翌日、遥は教室にいた。
いつもの席、僕の隣の席にいた。
挨拶するのも憚られ、というよりは遥に見せる顔がなかった。
今日、僕は遥の上品な顔が見れなかった。
もしかすると下品に映るかもしれなかったから。
昨日、遥が言い負かした"女"のように。
ずっと、悪夢のようにあの音が、脳に反響し耳鳴りが止まない。
それは後悔から来るものか、それとも。
四限目の終了、昼休みの開始をチャイムが告げる。
一気に騒々しく変化する。
昨日がなかったかのように、いつも通りの教室がやけに気持ち悪く感じていた。
弁当を食べる食欲などなく、動く気力すらない。
このまま寝て過ごそうかと考えていたその時。
下を向く僕の視界に、痣の目立つ腕が差し込んだ。
僕の手首を掴み、引き上げられる。
ハッと腕の持ち主を見てしまう。
「彼方、ついてきて」
抱えていた危惧に反して、遥の顔はいつも以上に綺麗だった。
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昼休み、屋上にて。
「彼方、昨日はごめん」
見当はずれな遥の謝罪が、僕の心臓をきつく締めあげる。
「あ、ああ」
「それでさ」
太陽の真下、意を決したように、真っ直ぐな眼差しで遥は僕を見て言った。
「アタシは今日、男を殺す」
僕は遥から目が離せなかった。僕と同じだと思っていた遥が全く別のものに見えて。
視線をどけようにも、真上の太陽は影を作ってはくれなかった。
「な、んで"急に"人を殺すんだ?」
急になんて、白々しい。
「別に意味なんてないよ、殺したいから殺すンだ」
「僕も、殺すのか?」
「彼方は……」
締め上げられた心臓が鼓動を早める。
「……彼方は、最後だ」
「最後に彼方を殺すよ」
「そうか」
遥がなぜ、女をそこまで嫌うのか、聞いたことはなかった。
香水臭いだとか、爪が長いだとか、そんな表面上でしか実際には女と対立していなかった。
昨日、何かがわかったのだろうか。何が変わったのだろうか。
今の遥は正しく、平等に、差別なく性を嫌っているのだと、そう感じた。
何だ、僕とは違うんじゃねーか。
「彼方は、死についてどう考えてる?」
「死、か」
いつもと同じ口調で遥は僕に問う。
違うのは僕なのか。
遥は僕の回答を待たずに、その場で胡坐をかき言葉を続ける。
僕もそれに釣られてその場に胡坐をかく。
昨日の昼と同じ状態が意識的に作られた。
「じゃあ、セックスについては?」
「…………セ、ックス?」
「彼方に、"性"に過剰に反応するのは人として普通のことだって話はしたよね」
「ああ」
「実はもひとつあって……それが"死"なンだよ」
「死……」
「人が文化的に意識して、ラインを引くのは"性"と"死"、この二つだけだよ。実際に、身内が死んだことを周囲に伝えるとき、不幸っていう言葉で逃がすよね」
「僕は身内が死んだことはない。今まで」
「でも、聞いたことくらいあるでしょ?常識としてね。死は、セックスと同じなンだよ。性に関するメディアには、アダルトって言葉を当てはめるよね」
「そんな低俗なもの、見ない」
「ふふ、彼方はそれでいいよ」
「じゃあさ、彼方……」
「死は低俗かい?死は見るに堪えないほど、低俗に見えるかな?」
「…………」
「どちらも、普段見られないものだよ。裸体と死体。どちらも見てはならないものとして隠蔽されてるものだ」
「……何の話だ」
遥は続ける。
「今の日本は、それ。聖域なンだよ」
「動物的な性と死を制限することで、社会を形成してる」
「どっかの原住民族たちは恋愛を知らないよ。自由度が高いからね。アタシたちより原始的な生物、猿だってそうだよ」
「そこら中で、交尾もするし、それを止めない。彼方は、恋愛について考えたことある?」
「恋愛……」
いつの間にかブロックが抜かれ、スカスカになった不安定なジェンガのように、恋愛という言葉が確かに僕の中にはあった。
「ロマンティシズムは、伝統的な障壁が大きい場所でしか成り立たないンだ。日本とかね」
「本来、より現実的な、異性を偶像化しない場所では、恋愛、それに失恋もないンだよ。嫉妬はあっても尾は引かない」
「彼方は、失恋を経験したかい?」
ハッとした。知らないけれど、知りたくもなかったけれど、昨日抱いたいくつかの歪な感情の内、一つが連想される。
「それはね、彼方、必要が無いんだ。セックスと違って」
「遺伝子再生産機械として、アタシたち、いや、人は"性"と"死"以外は本質じゃないんだよ」
「性と死をシナプスにニューロンを通して動いて然るべきなんだ」
「彼方は、セックスと違って、死は否定しないのかな」
「……遥は、性と死を同一視してるのか?」
「うン」
「だから……殺すのか?」
「うン」
遥の言葉に、セックスと殺人の境界が曖昧になってくる感覚があった。
僕が一方的に悪としているセックス、それに一般的に悪とされている殺人。
この矛盾がどこまでいっても"普通"な僕を蝕む。
思えば、僕が死体に変えていったのは女ばかり。
「ここまで来て、彼方はアタシとセックスしたい?」
「……」
僕は、遥とこれ以上、違うということを知るのはどうしても嫌だった。
セックスをするということは、それを認めるということ。
それでも蠱惑的な遥に、僕は……。
どうしても違いを認めたくない僕は……。
せめて、同じ世界を見ていたかった。
「遥、僕は女を殺すよ」
人知れず肥大化した嫉妬や憎悪と共に、意外に自然と、抵抗なく、その言葉が口から出た。