運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく   作:シドロンモドロン

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第37話 あの時

いいじゃん。

禁止って言われるほど、行きたくなるだろ?

ほら、もう止まらない。

ソレもコレも、ぜ~んぶ自己責任。

 

子供も大人も、みんな自己責任で覗きこむんだ。

覗かれた穴のほうは関係ないのさ。

そこにあるだけだよ。

 

たぶん、な。

 

 

薄暗いなか、目だけが冴えている。

 

相沢みのりは膝を抱えたまま壁にもたれて息を殺していた。

喉が砂を噛んだように乾いて、唾を飲み込むだけで痛い。

 

「……みのり、絶対に動くなよ。」

 

兄の声がすぐ前から聞こえる。

いつもより低い。震えが出ないように――押さえつけた声だ。

 

「うん……」

 

相沢一成は妹を背にして前を睨みつけていた。

片手には拾った棒。流木みたいに乾いて軽い。

握るとささくれて痛い。

立ってはいるが、両足は震えている。

もう片手は妹の前に体をかぶせるように腕を広げていた。

 

兄の肩が上下するたび、血の匂いが濃くなった。

汗と泥と、金属みたいな臭い。

こんな匂い、知りたくなかった。

 

「……来た」

 

その直後だった。

ざり、ざり、と砂利を踏む音。

低い唸り声と、笑っているようにも聞こえる甲高い鳴き声。

だからだろうか、音が余計に近く感じる。

 

みのりは闇を見つめたまま、震える指先を握りこんだ。

 

(怖いよ……なんで、来ちゃったんだろ)

 

 

言い出した人が誰だったのか、よく思い出せない。

 

『こんど、回廊の入口が増えるらしいよ!』

『やっべ!お台場海浜公園にも回廊の入口が出てくるんだって!』

『すぐ近くやん』

『え~?ほんと~?』

『俺もそれ見たわ。冒険してぇー!』

『いやー、デマだろー?』

『マジマジ、明日だってさ!』

 

そんな話が、昨日から一気にクラスチャット内で話題になってた。

エスカレーター式で受験がほぼ無い高校三年生。

私を含めて、みんな暇なんだと思う。

 

『そしたらさ、明日見に行こうよ!』

『ほんとに?嘘くさくない?』

『だよなぁ』

『ところでこないだ見た?Mr.RedPumpkinの新曲が――』

『アレまじよかったー!それで――』

 

話はどんどん流れていって、チャットは別の話で盛り上がっていく。

 

そんな中、グループ通話が始まった。

私とゆーちゃん、ナツキにカナ。

 

「マジでさ、行ってみようよ!」

「無理だって~寒いよー」

「試しに行くだけだって!」

 

あ、行くんだ。

ナツキ、ホラーとか好きだもんなぁ。

でも個人的には遠慮したい。興味はあるけど怖いし。

 

「こんなチャンスないと思う!」

「ね!だよね!」

「もうすぐ高校も卒業だし、思い出作りと思ってさ!」

「マ?ならあたし……好きピ誘っちゃおうかな…」

「マッ!?いいじゃん!協力するよ!」

「竹山っしょ?こーゆーの好きそ〜!イケるイケる!」

「ねー!みのりんも協力してー!」

 

こ、この流れは……

 

「で、でも、本当に? 行くの? 危なくない?」

「みのりん、相変わらず怖がりだなぁ」

「みーちゃんのイケ兄も誘ってさ!行こうよ!」

「カ〜ナ〜、お兄様の事狙ってね?ウケる。

 みーのりん!あたしの為にも!お願い!」

 

地元の高校で、子供のころからの友達。

雰囲気は変わったけど、ずっと仲良し。

断ったくらいで壊れる関係じゃないことも分かってる。

 

「わ、わかった……じゃぁ、行くよ」

「さっすがー!みのりん愛してるー!」

「しゅーくんに連絡しよ」

「学祭で久々に見たけど、みのりんのお兄様さ!

 イケメンだからマジアガる!」

「ふふふ、も〜。ちょっとお兄ちゃんに聞いてみるね」

 

兄のことを褒められると、やっぱ嬉しい。

でも、「怖がり」って言われたのが、今回は妙にカチンときて――

気づいたら話に乗ってしまっていた。

 

帰ってから、早速兄に話を持ちかける。

 

「みのり?怖いの苦手じゃなかった?」

「そうなんだけどさ〜カナがさ〜」

「カナちゃん? あぁ、あの元気な子だっけ。仲いいねぇ。

 まぁ……面白そうだし、行こうかな」

 

いつも優しい、二つ上の兄。

カナの名前を出したら、まんざらでもなさそうで……

ちょっとモヤっとした。

 

「お母さ〜ん、明日の朝だけどー。

 お兄ちゃんと行ってきていいー?」

「いつもの里中さん達と行くの? 気をつけて行きなさいよ?

 ちゃんと動きやすい靴履いて行きなさいね。

 行く皆にも言っておきなさいねー」

 

心配する親の許可を取ってまで。

来てしまった。

 

翌朝の薄暗い寒空の下、皆が集まった。

全員ちゃんとスニーカーなあたり、根の真面目さが出てて可笑しくなる。

 

彼氏のしゅーくんを連れてきているナツキは、ずっとぴったりくっついてる。

 

ゆーちゃんは片思いの竹山君に本当に声をかけたみたいだ。

彼、運動できるゲーマーだから。

こういうの好きなんだろうな。

目がキラキラしてる。

ゆーちゃんに誘われて嬉しいんだと思いたい。

 

カナは私の兄にやたらと話しかけている。

もし結婚なんてしたら、カナが義理の姉……。

やめよう。

複雑な気持ちになってきた。

 

みんな楽しそう。

 

どうせ何も起きない。

見に行って、写真撮って、朝ごはん食べて、ショッピングして、カラオケして――

将来「あの時さ」って笑って話すだけの、軽いイベント。

 

そう思い込んで、砂浜へ向かった。

海風が冷たい。

防寒してても、寒いものは寒い。

なのに。

 

進む足取りが、ぴたりと止まった。

砂浜の真ん中に――扉の開いたエレベーター。

 

「うっわ、マジで!!やば!」

「ちゅいったーにアップしとこ!バズりそ〜!」

「俺ら、一番乗りなんじゃん!?」

 

みんなのテンションが跳ね上がる。

私も、だんだん怖さが薄れていくのが分かった。

 

「お!いい感じの棒ゲッツですな!お兄様も是非!」

「え? あぁ、ありがとう?」

 

竹山君の独特なテンションに、兄は困惑気味に棒を受け取った。

 

「……ちょっとだけ、入ってみようか?」

「えー、怒られるよ?」

「せっかくだもん!興味もあるし、ちょっとだけ!」

「はいはい行くよ!」

 

勢いで、エレベーターに皆で乗りこむ。

兄がこっそり「大丈夫か」と聞いてきたけど、

今日は不思議と大丈夫な気がして、曖昧に笑って返した。

 

風の音と波の音。

扉が閉まった瞬間、全部が遠ざかった。

 

エレベーターが下りる音。

開いた扉の先から、冷たい匂い。

 

――薄暗い闇。

 

点滅するように粒が光ってる壁。

なにこれ? どうなってるの?

 

おっかなびっくり、先に進む。

曲がり角を覗くたび、ちょっとしたお化け屋敷みたいで――

 

「い、意外と大丈夫じゃん」

「竹山くーん、あたしこわーい」

「ふふ、これで守ってしんぜよう! さぁ、お兄様も!」

 

そんな怖くも楽しい時間。

 

終わりは、急に訪れた。

 

いくつか十字路を真っ直ぐ超えた時。

前を歩いてた竹山君が、急に止まった。

 

「え?」

「なに?どしたん?」

「しー! 静かに……!」

 

声を抑えて、棒を構える。

 

「ちょ、やめなよー、シャレにならんて」

 

ゆーちゃんが止めようとした、その時。

 

ひゅんっ

ガン!

 

何かが壁に当たって弾けた。

パラパラと細かい破片が降りかかる。

 

「え……?」

石――?

 

「きゃーーー!」

「は?あぶなっ!」

「に、にげろっ!」

 

竹山君の叫びで、一目散に来た道を戻る。

 

後ろからは次々と石が雑に飛んできて、

壁や地面を叩いて嫌な音を立てた。

 

甲高い叫びと足音が後ろで重なる。

振り返る余裕なんてなくて、ただ全力で走った。

 

「なんなの!マジ意味わかんねー!」

「もー!最悪!汚れたし!」

 

ゆーちゃんとナツキは完全にキレてる。

そんな空気を打ち消すみたいに、竹山君が叫んだ。

 

「ゴ、ゴブリンだ! ゴブリンいた! こわっ!」

「はぁ!? マジ? 何言ってんの!」

「……待って、分かれよう! こっち!」

 

しゅーくんがナツキの腕を引いた。

二人は十字路を左に消える。

 

「みのり、来い!」

 

兄が私の手首を掴んで、真っ直ぐの道へ引っ張った。

私と兄はそのまま前へ。

 

竹山君とゆーちゃん、カナは右へ――あっという間にバラバラだった。

 

 

「……っ」

 

震える足に力を込めて一歩踏み込み、振りかぶる。

木の棒がぶん、と空を切った。

何かが甲高く鳴いて、後ずさる気配。

 

ざり、ざり、ざり。

 

だけど、止まらない。

視界の端で影が二つ、三つと増えた。

 

不意に肩が跳ねる。

 

「く……っ!」

 

痛い。投石だろうか。

それでも俺は笑った。苦しいのに、歯を食いしばって。

 

「みのり。目、閉じろ」

「やだ……!」

 

声が裏返る。

 

「閉じろ!」

 

妹を怒鳴ったのは初めてかもしれない。

怒鳴らないと、妹が壊れると思った。

 

視界の端で、みのりが頭を抱えて目を閉じる。

頑張るしかない。やるしかない。

喧嘩なんかしたことない。

でも、兄として、妹を守らなければ。

 

木の棒をわざと壁に当てて、乾いた音を鳴らす。

位置を教える? そんなこと考える余裕はない。

せめて威嚇になれ。

 

「……っ、くそ……!」

 

怖くて呼吸が乱れる。

足がずれる。砂利が滑る。

薄暗い中に小鬼が見える。もう近い。

ギャアギャアと鳴き声がうるさい。

 

どうせ襲われるなら、暴れてやる。

何もしないで誰も守れないなんてゴメンだ。

 

俺は強く棒を握り直した。

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