運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく 作:シドロンモドロン
夜。
お台場現場支援テント内に、キーボードを叩く音が続いていた。
折りたたみ机の前に座り、汗で湿った髪を拭くこともせず、ノートパソコンの画面を見ているのは三宅だ。
画面には、臨時報告書の入力フォームが開かれている。
【お台場新規回廊入口 一次救助報告】
人間を並べるには冷たすぎる項目が白い画面の上に整然と並んでいた。
三宅の指が一度止まり、また動き出す。
【初期救助対象】
2名。
【救助者A】
身元:若い男性。警察・消防にて確認中。
状態:重傷。意識混濁。
発見地点:入口基準、第一分岐右奥側。
備考:若い女性を庇う姿勢で倒れていた。外傷多数。消防へ引き継ぎ済。
発言内容より、同行者5名の存在を確認。
周辺に回廊由来遺留物と思われるものあり。
回収、ラベル付けのうえ提出済み。
【救助者B】
身元:若い女性。警察・消防にて確認中。
状態:意識あり。会話困難。強い恐怖反応あり。
発見地点:救助者A付近。
備考:救助者Aの妹と推定。自力歩行困難。搬送補助後、消防へ引き継ぎ済。
救助者A。
救助者B。
味気ない報告だと思いつつ、三宅はまたキーボードを叩いた。
【追加聞き取り】
救助者Aの発言により、同行者5名の存在を確認。
【推定同行者】
3名救助済。
【推定同行者1】
発見地点:入口基準・右分岐奥側付近。
状態:座位。自力歩行不可。呼びかけに対し反応あり。
備考:頭部を両腕で保護した姿勢。強い恐怖反応あり。「来ないで」と反復。
【推定同行者2】
発見地点:入口基準・左分岐手前。
状態:仰臥。会話困難。
備考:意識混濁。声掛けに対し視線でのみ反応あり。外傷の詳細は消防引き継ぎ後確認。
【推定同行者3】
発見地点:入口基準・左分岐奥。
状態:座位。壁面にもたれかかり、破損したスマートフォンを保持。
備考:呼びかけに対し頷き反応あり。追加同行者の有無を確認したが、明確な証言は得られず。
【未発見】
2名。
三宅は最後の行を入力したまま、しばらく画面を見ていた。
未発見。
たった三文字。
その三文字の向こうに、まだ誰かがいる。
森山と直耶が、テントの外から戻ってきた。
「三宅、報告書はどうだ」
「一次分は終わります。ですが、未発見2名の扱いは、警察側の記録と照合が必要です」
「分かった。備考に入れておけ」
「はい」
三宅はまたキーボードに指を置いた。
【備考】
本件未発見者2名については、警察・消防による聞き取り情報と照合中。現時点では行方不明。
直耶は画面の端からその文字を見ていた。
行方不明。
その言葉に、感情を感じない。
人間の痕跡がただの項目になっていく。
【別件未確認者】
現場動画、配信映像、家族通報、友人申告を警察側で照合中。
同一人物の重複申告あり。
入口前で引き返した者、入場の有無が映像上判別不能な者を含む。
人数未確定。
三宅の指がそこで止まった。
「人数未確定、ですね」
誰に聞かせるでもない声だった。
森山は硬い表情で目を閉じていた。
直耶はその顔を横目に見つつ、ディスプレイに目を落とす。
回廊で命を落とせば塵となって消えてしまう。
その事実をどうすれば良いのだろう。
「最初の帰還者2名も警察側の記録と照合中です。
1名は負傷。もう1名は錯乱状態。
現場での発言は、記録に残しますか」
「そうしてくれ」
森山は短く答えた。
「判断は後でいい。見聞きしたものをそのまま残せ」
「分かりました」
三宅は少しだけ息を吸って、入力した。
【先行帰還者】
本件救助対象とは別に、封鎖前に入口より帰還した者2名を確認。
【帰還者1】
状態:足部負傷。泣きながら回廊内の状況を訴える。消防へ引き継ぎ済。
【帰還者2】
状態:興奮・錯乱傾向あり。「次は勝てる」「ステータスオープン」等の発言あり。
備考:虚空を指で操作するような動作を確認。実在する表示の有無は不明。精神的ショックによる言動の可能性あり。
直耶は画面から目を離し、その男の顔を思い出す。
笑い、震え、虚空に指を這わせる。
本当に何かを見ていたのか。
何も見えていないのに、見えていると思い込んでいたのか。
いや、思い出すのはやめよう。
気が滅入りそうだ。
そんな直耶のいる場所は、規制線内の少し奥。
砂浜の上に作られたその場所は、CORRIDOR JAPANの簡易基地だ。
CORRIDOR JAPANの支援車両に併設された白い簡易テント。
テントは風雨を遮るために囲い状になっている。
中には折りたたみ机やノートパソコン、簡易モニター。
少し会社のブリーフィングルームを思わせる。
直耶はテント内の端に椅子を引きずり、腰を下ろした。
思い出すのは回廊の中。
白い粒の光。
見慣れた塵の跡。
その中に落ちていた欠片。
奥へ進みたくない、あの重さ。
外へ出たはずなのに、戻りきった気がしない。
三宅はまだ画面に向かったまま、さらに記録を続けている。
森山は外で警察官と消防隊員に状況を説明していた。
時々、声が聞こえる。
「入口近くは確認済みです。
…はい、この先は追加人員と担架が必要になります。
…ええ、ですが現人数で奥へ伸ばすのは…」
漏れ聞こえる隊長の声。
多少は現場が落ち着いたと思いたい。
だが、規制線のロープの向こうでは泣いている人がいた。
怒鳴っている人もいる。
スマホを構えたまま、警察官に注意されている人は配信でもしているのか。
注意を受けた中年の女性が叫ぶ。
「まだウチの人が中にいるんです! 見つからないんですか!」
「確認中です。下がってください」
警察官が落ち着くようジェスチャーをしながら声を返す。
「確認中って何ですか!」
「現在、関係者の聞き取りを行っています。申し訳ありません。お下がりください」
その淡々とした対応。
それに、現段階では答えられることは本当に少ない。
警察官の言っていることは正しいはずだ。
彼女はきっと、行方不明者の家族や関係者なのだろう。
女性の悲痛な声は直耶の神経を撫で続け、
やるせない気持ちのままテントへ戻った。
外にいても休めそうにない。
テントへ戻った時、今度は数人のスマホが同時に鳴った。
聞きなれた社内アプリの通知音だ。
三宅が画面を見る。
直耶も遅れてスマホを取り出した。
画面には、臨時通達が表示されている。
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【新規回廊入口対応に関する勤務扱いについて】
新規発生した回廊入口へ対応中の社員へお知らせいたします。
現在の事象に対し、現場の待機時間を含め勤務扱いとします。
残業分は通常規定に従い処理いたします。
本件に関する臨時対応については、別途特別手当を支給いたします。
なお、体調不良、負傷、精神的負荷がある者は、直ちに上長または医務担当へ申告してください。
現場判断によらない独断での潜行は禁止いたします。
以上。
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サービス残業にはならないらしい。
それに少しだけ安心してしまう自分がいる。
テントの奥に置かれたモニターでは、ニュースが流れていた。
現場用に置かれた小型テレビだ。
音量は小さいが、字幕が音声と同時に表示されていた。
『政府は本日、世界各地で同型の新規回廊入口が確認されている件について、国内で確認された入口の初期安全確保を進める方針を示しました』
アナウンサーの落ち着いた声が流れ続ける。
『国内では、主要都市の駅前、港湾施設、公園、大学敷地周辺などで新規入口が確認されています。特に湾岸周辺では複数の入口が短時間で確認されており、警察・消防・自治体が連携して現場対応にあたっています』
『政府は、入口周辺での混乱を防ぎ、今後の安全な回廊運用に向けた基礎措置としています。海外で確認された入口については、各国政府が対応を進めているとのことです』
今後の安全な回廊運用に向けた基礎措置?
危険だから閉じる、ではなく?
「封鎖、しないんですかね」
「そう…らしいな」
三宅の声に直耶が答える。
「早すぎませんか?」
「……そうだな」
『また政府は、回廊由来物質の無許可売買を防ぐため、回収・鑑定体制の整備を進めると発表しました。
回廊内で発見された素材や結晶体については、国の許可を受けた窓口で鑑定・回収を行い、一定基準を満たすものについては補償または買い取りの対象とする方針です』
「えぇ? もう、そんなことまで?」
「これ、本気か…?」
それは、つい先日まで探索チームが会社の提出窓口へ持ち込むものだった。
そのはずだった。
そのニュースに、森山は驚いた顔で画面を見ている。
「た、隊長?知ってましたか?」
「…初耳だ。俺は何も聞いていない」
三宅がスマホでCJの公式ページを確認している。
そこには、すでに新しい案内が出ていた。
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【回廊由来物質の回収・鑑定について】
国の許可に基づき、CORRIDOR JAPANは指定窓口の一部運用に協力します。
【国内確認入口の暫定一覧】
湾岸本入口。
お台場。
芝浦。
品川埠頭。
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・
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そのほかにも、国内各地の地名が並んでいる。
だが、詳細欄の多くは「現地確認中」「自治体対応中」「遠隔支援」となっていた。
「……湾岸周辺だけ、情報の密度が違いますね」
「会社が直接動ける範囲だからだろうな」
森山は画面を見たまま答えた。
「全部を見に行くには、人も装備も足りない」
『政府はあわせて、回廊探索者候補の登録制度を開始すると発表しました。
応募者は基礎検査、医務チェック、適性確認、基礎訓練を経たのち
認定企業の管理下で活動することになります』
『制度開始当初は、既存の回廊運用企業が訓練・装備・安全管理に協力し
段階的に登録探索者の受け入れを進める見通しです』
危険な場所だから、無関係な人を遠ざけるものだと思っていた。
だが、そうではないと国が発表したのだ。
被害が出るから、制度ができる。
不明者を防ぐために、窓口が作られる。
勝手を許すわけにはいかないから、登録制度が始まる。
理屈は合っている。
ただ、早い。
あまりにも早い。
「隊長これ、どう思います?」
「回廊に勝手に潜るくらいなら、管理しようって事なんだろうが…
あの中をピクニック気分で探索できると思うか?」
「…」
三宅は口を噤み、言葉が出ないようだ。
画面では、解説者が「安全な回廊活用」という言葉をしきりに使っている。
モニターから明るい音楽が流れた。
ニュース番組が次の話題に移る音だった。
画面下のテロップには、まだ変わらずにこの文字。
『回廊探索者候補、登録開始へ。』
「登録すれば潜れるって、国がお墨付きを出したようなものですよね」
「ああ。同業者が一気に増えるぞ」
森山は低く唸る。
「でも、回廊には適性がないと長期間は潜れませんよね?」
「そのはずだ。だが、一回だけ試してみようって奴は必ず出る。
うまくいけば金になると思えば、なおさらだろう」
三宅はスマホの画面を見たまま、口を閉じた。
少しして、ぽつりと言う。
「僕たちの仕事も、変わっていくんでしょうね」
「変わるだろうな」
森山は否定しなかった。
「だが、なくなりはしないさ。むしろやることは増えるだろうな」
三宅は小さく息を吐いた。
「……嫌な増え方ですね」
「同感だ」
直耶はモニターを、ぼぅっと眺めていた。
テントの外からは、まだ人の声が漏れ聞こえていた。
人も、死も、仕事も、危険も、順番に項目へ変えられていく。
けれど直耶には、まだ中に残っているかもしれない人たちだけが
画面の隅に置き去りにされたように見えた。