アリスが我が家に現れた   作:ふらちないおちのえちちなおちち

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空が高い季節

 

「えーっと、三年一組の教室は……向こうか」

 

 欠伸の止まらなかった授業が終わり、放課後。

 僕は"とある約束"のため、三年生の教室に向かっていた。

 

 

 それにしても、六限目の数学はヤバかった。

 五限が体育だったせいだろう。眠気が最高潮だった。

 

 このままでは寝落ちする。

 そう焦った僕は苦肉の策として、隣の席のノアちゃんに文通を頼むことで、なんとか授業を乗り切った。

 

 ノアちゃんが意外とノリノリだったので、文通は白熱化。

 不審そうに見てくるユウカちゃんに隠れて、ノアちゃんと水面下で繰り広げる高度な情報戦はスリルがあった。

 それに、周りから気づかれないようにイチャイチャするのってイケナイことしてるみたいで……凄く良いなって思いました。

 

 しかし、流石ノアちゃん。一筋縄ではいかなかった。

 

 急展開となったのは授業の後半。

 『マオくんの好きな本は何ですか?』『か◯けつゾロリ!』『ウフフ、純文学でお願いします』『は?』と、普通の会話をしてるまでは良かった。

 途中からノアちゃんが知らない外国語の文章を書いてきた辺りから雲行きが怪しくなっていき、僕は「YES」「me too」と返事することしかできなかった。もちろん適当だ。

 

 そして授業終了。

 文通をしてからすこぶるノアちゃんの機嫌が良かったのを見ると、マオイングリッシュは成功だったらしい。

 やはり異文化交流に必要なのはパッションだった。

 

 

 

「ランララン、ララ〜ン♪」

 

 鼻歌を歌いながら歩く。

 進むたびにクシャッとビニール袋の音が鳴った。

 

 袋の中で揺れているのは購買で買ってきたお菓子だ。

 今回の約束の目玉である。

 

 少し買いすぎてしまったが、帰ったらアリスちゃんとシェアすればいいやと楽観視する。

 一人暮らしのときは食材を余らせることが度々あったが、今は同居人のおかげでフードロス解消につながっている。一家に一台アリスちゃんだ。

 

「あっネルさんだ。お疲れさまです」

 

「おお、マオじゃん。おつかれさん」

 

 ここは三年次のフロアだ。

 知り合いの先輩を見かけては挨拶する。

 

 アリスちゃんを介して、最近は芋づる式に知り合いが爆増している。

 しかも知り合った人が皆……可愛い女の子だった。

 

 苦節十六年。ようやく僕の人生にも春が来た。

 このまま全員と親密な関係になり、リトさん的な人生を送りたい。そろそろ夏休みだし彼女とかも欲しいのだ(切実)

 

「リオのやつは元気にしてるか?」

 

「この間会いましたよ。不摂生は相変わらずみたいで」

 

「ったく、またカレーでも作りに行ってやるか。じゃああたしは用事あるから、またな」

 

 手を小さく振り、ネルさんの格好いい姿を見送る。

 ううむ、なんとも姉御肌の頼れる先輩である。夢女子が多そうだ。

 

 

 廊下を行き交う三年生たちの姿。

 そんな時。ふと、大家さんとリオさんのことを思い出した。

 

 あの二人も事情が事情でなければ、一緒に学校へ通えていたのだろうか。

 前から薄々と気にしていた、複雑な思いがこみ上げてきた。

 

 

 

 つい先日のことだ。

 アリスちゃんと大家さん、珍しくリオさんも我が家に来てくれたので、ホームパーティを開いた。

 

 そして夜も更けてきた頃で、二人から大事な話があると持ち掛けられた。

 そうして打ち明けられたのは、二人の秘密についてだった。

 

『────私とリオは、アリスと同じキヴォトスという異なる世界からやって来ました』

 

 大家さんとリオさんは、こちらの世界の住人ではなかった。

 その話を聞いたとき、僕は驚きながらも、どこか納得している自分がいた。

 

 端から聞けば荒唐無稽な話だ。

 しかしアリスちゃんという前例があったので、不思議と僕はすんなり話を受け入れることができた。

 

 

 思い返せば出会った当初から、二人は自身の出自の話になるとお茶を濁し、今までも隠し通していた。

 僕を混乱させないためだったらしいが、僕としては水臭いなと不満を感じた。

 

『全く、始めはどうなるかと思いました。戸籍も財産も住居もない新天地にいきなりポーンと放り出されて、神様のイタズラだとしても笑えなかったですね。いやあ、危うく野垂れ死ぬところでした。ですよねリオ?』

 

『ええ。それでも、私達の出現地点の近くに、偶然にもマオが居たのは不幸中の幸いだったわね』

 

『そうですね。それに私達キヴォトスの出身者の姿は、こちらの世界の人達からは顕著に目立ってしまいますから。マオさんのご実家に住まわせていただけたのは幸運でしたね』

 

 昔の思い出でも振り返るように、平然と異世界から来ましたトークをする大家さんとリオさん。

 そんな二人の姿と対照的に、僕は酷く心が傷んだ。

 

 僕が二人のために協力できたことなんて、こちらの世界の拠点を提供したくらいだ。

 こうしてキチンと生計を立てて自立するまでに至った二人の苦労は計り知れないだろう。

 

 向こうの世界では、まだ二人とも在学中だったらしい。

 つまり本来であれば、高校生という大切な時間を過ごせていたはずだった。

 しかし、こちらの世界で生きていくために、大事な時間を捨てて自立を余儀なくされた。

 そんなのあんまりだった。

 

 そうやって憂う気持ちを隠せずにいた僕に、リオさんが優しく諭してくれた。

 

『……マオ、貴方が気に病む必要なんてないわ。確かに、息つく暇もないほど目まぐるしい日々だったけれど……私達を受け入れてくれて、助けてくれた人達のおかげで、こうして今を過ごせているわ。決して、私達は不幸ではなかったのよ』

 

『あらリオ、こちらの世界に来てから少しポジティブになりましたね、良い傾向です。ですが、どさくさに紛れてマオさんの頭を撫でないでくださいね。気に障ります』

 

 気丈に振る舞う二人の姿は、とても大人に見えた。

 

 

 楽しそうに廊下を歩く三年生の姿を見て、ほのかに暗い気持ちが募る。

 

「……本当に、こんなんでいいのかな……」

 

 僕の独り言が、賑やかな廊下の喧騒に消える。 

 

 約束の待ち合わせ場所まで、あともう少しだ。

 沈む気持ちを振りきるように、僕は足早に廊下を駆けていった。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 間もなくして目的地に到着した。

 

「ここがあの女の教室ね……お邪魔しまーす」

 

 顔だけ出して、教室の中をチラッと覗いてみる。

 

 教室には数名の生徒が砕けた様子で談笑しており、のどかな雰囲気が漂っていた。

 先輩ばかりだったらアウェー感に耐えられなさそうだったが、これなら安心だ。

 

「───あっ、来たきた! こっちこっち~!」

 

 よく通る声が教室に響く。

 そこには机の上に腰掛ける、待ち人の姿があった。

 

「遅れてすみません、アスナさん」

 

「そんな畏まんないで! そろそろマオちゃん来そうだなーって、ちょうど思ってたところだから!」

 

 そう言ってアスナさんがニコーっと笑う。

 犬のような人懐っこさを感じさせる笑顔だった。

 

 

 この人はアスナさん。僕の1個上の先輩だ。

 

 仲良くなったきっかけは、アスナさんが学校の階段の前でボーッとしているところを僕が教室までおぶったのが発端だ。

 以来、たまに休日におでかけする仲だったが、今回は放課後に集まろうと誘われたので、教室に集合となった。

 

「ほら、そんな風にずっと立ってないで! こっち座っていいよ!」

 

「はーい、失礼します」

 

 誘導されるがまま教室に入り、机に座らされる。

 自分の机以外あまり座ったことがないので変な感覚だった。

 

「今日はアリスちゃんと一緒じゃないの?」

 

「アリスちゃんならクラスメイトに誘われてカラオケに行ってますね。クラス全員で行ってるらしいですよ」

 

「そうだったんだ。アリスちゃんのクラスは仲良しさんなんだね」

 

「そうみたいですね。アリスちゃんの人柄もそうですが、良縁に恵まれたようで良かったです」

 

「……あれ、マオちゃんは行かなかったの? アリスちゃんなら一緒に誘いそうだけど」

 

「一応誘ってはくれたんですが、僕が集団が苦手なのでパスしました。行っても場違いですしね」

 

「ええー、勿体ない」

 

「それにアスナさんと遊ぶ方が万倍楽しいので」

 

「嬉しいこと言うね~! このこの~!」

 

 アスナさんがグリグリと体を押し付けてくる。

 髪の毛が耳にくすぐったく触れた。

 

 今更だが、カラオケでアリスちゃんの歌を聞くチャンスを逃したのは惜しいことをした。

 そのうちお家カラオケを開催しよう。騒音問題で部屋の上下左右から壁ドンされるのも覚悟の上だ。

 

「すんすん……」

 

「なんか匂い嗅いでます? たぶん汗臭いだけだと思うんですけど」

 

「マオちゃんシャンプー変えた? いつもと匂い違うね」

 

「マジですか。シャンプーは変えてないですが……あっ、ミストの匂いですかね? 紫外線でパサつきがちなのでその対策で……」

 

 七月に入ってから、アリスちゃんが虫取りをしに外出する頻度が増えた。

 大体僕も同行するので、ミストはそのためのものだ。

 

 ちなみにアリスちゃんは帰宅してからもクーラーの効いた部屋で『ぼ○なつ』をプレイし、そっちでも昆虫を乱獲している。

 現実でもゲームでも虫取りやってて頭おかしくなりそうだ。

 

「ほんとだ~、髪つやつやしてるね!」

 

「△△がおすすめですよ。匂いもキツくなくて」

 

 アスナさんは僕よりもずっと綺麗な髪なので、余計なお世話だと思うが。

 

「それなら今度、一緒にお店に行って選ぼっか! あと、出遅れちゃったけど夏服も買いに行きたいし!」

 

「いいですね、アスナさんの夏服見たいです。ぜひ行きましょう」

 

 以前はヘアケアやファッションなんて趣味の二の次だったが、アリスちゃんの身だしなみに気を遣ってるうちに、自然と自分にも気を遣い始めた気がする。たぶん良い兆候だ。

 

「そういえば相変わらず長袖だね。暑くないの?」

 

「長袖好きなので大丈夫です。日焼け対策もバッチリなんですよこれ」

 

 まあクソ暑いことに変わりはないのだが。

 可能なら現実改変物みたいに全裸登校したい。暖かくなると裸族の血が騒ぐのだ。

 

 

 そんな犯罪者予備軍みたいなことを考えていると、アスナさんが思い出したように声をあげた。

 

「それじゃあ始めちゃいますか……お菓子パーティー!!」

 

「いぇーい!」

 

 アスナさんが盛り上げるのと一緒になって、僕もパチパチと拍手を送る。

 ちょっと声のボリュームがデカすぎて教室に響いてしまったが、関係ないとばかりにアスナさんはお菓子の詰まった袋を取り出した。

 

「じゃじゃーん、アスナちゃんセレクトで~す!」

 

 アスナさんがバケツをひっくり返すように、机の上にお菓子を広げる。

 お菓子がところ狭しと並び、繁雑感に目移りした。

 

「おお~駄菓子系ですか。大したものですね」

 

「でしょでしょ! 懐かしくってたくさん買ってきちゃった!」

 

「ウチの購買って駄菓子ありましたっけ」

 

「ううんないよ。お昼休みに抜け出して、駄菓子屋さんで買ってきちゃった」

 

 フッ軽すぎる。

 最寄りの駄菓子屋まで結構距離があるはずだ。

 

 まあ他ならない僕も、出来立てのお弁当が食べたくて昼休みに学校を抜け出し、行き付けの弁当屋さんに行ったことはある。

 残念ながら看板娘ちゃんはいなかったし、道中で夜勤明けのフラフラなリオさんに見つかって有無を言わさず吸われた(猫吸い的な意味で)だけだった。

 あのリオさんを挙動不審にしてしまうなんて、やっぱりブラック企業は恐ろしいところだ。将来は働かないことを心に決めた。

 

「あははっ。この学校、服装以外は校則厳しいから見つかると怒られちゃいますよ」

 

「だいじょぶだいじょぶ! ちゃんと先生たちにも駄菓子のお裾分けして、買収してきたから!」

 

 流石アスナ先輩。心臓が強いうえに発想が強かだ。

 コ○アシガレットを煙草のように咥えながら「まあそのせいで抜け出したのバレちゃったんだけどね~」とカラカラ笑うアスナさんをあとに、僕もお菓子を出すことにした。

 

「お次はマオちゃんセレクトです。ご照覧あれい!」

 

「わーい!」

 

 雨みたいに細かいアスナさんの拍手を浴びて、僕もお菓子を机の上に出す。

 

「テッテレー、僕が持ってきたのは何を隠そう、知育菓子です!」

 

「へぇ~! なにこれ面白そー!」

 

 アスナさんがお菓子の箱を手に取り、パッケージをまじまじと見つめる。

 

「ええー!? これでお寿司が作れるんだ!」

 

「ふっふっふっ、なんとハンバーガーやたい焼きも作れます!」

 

「すごーい! 色んなのがあってお祭りみたいだね!」

 

 期待以上の反応を見せてくれるアスナさん。

 僕も鼻が高くなった。

 

 多めに買ったので、帰ったらアリスちゃんにも紹介しよう。

 きっとアスナさんと同様、喜んでくれるはずだ。

 

 

 駄菓子と知育菓子。

 持ち寄ったお菓子を開封して菓子パを開催した。

 

「私はこのヨーグルトのやつ食べちゃお~」

 

「じゃあ僕は知育菓子から」

 

 机の上がカラフルに賑わう。

 今から駄菓子屋さんを開けそうだった。

 

「あっ、そういえば作るときに水が要るんでした」

 

「お水? へぇ~知育菓子って変わってるね」

 

「ちょっと僕、水汲みに蛇口まで行ってきますね」

 

「お水だったら私の水筒の残りあるよ。使う?」

 

「え゛っ゛……いいんですか?」

 

「うん、マオちゃんが気にしないならどーぞ」

 

「あざます!!」

 

「アハハっ、元気な返事ー!」

 

 美少女ギャルの飲みかけ……その手の業界でオークションが開かれ競り合いになりそうな代物だ。いいのだろうか。

 

「溢さないように気をつけてね」

 

 しかしこれは、先輩であるアスナさんのご厚意だ。

 断れば逆に失礼なので、ありがたく頂こう。

 

 アスナさんから水を分けてもらい、ドキドキしながら付属の粉末と水を混ぜていく。

 次第に色が変わっていき、ねばねばしてきた。

 

「そういえば関節キスだね~」

 

「そ、そうですね」

 

 子ども向けのお菓子が若干アダルティーになった気がしなくもないが、煩悩を消し去るように練り練りした。

 

「ねえねえ、これ見て!」

 

 練ったものにキャンディチップを合わせて味わっていると、アスナさんが勢いよく話しかけてきた。

 

「おー、久しぶりに見ました」

 

「一個だけ酸っぱいガムなんだって! せっかくだしマオちゃんも食べない?」

 

 アスナさんが見せてきたのは、1個だけ味が酸っぱい5個入りのガムだった。

 ……あれ、既に3個ない。

 

「もう3個食べちゃったけど、全部甘いやつだったから大丈夫! 今から勝負しよ!」

 

「……フッ、望むところです」

 

 僕は心の中でほくそえむ。

 アスナさんは三回連続でアタリを引いている。四回連続で引く確率は低いだろう。

 

 僕とアスナさんは残ったガムを1個ずつ摘み、口に入れた。

 

「…………すっぱいッ!!」

 

「アハハっ! マオちゃん当ったり~!」

 

 酸味が口の中に広がり……OCです。

 僕はひょっとこみたいに口をすぼめた。

 

「うふふっ、変な顔~!」

 

 酸っぱそうにする僕を見てアスナさんが笑う。

 おかしいだろ、確率論的に考えて……!

 

 僕はアスナさんの運の良さを改めて痛感した。

 最近ハマったソシャゲのガチャをアスナさんに引いてもらったらUR9枚抜きしていたし、きっと運命が味方しているに違いない。

 

「マオちゃんマオちゃん! これ見て~! 」

 

 この運の良さ、何か悪用できそうだ。

 そんなことを考えていると、アスナさんがスマホ片手に体を寄せてきた。

 

「わあ、大型犬ですね。ふわふわしてて可愛いです」

 

「でしょでしょ! 散歩してたところを飼い主さんに撮らせてもらったんだ! 可愛かったな~!」

 

 アスナさんには悪いが、大型犬よりも僕の肘にあたる大きなものが気になって仕方ない。圧迫祭りだ。

 

「……んん、どうかしたの?」

 

「あっいえ、大きなおっぱ……でかぱ……ワンちゃんだなと思って」

 

 なるほど、運の良さと言っても、何も金銭欲や物欲を満たすだけじゃ能がない。ラッキースケベ的な使い道もあるのだ。

 こうしてまた一つ知見を深めることができた。

 

「だよね~! 小さいのも可愛いけど、私は大きいほうが愛嬌たっぷりで好きかな!」

 

「ですよね、僕も大きいの好きです」

 

「そういえばここ、エアコンの効き悪くない? ちょっと暑いかもー……」

 

 

 そんなことを言いながらブラウスのボタンを一つ外すアスナさんを眺めていると、窓の外のグラウンドから雄々しい声が響いてきた。

 

 反射的に窓の方角を向く。

 

 ここは校舎の三階だ。

 冷え性の僕には効きすぎた冷房のある室内と対照的に、外は太陽がカンカンと照っている。

 カーテンの開かれた窓には青が澄み渡っていて、掴めそうなほど大きな入道雲がにょきにょきと生えていた。

 

「この音、野球部ですかね」

 

 野太い歓声に続いて、『カキーン』とバットの金属音も聞こえた。

 

「ほんとだ。こんなに暑いのに頑張ってるね」

 

「甲子園も近いですしね。きっと気合いが入ってるんだと思います」

 

 そうか、放課後は部活動の時間なのだ。

 放課後に学校に残ったことがないので忘れていた。

 

「……青春って感じですね」

 

「そうだね。青春って感じ」

 

 耳を澄ますと、遠くから吹奏楽の練習する音がする。

 夏の暑さに負けず努力している学生の息吹きが校内に満ちていくのを感じた。

 

「部活動かぁ……縁のない世界だなぁ」

 

 何かに熱中している同級生と、何もしていない自分の姿を自動思考のように比べてしまう。

 劣等感に少しだけ辟易した。

 

「マオちゃん、私と一緒で帰宅部だもんね。中学の頃は何かやってたの?」

 

「いえ、中高と帰宅一筋でした。アスナさんは部活動の経験ってありますか?」

 

「私はキヴォトスにいた頃、C&Cっていう集まりでお掃除とかしてたよ。楽しかったな~」

 

 はぇー、掃除の部活動なんてあるんだ。

 アスナさんに掃除するイメージはないが、奉仕活動みたいで立派だと思った。

 

「それに、制服がメイド服で可愛いんだよ」

 

「ふむふむ、興味深いですね」

 

 気になる単語が出てきたので、アスナさんの昔話に耳を傾ける。

 メイド服が制服だなんて、その部活動を作ったひとはセンスが良い。素敵な感性をお持ちのようだ。

 

 メイドという単語から、実家で暮らしているクール系おもしれー女こと、妹ちゃんのことを思い出す。

 一人暮らしを始めてから携帯でのやり取りしかしていないが、元気にしているだろうか。今年の夏休みに帰省するのもアリかもしれない。

 

 ちなみにメイド服のスカート論争だが、個人的にはロングもミニも好きなのでどっちもあり派だ。

 一つだけ物申すとすれば、僕はガーターベルトやリングといった足元の装飾が好きなので、メイド服にガーターはマストであってほしい。あと下着も黒白のモノトーンであるべきだ。

 僕の意見は以上なので、あとは好きに殺し合ってほしい。

 

「……っていうことがあってね、アリスちゃんも部活動に入ってたんだよ。確か……」

 

「ゲーム開発部でしたっけ?」

 

「そうそう、ゲーム開発部。ヘンテコなゲームばっかり作っててね。見ていて飽きないし面白かったな~」

 

 ゲーム開発部。

 アリスちゃんが所属していた部活動の名前だ。

 

 実態はよく知らない。

 というか、詮索せずにいた。

 キヴォトス出身のアリスちゃんにとって、特にゲーム開発部の話題は彼女のホームシックを刺激してしまうのではないかと懸念していたのだ。

 

「マオちゃんも部活動始めてみたら?」

 

「ウ~ン。あまりイメージが湧かないし、気乗りしないかもです」

 

「野球とかどう? 私を甲子園に連れていって!」

 

「そんな海に行く感覚で……」

 

 アスナさんの無茶振りに乾いた笑いをこぼす。

 連れていくなら甲子園よりも普通に遊園地とかでデートがいいです。

 

 とりあえず部活動は今はいいや。

 気が向いたとき、それこそ進学でもして、サークルくらいのノリで始めよう。

 そっか……二年後には進学か就職しないとなのか……。はぁ。

 

 来年は受験生という現実を思い出して打ちひしがれていると、アスナさんが音を立てて立ち上がった。

 

「それだよそれ!!」

 

「えっ、どれですか?」

 

 

「───海っ! 海いこう!」

 

 

「う、海ですか? 僕は全然構わないですけど……」

 

 突拍子もない提案に僕は目をぱちくりさせる。

 

 なるほど、海か。

 海水浴シーズンにはまだ早いが、行くだけなら良いかもしれない。

 

 僕はアスナさんらしいなと思い、苦笑した。

 

「いいですね、海。じゃあ明日にでも行きますかー……なんつって」

 

「今から!!」

 

「明日って今!?」

 

「そうと決まれば出発しよっ!」

 

 そう言うと、アスナさんはたくさんのお菓子を抱えて、教室中を駆け回った。

 ティッシュ配りの要領で、教室にいた生徒たちにお菓子を片っ端から配っていった。

 

「はいっ、これどーぞ! 君にもこれあげるね!」

 

『こ、これがオタクに優しいギャル……!』

『実在した……父さんは嘘つきじゃなかった……!』

 

 一部の男子生徒が感涙している様子を眺めながら、僕も支度を始める。

 

 なんかこの展開アリスちゃんとよくやるなぁとデジャブに耽ながら、友達と行く初めての海にワクワクした。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 弾丸ツアーを決行してから、数時間後。

 一足早い海を堪能して、僕とアスナさんは帰りの電車に乗っていた。

 

 電車が重たいブレーキ音を鳴らしながらゆっくりと止まる。

 自宅から最寄りの駅に到着した。

 

「じゃあ僕、ここで降りますね。アスナさんも気をつけて帰ってください」

 

「うんっ、マオちゃんもまたね! またどこか遊びいこうね~!」

 

 アスナさんが手の平を向けてきたので、僕はそれにハイタッチをして電車を降りる。

 

 電車を降りると、入り口で待っていた人の波が押し寄せてくる。

 すぐに電車は人でぎゅうぎゅうになり、アスナさんは見えなくなってしまった。

 

 ポケットのスマホが振動したので開くと、アスナさんから「ばいばい!」とスタンプが送られてきた。

 こういうところ、つくづく可愛くて元気をもらえる先輩だなと思った。

 

 

 疲れで重たい体に鞭を打ち、改札を通る。

 駅を出ると、オレンジ色の光が眩しく空から照らしていた。

 

「帰りの電車から見た夕焼け、綺麗だったなぁ」

 

 遊び疲れて寝てしまったアスナさんの頭を肩に感じ、車窓に映った太陽を見るのは青春って感じがした。

 また遊びに行きたいものだ。

 

「さーて、アリスちゃんもそろそろ帰ってくる時間だし、僕も帰らなきゃ」

 

 駅前は人混みでごった返していた。

 部活終わりの学生、会社帰りの社会人らしき人たちがたくさんいた。

 

 人酔いしそうになるのを避けるように空を見上げる。

 オレンジに沈んでいく街並みは蛍光色に色めいて、西へ流れていく雲は太陽の温もりが溶け出している。

 夏の夕方は明るく、時計を見てから時間の遅さに気がつくくらいだった。

 

 

 喧騒のやまない街の一員になって歩く。

 すると、背後から駆け出す足跡が近づてきた。

 

「…………マオーっ!!」

 

「わぶっ!」

 

 飛び込むような勢いで、誰かが体の横に引っ付いてきた。

 ふわっと制汗剤の匂いが漂う。

 

 流れるように、僕の腕をホールドするように組まれる。

 いつかのテレビで見た、万引きGメンが万引き犯を事務所に連れていく様子を思い出した。

 

「なにやつ!」

 

「アリスです!」

 

「アリスちゃんだやったー!」

 

 察しの通り、正体は案の定というかアリスちゃんだった。

 今朝はおろしていたはずの髪が、今は暑かったのかポニーテールになっている。突然のギャップ萌えに僕の心を万引きされそうになった。

 

「もしかしてカラオケ帰り?」

 

「はいっ! ついさっき、パーティーメンバーと解散したらマオを見つけました!」

 

 アリスちゃんが後方を振り向く。

 僕も後ろを見ると、アリスちゃんのクラスメイトと思われる集団がこちらに手を振っていた。

 

『またねーアリスちゃん!』『バイバーイ!』

 

「さよーならですっ! また明日会いましょうー!」

 

 見送りに応えるように、アリスちゃんもブンブンと手を大きく振った。

 

 夏の暑さを忘れるほどの温かい光景に、胸がジーンとなる。

 どうやらクラスでは、愛されキャラとして不動の地位を確立してるようだ。

 

「カラオケは楽しかった?」

 

「楽しかったです! アリス、前にアイドルにジョブチェンジしたときの経験値が活きました!」

 

「へー、アイドルなんてしてたんだ。まあアリスちゃんならピッタリだけれど」

 

 アリスちゃんからカラオケの思い出話を聞きながら、帰路を歩く。

 お互いに汗をかいているせいで、組んだ腕が動いて擦れるたびにベタベタした。

 

 日が傾き出して、僕たちの影が夕日で大きく伸びていく。

 くっついて歩いているせいで、アリスちゃんと影が重なっている。

 地面に写る影が、四本足でのそのそと歩くモンスターに見えた。

 

「マオも放課後、どこか遊びに行ってきたんですか?」

 

「うん、今日はアスナさんと一緒に海まで行ってきたんだ」

 

「いいですね! 海、アリスも行きたいです!」

 

 海では足をちゃぷちゃぷしたり、水をかけあったりした程度だ。

 

 ぜひとも、今度アリスちゃんと海に行くときは海水浴をやりたい。

 なぜならアリスちゃんの水着を見たいから。三分の一の純情な感情だ(三分の二は下心)

 

 そういう意味では今日の海は下見にもなった。

 次回は食事の準備とかもして、入念に海に臨もう。

 

「海は皆のトラウマでお馴染みの水中ステージ……アリス、楽しみです!」

 

「ふふっ。僕も楽しみだよ」

 

 腕を組む力がぎゅっと強くなる。

 アリスちゃんの体温が直に伝わるおかげで夏の暑さに拍車をかけていたが、楽しそうにする彼女を見てたら「まあいいか」となる。

 嬉しい暑さとして噛みしめておくことにした。

 

 

 アパートに向けて、夕日を浴びながら歩みを進める。

 

『くぅ~』

 

 聞こえてきた、空腹を告げる可愛らしい音。

 アリスちゃんの方からだった。

 

「アリス……たくさん歌ったのでお腹が空きました。空腹ゲージがピンチです……」

 

 顔の濡れたア○パンマンみたいに、アリスちゃんはいつもの元気が沈下していた。

 

「奇遇だね……実は僕も、さっきからお腹が減ってフラフラしてるんだ……」

 

 元気がないのは僕もだった。

 低血糖になりがちな体質なので、アスナさんと遊んでから疲れたのか、少しだけ震えと冷や汗が出ている。

 実はさっきからアリスちゃんにほとんど体重を預けて歩いていた。

 

 アリスちゃんと一緒に千鳥足で歩く。

 ちょっと歩いたところで、アーケードの屋根が目に入った。

 

「ここの商店街で、買い食いしちゃおっか……」

 

「いいですね……。アリス、買い食い大好きです……!」

 

 背に腹は変えられない。

 危機的状況を脱するため、僕たちは寄り道することにした。

 

 

 アーケード商店街の中は、ガヤガヤと賑わいを見せていた。

 

 夕食の準備をする主婦層が散見される。

 駅前の喧騒と異なった騒がしさに、どこか安心感を覚えた。

 

「ふわあ~……良い匂いです」

 

 ふと香ばしい匂いが鼻に届く。

 揚げ油のパチパチした黄金色を連想した。

 

 自然と鼻と体が誘われてしまう。

 匂いがしたのは、お肉屋さんの方からだった。

 

 店内のショーケース越しに並ぶコロッケを見て、アリスちゃんが反応する。

 

「美味しそうです……!」

 

「コロッケか……久しぶりにいいね。折角だし一つ食べて行こっか」

 

「はい!」

 

 胸を高鳴らせながらお肉屋さんの暖簾をくぐる。

 

 入ると同時に、揚げ物の包みを持ったお客さんが店から出ていく。

 どうやら繁盛しているようだ。

 

「わあ、色んな種類のがあります……!」

 

 ケース越しの揚げ物を眺めて、アリスちゃんが目をキラキラさせる。

 

「カニクリームコロッケに、すき焼きコロッケ……たまごコロッケも美味しそうです……!」

 

「ここのお店、揚げ物が色々あって楽しいよね。

 ううむ……コロッケも良いけど、ごぼうメンチカツも美味しそうだなぁ」

 

 揚げ物を前に、二人で睨めっこする。

 これは決めるのに時間がかかりそうだ。

 

「……あら、マオちゃんじゃない。いらっしゃい」

 

「あっ、おばさん。ご無沙汰です」

 

 お肉屋さんのおばさんから声をかけられた。

 顔見知りということでたまにサービスもしてくれる、気前の良いひとだ。

 

「ちょっと見ない間に大人っぽくなったわ」

 

「やっぱりそう思います? へへっ、僕も三日会わざれば刮目して見よ、ってやつですね」

 

「まだまだ中身はこどものままね」

 

 僕が胸を張って自慢気にすると、鼻で笑われた。

 

「あと、たまには弁当屋のところのフウカちゃんに会いにいきなさい。寂しがってたわよ」

 

「フウカちゃんが寂しがる? 全然そんなイメージないですが……分かりました、今度会いに行きます」

 

 世間話をしていると、おばさんの目がアリスちゃんに向いた。

 

「むむむ、悩みます。ビ◯ンカとフ◯ーラの選択肢よりも難しいです……!」

 

 アリスちゃんは話し込む僕たちに気づかず、どのコロッケを買うか悩んでいた。ちなみに僕はフロ◯ラ派だ。

 

「あの可愛いお嬢さんはお友達?」

 

「いえ、彼女です」

 

「ということはお友達ね」

 

 秒で嘘を看破される。これが年長者の余裕か。

 

 ついでに名前を訊かれたので、今度は正直に答えた。

 

「そう、名前はアリスちゃんって言うのね。うふふ、よかったわ……良いお友達ができたみたいで」

 

 おばさんが優しそうな眼差しで微笑む。

 ちょっと照れ臭いからそんな目で見ないでクレメンス。

 

「……アリス、決めました! 牛肉コロッケにします!」

 

「はい、まいどあり。マオちゃんは?」

 

「僕はすき焼きコロッケにします」

 

「はいはい。揚げたてだから美味しいわよ」

 

 注目を聞いたおばさんは流れるような手つきでコロッケを取り出し、小さい紙に包んでくれた。

 

 アリスちゃんがホクホク顔でコロッケを受け取る。

 店頭に並んでいるものより大きいものだった。

 

「どうぞ、彼女さん。大きいのにしといたからね」

 

「わーい! ありがとうございます! ……彼女さん?」

 

 おばさんの冗談にアリスちゃんが小首を傾げる。

 僕への意趣返しのつもりだろうか。あとで訂正しよう。

 

 僕たちはサービスしてもらった分、元気なバイバイをしてからお店を出た。

 

 

 

 商店街を歩きながら、コロッケを一口かじる。

 熱々でホクホクだった。

 

「おいひいれす!」

 

「ね、美味しい」

 

 さくっとした衣と甘じょっばいタネがとても美味しい。

 暑い日こそ、こういう熱いものを食べたくなるものだ。

 

 指についてしまった油分を舐めて取ると、既に食べ終わっていたアリスちゃんが話しかけてきた。

 

「マオ、彼女さんとは何ですか?」

 

 純粋な目でアリスちゃんが訊いてきた。

 先ほどのおばさんの冗談をまだ覚えていたらしい。

 

「彼女っていうのは……付き合っている相手。女性の恋人を指す言葉かな……?」

 

「恋人……どんな職業(ジョブ)なんですか?」

 

「うーん、役職というよりは関係性の名前かも」

 

「何をしたら、恋人ができるんですか?」

 

 最後の質問に「そんなの僕だって知りてーよ」言いたくなるもグッと堪える。何をしたらできるんですかね……たははっ。

 

 言われてみれば、恋人の定義って何だろう。

 下唇に指を当てて考えてみる。

 

 某ヒーロー漫画で『恋人っていうのは二人で遊園地に行って手をつないでクレープを半分こする事だろ!』と言っていたクソナードを思い出した。トガちゃんの太ももチウチウしたい。

 僕の頭の中には、ネット掲示板とアニメや漫画の知識しかないので、答えが思いつかない。

 

 さて、どう答えたものか。

 僕が返答に悩んでいる間も、アリスちゃんは珠のような目でこちらを覗いていた。

 

「恋人っていうのは……精神的な支えになってくれる人とか、ありのままの自分でいられる人とか? キャッはずかしっ」

 

「友達や家族みたいなものでしょうか?」

 

「いや、それとはまたちょっと違うと思うけど……」

 

「その理屈なら、アリスとマオは恋人ですか?」

 

「ぐう……」

 

 アリスちゃんの指摘に反論できず、ぐうの音が出る。

 論文発表の口頭試問並みに追い詰められてしまった。

 

 なにかアリスちゃんが納得できる、良い答えないものだろうか。

 ───あっ、そうだ!

 

「アリスちゃん、恋愛ゲームやってみる?」

 

「恋愛ゲームですか?」

 

「そうそう、ギャルゲーとかエ◯ゲーとか」

 

 我ながら良い思い付きだ。

 

 アリスちゃんはゲームに対して感受性の高い子だ。

 ゲームを通じてなら恋愛も分かりやすいだろう。

 

「アリス、恋愛ゲームやってみたいです!」

 

 その言葉を聞きたかった。

 僕はひそかに拳を握りしめる。

 

 これまで買い集めてきた秘蔵のゲーム達が、とうとう日の目を浴びる時が来た。

 過去の人は言った。『C◯ANNADは人生』だと。

 それくらい、美少女がヒロインとして出てくるストーリーゲームというものは素晴らしいのだ。

 

 さて、アリスちゃんには何をプレイしてもらおうか。

 

 当然、エッチなやつは死刑! 勧めるなら全年齢版だ。

 アリスちゃんにはまだ早いし、濡れ場って重要度自体はあまり高くないし(意見は別れる)

 初心者ならあれも良いし、あれも捨てがたい。いや、アリスちゃんはノベルゲームに心得がありそうだし、いっそあれにしようか……。

 

「……来週から夏休みですね、マオ」

 

 一人で思考の海にトリップしていたところを、アリスちゃんの声で戻ってくる。

 

 そうか、もう夏休みか。

 去年の夏休みは、実家に帰省して妹とひがなダラダラし、たまに中学校の同級生と遊んだ程度だ。

 

「そうだね。……今年は何をしようかな」

 

 僕の呟きに、アリスちゃんが口角を上げて答えた。

 

「マオ、夏休みはデイリーミッションがいっぱいです。海に行って、カブトムシを捕まえて、プールで泳いで。あと、恋愛ゲームもやって、色んなことを楽しんで……」

 

 アリスちゃんのポニーテールが楽しそうに揺れた。

 

「たくさん思い出を作りましょうね!」

 

 花が咲くみたいに、アリスちゃんが屈託なく笑う。

 つられるように僕も笑みを浮かべた。

 

 どこまでも雲が伸びている夏の夕空に思いをはせる。

 雲の向こうには一番星がひっそりと浮かび、僕たちの帰りを見守っているようだった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

『マオ先輩~、私だよ~』

 

「はいはーい」

 

 優雅にコーヒーをすすっていた休日の朝。

 インターホンが鳴ったので扉を開けると、そこにはエイミちゃんがいた。

 

「おはよう、マオ先輩」

 

「おはようエイミちゃん。出会い頭に疑問なんだけど、なんでお○っぱい丸出しなの?」

 

「これ、どうぞ」

 

「なあにこれ……夕涼み会?」

 

 エイミちゃんからチラシを一枚もらう。

 文面には大きな字で『夕涼み会』と書いてあった。

 

「そう、夕涼み会。軽く説明するね」

 

 エイミちゃんの説明を聞きながら、プログラムを流し見する。

 

「実は今年の夏から、アパートの中庭を使って夕涼み会をやることになったの」

 

「ふむふむ、風流でいいね。ちなみに企画者は……」

 

「ヒマリ先輩だよ」

 

 だと思った。

 

 案内文の見出しに目を通す。

 規模で言うと、アパート近隣に住んでいる学童が参加するような小規模の集まりらしい。

 このアパートを活用して、地域の方々と交流の場を作るのが目的とのことだ。

 

「日程は今週の土曜日、午後五時から」

 

「今週の土曜日って……今日じゃん」

 

「そこでマオ先輩に、当日の料理を頼みたいんだって」

 

「いやだから当日というか今日じゃ…………えっ」

 

「材料は用意してあるから安心して、ってヒマリ先輩が言ってたよ」

 

「オイオイオイオイ待て待て」

 

 エイミちゃんの説明に苦言を呈そうとした、その時。

 

「エ゛イ゛ミ゛~~!!!」

 

 あまりにも清楚とは形容しがたい怒鳴り声が、山びこのように響く。

 

 近未来的な車椅子が土煙を立てながら、こちらに凄い速度で向かってきていた。

 

「あ、ヒマリ先輩だ」

 

 僕とエイミちゃんの前で、けたたましいブレーキ音を立てながら車椅子が止まる。

 鬼の形相で現れたのは大家さんだった。

 

「エイミ! ようやく見つけましたよ!」

 

「どうしたの先輩」

 

「どうしたもこうしたもありませんっ! 服ですよ服!! 服を着なさい!」

 

「えー。だって暑いし、ニホンは湿度も高いから蒸れるんだけど……」

 

「言い訳無用です! どうするんですか、またご近所で、うちが痴女の出没する変態アパートなんて噂されたら! 大家として沽券に関わりますッ!」

 

 僕も大家さんに同調して会話に入る。

 

「そうだよ、エイミちゃん。そんなパイオツカイデーを小学生が見たら性癖に支障をきたしちゃうよ。ほら、僕だってちゃんと肌着は着てるんだから」

 

「そんな……マオ先輩は脱衣仲間だと思ってたのに……」

 

 仲間だと思っていた僕から梯子を外され、愕然とするエイミちゃん。

 そんな彼女に寄り添うように、僕は『合理的』と書かれた一枚のTシャツ(リオさんから貰った)をそっと差し出した。

 エイミちゃん、残念だけど僕らも変わるときが来たんだ……もうそういう時代なんだよ。

 

「ちなみにマオさん。昨年この地域で発信された不審者情報、あれ貴方ですからね」

 

 えっ、あれ僕だったの。

 なんか年齢と身長体格と人相が僕と合致してるなとは思ってたけど……地味にショックだ。

 

 

 渋々と着衣するエイミちゃんを余所に、僕は大家さんに話しかけた。

 

「ところで大家さん、今日の夕涼み会の件なんですが」

 

「はい、その件ですね。ぜひマオさんに、本日の準備でお力添えしていただきたくて……」

 

 大家さんが自前の美少女スマイルを駆使して、僕の顔をニッコリと眺める。

 あ、これ駄目だ。もう何言っても駄目なやつだ。

 

「というか僕みたいな素人が作って大丈夫なんですか。ほら、衛生面とか」

 

「検体検査も実施済みですし、保健所から許可もいただいてます。問題ありませんよ」

 

「抜かりねえ……」

 

 検体検査なんていつやったっけ……ああ、定期的にアパートでやってる健康診断のアレか。

 ちなみに身長は一センチ伸びてた。嬉しい。あとはアリスちゃんがスリーサイズを測ってて見せ[検閲済み]

 

「はぁ……分かりました。料理の件ですが、喜んで引き受けさせていただきます。よろしくお願いさしすせそ」

 

「流石です、マオさん。話が早くて助かります」

 

 本当はお家でアリスちゃんとゴロゴロイチャイチャする予定だったのに……!

 

 まあいっか。暇なことには変わりなかったし。

 それに、誰かのお手伝いをする方がよっぽど有意義な休日になりそうだ。

 

 アスナさんも過去に奉仕活動に勤しんでいたと聞く。

 僕も頑張らなければ。

 

「マオ、マオ。夕涼み会とは何ですか?」

 

 ついさっきまで居間でゲームをしていたアリスちゃんがひょこっと顔を出し、僕の肩をとんとんと叩いた。

 

「敢えて言うなら、小さい夏祭りかな。地域の皆で集まって、美味しいものを食べたりして、夏の夕暮れ時の涼しさを味わうんだよ」

 

 たぶん地域によって文化差はあるだろうが、お祭りという点は一環しているはずだ。

 

 僕の説明にあった『夏祭り』という単語を聞いて、アリスちゃんが目を輝かせる。

 アリスちゃんもイベントに携わる方が楽しみそうだ。

 

「ではマオさん、よろしくお願いしますね」

 

 準備について軽く説明をしてから、そう言って大家さんはどこかへ去っていった。

 

 どうやら今日も通常運転の大家さんに、ある意味安心した。

 大家さんの無茶振りなんて慣れっこだ。これくらいドンと来いである。

 

 決して重労働を任せられて憎い気持ちなんてない。

 むしろ穏やかな気分だった。

 

 大家さん(清楚(笑)モヤシ貧乳趣味が年寄り顔だけ良い)を見送ってから、エイミちゃんもチラシを携えて僕に別れの挨拶をした。

 

「力仕事なら私も協力できるから、何かあったら言ってね」

 

「うん、その時はお願い。頼りにしてるよ」

 

 エイミちゃんに貸したTシャツが悲鳴をあげているのを見ながら、大家さんと同様に手を小さく振って別れる。

 胸元の文字が自爆前のセルみたいになってたが大丈夫だろうか。再び彼女の乳房が爆発しないことを祈ろう。

 

 

 斯くして、僕とアリスちゃんは夕涼み会の料理を担当することになった。

 

 時間に間に合わないと困るし、余裕を持って午前中から調理を始める。

 アリスちゃんも本格的な料理は初めてだ。これを機に覚えてもらおう。

 

 僕たちは大家さんから教えてもらった通り、アパートの調理室に向かう。

 用意してあったエプロンと三角巾に身を包んだ。

 

「アリス、エプロンアリスにジョブチェンジです!」

 

「うーん可愛い」

 

 エプロンを着た幼妻アリスちゃん……いいな。

 キッチンに立つ後ろ姿を見て結婚とか決意したい。

 

 僕は袖を捲り、アリスちゃんに向かい直った。

 

「アリスちゃん、手はしっかり洗った? ちゃんと洗わないと、コメント欄で洗った厨に絡まれるからね」

 

「ばっちり洗いました! 洗った厨の人達は、首を洗って待っててください!」

 

「よしよし、その調子だよ」

 

 それでは、いざ調理開始である。

 

「まずは下ごしらえだね。野菜から洗うよ。お出しするものだから念入りにね」

 

「了解です!」

 

 アリスちゃんと野菜をジャブジャブ洗っていく。

 美少女に洗われて野菜達も気持ちよさそうだった。

 

「次は具材を切っていくよ。包丁で切るときは、片方は猫の手ね」

 

「猫さんの手、了解です!」

 

 一緒に猫の手を作り、二人で「ニャー」と鳴く。

 子どもっぽいが形から覚えるのは大事だ。

 

「僕は野菜の皮を剥くから、アリスちゃんはそれを一口大に切ってね」

 

「一口……これくらいでしょうか?」

 

「うん、バッチリだね。切った野菜はそっちのボウルに入れてね」

 

 思いの外、順調に下ごしらえを進めていく。

 アリスちゃんは要領が良く、予定よりも早く調理は進んでいった。

 

 

 

 そして数時後。

 

 メインのカレーライス、デザートの白玉シロップが完成した。

 使った調理器具も綺麗に洗い、片付けも終わった。

 これにて準備完了である。

 

 夕涼み会の開始まで、まだまだ時間がある。

 体力ミジンコの僕は準備で疲れたので、どこかで休憩するとしよう。

 

「アリス、ヒマリ先輩のお手伝いに行ってきます!」

 

 アリスちゃんは体力が有り余っているらしく、会場の設営に向かった。若さって凄いな。

 

 どこで休もうかと悩んでいると、アパートの一階に和室があったことを思い出す。

 大家さんが大家特権で私的利用している部屋だ。今日は利用者がいないだろうし使っても問題ないだろう。

 

 さっそく僕は和室に向かった。

 

「疲れたぁ……」

 

 和室に到着し、畳の上にゴロンと横たわる。

 イグサの落ち浮く香りが辺りに漂い、体の力が抜けていった。

 

「ふわぁ……」

 

 まぶたが徐々に重たくなっていく。

 意識が宙に揺蕩い、まどろみの中に溶けていった。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 涼しい。

 昼の暑さが嘘みたいだ。

 

 それに、なんだか魂が抜けたみたいに気怠い。

 随分長いこと寝ていたようだ。

 

 

 目を覚まし、辺りが薄暗いことに気づく。

 日の光を浴びて明るかった和室は、いつの間にか夜のとばりに包まれていた。

 

「…………はえ?」

 

 ヤバい。寝過ごした。

 と、とりあえず、今は何時だ……?

 

 頭を動かそうとすると、畳のすべすべした感触……とは異なる柔らかさを感じた。

 

「……んん?」

 

「あら、マオさん。起きましたね」

 

 なぜか大家さんらしき声が、上から聞こえてきた。

 

「ふふ、幸せそうな寝顔でしたね」

 

 というか大家さんだった。

 畳の香りに混じって、大家さんの優しい匂いがした。

 

 なんでこんなところにいるのだろう。

 

「あれっ、大家さんって主催者ですよね。会場に不在でいいんですか」

 

 掛け時計を見ると、短針が5を過ぎている。

 もう夕涼み会が始まっている時間だった。

 

「あら、マオさんとアリスは今回の功労者ですよ。置いてけぼりになんてしませんよ」

 

 どうやら僕が起きるのを待っていてくれたらしい。

 

 耳をすませば、中庭の方から小さく喧騒が聞こえる。

 お祭り自体は既に始まっているようだ。

 

 

 僕は改めて自分の状況を確認する。

 

 この位置、この姿勢、この角度。

 僕は大家さんから俗に言う……膝枕をされていた。

 

「ところでどうですか? 立てば芍薬、座れば牡丹、膝枕をする姿は百合の花──と評されている天才美少女こと、私の膝枕は」

 

 絶対評されたことないだろと悪態をつきそうになったが、それどころではない。

 

 膝枕をされている状況に、段々と恥ずかしくなってきた。

 

「マオさん?」

 

 頬に熱を感じる。赤くなっているかもしれない。

 僕は顔を隠すように起き上がった。

 

「ま、まあまあ良かったというか、可もなく不可もなくというか……」

 

 蚊の鳴くような声で返事する。

 すると、大家さんがいそいそと隣に寄ってきた。

 

「……ふーん。もしかして照れてます? 照れていますね?」

 

 大家さんが楽しそうに、僕をツンツンと指でつっついてくる。

 そっぽを向いているため顔は見えないが、めちゃくちゃニヤニヤしているのが想像できた。クッソ腹立つ。

 

「まあ無理もありませんね。ミレニアムでは澄みきった純正なミネラルウォーターと謳われた私の膝枕……ウォーターベッドの上位互換と言っても差し支えないでしょう」

 

 大家さんが調子に乗るにつれて饒舌になっていく。

 置いていこう。

 

「じゃあ僕はこの辺で失礼します」

 

「あっ、待ってください」

 

 和室を出ようとする寸前に呼び止められる。

 振り返ると、大家さんがドヤ顔で待ち構えていた。

 

「お忘れですか、マオさん」

 

「……なにがですか?」

 

「私、この状態から立ち上がれません」

 

 そう言うと、僕に向かって誇らしげに両手を広げた。

 

「これは名誉ある使命です。私を運んでください」

 

「…………はぁ」

 

 僕がわざとらしくため息をつくと、大家さんが不服そうに怒った。

 

「な、なんでため息なんかつくんですか!」

 

「いや、いつもの車椅子はどこに行ったんですか」

 

「車椅子なら……暇を出してます。今頃サマーバケーション中かもしれません」

 

 んなわけあるか。

 ふざけた回答にますます置き去りにしたくなったが、膝枕の恩もある。

 

 特に断る理由もない。

 僕は大人しく大家さんの傍に歩み寄った。

 

「まあ、もし体重オーバーで持ち上げられなかったら、大家さんが悪いということで」

 

「そうだったらチョキで殴ります。目を」

 

「なんで人助けする側に失明のリスクがあるんですか」

 

 大家さんが僕の首の後ろに両手を回してから、腰と膝の裏に腕を伸ばした。

 

「よっこいしょういち。……うわ軽っ」

 

「うわとは何です、うわとは」

 

 率直な感想がこぼれる。

 一人暮らしをする前、それこそ僕の実家で大家さんと暮らしていたときはよく持ち上げていたが、昔の感覚よりかなり軽かった。

 

「すみません、思っていたより大家さんが華奢だったのでビックリしました」

 

「……そう言われると悪い気はしませんね」

 

「なんか中学校の修学旅行で行った、伏見稲荷のおもかる石を思い出します」

 

「うふふ、私は御利益ありますからね。きっと良いことありますよ」

 

 膝枕イベントのあった和室を後にする。

 大家さんと喋りながら、中庭につながる廊下を渡った。

 

「私が蝶のように軽いのも勿論ですが、マオさんは小さくて細身なのに意外と力がありますよね。鍛えたりされてるんですか」

 

「小さいは余計です。不思議と昔から腕力はあったんですよ。あとは祖母の介護をしてたときに、姿勢の勉強とかしたので。そのおかげかもです」

 

「むう、それって暗に私をおばあちゃん扱いしていませんか」

 

 他愛もない話を駄弁っていると、渡り廊下が少しずつ明るくなっていく。

 中庭に近づいてきた。

 

「わあ……!」

 

「……うふふ」

 

 視界に飛び込んできた光景に、思わず声が漏れる。

 耳の傍で、大家さんがクスリと微笑んだ。

 

 

 

 夕涼み会の会場に到着した。

 

 会場の中庭は、提灯の灯りで優しく照らされている。

 地域の小学生が賑やかに笑顔を浮かべて、思い思いに屋台を楽しんでいた。

 中庭はお祭りだというのに、どこか落ち着く雰囲気で満ちていた。

 

「はい、ここでいいですよ。ありがとうございます」

 

 僕は中庭がよく見える縁側に大家さんを降ろした。

 

「私はここでしばらくゆっくりしているので、先にマオさんは楽しんできてください」

 

「わかりました。一通り回ったら食べ物を持ってきますね」

 

「ふふ、至れり尽くせりですね。お願いします」

 

 大家さんから見送られて、僕はお祭りを散策することにした。

 

 さて、どこから見に行こう。

 まず始めに目についた、ヨーヨー釣りの屋台にやってきた。

 

「いらっしゃーい。悪いけど、ヨーヨーはもう売り切れ……」

 

「こんばんは、エイミちゃん」

 

「ああ……マオ先輩だった」

 

 既に屋台の片づけを始めているエイミちゃんに会いに来た。

 

「お疲れみたいだね」

 

「うん……店番よりも子どもの相手のほうが疲れた……」

 

 中庭にはヨーヨーで遊ぶこどもの姿がたくさんあった。

 やはり遊び道具は人気だったようで、早いうちに捌けたらしい。

 

「あっ……つーい」

 

 エイミちゃんがパタパタと胸元を仰ぐ。

 今朝あげたTシャツが雨に打たれたみたいにぐしょぐしょに濡れていた。

 

「何か羽織ったほうがいいよ。色々透けちゃってるし」

 

「うーん……。仕方ないし、何か着ようかな」

 

「あれ、珍しく着衣に抵抗がないね」

 

「今日の私は暑さ対策ばっちりだからね」

 

 そう言うと、エイミちゃんは香水のアトマイザーみたいなものを取り出した。

 

「なにこれ……ハッカ油?」

 

「そう、これがあればお手軽に涼しさを感じられるんだ」

 

 なるほど、服が妙に濡れているのはそのせいか。

 恐らく薄めたハッカ油をスプレーにしてかけたのだろう。

 夏場は湯船に入れるライフハックも有名だ。良い工夫である。

 

「流石エイミちゃん。考えたね」

 

「実はヒマリ先輩から貰ったんだけどね。でも希釈しすぎちゃったのかな。効果が薄くなってきたかも」

 

 するとエイミちゃんはボトルのキャップを外し、暑そうにしていた胸元に向かって中身をバシャっとかけた。

 

「わわっ、デリケートな場所にそんなにかけていいの? 結構刺激が強いって聞くけど」

 

「たぶん大丈夫だと思っ……あっあっあ゛っ♡」

 

「あちゃー」

 

 そよ風が吹くたびにエイミちゃんが嬌声をあげる。

 感度3000倍になったらこんな感じなのだろうか。

 

 

 これ以上の描写は危ないので、次の屋台に向かう。

 

 次に訪れたのは、カレーライスの屋台だ。

 屋台を囲むように小学生が集まっている。見るからに大盛況だった。

 

『ユウカお姉ちゃん、ぼく大盛がいい!』『ぼくもー』『わたしも!』

 

「もう~、押さないの! 仲良く順番に並んでね!」

 

 驚いたことに、そこには顔見知りがいた。

 

 僕はカレーライスに並ぶ小学生の列に混ざり、自分の番が来てから話しかけた。

 

「ユウカお姉ちゃ~ん、僕のやつは『美味しくなあれ』の魔法かけてほしいな~」

 

「こ~ら、まだ小学生なんだからそんなダメな大人みたいなこと言ってちゃ……ってマオ!?」

 

「やっほーユウカちゃん。今日も可愛いね」

 

「なんであなたがここに!?」

 

 UFOでも見たみたいに、ユウカちゃんが僕の姿を見て驚く。

 内心では僕もびっくりなのだが、ユウカちゃんの反応が面白いので隠すことにした。

 

「なんでって……僕はこのアパートの住人だよ。別に参加していても不思議じゃないでしょ?」

 

「ま、マオもここに住んでるの!?」

 

「マオも……?」

 

 マオ"も"という発言に引っかかる。

 それじゃあまるでユウカちゃんも、このアパートで暮らしているみたいだ。

 

 お互いの言ったことに固まる僕たち。

 そんな沈黙を破るように、聞き慣れたクラスメイトの声がした。

 

「ユウカちゃーん、予備のお皿とスプーン持ってきましたよ。……あら、マオくんも来ていたんですね」

 

 颯爽と現れたのはノアちゃんだった。

 彼女は僕の顔を見て、柔和な笑みを浮かべた。

 

「もしかして取り込み中でしたか? よければ席を外しますよ」

 

「いや、むしろ来てくれてありがたいよ。ちょっと混乱してたところだったんだ」

 

 休日なので当たり前だが、ノアちゃんは初めて見る私服姿だった。

 ユウカちゃんも同様、普段の制服とのギャップにグッとくるものがある。これは萌えとさせていただこう。

 

『ユウカお姉ちゃんまだー?』『まだー?』

 

「わ、忘れてた……!」

 

 ユウカちゃんが引き続き、子どもたちの配膳に戻る。

 

 僕はノアちゃんに事情を説明した。

 

「ええ、そうですよ。マオくんのおっしゃる通り、私とユウカちゃんはこのアパートの住人です」

 

「そ、そうだったんだ……。ノアちゃんは最初から知ってたの?」

 

「はい、実はユウカちゃんと一年も前から入居していたんですよ。マオくんはいつも登校時間が極端ですから会えないですし、ユウカちゃんの方も気づいていなかったみたいですね」

 

 ノアちゃんから語られた衝撃の事実。

 それはなんと『クラスメイトの美少女二人と同じ屋根の下で暮らしていた件について(△△文庫)』だった。

 雑に文字に起こすと、なんだこの都合のいい展開ってなるな。

 

「そっか、教えてくれてありがと……でも、それならそうと早く言ってくれればよかったのに」

 

「ふふっ、いつ二人が気づくのかなと密かに楽しんでました。ごめんなさい」

 

 そう言って、あざとく舌をペロッと出すノアちゃん。

 あざとさの神アザトースの擬人化かもしれない。実際は盲目白痴ではなく運動音痴だが(体育の授業で跳び箱ができていなかった)

 

 その後も、他の屋台を回っては色んな知り合いと出会い、なんかギャルゲーみたいだなと思いながら夕涼み会を楽しんだ。

 

 

 

 二人分のカレーライスを両手に、中庭をぽつぽつと歩く。

 

 道中で、小学生と一緒に遊ぶアリスちゃん達がすぐ横を走り抜けていった。

 微笑ましい光景に笑みがこぼれた。

 

 賑やかな中庭の中心から外れて、縁側に辿り着く。

 少し遅くなってしまったが、大家さんのもとに戻ってきた。

 

「ちわーす、三河屋でーす。カレーライスお届けに来ましたー」

 

「勝手口ならあちらですよ」

 

「つ、冷たい……」

 

「夏だから丁度いいでしょう」

 

 大家さんと並んで縁側に座る。

 夕涼み会の楽しげな光景を眺めながら、カレーライスを口に運んだ。うん、我ながら美味しい。

 

 チラリと隣にいる大家さんを見る。

 朝焼けの見える海を眺めているみたいに、大家さんは穏やかな横顔をしていた。

 嬉しそうなのが伝わってくる。優しい眼差しだった。

 

「ふむ、壮観ですね。それに、この胸に広がる気持ち……ええ、悪くない気分です」

 

 大家さんが感慨深げに呟く。

 僕はカレーライスをもう一口、小さく口に入れた。

 

 彼女に倣って、僕も静かに目の前の光景を味わうことにした。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 夕涼み会は無事に終わりを告げた。

 

 参加したこども達を全員送り届けてから、今度は会場の後片づけに移る。

 しかし片づけのタイミングで謎のドローン達が現れ、あっという間に終わらせてしまった。

 

 僕が「かがくの ちからって すげー!」と喜んでる間に、中庭はいつも通りの中庭に戻っていた。

 

「むにゃむにゃ……もう食べられないです……」

 

 背中に担いでいるアリスちゃんが舟をこぎ出す。

 考えてみれば、アリスちゃんは今日一日中働きっぱなし、遊びっぱなしだった。

 お風呂がまだだが、今はゆっくり寝かせてあげよう。

 

 

 くたくたの足取りで、我が家に帰ってきた。

 アリスちゃんを寝室に運んでから、僕は大家さんと居間で(くつろ)ぐことにした。

 

「……ふう、ようやく小休止とれますね」

 

「ですね。僕、お茶淹れてきます」

 

「ありがとうございます」

 

 大家さん専用の湯吞みを戸棚から取り出し、お茶の準備をする。

 ポットのお湯が沸くのを待っていると、大家さんが声をかけてきた。

 

「そういえばマオさん……随分と女の子の知り合いが多いようですね」

 

「え、そうですか」

 

 何の話かと思ったら、また突拍子も脈絡もない話だった。

 確かに言われてみればそうかもしれない。男の知り合いは商店街のおじさん達くらいだし。同年代は一人もいない。

 

「マオさんが離れたあとに遠目で見ていましたが……仲睦まじい方が多いみたいで。顔が広いようで感心しました」

 

「はあ、それはどうも……?」

 

「褒めてません」

 

「ひぃん……」

 

 大家さんの理不尽な言い分に情けない悲鳴が漏れる。

 感心したって言ったじゃん。いつの間にこの人京都弁なんか習得したんだ。

 

 僕が困惑している間も、大家さんはクドクドと僕を褒めたり貶したりしてきた。

 じ、自己肯定感が整ってきた……。

 

「と、とにかく! 何を言いたいかというとですね……」

 

 大家さんが身を乗り出して、僕のすぐ近くまで迫った。

 

「…………また前みたいに、ヒマリ、と呼んでください」

 

 さっきまでの覇気が嘘のように、シュンと落ち着いた大家さん。

 そんな彼女から言われたのは、予想の斜め上の一言だった。

 

「……な、なるほど」

 

 何がなるほどなんだと自分にツッコミそうになる。

 大家さんの要求は分かったが、動機とかその他諸々が分からなかった。

 

 それに、今更になって昔の呼び方だなんて……。

 

「大体おかしいのはマオさんですよ! どうしていきなり人の呼び方が職名になるんですか? なんですか、そういう意地悪ですか?」

 

「だ、だって大家さんがそう呼べって言ったんじゃないですか。『ふふん、今日からこのアパートは私のものになりました。どうぞ私のことは超天才清楚系病弱美少女大家と呼んでください』って」

 

「あんなの小粋なジョークに決まっているでしょう! もう時効です、時効!」

 

「面倒くさ……」

 

「い、言いましたね!? 女性へのNGワードを! 許しません!」

 

 大家さんがポカポカと貧弱な拳で殴ってくるのを「どーどー」と宥める。

 

 拗ねたり、大人しくなったり、怒ったり。

 僕より年上なのに、まるで小さい子どもみたいに感情がころころ変わる。見ていて飽きない人だ。

 

「……ふっ、あははっ」

 

「な、なにが面白いんですか!」

 

「ほら、お茶が冷めちゃいますよ。それに、夜に騒ぐとご近所迷惑ですから」

 

 僕は大家さんを適当にあしらい、お茶をすする。

 

「あ、茶柱だ」

 

「……ふ、ふーんだ! マオさんなんて知りません!

 今日の夕涼み会はありがとうございました! せいぜい疲れて寝ちゃう前にお風呂に入ってくださいね! これにて失礼します!」

 

「あっ、大家さ……ヒマリさん……」

 

 僕が呼び止める間もなく、大家さ……ヒマリさんは帰ってしまった。

 ……今更になって名前呼びだなんて、結構恥ずかしいんですが。

 

 居間を見渡すと、観葉植物のサンスベリアちゃんがにょきにょき伸びている。そのうち僕より大きくなりそうで、少し焦りを感じてきた。

 

 今年の夏はまだまだ暑くなりそうだ。

 僕は水面に揺れる茶柱を見ながら、しみじみ思うのだった。

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