アリスが我が家に現れた 作:ふらちないおちのえちちなおちち
前話の続きからです。
「?」
突然こちらに預けられた重み。
とっさにアリスは、もたれかかってきたマオを受け止めました。
「……マオ?」
声をかけてみるも、反応はありません。
代わりに聴こえてきたのは、すやすやと吐き出される寝息でした。
風が気持ちよかったのでしょうか。それとも、スタミナゲージがなくなってしまったのでしょうか。
どうやらマオは寝てしまったようです。
アリスは良い案を思い付きました。
マオはヒットポイントが見るからに少なそうです。
きっと疲れていたに違いありません。
ここはアリスの膝枕で、マオを回復させてあげましょう。
アリスはよくマオから膝枕をしてもらっています。
膝枕には治癒効果があるので、してもらうと元気になります。膝枕はヒール魔法です。
さっそくアリスは、マオの頭を太ももの上に乗せました。
これでマオも、アリスと同じように元気になってくれるはずです。
初めてやる膝枕は不思議な気分がします。
いつもアリスのために何かをしてくれるマオが、今はアリスを頼ってくれている。そんな嬉しさがありました。
そうしてアリスは、マオが回復するまで待つことにしました。
「……んん」
寝苦しそうな声がマオからしました。
マオは顔を横にして寝ています。
そのせいで、マオは自分の髪が顔に当たって、鬱陶しそうにしていました。
マオを起こさないように、アリスはそっと髪を払いました。
アリスはダンボールに入って隠れたりするステルスゲームをやったことがあるので、これぐらい楽勝です。
「アリス、スニーキングミッション成功です」
しばらくすると、マオはもう一度規則的な寝息を立てるようになりました。
ミッション成功。Sランク獲得です。
触り心地が良かったので、アリスはマオの髪を触って時間を潰すことにしました。
作業ゲームと一緒で、マオの髪は時間を溶かすのにぴったりです。
以前、マオにアリスと同じ髪型にしてほしいと頼みました。
マオは恥ずかしいと言って断りましたが、アリスはいつかマオとお揃いをやってみたいです。
今度マオの髪をキャラクリするときは、アリスと同じ髪型にしてみるようにもう一度頼んでみましょう。アリスのカンストした魅力値ならきっと断れません。
「ふふっ、ぐっすりですね」
すっかり寝入ってしまったマオの横顔。
いつもアリスがされているみたいに頭を撫でると、アリスの胸がぽかぽかしました。
ネコさんを撫でているときと似ているけれど、少し違うような感覚。
ネコさんもマオも可愛いですが、かけられるバフは異なるようでした。
神社の景色を眺めていたら、アリスはこちらの世界に来たときのことを思い出しました。
目を覚ますと、そこは異世界だった。
そんなゲームの冒頭のような言葉が、アリスの脳裏を過りました。
キヴォトスと似ているけれど、どこか違っている世界。そこには、キヴォトスにはなかった楽しいものや知らないものが溢れていました。
初めて目にする人や景色。それに、ゲーム。まるで宝箱のようなこの世界は、その全てがアリスにとって輝いて映りました。
ですが、楽しかったのは最初だけ。
後になってから、アリスは大切なものが欠けていることに気がつきました。
「…………モモイ、ミドリ、ユズ……」
ゲーム開発部。
アリスにとって、大切な仲間。
どこを探してみたって、三人の姿はこちらの世界にありませんでした。
ヒマリ先輩の話によると、三人はまだこちらの世界で観測できていないそうです。
キヴォトスからの来訪者は、来訪する条件もタイミングもランダムで、すぐに再会できる保証はできない。
けれども三人のことを見つけたらすぐに保護して、必ずアリスと出会えるように尽力する。
ヒマリ先輩はそう約束してくれました。
アリスがこちらの世界に来てから、もう四ヶ月ほど経ちました。
トキがこちらに来たのは五年前と言っていたので、本当に来るタイミングはバラバラのようです。
そう考えたら三人と出会えるのは、まだまだ先のことなのかもしれません。
「……」
アリスは、こちらの世界に来る前の記憶があやふやです。
キヴォトスでの冒険や日常は覚えているのに、その後の記憶だけが抜け落ちていました。
ですが最近になって、アリスは少しずつ忘れていた記憶を思い出すようになりました。
スキルツリーのように一つずつ分かっていく記憶。
しかしその記憶はアリスにとって、信じられないものばかりでした。
ボロボロになったミレニアム。
怪我をして倒れる人々。
背筋がぞっとするような光景でした。
アリスがこちらの世界に来る前、キヴォトスで一体何があったのか、アリスはまだ分かっていません。
しかし思い出される記憶はどれも、アリスにとって見たくないものでした。
ある時、アリスは一つの考えが浮かびました。
もしもキヴォトスに来る前に、何かあった場合。
その人は何事もなく、こちらの世界に来ることができるのでしょうか。
キヴォトスで怪我をしてしまって、こちらの世界に来られないくらい、大変なことになっていたら。
ゲーム開発部の皆が、アリスの記憶にある、あの倒れている人々の中にいるのだとしたら……。
アリスは皆と、もう一度会うことができるのでしょうか。
「モモイ、ミドリ、ユズ……」
胸がぎゅっと締め付けられる感覚。
考えたくもないことが、嫌でもアリスの頭の中に広がりました。
「アリスは、皆と……」
行き場のなかった不安が、アリスの口からぽつぽつと漏れていきました。
じーんと鼻の奥が痺れて、目頭が熱い。
視界が滲んでいき、景色がゆらゆらと揺れました。
アリスは勇者です。勇者はくよくよしたり、弱音を吐いたりしません。
けれども壊れてしまった蛇口のように、アリスの気持ちは『悲しい』が止まりませんでした。
「アリスは……」
それを言ってしまったら、崩れ落ちてしまいそうな言葉が頭に浮かびます。
「アリスは、もう皆と会うことができな……
……あっ」
アリスの手を、もう一人の手が覆いました。
寝ているマオが、無意識にアリスの手を握っていました。
アリスよりも骨ばっていて、透き通った白い手。
ほの温いその手の平が、アリスの手に重なっていました。
アリスは思い出しました。
ヒマリ先輩に、リオ先輩に、ユウカに、トキに、他にも……。アリスはこちらの世界で、たくさんの仲間達と再会することができました。
そうして皆と会えたおかげで、アリスは心の中に温かい気持ちが溢れました。
そして……
「マオ……」
アリスは新しい仲間と出会いました。
いつもアリスに、優しい言葉をくれて、側に居てくれて、不安なときは手を繋いでくれる。
そんな最高の仲間に、アリスは出会うことができました。
こちらの世界に来たことはアリスにとって、バッドエンドでも、ゲームオーバーでもありません。
アリスは勇者です。
勇者は試練を乗り越えて、ハッピーエンドの物語を紡ぐ存在です。
それは一人ではなく、仲間達と。
アリスはマオの手を、ぎゅっと握り返します。
「……マオ、ありがとうございます」
アリスの胸の奥に、温かいものが灯りました。
たとえ何年かかったって、別の世界にいたって。
アリスはゲーム開発部の皆ともう一度出会う、その時まで。
アリスは決して、諦めません。
アリス達の冒険は、まだこれからですから。
そうしてアリスがマオの手を握り続けていると。
また、マオの顔に髪がかかっていました。
「またしてもスニーキングミッションですね。勇者のアリスにお任せください」
マオの顔に触れて、髪を払おうとします。
すると、アリスの手にじわっと冷たいものが触れました。
どうやらマオの顔に、自分の涙を落してしまっていたようです。
マオは心配性です。
きっと泣いているアリスの姿を見たら、マオがあたふたするに違いありません。
マオに心配をかけるまえに、アリスは必死に自分の目を擦ります。
しかし拭った腕は、少しも濡れていませんでした。
「……あれ、どうして」
不思議に思っていると、小さな声が聴こえました。
「─────ごめんなさい。……お……さん」
そこには泣いているマオがいました。
「マオ……」
目の前の光景に、アリスはどんな顔をしたらよいのか分かりませんでした。
泣いているということは、マオは悲しい気持ちなのでしょうか。
でも、あんなに優しくて笑顔の似合うマオに、そんなに悲しいことがあったのでしょうか。
アリスには想像もつきませんでした。
せめて嫌な夢は見てほしくないと、アリスはマオの頭をそっと撫でました。
そんなマオの横顔は、悲しいくらいに綺麗でした。
ひっそりと静まり返った空気に、一筋の風。
葉っぱがひらひら揺れて、遠くにセミの声。
閉ざされた世界に外から夏を運んできたみたいに、神社の中に音がよみがえりました。
二度とこの手を離すまいと。
アリスはマオの手をもう一度、強く握りました。
◆◆◆
夕方になったので、僕とアリスちゃんは散歩をやめて実家に帰ってきた。
「ただいま~」
「ただいまです!」
「おかえりなさい、アリス、マオ」
玄関をくぐると、タイミングを見極めたようにトキちゃんが待っていてくれた。
僕はトキちゃんに買い物袋を渡す。
「はい、トキちゃん。頼まれてたもの買ってきたよ。この時期はコンビニにもたくさん売ってるみたい」
「ありがとうございます。行くのは夕食後ですか?」
「そうだね。すぐに行って帰ってくるよ」
「分かりました。夕餉の支度ができていますので、アリスと手を洗ってきてください」
ダイニングルームに行くと、トキちゃんお手製の夕食が僕達を出迎えてくれた。
トキちゃんは和洋中なんでも作れるスーパーメイドさんだが、食卓に並んでいたのは、アリスちゃんの好きそうな料理や僕の好物ばかりだった。
「いただきま~す」
「いただきます!」
「いただきます」
いつもより一人分増えた「いただきます」をする。
三人で食べきれないくらいの豪勢な夕食に、僕は目移りさせながら箸を動かした。
「アリス、口に合いますか」
「はい、とても美味しいです! それに、なんだか味がマオの作ったご飯と似ています!」
「僕がトキちゃんから料理を教わったからかな。うん、相変わらずトキちゃんの作るご飯は美味しいな」
見映えもさることながら、クオリティもホテルバイキングのようだ。
掃除、洗濯、炊事。家事全般をこなすトキちゃんの女子力というか嫁力に惚れ惚れした。
「これだけ料理ができたら料理人も夢じゃないし、トキちゃんは絶対良いお嫁さんになるね。お相手がいたら教えてね」
「いません。マオが養ってください」
「えっ、やだ。僕も養われたい」
「トキ、マオ、安心してください。いざというときはアリスがいますよ。アリスはゴールドを稼ぐのは得意ですから、アリスに任せてください」
「やりましたねマオ。アリスのおかげで私達、将来安泰です」
「やっぱりアリスちゃんなんだよなぁ」
駄目な年上二人組の姿をアリスちゃんに見られながら、僕達は和気あいあいと食事を進めた。
「トキちゃん……流石にこれ以上は……」
「マオ、もっと食べてください。早く食べないと、愛する妹の手料理が冷めちゃいますよ」
「アリス知っています! ネットで調べた情報によるとマオは『うすほそ』らしいです! もっと食べるべきです!」
「ふふっ、ままならないね……うっぷ……」
アリスちゃんがネットで余計な情報を仕入れてしまったことを悔やむ。
胃もたれしそうなくらい愛のこもった手料理を僕は口に運び続けた。
賑やかな夕食を終えて、僕達はお腹の休憩をしながら後片付けをする。
アリスちゃんは片付けの手際の良さをトキちゃんに褒められて嬉しそうにしていた。
窓の外は、すっかり夕方から夜になっている。
暗くなった夜道には、ぽつんと明るい提灯や懐中電灯を照らして歩く村人達が何人か見られた。
「もう頃合いかな。それじゃあトキちゃん、僕達もそろそろお参りに行こうかな」
「私は日中に墓石の掃除をするついでに済ませたので、夜は留守番をしています。家を空けておくのも怖いので」
「うん、分かった。お家のことはお願いね。アリスちゃんは虫除け塗った?」
「塗りました! アリス、虫耐性を獲得です!」
「バッチリだね。じゃあ出発しよう」
「いってらっしゃい。マオ、アリス」
トキちゃんに見送られて、僕はアリスちゃんと二人で真っ暗な田舎道を歩き出した。
足元がおぼつかないほどの暗闇の中、アリスちゃんの持つ提灯の光が瞬く。
遠くの用水路からカエルの合唱が響いてくる。ヒグラシの鳴き声もする。
二人の足音だけが、ぽつりぽつりと乾いた空気に吸い込まれていった。
「マオ、お参りとは何ですか」
「日本にはお墓参りっていう文化があってね、亡くなったご先祖様とかがお盆の時期になると、こっちの世界に帰ってくるんだ」
「亡くなった人がですか?」
「うん、だから日々の報告や感謝の気持ちを伝えるために、故人の眠っているお墓に行ってお参りをするんだ」
キヴォトスにそういう風習があるのか分からないが、アリスちゃんは興味深そうに僕の話を聞いていた。
一般的にはお墓参りは昼間に行くのがポピュラーだが、僕の地元では夜の時間帯に行くのが伝統になっている。お墓参りのやり方にも地域差があるみたいだ。
墓地に到着した。
僕達の他にも、ちらほらとお参りに来ている地域の人達の灯りが見えた。
「えーと、うちのお墓は向こうだったかな……」
昔の記憶を頼りに、墓石の立ち並ぶ墓地中を進む。
線香の煙と湿った土の匂いが入り混じっていた。
夜の墓地というと怖いイメージが付き物だが、今はお参りに来た人達のひと気もあって、あまり怖さは感じられない。
既にお参りを終えたお墓から漂う線香の残り香が、微かに鼻腔をくすぐった。
「あった……」
ようやく見つけた。
墓石に刻まれた家名とお墓の位置が、僕の記憶と結び付く。
目的のお墓に辿り着いた。
僕はコンビニで買ってきたローソクと線香を袋から取り出す。
ローソクを立てて、ライターで火を点ける。
次に、線香の束をほどいて……
「あっ……」
手汗で滑らせてしまった。
線香を落としてしまい、外してしまった線香の束が地面に散らばった。
「ご、ごめんアリスちゃん……」
「大丈夫ですよマオ、アリスも拾います」
アリスちゃんと一本ずつ拾い上げてから、線香に火を付ける。
それからアリスちゃんに合掌のやり方を教えて、二人でお参りをした。
両手を合わせ、深く、長く頭を垂れる。
黙祷を捧げてから静かに目を開けて、ゆっくりと息を吐き出した。
「……夏休みの始めに、アリスちゃんとゲームをしたとき。お風呂で、行きたい場所の話をしたこと覚えてる?」
「覚えてますよ。マオの行きたい場所は、マオの住んでいた場所の……」
「うん、ここだよ。ずっとここに来たかったんだ」
ゆらゆらと揺らめくローソクの炎に照らされて、線香の煙が空に消えていく。
ぼーっとその光景を見ていると、アリスちゃんが不思議そうに聞いてきた。
「どうしてマオは、ここに来たかったんですか。
確かマオは、去年もマオの実家に来たと言っていました。その時には行かなかったんですか?」
彼女の質問に、僕は笑みを作って答えた。
「……あはは。恥ずかしい話なんだけど、去年は勇気が出なかったんだ」
「勇気?」
「うん。僕にとってお墓参りは、ちょっと嫌なものを思い出しちゃうから、あまり来たくなかったんだ」
ただ泰然と壁のように佇む墓石を眺めながら、話を続けた。
「僕のお父さんとお母さんは、僕の小さい頃に亡くなってね。それからお婆ちゃんのところに預けられたから、両親に育てられたのは少しだけなんだよ」
「……」
「怖かったんだ。亡くなった両親を置いて、僕だけは幸せに生きてる。それに合わせる顔もないのに、家族に会うことが」
ずっと謝りたかった。
僕を生んでくれた人に育ててもらわずに大きくなること。
大切な人を少しずつ忘れていってしまう自分のこと。
親がいなくても、幸せに生きている自分のこと。
「でも、僕を生んでくれたお礼だけは言いたくて、もう何年間も、何もできずじまいだったんだ」
実の親の顔や声色すら、時間が経っていくにつれて少しずつ忘れていってしまう。
親子喧嘩とか、なぜか嫌な瞬間の思い出ばかりは鮮明に覚えていて、幸せな思い出だけが霞んでいく。
そんな自分のことが嫌だった。
そんな自分が嫌で、謝りたくて、お礼を伝えたくて。
親不孝な僕は遅れて、今日ここに来た。
「決心ができたのは、アリスちゃんがいたからだよ」
「……アリス、ですか?」
「うん。アリスちゃんが居てくれたおかげで、ようやくここに来れたんだ」
アリスちゃんに募らせていた感謝の気持ちを伝える。
僕の言葉に、アリスちゃんは戸惑っていた。
「……アリスは分からないです。アリスはマオに、何もしていません」
アリスちゃんが俯いて、独白のように呟く。
「むしろアリスはいつもマオに支えられて、アリスが勇気をもらっています。アリスはマオに、何もできていません……」
「ううん、そんなことないよ。……いつもアリスちゃんは、僕の話を最後まで聞いてくれるんだ。それがとっても、僕にとって救いになってるんだよ」
「……」
「それに、アリスちゃんのことを見ていたら元気になれるんだ。
いつも楽しそうに笑顔でいて、気持ちが真っ直ぐで、この世界の美しさを誰よりも信じていて……。
そんなアリスちゃんを見ていたら、ちょっぴりこの世界も悪くないなって思える」
「……マオ……」
「僕が前向きになれたのはアリスちゃんのおかげなんだ。僕にとって、いつもアリスちゃんが勇気をくれる勇者だったんだよ」
自分のことを不安に思うアリスちゃんを励ますためじゃない。嘘偽りない気持ちだった。
僕は僕自身の心に対して誠実に、彼女に言葉を送った。
アリスちゃんの方を見てみると、同じように彼女もこちらを見ていた。宝石のような潤んだ瞳が反射した。
それから僕に目を合わせて、はにかんで笑った。
「……ふふっ、マオの言っていることはちょっとだけ違います。アリスを勇者にしてくれるのは、マオがいるからなんですよ。
勇者は仲間がいるからこそ、どんな苦難も逆境もへっちゃらなんです。いつも側にいてくれて、ありがとうございます。マオ」
なんだかオウム返しのような会話になってしまい、僕もアリスちゃんにつられて笑みを浮かべた。
一呼吸だけ深呼吸をして、彼女に向き直る。
僕はもう一歩だけ、勇気を出すことにした。
「……打ち明けると、僕はまだアリスちゃんに伝えられないことがあるんだ」
「伝えられないこと、ですか……?」
「アリスちゃんを信じられないわけじゃないよ。でもまだ少しだけ、話をしたらアリスちゃんに嫌われるのが怖い自分がいるから……」
僕は良い人間ではない。
決してそれは、僕のことを認めてくれるアリスちゃんの気持ちを無碍にするわけではない。
まだ僕には彼女に話せていないことがある。
それは思い出したくないけれど、決して忘れてはいけないこと。償っても償いきれない、僕の過去の過ちだ。
アリスちゃんは眩しすぎるくらい綺麗な女の子だ。
それはもちろん外見だけでなく、内面も。
彼女の硝子のような純粋さに、僕の存在でヒビを入れたくない。
その気持ちは、僕の弱さだった。
本当は彼女に嫌われたくなくて、ただ自分の汚さをひた隠しにしようとする、僕の情けなさから来るものだった。
「いいですよ。アリス、いつまでも待ちます」
「……」
「マオが話したいと思えるときまで、アリスは待ちます。だからマオは、焦らなくても大丈夫です」
アリスちゃんがあれだけ言ってくれたのに、まだ僕だけ隠し事をしていることに申し訳なさが渦巻く。
だけど最後のアリスちゃんの言葉に、また救われた気がした。
ローソクの炎が風で揺らめいて、消えてしまう。
いつの間にか、お参りに来ていた人達は皆、帰ってしまっていた。
明かりはアリスちゃんの持つ提灯だけが残った。
「……帰りましょうか、マオ」
「うん。帰ろっか、アリスちゃん」
街灯の類は一切なく、数歩先でさえ墨を流し込んだような闇に溶けていく。自分の手足を確かめようと手のひらをかざしても、そこにあるはずの輪郭さえ定かではない。
提灯を持つアリスちゃんと手を繋ぐ。
怪我しないように足元を照らしながら、彼女とゆっくり帰路へ向かった。
一寸先は闇の夜道。
アリスちゃんが足を止めて、声をあげた。
「マオ! 上を見てください……!」
彼女に促されて、僕も真上を見上げる。
「……わぁ」
夜空を見上げると、満天の星々が空から零れ落ちてきそうに瞬いていた。
ビロードをひっくり返したような夜空は、無数の星が隙間なく張り付いている。炭酸水のような夜風が吹き抜けるたび、遠くの星々が瞬いた。
「手を伸ばしたら掴めそうです……」
下宿先の都会では決して見ることのできなかった光景に息を呑む。
都会の喧騒から遠く離れた場所で一等星たちが鋭く光り、まるで僕達だけが世界から取り残されたような心地よい孤独を感じた。
「綺麗ですね」
「うん、綺麗だね」
どこかに仕舞い忘れてしまった、子どもの頃の宝物を見つけられたような気分だった。
「アリスちゃんは素敵なものを見つけるのが上手いね。敵わないなぁ」
「ふふ、なんだか今日はマオに褒められてばかりです」
きっと彼女から見える世界は綺麗なんだろうなぁと羨ましさすら覚えた。
僕が夜空を眺めていると、ふとアリスちゃんからの視線に気がつく。
提灯の灯りでぼんやりと見える彼女の顔。
端正な顔がふわりと崩れると、氷が溶けるように甘い笑みが浮かんだ。
「……さっきマオは、アリスにまだ隠し事があると言っていましたね」
「うん……ごめんね、自分ばかり隠し事なんてして」
「いいえ、アリスは気にしません。
……それにアリスにだって、マオに隠していることがあるんですよ」
提灯がアリスちゃんの手から離れて、地面にぺたりと落ちる。
しぼんだ提灯の灯りが消えて、辺りが暗くなった。
真っ暗になった視界の代わりに、他の感覚が働く。
夏の空気の湿り気と、涼しい風が肌を撫でた。
「……っ」
それから、ふわりと漂う彼女の匂い。じんわりした温もり。頬に感じた、柔らかな感触。
「────」
次第に目が暗闇に慣れていき、彼女の輪郭を少しずつ捉える。
目に映ったアリスちゃんは、優しく笑みを浮かべていた。
彼女の笑顔は現実味がないくらいに綺麗で、夢かと思ってしまいそうだった。
「……アリス、スニーキングミッション成功です」
そう言って彼女は、いたずらっ子のように笑った。
◆◆◆
大きな建物が立ち並ぶ、地元の都市部に来た。
関東といった都会に比べれば僕の県はド田舎だが、それでも都市部まで来れば結構栄えている。
夏休みなのもあり、大学生くらいの集団や家族連れの通行人を多く見かけた。
今日は、僕一人だけでの行動だ。
せっかく帰省したので、中学時代にお世話になった先輩達への挨拶をしに来た。
ちなみにトキちゃんとアリスちゃんは、今日は二人でドライブデートに行っている。
そっちの方も楽しそうで魅力的だが、先輩達に会える機会は帰省くらいだけなので断念した。
スマホで時間を確認する。
待ち合わせの時間までもうすぐだ。
先輩達と会うのは、僕の中学三年生以来だ。
僕は進学先の都合で県外へ行き、先輩達は地元の高校に進学したため、先輩達とは離ればなれになった。
先輩達とは新年にあけおめメールをしたり、暑中見舞いを送り合ったりする程度の交流だけ続き、直接会話したのは一年前。トキちゃんと同じくらいのエンカ率だ。
近況はミドトークである程度聞いている。
どうやら進学先の高校はかなり治安が悪いらしく、先輩達の所属する風紀委員会が治安維持組織となって秩序を保っているらしい。
先輩達は見かけによらず武闘派だし、正義感もあるので似合っているなとは思った。ただ問題児が多く、風紀委員の仕事が多忙すぎるとよく愚痴をこぼしている。ある意味充実しているようだ。
スマホの内カメラで髪を整えたり、服に皺がないか確認しながら定刻を待つ。
しばらくすると後ろから、こちらに向かって駆け寄る足音が聞こえた。
後ろへ振り返ってみる。
すると目の前に、暴力的な双丘が押し寄せていた。
「マオさ~~~ん!!!」
「わっぷ!?」
何者かに視界を覆われ、正面から抱きつかれたことだけが分かる。
大人っぽいフレグランスの匂いにクラクラしそうになるも、顔に押し付けられたふわふわとした脂肪の塊に意識を引き留められた。
デカ過ぎんだろ……。前に抱きつかれたときよりも重量感が増えている気がする。まだ発展途上とでも言うのか……
「……お、お久しぶりですアコさん。あと、そろそろ離していただけると……」
「離しませんっ! もう~、どうしてそんなに冷静なんですか! 一年ぶりの再会だというのに! あともう小一時間はこうしてます!」
このとにかくインパクトある方が天雨アコさん。
僕の中学時代の先輩だ。
「あの、アコさん……ここだと人目があるので、もう少し落ち着いた場所に行きませんか? それと苦しいのでもう解放していただけると……」
「駄目です! 今日はずっとこのままで……」
「───アコ、もうその辺でやめておきなさい。マオが困っているわ」
もう一人の声が聞こえると、アコさんの抱擁が嘘みたいにピタリと止む。
そしてアコさんが残念そうな声を漏らしながら僕を解放してくれた。
「はい、ヒナ委員長がそう言うんでしたら……」
「まったく……こうなることは予想していたけれど、節度があるわよアコ」
その儚いけれど凛とした声色のおかげで、声フェチの僕はすぐに誰か分かった。
「ありがとうございますヒナさん……助かりました」
「ええ、マオ。久方ぶりね」
そう言って、ヒナさんはその背丈からは想像できない大人っぽい表情で笑みを浮かべた。
この方が僕のもう一人の先輩、空崎ヒナさんだ。
一個上の先輩だが、身長は僕よりも低い。
一見すると小学生のように見えるが、その落ち着いた佇まいは大人らしさが感じられる。
性格もとてもしっかりした方で、僕の尊敬する先輩だ。
「お久しぶりですヒナさん。ご活躍は常々、アコさんの方から聞いています」
「マオも上京して初めての一人暮らしを頑張っているとアコから聞いたわ。学業との両立もしていて立派ね」
僕もヒナさんもあまり連絡を取らないタイプなので、お互いの近況はミドトークのグループで頻繁に喋るアコさんのおかげで認知している。
僕の中学校の卒業祝いで行った三人での旅行もアコさんが計画してくれたものだ。彼女のおかげで、僕達三人の輪が途切れずにいると言っても過言ではない。
僕が一年ぶりの会話に懐かしさを覚えていると、ヒナさんがアコさんへ声をかけた。
「立ち話も何だし、どこかで座って話しましょう。アコ、この近くで落ち着ける場所はあるかしら?」
「それでしたら、ここから少し歩いたところにテラス席が人気のカフェがありますよ。今日は涼しいですし、落ち着いて話すにはピッタリかと」
「そこでいいわ」
「かしこまりました。では席の予約をしておきます」
すぐにアコさんがスマホで連絡を取り、席の予約をしてくれる。
アコさんのまさに仕事ができる女性感に、僕はリスペクトの念を送った。僕の周りって有能な人ばかりで泣きそうだ。
目的のカフェに向けて歩き出す。
こうして三人で歩くのは久しぶりで、なんだか中学時代を思い出す。
昔はあまり拝むことのできなかった先輩二人の私服姿にドギマギしつつ、懐かしい会話を楽しんだ。
「フフン~♪」
「アコ、あんまりベタベタしすぎるとマオが歩きづらいわ」
「ヒナ委員長、そう懸念せずとも私はヒナ委員長一筋ですよ! マオさんは別枠ですのでご心配なさらず」
「あはは、僕は大丈夫ですよ。アコさんの強引なところは慣れっこなので」
隣を歩くアコさんに腕を絡まれながら、僕は苦笑いして歩みを進める。それを見てヒナさんがやれやれといった顔で匙を投げていた。
そんなアコさんだが、僕に対しては親馬鹿みたいに甘かったり、ヒナさんに対して溢れんばかりの愛情(歪んだ)を持って接しているが、実は結構気が強くて気難しい人だ。
特に風紀委員のお世話になるような問題児には人当たりが強く、バシバシと指導に当たっていたのを覚えている。
以前、どうして僕に優しくしてくれるのか訊いてみると「物憂げな表情がヒナ委員長そっくり」「何しても拒否しない委員長みたいで良い」とのことだった。
確かに知人からは
「ヒナさんとアコさんは、夏休みの間にどこか遊びに出かけたりしました? 高校生活最後ですし、思い出作りのようなものとか」
「特にないわね。進学を考えてるから、今は予備校で夏期講習漬けの日々だわ」
「私もヒナ委員長と一緒の学校を目指して勉強中ですね。国語や数学はまだしも、歴史科目はキヴォトスと違いがあるので覚えるのが大変でして」
「そっか、そういえば二人ともヒマリさん達と同じ出身ですもんね。もっと早く教えてくれれば、地歴とかは僕も力になれたのに」
「別の世界から来ただなんて荒唐無稽な話、あの頃は誰に言っても意味がないと思っていたわ。まあマオが信じてくれないとも思っていなかったけれど、タイミングがなかったの」
「そうですね。ですが、こうしてカミングアウトしてみればスッキリするものですね。友人との間に隠し事があるのはむず痒いですから」
それから二人から、こちらの世界に来たときのことや二人の思い出話を聞きながら談笑した。
ちなみにヒナさんとアコさんはほぼ同じタイミングでこちらの世界に来たらしく、運良く親切な一般人の御宅に居候させてもらったらしい。
それでも色々と苦労することがあったのだろうと、二人の身の上話を聞きながら察せられた。
「ウーン……ヒナさんとアコさんには、もっと学生らしいことをたくさん楽しんでほしいなぁ……」
「一応アコに誘われたから、夏休みのどこかで海へ行こうとは思っているわ。海沿いの地域だから移動に時間も掛からないし」
「マオさんはこちらに何日滞在されるんですか? もしよければ、またこの三人で羽目を外せればと思っているのですが」
「ええと、あと一週間くらいですかね。帰省の目的は果たせたので、あとはのんびり過ごそうかなと」
「あら、でしたら一緒に行けそうですね! ヒナ委員長も宜しいですか?」
「ええ、二人が構わないのなら私も行くわ。
マオの言う通り、高校生活最後だものね。海に行ったら皆と写真を撮って、思い出に残したいわ」
「ぜひ僕の方こそお願いします。基本的に暇なので、日付が決まったら教えていたければ大丈夫です」
「では決まりですねっ! ……ウフフ、ヒナ委員長の水着姿……今年はマオさん用の水着もプレゼントしないとですね。フフ、胸が高鳴ります……じゅるり」
「アコさんアコさん、表情ヤバいです。美人がしたら駄目な顔してます」
僕の指摘に「もう~! 美人だなんて~!」とぐりぐり頬擦りしてきたアコさんをあはは……と笑いながら受け流す。なんかもう無敵だこの人。
トキちゃんといいアコさんといい、僕の地元はヤバい人が多いのかもしれない。
ヒナさんが唯一の清涼剤だ。僕の心のセーブポイントとしてこまめにセーブしよう。そうでもしないと体力がもたない。
アコさん紹介のカフェに到着した。
人気と聞いていたテラス席が幸運にも一席分空いていたため、そちらに腰かける。
植物園のように緑豊かなオープンテラスは如何にもオシャレな佇まいで、他の席にはキラキラした雰囲気の女子会やカップルが随所に見られた。場違いすぎて肩身が狭い。
ウェイトレスさんに飲み物を注文し、またフリートークに興じる。僕の飲み物はコーヒーソーダというものが気になったのでそれにした。
「三日会わざれば刮目して見よ、と言うけれど。少し雰囲気が変わったわね、マオ」
ヒナさんが口に含んだストローを離し、グラスの中でカラカラときらめく氷を揺らす。
彼女の言葉に同意するように、アコさんも口を開いた。
「そうですね。前にお会いしたときよりも角が取れたというか、余裕があるように感じます」
「ほんとですか? 知人からはよく大人っぽくなったねと言われますが、あんまり自覚はないです」
不思議そうにする僕の反応を見て、ヒナさんが言葉を続けた。
「今日再会できたときも、貴方の元気そうな顔を見て真っ先に安心を覚えたわ。マオは出会ったときから風船みたいにふわふわしていて、どこかへ飛んでいきそうな子だったから」
「あら、素敵な表現ですね。確かにマオさんは丁寧な物腰なのに、掴み所がない感じでした」
「……僕ってそんな風に見えてたんですね」
先輩達からの僕の印象に気恥ずかしさが湧く。
ちょっとスカしてるように見えてたら尚のこと恥ずかしい。昔の話で良かった。
「ところで、『角が取れた』で思い出したんですが、ヒナさんの
再会したときから気になっていた質問をする。
目を凝らしてみても、ヒナさんのシンボルマークである四本の角と骨ばった翼が、やっぱり見る影もない。
お伽噺に出てきそうなふわふわしたロングの白髪は目を引くが、それを除けばヒナさんの外見は、どこにでもいる普通の女の子だった。
僕の疑問に、ヒナさんがシニカルな笑みを浮かべて答えた。
「そういえば説明がまだだったわね。私の角と翼はどこかに行ったわけではなくて、ただ見えていないだけなの」
「んん? それってどういうことです?」
「一年ほど前、ちょうどマオが進学した後に、こちらの世界に来たミレニアムの技術者が、光学迷彩を開発したの。
私達キヴォトスの出身者の姿は、こちらの世界の人には物珍しく映るわ。私も目立つのは得意ではなかったから、その技術の恩恵に与っているの。今も隠しているのよ」
「光学迷彩なので、こうして近くで触ってしまうとバレてしまうのは難点ですがね。見えないですが、ヒナ委員長のチャームポイントは健在ですよ」
「アコ、どさくさに紛れて触らないで」
「す、すみませんつい! 申し訳ありませんっ!」
なるほど、そのミレニアムの開発者によるトンデモ技術のおかげで、ヒナさんはこっちの世界の一般人に見えるわけか。
なんか凄い次元の話だけど、とりあえず納得した。
「でも残念ですね。ヒナさんの角って紫のラインが入ってて綺麗でしたし、黒い翼もカッコ良かったので。隠すのは勿体ない気もしちゃいます」
「……もう、マオのそういうところは相変わらずね」
「ヒナ委員長の貴重な照れ顔! 眼福です……!」
少しぎこちない態度のヒナさん、なぜか盛り上がるアコさんを眺めながら、一人で考えを巡らす。
キヴォトスから来た人達は、その人達なりにこちらの世界に順応しているらしい。
身一つで知らない場所に来たというのに、彼女らは皆
近況報告するような話もほどほどに尽きて、どこかに出かけようということになった。
「でしたら僕、カラオケに行きたいです」
僕の提案にヒナさんが意外そうな声をもらした。
「カラオケ……」
「ヒナ委員長は行ったことありますか?」
「ないわね。アコ達はあるの?」
「私はマオさんと一度だけ行ったことがありますよ。日々のストレス解消にどうかと、マオさんが誘ってくれたので。意外と楽しかったです」
「ちょうどヒナさんが忙しそうで不都合だったときに行きましたね。仲間外れみたいになってしまってすみません」
「それは構わないけれど……どうしてカラオケに?」
「僕が前に、ヒナさんが放課後に音楽室でピアノの弾き語りをしているのを見たことがありまして」
「みっ、見てたのね……」
「覗き見しちゃってごめんなさい。そのときに聴いたヒナさんの歌声が凄く綺麗だったので、また聴くことができればなと思いまして」
中学生の頃の話だ。
偶然にも音楽室の前を通りかかったらピアノの音がしたので、学校の七不思議かなと思って中を覗いてみると、そこには美しいピアノの旋律に合わせて儚げに歌うヒナさんがいたのだ。
夕焼けの差し込む音楽室で、一人で弾き語りをするヒナさんの姿に心を打たれたのをよく覚えている。
「どうですか、ヒナさん?」
「……歌は得意ではないのだけれども、分かったわ。行ってみるわ」
「やったあ!」
「やりましたねマオさん! ヒナ委員長の歌声が聴けるなんて……ナイス提案です!」
「もう、喜びすぎよ」
こうして僕達はカラオケに行くことになった。
ヒナさんの歌をもう一度聴くことができるなんて、この上ない幸せだ。絶対録音しよう。
盛り上がる僕とアコさんを見て、ヒナさんが恥ずかしそうに呆れる。それからボソリと呟いた。
「……学生らしいこと、楽しんでみようかしら」
ヒナさんの言葉に、僕とアコは二人して応える。
「はい、楽しみましょう委員長」
「そうですね。忘れられない夏にしちゃいましょう、ヒナさん」
「……ありがとう。アコ、マオ」
ヒナさんが小さな花が咲くように微笑む。
そのヒナさんの顔だけでお礼は十分だと思った。
そうして僕達はカラオケに行き、喉がガラガラになるまで歌った。
アコさんは歌声が可愛かったし、ヒナさんも途中からデュエットしてくれるなどノリ良く楽しんでくれた。
夏の明るい空が暗くなってしまうまで、時間を忘れて盛り上がった。
二人の歌っている様子がとても良かったので、録画したものを許可をもらって動画サイトにアップロードしたら、かなりの反響を呼んだのはまた別の話だ。
◆◆◆
帰省最後の日。
寂しそうにするトキちゃんの熱烈な見送り(スキンシップを越えた何か)を受けて、僕は再び故郷を旅立った。
帰りの新幹線では、車窓からの景色に名残惜しさを覚えながら、帰省中の思い出に浸る。
変わったようで変わりない皆の姿は、いつの日にか誰しも大人になってしまうことの寂しさを紛らわせてくれる。
僕を形作ってくれた景色や人はずっとそこに居てくれた。その安心感を思い出すことができたのが、今回の帰省の一番のお土産だった。
アリスちゃんとウトウトしながら新幹線に揺られていると、目的の駅に到着した。
お土産でパンパンになったキャリーバッグを引き、都会の懐かしい人混みに流される。
相変わらずアリスちゃんはひと気の多いところで目立っていたが、早く下宿先に帰って休みたい気持ちが勝り、僕も気に留めなかった。
駅を出て、太陽にジリジリと焼かれながら帰路を歩けば、ようやく我が家のあるアパートまで来た。
アパート前の電信柱に『美少女大家と行く! ツチノコ探し!』『参加者随時募集中! 現在0名』とチラシが貼られているのを発見する。誰か行ってあげればいいのに。
アパートの門をくぐると、中庭の方からパシャパシャと水の跳ねる音が聞こえた。
気になったので中庭に足を踏み入れてみる。
そこには、ビーチチェアで優雅にくつろいでいるヒマリさんがいた。
近くには並々と水の張ったビニールプールがあり、少しだけ涼しく感じる。
よく見たら水面に氷が浮かんでいた。道理で涼しいわけだ。
「あら、マオさんとアリス。お帰りなさい」
ヒマリさんは僕達に気がつくとサングラスを外し、にこりと微笑んだ。
「アリス、ただいま帰りました!」
「ふふ、小麦色に焼けましたねアリス」
ヒマリさんのビーチパラソルの下にアリスちゃんが駆け寄る。
「ヒマリ先輩用のお土産があります! どうぞ受け取ってください!」
「あらあら、これはご丁寧に。ありがとうございます」
お土産を受け取ったヒマリさんは慈愛の笑みを浮かべ、アリスちゃんの頭を撫でた。
ビニールプールの近くを通ると、水中に全裸のエイミちゃんが沈んでいた。スルーしてヒマリさんに声をかける。
「ただいまです、ヒマリさん」
「お帰りなさいマオさん。少し見ない間にマオさんも日焼けしましたね。健康的ですよ」
「あはは、海に行ったんですがすっかり焼けてしまって。未だにお風呂に入るとピリピリします」
「海ですか。インドアなマオさんが珍しいですね」
「地元の先輩達に誘われたんですよ。いやあ、片方の先輩が大胆な水着を来ていたのでビックリしました」
「先輩方と海……」
そこで、ヒマリさんの僕を見る目が怪訝そうになる。
よく分からないが地雷を踏んだらしい。
「フムフム、なるほど……」
すると、いつの間にかプールから顔を出していたエイミちゃんがヤジを入れた。
「つまりマオ先輩は肌を焼き、ヒマリ先輩はヤキモチを焼いてるわけだね。これは興味深……アダッ」
ヒマリさんの投擲したサングラスがエイミちゃんの眉間に着弾する。
エイミちゃんは目をぐるぐるさせながら仰向けになり水中に逆戻りした。
「見てくださいマオ、水にエイミのお◯ぱいだけ浮いています! 島みたいです!」
「へぇー、胸が大きいとあんな風になるんだね」
僕とアリスちゃんが感心していると、ヒマリさんがわざとらしく咳払いをして話を戻した。
「……別にヤキモチなんて焼いていません。マオさんが楽しんできてくださったのなら、それで良かったです」
頬を桜色に染めてツーンとした態度のヒマリさん。
どうやら自分が海に誘われなかったことを拗ねているらしい。分かりやすい人だ。
「あの、ヒマリさん」
「はあ、何でしょう軟派者のマオさん。土産話ならアリスから聞くので間に合っていますが」
「今度、夏祭りに行きませんか」
ヒマリさんの動きがピタリと止まる。
「…………………ちなみにそれは何人で、ですか」
「人数ですか? それなら……」
チラリとアリスちゃんの方を見る。
アリスちゃんは水に浮かぶエイミちゃんの胸を人差し指で面白そうに突っついていた。あとで僕もそれやりたい。
お祭りはアリスちゃん含めた三人で行ければと一瞬考えたが、バイタリティ溢れるアリスちゃんと機動力の低いヒマリさんだと互いに気を遣わせてしまうかもしれない。
僕は考えを改めて返事した。
「僕とヒマリさんの二人です」
「ま、マオさんと二人きりですか……?」
「はい」
「えっと、それはつまり……」
「はい?」
「……で、デートということでは……」
「? ああ、はい。そうなりますね」
ヒマリさんの真っ白な肌が赤く染まっていく。
後半から声のボリュームが小さくて何と言っていたのか分からなかったが、とりあえず肯定しておいた。流石に変なことは言っていないだろう。
「……珍しいですね。マオさんの方から、そんな風にお誘いしてくださるなんて」
「せっかくの夏休みなので、もっと思い出を作りたいなと思いまして。どうですか?」
僕はいつも誘われ待ちなので、アコさんを見習って自分から誰かを遊びに誘いたいと感じていた。
誘われ待ちのヒマリさんを見てこれはチャンスだと思い、直近のイベントである夏祭りに誘ってみることにしたのだ。
ノリの良いヒマリさんにしては返事が遅いなと感じていると、ようやく彼女はその重い口を開いた。
「……ふふん、そこまでマオさんに頼み込まれては仕方ないですね。この超天才清楚系病弱美少女大家の浴衣姿を拝めることを光栄に思ってください」
「ということは……?」
「行きましょう。当日はエスコートお願いしますね」
暑いのか顔を真っ赤にしたヒマリさんが余裕ぶった顔でOKしてくれた。
考えてみたらこれってデートのお誘いみたいだなと今更気がつくも、ヒマリさんのことだしそんな甘酸っぱい展開はないよなと上がりそうだったテンションが降下する。
悔しいから言わないが、ヒマリさんと二人で行けるのはラッキーだ。僕は小さくガッツポーズをした。
僕とヒマリさんが話している間に、いつの間にかアリスちゃんが靴下を脱いで、プールに足を伸ばしていた。
「エイミが気持ち良さそうですっ! アリスもプールに入ります! ……きゃあっ、冷たいです!」
「アリス、寒中水泳は体に悪いですよ。エイミのように体に余計な脂肪が付いていないと風邪を引きます」
「そう? 先輩が鶏ガラみたいな体なだけだと思うけど」
「エイミ、表に出なさい。今日という今日こそ貴女に私の洗練された肢体について解らせる必要があります。あといつまで裸なんですか、いい加減にしないと国家権力に引き渡しますよ」
「なるほど、ビニールプールとはそういうものなんですね……アリス分かりました! エイミを見習って裸でプールに入ります!」
「ああもう! アリスの教育に悪いことばかりして!」
仲良くする三人の姿を見て、思わず小さく吹き出してしまう。
自然と出ていた笑い。
肩の力が抜けて、僕は安心しきっていた。
帰省から戻ってきてホームシックになるかなと思ったが、そんなことはなさそうだ。
いつの間にか、この場所も僕にとって大事な場所になっていたみたいだ。
「……あはは、僕も入ろうかな」
「マオ先輩もおいで~。気持ちいいよ~」
「マオっ、新発見です! プールの中でエイミにくっつくと温くて丁度いいですよ!」
「マジ? じゃあ僕も遠慮なく」
「マオさんはおもむろに服を脱ごうとしないでください! ハレンチですっ!!」
ヒマリさんの反応に僕はカラカラと笑う。
今は無性にばか騒ぎしたい気分だった。
なんだか嬉しい。
そっか、僕は帰ってくる場所が二つも出来たんだ。
何もかも脱ぎ捨てるように、僕はプールに飛び込んだ。