスミン茶を用意しながら、ノアちゃんが口を開いた。
「ユウカちゃんとアリスちゃんですが、今日は二人でお出かけだそうですね。
ふふっ、今朝のユウカちゃんはテンションが高くて可愛らしかったんですよ。相変わらず、ユウカちゃんはアリスちゃんラブみたいです」
「あはは、アリスちゃんの方も朝からフルスロットルだったよ。相思相愛で羨ましい限りだね」
「二人はキヴォトスの頃から仲良しさんでしたから、きっと積もる話もあるでしょう。
今日は朝にお出かけして、昼日中も一緒に過ごし、夕食も食べて帰ってくるそうです。うふふ、一日中デートのようですね」
「アリスちゃんと四六時中イチャイチャかぁ……妬ましいなぁ妬ましいなぁ」
「あら、マオくんは私と過ごすのは不満ですか?」
「ううん、嬉しくておかしくなっちゃいそう。心臓が破裂しそう」
「ふふふ、それは困りましたね」
僕の発言が可笑しかったのか、ノアちゃんが口に手を添えて笑う。
ノアちゃんは僕なんかとは住む世界の違う人間だ。オタクの定型文やネットスラングを知らない、純粋な上流ピーポーである。
そのため、インターネットに毒されてしまった僕が発作のように会話に挟んでしまうネタが、ノアちゃんにとっては新鮮で少しお気に入りらしい。「マオくんの言語感覚は不思議ですね」とのことだ。素直に喜んでいいのかなこれ。
僕の前にカップが置かれたところで、さっそく彼女が淹れてくれたお茶(付加価値すごそう)を口に運んだ。
「……おぉ」
「どうですか?」
全く知識がないので「旨い」としか感想が思い付かない。優雅で華やかな香りだった。
「ジャスミンの風味が口の中に広がって、OCです」
「ふふ、お粗末さまです」
ノアちゃんが品のある仕草で微笑む。
お家に来てから何度目か分からない笑顔を見せた。
今日のノアちゃんは、なんか学校にいるときよりも若干テンションが高い気がする。
僕が知らなかっただけで、友達と遊ぶときはこんな感じなのかな。僕も初めて家に友達を呼んだときは、こんな感じだったような……家に友達呼んだことないや。
僕よりも社交性があって、人類人気投票があったら上位に食い込みそうなノアちゃん。
そんな彼女に限って、友達と遊ぶのが珍しくてテンションが上がっているみたいなのは流石に無いだろうが、良い意味で普段とのギャップを感じた。
飲み終えたカップを受け皿に置いて、ノアちゃんに向き合う。
「よおし、そろそろ勉強会を始めよっか」
「そうですね。始めましょう」
ノアちゃんと斜向かいに座って、勉強に取り組む。
筆記道具やテキストを取り出して、テーブルの上に広げる。シャーペンをカチカチと鳴らし、さっそく手をつけた。
冷房の稼働音だけがする部屋の中。
僕達は、黙々と自身の勉強に取り組んだ。
「むむむ……」
僕はレバニラ炒めの次に、勉強が苦手だ。
一年前にノアちゃん達と仲良くなった頃は、勉強会と称して遊ぼうとする不真面目な計画をよく立てた。
しかし、二人からの愛のムチで『ビシバシバキッ』と矯正されてからというもの。今はこうして真面目に取り組めるようになっていた。
紆余曲折はあったが、僕は勉強会の時間がそれほど嫌いじゃなかった。
静かな空間で一つのことに集中して取り組むというのは、割と好きな方だ。脱衣ブロック崩しに集中していて気づいたら朝、なんてこともザラである。
それに、ノアちゃん達の教え方が上手いのも大きいだろう。
勉強に苦手意識のある僕に対して、分かりやすく、優しく噛み砕いて教えてくれるので、二人との勉強会はとても理解が捗る。美少女家庭教師さまさまだ。
勉強の途中で伸びをしたり、肩を回したりして体をほぐす。
筋肉がへったくれもないので、背筋を伸ばし続けるのは意外と骨が折れるのだ。
「ノアちゃん、ここが分からないんだけどさ」
「はい、ここはですね……」
問題に躓いたのでノアちゃんに質問する。
ネットでAIに質問するよりもノアちゃんの方が良い回答をくれるので、勉強に関しては頼りきりだ。
僕の何倍くらい頭が良いのか想像もつかない。IQが離れすぎていると会話は成り立たないと聞いたが、ノアちゃんの頭脳がコンピューターなら僕はティラノサウルスだ。会話できているのが奇跡だろう。
「ありがとうノアちゃん。相変わらず分かりやすくて助かるよ」
「いえ、また分からないところがあったら気にせずに訊いてくださいね」
振り返ってみれば、僕は特に勉強面において色んな人から助けられてきた。
高校の受験期にはヒマリさんとリオさん。
そして今は、ユウカちゃんとノアちゃんから日々、ご指導ご鞭撻を受けている。
ヒマリさんとリオさんはよく教え方について意見が割れ、バンドの音楽性の違いのような喧嘩をしていたのを覚えている。
どちらかと言えば、育児の仕方による夫婦喧嘩の方が近かったかもしれない。
お世辞にも高いとは言えない僕の低い学力は、現在在籍している学校に見合っているとは言えない。かなり無理をして入学した方だ。
リオさん達から将来のために偏差値のできるだけ高い学校に行くよう勧められたのが入学のきっかけだ。
そして、気がつけばもう高校2年生。
進路を少しずつだが決めていく時期だった。
「ふぅ……そろそろ休憩にしましょう」
ノアちゃんの声掛けで、一度勉強を中断する。
糖分を欲する脳に突き動かされて、テーブルの上のお菓子を摘む。ほむ、甘くて美味しい。
先ほど勉強の最中に考えていたことを思い出し、僕は長いため息をついてから愚痴をこぼした。
「うぅ、来年は受験かぁ……やだなぁ……」
「マオくんは進学希望でしたね。ちなみに、志望校はどちらですか」
「うーん、僕の学力だと△△大辺りかな……。そこが行きたいところってわけじゃないけど」
「ふむ、マオくんならもう少し上を狙えそうですが」
「いやいや、今の授業も付いていくので精一杯だよ。それにまだ行きたい学部とか、将来の夢とかも決まってないからさ。まだまだ中途半端なんだ」
将来の夢。
小学生の頃はウ◯トラマンやプ◯キュアに憧れていたが、高校生になってからは、自分のやりたいことが全然見つからずにいた。
適職診断とか受けてみようかな。対魔忍の素質があったらどうしよう。
「本心を言えば専業主婦とかがいいなぁ。僕みたいなやつに社会人できるビジョンが浮かばないし。あと僕、割と尽くすタイプだし」
「家事をするマオくんも似合っていると思いますが、勿体ない気もしますね。せっかく勉強をそれだけ頑張っているんですから」
優しいノアちゃんのフォローが、勉強で疲れた体に染みる。わんわん泣きそうだ。
「ノアちゃんは将来就きたい仕事ってある? 理系だし何となく研究職とかになりそうなイメージだけど」
「お恥ずかしい話、私もまだ進路は具体的に決まっていないんです。進学は考えているんですが、将来の夢は漠然としていて……」
「ノアちゃんは教えるのが上手だし、数学の先生とか似合いそうじゃない? 僕が学生だったら初恋を奪われてたね」
「ふふ、どうでしょうかね……。あんまり人と関わることに興味関心があるわけでもないので、先生は考えていなかったです」
「もしくは僕のお嫁さんとかどう? 倍率は残念ながら低いから就職率は100%! 福利厚生(肩もみとか)もバッチリだよ」
「それはとっても魅力的ですね。では、高校卒業まで内定だけ頂いておきます」
むしろ僕が嫁ぎたいくらいだが、ノアちゃんの結婚相手ともなると国民的アイドルの解散ライブチケットよりも倍率が高そう。
難関大学への進学よりも全て遠き理想郷だろう。理想を抱いて溺死しそうだ。
「そういえば、さっきから部屋が良い匂いがするような……ディフューザーとか置いてるの?」
「あら、実はアロマを焚いてたんです。よく気づきましたね」
「アロマかぁ。ノアちゃんってやることが大人っぽいというか洒落てるよね。どんなアロマなの?」
「うふふ、秘密です」
そう言って、人差し指を口に当てるノアちゃん。
実はラッコ鍋みたいな効果があったりして~。エ◯漫画の読みすぎか。
「いつものことだけど、テストってモチベーションが湧かないよね。なんか良い方法あるかな」
「そうですね……ではマオくんが校内順位のトップ50に入れたら、何でも一つだけお願いごとを聞いてあげます」
「え゛っ、何でも?」
「はい、何でもです。まあ物理的に不可能なことはできませんが」
「やったあ! ぐっへっへ、どんなお願いをしちゃおうかな。コスプレとかもいいなぁ、ちょうどトキちゃんから貰ったアレがあるし……」
「代わりと言っては難ですが、もしも私が校内1位になれたら、私のお願いを一つ聞いてもらってもいいですか」
「あはは、それくらいお安いご用だよ。ノアちゃんが1位を取れたらの話だけどね」
「うふふ、それもそうですね。頑張ります」
僕とノアちゃんはたまにお喋りしつつ、コツコツと勉強に取り組んだ。
時間は過ぎ去って夜になり、最後に二人で軽い夕食を済ませてから、勉強会はお開きとなった。
そのまま解散してリビングを出ようとしたところ。
僕がスリッパで躓き、ノアちゃんに覆い被さるように倒れてしまった(スリッパを履き慣れてなくてラッキー)
ここに来て激アツの押し倒しイベントが発生した。
僕との距離が目と鼻の先だというのに、じっとして動かないノアちゃんと暫くの間停止する。
なんか思っていた反応と違った。もっとこう、「きゃー、マオくんのH! サイズはS!」みたいなのが来ると思ったが、ただお互いのメンチを切るだけだった。
そしてそのまま翌朝へ……とはならず。
ちょうど帰宅してきたユウカちゃんに再び現場を押さえられ、またしてもイベントスキップとなった。悲しい。
後日談。
廊下に貼り出された成績順位の貼り紙にて、一番上で煌々と輝くノアちゃんの名前と、一番下の50位に滑り込んだ僕の名前を発見した。
頑張った甲斐があった。知恵熱でラストの志々雄様みたいになるかと思った。
さっそくお互いのお願いを叶えようと、今度は僕の家にノアちゃんと集まった。
結果として、メイド服のコスプレをしたノアちゃんの耳に、僕がピアス穴を開けるという、よく訳の分からない状況になった。同時に叶えたのが良くなかったかもしれない。
ノアちゃんがそういうファッションに興味があったのは意外だ。
校則が緩いのでネルさんとかも普通に学校でピアスを付けてるし、ノアちゃんもそういうのに憧れていたのかもしれない。
しかし、ノアちゃんがピアスをつける機会はその後は全くなく、僕と二人きりで遊ぶときくらいだった(ちなみにピアスは僕がプレゼントした)女の子ってよく分からないものである。
◆◆◆
「リオさん、準備はいいですか」
「ええ、大丈夫よ」
僕の問いかけに、可愛らしいエプロンと三角巾を身に着けたリオさんが頷く。
クールビューティなリオさんが親しみのある格好をしているギャップ。本人の雰囲気とのミスマッチ感に萌えを感じた。
今日やるのはリオさんとの調理実習だ。
昨日、リオさんから『自分でもご飯を作れるようになりたい』と連絡を受けた。
すぐに僕はこれを了承した。
リオさんが手料理に興味を持ってくれたことは意外であると同時に嬉しかった。
彼女がよく食べているスーパーのお弁当や冷凍食品も勿論美味しいが、手作りや出来立ての美味しさも、リオさんには味わってほしい。
そんな思いから僕は今日ここにいた。
「あっ、布巾ってありますか?」
「さっき片付けをしたときに出てきたものがあるわ。これを使ってちょうだい」
リオさんのお部屋に入るのは今回が初めてだった。
女性(しかも歳上)の御宅にお邪魔することに緊張するかと思ったが、ノアちゃんという初手魔王を経験したことで、意外にも僕は平常心だった。場馴れって大事だ。
ちなみに部屋の中は案の定、散らかっていた。
最低でも作ったご飯を食べる場所を確保するために軽く片付けをしていた最中、「何だろう?」と思って拾ったら黒いレースの下着で肝が冷えた。すぐにリオさんが気づく前にタンスへ仕舞った。
危うく僕が変態の汚名を被るところだったが、弁明するならサイズが大きすぎて一瞬何の布なのか分からなかったことが挙げられる。変わったデザインのポシェットかと思った。
料理する格好の準備ができたので、リオさんと順番に手を洗う。衛生面はできるだけ気を遣うべきだ。
僕はエプロンを締め直し、調理実習の説明をした。
「今回は、ご飯とお味噌汁、肉じゃがを作ろうと思います。どれか作ったことはありますか?」
「ないわね」
「わ、わかりました。じゃあ一から教えますね」
「お願い」
リオさんと並んでキッチンに立ち、腕を捲る。
お米の研ぎ方から教えることにした。
まず覚えてほしいのは、ご飯の炊き方やお味噌汁の作り方など基本的なことだ。
一度にたくさんのことを教えるのも混乱させるかなと思ったが、そこはリオさんの記憶力を信頼することにした。
ノアちゃん同様、リオさんも頭脳明晰な人なので、手順や気をつけるポイントは忘れないだろう。アリスちゃんといい、キヴォトスから来るひとは皆しゅごいのだ。
初めに僕から洗米のやり方を実演して、リオさんに代わってもらう。
リオさんは水に浸かった米に触れて、恐る恐る研ぎ始めた。
「こ、こうかしら」
「そうです、そんな感じです。上手ですね」
「そ、そう……?」
上手という言葉は本心だ。
なんとなくリオさんって不器用なイメージ(失礼)があったから意外だった。
そういえば機械弄りもしているのを見たことがあるし、決して手先の感覚が鈍いわけではないようだ。パソコンのタイピングも凄く早かった気がする。
こうして僕のリオさんに対するイメージが良い方向にアップデートされた。某SNSはリオさんを見習って変なアプデはやめてほしい。
「そんな感じでお米を洗って、水を捨てるのを2~3回繰り返します。米粒が割れないように優しくこすり合わせてくださいね」
「ええ、分かったわ……!」
リオさんの方も、想定より自分が出来ていることが嬉しかったのか。
少しだけ自信のついた彼女はちょっぴり得意気な顔で、ワクワクという擬音の聞こえてきそうなやる気が感じられた。
目上の先輩だが、ちょっと子どもっぽくて可愛いなと思ってしまった。この二面性にやられる人は多いんじゃないでしょうか。僕もその一人です。
気心の知れた仲だからこそ見られるリオさんの一面を知っていることに、我ながら優越感があった。
「ご飯はこれでOKですね。次は肉じゃがの下拵えをやりましょう。ニンジンを切るときは……」
「こ、こんな感じかしら……」
「その切り方だとちょっと危ないですね。こう、左手を猫みたいにしてください。ニャー、です」
「にゃ、ニャー……」
口に出す必要がないのに僕の真似をするリオさん。
僕の発言を真似してくれるという点に良くない発想が浮かんだが自粛する。危うく倫理観を捨てるところだった。
ちなみにリオさんの凛々しい声をサンプリングして個人的に楽しむ計画は水面下で進んでいる。僕の秘蔵ファイル『全知.mp3』『妹.wav』に新しい仲間が追加されるのが待ち遠しい。
リオさんの声って落ち着くから、睡眠導入ボイスでガチASMR出したらガチ天下取れると思う。販売お待ちしてます。
調理実習は、ゆっくりながらも淡々と進んでいく。
久しぶりに過ごすリオさんとの時間を楽しんだ。
「肉じゃがの煮込みが終わったので、一旦火を止めますね。このまま余熱で冷ますと、味が染みて美味しくなります」
「なるほど、時間をかけるのも大切なのね。短時間で作るのは必ずしも合理的ではない……料理は奥が深いわ」
「時短レシピも後で教えますね。リオさんの場合は、お仕事で忙しいときの方が多いと思うので」
「ありがとう、助かるわ」
出来上がりまで時間があるので、調理から離れてリオさんと何気ない会話を交わす。
「最近のお仕事の量はどうですか? 春からずっと忙しそうでしたが」
「繁忙期が過ぎてようやく落ち着いてきたわ。長期の連休が取れたから、しばらく羽を伸ばすつもりよ。遅れての夏休みね」
「良かったです。ぜひしっかり静養してくださいね。
僕はまだ夏休みが少し残っているんですが、リオさんが良ければ、どこか遊びに行きませんか」
「勿論、構わないわ。行きましょう。
私はマオみたいに観光地の類いは明るくないから、行きたいところがあったら教えてちょうだい。遠ければ車を出すわ」
「了解です。では日程なんですけど、今週の27日とかは……」
そこで僕は「あっ」と気がつく。
そういえば僕の残りの夏休み、フリーの日がほとんどないんじゃないか……?
スマホを開いて確認する。
節操なしに知り合いを誘いまくったせいで、スケジュール帳が洋画のエンドロールみたいになっていた。誰だこれ組んだやつ。
「ええっと……この日はヒマリさんと夏祭り、この日はアスナさんとナイトプール、この日はユウカちゃんも合わさって三人で勉強会、この日は……。アカン、休む暇がないンゴ……」
「マオ、どうかしたの?」
「い、いえ。何でもないです」
「そう? じゃあ27日、楽しみにしてるわ」
「はい……」
なんてこった……この夏休みに消化しようと積んでいた美少女ゲームをやる時間が。
いや、背に腹は変えられない。これでいいんだ。
「まあ何とかなるか……じゃあリオさん、お味噌汁も作っちゃいましょうか。すぐ出来るので」
「分かったわ」
というか、リアルの美少女と遊びにいけるのなら、それは次元が違うだけでもはや美少女ゲームみたいなものじゃないか(発想の勝利)
そうだ、何ら問題はない。僕が過労でバタンキューする点に目を瞑れば。
僕の夏休みがハードスケジュール確定したところで料理が全て出来上がった。
帰るまでが遠足なのと同じように、盛り付けと配膳までが調理実習だ。
リオさんと作ったご飯を盛り付け、なんか変なデザインのテーブルの上に配膳した。
二人で向かい合うように座り、合掌する。
「それでは実食ですね。いただきます」
「ええ、いただきます」
リオさんが肉じゃがに箸を伸ばし、口に入れる瞬間を眺める。
今気づいたけどなんか変なデザインの箸だ。まさかこの部屋で見かける変なデザインのやつ、全部リオさん監修じゃないよな……いやまあちょっとカッコいいし欲しいけど。
「……美味しいわ」
「うん、美味しいですね。煮崩れしてないし味も染み込んでて、初めてなのにこれならリオさんは才能ありま……ええっ、リオさん……?」
美少女との手作り料理に、舌鼓を打っている間もなく。
突然、リオさんが目から大粒の涙をボロボロと溢し始めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい……こんな風に落ち着いて誰かと食事をするのが久しぶりで……最近忙しかったのもあって、いきなり胸の奥がギュッとなって、色々と込み上げてきてしまって……」
「えぇ……」
リオさんの涙ながらの心中の吐露に、思わず困惑の声が漏れる。
「この間、ヒマリとカフェに行ったときは真面目な話ばかりだったし、周りに人がいたから……。今日マオが来てくれて、久しぶりにゆっくり話ができて、安心しちゃって……」
「リオさん、もうその辺まででいいですから……ほら涙拭いてください」
「ありがとう……」
「いつものぎゅっとするやつ、やりますか……?」
「ええ、お願い……」
席を立ち、リオさんと正面から抱擁する。
トキちゃんにするときみたいに、背中をぽんぽんと撫でると落ち着いていった。
こんな風に超無理限界ギリな人、初めて見た。
社会人ってこんなにキツいのか……? というか前々からリオさんの働き方がブラックなのは分かってたけど、人をここまで破壊させるものなのか……ウーン、ますます働きたくなくなってきたぞ。
「マオ……」
リオさんの潤んだ顔が視界いっぱいに広がる。
なぜか「僕が支えてやらなくちゃ……!」みたいな気持ちが湧いてきた。なんだこの母性本能に似た気持ち……ウーン、なんだか働きたくなってきたぞ。
あとはリオさんに限らずだが。
僕の知り合いのスキンシップが多い人ってどうして揃いも揃ってスタイルの良い人ばかりなのか。
常日頃、たわわの主張が凄いんですが。
いい加減にこの際ハッキリ言っておくが……エッチなのはダメ!(大声)
胸の大きい人はもう少しだけ節度を持って接してほしい! いずれも役得なのは認めるが、心臓にかかる負担が凄い! たぶんゴリゴリ寿命減ってる!
じゃあ仮に細身のヒマリさんはどうなのかと言われると、なんか緊張でドキドキしちゃうので駄目!
あの人はあの人でグラマラスじゃないのに謎の色気があるから駄目! ハルナさんを除いて一番お姉さんっぽいし。
ハァハァ……(息切れ)やっぱりアリスちゃんしか勝たんな、触れても常に優しい気持ちしか湧いてこないもん。これだからエッチな人達は。
「……ありがとう。もう大丈夫よ」
「どういたしまして。せっかくのご飯なので、冷める前に食べちゃいましょう」
「ええ、そうしましょう。
……ごめんなさい。私の方が歳上なのに、情けないところばかり見せてしまって」
「そんなの僕は気にしてないですよ。むしろリオさんには返せないくらい恩があるので、どんどん頼ってください。いつでも駆けつけますから」
「マオ……」
「ああっまた泣かないでください。ほら、ティッシュ使ってください」
リオさんが涙目で鼻をかむ。
初対面のときは怖い人だなと思っていたけど、今となってはすっかり愛らしい先輩だ。
こうして社会に出てから少しおかしくなってしまったリオさんを慰めつつ、二人で作ったご飯を味わった。明日のリオさんに幸あれ。
◆◆◆
夏休み最終日。
アパートの近くにある商店街に来た。
コロコロと自転車のベルが響き、八百屋さんの威勢の良い呼び込みの声が聴こえる。
夕暮れ時なので、赤提灯や惣菜屋の裸電球がポツポツと灯った。
ここはいつも賑やかさと優しさが入り混じった雰囲気で、どこか昔らしさを感じる。人の温もりが伝わってくる商店街の風景が、僕はなんとなく好きだった。
帰省先のお土産が入った袋を手に提げて、知り合いのいるお弁当屋さんに足を運んだ。
お弁当屋さんに到着した。
引き戸をガラガラとスライドさせて入店する。
懐かしい雰囲気と美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。
「いらっしゃいませ~」
「こんばんは」
「あらぁマオちゃんじゃない。久しぶりね~」
受付で温かい笑顔をして出迎えてくれた、お弁当屋さんのお婆ちゃん。お会いするのは久しぶりだ。
アリスちゃんが来てから自炊をする機会が増えたことで、自然とお弁当屋さんを頼ることは減っていた。
それでも僕にとってこのお店は、親しみのある行きつけのお店だった。
「ご無沙汰してます。フウカちゃんはいらっしゃいますか?」
「おや。あの子ならさっき、ちょうど出前で出てしまったわ」
「そうでしたか。あっ、これつまらないものですが、地元のお土産です。要冷凍のやつもあるので気をつけてください」
「あらら、ご馳走さまです。わざわざありがとうね。
フウカが帰ってくるまで上がって待ってるかい?」
「いいんですか? ではそうさせていただきます」
お婆ちゃんに促されて、お弁当屋さんの母屋の方にお邪魔する。
フウカちゃんは宅配で忙しいみたいなので、お家に上がらせてもらい待つことになった。
言われた通りの部屋に入ると、誰かの自室みたいな部屋だった。
目に入るのは、ハンガーにかけられた制服。畳んで置かれた体操服に刺繍された『愛清』の文字。
間違いない。ここフウカちゃんの部屋だ。
なんかこの夏休み、女の子の部屋に入ってばかりな気がする。もはや僕がそういう妖怪っぽい。ぬらりひょん(美少女に限る)的な。
そういえばこの制服……僕の学校の制服と同じものだ。
えっ、フウカちゃんって同じ高校だったの? 今まで気づかなかったんだけど。
少しソワソワしてしまったが、時間が経てば落ち着いてくるというもの。
スマホをいじりながら、フウカちゃんが帰って来るのを気長に待った。
月末なので余ったデータ容量で、推しのライバーの切り抜き動画を見ることにした。
今日も今日とて、視聴者からのラブコールに対してツンデレを遺憾なく発揮し、可愛いを供給してくれている。ガチ恋勢が多そうだ。
やっぱり見ていて感じるのは、この子のビジュアルがアリスちゃんと酷似していることだ。2Pカラー感が否めない。
声色やゲーム好きなところも似ているし、実はアリスちゃんって裏で配信者をやってたりするのかな。『同居人が有名配信者だったんだが!?』みたいなラノベ展開も視野だ。匂わせしたい。
『ただいまー』
『おかえりなさい、フウカ』
時間を潰していたら、店舗側の方から女の子が帰ってくる声がした。
『いつも出前お疲れ様。マオちゃん来てるわよ』
『ゲッ』
ゲッってなんだよ、ゲッって。
モーションキャンセル食らったダ○ディ坂野?
女の子の重苦しい足取りがこちらに近づく。
部屋の戸が開かれた。
「やあフウカちゃん。おひさ~」
「はぁぁ……見たくない顔がもう一人……」
このゲンナリとため息をつく子がフウカちゃん。
このお弁当屋さんの看板娘ちゃんだ。
フウカちゃんとの間柄について。
僕は良好だと思っているが、彼女はその限りではないらしい。
お近づきになろうと思い足繁く通った結果、今ではこんな風に邪険に扱われている。
最初に出会った頃は「いらっしゃいませ(キラキラの擬音)」と営業スマイルを振り撒いてくれていたのに、いつしか顔色が曇りがかっていき、来店しても『(눈_눈)』と呆れられるようになってしまった。あの頃のフウカちゃんを返してほしい。
「出会い頭にそんなこと言わないでよ。っていうか、もう一人?」
「アンタは知らないけど、私の故郷に厄介な知り合いが一人いてね。何の因果かまた私の前に現れて、とにかく無茶苦茶してくるのよ。
せっかくこっちの世界に来て平穏な日々を送れていたのに……憂鬱だわ」
「それってもしかしてハルナさん?」
「えっ、マオ知ってるの?」
「うん。知ってるも何も、ハルナさんにフウカちゃんを紹介したのは僕だけど……」
浮遊感。
それと息苦しさが同時に襲った。
「アンタだったのね……あいつに私の居場所を教えたのは……」
フウカちゃんに胸ぐらを掴まれ、そのまま高い高いされていた。なんかこの展開前にもあったな……とキヴォトス出身者達の手荒さに恐怖を覚えた。
「ふ、フウカちゃんステイステイ。あの、僕浮いてるんですけど。いや教室ではいつも浮いてるんですけどね、あはは……」
「……」
「ご、ごめん……」
フウカちゃんの目が怖かったので即座に謝る。
明日のお弁当屋さんのお惣菜に並ぶビジョンが一瞬見えた。惨劇回避だ。
「ゆ、許してフウカちゃん……ほら、ちゃんとお土産の笹団子やお煎餅とか持ってきたから……それで手を打たない?」
僕が命乞いをすると、フウカちゃんは本日二度目の重たいため息をついてから、僕を降ろした。
「はぁぁ……もういいわ。マオを責めたところでどうしようもないんだし」
「ええっと……」
「ちょっと鬱憤が溜まってたから、それを晴らしたかっただけよ。いきなり持ち上げたりして悪かったわね」
「それは別に構わないけど。むしろご褒美……」
「はあ?」
「何でもないですごめんなさい靴舐めますお腹出します」
「アンタって火に油を注ぐのは一流よね」
「えへへ……」
「褒めてないわよ」
フウカちゃんの苛烈なツッコミを浴びて、懐かしいやり取りだなぁと感慨深くなる。そうそう、フウカちゃんはこうでなくっちゃ。
僕が座卓に着くと、フウカちゃんは台所に向かう。
「それで、今日は何の用?」
お茶を淹れながら用件を訊いてきたフウカちゃん。
僕みたいなのに対してもお茶を用意する辺り、人間ができている。僕の前とかだとああなるだけで、根は凄く優しい子なのだ。
「それは勿論、フウカちゃんの顔を見にだよ。この間帰省をしたから、そのお土産を渡すのも兼ねてね」
「ふーん、おべんちゃらなところは変わらずね。まあお土産はありがと、お婆ちゃんが喜んでたわ」
「それは良かったよ。お婆さんと仲良く食べてね。
あとは、お肉屋さんのおばさんから、フウカちゃんが僕と会えなくて寂しがってたって聞いたからかな。ごめんね寂しい思いさせて」
「お茶ぶっかけるわよ」
フウカちゃんが愛情こめて淹れてくれた緑茶を一口すする。
美味しい。きっと萌え萌えキュンとかしてくれたらもっと美味しくなるのに。流石にその提案は熱湯かけられそうだからやめておいた。
「そっか、アンタって一人暮らしだったわね。どう、帰省は楽しめた?」
「うん、久しぶりに家族と会えて嬉しかったよ。
僕の妹なんだけどさ、元から面白い子ではあったんだけど、最近ちょっと変な方向に進化してて……」
「フッ、まあマオの家族っていうからには変なところがありそうだものね。納得だわ」
フウカちゃんが頬杖をついてせせら笑う。
トキちゃんは一体どこまで行ってしまうのか。家族としては心配というか危機感すらあった。
「フウカちゃんは夏休みって何かした?」
「そうねぇ……お店の手伝いとかで忙しかったから、特にこれといったものはなかったわ。たまに出かけたくらいよ」
「そうだったんだ。僕は逆に、色々と盛り沢山すぎて困ったくらいだったよ」
「へえ、例えば?」
フウカちゃんに僕の夏休みのエピソードを語る。
フィクションのような話から苦労話まで、相づちを打つフウカちゃんに合わせて一通り話した。
「ぷぷっ、マオらしい話ばかりね」
適当にあしらいつつも、どこか優しい眼差しで笑うフウカちゃん。『やれやれ言いながらも面倒見の良いお姉さん』みたいな幻想がわずかに垣間見えた。なるほど、そういうのもあるのかぁ。
「というかフウカちゃんって僕と同じ高校?」
「? そうよ。今さら何の確認?」
「いや、そこに掛かってる制服見て、フウカちゃんと同じ高校だったということを初めて知り……」
「……何て言うか、マオって変なところで抜けてるわよね。本当に一人暮らしができてるのか疑問だわ」
「ふふーん、実は最近は自炊を頑張ってます。ピースピース」
「たまにやるけどそれ何なの?」
「一家相伝の芸」
僕の渾身のダブルピースをまるで不可思議なものを見るように眺めてから、フウカちゃんが会話を続けた。
「アンタって自炊できたのね、意外だわ。見るからに生活力なさそうなのに」
「ひどいよ~、僕だって料理の一つや二つくらいできるんですけど? あっ、でも本職を前にして言い切る自信はないです」
「……そう」
フウカちゃんが視線を逸らして呟いた。
「……少し気になってたのよ。常連なのはありがたいんだけど、うちのお弁当ばかり買ってたから。
ちゃんとご飯、食べてるのかなって。店に来るたびなんか見る見る痩せていってたし」
「フウカちゃん……とうとうデレ期に……」
「ち、違うわよ。気に掛けてたのは……ほら、うちのお婆ちゃん。あの人、ちょくちょくマオのこと気にしてたから……。別に、私はこれっぽちも気にしてなかったわ」
「へぇ~」
「そのニヤニヤした目、やめて」
赤面したフウカちゃんに座卓の下でどつかれる。
フウカちゃんキックは破壊力。
「そうだね。本格的に自炊をするようになったのは、今年の春からかな。同居人の影響でね」
「ふーん? それってルームシェアってやつ? 今どきっぽいわね」
「うん、そんな感じかな。フウカちゃんのご指摘通りそれまでは食事が適当だったから、同居人がいるのをきっかけに今年はちゃんと食べるようになったんだ」
実際アリスちゃんが来てから食事量は確実に増えている。毎夜パクパクですわ。
「というか気にしててくれてたんだね。嬉しいなぁ。これって脈ありだったりする?」
「ないわね。一応はお店の大事なお客さんなんだし、多少は気にするってこと」
「そんなぁ」
「ああ、でも……」
フウカちゃんの声のトーンが少し落ちる。
「キヴォトスから来たばかりだった私に面と向かって『美味しかった』とか『ご馳走さまでした』とか言ってくれるひと、珍しかったから。
……ちょっとくらいマオのこと、気にしていたわ」
そっぽを向いていた彼女の目と目が合った。
フウカちゃんの呟いた言葉が引っ掛かる。
僕は否定的に疑問をぶつけた。
「そんなことないでしょ。フウカちゃんはこのお弁当屋さんの看板娘として、商店街で有名だよ。すっごく良い子だって。自慢のアイドルだって。
そんなに人気なのに、お客さんが挨拶してくれないなんて、そんなことあるわけ……」
「……あるわよ、そんなこと」
僕の口が止まる。
フウカちゃんは角にかかった髪を弄りながら、昔のことを思いだしつつもどこか寂しそうに口を開いた。
「今では皆に良くしてもらっているけど、前は変な子だって思われてたみたい。
それもそうよね。キヴォトスでは珍しくないけど、こっちの世界では角の生えた女の子なんて、変以外の何者でもないもの」
自身のチャームポイントである角にかかった髪を下ろして、話を続ける。
「お婆ちゃんやマオみたいに、最初から優しかった人なんてごく僅かよ。あとは皆、少なからず距離を置かれていたわ」
フウカちゃんが苦笑いを浮かべる。
胸に何とも言えない悲しさがじわっと広がった。
知り合いの中だとヒナさんが顕著だが、キヴォトスからこちらの世界に来た人には、珍しい身体的な特徴がある。
特徴的な耳や角、羽。尻尾がある人もいた。
例えばヒマリさんと初めてエンカウントしたとき、僕の印象は『エルフ耳の白髪お姉さんキタコレ!』だった。
それはオタクとして喜んでいる気持ちもあったが、どこかコスプレイヤーさんに向ける珍しさのような意味も孕んでいたことは否定できない。
一般人からしてみればキヴォトスの人達は、ずっとコスプレや仮装をしている変な子くらいには、思われても自然なのかもしれない。
ヒマリさんみたいに心臓に毛が生えているならまだしも、普通の感性だったら物珍しい視線を向けられ続けるのは辛いことだ。
フウカちゃんの話してくれたどうしようもない現実に、僕は小さく唇を噛んだ。
「ごめんなさい、暗い話をしたかったわけじゃないの。マオの言う通り、もう私のことを変な目で見る人は、一人もいないしね」
「……そっか」
「ええ、もう皆とすっかり仲良しよ」
僕の杞憂が過ぎたのか。
フウカちゃんは嬉しそうに顔を緩ませて、ぽつぽつと語った。
「お婆ちゃんは居候させてくれた私に対して、ずっと優しいまま変わらず一緒に居てくれた。
マオも私のことを同い年の友達みたいに話しかけてくれて……いや、結構鬱陶しかったけど、変わらず接してくれたしね」
フウカちゃんが僕の目を見て笑みを浮かべる。
「そんな二人の姿を見て、私にどう接したらいいか分からなかった商店街の皆は、ようやく心を開いてくれたんだと思う。……ありがとね、マオ」
彼女から送られた慣れない感謝の言葉。
僕はそれを受け止める理由が見つからず、おどけた仕草で返事を返した。
「いやいや、大袈裟だよ。お婆さんが聖人なのはその通りだけど、僕は関係ないって。
一番頑張ったのは、それでもめげずにお店に立ち続けて、商店街の人に受け入れられるくらい努力したフウカちゃん自身だよ。
仮に僕なんかが関係あったとしてもオマケ。お弁当のバランだから」
「もう、変なところで謙虚なんだから」
「それはお互い様でしょ? まあ僕が一番謙虚なんだけどね。ネットで初対面の人と話すときは必ず『FF外から失礼するゾ~』って言うし」
「なにそれ。ふふっ」
フウカちゃんが微笑むのにつられて僕も笑う。
僕とフウカちゃんとの間柄に、こういう湿っぽい話は性に合わない。ちょっと意地悪だがお茶を濁した。
「……はぁ。なんだか言いたいこと言えて、すっきりしたわ。前みたいな微妙な距離感、どうかなとは思ってたし」
「あはは、僕としてはずっと心を開いてたつもりだったけどね。フウカちゃんの素直なところが見られて良かったよ」
「元はと言えば、マオが私に変な感じでくるから困ってたんだけど……」
「それは本当にごめんなさい」
初めて彼女と腹を割って話したような気がした。
「あっやばい。気づいたらもうこんな時間だ」
掛け時計を見たらがっつり時間が経っていた。
美少女と過ごす時間って、どうして時の流れが早く感じるんだろう。相対性理論ってこういうことか。納得した。
「これから夕食の支度?」
「うん。いつも同居人の分まで僕が作ってるから、そろそろ帰らないと」
フウカちゃんにお茶のお礼を言ってから、もう一度お弁当屋さんのお婆ちゃんに挨拶をする。
お店の中から見えた外の景色は、いつの間にかうす暗くなっていた。
夏の終わりが近づき、最近は暗くなるのが早くなった。
「じゃあフウカちゃん、お婆さん。いつも美味しいお弁当ありがとうございます。お邪魔しま……」
お店を出ようとしたところで誰かに引っ張られる。
振り返ると、フウカちゃんが僕の服の裾を掴んで、じっと佇んでいた。
「……また来なさいよ。今度来たら、お弁当の唐揚げ一つサービスしてあげる」
「ほんと? やったぁ! じゃあ明日学校前に来るね」
「早すぎない? うふふ、そういうのってもっと後じゃないの」
「そうかな」
「そうよ。……マオって1組だったわよね?」
「うん、そうだけど」
「明日、お弁当作っていってあげる」
「えっ……いくら?」
「お金なんか取らないわ。ただ私が個人的に作るだけで……って、お店の前で小躍りしないの。締まらないわね」
「ごめん、嬉しくってつい。
楽しみだなぁ、フウカちゃんのお弁当」
「ふん、楽しみにしてなさい」
服の裾を離すと、フウカちゃんにお腹の横をポスンと叩かれた。
「また胃袋掴んで、常連さんにしてあげるから」
ちょうど閉店時間となり、お弁当屋さんは店仕舞いになった。
夕陽がすっかり沈んで、夜が顔を出し始めた頃。
商店街から帰る途中、僕はヒナさんのことを思い出していた。
「ヒナさんが言ってた光学迷彩、あれがフウカちゃんもあれば……」
ヒナさんに連絡を取ろうとしたところで、ピタリと手が止まる。
商店街入り口の掲示板が目に入った。
掲示板のポスター。
手書きの味があるポップ体で『○○商店街へ、おかえりなさい』と書かれていた。
そんなポスターには、今年の年月が印字された写真が貼られている。集合写真のようだ。
「……今更は野暮か」
写真を見て微笑む。
そこには、楽しそうに笑う商店街の人達。
堂々とセンターで笑顔を浮かべる、照れながらも心から嬉しそうな様子のフウカちゃんがいた。
◆◆◆
『バン!』
大きな発砲音が響き、横一列に並んでいた生徒達が一斉に走り出した。
よく晴れたグラウンドに土煙が舞う。
ランナーは鉢巻きをはためかせながら必死な顔で、目の前を通りすぎていった。
「アリスちゃんがんばれ~!」
「アリス、もう少しです! 逃げ切るのです!」
保護者席から、僕とヒマリさんの応援がグラウンドに飛ぶ。
アリスちゃんが駆け出すと、心なしか生徒達からの応援する声も一段と大きくなった。
流石アリスちゃん。いつの間にか、学校の人気者の地位にまで登り詰めたらしい。
決着はあっという間だった。
アリスちゃんが長い黒髪を靡かせて、颯爽と一番にゴールテープを切った。
「やったあ! 一着ですよヒマリさん!」
「ええ、ちゃんとアリスの勇姿は見届けましたとも! マオ、しっかり録画はしてありますね!」
「勿論です! ゴールの瞬間もバッチリですよ!」
親馬鹿のように騒ぐ僕とヒマリさん。
そんな僕達を見つけたアリスちゃんが、誇らしげな笑顔で大きく手を振ってきた。
僕とヒマリさんが手を振り返すと、アリスちゃんは嬉しそうに一着だった走者の待機場所へ向かっていった。
夏休みが明けて、あの行事が舞い込んできた。
体育祭だ。
どうして小学生の頃は運動会だったのに、進学すると体育祭と呼ぶのか……みたいな疑問はさておき。
学生生活において、とても大きなイベントの日だ。自然とテンションが上がる。
体育の授業だけでしか見られない美少女の体操着姿が、今日は見放題。一日限りのサブスクだ。
「あっ、今度はユウカちゃんが走ってる。
ユウカちゃんがんばれ~。ファイト~」
「……私が言えた義理ではないですが、ユウカはあれで全力なのでしょうか」
「そうですよ。ほら、あそこに運営側に回って、更に生徒会のコネを使って難を逃れたノアちゃんがいますよね? ノアちゃんの方がさらに運動下手ですよ」
「……リオといい、よくセミナーは武力による圧力を受けずに済んでいましたね。襲撃されたら一巻の終わりでしたね」
ユウカちゃんがゴールして、息を切らしているのを眺めながらシャッターを切る。
真っ白で健康的な太ももだ。ありがたい。
「お次は三年生の部みたいです。
わぁ~、ネルさん凄い。ぶっちぎりだ」
「C&Cの方ですね。その戦闘力はキヴォトスでもトップクラスでしたし、まあ当たり前でしょう」
学校行事なので、普通は拝むことすら叶わない先輩や後輩の体操着姿も見られる。良いこと尽くめだ。
「あっ、アスナさんも走ってる。早いなぁ。それに、何がとは言わないが凄い揺れて……イダッ」
「どこ見てるんですか」
ヒマリさんが遠心力を活かしてモーニングスターのように水筒で殴ってきた。
ただの追従性眼球運動なのに……ヒマリさんってば発想がスケベなんだから。
私利私欲のまま撮影に徹していると、ヒマリさんに質問を受けた。
「マオさんは走らなくていいんですか。もうとっくに二年生の部は終わっていますが」
「サボタージュです。あまり運動好きじゃないので」
「……そうでしたか。まあ、マオさんの好きにしていいと思いますが」
ヒマリさんが車椅子をこちらに寄せる。
顔を近づけるように言われたので側に屈むと、頭に鉢巻きを巻かれた。
「私に気を遣う必要はありません。大方、人でごった返したこの学校だと、私に付添が必要だと考えているのでしょう。大丈夫ですよ」
「でも、いざってときに困ることも……」
「この不自由な足と何年の付き合いだと思っているんですか。それに、いざとなればエイミを呼びます。
だからマオ、今日はあなたの大切な学校行事です。思う存分楽しんできてください」
「……はい、分かりました。いってきます」
「よろしい。いってらっしゃい」
ヒマリさんに促されて、僕は生徒席へ駆け出す。
徒競走をすっぽ抜かしたことでユウカちゃんに雷を落とされたが、次の競技から頑張りなさいと激励を浴びた。
体育祭は午前の競技が終了し、昼休みになった。
アリスちゃんと保護者席に向かい、ヒマリさんと合流する。
「ただいまです、ヒマリさん。言われた通り楽しんできました」
「確かにマオさんに楽しめと言ったのは私ですが、綱引きはもう少し手加減してあげても良かったのでは……まだアリスの方が温情が感じられましたが」
「びっくりしました! 実はマオも、アリスと同じパワーキャラだったんですね! 今度アリスと腕相撲しましょう!」
「それは流石に僕の腕が面白いことになっちゃうからナシで」
クラス対抗の綱引きは、当然だがキヴォトス出身のユウカちゃん達が固まっていた僕達のクラスの勝利だった。ヌルゲーすぎて僕はほとんど棒立ちだった。
「じゃあ、お昼ご飯にしましょうか。ヒマリさんは車椅子に座ったまま食べますか?」
「いえ、私もシートに腰を下ろしましょう。アリス、手を貸していただけますか」
「はい、アリスにお任せください!」
三人で円になるように座る。
今朝、早起きして詰めたお弁当を広げた。
「じゃーん」
「わあ~! 美味しそうです!」
「ほぉ、色鮮やかです。手が込んでいますね」
目のついたタコさんウインナー。焦げ目のないように作った卵焼き。
王道かつ可愛い一手間を加えたおかず達を見せる。喜んでもらえて何よりだ。
「ふむ、この高菜のおにぎり美味しいです。ゆかりのおにぎりもサッパリしています。小さくて食べやすいのも良いですね」
「これも美味しいです! こっちのおにぎりは何が入ってるんですか?」
「それは白ごまと塩こんぶ握りだよ。ごま油をちょっぴり垂らすと美味しく出来るんだ」
二人から美味しいと言葉をもらい、嬉しさが胸に込み上げる。アリスちゃんはいつも直球に褒めてくれるので作り甲斐があった。
僕もおにぎりに手を伸ばそうとしたところで、後ろから話かけられた。
「マオくん、私達もお邪魔していいですか」
「あっ、ノアちゃんとユウカちゃん」
クラスメイトの二人も来てくれた。
断る理由がないので、シートのスペースを空ける。
「いいですよ! ご飯は皆で食べると美味しいです!」
喜んで二人を歓迎するアリスちゃん。
僕も大歓迎だ。2名様、ご案内〜♪
「うふふっ、ありがとねアリスちゃん」
ユウカちゃんはアリスちゃんのみに発揮される慈愛スマイルで微笑む。
いつか僕にも、その笑顔を向けてほしい。私は天童アリスみたいにはなれない……。
続いてユウカちゃんはヒマリさんにも挨拶をした。
「ヒマリ先輩もご無沙汰しています。住まわせていただいてるアパートですが、ノア共々快適に過ごせています」
「久しぶりですねユウカ。それは重畳です。
そういえば先ほどの徒競走での走り、見させていただきましたよ。フフ、精が出ますね」
「ヴッ……ヒマリ先輩、その件はあまり蒸し返さないでいただけると……」
ヒマリさんがシニカルな笑みを浮かべてユウカちゃんを弄る。
なんて酷い大家だ。僕とノアちゃんは目配せをしてから、ユウカちゃんの方に加勢に入った。
「この意地悪大家ー。後輩いびりは感心しないぞー」
「そうだそうだ~。一生懸命走ってたユウカちゃんが可哀想です~」
「誰が意地悪大家ですか。というかノア、貴女はそれ以前の問題では……」
僕とノアちゃんの野次によってヒマリさんを封殺する。まったく、先輩風ビュンビュン吹かせやがって。
こうして僕達の集まりに新たに二人が加わり、一層賑やかなお昼ごはんとなった。
「ユウカ、マオの作った卵焼き美味しいですよ!」
「あら、ほんとに美味しそうね」
「ユウカちゃんが嫌じゃなければ食べていいよ。たくさん作ってきたから」
「こっちの唐揚げも美味しかったですよユウカ!」
アリスちゃんが楽しそうにユウカちゃんにお弁当のおかずをシェアする。
「わあ~マオくんって料理がお上手なんですね。私もお一ついいですか?」
「ノアちゃんなら一つと言わず何個でもいいよ。ほら取り皿使う? おしぼり要る?」
「ふふっ、ありがとうございます。
あら……うっかり卵焼きを取りすぎちゃいました。マオくんもお一つどうぞ。はい、あーん♡」
「なんで貴女達ってそんな謎に仲が良いのよ……」
ユウカちゃんに呆れられながら、ノアちゃんからの卵焼きを口でキャッチする。おいしい! 取り締まりを受けそうなくらいおいしい!
続くようにアリスちゃんからもあーんをされたのでゆっくり味わっていると、何やら騒がしい。
保護者席の外れの方に、人集りができていた。
『保護者席のあそこヤバくね』『ヤバい』
『俺、この機会に早瀬さんに声かけてみるわ……』『体育祭のあと暇かな?』『ミドトーク交換したい』『結婚したい』
『天童さんいいよな』『良い……』『一筋の光』『癒やされる』『守護りたい』『幸せにしたい』
『生塩さんは最近彼氏できたらしい』『どこ情報?』『夏休み明けにピアス開けてたってよ』『うわそれ、絶対彼氏の影響じゃん』『寝取られた……』『寝てから言え』
『なんかとんでもなく美人のお姉さんいる』『おぉ』『きっと儚くて奥ゆかしい性格なんだろうなぁ』
遠くから呪詛めいた声が聞こえる。
お盆に帰り損ねた怨霊達かもしれない。連れてかれると怖いので見なかったことにしよう。
麦茶を一口飲み、感慨に耽る。
まさか学校で、こんな風に知人達と集まって楽しくご飯を食べられるなんて。夢にも思いもしなかった。
去年の体育祭は、なんとなく学校に馴染めていなくてドタキャンしてしまった(自宅で青春系のギャルゲをプレイして一日を過ごした。希死念慮が凄かった)
高校に入ってから、僕にとって初めての楽しい学校行事かもしれない。一年前の僕に聞かせたら、嘘だと疑ってしまいそうだ。
輪になって団欒するアリスちゃん達を眺めながら、僕は今ある幸せを噛みしめる。
まだまだ体育祭も折り返しだというのに、すっかり感傷に浸ってしまった。
「……よおし、午後も頑張ろう」
チームカラーの鉢巻きを巻き直して、自分に言い聞かせるように独り言ちる。
いつもは眩しくて鬱陶しい太陽も、まるで応援してくれてるように輝いていた。
和やかな昼休みを終える。
午後の競技もつつがなく進み、いよいよ自分の出場する競技が回ってきた。
生徒席でボーッとグラウンドを眺めながら、ユウカちゃんとノアちゃんの会話を聞く。
「次は借り物競争ね。晄輪大祭を思い出すわ」
「懐かしいですね。あの時のユウカちゃんは大胆でした……まさか好きな人が、あの人だったなんて……」
「からかわないで。マオに誤解されたら面倒だわ」
日焼け止めを塗り直しながら会話する二人。
もう一度僕も塗っておこう。
「確かマオくんは借り物競争で登録していましたね」
「うん。一番走る距離が短そうだったから」
「頑張ってねマオ。この調子でいけば、得点的に私達のクラスが総合優勝できるわ」
「そうですね。もしも借り物のお題で困ったら、私とユウカちゃんを遠慮なく頼ってくださいね」
「ありがとうノアちゃん。もしもお題で『怖い人』が来たら、遠慮なくユウカちゃんを連れてくね」
「あらマオ、鉢巻きが緩んでるわよ。締めてあげる」
「あだだだだ! 瓢箪みたいになっちゃう~!」
ユウカちゃんの激励で、頭蓋骨の形が変わりそうになる。中身飛び出るかと思った。
競技の順番が来たので生徒席を離れる。
借り物競争のレーンに並び、自分の番を待った。
意外にも、借り物競争は白熱していた。
女子生徒が生徒席から男子生徒を連れて、手を繋ぎゴールするという如何にも青春な光景が見られた。
ああいう楽しみ方を体育祭で出来てしまうスクールカースト上位の方達は、人生の予後が良さそうだ。隣の芝生が青すぎて、羨ましさすら湧いてこなかった。
順番を待っている間、グラウンドにお題の書かれた紙が落ちているのを発見した。
恐らく前に走ったひとが落としたものだろう。後で捨てておこうと、ポケットに仕舞った。
「あっ、もう次だ」
走る距離が短い分、やはり出走者の回転率が早い。二郎系みたいだ。
楽なお題が来たらいいなぁとぼんやり考えながら、号砲器に合わせて僕は駆け出した。
『バン!』
ある程度の距離を走ってから、お題の置かれた地点に辿り着く。
ペラっとお題の書かれた紙をめくった。
「おっ、簡単なやつだ」
難易度の低いお題だった。これは幸先が良い。
お題を明かしてはいけないルールなので、紙をポケットに隠してその場を離れる。
生徒席までは距離があったので、近くの保護者席に向かった。
「マオさんが私の方に向かってきているような……」
保護者席で優雅に観戦していたヒマリさんが、僕の姿にいち早く気付く。
僕は一直線にヒマリさんのもとに走った。
「あら、本当に私の方に来ましたね……」
「ヒマリさん、突然ですが協力お願いします」
「それは構いませんが、お題は……」
「ええっと、すみません。時間がないので後で教えますね」
僕は車椅子に乗ったヒマリさんを後ろから押して、レーンに戻る。
ゴール目掛けて車椅子を走らせた。
「なるほど、お題は競技中は秘密なんですね」
「はい。教えられると協力が容易になってしまうとのことで、ルールで禁止されてるんです。ゴールに着いたら教えますね」
「私の予想では『天才清楚系病弱美少女大家であり、雲の上に咲く一輪の花』辺りでしょうか」
「それヒマリさんが会場にいなかったら詰みじゃないですか」
なんか端から見たら洋画の『最○のふたり』っぽいなと思いながら、危うげなくゴールする。
結果は一着だった。
ヒマリさんと一緒にグラウンドの真ん中でコロンビアポーズをしてから、保護者席に車椅子を押した。
「ありがとうございますヒマリさん。助かりました」
「ふふ、礼には及びませんよ。ではお題の答え合わせをしてもいいですか」
「はい、お題はこれでした」
ヒマリさんにお題の書かれた紙を手渡す。
僕の引いたお題は『椅子』だ。
一応椅子ということで、ヒマリさんを乗せた車椅子を持っていき、判定勝ちをもらった。
ちょうど近くに保護者席があり、そこにヒマリさんがいたことで機転を利かせた、我ながらナイスな対応だった。
これでユウカちゃんからも褒めてもらえそうだ。
お題の内容を知ったヒマリさんの反応を見てみる。
「───な、な、な……」
青白い顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
リトマス試験紙みたいだった。
「えっと、これはその……。どういう……?」
僕と目線が合った途端に目線を逸らし、なぜか恥ずかしそうに伏し目がちになるヒマリさん。口元をわなわなと震わせて、お題について尋ねてきた。
「どういう、と言われても……そこに書いてある通りですが。僕にはヒマリさんしかいなかったので」
「っっっ!?」
ふざけてキメ顔で返事すると、ヒマリさんの顔から『ボフン』と湯気が出た。
いつもの饒舌さはどこに行ったのか。話し方を忘れてしまったみたいに口をパクパクさせていた。
「……? ヒマリさん?」
「え……その……あの……」
さっきから反応が変だ。
大丈夫かこの人。まさか熱中症でもあるんじゃないだろうな。水ぶっかけるか?
それから、ヒマリさんはしばらくの沈黙の後。
なぜか息が絶え絶えといった様子で、ようやく口を開いた。
「…………その、お返事は必ずします。ですが、少し考える時間をいただけないでしょうか。二人の大切なことなので、しっかり考えてから結論を出したいのです。では……」
そう言い残して、ヒマリさんはどこかへ行ってしまった。
発言の意図がイマイチ掴めなかったが、なにか急用でも入ってしまったのだろうか。
元々は今日も、忙しい仕事の合間を縫って参観しにきてくれている。寂しいが我が儘は言えないだろう。
ゆっくりと去っていくヒマリさんの後ろ姿を見送ってから、僕は自身のクラスの生徒席に戻った。
生徒席に戻ると、ユウカちゃんが手をかざしてきたのでハイタッチをした。
「お疲れさま。一着、ナイスよマオ」
「ううん、ユウカちゃんの方こそ応援ありがとう。走りながらユウカちゃんの声が聞こえてきたよ」
「ええ、ノアと応援した甲斐があったわね。この調子で頑張りましょう」
「そうですね。もう優勝も目前だと思います。
そういえばマオくん、お題って何だったんですか」
「お題は椅子だったよ。楽勝で助かるラスカルだったね。お題の紙はもうないけど……?」
ふとポケットに手を入れると、ヒマリさんに渡したはずの紙が出てきた。
なんで? 勝手にアイテム回収されるMOD?
「あっ」
片方のポケットをまさぐると、今度は拾った方の紙がなくなっていた。
……あちゃー。ヒマリさんに落ちてた方の紙を渡してしまったかもしれない。
なるほど、だからあんなに混乱してたのか。渡したお題が何だったのか知る由もないが、今度会ったときに訂正しておこう。
「まあそういうこともあるか。さて、アリスちゃんの応援でもしようかな。アリスちゃーん、がんばれ♡ がんばれ♡」
「マオ、ゾッとするから止めてそれ」
僕はチアダンス用のポンポンを身につけて、アリスちゃんの応援に力を注いだ。
その後の体育祭は、応援合戦や全校リレーといった気合いの入る競技が続く。
そうして何事もなく閉会式となり、体育祭は幕を閉じた。
次の日、真実を知ったヒマリさんが僕を殴るために一瞬立ち上がることに成功したのが、今年の夏で一番の驚きだった。
◆◆◆
「マオー、こっち見てください!」
「んー?」
我が家の部屋で、ベランダに出て観葉植物のサンスベリアちゃんに日光浴をさせてあげてたところ。
アリスちゃんがスマホをこちらに向けてきた。
「あはは、何かの撮影? いいよ。ピースピース」
「いいですよマオ、可愛いです!」
「わーい、そしたらもっとサービスしちゃおうかな。うっふ~ん、美少女エ○ゲーマーよぉ~ん♡ 業界が衰退中だから皆もっとエ○ゲー買ってぇ~ん♡」
「やっぱりマオは可愛いです! バフがすごいです! 視聴者も喜んでます!」
「視聴者?」
調子に乗ってセクシーポーズをしていたら、アリスちゃんの一言で体が石のように固まる。
ハテナマークを頭上に浮かべる僕を見て、彼女は笑顔で答えた。
「はい、アリスはクラスメイトからお勧めされたミドトークのライブ配信をしています。視聴者とは、その配信を見ている人達のことです!」
「Oh……」
ひとまずアリスちゃんに配信を止めるように頼む。
「分かりました!」
配信終了ボタンを押して、アリスちゃんはライブを終わらせた。
僕はネットリテラシーがガバガバのアリスちゃんに一先ず、大事なことを訊いた。
「まあ僕を写すのは構わないんだけど、アリスちゃんは大丈夫? 自分の顔とか写したりしてない?」
「自分の顔ですか? 最初に配信を点けたときアリスの顔が画面に写りましたが、あとは部屋の中と、マオしか写していませんよ?」
「そっか……」
とりあえず、やってしまったものは仕方ない。
アリスちゃんはインフルエンサーという訳ではないのだ。ネットの海に放流される影響はそこまで酷くないだろう。
「どれどれ、アリスちゃんのアカウントは……」
アカウントを確認してみると、すでに幾つか投稿がされていた。投稿は最近のものばかりだった。
野良猫の写真。
夏に採ったカブトムシとクワガタの対決の様子。
アスナさんと一緒に流行りのダンスを踊った動画。
その他諸々。
「結構インプレッション付いてる……」
「はい、数字を稼ぐゲームです! アリス、色々と頑張ってます!」
アリスちゃんに良くないおもちゃを与えてしまったかもしれない。
極力顔を写すのは控えるように彼女に伝えて、僕はSNSの付き合い方を教える必要があるなと一人悩むのだった。
『この投稿は─────アリス?』