昼休み。屋上にて。
「あいつらマジできもかったンだって」
「わーったよ、五月蠅いな」
弁当を口に頬張りながら、唾を頻りに飛ばしてくる遥の愚痴を延々と聞かされていた。
「大体、女ってのは沸点が低すぎていけない、イケてない」
「ああ」
「ホントに殺してやりたい」
「ああ」
「きっと、死体にさえ成ってしまえば女にはムカつかないンだろうね」
「ところで、遥」
「何?」
「パンツ見えてんぞ」
「バカ、アタシのは特別長いヤツだから胡坐かいてもパンツは見えないよ」
「彼方も、パンツ見えてるぞ」
「阿呆か、スカートなんか穿いてねーよ」
若干気にしたようにスカートの裾を不審に撫でた遥は言葉を再開した。
「女ってのは皮質ニューロンつまりは脳の神経細胞が男に比べて極端に少ないンだよ」
「ああ」
「知ってた?」
「調べたことあるからな」
「知能検査でもそうだよ。大々的に行われた有名な実験でも初期段階で性差による影響がある問題を除いた状態にも関わらず男の方が成績が良いンだ」
「これは、実体験に基づいても言えることだけど、有名進学校や偏差値が高い大学の男女比率も極端だよ。古来からの日本文化の影響で女に勉強をさせる必要性がないからって説もあるンだけど、そう、社会的な性差だね。それに、実際には外国の理系や大卒の男女比はそこまで極端に差がないンだ」
先ほどの愚痴と比べ、本格的に入っている遥に、僕は耳を傾ける。
「それはどう説明するんだ?」
「おっ、乗ってきたね。実は日本の学校で測る数学力ってのはあんまり性差が見られないンだよ。意外にね。」
「意外だな。んじゃ、実際は学力では性差はないってことか?」
「そういうことじゃない。これはかえって都合のいいコンテクストなンだよ。社会化説が否定されたンだからね」
「混乱してきたな」
「色んな説があるンだけど、社会化説、差別説。色々ね。でも、ここで言う社会化説は親の期待だったりそういう伝統的な意味を持つンだよ。ついでに倫理的には差別説も否定されている」
「そこで、主流なのは女がモノを相手にするより人を相手にする職業を選びたがる性質である。っていう説だね」
「つまらんな」
「そう、つまらない。でも裏を返せば、これって"差別"によるものだよね」
「それにね、伏せて話してたけど、言語流暢性って観点から見れば、いろんな実験で女に分があるよ」
そうやって、遙は流暢に言葉を並べる。僕はあえてそれを見なかった。
「こっからはアタシの意見。モノを相手にする方が自由度が高いし、所得という社会的観点から見てもそっちの方が得だよね。そっちを選びたがらないという時点で不都合な性質なンだよ。女ってね。実は社会論や経済論と多角的に見たら明らかに女が劣勢なンだよ」
「それで言うと、医者はどうなるんだ?あれは高徳だろ?社会論、経済論共に」
「医者はモノを相手にしてるよ。それで言うなら人を相手にするってのは看護師に役割がある。訂正、看護婦だね」
「なるほど」
「そういう風に考えてる時点で女は欠けてるンだよ。伝統的な流動性で女がそんな性質を持っているとしたら……それは、差別によるものだよ」
「差別か……」
「そうだよ彼方、"差別"ってね、"性別"なんだよ」
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「来ねーな、遥」
校門にて、随分と伸びた影と共に遥を待っていた。
遥にしては珍しく用事があるみたいなことを言っていたが、もう時間で言うと半刻は待っている。
待つことは嫌いじゃないが、いくら何でも異常ではないのか。
確か昨日は便所に行ってから来るって教室で別れたっけか。
何もせずに黄昏の情景に監視され続けるよりは、動きたい気分だった。
仕方ないが、遥を探しに行くか。
昨日より積みあがった死体を流し目に校舎へと歩き出した。
下校時間の下限が迫っていることもあり、人は少ない。
先ほどまで聞こえていた運動部共の掛け声や怒声は嘘のように鳴りを潜めていた。
いくらかすれ違う人はいるが、スポーツバッグを片手に日焼けした奴らや、いかにも残って仕事をしてきたような真面目な佇まいの学生だけ。
それくらい校内にいるだけで理由が伴う時間帯だった。
僕はそこまでして遥を待っていたことに改めて気が付き、驚いた。
高校に入学するまで僕がそこまで気に掛ける友達なんて一人さえいなかったから。
月山遥。
衝撃的な出会いだったとはいえ、それは一方的で、最初は僕から遥に近づこうなんて考えもしなかった。
だからと言って他の奴らと仲良くしようなんてことも考えなかったが。
ただ、そういう奴が一人いたというだけで救われた気持ちにすらなった。
しかし、気付けば僕は、遥とつるんでいた。
きっかけなんぞ覚えてない。
衝撃だったのは出会いのただ一点だけで、遥と一緒にいることに違和感がなかったから。
ごく自然に、そうであるべきだったかのように引き合った。
関係を持ってからは別に意識して距離を取ろうなんてこともなかったし、何より遥の隣は居心地が良かった。
遥と下校するようになったのも成り行きだ。
遥は馴れ合うような部活動ってやつが多分嫌いだから、そんな課外活動なんぞやらないし、家の方向は真逆だが、坂を下りるまでは全学生同じ方向だったし。
その点で言えば、ウザったい坂道もそこまでウザったくないのかもしれない。
不意に遥の顔が浮かぶ。
今日は遥のことをやけに考えてたせいだ。
端正な、口には合わず上品な顔だった。
そして、僕にしか見せない、笑った顔。
想起する、透き通るような高く澄んだ声。
僕は一体、遥に何を望んでいるのだろうか。
また、遥は僕に何を望んでいるのだろうか。
いかんな。
どうやら僕は前交連が異性愛者よりも大きいのだろうか。
遥が以前言っていた。
人の性差の根源は脳の交連システムであると。
その中でも一際小さい前交連は女の方が大きいらしい。
男と女の脳のサイズを正規化してもだ。
どんなに小さくても、僅かな脳の違いは、人の違いを生む。
そして、ホモセクシュアルの脳は女と同等に前交連が大きいという。
一方、自閉症スペクトラム障害のやつは前交連が小さい。
共感性が低く、体系化能力特化の超男性脳。
僕は異端にも憧れがあった。
閑話休題、結局、僕は遥のことをどう思った。
……恋愛。愛。
……違うな。
僕は、いたって同性愛者ではない。
男を見ても興奮だってしない。
興奮の対象はいつだって、本能に反して大嫌いな女だ。
本能とは。
遥は……。
その答えを出す必要はない。
わざわざ玄関で靴を脱ぎ、下駄箱から上履きを取り出す。
下駄箱の内側にはいつも無視している「死ね」の落書きが夕日の陰で隠れて見えなかった。
上履きの中には画鋲が数個。
古典的でつまらん悪戯。僕の登校前ってよりは下校後にやってたのか。
画鋲を床に振り落とし、上履きを履いて目的地へと向かう。
遥はいつも三階の端っこの便所。
誰も使ってない所を使っている。
そこは、職員室から最も遠く、クラス教室も近くにないし、最近あった改修工事が唯一されてないし、誰も寄り付かなかった。
僕は実際に遥が便所に行くところを見たことがなかった。
おそらく意識して避けていたところもある。
だるい階段を上りながら、呑気にどうやって声をかけるかとか、もしかしたら別の目的で別の場所にいるのではとか考えていた。
ここで確かめることになるのかもしれない。
答えを出す前に解答を見ることができたら、どんなに楽なのだろうか。
また、その解答を見たら僕は……。
丁度三階の踊り場に出た時、日が暮れた。
先ほどまで僕の足元を照らした赤い光は黒く塗りつぶされ、おぼつかない足取りで最後の階段を上り始める。
その時だった。
三階、しかも便所の方向にやけに人の気配を感じた。
声だったり、音だったり。
誰のとも取れない、僅かに漏れる音に、いわれもない不安感をあおられた。
手すりを掴む手に汗を感じた。気持ち悪い感触。
なぜだか闇に急かされる様に階段を上りきり、便所の方に足を進める。
理由もなく音を殺すようにして。
近づくにつれ、声が、音が、鮮明になる。
決して少なくない、笑い声。
それもいっとう下品な。
僕が"聞いたことない"音。
出したことがない音。
水を弾くような、そして、いくつかの鈍い打音。
便所のすぐ前まで来たところで。
聞こえた、諦観に塗りつぶされた小さな鳴き声。
僕を透き通り、暗い廊下にわずかにこだまする。
僕は腹の底から生まれた脱力感に、壁へ体が傾く。耳と共に。
「ぎゃははは、もう鳴かなくなったな」
「お前が殴りすぎたんだろ」
「もう壊れてるぞ、全然気持ちくねーし」
「優斗のがデカすぎたか」
「誰かこれ持って帰れよ」
「やだよ、汚ねぇ」
「あはははっ」
僕は虚空を見上げる。
男子便所の表札が僕を見下ろしていた。
………………
…………
……
僕は女が嫌いだ。例外なく。
理由は性を実感するから。
女の化粧が嫌だ。やけに媚びた甘い声が嫌だ。
整えられた鮮やかな爪や、産毛一つない意図的な手足が嫌だ。
女同士で話すときだけ五月蠅く鳴くのが嫌だ。
利己的で、感情的で、話を聞かない女が嫌だ。
すべてすべて性という名のフィルタの向こう側にいる女が嫌いだ。
「おう、彼方くんじゃん」
「遥ちゃん、中でまってるよ」
壁に項垂れた僕に、ずっと聞こえていた低い、嘲るような声が浴びせられる。
「後は、優斗。赤嶋に写真送っとけよ」
「いやあ、あいつにも感謝だな」
男らは立ち止まることなく、笑いながら階段を降りて行った。
僕は、その後姿を見送り、何故だか力の入っていた拳が一気に脱力する。
遥が、待ってる?
もう一度男子便所の表札に首をもたげる。
中に。中に。中に。
しかし、体が持ち上がらない。
理由ある焦燥感に、理由ない嫌悪感が僅かに勝っているから。
解答というより、解法だけが載せられたページに、為す術なく、項垂れるだけ。
別に僕が痛くて、苦しいわけじゃなくて。
残酷なまでに共感性が低く、残酷な自分に、涙だけが流れる自分に、ひどく嫌悪した。