迫真バディ部・天使の裏技 作:天使ξ紳士
週末の下北沢は、地獄のように人が多かった。
右を見ても人間、左を見ても人間。
雑多な話し声、古着屋から漏れるベース音、甘ったるいクレープの匂い。
その全てが混ざり合って、ボクの感覚器官を不愉快に刺激する。
「はあ……帰りたい」
今日、何度目かもわからないため息をついた。
なぜ、こんなに人が多い場所にわざわざ来なければならないのか。
休日は寮のベッドで、天井のシミを数えながら一日を終えるのが至高の過ごし方なのに。
「まあまあ、そう言わずに! ここの古着屋、いい感じって感じ?」
ボクの憂鬱などどこ吹く風。
隣を歩く人間は、チョコレート色に焼けた肌を太陽に晒し、白い歯を見せて笑っている。
その無駄にポジティブなエネルギーは、見ていて眩しいのを通り越して、少し暑苦しい。
「……ねえ。ボクは本当に帰っていいかな」
「ダメダメ! せっかく来たんだから、なんか美味いもん食って、服見て、楽しもうぜ!」
人間はボクの背中をグイグイと押してくる。
直接肌に触れないように、服の上から押しているのは、一応ボクの能力――寿命を吸い取る力――を警戒してのことだろうか。
それとも、単に「女の子」へのマナーだと思っているのか。
……そう、コイツは未だに勘違いしている。
ボクのことを、女だと思っているのだ。
最初は訂正するのが面倒だった。
どうせすぐに死ぬ人間だ。
性別なんて些細な情報を共有する必要もないと思っていた。
けれど、コイツは死ななかった。
それどころか、ボクの生活の中に、土足でズカズカと踏み込んできている。
「ほら、入って入って!」
連れ込まれたのは、狭い階段を降りた先にある古着屋だった。
お香の匂いが鼻をつく。
ボクは眉をひそめながら、店内に並ぶ色とりどりの布切れを眺めた。
「ボクは服なんて興味ない。公安の制服で十分だ」
「いやー、それもいいけどさ。たまにはオシャレもしないと! 女の子なんだから」
まただ。
その「女の子」という言葉が出るたびに、胸の奥で、小さな棘がチクリと刺さるような感覚がする。
人間はラックにかかっていた服を次々と手に取り、ボクの体に当てがい始めた。
「これとかどう? 白のワンピース。天使くんの髪色に合いそうじゃない?」
「……ヒラヒラしすぎてて動きにくそう」
「じゃあこっちは? オーバーサイズのパーカー。これなら楽でしょ?」
人間が選ぶ服は、どれもこれも「女性用」。
当たり前だった。
彼はボクを女だと思っているのだから。
ボクは鏡に映る自分を見た。
中性的な顔立ち。
長い髪。
華奢な体躯。
勘違いされるのは慣れている。
でも、なぜだろう。
人間に勘違いされたままでいることが、今日は妙に居心地が悪かった。
「……おいオマエ」
「ん? どうした?」
人間が次の服を探しながら、無邪気にこちらを振り向く。
ボクは意を決して、口を開いた。
「あのさ。……いい加減、言っておきたいことがあるんだけど」
「おう、何でも言ってくれよ! 悩み事か? 誰かにストーカーされてるとか?」
「違う」
ボクは一度目を伏せ、それから彼の目を真っ直ぐに見つめた。
ボクの瞳に、彼の間の抜けた顔が映る。
「ボクは、女じゃない」
店内には、微かに流れる洋楽だけが響いていた。
人間の手が止まる。
手にした花柄のスカートが揺れている。
言った。
言ってしまった。
これで、この奇妙な距離感も終わる。
男だとわかれば、もうこんな風に「デート」なんて連れ回されることもなくなるだろう。
それはボクにとって、望ましい平穏のはずだ。
人間が、ゆっくりと口を開いた。
「……ああ、完璧に理解した」
わかってくれただろうか。
「最近流行ってるもんな、『ジェンダーレス』ってやつ! 心はイケメンってことだろ? わかるわかる、そういうサバサバしたとこ、嫌いじゃない!」
……は?
ボクは思わず口を半開きにしてしまった。
コイツの脳みそは、一体どういう構造をしているのだろうか。
「いや、そうじゃなくて。生物学的な話をしてるんだ。ボクは男……」
「大丈夫だって! 俺は気にしないから! 男勝りな女の子も、可愛いと思うよ? 恥ずかしがならなくていいってことよ(紳士)」
人間はニカッと笑って、ボクの肩をバシバシと叩いた(もちろん、服の上から)。
その笑顔には、一点の曇りもない。
ただ純粋に、ボクの「コンプレックス(だと彼が思い込んでいるもの)」を受け入れようとしている善意の塊だ。
……ダメだ、通じない。
この人間には、常識的な言葉が通じない。
「……はぁ」
ボクは本日最大のため息をついた。
もういい。
訂正する気力すら吸い取られた。
「……好きにすれば」
「おう! じゃあこのパーカー買おうぜ! 俺がプレゼントするからさ!」
人間は嬉しそうにレジへと向かっていく。
その後ろ姿を見ながら、ボクは胸の奥のモヤモヤを押し殺した。
本当のことを言えないまま、甘やかされている。
それはまるで、いつか溶けてなくなる砂糖菓子のような、不安定な関係だ。
■ ■ ■
買い物を終えた後。
人間のおすすめだというカフェに入った。
テーブルの上には、山盛りのホイップクリームが乗ったパンケーキと、アイスティー。
「やりますねえ!」
人間はフォークを握りしめ、子供のように目を輝かせている。
ボクは自分のフォークを気だるげに持ち上げた。
「……こんなに食べられない」
「残したら俺が食うから、好きなだけ、どうぞ」
そういう雑な優しさが、コイツらしい。
一口食べる。
甘い、脳が痺れるような甘さだ。
でも、悪くない。
疲れた思考回路には、これくらいの糖分が必要なのかもしれない。
「んぐ、むぐ……美味い! これマジで美味いな!」
「……汚いよ、食べ方」
口の端にクリームをつけながら頬張る人間を見て、ボクは呆れる。
こいつは本当に、欲望に忠実だといえる。
三代欲求の内の一つである食欲。
ならばもしかしたら、他のも……?
ふと、そんな考えが頭をよぎり、ボクは慌ててアイスティーを流し込んだ。
何を考えているんだ、ボクは。
「天使くん、ここ」
人間が自分の頬を指差した。
「ついてるよ、クリーム」
「え?」
言われて手で拭おうとするが、場所がわからない。
「違う違う、もっと右……あーもう、じれったいなぁ。俺がやってやるかあ!」
人間が身を乗り出した。
大きな手が、ボクの顔に伸びてくる。
「っ……!」
ボクは反射的に身を引こうとした。
直接触れれば、寿命を吸ってしまう。
ボクは天使の悪魔。
直接触れた人間の寿命を吸い取る存在。
たとえ指先一つでも、触れさせてはいけない。
でも、人間の手は止まらなかった。
親指の腹が、ボクの唇の端をスッと撫でる。
「……ほら、取れた」
人間は自分の指についたクリームを、ペロリと舐めた。
「ん、甘い」
時間が、止まった気がした。
今、触れた。
直接、肌に。
服越しじゃない。
確実に、数日……いや、数ヶ月くらいの寿命は持っていかれたはずだ。
「……バカなの?」
ボクの声は震えていた。
「なんで、触るの。死ぬよ、本当に」
「え? あ、忘れてた(正直)」
人間はキョトンとした顔で、あっけらかんと言い放った。
「忘れてたって……君ね」
「まあ、ちょっとくらい平気だろ! 俺、体力には自信あるし!」
「そういう問題じゃない……!」
ボクはテーブルをドンと叩いて立ち上がった。
怒り?
いや、違う。
これは恐怖だ。
これまで、たくさんの人間が死ぬのを見てきた。
彼らは皆、ボクに触れるのを恐れた。
当然だ。
命は惜しい。
だからボクは、常に孤独だった。
なのに、この男は。
クリームを拭うためだけに、自分の命を削った。
「……座ろう、天使くん。ちょー目立ってる」
人間に促され、ボクは渋々椅子に座り直す。
心臓がうるさい。
寿命を吸った時の独特の感覚――冷たい何かが流れ込んでくる感覚――が、指先から伝わってきたはずなのに、今はなぜか、触れられた頬が熱い。
「……もう、知らない」
ボクは俯いて、パンケーキを突っついた。
人間は「怒んなって」と笑いながら、自分の分を平らげていく。
この男は、異常だ。
そして、そんな異常な男に心を許し始めているボクもまた、おかしくなっているのかもしれない。
■ ■ ■
カフェを出ると、日はすでに傾きかけていた。
夕焼けが街を黄に染め、影を長く伸ばしている。
「そろそろ帰りますか!」
「……そうだね」
ボクたちは並んで駅へと向かう。
行きよりも、少しだけ距離が近い気がした。
その時だった。
路地裏から、悲鳴が聞こえたのは。
『キャアアアアア!』
ボクと人間は顔を見合わせた。
一瞬で、空気が変わる。
「デート(?)」から、「仕事」の空気へ。
「行くでがんすよ、天使くん!」
「……はぁ、面倒くさい」
口では文句を言いながらも、ボクはコイツの後を追って走り出した。
現場は、駅から少し離れた雑居ビルの裏手。
そこにいたのは、奇妙な悪魔。
いくつものマネキンが融合したような体に、ハサミやメジャーが突き刺さった姿。
もし名前をつけるなら……そう。
「『ファッションの悪魔』……かな?」
「服の悪魔か! ちょうどいい、さっき買った服のセンスを見せつけてやりますよお!」
「意味わかんないこと言ってないで、構えて」
悪魔がこちらに気づき、マネキンの腕を振り回して襲いかかってくる。
その手には巨大な裁ち鋏が握られていた。
——ジャキィッ!
鋭い刃が空を切り裂く。
人間はそれを、腰の剣を抜いて受け止めた。
「ぬんっ!(気合)」
金属音が火花を散らす。
人間の腕力は相変わらず人間離れしている。
悪魔の重い一撃を真正面から受け止め、押し返しているのだ。
「天使くん、今だ!」
「わかってる」
ボクは翼を展開する。
白い羽が夕闇に舞い散る。
手を宙に掲げ、槍を無から顕現させる。
それは寿命を武器に変える能力。
人間が押し返した隙に、ボクは槍を投擲した。
ヒュンッ――ドスッ!
槍は悪魔の肩口に突き刺さった。
だが、浅い。
悪魔の体は硬質なプラスチックのように硬く、致命傷には至らなかったようだ。
「ほーん、硬っちかっち」
「チッ……面倒な」
『キャアアアアアアアアア‼︎』
悪魔が咆哮を上げる。
無数のハサミを射出してきた。
雨のように降り注ぐ刃。
「なっ⁉︎ 危ない!」
ボクが翼で身を守ろうとした瞬間、目の前に大きな影が割り込んだ。
ガガガガガッ!
ハサミが人間の体に突き刺さる……音ではなく、彼が振り回したモノに当たる音がした。
近くにあった店の看板を引き剥がし、盾にしたのである。
「無事か、天使くん!」
「……ボクは翼があるから平気だってば。君こそ」
人間の腕には、かすり傷から血が滲んでいた。
それなのに、彼は笑っている。
「かすり傷だ、大丈夫だ。問題ない」
「……バカ」
ボクは小さく呟き、意識を集中させる。
アイツが作ってくれた隙。
無駄にはできない。
「5年使用……」
ボクは寿命を消費し、より強力なエネルギーを生成する。
手元に現れたのは、光り輝く剣。
「そこ、退いて!」
「かしこまり!」
人間が横に飛び退くと同時に、ボクは踏み込む。
一閃。
光の剣が、悪魔の胴体を斜めに切り裂く。
『キャ……キャキャ……』
マネキンの体が音もなく滑り落ち、崩れ去った。
■ ■ ■
戦闘が終わると、静寂が戻ってきた。
「ふぅー、キツかったすね今日は〜」
人間は剣を納め、軽く伸びをした。
腕の傷からはまだ血が出ているが、本人は気にしていない様子だ。
「……手当、するよ」
「え? いいよいいよ、唾つけときゃ治るって」
「汚いからやめて」
ボクはハンカチを取り出し(これはさっきの店でコイツが勝手に買ったものだ)、彼に近づいた。
もちろん、直接触れないように気をつけて。
「……じっとしてて」
傷口にハンカチを巻き、きつく縛る。
人間は大人しくボクの手元を見つめていた。
「天使くんってさ」
「なに」
「意外と家庭的だよな。いいお嫁さんになれるよ」
……また、その話か。
ボクは結び目をわざと強く締めた。
「いっ!?」
「ボクは男だと言ったはずだけど」
「あー、そうだったそうだった。男前な性格ってことだよな!」
やっぱり、通じていない。
ボクは深いため息をついて、ハンカチから手を離した。
「……もういいよ、それで」
諦めではない。
ただ、今はこの心地よい疲労感の中で、言い争うのが面倒なだけだ。
それに。
「”鈴木”」
「ん?」
「……ありがとう、守ってくれて」
ボクはそっぽを向いたまま、小さく礼を言った。
素直になるのは癪だけれど、事実は事実だ。
人間は少し驚いたように目を丸くし、それから優しく笑った。
「当たり前だろ。”バディ”なんだからさ」
バディ。
その言葉が、今は少しだけ誇らしく響く。
「さ、帰ろうぜ! 腹減ったへった〜!」
「さっきパンケーキ食べたばかりじゃ……」
「甘いもんは別腹! 晩飯はガッツリ系がいいな! 旨いラーメン屋とか!」
人間はまた、元気よく歩き出した。
その背中を追いかけながら、ボクは思う。
この誤解は、いつか解かなければならない。
ボクが男であることを、彼に理解させなければならない。
そうすれば、彼は失望するだろうか。
それとも、変わらずに接してくれるだろうか。
だが今はまだ、このままで。
この甘くて苦い誤解の中に、もう少しだけ浸っていたい。
そう願うことくらいは、きっと許されるだろう。
天使の悪魔はさあ……ご褒美なんだよ!