迫真バディ部・天使の裏技   作:天使ξ紳士

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第4話:下北沢・デート・ミスコミュ

 週末の下北沢は、地獄のように人が多かった。

 

 右を見ても人間、左を見ても人間。

 雑多な話し声、古着屋から漏れるベース音、甘ったるいクレープの匂い。

 その全てが混ざり合って、ボクの感覚器官を不愉快に刺激する。

 

「はあ……帰りたい」

 

 今日、何度目かもわからないため息をついた。

 なぜ、こんなに人が多い場所にわざわざ来なければならないのか。

 休日は寮のベッドで、天井のシミを数えながら一日を終えるのが至高の過ごし方なのに。

 

「まあまあ、そう言わずに! ここの古着屋、いい感じって感じ?」

 

 ボクの憂鬱などどこ吹く風。

 隣を歩く人間は、チョコレート色に焼けた肌を太陽に晒し、白い歯を見せて笑っている。

 その無駄にポジティブなエネルギーは、見ていて眩しいのを通り越して、少し暑苦しい。

 

「……ねえ。ボクは本当に帰っていいかな」

「ダメダメ! せっかく来たんだから、なんか美味いもん食って、服見て、楽しもうぜ!」

 

 人間はボクの背中をグイグイと押してくる。

 直接肌に触れないように、服の上から押しているのは、一応ボクの能力――寿命を吸い取る力――を警戒してのことだろうか。

 それとも、単に「女の子」へのマナーだと思っているのか。

 

 ……そう、コイツは未だに勘違いしている。

 ボクのことを、女だと思っているのだ。

 

 最初は訂正するのが面倒だった。

 どうせすぐに死ぬ人間だ。

 性別なんて些細な情報を共有する必要もないと思っていた。

 

 けれど、コイツは死ななかった。

 それどころか、ボクの生活の中に、土足でズカズカと踏み込んできている。

 

「ほら、入って入って!」

 

 連れ込まれたのは、狭い階段を降りた先にある古着屋だった。

 お香の匂いが鼻をつく。

 ボクは眉をひそめながら、店内に並ぶ色とりどりの布切れを眺めた。

 

「ボクは服なんて興味ない。公安の制服で十分だ」

「いやー、それもいいけどさ。たまにはオシャレもしないと! 女の子なんだから」

 

 まただ。

 その「女の子」という言葉が出るたびに、胸の奥で、小さな棘がチクリと刺さるような感覚がする。

 

 人間はラックにかかっていた服を次々と手に取り、ボクの体に当てがい始めた。

 

「これとかどう? 白のワンピース。天使くんの髪色に合いそうじゃない?」

「……ヒラヒラしすぎてて動きにくそう」

「じゃあこっちは? オーバーサイズのパーカー。これなら楽でしょ?」

 

 人間が選ぶ服は、どれもこれも「女性用」。

 当たり前だった。

 彼はボクを女だと思っているのだから。

 

 ボクは鏡に映る自分を見た。

 

 中性的な顔立ち。

 長い髪。

 華奢な体躯。

 

 勘違いされるのは慣れている。

 でも、なぜだろう。

 人間に勘違いされたままでいることが、今日は妙に居心地が悪かった。

 

「……おいオマエ」

「ん? どうした?」

 

 人間が次の服を探しながら、無邪気にこちらを振り向く。

 ボクは意を決して、口を開いた。

 

「あのさ。……いい加減、言っておきたいことがあるんだけど」

「おう、何でも言ってくれよ! 悩み事か? 誰かにストーカーされてるとか?」

「違う」

 

 ボクは一度目を伏せ、それから彼の目を真っ直ぐに見つめた。

 ボクの瞳に、彼の間の抜けた顔が映る。

 

「ボクは、女じゃない」

 

 店内には、微かに流れる洋楽だけが響いていた。

 人間の手が止まる。

 手にした花柄のスカートが揺れている。

 

 言った。

 言ってしまった。

 

 これで、この奇妙な距離感も終わる。

 男だとわかれば、もうこんな風に「デート」なんて連れ回されることもなくなるだろう。

 それはボクにとって、望ましい平穏のはずだ。

 

 人間が、ゆっくりと口を開いた。

 

「……ああ、完璧に理解した」

 

 わかってくれただろうか。

 

「最近流行ってるもんな、『ジェンダーレス』ってやつ! 心はイケメンってことだろ? わかるわかる、そういうサバサバしたとこ、嫌いじゃない!」

 

 ……は?

 

 ボクは思わず口を半開きにしてしまった。

 コイツの脳みそは、一体どういう構造をしているのだろうか。

 

「いや、そうじゃなくて。生物学的な話をしてるんだ。ボクは男……」

「大丈夫だって! 俺は気にしないから! 男勝りな女の子も、可愛いと思うよ? 恥ずかしがならなくていいってことよ(紳士)」

 

 人間はニカッと笑って、ボクの肩をバシバシと叩いた(もちろん、服の上から)。

 

 その笑顔には、一点の曇りもない。

 ただ純粋に、ボクの「コンプレックス(だと彼が思い込んでいるもの)」を受け入れようとしている善意の塊だ。

 

 ……ダメだ、通じない。

 この人間には、常識的な言葉が通じない。

 

「……はぁ」

 

 ボクは本日最大のため息をついた。

 もういい。

 訂正する気力すら吸い取られた。

 

「……好きにすれば」

「おう! じゃあこのパーカー買おうぜ! 俺がプレゼントするからさ!」

 

 人間は嬉しそうにレジへと向かっていく。

 その後ろ姿を見ながら、ボクは胸の奥のモヤモヤを押し殺した。

 

 本当のことを言えないまま、甘やかされている。

 それはまるで、いつか溶けてなくなる砂糖菓子のような、不安定な関係だ。

 

 

■ ■ ■

 

 

 買い物を終えた後。

 人間のおすすめだというカフェに入った。

 

 テーブルの上には、山盛りのホイップクリームが乗ったパンケーキと、アイスティー。

 

「やりますねえ!」

 

 人間はフォークを握りしめ、子供のように目を輝かせている。

 ボクは自分のフォークを気だるげに持ち上げた。

 

「……こんなに食べられない」

「残したら俺が食うから、好きなだけ、どうぞ」

 

 そういう雑な優しさが、コイツらしい。

 

 一口食べる。

 甘い、脳が痺れるような甘さだ。

 

 でも、悪くない。

 疲れた思考回路には、これくらいの糖分が必要なのかもしれない。

 

「んぐ、むぐ……美味い! これマジで美味いな!」

「……汚いよ、食べ方」

 

 口の端にクリームをつけながら頬張る人間を見て、ボクは呆れる。

 こいつは本当に、欲望に忠実だといえる。

 

 三代欲求の内の一つである食欲。

 ならばもしかしたら、他のも……?

 

 ふと、そんな考えが頭をよぎり、ボクは慌ててアイスティーを流し込んだ。

 何を考えているんだ、ボクは。

 

「天使くん、ここ」

 

 人間が自分の頬を指差した。

 

「ついてるよ、クリーム」

「え?」

 

 言われて手で拭おうとするが、場所がわからない。

 

「違う違う、もっと右……あーもう、じれったいなぁ。俺がやってやるかあ!」

 

 人間が身を乗り出した。

 大きな手が、ボクの顔に伸びてくる。

 

「っ……!」

 

 ボクは反射的に身を引こうとした。

 直接触れれば、寿命を吸ってしまう。

 

 ボクは天使の悪魔。

 直接触れた人間の寿命を吸い取る存在。

 たとえ指先一つでも、触れさせてはいけない。

 

 でも、人間の手は止まらなかった。

 親指の腹が、ボクの唇の端をスッと撫でる。

 

「……ほら、取れた」

 

 人間は自分の指についたクリームを、ペロリと舐めた。

 

「ん、甘い」

 

 時間が、止まった気がした。

 

 今、触れた。

 直接、肌に。

 服越しじゃない。

 

 確実に、数日……いや、数ヶ月くらいの寿命は持っていかれたはずだ。

 

「……バカなの?」

 

 ボクの声は震えていた。

 

「なんで、触るの。死ぬよ、本当に」

「え? あ、忘れてた(正直)」

 

 人間はキョトンとした顔で、あっけらかんと言い放った。

 

「忘れてたって……君ね」

「まあ、ちょっとくらい平気だろ! 俺、体力には自信あるし!」

「そういう問題じゃない……!」

 

 ボクはテーブルをドンと叩いて立ち上がった。

 

 怒り?

 いや、違う。

 これは恐怖だ。

 

 これまで、たくさんの人間が死ぬのを見てきた。

 彼らは皆、ボクに触れるのを恐れた。

 当然だ。

 命は惜しい。

 だからボクは、常に孤独だった。

 

 なのに、この男は。

 クリームを拭うためだけに、自分の命を削った。

 

「……座ろう、天使くん。ちょー目立ってる」

 

 人間に促され、ボクは渋々椅子に座り直す。

 心臓がうるさい。

 

 寿命を吸った時の独特の感覚――冷たい何かが流れ込んでくる感覚――が、指先から伝わってきたはずなのに、今はなぜか、触れられた頬が熱い。

 

「……もう、知らない」

 

 ボクは俯いて、パンケーキを突っついた。

 人間は「怒んなって」と笑いながら、自分の分を平らげていく。

 

 この男は、異常だ。

 そして、そんな異常な男に心を許し始めているボクもまた、おかしくなっているのかもしれない。

 

 

■ ■ ■

 

 

 カフェを出ると、日はすでに傾きかけていた。

 夕焼けが街を黄に染め、影を長く伸ばしている。

 

「そろそろ帰りますか!」

「……そうだね」

 

 ボクたちは並んで駅へと向かう。

 行きよりも、少しだけ距離が近い気がした。

 

 その時だった。

 路地裏から、悲鳴が聞こえたのは。

 

『キャアアアアア!』

 

 ボクと人間は顔を見合わせた。

 一瞬で、空気が変わる。

 「デート(?)」から、「仕事」の空気へ。

 

「行くでがんすよ、天使くん!」

「……はぁ、面倒くさい」

 

 口では文句を言いながらも、ボクはコイツの後を追って走り出した。

 

 現場は、駅から少し離れた雑居ビルの裏手。

 そこにいたのは、奇妙な悪魔。

 いくつものマネキンが融合したような体に、ハサミやメジャーが突き刺さった姿。

 もし名前をつけるなら……そう。

 

「『ファッションの悪魔』……かな?」

「服の悪魔か! ちょうどいい、さっき買った服のセンスを見せつけてやりますよお!」

「意味わかんないこと言ってないで、構えて」

 

 悪魔がこちらに気づき、マネキンの腕を振り回して襲いかかってくる。

 その手には巨大な裁ち鋏が握られていた。

 

 ——ジャキィッ!

 

 鋭い刃が空を切り裂く。

 人間はそれを、腰の剣を抜いて受け止めた。

 

「ぬんっ!(気合)」

 

 金属音が火花を散らす。

 人間の腕力は相変わらず人間離れしている。

 悪魔の重い一撃を真正面から受け止め、押し返しているのだ。

 

「天使くん、今だ!」

「わかってる」

 

 ボクは翼を展開する。

 白い羽が夕闇に舞い散る。

 手を宙に掲げ、槍を無から顕現させる。

 それは寿命を武器に変える能力。

 

 人間が押し返した隙に、ボクは槍を投擲した。

 

 ヒュンッ――ドスッ!

 

 槍は悪魔の肩口に突き刺さった。

 だが、浅い。

 悪魔の体は硬質なプラスチックのように硬く、致命傷には至らなかったようだ。

 

「ほーん、硬っちかっち」

「チッ……面倒な」

 

『キャアアアアアアアアア‼︎』

 

 悪魔が咆哮を上げる。

 無数のハサミを射出してきた。

 雨のように降り注ぐ刃。

 

「なっ⁉︎ 危ない!」

 

 ボクが翼で身を守ろうとした瞬間、目の前に大きな影が割り込んだ。

 

 ガガガガガッ!

 

 ハサミが人間の体に突き刺さる……音ではなく、彼が振り回したモノに当たる音がした。

 近くにあった店の看板を引き剥がし、盾にしたのである。

 

「無事か、天使くん!」

「……ボクは翼があるから平気だってば。君こそ」

 

 人間の腕には、かすり傷から血が滲んでいた。

 それなのに、彼は笑っている。

 

「かすり傷だ、大丈夫だ。問題ない」

「……バカ」

 

 ボクは小さく呟き、意識を集中させる。

 アイツが作ってくれた隙。

 無駄にはできない。

 

「5年使用……」

 

 ボクは寿命を消費し、より強力なエネルギーを生成する。

 手元に現れたのは、光り輝く剣。

 

「そこ、退いて!」

「かしこまり!」

 

 人間が横に飛び退くと同時に、ボクは踏み込む。

 

 一閃。

 光の剣が、悪魔の胴体を斜めに切り裂く。

 

『キャ……キャキャ……』

 

 マネキンの体が音もなく滑り落ち、崩れ去った。

 

 

■ ■ ■

 

 

 戦闘が終わると、静寂が戻ってきた。

 

「ふぅー、キツかったすね今日は〜」

 

 人間は剣を納め、軽く伸びをした。

 腕の傷からはまだ血が出ているが、本人は気にしていない様子だ。

 

「……手当、するよ」

「え? いいよいいよ、唾つけときゃ治るって」

「汚いからやめて」

 

 ボクはハンカチを取り出し(これはさっきの店でコイツが勝手に買ったものだ)、彼に近づいた。

 もちろん、直接触れないように気をつけて。

 

「……じっとしてて」

 

 傷口にハンカチを巻き、きつく縛る。

 人間は大人しくボクの手元を見つめていた。

 

「天使くんってさ」

「なに」

「意外と家庭的だよな。いいお嫁さんになれるよ」

 

 ……また、その話か。

 

 ボクは結び目をわざと強く締めた。

 

「いっ!?」

「ボクは男だと言ったはずだけど」

「あー、そうだったそうだった。男前な性格ってことだよな!」

 

 やっぱり、通じていない。

 ボクは深いため息をついて、ハンカチから手を離した。

 

「……もういいよ、それで」

 

 諦めではない。

 ただ、今はこの心地よい疲労感の中で、言い争うのが面倒なだけだ。

 それに。

 

「”鈴木”」

「ん?」

「……ありがとう、守ってくれて」

 

 ボクはそっぽを向いたまま、小さく礼を言った。

 素直になるのは癪だけれど、事実は事実だ。

 

 人間は少し驚いたように目を丸くし、それから優しく笑った。

 

「当たり前だろ。”バディ”なんだからさ」

 

 バディ。

 その言葉が、今は少しだけ誇らしく響く。

 

「さ、帰ろうぜ! 腹減ったへった〜!」

「さっきパンケーキ食べたばかりじゃ……」

「甘いもんは別腹! 晩飯はガッツリ系がいいな! 旨いラーメン屋とか!」

 

 人間はまた、元気よく歩き出した。

 その背中を追いかけながら、ボクは思う。

 

 この誤解は、いつか解かなければならない。

 ボクが男であることを、彼に理解させなければならない。

 そうすれば、彼は失望するだろうか。

 それとも、変わらずに接してくれるだろうか。

 

 だが今はまだ、このままで。

 この甘くて苦い誤解の中に、もう少しだけ浸っていたい。

 そう願うことくらいは、きっと許されるだろう。




天使の悪魔はさあ……ご褒美なんだよ!
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