アリスが我が家に現れた   作:ふらちないおちのえちちなおちち

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おまじない

 

 月曜日。昼下がりの教室。

 前方では教員が教壇に立ち、黒板にチョークを走らせている。

 

 授業は予習を済ませていたおかげで、問題なく理解できていた。

 ……ように思えたが、肝心の内容が頭に入ってこない。

 耳から耳へ通り抜けるだけだった。

 

 机に頬杖をついて、窓の外を眺める。

 

 青い。ペンキをこぼしたような青い空だ。

 宙を眺めて浮かんでくるのは、当然ながら昨日の出来事だった。

 

 

 大家さんが来てから、僕は知ってる限りの事情を全て話した。

 

 朝、何かの衝撃で意識を失ったこと。

 気がつくと、何もなかったはずの場所にアリスちゃんが現れたこと。

 

 あと、アリスちゃんがあられもない姿だったこと。

 これは説明中、大家さんの顔が凄い怖かった。普通に漏らすかと思った。

 

 話を聞き終えた大家さんは少しの間考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。

 

 

『───アリスは、私たちで保護します』

 

 

 大家さんの出した結論。それは、アリスちゃんをこのアパートで保護するというものだった。私たち?

 

 何となく予感していた展開に呆けていると、大家さんは僕のほうを向き、ニコリと笑った。

 

『ではマオさん、明日からアリスをよろしくお願いします』

 

『えっ』

 

『マオ! お願いします!』

 

『えっ、えっ』

 

『アリス、早速ですが生活に必要なものを買いに行きましょう』

 

『はい! ヒマリ先輩!』

 

『あぅ……』

 

 そのまま僕が意見する間もなく、話は終了。

 アリスちゃんの居住場所は、僕の部屋となった。

 

「急展開だなあ」

 

 大家さんに「いやお前が保護せーへんのかい!」とツッコミを入れたい衝動に駆られる。女の子じゃなかったら容赦なく乳首ドリルしていた。

 

 確かに、多忙な大家さんがアリスちゃんの面倒を見られないのは知っている。

 その点には目を瞑ろう。

 

 だけど僕だって思春期の高校生。

 花も恥じらうお年頃なのだ。

 

 一人になりたい時間くらいあるので、せめて発言権くらい欲しかった。トホホ……大家ちゃん可愛いのに僕への当たりはイタイイタイなんだから。

 

 まあ恐らく僕が口を挟んだところで大家さんに口八丁に言いくるめられ、より酷い結果になるのがオチだ。

 ここは泣く泣く諦めよう。まったく、あれで美少女じゃなかったら職権乱用だぞ。

 

 

 そんな風に不平不満を垂れてはいるが、実際のところ僕もこの結論に異論はなかった。

 

『アリスのこと、よろしくお願いします』

 

 昨夜、大家さんから掛かってきた電話。

 その最後の一言を思い出す。

 

 僕は大家さんのことを信頼している。

 それは長い友人関係で築かれた信用だけでなく、頭脳明晰なところも含めてだ。

 

 あの大家さんがそうすべきだと判断したのなら、恐らくこれが最善なのだろう。

 そう納得しちゃうくらい彼女は優れた人物なのだ。

 

「まあ、なるようになるか」

 

 いつまでも悩んでいたって仕方ない。

 こういうときこそ前向きに考えよう。

 

 アリスちゃんと一緒に住むことは嫌じゃない。

 むしろ嬉しい方だ。

 

 アリスちゃんはとっても良い子だ。

 素直で、純粋で、明るくて元気。おまけに可愛い。

 中学生にしては言動が幼い気もするが、性格が良いに越したことはないだろう。

 たまに常識が欠けてるところもあるが、その辺りは僕が少しずつ教えていこう。そうしよう。

 

 

 そんなこんなで、突如として始まった二人暮らし。

 一抹の不安はありつつも、少しだけ僕の心はワクワクしていた。

 

 

 という考え事をボーッとしていたら、先生の投擲したチョークがおでこに着弾した。

 どうやら考えていたことが口から出ていたらしい。

 

 神エイムだなぁと感心していると、隣の席の子にクスクス笑われる。

 ご褒美として受け取っておくことにした。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 長いようで短かった学校を終える。

 我が家のあるアパートに帰ってきた。

 

 エレベーターに乗り、自分の部屋がある階層のボタンを押す。

 

 静かに動き出すエレベーター。

 重力を感じながら、ボーッとエレベーターの中の掲載物を眺める。

 中には色んなポスターが貼られていた。

 

 『夏はUFO探索! 手伝い募集中!』

 『この生き物にピンと来たら大家まで(ツチノコらしきイラスト)』

 

 どこかオカルトチックで胡散臭いものばかり貼られている。広告主に心当たりしかなかった。

 

 

 エレベーターを降りてから歩く。

 すぐに我が家の前に到着した。

 

 扉の横の端末にカードキーをかざすと、ピピッという音とともに部屋が開く。相変わらず無駄にハイテクだ。

 

 

 ようやく我が家に帰ってきた。

 真っ先に目についたのは、見知らぬ一足の靴だった。

 

 手のひらに収まりそうな小さいローファー。

 アリスちゃんのものだろうか。

 

 

 リビングに足を踏み入れる。

 目に移った光景に、ポロっと疑問がこぼれた。

 

「……なんでそんなところに?」

 

 部屋の隅に人影を見つけた。

 

 静まりかえった部屋。

 夕日の掛かっていない暗闇の一角。

 そこには、まるで座敷わらしのように座り込むアリスちゃんがいた。

 

 今日のアリスちゃんは、ちゃんと服を着ていた。

 制服っぽいブラウスとスカート。どこか見覚えのある格好だった。

 

 うつ向いているので表情は見えない。

 耳を澄ますと、小さな音で「スー……スー……」と息遣いが聞こえる。どうやら眠っているようだ。

 

 

 起こすのも悪いので、忍び足でリビングを歩く。

 

 学校帰りに買ってきた食材の入った袋を、音を立てないようにキッチンに置こうとした瞬間───

 

『ピロピロピロ……ゴーウィwwwwゴーウィwwwwww』

 

 しまった。

 スマホから着信音が鳴ってしまった。

 

「こんなときに誰からだろう……あべしッ!?」

 

 意識外からの攻撃だった。

 たまらず肺の空気が口からピューと漏れ出た。

 

 何の抵抗もできず後ろに倒れると、固いフローリングに背中を打ち付けた。痛い。

 

「…………なにごと?」

 

 大体予想はつくけど。

 

 仰向けのまま思考を巡らせていると、お腹の上に女の子一人分の重みがあった。

 

「昨日ぶりです! マオ!」

 

「……昨日ぶり、アリスちゃん」

 

 重さの正体は、さっきまで部屋の隅で仮寝(うたたね)していたアリスちゃんだった。

 

 何か良いことがあったのか、機嫌が良い。

 笑顔の周りにキラキラと光のエフェクトが出ていた。うおっ眩し。

 

「いててて……よっこいしょ」

 

 彼女をお腹に乗せたまま、上半身だけで起き上がる。

 アリスちゃんは小柄で軽いので、起き上がるのは難しくなかった。

 美少女に乗られる夢が微妙に叶って嬉しいが、食後だったらマーライオン確定だったなと思う。ギャルゲ主人公って腹筋強いんだなって。

 

 床に投げ出されたスマホを手に取る。

 暗転していた画面を点けると、不在着信の赤い文字が履歴に表示されていた。

 どうやらリオさんからの電話だったらしい。後で掛け直そう。

 

「さて、と」

 

「わあっ」

 

 アリスちゃんの脇の下に両手を入れて、上に持ち上げる。

 一体全体、この小さな体のどこにあんな怪力を秘めているのだろう。

 さてはこれがインナーマッスルってやつか。インナーマッスル……すげぇ。感動するぐらい質量保存の法則無視してるし。

 

 猫のように縦に伸びたアリスちゃんをそのまま運び、ソファーの上に置く。

 隣り合うように僕も横に座った。

 

「一日ぶりだね、アリスちゃん。元気にしてた?」

 

「少しデバフがかかっていますが元気です。マオも学校お疲れさまでした」

 

 デバフ? 何のことだろう。

 

「そういえばアリスちゃんは、今日は何時ぐらいに家に来てたの? 今朝はいなかったけど」

 

「お昼前くらいです。ヒマリ先輩は午後から外せない用事があったそうなので、近くのお弁当屋さんでお昼ご飯を買ってから、マオのお家まで送ってもらいました。お弁当、美味しかったです!」

 

「あぁ~、あそこのお弁当屋さん美味しいよね。よく僕も世話になってるよ」

 

 近所にあるお弁当屋さんは、アットホームな雰囲気で良いお店だ。

 ちなみに可愛い看板娘もいる。

 一時期はその女の子とお近づきになろうと足繁く通い詰め、通いすぎて途中から『(눈_눈)』みたいなジト目を向けられるようになってしまった。また買いにいこう。

 

「大家さんが言ってた必要なものは買えた?」

 

「はい、防具しか売っていない武器屋に行ったりしました!」

 

「服屋ね」

 

「アリスの初期装備、ミドリのパンツをロストしてしまったのは残念ですが……代わりにヒマリ先輩が色んな装備を買ってくれました! 例えば、いま履いているパンツですが……」

 

「うんうんそうだね、でもそのスカートを掴む手は離そっか」

 

 テーブルの上を見ると、置き手紙を発見する。

 差出人に大家さんの名前があった。

 

 ふむふむ、服や日用品は大方揃えてきた……と。

 これから僕と兼用できない物が必要になったら、二人で買いに行ってきてほしいと追記されていた。

 一先ずアリスちゃんの衣食住が保証されて良かった。一安心だ。

 

 しかし惜しい……。

 アリスちゃんが服を買い揃える前に、僕のワイシャツを着せて『天童アリス(彼シャツ)』を見たかった。

 クソッ、昨日の時点で着せられていたら……!

 

「マオ、顔が悪いモンスターみたいになってますよ」

 

 (よこしま)な妄想が一瞬でバレる。

 君のような勘のいいガキは……好きだ。

 

「ゲフンゲフン……ところでアリスちゃん、今日は我が家に来てから何してたの? 暇じゃなかった?」

 

「んーと、そうですねぇ……」

 

 我が家は娯楽が少ない。

 大抵の趣味はスマホで何とかなるし、一応パソコンもあるけどパスワードが掛かってるから使えない。

 本棚もあるが、アリスちゃんぐらいの年齢の子が読むような本は置いてない(薄い本ならある)

 置いてるオモチャなんてバ◯ルドーム、あ◯しンちグラグラゲームくらいだ。一人でやってもつまらないだろう。

 

「アリスはお弁当を食べてからは、ベランダに出て外の景色を見ていました」

 

「おー、風流だね。僕も新天地に来たときは、まず地形とか気になっちゃうな」

 

 アリスちゃんは大家さんと別れてから、お昼前に来たと言っていた。半日くらいを我が家で過ごしたはずだ。

 あとは何をしていたのだろう。

 

「大体三時間くらい外にいたら眠くなってしまったので、部屋に戻って……」

 

「わかるわかる、景色をずっと眺めてると眠くなるよね……え、三時間?」

 

 思わずオウム返しをしてしまう。

 さ、三時間……? 何というか、暇潰しにしてはあまり正気じゃない時間だ。OPとED飛ばせばアニメ7話くらい見れちゃうぞ。

 

「外の景色を眺めていたら、キヴォトスのことや、アリスの仲間のことを思い出しました」

 

「えーと……確かキヴォトスって、アリスちゃんが前に住んでたところだよね」

 

 キヴォトス。

 昨日アリスちゃんが言っていた謎の国のことだ。

 ネットで調べても関係のないゲームのサイトばかり出てくるほどマイナーな国らしい。

 

「はい。この世界は、アリスのいたキヴォトスと違うところばかりです。ロボットも犬も歩いていませんし、銃を持ち歩いている人も全然いません」

 

 やべーなキヴォトス。

 世界観が劇場版ドラえもんみたいだし、ゴッサムシティ並みに治安悪いじゃん。犬が歩いてるのはちょっと可愛いけれども。

 

「アリスのいた世界とは全く異なる世界……新ステージの実装に、アリスはワクワクしました」

 

 今日あったことをありありと語るアリスちゃん。

 

「マオのお家に戻ってからアリスは、すぐに冒険の計画を立てようと思いました。気になる建物や道をたくさん発見したので、どこに行こうかとワクワクが止まりませんでした」

 

 楽しそうに話す彼女の表情は曇り一つなく、本当にワクワクしていたのだと伝わってきた。

 

「どこに行こうかを決めようと思い、アリスはベランダに出ました。

 見渡した景色は初めて見るものはがりで、ワクワクして、ドキドキして、そして───

 

 

 ───寂しいって、思いました」

 

 

 空気が変わった気がした。

 

 いや、違う。

 昨日の彼女が纏っていた空気と明らかに違うことに、ようやく僕は気がついたのだ。

 

 一日ぶりに再開した彼女の違和感。

 それはこの部屋に帰ってきてからずっと感じていた、何とも言えない寂しさだったのだ。

 

「キヴォトスにはヒマリ先輩の他にも、アリスの大切な仲間達がいました。モモイ、ミドリ、ユズ、ユウカ、先生……」

 

「……うん」

 

「不思議です。いつもは皆のことを考えると、心がぽかぽかしました。勇気や元気が湧いてきました。でも今は……なんだか、心に穴が空いたみたいに……」

 

 アリスちゃんが外の景色に目をやる。

 

 窓から真っ赤な夕焼け差し込んでいた。日が傾いているのが分かる。

 アフターグロウというやつだろうか。空の向こう側の青色が少しずつオレンジ色に呑まれ、最後に灰色のコントラストが出来ていた。

 

「アリス、理解しました。この世界にゲーム開発部の皆は──────どこにもいないんですね」

 

 湖のように静まりかえる彼女の瞳は、どこか遥か遠くを見つめていた。

 その姿は悲しいくらいに綺麗だった。

 

 アリスちゃんが自分の膝を抱えて、服の袖をぎゅっと握り締める。

 憂いを帯びた、初めて見る顔をしていた。

 

「アリスちゃん……」

 

 どうしたらいいのか分からなかった。

 僕は呆然と立ち尽くすことしかできずにいた。

 

 そんなとき、脳裏に大家さんの言葉が浮かんだ。

 

『アリスのこと、よろしくお願いします』

 

「…………」

 

 

 

 自然と体は動いていた。

 僕は腰を少し浮かせて、一人分空いていたスペースを埋めるように、アリスちゃんの近くに座り直した。

 

「…………マオ?」

 

「あー……。僕もアリスちゃんみたいに、昔、大切な人がいてね?」

 

 彼女の話を思い出す。

 僕はアリスちゃんの話を聞いたとき、他人事のように思えなかった。

 

 彼女に感じた寂しさ。

 それはきっと僕が抱えていたものと似た何かだと、肌感覚だが理解した。

 

「マオもですか?」

 

「うん。僕の場合は仲間ってより家族だったけど」

 

 辛そうなアリスちゃんを見て、励ましたいと思ったし、元気付けたいと思った。

 だけど、彼女に掛けるべき言葉が見つからなかった。

 

 元から誰かを励ませるような明るい性格じゃないし、強い人間でもない。元気を分けてあげられほど、前向きな人間とは程遠い。

 だから僕にできることは、僕の話をするぐらいだった。

 

「家族……どんな人だったんですか?」

 

「うーん、その人は……変な人だったけど面白い人だったよ。色んなことを知っていて、たくさんのことを教えてくれた」

 

「なんだか先生みたいです」

 

「うん、そんな感じ。臭い言い方だけど、世界が綺麗に見えるようになったかな」

 

「世界が綺麗に……きっとマオは、その人から魔法をかけられたんですね」

 

「魔法? ふふっ、そうだね。確かに先生というよりは魔法使いみたいな人だった」

 

 魔法使いというよりは魔女っぽい人だったけど。近所のこどもから魔女がいるなんて噂をされてた気がする。

 

「今はもう、とても遠くに行っちゃったから会えないけれど……寂しくはないよ」

 

「……」

 

「…………いや、たまに思い出して辛くはなるときはあるかな。置いてかれたような気もするかも」

 

「……思い出すと、悲しいですか」

 

 アリスちゃんの質問に不器用ながら答える。

 

「そうだね。それに面倒なことに、そういう悲しいときって僕は力が抜けちゃうんだ。

 ご飯を食べたり、お風呂に入ったりする力も出なかったりしてね。『へんじがない。ただのしかばねのようだ』状態だった。今でもたまにそうだよ」

 

「…………そんなとき、マオはどうやって元気を出すんですか?」

 

「元気の出し方かぁ。そんなときは、たぶん……」

 

 元気の出し方なんて考えたこともなかった。

 けれど、ぼんやりと浮かぶものはあった。

 

「僕は、いただきますを言うようにしたよ」

 

「いただきます……ですか?」

 

「うん、よく言われてたんだ。一人の時でも、ちゃんと挨拶はしろって。

 あとは、いってきますとか、ただいまとかも忘れずに言うよう気をつけたかな。実際は忘れることの方が多かったけどね、たはは」

 

「……」

 

「そんな感じかな。だからアリスちゃんも、ええっと、そのー……」

 

「……」

 

 何も考えずに喋ったせいで、オチのない話になってしまった。

 

「…………ごめん。元気になる方法はよく分からないや。ごめんね」

 

 僕が物語の主人公だったら、ここで気の効いた一言を言えたのだろう。

 けれども現実はそんなことなく、僕の人間性の通りの結果となってしまった。

 

 申し訳なさのなか、彼女の顔色を窺う。

 アリスちゃんは何かを逡巡したあと、ゆっくりと顔を上げた。

 

「…………アリス、分かった気がします」

 

 もう一度、アリスちゃんは外の景色に目を向けた。

 

「マオが家族から教えてもらった言葉の一つ一つには、きっとマオを大切に想う魔法が込められていたんだと、アリスは思います」

 

 彼女の紡いだ言葉が胸にストンと落ちる。

 

「それは時間を超えてマオを元気にしてくれる、とても優しくて、温かくて、綺麗な───最強の魔法です」

 

 そう言って、アリスちゃんは優しく微笑んだ。

 自分の膝を抱えて座る彼女の姿は、寂しさの中に慈悲深さを滲ませていた。

 

「……ははっ、最強の魔法か。確かにそうかも」

 

 アリスちゃんっぽい例えだが、パズルのピースが嵌まるようにしっくりときた。

 

 なるほど、魔法か。

 身内のことを言われて照れ臭いが、不思議と納得している自分がいた。

 

「……だからマオ。アリス達も、魔法を掛け合いましょう」

 

 アリスちゃんは立てていた両膝を解き、ペタンと膝を床につけて女の子座りをした。

 背後には煌々と沈んでいく夕陽が光っており、彼女を眩しいくらいに照らしていた。

 

 僕は彼女の姿を見つめた。

 同じように、アリスちゃんも青色の眼差しで僕を見つめていた。

 

「───おかえりなさい、マオ」

 

 儚くて、穏やかな笑顔だった。

 西日の金色に混ざる夜の紫色が彼女の輪郭を溶かし、一枚の絵画のように幻想的だった。

 ああ、やっぱり綺麗だなって思った。

 

 おかえりと言われたのはいつ以来だろう。

 この胸に灯る温もりをずっと忘れてしまっていた。

 

 僕はアリスちゃんの言葉に気持ちをこめて応えた。

 

「……うん。ただいま、アリスちゃん」

 

「…………はいっ、おかえりです! マオっ!」

 

「わぶっ」

 

 アリスちゃんは顔を輝かせると、元気よく飛び込んできた。

 

 帰宅直後に突進されたことを思い出して身構える。

 けれども彼女の勢いは穏やかで、僕は抱きしめるように受け止めた。

 

 旅行先のホテルのベッドに飛び込むように、僕たちは座っていたソファーに思いっきり体を預けた。

 その瞬間、『バキッ』という音が鳴った。

 

「えっ」

 

 どうやらこの間アリスちゃんに吹き飛ばされたとき、ソファーの脚が痛んでいたらしい。

 今回の衝撃でトドメを刺されたようだ。南無三。

 

「おわあっ!?」

 

 アトラクションみたいにソファーが斜めに傾く。

 僕とアリスちゃんはソファーから転がり落ちると、床のカーペットの上に投げ出された。

 

 ころころと転がり、二人して部屋の中心で仰向けになる。

 野原で寝そべるみたいに天井を見上げた。

 

「……」

 

「……」

 

 少しの沈黙が流れる。

 

「……」

 

「…………ふふっ」

 

 僕は耐えられなくなって、思わず吹き出してしまった。

 

「ふふっ、うふふ」

 

 つられるようにアリスちゃんも笑い始める。

 なんだか可笑しくなって、僕たちはくすくす笑い合った。

 

「あははっ……どうしよう。明日から座る場所ないじゃん……!」

 

「ふふっ、笑い事じゃないですよマオっ……うふふっ」

 

 なにがそんなに可笑しいのか、自分たちでもよく分からない。

 それでも僕たちはただ笑っていた。

 閉じ込めるものなんてない夏の空みたいに、ただ笑い飛ばすことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………お腹空いたね」

 

「……はい、空きました」

 

「それじゃあ、いただきますの準備しよっか」

 

「はいっ!」

 

 真っ暗だった部屋の照明をつける。

 暗順応していた視界が真っ白に瞬き、鮮やかに色づいていった。

 

 少しずつ部屋が活気を取り戻す。

 さっきまでの寂れた空気はどこかに行ってしまった。

 

 

 僕はエプロンを着て、キッチンに立ち袖を捲った。

 

「ちなみにアリスちゃんは魚って好き?」

 

「アリス、お魚好きです! 確かモモイが、魚を食べるとINT(知性)STR(筋力)がアップすると言っていました。アリスも頭と体をもっと強くしたいです!」

 

「クトゥ○フ神話TRPGっぽい理屈だね」

 

 おさかな天国とも混合してるし。

 でも、ゲーム好きのアリスちゃんには良い教育だと思った。そのモモイちゃんという子は、将来良いお母さんになりそうだ。

 

 僕がキッチンに立って料理を始めると、アリスちゃんはキッチンカウンターに頬杖をつき、こちらを眺めていた。

 

「マオは何を作ってるんですか?」

 

「白身魚の煮付けだよ。学校の帰りに、いつも良くしてもらってる魚屋さんが勧めてくれたから買ったんだ。美味しい春告魚(はるつげうお)なんだって」

 

 カウンターから身を乗り出したアリスちゃんがあごを突きだし、鼻腔を膨らませて匂いを嗅いでいた。

 

「よーしできた。そしたらお皿に盛り付けて……」

 

「アリス運びます!」

 

 張り切った様子のアリスちゃんがテキパキと晩御飯を運んでいこうとする。しかし……

 

「マオ、大変です! 座る場所がありません!」

 

「ナンダッテー!?」

 

 片脚が壊れて滑り台みたいになったソファーを前に、二人して頭を抱える。

 どうしようかと悩んでいると、僕はあることを思い出した。

 

「あっ、倉庫に予備のテーブルがあったかも」

 

 倉庫を開けると、卓袱台(ちゃぶだい)(大家さんから引っ越し祝いに貰った。扱いに困ってた)を発見した。

 これを使おう。

 

「いただきまーす」

 

「いただきますっ!」

 

 夜にしては元気すぎる声で、いただきますの挨拶をする。

 その日、僕たちの部屋はマンションで一番賑やかで、一番灯りが消えるのも遅かった。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 ピチャンと水滴が湯船に落ちる。

 足を伸ばして、お湯の中で体を脱力させた。

 

 アリスちゃんがテレビで放送している『ゲームセンター大好き芸人』みたいな番組に熱中している間、僕はのんびりとお風呂に浸かっていた。

 

 今日一日の疲れが洗われる。

 風呂は命の洗濯、まさにその通りだと思った。

 

「……ご飯のおかわりなんて久しぶりだ」

 

 いつもよりお腹に膨満感を感じながら、水を含んで重くなった前髪をかきあげる。

 

 そういえばアリスちゃんは、あんなに長い髪の毛を洗えるのだろうか。

 後ろから見たらモップが歩いているのかと勘違いしそうな毛量は、毎日洗うだけで重労働だろう。

 長すぎて部屋の床を引き摺って歩いていたし、それこそ部屋中の埃を絡めとりそうな長さだ。

 我が家は掃除が行き届いていて良かったと安堵する。

 

「マオー?」

 

 脱衣場から、アリスちゃんのくぐもった声が聞こえた。

 

「アリスちゃん?」

 

 返事をして脱衣場の方を見ると、曇りガラス越しに彼女のシルエットが写っていた。

 

「は~~い、いま出るね~」

 

 どうやらテレビは見終わったらしい。アリスちゃんにお風呂を譲るとしよう。

 彼女も慣れない土地に来て疲れているだろうし、今日一日の汚れも取りたいはずだ。

 

 僕が湯船から出ようとした瞬間、再びアリスちゃんが声をあげた。

 

「マオ、そこにいたんですね! 気づいたらいなくなっていたので、アリスびっくりしました」

 

「ははは、すごく集中して見てたから、声をかけるのも悪いかなと思って」

 

「お風呂に入っていたんですね! アリスも入ります!」

 

「なにっ」

 

 脱衣場から聞こえる、ガサゴソという衣擦れの音。

 間髪いれずにガラガラガラーと引き戸が開いた。

 

「わあー! お風呂が広いです!」

 

「それは不味いよッ!」

 

 止めようとしたが遅かった。

 僕の制止も虚しく、一糸まとわぬ姿のアリスちゃんが浴室に入ってきた。

 

「マオ、そんなに慌ててどうしたんですか?」

 

 あたふたする僕を見て、アリスちゃんが不思議そうに首を傾げる。

 全裸でミラーマッチしてるというのに彼女は堂々としており、もはや男らしさすら感じた。貞操観念とかないのかこの子。

 

「わあっ。マオ、どうしてアリスを運ぶんですか?」

 

 僕はアリスちゃんの両脇に手を入れて持ち上げると、脱衣場の方に持っていく。

 確かに『美少女』『お風呂』という文字列に心の琴線でギターソロを奏でたくなったが、アリスちゃんは別だ。

 

 何というか、自分の裸を見せることに抵抗がないのは(よろ)しくない。

 将来アリスちゃんが肌を出すことに抵抗のない痴女になったら大変だ。

 そういう部分をコツコツと矯正していかなければ。

 

 とまあ、裸族の僕なりにそれっぽい理由を考えていると、抱えられたアリスちゃんがブーブーと文句を言い出した。

 

「なぜ駄目なんですか!? アリスには理解ができません!」

 

「そりゃあ常識的にも児ポ(児童ポルノの略)的にもアウトでしょ。僕とアリスちゃんと一緒に入ったら、絵面が限りなくコミックL○なんだけど」

 

「ですがアリスは、よくモモイやミドリと一緒にお風呂に入っていました! ユウカとも入りました! マオと入ったって何も問題はありません!」

 

「いやそれ全部女の子ってオチでしょ! 騙されんぞ!」

 

「それに、お風呂はみんなで一緒に入ると楽しいんですよ! マオも一緒に入りましょう!」

 

「ちょちょちょ、入ってきちゃ駄目だって!」

 

 僕の手からぴょんと飛び下りたアリスちゃんが、再び浴室に侵入する。

 

 すぐさま僕は踵を返して、アリスちゃんを浴室から出そうと、押し返した。

 そのはずだった。

 

「ダニィ……!?」

 

 しかし、動かない。

 横から見たらマイケル○ジャクソンかってくらい自分の体を斜めにしたが、動かない。

 アリスちゃんはびくともしなかった。

 

 戦慄する僕を他所に、アリスちゃんは「洗いっこしましょう!」と悪魔の提案をしてきた。ここはそういうお店じゃないっつーの!

 

「わーい、湯船も大きいです!」

 

「あーっ困りますお客様! お客様困ります! あーっ!!」

 

 僕は入ってくるアリスちゃんを必死に押し返した。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「アリス様、お痒いところはございませんか~」

 

「気持ちいいです! マオは髪を洗うのが上手なスキル持ちなんですね!」

 

 アリスちゃんには勝てなかったよ(レイプ目)

 

 結局、僕はアリスちゃんの入浴を許して一緒にお風呂に入っていた。くどいようだが不可抗力だ。

 今は彼女の長い髪を洗っているところだ。

 

「えへへ、楽しいですね」

 

「……そうだね」

 

 まあアリスちゃんが楽しそうならそれでいっか。

 それに銭湯で小さいこどもが異性の親と一緒に入るなんてよくあることだ。

 アリスちゃんは確か自己紹介のときに中学一年生と言っていたし、去年までランドセルを背負っていたならギリギリセーフかもしれない。……本当にセーフか?

 

「はぁぁ……お巡りさん許して……」

 

「そういえばさっき、マオの携帯にヒマリ先輩から電話が来ていました。代わりにアリスが用件を聞いておきましたよ!」

 

「ありゃ、そうだったんだ。助かるよ」

 

 何の電話だろう。

 

 内容を尋ねると、いきなりアリスちゃんがバスチェアから立ち上がる。

 シャンプーの泡がもこもこと飛び散った。

 

「パンパカパーン! アリス、新しい学校に行くことになりました!」

 

「おぉ~」

 

 アリスちゃんの入学。

 それは僕としても嬉しい(しら)せだった。

 

 僕は日中に学校があるので、アリスちゃんの側にずっとは居られない。

 同じように大家さんも忙しくて面倒を見切れない。

 ずっと考えていた悩みの種だった。

 

 だが、彼女も学校に行くとなれば話は別だ。

 

 部屋に籠って今日みたいに一人ぼっちになることはないし、同年代のこどもと出会って遊べるのも良い。

 義務教育だって受けた方がいい年齢だ。学校に行けば彼女のタ◯ミネーターみたいな社会性も育つだろう。

 

 心のなかで「大家さんナイス!」と親指を立てる。

 たまに中指を立てたくなるが、やはりここぞという時に頼るになる人だ。

 

 というか、たった一日でアリスちゃんの戸籍や入学の準備も終わらせてきたのか。

 やっぱりあの人凄い有能なんだろうなと思った。

 

「しかもマオと一緒の学校みたいです! 学年が違うので一緒に授業は受けられないですが、お昼休みの間ならマオに会えるとヒマリ先輩が言っていました!」

 

「おおー、それはいいね。アリスちゃんがいるなら僕の休み時間もハッピーハッピーだよ」

 

「一緒にお昼ご飯たべましょうね、マオ!」

 

「もちろん……って、あれぇ?」

 

 アリスちゃんの発言に思考が停止する。

 

 僕は高校生だ。当たり前だが高校に通っている。

 それは何ら問題ない。

 

 しかし、中学生のアリスちゃんが僕と同じ学校。

 つまり同じ高校に通うなんて……あり得ない話だ。

 

 

 僕の胸中に『ざわ……ざわ……』と不穏なオノマトペが鳴り始める。

 僕は何か、勘違いをしていたのかもしれない。

 記憶を辿ってみれば、彼女は自身のことを中学一年生だなんて一言も言っていなかった。

 

 そこから導きだされる答えは……ただ一つ。

 

「……アリスちゃん」

 

「何ですか?」

 

 シャワーを浴びていたアリスちゃんが振り向く。

 アリスちゃんの動きに合わせて髪の毛も動き、水飛沫が顔にバシャーンと襲ってきた。

 この子、日常生活不便じゃないのかな。今度美容院に連れていこう。

 

 僕は脳裏に過った一つの疑問をぶつけてみた。

 

「アリスちゃんは自分のことを、みれにあむ何とかスクールの一年生だって言ってたよね」

 

「はい、アリスはミレニアムサイエンススクールの一年生です」

 

「もしかしてアリスちゃんって中学一年生じゃなくて───高校一年生?」

 

 できれば違っていてほしい。

 そんな願いや祈りが込められた質問だった。

 

 時間の流れがスローに感じる。

 ピチョンと落ちる水滴の音が、やけに鮮明に聴こえた。

 

 

 僕の質問に、彼女は笑顔で答えた。

 

「はいっそうですよ! アリスは高校一年生です!」

 

「……」

 

「そういえばマオ、浴槽の横に付いてるこのボタンは何ですか?」

 

「……」

 

「ポチっとな。……わあっ! ボタンを押したら底から泡が出てきました!」

 

「……」

 

「凄いです! ほら、マオも早く入りましょう!」

 

「そうだね」

 

 そうして僕はアリスちゃんと湯船に浸かった。

 一日の疲れも、何かもかもを水で洗い流すことにした。

 

「マオっ、マオっ、見ててください! ぶくぶくの力で、アリスちょっとだけ浮かべますっ!」

 

「うふふ。楽しいね」

 

「はいっ、楽しいです!」

 

 ジェットバスで遊ぶアリスちゃんを見ながら、僕は天井を見上げる。

 今回の経験から学んだ教訓は、人の年齢を見た目で判断してはいけないということだった。

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