迫真バディ部・天使の裏技 作:天使ξ紳士
翌朝。
憂鬱な太陽が昇り、また一日が始まる。
ボクは公安の寮の一室で目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む光が、ボクの瞼を無理やりこじ開けようとしてくる。
「はあ……」
朝一番の行動は、深いため息だ。
生きているだけで疲れるし、布団から出るのには莫大なエネルギーが必要なのだから。
昨日の上司の言葉が、頭の隅にこびりついている。
『彼、君のお尻の感触、気に入ってたみたいだよ?』
「……変態」
ボクは枕に顔を埋めて、誰にともなく悪態をつく。
寿命を吸われる恐怖よりも、感触を優先する人間。
やっぱり、あの男はおかしい。
でも、仕事に行かないと……ああ面倒だ。
ボクは重たい身体を引きずって、身支度を整えた。
■ ■ ■
本部のロビーに行くと、既にヤツはいた。
「オッス! おはようございまーす!」
朝から無駄にデカい声。
人間はデビルハンターの制服を着崩して、何やらストレッチをしていた。
「……うるさい」
「おっ、天使くん! 昨日はよく眠れまった?」
爽やかな笑顔で近づいてくる。
その距離感が、やっぱり近い。
ボクは一歩下がりながら、ジト目で睨み返した。
「最悪だよ。君のせいでね」
「いや〜、こっちは昨日は家に帰ってから即、枕デカくして寝たんで! スッキリですよ!」
枕をデカくして寝た? ……意味が分からない。
とはいえ、いちいち突っ込むのも面倒だ。
「そう。じゃあ行くよ」
「ウィッス!」
今日の任務は、市街地のパトロールだ。
強力な悪魔の出現情報は今のところない。
ただ歩いて、見回って、何もなければ帰る。
それだけの、退屈で平和な業務。
……のはずだった。
「暑い……」
日が高くなるにつれて、アスファルトからの照り返しが強くなる。
ボクは暑いのが苦手だ。
翼が熱を吸収して、蒸れるような感覚がある。
「大丈夫? 天使くん、顔赤いっすよ」
「……君の肌の色よりはマシだと思うけど」
「あ、これ実は日焼けなんすよ」
「聞いてない」
どうでもいい情報を遮断しつつ、ボクはそこらの公園にある木陰のベンチへと避難した。
もう歩けない。
一歩も動きたくない。
「休憩……」
「あっ、いいっすね〜。じゃあ俺、なんか飲み物買ってきますよ!」
気が利くのか……?
人間は近くの自販機へと走っていった。
本当に、無駄な体力が有り余っている人間だ。
ボクはベンチにぐったりと寄りかかる。
ふと空を見上げて、遠くの鳥を望む。
雲ひとつない青空。
平和すぎて、逆に不安になるくらい。
しばらくして、人間が戻ってきた。
「おまたせ! アイスティーしかなかったけどいいかな?」
「……ありがとう」
差し出されたペットボトルを受け取る。
冷たい。
その感触だけで少し生き返る気がした。
キャップを開けて一口飲む。
甘くない、ストレートティーだ。
「……ふう」
「生き返るわぁ^〜」
隣で人間も豪快に喉を鳴らして飲んでいる。
そして、ボクの方を見てニカッと笑った。
「天使くんさぁ」
「なに」
「休みの日は何してんの? やっぱ、彼氏とデートとか?」
またその話か。
ボクは呆れを通り越して、無の表情になる。
「いないって言ったでしょ。それにボクは……」
男だ、と言いかけて止める。
上司の言葉を思い出したからだ。
『彼が君を女の子だと思い込んでいるほうが、色々面白そうだし』
……訂正するのは、やめておこう。
それに、男だと知られたら知られたで、この距離感がおかしくなるかもしれない。
いや、そもそも今の距離感もおかしいのだけれど。
「ふーん。じゃあさ、今度俺とどっか行かない?」
「……は?」
ボクは思わず、飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになった。
「何を言っているんだ君は」
「せっかくバディ組んだんだし? 親睦会的な?」
「お断りだね。面倒くさい」
「えー、いいじゃんいいじゃん。俺、美味い屋台とか知ってるよ?」
屋台。
その単語に、ボクの耳がピクリと反応する。
人間の食べ物は、嫌いじゃない。
特に甘いものや、ほっぺが落ちそうになるもの。
「……どんな?」
「おっ、食いついた! 下北沢の方にさ、結構評判のいい店があって……」
人間が得意げに話し始めた、その時だった。
——キィィィィィィン!!
耳をつんざくような金属音。
それが、通りの向こうから響き渡った。
空気の振動。
そして、漂ってくる腐敗臭。
「……悪魔だ」
ボクの気配察知が警鐘を鳴らす。
休憩は強制終了だ。
ボクはため息をつきながら立ち上がろうとする。
だが、それより速く人間が動いた。
「天使くん、下がってて!」
太い腕が、ボクを制するように前に出る。
普段のふざけた態度とは違う、鋭い眼光。
その背中は、意外なほどに頼もしく見えた。
通りの角から姿を現したのは、廃材と鉄パイプが複雑に絡み合ったような異形の悪魔だった。
『スクラップの悪魔』とでも言うべきか。
ガチャガチャと音を立てながら、周囲の看板やガードレールをなぎ倒して進んでくる。
しかし。
「いいよ! 来いよ!」
人間が大声を上げて、悪魔の注意を引きつけた。
悪魔の何本もの鉄パイプの腕。
それらが、人間めがけて振り下ろされる。
普通ならミンチだ。
生身の人間が、受け止められるわけがない。
——ガギィンッ!!
鈍い音が響く。
けれど、それは肉が潰れる音ではなかった。
人間は持っていた公安支給のデビルハンター用の剣で、その重い一撃を受け止めていたのだ。
「ほらほら!」
いや、受け止めただけじゃない。
衝撃をあえて受け流し、身体を回転させて懐に飛び込んでいる。
「ヌゥン!」
気合一閃。
アイツの剣が、悪魔の関節部分——動力源らしきパイプの結び目を正確に切り裂いた。
鮮やかだった。
無駄がない動き。
ただの筋肉バカだと思っていたけれど、その実力は確かに公安のデビルハンターとして本物のようだ。
「グギャアアアア!」
悪魔がバランスを崩して倒れ込む。
そこへ追撃を加えようと人間が踏み込んだ。
その時。
悪魔の背中から隠し腕のような鋭利な鉄片が飛び出し、人間の脇腹を狙った。
死角からの攻撃。
今の体勢じゃ、避けきれない——!
ボクの身体が勝手に動いた。
——ザシュッ。
鉄片が弾き飛ばされ、アスファルトに突き刺さる。
ボクの右の翼。
鋼鉄よりも硬い羽根が人間を守る盾となっていた。
「ぬっ……!」
人間が驚いた顔で振り返る。
なんで助けたんだろう。
放っておけば、人間はきっと死んだだろうに。
さすれば、ボクはまた一人になれたのに。
でも。
「……天使くん」
人間は一瞬だけ真面目な顔をして、それからニカッと笑った。
「ありがとナス!」
そして振り返り、悪魔に向かって叫ぶ。
「お前、上半身に対して下半身が貧弱過ぎるんだよ! 落ちろ!」
ドスッ、と強烈な蹴りが悪魔のコアに突き刺さる。
『ウッッッッッッッス⁉︎』
悪魔は断末魔をあげて活動を停止し、やがてガラクタとなって消えていった。
■ ■ ■
「ふぅー、終わった終わった」
戦闘終了。
人間は剣を鞘に納め、何事もなかったかのように肩を回している。
「……おい、お前。無茶しすぎ」
ボクは呆れて言った。
羽を背中に戻しながら、彼に近づく。
制服の一部が破れて、少し擦り傷ができている。
「いやー、でも天使くんが守ってくれたおかげで助かりましたよ。マジで」
「……別に」
感心したように言う人間。
なんだか調子が狂う。
ボクを守るために前に出たアイツ。
アイツを守るために前に出たボク。
……変な感じだ。
「腹減ったなぁ」
人間が腹をさすりながら空を見上げる。
「……え?」
「さっきの屋台の話、まだ有効っすか?」
「……屋台?」
「助けてもらったお礼で」
奢り。
「……高いよ、ボクは」
「大丈夫大丈夫! 給料入ったばっかだし! ばっちえ任してくださいよ!」
ドン、と自分の胸を叩く人間。
その自信満々な態度が、なぜだか今はそこまで不快じゃない。
不思議なものだ。
さっきまであんなに鬱陶しかったのに。
「そう。なら、行ってあげてもいいけど」
ボクはそっぽを向きながら答える。
顔が少し熱いのは、さっき戦闘で動いたせいだ。
絶対そうだ。
「っしゃ! じゃあ行きましょう! 近くに美味いラーメン屋もあるんで!」
「屋台じゃなかったの?」
「ラーメンも屋台も行けばいいじゃないっすか!」
人間はボクの手を引こうとして——ハッとして引っ込めた。
寿命のことを思い出したのか、それとも「女の子」への遠慮なのか。
空を切ったその手が、少し滑稽で。
「……ぷっ」
ボクの口から、小さな笑いが漏れた。
「あ、笑ったね? その心笑ってるね?」
「笑ってない」
「いや絶対笑った! つまりほい、俺の勝ち!」
「何が勝ちなのさ……」
意味のわからない勝利宣言。
そして、人間が先に歩き出す。
夕暮れ時の街。
その大きな背中が溶け込んでいく。
「……人間」
いつもなら、人間の名前なんて覚えない。
覚えたって意味がないから。
どうせすぐに死んで、いなくなる存在だから。
でも。
ボクを守ろうとして前に出た、あの無謀な姿。
ボクの攻撃を受け止めた、あの反射神経。
そして何より、ボクを「天使」としてではなく、ただの……まあ、勘違いだけど「女の子」として、対等に接してくるこの態度。
この人間なら。
もしかしたら、ボクの隣で少しは長生きするかもしれない。
そんな予感が、ふとした。
「おーい、早くしろ〜」
遠くから、間の抜けた声が聞こえる。
ボクは小さく息を吐いて、歩幅を少しだけ広げた。
「待ってよ」
ボクは呼びかける。
いつもの「人間」ではなく。
これからは、少しだけ名前で呼んでやってもいい。
「……”鈴木”」
ボクの声は喧騒にかき消されたかもしれない。
けれど、振り返った人間は、夕焼けの中でニカッと白い歯を見せて笑った気がした。
まあ、こういうのも、悪くはないのかもしれない。
……少しだけ、そう思った。
本当に、少しだけだ——。
シュレティンガーの天使の悪魔♂