運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく   作:シドロンモドロン

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大変お待たせ致しました。少しずつですが、再開します・ω・


第38話 救助

棒を握り直したところまでは覚えている。

 

そのあと、何度振ったのかは分からない。

当たったのか、外れたのかも分からない。

気づいた時には、俺は床に倒れていた。

 

頬の下に砂利がある。

口の中に血の味がある。

息を吸うたびに、腹の奥が引きつった。

 

折れた棒は、まだ手の中にあった。

棒というより、短い木片だった。

指が勝手に握っているだけで、もう何の役にも立たない。

 

それでも手放せなかった。

 

痛みを食いしばり、細くなった視界を揺らし、みのりを探す。

 

いた。

壁際に座り込んでいる。

膝を抱えることもできず、両手を落としている。

目を見開いている。

 

俺を見ているはずなのに、俺を見ていない。

目だけが開いて、顔から表情が抜けていた。

泣くことも、叫ぶこともできなくなっていた。

 

それが、何より怖かった。

 

「……みの……」

 

呼ぼうとした。

声にならなかった。

 

また小さい足音が近づいてくる。

 

ざり。

ざり。

ざり。

 

いくつもの小さい影が揺れている。

そのうちの1体が、俺の横腹を蹴った。

 

俺が死んだら、次は妹だ。

そのことだけで、俺は耐え続ける。

 

「……っ」

 

変な音が喉から漏れた。

 

小鬼が鳴いた。

甲高い声が重なる。

笑っているのか、興奮しているのか、もう分からない。

 

小鬼が俺の手を蹴る。

木片が遠ざかる。

それだけで、最後の何かまで持っていかれた気がした。

 

小鬼の1体が、みのりの方を向いた。

やめろ。

反射で体が動くが、ほんの少しだけだった。

床を這うように腕を伸ばす。

 

小鬼が俺の背中を踏んだ。

 

床に胸が押しつけられる。

息が抜ける。

視界が白くなる。

 

それでも、俺は顔を上げようとした。

 

みのりが見えた。

呆然とし、中身だけがどこかへ逃げてしまったような顔だった。

 

泣いてくれ。

叫んでくれ。

何でもいいから、戻ってきてくれ。

逃げてくれ。

 

小鬼が俺の髪を掴む。

頭が持ち上げられ、首の奥が軋む。

視界が揺れた。

 

みのりの顔が遠くなる。

壁の白い粒が滲む。

小鬼の歯が、すぐ近くに見える。

 

息が臭い。

次の瞬間、頭が床に落とされた。

鈍い音が響く。

 

少し遅れて、痛みが来た。

その痛みも、もうどこか遠い。

 

もう立てない。

もう守れない。

分かってしまった。

 

それでも、俺はみのりの前からどけなかった。

どかなかったのか、どけなかったのかは分からない。

ただ、そこにいた。

 

小鬼の細い腕が上がる。

尖った石のようなものを持っていた。

それが俺に向けられているのか、みのりに向けられているのかも分からなかった。

 

やめろ。

やめてくれ。

俺でいい。

いやだ。

怖い。

もう、声は出なかった。

 

その時、どん、と床が鳴った。

 

俺の体に響くほど重い音だった。

通路の奥から、誰かが近づいてくる。

ほんの一瞬、通路が静かになった。

 

動かした視界の暗がりの中に、何かがいた。

人?

 

小鬼が叫ぶとともに、その影が動いた。

 

速かった。

何をしたのかは見えない。

 

ただ、俺の上にいた小鬼が横へ飛んだ。

壁にぶつかる音がした。

甲高い声が、途中で切れた。

 

何が何だかわからない。

激しい音と叫び声。

 

その何かは、俺とみのりの前に立った。

 

背中が見えた。

細い背中だった。

首筋から肩にかけて、短い毛が見えた。

腰のあたりで、細い尾のようなものが揺れた気がした。

コスプレ?

そんな場違いな考えが、一瞬だけ浮かんだ。

この際なんでもいい、助けて。

 

そのヒトは振り返らない。

 

ただ、小鬼たちの方を向いていた。

低く息を吐くような仕草が見える。

 

小鬼がみのりの方へ走った瞬間だった。

そのヒトが横にずれたと思ったら、小鬼が蹴り飛ばされた。

守ってくれている。

そう思っていいのか分からない。

でも、みのりの前に立ったのは確かだった。

 

俺はそれを見ていることしかできなかった。

 

そのヒトが、残った小鬼へ踏み込む。

 

壁が鳴り、床が鳴る。

甲高い声が消えていく。

 

1体。

もう1体。

それから、奥へ逃げた足音。

 

通路の中に、小鬼の声はもうなかった。

そのヒトは、俺の前に立ったまま少しだけこちらに顔を向けた。

 

人に近い。

短く切られた髪。

つり上がった目。

頭の上に、耳のようなもの。

頬のあたりに、薄い毛。

 

怖い顔だったが、襲ってくるようには見えない。

そのヒトの目は一瞬、みのりに向く。

次に俺を見た。

 

俺が感謝の言葉を紡ごうとした瞬間、その人影が通路の奥を向いた。

遠くから、別の足音が近づいてきていた。

 

重い靴の音。

装備が擦れる音。

人の声。

 

次の瞬間、そのヒトは暗がりへ走った。

 

あっという間だった。

白い粒の光が、耳の先と髪の端だけを一瞬照らす。

それもすぐに見えなくなった。

 

床には、塵が残っていた。

小さな牙のような欠片もある。

 

俺はそれを見ていた。

見ることしかできなかった。

みのりは、まだ壁際に座っていた。

目を開けたまま、動かない。

 

「……みのり」

 

今度は、少しだけ声になった。

その直後、白い光が通路を切った。

 

「要救助者、確認!」

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