アリスが我が家に現れた 作:ふらちないおちのえちちなおちち
身許不明の謎の女の子、天童アリスちゃん。
初めて彼女と迎えた朝は、どこか平凡で日常らしさに包まれていた。
「そこで二回くるくるしたら、次はここの穴に通してね」
「くるくるしたら、穴に通す……」
「そうそう」
心配だった同居生活も始めてみれば、意外と慣れるものだ。
彼女の良い意味で遠慮ない性格のおかげだろう。
出会って三日目だが、あまり気を遣わず生活できていた。
「ここの束を緩まないように持っていてね」
「緩まないように持つ……」
けれど、引っ掛かることが一つある。
それはアリスちゃん距離感バグってる問題だ。
彼女はとにかく物理的な距離が近い。パーソナルスペースの広さが、某バスケ漫画の緑のシュート
昨夜のことだ。
僕がベッドで寝ていたところ、ガサゴソと謎の音がしたのでチラリと布団を捲ってみた。
そこには、猫のように体を丸めて寝ているアリスちゃんがいた。
見つけた瞬間はもう色んな意味でドキドキした。
ジャングルで探検家が朝に起きたら、履いていた靴下のなかに蛇が寝ていたエピソードくらいのドキドキだった。
学年が僕の一個下と知ってからというもの。
アリスちゃんの距離感の近さは心臓に悪かった。
しかし彼女のスキンシップの多さは裏を返せば、故郷のキヴォトスから離れてしまった寂しさを物語っている。
無意識に人肌を求めてしまっているのかもしれない。
こちらでの暮らしに慣れていけば、いずれ彼女の極端な距離感も落ち着いていくだろう。
「これをこうして……こうじゃ。はい、ネクタイの出来上がり~。アリスちゃん覚えられた?」
「はい、アリスはネクタイの結び方を覚えました!」
「飲み込みが早いね。じゃあ今度は一人でやってみよっか」
「はいっ!」
そんなこんなで、僕はアリスちゃんにネクタイの結び方をレクチャーしていた。
僕の通っている高校では、制服として男女ともにネクタイの着用が義務づけられている。結構珍しいと思う。
とは言ったものの、生徒全員がネクタイを締めてるわけではない。
ネクタイを緩めたり外していたり、そもそも制服を着崩している生徒も多い。校則自体は割とゆるゆるだ。
とはいえ、校則は校則。
アリスちゃんは転校生という立場だ。入学早々、中途半端な着こなしで先生から不良のレッテルを貼られるわけにはいかない。
アリスちゃんの身嗜みには、特に注意を払うことにした。あらアリス、タイが曲がっていてよ。
「見てくださいマオ! できました!」
「おお~、上手上手。よーしよしよし」
頭を撫でられて
「えへへっ、くすぐったいです……!」
さっきまで距離感
僕は他人から来られると緊張するが、自分から行くのは大丈夫なタイプかもしれない。結構そういう人は多いと思う。
朝ごはんも食べたし、身だしなみも整った。
あとは荷物の確認だけだ。
「アリス、準備完了です!」
彼女のトレードマークであるサイドテールがぴょこんと揺れる。
これは髪を結んであげたときの小話だが、「前にもユウカに結んでもらいました!」とアリスちゃんがキヴォトスの思い出を話してくれた。
どうやらそのユウカちゃんという子は世話焼きで優しい性格らしい。
ちょうど僕のクラスメイトにも同じ名前で特徴が似ている子がいるので親近感が沸いた。ユウカと名の付く人は皆、ママなのかもしれない。
「僕も色々と準備してくるよ。アリスちゃんは待っている間に、もう一度忘れ物がないか確認しておいで」
「分かりました!」
アリスちゃんの準備を済ませたので、僕も鏡台に腰掛ける。
彼女に比べて僕の準備は簡単だ。スクールメイク未満の化粧をして、アイロンで髪をパパっと整えておしまいである。速さこそ正義、速さこそスピードだ。
僕の準備を済ませると、廊下からトコトコと駆ける足音が聞こえた。
アリスちゃんがぴょこっと現れる。
「インベントリの整理、完了しました!」
「はーい」
「もうマオは準備いいんですか? そんな装備で大丈夫ですか?」
「大丈夫。問題ないよ」
二人して身支度を済ませたので、玄関に向かう。
土間には一足の小さなローファーがあった。
アリスちゃんの新しい靴だ。
履き下ろしたばかりの靴は、まるで彼女を新しい出会いへ運ぶようにキラリと光っていた。
僕は履き慣れた靴を履いて、コツコツと足元を鳴らした。
「いってきまーす」
「いってきます!」
空っぽになった我が家に向けて、元気よく挨拶をする。
扉の施錠をしっかり確認してから、僕はアリスちゃんと家を出た。
◆◆◆
うららかな日和を感じる朝の通学路。
暖かい陽気と柔らかい日差しに、ペールトーンの青い空。優しく肌をなでる春風。
この時期は何もかもが緩く穏やかで、心地よく感じられた。
マンションから学校までの距離は、徒歩で大体20~30分くらいだ。
いつも僕は自転車登校だが、今日はアリスちゃんに道を教えるため歩いて登校している。
自転車の相乗りは国家権力さんに見つかると怒られそうなので辞めておいた。アリスちゃんの高校デビューに泥は塗れない。
「アリスちゃんって自転車に乗ったりする?」
「チャリ走なら何時間も遊んだことがあります」
「実際に乗ったことは?」
「ありません」
ここだけの話、僕は『自転車の相乗り』というシチュエーションに憧れがある。
青春って感じがしてエモいし、必然的に女の子と至近距離になれるので役得感も凄い。良いこと尽くめだ。
「そっかそっか。今度練習してみる?」
「はいっ、アリスも自転車に乗ってみたいです!」
そのため、アリスちゃんと相乗りできるチャンスを逃したのは非常に残念だった。惜しい機会を逃したものである。
そもそも『自転車の相乗り』という僕の無茶振りに付き合ってくれる人はいるのだろうか。
候補者を考えてみよう。
まず、アリスちゃん。
たぶん誘ったらノリノリで付き合ってくれるだろう。
きっと後ろからぎゅっとしてくれるオプションまで付いてるに違いない。僕的イチオシ。最有力候補だ。
でも冷静に考えると、彼女のチャームポイントであるロングヘアーがタイヤに巻き込みそうでかなり怖い。
アリスちゃんの圧倒的フィジカルなら自転車くらい屁でもなさそうだが、彼女の美髪が傷つくのは国の損失である。株価にも影響が出るだろう。
却下だ。
次に知人のリオさん。
たぶん提案しただけで呆れられ、運が悪ければ叱られるに違いない。それはもうガミガミと。
そのまま有無を言わさずお説教フェイズに入り、「学業はどうなの?」「具体的な進路は?」「将来設計は?」「交際や結婚の予定は?」などのクールビューティから放たれる言葉のナイフの滅多刺しに遭い、翌日28箇所の刺し傷のある僕の遺体が見つかるだろう。
とはいえ不可能というわけでもない。
リオさんの弱点は泣き落としなので、しつこく頼めば渋々了承してくれる可能性がなくもないが……リオさんは大家さんよりも仕事が忙しそうなので単純に無理そうだ。却下。
ということは消去法で大家さんか。意外と安牌な人物が残ってしまった。
なんだかんだ大家さんは体が不自由な割にフットワークが軽いし、ノリも良い。
ノリの良さは折り紙付きだ。僕がベランダで洗濯物を干しながら歌を歌っていると、稀にどこからともなく大家さんのコーラスが混じってくることもある(ジャンルが演歌だと出現確率高め)
ただ肝心の相乗りだが、大家さんは安全性の観点から滅茶苦茶嫌がるだろう。
忘れがちだが大家さんは足が動かない。いざという時に受け身が取れないのだ。
「うーん……もう面倒だし無理やり乗せちゃおうかな」
清楚系(笑)の大家さんがギャーギャー叫ぶところはちょっと見てみたい。これはこれで積もり積もった恨みを晴らせそうだ。採用。
綿密な計画を企てていると、隣を歩くアリスちゃんに声をかけられた。
「マオ、あれは何のお店ですか?」
遠くの方を指差すアリスちゃん。彼女の示す方角に目を細めると、見慣れた飲食店があった。
「あれは回転寿司だね。入ったことないの?」
「ミレニアムで見かけた記憶はありますが、まだ入ったことはありません。どんなお店なんですか?」
「やっぱり特徴なのは、手洗い場だね。店内のカウンターには熱湯の出る蛇口が付いていて、それでお客さんが十分に手を煮沸消毒してからお寿司を食べるのが醍醐味なんだ」
「凄いです! 熱湯をそのまま触れるなんて、こちらの世界の人は防御力が高いんですね!」
頭の中に「アリスに変なことを教えないでください!」とイマジナリー大家さんの怒鳴り声が響く。チッうっせーな……反省してまーす。
アリスちゃんは純粋無垢な女の子だ。
しかしそれは善悪を問わず、色んな知識をスポンジのように吸収してしまう危険を孕んでいる。
日常的にネットスラングを使ってしまう僕のような人間のクズは発言に気を付けなければいけないのだ。気を引き締めていこう。
「マオ、じゃああっちの方にあるお店は何ですか?」
「あれは○亀製麺。うどんが食べられるお店だよ。うどんの麺は池の水から作ってるし、ハイになる違法な粉が入ってるのが特徴なんだ。それと口からビームが出るし黒魔術も使えるんだって。裏社会とも繋がってるらしいよ」
「わぁ~、こちらの世界にはそんなお店があるんですね。キヴォトスのブラックマーケットより危険な臭いがします。とても面白そうです!」
それからも、アリスちゃんは街の風景に目を光らせては疑問を投げかけてくる。まさに好奇心の塊だ。
僕がいつも気に留めなかった日常風景に、彼女はまるで冒険しているような反応を見せる。理由は分からないが、とても楽しそうだった。
街中を離れて住宅街を歩いていると、アリスちゃんが嬉しそうに声をあげた。
「あっ、あそこに猫さんがいます!」
彼女の指差した先、塀の上を見上げる。
そこには確かに猫がいた。
「ああ、あの猫か」
毛の色と顔を見て気がつく。
この路地を通るたびに見かける、顔見知りの猫だった。
アリスちゃんは見つけた猫にゆっくりと近づき、そっと手を伸ばした。
「この猫さん、逃げないです……!」
ていうか猫には「さん」付けするんだ。アリスちゃんの格付け的には『猫>僕』らしい。
少し年寄りの人慣れしている猫なので逃げはしないだろう。
予想通り、猫はアリスちゃんから逃げず、気持ち良さそうに頭を撫でられていた。
「……ふふふ、可愛いですね」
「おまかわ」
僕の言葉にアリスちゃんが「おまかわ……?」と頭の上にハテナマークを浮かべる。しまった、つい本心が漏れてしまった。
「おまかわ、アリスの初めて聞く言葉です。どんな意味なんですか?」
「おまかわっていうのはね、猫も可愛いけどアリスちゃんも可愛いなぁって意味だよ。あー……あんまり普通の人は使わない言葉かな」
今朝のネクタイの結び方といい、アリスちゃんは学習能力が極めて高い。アリスちゃんが日常会話で「おまかわです!」と使わないように、念のため補足を入れておいた。
「そうでしたか。アリスの魅力値はとても高いので、マオがそう言うのも仕方ありませんね」
自分が可愛いことを理解しているだと……!?
というか僕は改めて、アリスちゃんって美少女なんだなと痛感した。
アリスちゃんが来てからというもの、我が家はドタバタしていて息つく暇もなかった。
僕が人と顔を合わせるのが苦手なタイプということもあるが、彼女の容姿を眺める精神的な余裕もなかった。
そんな紆余曲折もあってか、こうして僕は三日目にしてアリスちゃんの容姿を再確認した。
やはり彼女はとんでもない美少女だ。
贔屓目なしに、テレビに出ているアイドル顔負けだと思う。まるで精巧な人形、作り物みたいだ。
喜怒哀楽が顔にハッキリ現れるのは子どもっぽいが、ふとした瞬間の顔付きは、どこか幻想的な雰囲気も孕んでいる。
大人と子どもの中間というか、少女の美しい瞬間をずっとそのままにしたような感じだ。我ながらすっげえキモいレビューだな。
見目麗しいアリスちゃんの外見に見惚れていると、再び彼女は僕の袖を引っ張った。
「マオっ、あそこにあるのは何でしょう!」
「あはは、そんなに強く引っ張らなくても大丈夫……力強っ!?」
一瞬だが僕がコンクリートの地面に引き摺られ、大根おろしになる未来が見えた。
グイグイ引っ張るアリスちゃんに合わせて、僕もおろおろと駆け出す。
「ほらっマオ、行きますよ!」
「ひぃ、ひぃ、アリスちゃん足早スンギ……」
走るのは久しぶりだった。
体育の授業で走ることはあるが、学校の外で走ることは滅多にない。
僕は運動が好きなタイプでもないし、何かに向かって走るという発想すらない人間だ。
「……はははっ」
けれども、僕の足取りは不思議と軽かった。
走るのすら億劫と思える朝なのに、楽しそうな彼女の姿を見ていると、なんだかこっちまで楽しい気分になってくる。
ただの走るという行為が、まるで冒険しているみたいに感じられた。
思い起こしてみれば、僕は今まで誰かと一緒に登校したことがなかった。
通学中はずっと無言だし、誰かとお喋りを楽しんだり、学校のことを愚痴ることもなかった。ミネラルウォーターの水割りのように、無味無臭の登下校を繰り返す日々だった。
「ああっ! 向かってる途中でまた面白そうな物を見つけてしまいました! ごめんなさいマオ、方向転換します!」
「アリスちゃんストップ! そっちは学校と逆方向だからストーップ!」
自然と笑みが込み上げていた。そっか、幸せってこういうことなんだ。
分からない……ただ、アリスちゃんと一緒にいるとポカポカする。今なら自分のスマホを天ぷらにされたり、勝手に僕の名義を使って連帯保証人にされても許しちゃいそう。そんな気分だった。
放課後でもないのに、僕たちは寄り道をしながら学校に向かった。
◆◆◆
「あの制服は……」
アリスちゃんがボソリと声を漏らす。
また何か見つけたのか。彼女の目線は前方に集中していた。
そこにいたのは一人の通行人だった。
アリスちゃんはその通行人に近づくと、隣に立って笑顔を浮かべた。
「おはようございます!」
そして大きな声で挨拶をした。
『っ!?』
いきなり挨拶をされて驚く通行人。
どうやら僕たちと同じ高校の男子生徒のようだ。
話しかけられた男子生徒は、アリスちゃんの顔を見て石のように硬直した。
『わ……ァ……ァ 』
「?」
男子生徒は言葉を失ったみたいに口をパクパクとさせて、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めている。
それから数秒経って顔をハッとさせると、そそくさと何処かに行ってしまった。
その場にポツーンとアリスちゃん一人が残る。
残された彼女は、逃げていく男子生徒を不思議そうに眺めていた。
「あれっ、挨拶をしたけど返ってきませんでした。変ですね、どうかしたんでしょうか?」
見かねた僕はアリスちゃんに話しかけた。
「……アリスちゃん、さっきの人って知り合い?」
「いいえ、知り合いではありません。アリスはさっきの人と初めてエンカウントしました」
「初対面だったんだ。ええっと、変な質問かもしれないけど……どうして話しかけたの?」
「さっきの人、アリス達と同じ制服を着ていました! 同じ学校ならマオの仲間ですし、これからアリスの仲間になるかもしれません。なので話しかけました!」
さも、それが当たり前のように話すアリスちゃん。
フランクな性格というか、もはや少年漫画の主人公のようなマインドだった。尊敬の念すら覚えてしまう。
僕もアリスちゃんみたいに明るい性格だったら、友達たくさんいたのかな。そんな絵に描いた餅のような妄想をした。
「もしかして、キヴォトスとこちらの世界では挨拶の仕方が違うんでしょうか……?」
ううむ、何て説明しようかな。
学校に向けて歩みを進めながら、僕は彼女に日本の事情を諭してみた。
「なるほど、ニホンには人見知りや恥ずかしがり屋な人が多いんですね」
「そうだね。アリスちゃんみたいにフレンドリーな人は日本だと珍しいかも。いないわけではないんだけどね」
「アリス、分かりました。さっきの人はいきなり声をかけられたのが恥ずかしくて、思わず逃げてしまったんですね。はぐれメ○ルみたいです」
意外にも、アリスちゃんは僕の説明をすんなりと受け入れた。先ほど、通行人に無視されたことも特段気にしていないらしい。
一応フォローしておくと、さっきの男子生徒には僕も同情する。
アリスちゃんみたいな可愛い子に話しかけられたら誰だってあんな感じになる。僕も最初は野生動物みたいに隠れて様子を伺ったくらいだ。
改めてアリスちゃんは罪な女だと分からされた。
「ふむふむ、ニホンはユズみたいな人が多いんですね……」
どうやらキヴォトスには、ユズちゃんという人見知りな友達がいたらしい。
もしかしたらそのユズちゃんという子のおかげで、アリスちゃんは元から人見知りに対する理解があったのかもしれない。
そうこうしているうちに学校に到着した。
正面玄関で靴を履き替えて、アリスちゃんを職員室まで送る。
職員室に到着すると、アリスちゃんの担任の先生らしき人に声を掛けられた。
どうやら教室に行く前に、事前の説明があるらしい。
ここでお別れのようだ。
「頑張ってね、アリスちゃん。早くクラスに馴染めるよう応援してるよ」
「はい! 転校生イベントは初めてですが、Sランク獲得を目指して頑張ります!」
「……変な人や怖い人がいたら二年生の教室まで逃げてくるんだよ? 最悪僕が盾になるから」
「アリスは強いので問題ありません。モンスターに襲われても、返り討ちにして経験値の足しにしてみせます」
「あと、困ったことがあったら何でも連絡してね。すぐに向かうから」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。アリスは勇者ですから、どんな困難も乗り越えてみせます」
「そ、それはそうだけど……」
「……ふふっ、なんだか今日のマオはユウカみたいです。ではマオ、お昼休みに会いましょう!」
そう言い残して、アリスちゃんは先生の誘導で職員室に入室する。
アリスちゃんは職員室に入ると、先生達に元気よく挨拶をした。
そんな彼女の後ろ姿は、僕の心配がいらないくらい強く見えた。
「……信じてあげるのも大事だよな」
アリスちゃんの見送りを終えて、僕も自分の教室に向かうことにした。
◆◆◆
僕は友達が少ない。
そう書くと10年くらい前のラノベみたいだが、実際僕は友達が少ない。
中学時代にできたはずの友人達は、進学とともにほとんどが疎遠になってしまった。
こちらに移り住んでからは三人くらいしか友達がいなかった。でも内気な僕にしては上出来かもしれない。
教室に入り、自分の机に向かう。
誰かに挨拶されることもなく、アリスちゃんのように自分から進んで挨拶することもない。
僕は幽霊のように教室の一角に溶け込んだ。
数少ない友達であるクラスメイトの二人組を探すも、教室には見当たらない。
しっかり者の二人が遅刻とは考えづらいし、たぶん所属している生徒会の活動だろう。
以前早めに登校したとき、生徒会室で書類片手に仕事をしている二人を見たことがある。今回もたぶんそれだ。
考えてみれば、学生の頃から時間外労働とか正気じゃないな。もはやブラック企業のインターンだ。
今度二人に会ったら肩を揉んで労ってあげよう。決してセクハラではない。
ホームルームまで少し時間がある。
暇なので、イヤホンをつけて音楽を聴くことにした。
アリスちゃんのゲーム好きに触発されてか、最近は子どもの頃に好きだったゲームのBGMにハマっている。
目を閉じてレトロな音楽を聴いていると、なんだか懐かしい気持ちになってくる。音数の少ないチープなサウンドが、こちらが没入できるだけの空白を与えてくれるのだ。
音楽を聴いてボーッとしていると、ポンポンと肩を叩かれる。
そして肩に感じる、誰かの手が乗っかっているような重み。
ふわりとフローラルな良い匂いもした。
反射的に肩を叩かれた方角に振り返る。
首を真横に動かすと、ぷにっと自分の頬に何かが刺さった。
「おはようございます、マオくん」
頬に当たっていたのは指だった。
僕の肩に置かれた手から伸びていた、一本の指だ。
目線を上げると、綺麗な白髪が目に入る。
髪の毛さらさらランクは間違いなく最高ランク。素麺で例えるなら揖保○乃糸だろう。
「ふふふっ」
彼女は挨拶をするなり、僕の頬に指を当てながらニコリと笑う。
それはまるで何かを勝ち誇るよう笑み。『お可愛いこと……』とセリフが付きそうなほど嘲笑の意味合いがこもっていそうな、とにかく腹立つ顔だった。
な、舐めやがってぇ……!
あまりにも古典的なイタズラに引っ掛かけられたことで、僕のプライドに火が着く。カチカチ山のタヌキのように、背中に復讐の炎が燃え盛った。
僕は椅子が後ろに転がるような勢いで立ち上がった。
「きゃっ」
お の れ 生 塩 ノ ア !
可愛らしい声を漏らすノアちゃんの顔に手を伸ばす。
このまま男女平等の名の元にアイアンクローをしかけてもいいが、僕の信条的に虐殺行為はNGなのでやめておいた。あと普通にパワー負けしてボコボコに反撃されそうだからやめた。
僕はノアちゃんの頬を両手で摘まむ。
そして盗賊のような笑い方をしながら、彼女の頬をぷにぷにと揉んだ。
「グヘヘ……!」
「ふえぇ……?」
先人は言った。
『目には目を、歯には歯を』『左の頬をぶたれたら右の頬をぶちなさい』『暴力! 服従!』
先人達の教えに則り、僕も自分が受けた仕打ちと同等の悪戯をすることに決めた。
「ま、マオふん……?」
ほっぺぷにぷに。
それが僕の取った作戦だった。
頬を摘まむことで、いつもシニカルな笑みを浮かべているノアちゃんがあられもない表情になる。
端正な顔立ちも、だらしなく頬を延ばしているせいでもはやリスみたいだ。いや、これはこれで可愛いな。
「フハハ、いつも余裕そうなノアちゃんが見る影もないなぁ。こんな姿、皆に見せられないねぇ?」
「うぅ……」
言葉責めに頬を染めるノアちゃん。
攻守ともに隙のない完全無欠な女の子であるノアちゃんが、僕の手によってその聖域を犯されていく。
まるでキャベツ畑やコウノトリを信じている可愛い女の子に、無修正のポルノをつきつける時を想像するような下卑た快感だった(そこまでは酷くない)
『ざわざわ……』『ヒソヒソ……』
教室にいるクラスメイトから下衆を見るような目で見られる。
しかし僕は屈しない。必ずこの手で、かのエッチ暴虐……失礼、かの
それにしても、なんてモチモチした感触なんだ。
まるで雪見だいふくを摘まんでいるような感覚。このまま食べちゃたいくらいだ。
「んんっ……やめてくらはい……」
恥ずかしそうな顔で懇願するノアちゃん。
その嫌がる姿は触手に責められるタイプの薄い本に出てくる女の子の苦悶とした表情を彷彿とさせた。
「はぁ……はぁ……」
艶っぽい吐息だ。無理やり開かれた口からは、チロチロと真っ赤な舌が見え隠れしている。唾液が今にも垂れてしまいそうだった。
「ゴクリ」
…………な、なんかイケないことをしている気分になってきた(良心の呵責)
そんなつもりはないのにインモラルな雰囲気感が否めない。心なしかノアちゃんの表情も恍惚してきた。
「マオふんっ、んんっ……♡」
「…………おお」
思わず僕も感嘆の声を漏らす。おおって何だよ。
というか、これはいけない。
ノアちゃんが魔性の女すぎて、ただのほっぺぷにぷにがエッチなことみたいになっていた。
大丈夫なのかこれ? 何かしらのガイドラインに抵触してないか不安になってきた。
ノアちゃんと負けられない戦いを繰り広げていると、教室の戸がガラっと開いた。
「ふわぁ……朝から事務作業も疲れるわね」
聞こえてきたのは安心感のある声。
彼女は欠伸をしながら教室に入ってくると、僕たちの姿を一瞥した。
僕は「あっヤベ」とすぐにノアちゃんの頬から手を離し、自分の懐に仕舞う。
ほっぺぷにぷにから解放されたノアちゃんも、彼女の存在に気づいた。
「あっ、ユウカちゃん」
「……お、おはようユウカちゃん。生徒会の活動お疲れさま。きょ、今日も可愛いでヤンスね……」
彼女は早瀬ユウカ。
数少ない友達の一人だ。
僕は空々しい笑みを顔に貼りつけて両手で揉手する。
一部始終をがっつり見られてしまったが誤魔化せるだろうか。
「……マオ、いま何していたの?」
そんな僕の胡麻すりも空しく(可愛いのは本当)ユウカちゃんは怖い目のまま不動で腕組みをしている。絶対零度の冷たい視線だった。
「それは勿論、ユウカちゃんに会えた嬉しさで気分上々で……」
「もう一度訊くわ。マオ、さっきはノアに何をしてたの?」
「いや、えっと。あはは、はは……」
「……」
場を和ませようと愛想笑いをするも、彼女には一切通用しない。
ユウカちゃんの冷えきった声は、春だというのに背筋が凍りそうだった。
答え方を間違えたら○ぬ。
ユウカちゃんの問い掛けはそんな威圧感を漂わせていた。
「いやですね、その……ノアちゃんとは友人同士の戯れというか、スキンシップ的なアレをですね。決していかがわしいことはしておらず……」
「…………ぐすん。ユウカちゃん。私、マオくんに乱暴されちゃいました」
「ノノノノアちゃんさん!?」
生塩ノア、とんでもない悪女だった。
「マオォー!!」
「ひぃぃぃっ!!」
ユウカちゃんがものすごい剣幕で詰め寄ってきた。
たまらず情けない声が出る。
逃がさんとばかりに、ユウカちゃんは僕の目と鼻の先まで顔を近づけた。
「やっぱりまたマオが何かしたのね!? 今日という今日は洗いざらい吐いてもらうんだから!」
「ご、誤解だよユウカちゃん。僕はイタズラの仕返しにノアちゃんの肌にソフトタッチしただけで……」
「はあ!?!?!?」
「マオくん、それ火に油です」
言い方が不味かったらしい。ノアちゃんに冷静な指摘を受けた。
僕の発言を真に受けたユウカちゃんは僕のネクタイを掴み、前後に揺さぶってきた。
「ぐ、グエー……死にそうンゴ……」
「貴方ねえ! この間の事もだけど、ノアが抵抗しないのをいいことに体に触るなんてすっごく最低よ!」
強制的なヘッドバンキングで頭がぐわんぐわん揺れる。脳みそがビッグサンダー○マウンテンに乗ってる気分だった。
あと物理的に近いおかげで、ユウカちゃんの髪から甘い匂いが漂ってきた。ノアちゃんとは違った意味でフローラルで……これはこれで良い。鑑識に回そう。
というか、この間のことってアレ?
教室で音楽を聴いてたらノアちゃんに「マオくんって普段、どんな音楽を聴いてるんですか?」って訊かれたから、僕の片方のイヤホンをノアちゃんの耳につけてあげようとしたら横髪が邪魔で、髪を触ったらその瞬間をユウカちゃんに見つかって怒られたアレ?
あれは成り行きだからしょうがないじゃん。というか別に、僕はノアちゃんのことをそんな目で見てな……なくもない……すみません見てます。
「ゆ、許してつかあさい……。お詫びとして鱗◯左近次、冨◯義勇、黒崎コユキが腹を切るので……」
「…………まあまあユウカちゃん。ほら、マオくんも反省していることですし、その辺にしてあげてください」
事態がヒートアップしてきたところで、ノアちゃんが助け船を出してきた。
ユウカちゃんはピタリと手を止める。彼女の言葉に耳を傾けた。
「で、でも……」
「今日だって、先に私がからかったのが悪いんです」
からかい上手の生塩さん。そういう本、既にコミケにありそう。
「……そうなの?」
「はい。今回の件に関しては、私とマオくんの同罪だと思います」
「ノアがそう言うのなら、仕方ないわね……」
ノアちゃんの鶴の一声のおかげで、ユウカちゃんは渋渋ながらも矛を収めてくれた引いてくれた。
よかった、助かった。
ただ事の
まあ、事態が丸く収まったならそれでいっか。終わりよければ何とやらだ。
こうして僕は身柄を解放された。
身の潔白(?)を証明できた僕は息を整えてから、改めて彼女たちに向き直る。
「おはよう。ノアちゃん、ユウカちゃん」
「おはようございます、マオくん」
「……おはよう。まったく、今度から風紀を乱すような言動は控えなさいよね」
乱してねえし。法の中で暴れてるだけだし。
二人に挨拶をしてから、僕は机に座り直した。
一学年の頃は二人とクラスが違ったので、こうして同じクラスになれたのは嬉しい。
自分から友達を作るのが苦手な僕にとって、新学期から教室に知り合いがいるのはありがたかった。
それに二人の顔面偏差値は眼福だし、僕の苦手な数学も教えてくれるので何かとラッキーだった。
「そういえば今日、一学年のクラスに転校生が来るらしいですね。風の噂ですが」
「あら、だとしたら一学年のフロアが浮き足立っていたのも納得ね。いつもより騒がしかった気がするわ」
話題は転校生の話になった。
「ああ、その転校生っていうのはね……」
十中八九、アリスちゃんのことだろう。
事情を知っている僕が口を挟もうと、二人の会話に混ざろうと声を出す。
「……」
「……マオ?」「マオくん?」
とあることに気がついた僕は、途中で口を噤む。
それから脳内を高速回転させて、とにかく当たり障りない言葉を紡いだ。
「……と、遠目からだったけど凄い可愛かったよ。まさに美少女って言葉が似合う感じだった。
あーあ、あんなに可愛かったらもう彼氏とかいるんだろうなぁ。めっちゃ病む」
「うふふ。それはどうでしょうね」
「貴方も懲りないわね……」
二人の反応を見てホッとする。
上手くお茶を濁せたようだ。
僕が話を言い直した理由はシンプル。
面倒事の臭いがしたからだ。
僕とアリスちゃんは決してやましい関係ではないが、僕みたいな人間との同居など、生徒会の二人からしたら風紀の乱れもいいところだ。
それに僕は追いつめられると嘘が苦手になる。
アリスちゃんの話をしているうちに、ポロっと大事なことまで漏らしてしまうだろう。そうしたら糾弾は避けられない。
アリスちゃんの件は墓場まで持っていくことにした。
「そういえば昼休みだけど、今日は先約があって別の人と食べることになったんだ。僕のことは構わず二人で食べてね」
「あら、そうだったんですね。今日はお昼が寂しくなりますね、ユウカちゃん」
「べっ、別に寂しくなんかないわよ。マオがいない分、ちょっとは静かに昼食が食べられそうだわ」
「ふふっ、素直じゃないんですから。……そういえばマオくんって私たちの他に友達いたんですね。知らなかったです」
「私も驚いたわ。この学校にマオを昼食に誘うような、稀有かつ酔狂な人間がいたなんて……私の計算外ね」
過小評価しすぎだろ。流石にワンワン泣くぞ。
こうして当初の予定通り、僕はアリスちゃんと昼御飯を食べることができた。
◆◆◆
「わあっ! マオの作ってくれたお弁当、面白いです!」
昼休みの屋上に、弁当箱の蓋を開けたアリスちゃんが声が響いた。
今日はアリスちゃんの記念すべき登校初日ということで、キャラ弁を作ってきた。
中身は最近ネットで有名なキモフレンズ? のペロロというキャラクターだ。流行りの物はよく知らないが、我ながら可愛く作れたと思う。
「キヴォトスでのレイド戦を思い出します……!」
喜んでくれて何よりだ。
僕も自分の弁当箱を取り出して、アリスちゃんと並んで昼食をとる。
屋上は僕たちの他にも生徒がぽつぽつといたが、騒がしさはなく落ち着いた空気が流れていた。
「そういえばアリスちゃん、クラスメイトの子とは仲良くできた?」
「はい、とても良い人ばかりでした。ミドトーク? というアプリを入れてもらい、連絡先もたくさん交換してきました。フレンドがいっぱいです」
アリスちゃんがスマホの画面を見せると、そこには十人前後の名前が表示されていた。初日からやりおるな。
「集合写真も撮りました。これがその写真です」
「おおー」
写真を見ると、明らかにカースト上位層と思われるキラキラした女子生徒たちと、そんなクラスメイト達に囲まれて楽しそうにするアリスちゃんが写っていた。
少し安心した。僕と住む世界があまりに違うが、アリスちゃんは良い人そうなクラスメイトに恵まれたようだ。
「そっか……友達できてよかったね、アリスちゃん」
「はい! パーティーが増えて賑やかです!」
嬉しそうにするアリスちゃんを見て、僕まで嬉しくなる。本当によかった。
一安心したので、キャラ弁の食材の余り物でできた弁当に再び手をつける。
弁当を食べていると、隣からカシャリとシャッター音がした。
何だろうと振り向く。
そこには、スマホを持ったアリスちゃんがご機嫌な顔でニコニコしていた。
「……いまなんか撮った?」
「はい、マオとの集合写真を撮りました」
なるほど、集合写真か。二人しかいないけど。
写真を見せてもらうと、冴えない顔で弁当を食べている僕と、ピースしているアリスちゃんが写っていた。
……あれだな。隣に自分よりレベルの低い友達を置いて、自分の顔をよく見せるやつ。あれを悪気なしで味わってる気分だった。
「ええっと、プロフィールの設定からアイコンを選んで、さっき撮った写真を選択……できました!」
いつの間にか、アリスちゃんはミドトークのアイコンをさっきの写真にしていた。
アイコンなんて人の好き勝手だが、それは変えた方がいいと思う。明らかに奥の人物が不審だ。
「ふふふっ。マオの顔、おまかわです」
その後、アリスちゃんがクラスメイトからアイコンのことを指摘され、『変な人の近くで写真を撮ると危ないよ』と注意を受けたのは、また別の話だ。
◇◇◇
「というわけで大家さんに自転車の相乗りを頼みたいんですが、いいですか?」
「意味不明です」
「僕も学生の間に青春っぽいことしてみたいんですよ。だから終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです! 僕たちの物語……僕たちの
「やかましいです。静かにしてください。
……まあいいでしょう。それぐらいなら協力しますよ」
「あれっ、意外とすんなり……」
「それより、そもそもマオさんの自転車には、相乗りできるような荷台が付いてなかった気がするのですが」
「あっ」
「……はぁ、しょうがないですね。いまいち趣旨を掴めませんが、誰かと何かしらの乗り物に乗って、新しい景色や風を切る感覚を共有し、楽しみを分かち合いたいわけですね」
「言語化上手いっすね。そんな感じです!」
「でしたら、代わりに私の車椅子で相乗りしてみますか?」
「車椅子で???」
「ええ、私の車椅子は特別製です。耐荷重は勿論、バランスを安定させるための自動補助機能も搭載しています。先にマオさんに座っていただいて、マオさんの膝上に私が座るくらいならできますよ」
「えっ、それは……」
「なにか問題でも?」
「…………大家さんって結構スケベですよね」
「ぶっとばしますよ」