アリスが我が家に現れた 作:ふらちないおちのえちちなおちち
机の椅子に深く座って、背中を丸める。
端から見れば居眠りしているような姿勢のまま、僕はホームルームが終わるのを待った。
蝉の声、冷房の稼働音、先生の声。
一定のリズムを持った教室の音楽。そのどれもが耳を通り抜けていった。
『───というわけで、夏休みだからといって羽目を外しすぎないように』
先生の声が大きくなる度に、思わず体が縮こまる。
理由は単純で、僕は机の陰に隠れて、こっそりスマホを弄っていた。
『ホームルームは以上だ、起立』
先生の号令に従い、生徒たちが机から立ち上がる。
机とフローリングの擦れ合う音が教室中にひしめき合った。
「……あっ」
そんな中、僕は周囲より遅れて反応する。
スマホに集中していたせいだ。
急いで立ち上がるも、ガタンと膝が机にぶつかる。
僕のドジをした物音が教室に響き、少しだけ目立ってしまった。我ながらドジっ子である。
『……礼。それでは、二学期も元気な姿で会えるのを楽しみに待ってるぞ』
一学期の最後となる先生の挨拶が終わる。これで先生やクラスメイトと会うのは一ヶ月後だ。
これといった感慨はない。そもそもクラスに知り合いがほとんどいない。僕って寂しい人間なのかな。
放課後が訪れると、教室が喧騒に包まれる。
クラスメイトは帰り支度をしながら近くの友人同士で固まり、興奮した様子で話をしていた。
『よっしゃあ、夏休みキタコレ!』
『海! 水着! ナンパ!』
『とりあえず金が欲しいし、なんか良いバイトねえかな~!』
『こんなアルバイトがあるって! ヘルメットを着けながら謎の団体に混ざってボーッとするだけの高額バイトだってよ! この話うまくね?!』
『うまい! ウッーウッーウマウマ!』
『よっしゃ! さっそく募集のチラシ探しにいこうぜ!』
『募集! 最低保証! 爆死!』
夏休みを讃え、歓喜の声でざわめく教室。
そんなどんちゃん騒ぎから弾かれるように、僕は教室の風景に同化する。
机に座り、電車で目にする現代人のように、静かにスマホをいじり続けた。
スマホと睨めっこを続けて数分ほど経った頃。
机の上に『ボスン』と音を立てて、スクールバッグが置かれた。
なんとなくバッグの置き方に心当たりがあった。
ゆっくりと顔を上げてみる。
そこには仏頂面で僕を見下ろすクラスメイトがいた。
「……ああ、ユウカちゃん」
立っていたのは友人のユウカちゃん。
可愛い顔に不釣り合いなシワを眉間に寄せている。なぜだか少し怒り顔だった。
「てっきり先に帰っていると思ってたよ」
「これから帰るところよ。さっき先生からノアに渡すプリント類を預かりに行ってたの」
ユウカちゃんの手にあるプリントの束がひらひらと泳いだ。
残念ながら今日はノアちゃんが病欠だ。
どうやら夏休みを迎えるほんの直前に、夏風邪を引いてしまったらしい。
現在は自宅で療養中である。下校したらお見舞いに行く予定だ。
ユウカちゃんは鞄にプリントを仕舞うと、改まって僕に話しかけてきた。
「……マオ、あなたってば今日一日中スマホをいじってたでしょう?」
「ギクッ」
ユウカちゃんの鋭い指摘にうめき声が漏れる。
バレていただと……。
ちなみにユウカちゃんの座席は、僕の一個後ろだ。
位置的に死角なのでバレないと思っていたが、流石にずっとイジイジしていたせいで怪しまれたらしい。不覚だ。
「休み時間ならまだしも、授業中も使っていたのは感心しないわ」
おっしゃる通りです。返す言葉もない。
定期的に僕はユウカちゃんから勉強を見てもらっている。
友達の
つまり、100%彼女の善意で成り立っているものだ。
それなのに僕は授業に集中せず、スマホをカツカツと弄り倒してしまった。
この調子で学力不振になったら彼女に申し訳が立たない。明らかに悪いのは僕である。
「ご、ごめんなさい……」
すぐに僕は白旗を上げる。
小さいこどもみたいに謝った。
「もう……授業に遅れて損をするのはマオなのよ。ちゃんと分かってるの?」
ユウカちゃんの厳しくも実は愛に溢れたお叱り。
僕はそれを甘んじることなく受け入れた。
不思議とユウカちゃんに怒られるのって悪くない。
むしろご褒美というか、どこか精神的に満たされるものがある。逆に自己肯定感が上がる感じだ。
これは決して僕がマゾの変態というわけではなく、一般的な感性だと信じたい。
「まったく……駄目な大人になってからじゃ遅いのよ。もしかしてスマホゲームかしら? 何事もやり過ぎは体に毒なんだから、ほどほどにしなさいよね」
注意しつつも、なんだかんだ体のことを気遣ってくれるユウカちゃん。
腰に手を当てて人差し指を立てるお説教ポーズが妙に似合っていて可愛い。アクスタにしたくなってきた。
というかユウカちゃんって性格も良いし美少女だし、銀座の一等地並みに優良物件なのでは?
学生なのに、どこか良妻賢母って言葉が似合う。
根拠はないが、きっとユウカちゃんとなら幸せな家庭を築けそうという確信めいた何かがあった。
「……マオ、さっきから心あらずな顔をしているけれど、どこか具合でも悪いの?」
ずっと黙りこくっている僕を見かねて、ユウカちゃんが心配そうに訊いてきた。
本人を前に、つい妄想に耽ってしてしまうのは僕の悪い癖だ。そろそろユウカちゃんに返事をしなくては。
「私にできることがあれば何でも言って……」
「ユウカちゃん、僕たち結婚しよう」
『バァァン!』と雷鳴のような破裂音が鼓膜に響く。
ユウカちゃんのチョップが、僕の脳天めがけて炸裂した音だった。
「痛い! 暴力反対! ドメスティックバイオレンス!」
「残念ながら私は配偶者でも交際相手でもないわ。よって、DVではないからノーカンよ」
「うぅ、泣き寝入りってことかよ……!」
「いや、流石に私の理屈が通るのも無理があると思うけど……」
ユウカちゃんが困惑しつつ、呆れたようにジト目を送る。
僕とユウカちゃんの間柄ならワンチャンあるかと思ったが、まだまだDVにはカウントされないらしい。もっと好感度を稼ぐ必要がありそうだ(ギャルゲ脳)
「はぁ……心配して損したわ」
ユウカちゃんが二酸化炭素多めのタメ息を吐き、下校する準備を始める。
「ちなみにさっきのプロポーズのお返事は……」
「丁重にお断りします。ムードも最悪だし、マオは女心をもっと学ぶべきね」
「そんなぁ、恋愛なら百戦錬磨のはずなのに……」
「マオに恋愛経験があるように思えないけど」
「そんなことないよ、僕だって彼女がいるんだから。
……だけど照れ屋なのか、ずっと画面の中から出てきてくれないんだ。ふふっ、そんなところもいじらしくて可愛いんだけどね。あと抱き締めると裏面がほんのり温かくて……」
「はいはい、進展があったら教えてちょうだいね。百パーセント貴方の片思いだと思うけど」
ぐぬぬぬ、ちゃんと純愛なのに。
ユウカちゃんにあしらわれながら遊んでいると、教室の外からドタバタと足音が聴こえてきた。
足音は、ちょうど僕達のいる教室の前で止まる。
スパァンと教室の扉が開かれた。
「マオ! とうとう夏休みですね!」
教室に現れたのはアリスちゃんだった。
連日の外遊びのせいか、肌がうっすら日焼けしていて夏仕様である。
しかしアリスちゃんの場合は日焼けしても直ぐに肌が真っ白に戻るので、かなりレアだったりする。つくづく不思議体質だ。
「つまり、サマーセールの時期です! さあ……たくさんゲームを買って、冒険の旅に出ましょう!」
何を言うかと思ったら、アリスちゃんはゲームのダイレクトマーケティングを始めた。
まだ積みゲーがたくさんあるでしょうが! この間買ったフ○ムゲーとか、ちゃんと別EDも回収しなきゃ駄目ですからね! ママ許しません!
僕が財布の紐を固く締めていると、アリスちゃんの目線が僕からユウカちゃんに移った。
「あっ、ユウカです! ユウカも一緒にゲームをやりましょう! パーティーはたくさんいた方がゲームは楽しいです!」
「もうアリスちゃんったら、声が大きいわよ。うふふ」
アリスちゃんの登場に、ユウカちゃんが嬉しそうに顔を綻ばせる。
反応から分かる通り、アリスちゃんとユウカちゃんは旧知の仲だ。
前に二人が再会する場面に立ち会ったことがあるが、ユウカちゃんがアリスちゃんに熱烈なハグをしていたのが記憶に新しい。
同じ学校だったこともあり、特に思い入れのある知り合いのようだ。
いやー、まさかユウカちゃんもキヴォトスとかいう別世界出身だったなんて。
そういえばアリスちゃんの交遊関係だが、ヒマリさん経由でキヴォトスの友達と何人か再会できたらしい。
その中には僕の知り合いも何人か含まれていたので「えっ、そこ繋がりあったの……!?」とびっくらポンだった。世間って狭い。
「あら、急いで来たから髪が乱れてるわよ」
「そうですか? ありがとうございます!」
ユウカちゃんが櫛でアリスちゃんの髪を整える。
アリスちゃんは興奮しながらも、安心しきった顔で髪を梳かされていた。
きっと見知った顔が増えたおかげだろう。
ここ最近はアリスちゃんが寂しそうにしている様子も減ってきた。
僕への密着癖はまだ治っていないものの、数ヶ月前の彼女と比べれば大きな進歩だ。嬉しい限りである。
「そういえばマオ! さっき調べたら、マオが前にF△NZAで買うか悩んでいたエ□ゲーも半額でした! お買い得ですね!」
いけない。社会的に殺される前にアリスちゃんを落ち着かせよう。
「まあまあ、ゲームはダウンロード版なら品切れはないから落ち着いて。あと学校で18禁ゲームの話はやめてね。場合によっては僕不登校になっちゃうから」
「そうなんですか? では次から気をつけますね!」
ふぅ、危ない。こうして僕の名誉は守られた。
アリスちゃんも落ち着いたところだし、そろそろ本題に入ろう。
「ところでアリスちゃん……質問したいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
アリスちゃんが教室に現れた瞬間から。
僕の脳裏には、とある目論見が立てられていた。
なに食わぬ顔で、彼女に一つの質問を投げ掛ける。
胸中に渦巻く、どろどろした怨念を隠しながら。
「アリスちゃんは結婚するなら────僕とユウカちゃん、どっちがいい?」
「は?」
ユウカちゃんが虚を突かれた声を漏らす。
「結婚……ですか?」
突然の質問にアリスちゃんも首を傾げる。
彼女が不思議がるのも当然だ。
白昼堂々、教室に来ていきなりされる質問としてはあまりに唐突だった。
アリスちゃんを困らせる気は更々ないが、どうか僕の目論見のために協力してほしい。そんな祈りも込められていた。
「そうそう、もしも選ぶとしたら、アリスちゃん的にはどっちがいいのかなーって……」
話を続けようとした次の瞬間。
僕の体がフワッと浮いた。
「マオ、あまり変なことばかり言ってると怒るわよ」
「も、もう怒ってるじゃん……アゼルバイジャン……」
ユウカちゃんが塵を見るような目で僕を睨む。
どうやらユウカちゃんに胸ぐらを掴まれ、そのまま持ち上げられたようだ。足元がプラプラした。
なんでキヴォトス出身の方はパワー系が多いの? 惑星ベジータみたいに重力が10倍あるタイプ?
それに胸ぐらを掴まれているというより、もはや高い高いされてるんだけど。赤ちゃんプレイの上級者コースっぽい。
このままユウカちゃんを怒らせて僕が他界他界してしまっては元も子もない。
仕方がないので、我が計画を話すとしよう。
空中に浮きながら、す◯ざんまい社長のように両手を広げる。悪の組織の総統よろしく声高々に語った。
「ユウカちゃん、これはね……復讐なんだよ」
「復習? 勉強熱心なのは良いことだけど」
「違うよ、リベンジの方」
ユウカちゃんの聞き間違いに話の腰を折られかける。
持ち直して話を続けた。
「ユウカちゃんはさっき僕の告白を断ったよね?」
「告白……? え、ええ。そうね」
「告白……いわばプロポーズというのは、人生における一世一代の大勝負。そこに懸けられた情熱や勇気は何事にも代えがたいものだ」
「情熱や勇気は微塵もなさそうだったけど」
「断られた時、僕は膝から崩れ落ちる思いだった。ご飯も喉に通らないくらいにね」
「ベーキングパウダー並みに話を膨らませるわね」
「だからその時、僕はこう思ったんだ。
───許さない、ってね」
「えぇ……」
壮絶な復讐劇。その幕開けに、ユウカちゃんが微妙に困惑していた。
おかしいな。火サスの崖で明かされるレベルの暴露だったのに。
「なんて器が小さいの……」
「ふっ、何とでも言うがいいさ。どうせ僕は人間としての器量も服のサイズもSサイズだよ。
心身共にむちむちで、XLサイズのユウカちゃんには到底理解できないだろうね」
「べっ、別にSやMも着るわよ! 失礼ね!」
誤解のないように言っておくと、ユウカちゃんは出るとこ出ていてメリハリがあるめちゃくちゃ整ったスタイルなので悪しからず。ほんとパーフェクト美少女だなこの子。
「だけど、それがアリスちゃんに言った質問と何の関係があるのよ」
「ふっふっふっ……ユウカちゃんがアリスちゃんのことを大好きなのはリサーチ済み。しかも溺愛レベルでね」
そこに効いてくるのが、質問である『アリスちゃんはどちらと結婚したいか』だ。
「考えてみてほしい。もしも結婚するなら、日頃から自分のご飯を作ってくれていて、一緒に過ごしていて、よくお世話してくれている───そんな人物の方が有利だと思わないかい?」
「まさか……!?」
「フフッ、ユウカちゃんはアリスちゃんのことを大好きだもんね。もしも選ばれなかったら、きっとその精神的なダメージは計り知れないだろうと思ってね」
計画の全貌を話し終え、僕は悪役のような高笑いを響かせた。
教室にいる他の生徒から白い目を向けられる。こんなことばかりしてるから友達少ないんだろうな僕。
「クッ、卑怯よ……!」
ユウカちゃんが苦渋の顔で僕を睨む。
ワッハッハッ、良い表情だ。薄い本でよく見た。
「さあアリスちゃん、選ぶんだ! 君が相手に選びたい方をね」
「うーん、そうですね……」
アリスちゃんが人差し指を頬に当て、悩み始める。
そうして僕とユウカちゃんの顔を交互に見ると、『ピコン!』と彼女の頭の上で電球が光った。
「アリス、決めました!」
賽は投げられた。
アリスちゃんが僕たちのもとに向かって駆け出す。
間違いない。きっと僕を選んでくれたのだろう。
朝から夕まで、彼女の胃袋にお届けされている料理の殆どが僕の作ったものだ。
もはやアリスちゃんの胃袋を鷲掴みにしたと言っても過言ではない。結婚相手として、僕を選ばない道理がなかった。
ユウカちゃんの悔しがる顔がありありと浮かんでくる。
何だったらこのままアリスちゃんを抱き寄せてイチャイチャタイムに入り、ユウカちゃんの脳の破壊に勤しむとしよう。
NTR物の間男側ってこんな気持ちだったのかな。まさか自分があっち側に立てるとは思わなかった。貴重な経験だ。
僕はユウカちゃんから離れて、両手を広げる。
アリスちゃんが飛び込んでくるのを待った。
「結婚するならアリスは──────ユウカがいいです!!」
目の前を通りすぎていくアリスちゃん。
まるで二人の再会を思い出させるように、彼女はユウカちゃんに抱きついた。
「キャッ!?」
抱きつかれたユウカちゃんが目をパチクリする。
飛び付かれて驚いていたが、しっかりアリスちゃんの体を受け止めていた。
…………はぇ?
目の前の光景に対して、頭が真っ白になる。
……何がなんだか分からない。これただのわるい夢だ。きっとそうだ……。
そうだ。これは夢なんだ。
ぼくは今、夢を見ているんだ。
目が覚めたとき、ぼくはまだ12歳。
起きたらアリスちゃんとラジオ体操に行って、アリスちゃんと朝ご飯を食べて、アリスちゃんと涼しい午前中にスイカを食べながら宿題して、午後からアリスちゃんとプールにいっておもいっきり遊ぶんだ……。
僕が卒倒しそうになっていると、アリスちゃんが答え合わせのように口を開いた。
「ド◯クエ5の結婚イベント、アリスはあれを思い出しました! ユウカはフ◯ーラです!」
「ふ、フロ◯ラ……?」
ユウカちゃんが初めて聞く単語に困惑する。
心当たりのあった僕は、瞬間的にゲームの知識が脳を過った。
フロー○って確か、結婚相手に選ぶとお金とか貰える方だったような……あっ。
そういえば聞いたことがある。
ユウカちゃんはこちらの世界で株取引や投資、先物取引などを手広く運用していて、それなりの利益を個人で出しているらしい(ノアちゃん談)
キヴォトスでは、とある事件のせいで巨額の費用が必要になったとき、自身の懐から捻出したくらいの資産家とまで聞いた。
「待てよ、ということは……」
そんな彼女と対照的に、僕はただのしがない学生だ。
実家はそこそこ裕福だったが、個人の貯金は一般人程度。とてもじゃないが張り合えない。
ユウカちゃんと仲の良いアリスちゃんなら、前述の情報は知っていて当然だろう。
「アリスちゃん……つまり、それって……」
「はいっ! ユウカを選べばゲームがたくさん買えます! とってもお得です!」
目の前が真っ暗になり、膝から崩れ落ちる。
……僕はユウカちゃんに負けていたのだ。
それは家事という主婦的な面でもなく、世話焼きというお嫁さん的な面でもない。
ただひとつ、経済力だったのだ。
「ど、どういうことなの……」
ユウカちゃんに抱きつき、はしゃぐアリスちゃん。
床に手をついて項垂れる僕。
僕達を見て、ユウカちゃんは更に混乱していた。
「えっと、とりあえず私の勝ちなのかしら?」
アリスちゃんに引っ付かれて、満更でもない顔をしたユウカちゃんがぎこちなく笑う。
そうだ、その通りだ。この試合……早瀬ユウカの勝ちだ。
そうして僕が愕然としていたのも束の間。
ユウカちゃんが仁王立ちで、僕の目の前にそびえ立った。あっ、ちょっとスカートの中見えそう。
「ふふん、残念だったわねマオ」
「くっ、煮るなり焼くなり好きにしろナリ……!」
「語尾が変よ。
それなら……アリスちゃんを頂いていくわ」
「!?」
そんな、アリスちゃんを……!?
「ユウカ、これからアリスはどこに行くんですか?」
「私と一緒に夕食の買い出しね。あとは、ノアのためにドラッグストアにも寄ろうかしら。解熱剤が切れちゃったし、他にも生活用品の補充がしたいわ」
「そうなんですね! アリスは武力:99ですから、荷物を持つのなら任せてください!」
「うふふ、頼もしいわね。じゃあ行くわよ、アリスちゃん」
「はいっ!」
そんな会話をしながら、ユウカちゃんはアリスちゃんを連れて教室を後にした。
小さくなっていく二人の後ろ姿。
僕はそれを眺めることしかできなかった。
「そんな……あんまりだよ……! こんなのってないよ……!」
教室に僕の慟哭が虚しく響く。
あれほど遠くに聞こえた蝉の声がやけに煩わしい。
教室に射し込む夏の太陽が、僕の情けない姿を照らす。
冷たい汗が滲み出て、頬を伝って床に落ちた。
生徒たちに怪訝な目を向けられながら、教室にポツンと残された僕。
その痛ましい姿は、これから夏休みを迎える生徒たちの脳裏に、一時間弱ほど焼き付くのだった。
◆◆◆
教室での一幕を終えてから。
僕は学校の西側にある駐輪場に向かっていた。
雨の日以来、ずっと置きっぱなしだった自分の自転車を取りに来たのだ。
駐輪場の簡易的な屋根では横からの雨風は防げないし、万が一誰かに悪戯されたら大変だ。
ちょうど今日は単独下校になったので、置いたままだった自転車に乗って帰ることにした。
駐輪場が見えてきた。
日差しを避けて、木陰の下を外れないように進む。
『ヴゥン』
自転車の鍵を指にひっかけて回していると。
ポケットの中でバイブレーションが反応した。
「さっきの返信かな」
スマホを取り出して画面を点ける。
画面にこれまでの会話の履歴が表示された。
『いま学校が終わったところだよ。
これからお見舞いに行っても大丈夫?』
『大丈夫ですよ。
気を遣わせてしまって申し訳ないです』
『僕がやりたくてやってることなんだから、気にしない気にしない。
そういえば昨日、実家から送られてきた梅シロップで梅ゼリーを作ってみたんだ』
『マオくんの手作りですか?
とっても美味しそうですね』
『折角だからお土産にどうかなって。
ノアちゃんは梅って嫌いだったりしない?』
『酸っぱいものは嫌いではないですよ。
梅は好きな方ですが、梅のデザートは食べたことがないので、どんな味なのか気になりますね』
『それならよかった。
さっぱりしていて甘すぎないから、今のノアちゃんでも食べやすいかなと思ったんだ。
お見舞いのときに持っていくね』
今日だけ頻繁にスマホを使っていた理由は、見ての通り。
お休み中のノアちゃんと連絡を取っていたからだ。
ああ見えて結構寂しがり屋なところがあるので、つい訳もなく心配しては連絡を取っていた。
『うひゃあ、今日も暑いなぁ。
こんな日はクーラーがキンキンの部屋で、女の子の膝枕でゴロゴロしないとやってられないンゴねぇ』
『語尾が変ですよ。
風邪が移ってもいいなら私の膝をお貸ししますけど』
『病人にそんなことさせられないから、安静にしててクレメンス』
メールの内容は何気ない雑談だったり、いつもより弱々しい文面のノアちゃんに励ましにも満たない言葉を送ったくらいだ。
早く元気な顔を見たいものである。
今年の夏休みは、ノアちゃんともどこか遊びに行けたら嬉しい。そう祈るばかりだ。
「よし、帰ろう」
一カ月ぶりの自転車に跨る。
酷暑のせいでサドルが温まっていて、お尻がぽかぽかした。
なんだか車のシートヒーターみたいだ。
あれってお漏らし疑似体験みたいで毎度ソワソワするんだよね。僕だけじゃないと思う。
ペダルに足を乗せて、ハンドルを握る。
自転車を漕ぎ、眩しい日向に向かって飛び出した。
日向に出ると、ギラギラと光る太陽が容赦なく出迎えた。
「あっつい……暑くて干からびそう……」
立ち尽くしていたら倒れてしまいそうな炎天下だ。
自転車のおかげで向かい風が吹いているが、暑いものは暑い。
額から汗がとめどなく流れた。
アツアツに焼けたアスファルトの上の軽快に走る。
道路を走っている最中、焦げた焼きそばみたいになっているミミズを何匹か発見した。
『ミミズ「み、水……」』みたいな下らないダジャレが思い付くも、すぐに暑さで何処かへ飛んでいった。
一刻も早く帰ろうと自転車を走らせる。
そこで、ふと気になるものが目に入った。
「あれは……」
小さいシルエットだ。
しかし、心当たりのある人物を発見した。
「もしかして……」
自然とペダルを漕ぐ足が早まる。
近づくにつれて、疑問は確信へと変わっていった。
「もしかすると……」
車道を走る自動車の左を抜けて、次から次へと追い越していく。
自転車の速度は最高潮に達した。
「やっぱりそうだ……!」
ついに、彼女の後ろ姿を捉えた。
ゆらゆらと揺れるピンクのツインテール。
抱き締めたら潰れてしまいそうな華奢な体。
脳裏にリフレインする印象的な声。
気がつけば僕は、彼女の名前を叫んでいた。
「コユキちゃああああああああん!!!」
自転車に乗りながら、真横に腕を突きだす。
「はぇ?」
突風のように彼女の歩いていた場所を過ぎ去る。
コユキちゃんを腕に抱えて。
「……うわぁああああああああ!? なんですかこれなんなんですか!?!?」
捕まったコユキちゃんが声をあげる。
溺れるように空中で足をジタバタさせ、慌てふためいていた。
こうして僕は、下校中のコユキちゃんを自転車で走行しながら捕まえることに成功した。
「やあコユキちゃん。久しぶりだね」
「ウェァッ!? その声はマオ先輩!?」
「そうだよ。こうして話すのは停学前以来かな? ふふ、また会えて嬉しいよ」
暴れるコユキちゃんを後ろの荷台に座らせて、にこやかな笑顔で話しかける。
久しぶりにコユキちゃんと話せた事実で、思わず笑みがこぼれた。
「っていうかこれどういう状況なんですか!? えっ、私もしかして拐われちゃってるんですか!?!?」
「……」
「マオ先輩怖いですっ! 何とか言ってくださいよぉ!」
「……ふふふ」
狼狽えるコユキちゃんの愛らしい姿に、ついつい悦びを隠しきれず破顔する。
コユキちゃんには悪いが、これは仕方のないことなのだ。
こうして彼女を可愛がることによって生成されるコユキニウムを定期的に摂取しないと体調を崩してしまう、黒崎コユキ欠乏症を僕は患っている。
ここ数ヶ月会ってなかったのでその禁断症状はピークだった。だから仕方ないことなのだ。
「というか速いいいいいいぃぃぃ!! 降ろしてぇぇえええええ!!!!」
ちなみにこうして話している間も、僕は自転車のスピードを一切緩めていない。彼女が逃げられないよう爆速のままだ。
コユキちゃんは命綱を握るように、必死になって僕の背中に掴まっていた。
「まあまあ、安心してコユキちゃん。このまま目的地に着いたら楽にしてていいからさ。
到着したら横になっててもいいよ。コユキちゃんが天井のシミを数えている間に……全て終わるからさ」
「うわあああああなんでぇぇぇぇぇぇ!!!!」
コユキちゃんの悲鳴が街中に響く。
良い音色だ。
そういえば前に、美少女と自転車で相乗りするという夢を持っていた気がする。
最終的にヒマリさんと車椅子で無理やり相乗りをして、軽めの人身事故という形で幕を閉じたはず。ちなみに二針縫った。
ちょっと理想のシチュエーションと違うかもしれないが、おおむね夢が叶ったみたいで嬉しい。諦めなければ夢は叶うと自著に残しておこう。
「や、やっぱり本当だったんだ……! マオ先輩は小さい身体が好きで人間としてダメな特定のマニアだって、噂は本当だったんだ……!」
なにその不服な噂。
残念ながら僕の好きなキャラは、ウ◯娘ならス○ープトウショウ、着○恋ならジ○ジュ様、最近のノベルゲームならA○RIちゃんとかだ(集合体恐怖症の人は○ばかりで申し訳ない)
誰がどう見たってスタンダードな性癖。勘違いも良いところである。
「まさか誘拐されるなんて……私、どこに連れてかれちゃうんですか!?」
「一応の目的地はノアちゃんのところかな」
とりあえずお見舞いに行かないとだし。
「ヒィィィ!? ノア先輩!?」
ノアちゃんの名前を聞いた途端、コユキちゃんがガクガクと震える。
めちゃくちゃ怖がられてるなノアちゃん。
あのコユキちゃんが脱水するときの洗濯機みたいに揺れている。一体何があったんだ。
「許してください! 前にマオ先輩のスマホを開いて、秘蔵フォルダって書いてあるやつとか変なサイトの購入履歴を見ちゃったの謝りますから……!」
ハッチャとしか言えない体にしてあげようかな。
どうやって12桁のパスワード解いたんだろう。ハッキング? ヒマリさんと同じタイプの裁けない悪か?
「た、助けてくださいぃ……」
可哀想は可愛い。
そんな格言があるが、流石にそろそろ良心の呵責に苛まれてきたのでやめてあげよう。
法定速度を超過していた自転車のスピードを落として、ゆっくりと漕ぐ。
コユキちゃんが落ちないように、慎重に自転車を停めた。
「はぁ……はぁ……。やっと止まった……あはは……」
後ろを振り向くと、コユキちゃんが涙目で放心しかけていた。可哀想に。
自転車を降りて、コアラの赤ちゃんみたいに引っ付いたコユキちゃんをひっぺがす。
涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭き、そっと抱き締めた。
「よしよし、怖かったねコユキちゃん。もう大丈夫だからね」
「あぁ……あぁ……。マオ先輩、優しい……」
精神崩壊一歩手間のコユキちゃんを優しく撫でる。
なんかDV夫みたいな手口だなと思いながら、傷心したコユキちゃんを介抱した。
「……暑いな」
このまま立ち尽くしていても熱中症になってしまう。どこかに避難しよう。
ざっと周囲を見渡すと、ちょうど近くに行きつけの駄菓子屋さんがあった。
これはタイミングが良い。
コユキちゃんに肩を貸して、駄菓子屋さんまで運ぶことにした。
「よいしょ……っと」
ふらつくコユキちゃんをベンチに降ろして、隣に座る。
軒下の屋根が日陰を作っており、丁度いい避暑地になっていた。
「ふぅ、小休止ってところかな」
C◯ca-Colaとペイントされた真っ赤なベンチに体を預けて、一息つく。
具合が気になったので、隣のコユキちゃんに目を向けてみる。
「……」
コユキちゃんはグッタリとしながら、項垂れるようにベンチに座っていた。
顔が死んでいる。よっぽど怖い思いをしたのか、ブラウスの下のキャミソールまで透けるくらい汗をびしょびしょにかいていた。誰がこんな酷いことしたんだろう。
「……あっ? 誰かと思ったらマオじゃねえか」
コユキちゃんに同情していると声をかけられた。
声の方に振り向く。
「あれっ、ネルさんだ」
そこには、いつもの制服姿の上にエプロンを纏ったネルさんがいた。
「こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「奇遇っちゃ奇遇だな。ま、あたしはこの通り手伝いで来ただけだけどな」
ネルさんは面倒そうにエプロンの裾を摘まみ、やれやれといった顔をした。
「マオも来たことがあるなら顔は知ってるだろ? ここの駄菓子屋のバアちゃん、昼に躓いて転んじまったらしくてさ」
「えっ、そうだったですか……お身体の方は?」
この間、アスナさんと駄菓子屋さんに来たときのことを思い出す。
そういえば店主のお婆ちゃんが時折腰を悪そうにしていた。
「すぐに町医者に行って診てもらって、特に問題なし。とりあえず安静だってよ」
それと、ネルさんが駄菓子屋さんのお婆ちゃんと親しげに話していたのも思い出した。
体が不自由そうなところをネルさんは気に掛けていたようで、何かと手伝いに来ていたらしい。
「なるほど。それで店番を頼まれたわけですね」
「そういうこったな。ったく、無理の利かない歳なんだから、足元には気をつけろって言ったのによ……」
独りごちるネルさん。
彼女の心配する気持ちと優しさが感じられた。
ネルさんは一見すると粗暴に見えるが、その裏には誠実さや思いやりがあったりする。
出会った当初、ネルさんの第一印象は高圧的なヤンキーというイメージだったが、今ではそのイメージは払拭されていた。
まだ短い付き合いではあるが、僕も困ったときには度々お世話になっている。まさに尊敬される人格者だ。
「そうでしたか。駄菓子屋のおばあちゃんに会えたら、どうぞお大事にとお願いします」
「ああ、伝えとくな。
つーかマオの方こそ、そんなヒョロヒョロした体で誰かの二の舞になるなよ?」
ネルさんに脇腹を小突かれる。
キャッ(可愛い)と声が出そうになった。くすぐったい。
「どこぞの会長や部長さんもだけどよ、あたしの知り合いは不健康が服着て歩いてるような連中ばかりだな。ったく」
「あはは、心労が絶えないですね」
「お前は笑ってないでちゃんとメシ食えよ。まあ見るからに食は細そうだけど、暑さに負けてぶっ倒れても知らねえぞ」
「はーい、自愛します」
僕の適当な返事にネルさんが「ケッ」と口を尖らせる。
ネルさんの心配性は健全みたいだ。
とはいえ、自身の体調には少し焦りもある。
この間の身体測定で身長が一センチ縮んでいたのだ。
ヒマリさん曰く、人間は起きてからの時間で身長が少し変わるらしいので深刻に考えなくていいとのことだが……結構ショックだった。帰ったらカルシウム摂ろう。
「…………はっ! ここは、どこ……?」
ネルさんとお喋りをしていたら、ようやくコユキちゃんが息を吹き返した。
借りてきた猫みたいに辺りをきょろきょろと見回している。よかった、思ったより元気そうだ。
「ネルさん、ラムネの瓶二本ください」
「おう、300円だ。そっちのストッカーから持ってってくれ」
代金を支払い、ストッカーから二本のラムネを取り出す。
キンキンに冷えた飲み物を両手に携えて、コユキちゃんのもとに戻った。
「大丈夫、コユキちゃん。調子はどう?」
「……私、先輩に自転車に乗せられてから記憶が曖昧で、何も思い出せなくって……何かあったんですか?」
「あー、たぶん軽い熱中症じゃないかな。別に思い出さなくていいと思うよ。ほら、水分補給にどうぞ」
ラムネを手渡すと、コユキちゃんは目を星みたいに輝かせた。
「わあっ、これってラムネ!? 私にくれるんですか!」
頷くと、コユキちゃんは嬉しそうに笑顔を滲ませた。
「私、ラムネって初めて飲みます! ありがとうございます!」
「どうぞどうぞ。温くなるまえに飲んじゃおう」
「はいっ! いただきます!」
ラムネは良い。夏の風物詩だ。
さっそく僕は玉押しを使って自分のラムネの蓋を開ける。
僕の開ける様子を見ていたコユキちゃんは見よう見まねで、自分のラムネの蓋を開けた。
「うわあ!? こぼれたー!? ちべたいですっ! マオせんぱい゛ー!」
ラムネの口からシュワシュワと泡が溢れ、瓶を伝ってコユキちゃんの手まで流れる。
すぐに気づいたネルさんが布巾を持ってきてくれた。
「あーあ、何やってんだよ」
「うぅ~! マオ先輩のときはこぼれなかったのにぃ~」
「あはは、溢さずに開けるのはコツがいるからね。また来たときに教えるよ」
冏みたいな顔で「もっと早く教えてくださいよ~!」とシクシク泣くコユキちゃんに苦笑する。
これもまた、夏の風物詩って感じだ。コユキちゃんの泣き顔は夏の季語だって夏井ま○と先生も言ってた気がする。
ラムネを飲み終えた。
駄菓子をいくつか買ってから、僕は再び自転車に跨がった。
「ラムネ、ご馳走さまでした。コユキちゃんは乗らなくていいの? 家まで送っていくよ」
「なぜか自転車を見ると体が震えるのでいいです……自分の足で帰ります」
「そうだマオ、チビにまたゲーセン集合って言っておいてくれ。次こそは半べそかかせてやるってな」
「分かりました、アリスちゃんに伝えておきますね」
自転車のスタンドを蹴り、地面から足を離す。
「では、コユキちゃんネルさん。また夏休みのいつかで」
「おう、またな」
「はーい、ばいばいでーす」
手を振って二人と別れる。
学校で会うことはしばらくないので名残惜しさが募るが、夏休みは長い。
きっと近いうちにこうして遊ぶ機会が訪れるはずだ。その日を心待ちにしよう。
紆余曲折あったが、改めて僕は我が家のアパートに向かう。
一人だけの帰路は久しぶりで、いつもより静かだ。
ペダルを回す度に、滑走する自転車のタイヤの音だけが耳に残っていた。
◇◆◇◆◇
夏休み一日目。
一晩明けてユウカちゃんのもとから帰ってきたアリスちゃんを迎え、僕は自宅でゲームの準備をしていた。
「ユウカちゃんから聞いたよ。買い物のお手伝いだけじゃなくて、ノアちゃんの看病も頑張ったんだってね」
「はい、ノアはアリスのヒールが効いたみたいですね。熱が下がってくれて良かったです!」
なるほど、アリスちゃんはヒーラーの才能もあるらしい。
僕もアリスちゃんに看病されたい。おかゆをフーフーあーんとかしてもらいたい。いくら積んだらしてもらえるかな。
「パンパカパーン、ユウカに料理のお手伝いで褒められちゃいました! マオから教えてもらったこと、ちゃんとできましたよ。えっへん」
誇らしげに語るアリスちゃん。そんな彼女の頭を労うように撫でた。
なんだかアリスちゃんの成長が垣間見えたようで、僕まで嬉しい気持ちにさせられた。
今はこうして暮らせているが、アリスちゃんは別世界から来た身寄りのない女の子だ。
このまま生活能力の向上を頑張ってもらい、安心して一人立ちするところを見送りたい。差し出がましいが、僕がいなくなっても大丈夫なくらいまで。
ノアちゃんも解熱したようで何よりだ。
お見舞いに行ったとき、熱で汗をかいたノアちゃんを着替えさせる看病イベント的なものが起こりかけたが、ちょうどユウカちゃん達が帰宅したのでイベントスキップとなった。悲しい。
そんな会話をしていたら、パソコンの動作環境の準備もいつの間にか終わっていた。
「よおし、モニターともしっかり繋がったね。それじゃあ始めようか」
「はいっ!」
画面のデスクトップアイコンをクリックする。
少しずつローディングが始まった。
夏休み初日ということで、僕達は以前プレイすることを約束した『恋愛シミュレーションゲーム』をやることになった。
ちなみに今回やるのは、いわゆる『その手の界隈からも信頼の厚いエロゲ』の全年齢版だ。
成人向けの方はアリスちゃんが大人になってから楽しんでほしい。できるだけピュアなやつを。
一般人がエロゲと聞くと、性的欲求を満たすためだけのアダルトコンテンツと誤解を受けがちだが、それはエロゲの一側面に過ぎない。
論者によっては『エロがあるのが重要ではなく、なんでもありの総合エンタメであることが重要なのだ』という意見もあるくらいだ。
『抜きゲー』『泣きゲー』と呼び方が幾つもあるほどエロゲーの魅力は千差万別なのである。
「マオ、始まりそうですよ……!」
アリスちゃんの掛け声でハッとする。
僕は意識をゲームに集中させた。
『~♪』
ついにゲームが始まった。
可愛い声のタイトルコール。どこか儚さを感じさせる音楽。立ち並ぶ複数のヒロイン達。
情報の波が一気に押し寄せてきた。
「「……おお~!」」
しばらくの沈黙のあと、二人の声が重なる。
綺麗なBGMと鮮やかな画質が織り成す幻想的な世界観に、思わずアリスちゃんと見入ってしまった。
「グラフィックが凄く綺麗ですね! キャラクターも可愛いですよマオ!」
「うんうん、キャラデザいいよね。BGMも良い感じでグッドだ……」
「久しぶりに大画面でのゲームです! キャー!」
「いて、いてて。力強っ」
僕が「やっぱりエロゲっていいな……」と既に浸りかけていると、興奮したアリスちゃんがわちゃわちゃしながらポカポカと叩いてきた。
なんかレアな反応だ。相当嬉しいらしい。
気になるゲームのファーストインプレッションだが、これは思っていたより期待できそうだ。神ゲーの匂いがプンプンする。
伝説が……始まる。そんな予感がした。
それではまず、音量バランスから整えよう。
ゲームを始める前に音量設定から取り掛かる。ノベルゲーあるあるだ。
「とりあえず設定はこんなものかな。はい、これコントローラーね」
「ありがとうございます!」
是非ともアリスちゃんには臨場感を味わってほしい。
コントローラーを手渡すと、アリスちゃんは両手で受け取って正面に構えた。
「では、いきます……!」
アリスちゃんが力のこもった手でボタンを押す。
小気味良いクリック音と共に、画面が切り替わった。
『名前を入力してください』
お決まりの名前入力画面が表示された。
「まず苗字と名前を決めるみたいですね」
「こういう苗字の入力はギャルゲ感あるなぁ」
「マオ、どうしますか?」
「折角だし『天童アリス』でいいんじゃないかな。そっちの方がアリスちゃん的にも没入感あるでしょ?」
「いえ、アリスだけじゃなくマオも没入するべきです。アリス、マオと一緒になって楽しみたいですから」
いきなり一人用ゲームの弊害が出てしまった。
何か良い解決策はないだろうか。
「そうです! マオ、お互いの苗字と名前を合体させませんか? それなら、アリスとマオが両方そなわり最強に見えます」
「なるほど、それはアリだ」
それなら僕も没入感を持ってゲームに臨めるかもしれない。
流石アリスちゃん、ナイスアイデアだ。
「では、名前をつけちゃいますね。ええっと、『天童マオ』か『
アリス、名前は『美守アリス』にしたいです」
「じゃあ、僕もそっちに一票。決まりだね」
『"美守アリス" に決定しました』
なんだか小学生の頃に、気になる子の苗字に自分の苗字を組み合わせたりして疑似結婚ごっこをしていたのを思い出した。
かなり恥ずかしい記憶だ。999式 久遠棺封縛獄で記憶の奥底に封印することにした。
「なんだかマオと結婚したみたいですね」
「おっふ。アリスちゃんのそういう臆面のないところ好きだよ」
「えへへ、ありがとうございます」
アリスちゃんの右ストレートでぶっとばす的な可愛さに思わずたじろぐ。
もう天童じゃねぇ、嫁に入ったんでな。 今は美守だ。
名前の入力が終わるとゲームが暗転する。
再びローディングに入るようだ。
真っ暗なディスプレイに僕達の姿が写る。
シュールな絵面だ。まさかこんな純粋無垢な美少女と一緒にエロゲをやることになるとは。人生何が起こるか分からないものだ。
ローディングが長そうだったので、暇を持て余して画面に写るアリスに小さく手を振ってみる。
アリスちゃんはそれに気づくと、同じように画面に写る僕に手を振り返した。
お互いに手を振った僕達はクスクスと笑う。うん、幸せな空間だ。
「……あっ」
真っ先にアリスちゃんの声が漏れる。
どうやらプロローグが始まるようだ。
画面が光に包まれると、綺麗な桜の木が映った。
メッセージウインドウがうっすらと浮かび、空をぼんやりと眺める青年のスチルが表示された。
『───僕の名前は美守アリス。
この春からこの学校に通う、どこにでもいるごく普通の学生だ。
これといった特技もなく、熱くなれる趣味もない。
なんとなくただ毎日を生きている。
今までも。そしてたぶんこれからも。
平凡に生き、平凡に死ぬ。
僕の人生はそれでいいと思っていた』
主人公のモノローグが流れる。
ジャンルで言うと、無気力系主人公だろうか。
いっそ古臭さを感じてしまうような定型的な始まりだった。
「アリス、知ってます。ここまでがテンプレ、というやつですね」
「そうだねテンプラだね」
ゲームの場面は入学式。
そこで、一人目のヒロインが登場した。
『おはよう、アリスくん。相変わらず眠そうだね。うふふ、また同じクラスになれたらいいね』
「あ、幼馴染キャラだ」
「幼馴染キャラ? 知っているんですかマオ?」
「主人公と昔からの仲良しで、ある程度の関係値が既に築かれているキャラクターだね。
異性の距離感だけど、主人公と家族のような仲睦まじさがあるのが魅力かな」
オタク特有の早口でアリスちゃんに説明する。
余談だが、大抵のラブコメ作品における幼馴染は負けヒロインの代名詞だが、そんな幼馴染が勝ちヒロインになれるのが美少女ゲームの良さでもあると思う。
飽くまで僕の見解だが。
「良いヒロインだと思うよ。お互いの親愛の気持ちが恋愛に変わっていくところは見応えがあるだろうしね」
「親愛が恋愛に……。ふむふむ、勉強になります」
そんな会話をしながらゲームを進めていく。
テキストを読み込んでいくと、内容はありがちだが洗練されたシナリオであることに気づく。
ふむ、これはある意味王道的で、経験者には馴染むシナリオだと感じた。
共通ルートが終わったところで、アリスちゃんに質問を投げかけた。
「ふぅ……さて。今のところアリスちゃんはどのヒロインの子が気になった?」
隣に座るアリスちゃんをちらりと見る。
既に答えが決まっていたのか、画面を真っ直ぐに見つめていた。
「迷いましたが、アリスはこの子がいいです」
アリスちゃんが画面のカーソルを合わせた先には、無機質な顔をした白髪で赤い瞳の女の子がいた。
「この子って……」
アリスちゃんが選択したヒロインは、アンドロイドの女の子だった。
可愛いビジュアルだったので僕も気になっていたが、どうしてこの子がいいのだろう。
「この子は昔のアリスに似ていると思いました」
「昔のアリスちゃん?」
「はい。先生やゲーム開発部の皆と出会った頃の、ニューゲームしたばかりのアリスにそっくりです」
画面に映る、生気のない顔をした女の子。
彼女を見ながらアリスちゃんはそう語った。
アリスちゃんの話に、僕は内心で驚いた。
感情表現が豊かで、よく笑顔を見せてくれる。そんなアリスちゃんが、昔は画面の中の女の子と似ていただなんて。
正直者のアリスちゃんが嘘を言うはずないが、にわかには信じられない話だった。
「アリスはキヴォトスで色んな冒険をして、たくさんの仲間達と出会い、今の幸せなアリスがあります。
このアンドロイドの女の子にもそうなってほしい。そうアリスは思いました」
そう言って、アリスちゃんはニコリと笑った。
な、なんて良い子なんだ……そんな心優しいモチベーションでエロゲをやる子初めて見た。
今まで私利私欲でプレイしてきた自分が情けなく見えてきた。いや本来はそういうゲームなのだが。
「優しい理由だね。僕もストーリーとかが気になっていたし、この子のルートで行こうか」
「はい、お願いします!」
こうして僕達の攻略するヒロインは、アンドロイドの女の子に決まった。
これはゲームと全く関係ない話だが、『白髪』『アリスちゃんと似た女の子』というワードから、最近ハマっている個人配信者のことを思い出した。
人工知能という設定のツンデレ美少女ライバーで、巷ではインターネットアイドルとも名高いらしい。今度アリスちゃんにおすすめしてみようかな。
無事にアンドロイドの子の個別ルートに入ったので、ゲームを進めていく。
どうやらアンドロイドの子は自分が感情表現に乏しいことが悩みらしく、主人公はその解決に奮闘するところがストーリーの大筋らしい。
テキストが面白く、世界観に引き込まれてしまう。
僕達は画面に齧りついてゲームをプレイした。
『「どこか楽しい場所に行こうよ」
「楽しい場所?」
「そしたら笑えるかもしれない」
「そうかしら……」
「きっとそうだよ。例えば……」』
主人公はアンドロイドの子とデートに行くようだ。
画面に三つの選択肢が表示された。
『遊びに行く場所を選択してください。
→遊園地 水族館 映画館』
「マオ、これは大事な選択肢ですよ……!」
「そうだね」
アリスちゃんが真剣になって考える。
序盤も序盤だが、手に汗握る展開になっていた。
「マオはどこがいいと思いますか」
「はて、どこが良いんだろう。女の子が行きたいところなんて想像もつかないよ」
「そんな、マオは女の子とたくさん遊んでいるのでデートスポットは熟知してると思っていました……うわーん、頼みの綱がありません!」
しれっとアリスちゃんから軟派野郎だと思われていた事実はさておき。
僕の長年に渡ってエロゲで培われた推理力からすれば、ここは遊園地が適切だと分かる。
しかし、僕は敢えて分からない振りをして、アリスちゃんに返事を委ねた。
「それを言うならアリスちゃんも女の子だし、ほら、デートに行きたい女心とか分かるんじゃないかな?」
「アリスですか? そうですね、アリスだったら……」
恋愛シミュレーションゲームを始めた本来の理由は、アリスちゃんに恋愛というものを知ってほしかったからだ。
僕がゲームを上手く進行させるのは簡単だが、それは彼女のためにならない気がする。きっと悩むことも大切なのだ。
「この子に楽しんでもらうために、どこが良いのでしょう……」
こうしてアリスちゃんと一つ一つの選択肢を悩みながら、時間をかけてゲームを進めていった。
◆◆◆
時刻は何時くらいだろう。
掛け時計の針が暗くて見えないほどに、部屋は夜の闇に深く溶け込んでいた。
「グス……グス……」
「……ズピッ」
涙ぐむ音や鼻をすする音が部屋に響く。
音の出所は、真っ暗な部屋の一角。
ディスプレイの淡い光を浴びた二人からだった。
「よかった……本当によかった……」
「はい……これで二人はハッピーエンドですね……」
ゲームの最後に映し出された一枚絵。
そこには、アンドロイドの女の子が満面の笑みを浮かべて、幸せそうに主人公と笑う姿があった。
聖域のように美しい一枚絵だった。
ゲームはエンディングを迎え、エンドロールが流れ出す。
アリスちゃんとの協力プレイも楽しかった。
ゲームの途中で購入していたのがR-18版だということに気づきアリスちゃんと濡れ場をがっつり鑑賞するアクシデントもあったが、笑いあり涙ありで充実した一日になった。
アリスちゃんは握っていたコントローラーを置き、しみじみと口を開いた。
「……神ゲーでしたね」
「うん……神ゲーだったね」
「不思議な気分です。この気持ちを誰かと共有したいのに、上手く頭に言葉が浮かんでこなくて……」
「……分かるよ、あのふわふわした感じ。僕は好きだな」
「はい……エロゲっていいですね、マオ」
エンドロールが終わった。
画面の隅に『fin』という文字が浮かび、最初の画面に戻る。
緊張の糸が解れて、背中から床に倒れこんだ。
「……あー、疲れたぁ」
「アリスも……疲れましたー」
力ない声で、アリスちゃんが僕のお腹を枕にして寝そべる。
10時間近くプレイしたのもあり、アリスちゃんもお疲れのようだ。
「……面倒だけど、お風呂に入らないとなぁ」
「明日でもいいですよ。アリス、モモイと夜通しゲームをしたときは朝にお風呂に入ってました。ふわぁ……」
「香ばしいアリスちゃんはちょっと興味あるけど、入らないと翌朝に罪悪感あるんだよね。……よし!」
僕は体に鞭を打って起き上がり、ウトウトしているアリスちゃんに声をかける。
「起きて、アリスちゃん。ほら、お風呂入るよ」
「うーん、むにゃむにゃ……。アリス、スリープモードに入ります……」
「ウーン仕方ない。運ぶか」
アリスちゃんを抱っこして、脱衣場まで運ぶ。
脱衣場に入り、横に倒れないように椅子に座らせた。
「アリスちゃん、お風呂着いたよ。お風呂キャンセルキャンセル界隈まであと少しだよ。起きてー」
「マオ……アリスの装備を……外してください」
「それすると僕の手首に手錠が装備されちゃうから駄目かな。がんばって、アリスちゃん」
「……うぅん。それでしたら……」
アリスちゃんが僕の服の裾を摘まむ。
「マオも……いっしょに入りましょう……」
「えっ」
「アリス……マオといっしょに入りたいです……」
アリスちゃんはうつらうつらしながら、そんな提案をしてきた。
先ほどの脱衣と同様に、平時の僕であれば断っていた。
ところが今の僕は、長時間のゲームで頭が疲れきっていたらしい。
「……まあ、たまにならいっか。じゃあアリスちゃん、バンザイして」
「はい……アリス、万歳エディションします」
「アリスちゃん日本兵だったんだ。勇者からジョブチェンジだね」
こうしてアリスちゃんと出会ってから、二度目の裸の付き合いとなった。
シャボン玉がふわふわと浴室を漂う。
アリスちゃんの頭と体と顔を洗い、湯船に入るよう促す。
そうして初めにアリスちゃんを綺麗にしてから、自分の体を洗った。
「……ふふ。マオとお風呂、久しぶりです」
アリスちゃんが浴槽の縁に手と顔を乗せて、嬉しそうに呟く。
お湯を浴びて血行が良くなったおかげか、アリスちゃんは少しだけ元気さを取り戻していた。
僕も自身の洗身を終えたので、湯船に入る。
向かい合うのは恥ずかしかったので、アリスちゃんの背もたれになるような形で座らせてもらった。
アリスちゃんとエロゲの振り返りをしながら、お風呂に浸かる。
好きなシーンや気になったキャラクターを語り、他愛もない話もしつつ、今日という日の疲れを癒した。
「エロゲをプレイしたので、これでクエストを一つ達成です。パンパカパーン、アリスのレベルがアップしました」
「一つってことは他にもあるの?」
「はい、夏休みはまだまだクエストが盛りだくさんです。マオと海に行く約束もありますし、ヒマリ先輩とUFOを探す約束もしました。あとは……」
「はは、楽しい夏休みの宿題みたいでいいね」
そうか、そういえばまだ夏休み一日目なのか。
今日が濃密だったせいで体感的には結構経った気分だった。
「海もいいけど、遊園地や水族館も気になるなぁ」
「マオは遊園地と水族館が好きなんですか?」
「好きってほどじゃないけど、今日のゲームの選択肢を思い出したら行きたくなったかも。ほとんど行ったことないからさ」
テーマパークなんて中学生の頃に先輩と卒業祝いで行ったきりだ。
初めて飛行機に乗るような遠出をして、ネズミの国で遊んだのも懐かしい。飛行機の離陸でよく酔ったのも、今となっては良い思い出だ。
「そうだったんですね。
……では、マオが行きたいところ。マオが、夏休みに一番行きたいところはありますか?
アリスは、マオと一緒にそこに行きたいです」
お湯の中でアリスちゃんの手が僕の腕に触れた。
行きたいところ。
そう訊かれたとき、僕は頭の中でいくつか遊びに行きたい場所が思い浮かんだ。
そのどれもが、きっとアリスちゃんと行けたなら忘れられない青春の一ページになりそうな、楽しそうな場所ばかりだった。
「ああ、でも……」
少しだけ言い淀む。
中学生の頃を思い出して、昔の記憶と結びついたのかもしれない。
僕の心のうちに一つだけ、ポツンと或る場所が浮かび上がっていた。
そこは僕にとって行きたいところであると同時に、行きたくないところでもあった。それは……
……あれ。
唇が重たい。
鉛が溜まっていくように喉がつっかえる。
首に鳥肌が立つような、さあっと冷えこむような感覚がする。
思っていたよりも大きかった自分の反応に驚く。
未だに思い出すことさえ、僕は怖じ気づいてるみたいだ。
「…………ふぅ」
でも、今の僕ならきっと、もう大丈夫。
なぜかそんな考えが、僕の不安を包んでくれた。
「うん、あるよ。行きたいところ」
抱えるようにアリスちゃんの体を自分に寄せる。
頬に彼女の頭が触れて、じんわり体温が伝わってきた。
「あるのならよかったです。それはどこですか?」
僕が黙っている間、アリスちゃんはずっと待っていてくれた。
その沈黙はちっとも重荷じゃなく、僕に落ち着く時間を与えてくれた。
だからこそ僕はちょっと安心できたし、ようやく口を開くことができた。
「僕の地元かな。去年は実家には帰ったけど、行けなかった場所もあるんだ」
「なるほど、そこがマオの行きたいところなんですね」
「うん、そうだよ」
「わかりました。それでは夏休みの間に、アリスと一緒に行きましょうね、マオ」
アリスちゃんが振り向いて、僕に優しく笑いかけた。
「……うん、約束だよ」
「はい、約束です」
水草が絡むように、水中でアリスちゃんと指切りをする。
アリスちゃんとの約束を破るわけにはいかないので、必ず行かなくては。
そう自分の心に釘を打った。
何年かけても終わらなかった僕の夏休みの宿題。
その清算をする時がやって来た。
◇◇◇
夏休み✕日目くらい。
朝、自宅の玄関にて。
『ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン』
「マオさん! マオさーん!」
「……はいはい、今出ますね。
何ですかヒマリさん、こんな朝っぱらから。ご近所迷惑も甚だしいですよ……」
「やっと出てきましたね! 今日という今日はもう堪忍袋の緒が切れました! この清楚で可憐な病弱美少女かつ女神である私が天罰を下します! そこに直りなさい! さっき御近所さんから、このアパートの廊下を下着一枚で練り歩く変態を息子さんが見かけたと通報が入りました! うちのアパートに変態は二人しかいません!! エイミは特異現象の現地調査中ですし、消去法で犯人はもうこれマオさんじゃないですか! これで何回目ですか!? 確かに昨年は全裸の変態がいるという通報が多く、今年は全裸と半裸の変態がいるという通報の半々に落ち着きましたが……いや落ち着いてないですよねこれ!? 異常事態には変わらないじゃないですか! UFOよりもうちのアパートの方がよっぽど特異現象なんですが!? まだまだ貴方には言いたいことがあります! 先日マオさんがD○siteというサイトで買っていた音声作品? という代物ですが、何ですかこの『薄幸病弱白髪エルフ耳ロマンチストお姉さんとの寿命え○ち ~容態急変 【FULL】~』って。私最後に死んでるじゃないですか!?!? えっ、どういうことですかこれ? つまり私を殺したいんですか? 倒錯的すぎませんか??? もうよく分かりません! こんなこと学位『全知』を獲得してから初めてです! もう貴方にはほとほと愛想が尽きました! 限界です! もしも許してほしいのであれば、少し猶予を設けるのでこれから私をお出かけに誘い、食事に行き、素敵な場所を一緒に散歩してエスコートしなさい! いいですね!」
「あっはい」