運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく   作:シドロンモドロン

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第41話 一斉調査

気づいたらもう、朝になっていた。

直耶は支援車両の簡易シートで目を覚ます。

 

眠ったというより落ちていたに近い。

毛布を渡され、横になれと言われ、靴だけ脱いだところまでは覚えている。

 

誰に言われたのかは、はっきりしない。

確か森山だったろうか。

直耶は上体を起こし毛布を畳む。

 

足元に置いた靴には砂がこびりついている。

靴下のまま床へ足を下ろせば、車両の床がひやりと冷たい。

 

目をやったスマホの通知欄は回廊の文字で埋まっていた。

 

少しうんざりとした気持ちで支援車両の外へ出ると

まだ人の喧騒が続いている。

その中に消毒液と海の匂いが混ざっていた。

 

テントの入口から外を覗けば、砂浜にはまだ警察車両と消防車両が残っている。

ロープの向こう側にはまばらに人影が見えた。

昨日より静かになりこそしたが、状況が変わったわけではない。

 

支援テントの奥では相変わらず小型テレビがニュースを流していた。

世界地図と日本地図が交互に映る。

赤い点がいくつも点滅し、その横に「確認済み入口」と表示されている。

 

「起きたか」

 

森山の声がした。

 

振り返ると、森山が紙コップを片手に立っていた。

飲みかけのコーヒーは、もう冷めているようだった。

 

「はい」

「医務確認を受けろ。終わったらブリーフィングだ」

 

直耶は、少しだけ眉を寄せた。

 

「また救助ですか」

 

森山は苦笑いをしつつ、紙コップを一度だけ見てから短く言う。

 

「そんな顔をするな。救助じゃなく、今回は調査だ」

 

支援車両の横には簡易医務スペースが作られていた。

 

折りたたみベッドが2つ。

簡易モニター。

紙コップの水。

白いビニール手袋の箱。

 

そこで佐伯は、いつもの医務室と同じ顔で待っていた。

 

「境くん、元気だった?」

「お久しぶりです。佐伯先生、来られたのですね」

「そ。たまたまね。輪番だからずっとって事じゃないけど。

 さ、そこに座って。」

「ここでもですか」

「ここでもです。文句は受け付けません」

 

検査は簡単なものだった。

心拍、瞳孔、簡易L値、問診。

 

佐伯は端末を見て、軽く眉を寄せた。

 

「数字は大きく落ちてない。でも、体は疲れてる感じね」

「あんまり寝てないからですかね」

「はい、その通りー」

 

即答された。

 

「今日は短時間以外、潜らせたくないわね」

「短時間ならいいんですか」

「私に決定権があるなら、短時間でも嫌よ」

 

佐伯は端末に入力し、直耶を見る。

 

「でも、現場は私の好みで止まらないもの。

 だから、変だと思ったらすぐ言いなさい。気合いでごまかすのは禁止よ」

「……はい」

「いい返事。信用してないけどね」

 

軽く笑う佐伯。

相変わらず、どこまで本気か分からない。

 

苦笑いしながら簡易医務スペースを出て、簡易ブリーフィングスペースへ向かう。

 

折りたたみ机の上には、湾岸周辺の地図が広げられている。

赤い丸がいくつも書き込まれ、余白には入口番号が詰め込まれていた。

足りなくなったのか、段ボールの切れ端にも手書きの番号が並んでいる。

 

森山は地図の端を指で押さえた。

 

「新規入口群の同時接続調査を行う」

「俺たちだけでですか?」

 

直耶が聞くと、森山は首を振った。

 

「いや、複数班で同時に複数の入口から入る。うちはお台場側からの確認だ」

 

三宅が資料をめくる。

 

「今回の目的は救助ではありません。

 各入口周辺の形状記録、通信状態、同期ログの照合です」

「同期ログ?」

 

直耶が聞くと、三宅は小型端末を持ち上げた。

 

「今朝受け取った試験用のロガーです。位置は取れません。

 ただ、各班が同じ時刻に入って、歩数、方位変化、通信状態、周辺端末の反応を記録します。

 戻ってから、本部側で紙の地図とログを重ねる形です」

「ああ、あくまでも補助だな」

 

森山は地図の一点を指で押さえた。

 

「帰り道は目と足で確保する。ロガーは、後で確認するための記録だ」

「了解です」

 

救助ではなく、調査。

少し昔を思い出す。

最初の頃は、それだけだった。

潜って、測って、戻る。

それだけで済む仕事だったはずなのに、今はその言葉さえ軽く聞こえない。

 

三宅は紙の地図に、お台場入口の番号を書き込んだ。

それから、隣に小さく時刻を書き足す。

 

その時、三人の業務端末がほぼ同時に震えた。

森山が先に画面を開く。

 

「全体通知だ」

 

直耶も端末を見る。

 

--------------------------------------------------------

【新規入口周辺対応について】

・未認可の一般接近者、配信者、民間希望者を複数確認

・現場社員は警察・消防の規制対応に介入しないこと

・接触・誘導・説明は、各現場責任者の指示を待つこと

・独断での潜行、同行許可、装備貸与を禁止

--------------------------------------------------------

 

「……他の現場では侵入が多いのでしょうか」

 

読みながら直耶が呟いた。

 

「いるだろうな」

「昨日の今日でですか?」

「昨日の今日、だからだろうな」

 

端末を閉じながら応える森山の声は低かった。

 

「怖いから離れる人間もいるだろう。

 怖いから見に来る人間もいるだろう。

 怖いのに、自分だけは大丈夫だと思う人間も、もちろんいるだろう。

 昨日のようにな」

 

誰もすぐには答えなかった。

森山は地図に視線を戻す。

 

「今日の俺たちの仕事は、そこじゃない」

「はい」

 

森山は直耶を見た。

 

「境。お前は感じたものを言え。気のせいでも構わない」

「気のせいでも、ですか」

「今は、それも材料だ。

 いつかも言ったが、お前の直感は信頼に値すると思っている」

「……はい」

 

直感。

 

直耶は、その言葉を胸の内で転がした。

違う。

これは直感じゃない。

 

魔法です。

 

もう、言ってもいいかもしれない。

森山は信頼できる人だと思う。

自分のことを、ただの新人としてではなく、見てくれている。

今まで付き合いのあった先輩と呼ばれる誰よりも、頼りになる。

 

三宅も悪い人間ではない。

今は別チームになった高梨もいる。

大熊も、榊さんも、日向もいる。

 

もっと皆を信頼すれば、もっといい結果が出るかもしれない。

自分の魔法を話せば、森山やもっと上の人間なら、有用な使い方を考えつくかもしれない。

そう思った瞬間だった。

 

背筋の奥が、冷たく逆立った。

 

「え」

 

声が漏れる。

肌が粟立つほどの悪寒。

それと同時に、強い忌避感が胸の奥からせり上がってくる。

 

「境」

 

森山の声で、直耶は我に返る。

 

「は、はい!」

「なんだ、どうした?」

「あ、いえ、何でもないです」

「…何でもないって顔じゃなかったぞ」

 

隣の三宅も、怪訝な顔をしてこちらを見ている。

直耶は、喉の奥が乾いていることに気づいた。

 

「ほんと、大したことではないので。すみません。話を進めてください」

「境」

 

森山の声が少し低くなった。

直耶は、固まった笑顔を作って無理やり答える。

 

「……昨日の未発見者のことを、少し考えてしまって」

 

嘘だった。

自分でも分かるほど、下手な嘘だった。

それでも、他に言葉が出なかった。

 

森山は、しばらく直耶を見ていたが

 

「……そうか。なら、なおさら無理はするな」

 

納得した声ではなかった。

 

「はい」

 

微妙な空気を押し流すように嘘をつく。

胸の奥ではまだ、冷たいものが小さく震えていた。

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