迫真バディ部・天使の裏技   作:天使ξ紳士

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第5話:先輩後輩、および独占欲

 その日、公安のデビルハンター本部には、いつもと違う、少しピリついた空気が流れていた。

 

「はぁ……」

 

 ボクはいつものように重たい瞼を擦りながら、地下の演習場へと向かう廊下を歩く。

 隣には、今日も今日とて無駄に代謝の良い筋肉ダルマがいる。

 

「今日は新人の研修らしいっすよ! 先輩として、ガツンと気合入れていきましょう!」

「……うるさい。耳元で叫ばないで」

 

 ボクは心底面倒くさそうに返す。

 

 研修。

 新人の実力を測りつつ、先輩ハンターが指導するという名目の、あからさまなパワハラ……ではなく、教育の場だ。

 これに参加するということは、つまり「サボれない」ということを意味する。

 ボクにとっては地獄のような時間だ。

 

「あーあ。早く帰って寝たい」

「天使くんまだ一回表、試合は始まったばかりYO」

「……意味不明なこと言わないでくれる?」

 

 ボクたちが担当となっている公安の一室へ到着すると、そこには既に新人のデビルハンターが。

 一際目立つ少女の姿があった。

 

 黒髪のショートカット。

 端正な顔立ちの、小柄な少女。

 

「あ! あれは……!」

 

 隣のコイツが野太い声を上げるのと同時だった。

 その少女がこちらに気づき、生意気そうな笑みを浮かべて手を振った。

 

「わーっ、鈴木センパイじゃーん! チーッス!」

「おお姫野か! お久しぶりブリ大根!」

 

 姫野、と呼ばれたその新人。

 彼女はスタスタとこちらに歩み寄ってくると、何のためらいもなく――人間の分厚い胸板をバシバシと叩いた。

 

「元気してました? なんかまた筋肉ついたんじゃない? ちょっと触らせてよ」

「あぁ^〜いいっすね〜(快諾)」

 

 ペタペタと、二の腕や大胸筋をまさぐる小娘。

 新人の分際で、その距離感は明らかに「舐めている」ものだった。

 そしてアイツの方も、満更でもなさそうにニヤついている。

 

「…………」

 

 ボクは一歩引いた場所で、その光景を見ていた。

 見ているしかなかった。

 

 なんだ、あの小娘は。

 アイツの後輩?

 それにしても、近すぎる。

 

「ん、その人が噂の新しいバディですか? 先輩」

 

 彼女の視線が、ボクに向けられた。

 その瞳は、好奇心と、どこか人を小馬鹿にしたような光を宿している。

 

「初めましてー。新人の姫野でーす。鈴木センパイには学生時代に世話になったんすよねー」

「……あっそう。だから?」

「ふーん、ふふーん?」

 

 小娘はボクの顔を覗き込み、ニシシと笑った。

 

「鈴木センパイには勿体ないくらいの美人さんじゃん。ねえ?」

「そうだよ(便乗)。俺の自慢のバディだからな、見とけよ見とけよ〜」

 

 人間が鼻高々に答える。

 いつもなら、そのバカみたいな笑顔に呆れるところだ。

 けれど、今はなぜか、その笑顔が癇に障った。

 

 なぜ、そんなに嬉しそうなんだ。

 ボクのことは「女の子」だと思っているくせに。

 目の前にいる「生意気な新人の小娘」にあんなにベタベタ触られておいて。

 

「じゃあセンパイ、ちょっと借りますねー」

「ファッ!?」

 

 姫野はそう言うと、強引に人間の腕を引いた。

 

「新人の組手相手、手伝ってくださいよ。センパイのその筋肉、サンドバッグに丁度いいし」

「えぇ……(困惑)。やめてくれよ……(絶望)」

「いいじゃないですか減るもんじゃないし! あっ、バディの方は休憩してていいので。行こ!」

 

 有無を言わせぬ強引さ。

 アイツは「行ってきまーす!」とボクに手を振り、彼女に連行されていった。

 その背中は、どこか嬉しそうにも見えた。

 

 残されたボクは、ポツンと一人。

 地下の冷たい空気が、肌に張り付くようだった。

 

「……なにさ」

 

 ボクは壁際のベンチに腰を下ろした。

 翼を身体に巻き付けて、外界を遮断するように縮こまる。

 

 胸の奥が、ざらつく。

 これまで感じたことのない、不快な感覚。

 

 それはまるで、溶けたアイスクリームが腕にねっとり滴り落ちた時のような。

 いや、もっと粘着質で、ドロドロとした何かだ。

 

 

■ ■ ■

 

 

 研修が始まった。

 ボクは遠くから、二人の様子を眺めていた。

 

 彼らの組手は、意外にも激しいものだった。

 新人の姫野が果敢に攻め込む。

 アイツはそれを、余裕の表情(というよりニヤけた顔)で受け流している。

 

「いいよ! 来いよ!(挑発)」

「うらぁ!」

 

 姫野の蹴りがアイツのガードの上から炸裂する。

 

「痛いですね……これは痛い……(大嘘)」

「嘘つけ! 全然効いてないじゃん!」

「いやーキツイっす(素)」

 

 楽しそうだ。

 ボクといる時よりも、ずっと。

 生き生きしているようだ。

 

 あの小娘、アイツの扱い方を心得ている。

 

 ……当たり前か。

 彼女は人間で、ボクは悪魔だ。

 彼女は触れても死なないし、アイツの寿命を奪うこともない。

 肩を組んでも、肌が触れ合っても、何も問題がないのだ。

 

「……はぁ」

 

 ボクは膝に顔を埋めた。

 

 それに、彼女は「女」だ。

 ボクと違って、本物の。

 まだ未熟かもしれないけれど、その身体つきは確かに女性のものだ。

 

 アイツはボクのことを「女の子」だと思っている。

 でも、それは誤解の上に成り立っている幻想だ。

 もしボクが男だと知ったら?

 あんな風に「いいよ!来いよ!」なんて、受け入れてくれるだろうか。

 

 ――比べても仕方ない。

 

 頭ではわかっている。

 ボクは天使の悪魔。

 人間とは相容れない存在。

 アイツはただの一時的なバディ。

 それだけの関係だ。

 

 なのに。

 

「休憩ー!」

 

 アイツの声が響く。

 研修が一区切りついたようだ。

 アイツが汗を拭いながら、こちらへ戻ってくるかと思いきや――姫野が彼にスポーツドリンクを投げ渡し、また何かを話しかけている。

 

「センパイ、さっきの動き相当キモかったですよ」

「おっ、そうだな(適当)」

 

 バシッとアイツの背中を叩く姫野。

 その自然な接触が、ボクの視神経を焼き切るほどに不愉快だった。

 

「……帰ろ」

 

 ボクは立ち上がった。

 これ以上、ここにいたくない。

 あの二人の世界を見せつけられるのは、何だかとても不快で苦痛だったから。

 

 出口に向かって歩き出した時。

 背後から声がかかった。

 

「あれ、先輩のバディの方。どこ行くんですか?」

 

 姫野だ。

 いつの間にか近づいてきていた。

 ボクは足を止め、振り返らずに答える。

 

「……別に、どこにも」

「おやおや。もしかして、妬いちゃいました?」

 

 ドキリとした。

 心臓を直接掴まれたような感覚。

 

 振り返ると、姫野がニヤニヤと笑いながら、新人のくせに生意気にもタバコを咥えていた。

 

「……ボクに一体何の用事?」

「あはは、怖ーい。鈴木センパイのことですよ。あの人、見た目はゴリラだけど中身は優しいですから」

「……それがどうかした」

「ふふっ、素直じゃないんですね」

 

 姫野は一歩、ボクに近づいた。

 紫煙が鼻をかすめる。

 

「安心してくださいよ。私はセンパイのこと、そういう対象として見てませんから」

「は?」

「面白いおもちゃ、みたいな。反応がよくて」

 

 彼女はニヤリと笑い、悪戯な目をした。

 ボクには妙にそれが嫌に思えた。

 去っていく彼女を尻目に、そんな感情が湧いた。

 

「……小娘のくせに」

 

 ボクは去っていく少女の背中に、小さくそう吐き捨てた。

 彼女が残していった言葉が、いつまでも耳の奥で反響している。

 

『もしかして、妬いちゃいました?』

 

 妬く?

 このボクが?

 人間に?

 

 ありえない。

 そんな無駄な感情、ボクには必要ないし、持ち合わせてもいないはずだ。

 

 でも。

 

「おーい! 天使く〜ん! 待たせたな!」

 

 向こうから、汗だくになったアイツが走ってくる。

 その顔は、茹で上がったタコみたいに赤くて、汗が滝のように流れていて……正直、汚い。

 

 いつもなら「近づかないで」と一蹴するところだ。

 それなのに。

 

「……遅い」

 

 口から出たのは、つい拗ねたような言葉だった。

 

「いやー、姫野のヤツ、久々だからって張り切りすぎなんすよ。もう身体中バキバキっすよ。勘弁してくれよな〜」

 

 アイツは豪快に笑いながら、ボクの隣にドカッと腰を下ろそうとする。

 

 その瞬間、フワッと汗の匂いがした。

 そして、その奥に微かに混じる、甘い香り。

 

 ――さっきの小娘の匂いだ。

 

 彼女がベタベタと触っていた痕跡。

 それが鼻についた瞬間、ボクの中で何かが「プツン」と音を立てて切れた。

 

「……臭い」

「へ?」

「あっち行って」

 

 ボクは冷たく言い放った。

 わざとらしく鼻をつまんでみせて。

 

 アイツはキョトンとした顔をして、自分の脇の匂いを嗅いでいる。

 

「えぇ……そんな臭いかなぁ? 自分じゃわかんないんだよなぁ……」

「臭い。とにかく不潔」

「ファッ⁉︎(驚愕) そんな臭いのか俺……(悲)」

 

 アイツは、少し距離を取って座り直した。

 その「配慮」が、今は逆に腹立たしい。

 

 小娘――姫野には、あんなに近づかせていたのに。

 

 彼女は、君の腕を掴んでいた。

 背中を叩いていた。

 アイツもそれを受け入れていた。

 

 ボクにはできないこと。

 寿命を吸ってしまうボクには、絶対に許されない距離感。

 

「……帰る」

 

 ボクは立ち上がった。

 ここにいると、自分が惨めな生き物に思えてくる。

 翼を持った化け物が、人間の真似事をして、勝手に傷ついているだけだ。

 

「あとはよろしく」

 

 背後で喚く人間を無視して、ボクは廊下を早足で進んだ。

 足音が追いかけてくる。

 

 どうして追いかけてくるんだ。

 放っておけばいいのに。

 

 ……いや、放っておかれたら、それはそれで嫌だと思っている自分がいる。

 

「はぁ……」

 

 本当に、面倒くさい。

 自分の心が、一番面倒くさい。

 

 

■ ■ ■

 

 

 結局、アイツはボクの後をついてきた。

 公安の建物を飛び出して街を歩く。

 

 二人の間に流れる空気は、いつもより重たい。

 沈黙が痛い。

 いつもなら、この人間がくだらない冗談を言って、ボクが適当に流して、それで終わるはずなのに。

 

「……なぁ、天使くん」

 

 少し控えめな声で、アイツが話しかけてきた。

 

「怒ってる?」

「別に」

「嘘つきはそっぽ向くって、はっきりわかんだね」

 

 アイツがボクの顔を覗き込んでくる。

 その真っ直ぐな瞳。

 曇りのない、バカみたいに純粋な目。

 

「姫野のこと、嫌いだった?」

「……嫌いとかじゃない」

 

 ボクは視線を逸らす。

 道端のガードレールを見つめた。

 

「そっか。ならよかった。アイツ、昔から距離感バグってるところあるからな〜」

 

 人間は懐かしそうに笑った。

 その笑顔が、またボクの神経を逆撫でする。

 

「(俺の後輩でね、『センパイ』なんて呼ばれてるけど、先輩扱いされたことは一回も)ないです」

 

 ボクと君は「バディ」だ。

 でも、それは上司に決められただけの関係。

 彼と彼女の間にあるような、積み重ねた時間は、ボクたちにはない。

 

 それに、彼女は「普通の女の子」。

 君が勘違いしているボクとは違って、本物の。

 

「……あのさ」

 

 ボクは足を止めた。

 

「バディ、変えてもらえば?」

「は?」

 

 人間も足を止め、振り返る。

 

「あの女と組めばいいじゃないか。仲が良いんでしょ? 触れても死なないし、君にとっても安全だし」

 

 言ってしまった。

 心にもないことを。

 いや、心のどこかで「そんなことないよ」と否定してほしいと願っている言葉を。

 

 アイツはポカンと口を開け、眉をひそめた。

 

「何言ってんだ。俺のバディは天使くんだろ」

「……上司に言えば、変えてくれるよ。ボクも、君みたいなうるさい人間より、もっと静かな人がいいし」

 

 嘘だ。

 静かな人間なんて、すぐ死んでしまう。

 ボクを置いて、いなくなってしまう。

 そんなのはもう嫌だ。

 

 なのに、口は止まらない。

 

「どうせ君も、あんな風にベタベタ触れる相手の方がいいんでしょ。ボクなんかといたって、寿命が減るだけだし……」

 

 そこまで言った時だった。

 

 ――ドスッ。

 

 頭に、軽い衝撃が走った。

 見上げると、人間の大きな手が、ボクの頭の上に乗っていた。

 ……いや、直接じゃない。

 アイツが着ていたジャケット越しだ。

 

「……なに」

「んあー、もう! 御託はいいんだよ!」

 

 ワシャワシャと、乱暴にボクの頭を撫で回した。

 髪がぐしゃぐしゃになる。

 

「やめ……!」

「いいか、よく聞けよ天使くん。俺はな、お前がいいんだよ」

 

 動きが止まる。

 ジャケット越しの手の温もりが、頭頂部からじわりと伝わってくる。

 

「姫野は確かに後輩だけど、それだけだ。俺の背中を任せてんのは、天使くんだろ」

 

 人間は真っ直ぐにボクを見つめていた。

 太陽に照らされたその顔は、いつもより少しだけ……本当に少しだけ、凛々しく見えた。

 

「それに……さっきからウジウジと、らしくない」

「……うるさい」

「寿命がどうとか、触れる触れないとか、そんなん関係ねぇよ。俺は、天使くんが淹れてくれたコーヒーをいつか飲みたいし、また下北沢行きたいし、一緒に美味いもん食いたいんだよ」

 

 人間はニカッと笑った。

 

「わかったか! こら!」

 

 デコピン。

 もちろん、指が触れないように寸止めで、風圧だけを感じるような。

 

 ボクは呆気にとられて、言葉を失った。

 

 なんだ、コイツ。

 本当にバカだ。

 寿命が関係ないなんて、そんなわけないのに。

 命をなんだと思っているんだ。

 

 でも。

 

 胸の奥にあったドロドロとしたものが、少しだけ溶けていくような感覚がした。

 

「……わかったよ」

 

 ボクは彼の手を振り払うようにして、髪を整えた。

 

「髪、ボサボサになった」

「ぬっ。でも、そっちの方が可愛いかも?」

「……ふん」

 

 可愛い。

 またその言葉だ。

 普段なら訂正したくなるその言葉も、今はなぜか、少しだけ心地いい。

 

「それにしても腹減ったなぁ。なぁ天使くん、今日こそラーメン行こうぜ」

「……油っこいのは嫌」

「じゃあ蕎麦! 駅前に美味い立ち食い蕎麦屋があんのよ!」

 

 立ち食い……。

 また面倒くさそうな場所に。

 でも、断る気にはなれなかった。

 

「……いいよ、付き合ってあげる」

「やったぜ。」

 

 人間が歩き出す。

 ボクはその隣に並んだ。

 

 ふと、自分の手を見る。

 白くて、細い指。

 誰かに触れることを許されない手。

 

 あの女――姫野のように、彼の腕を掴むことはできない。

 背中を叩くことも、汗を拭いてあげることもできない。

 

 その事実は変わらない。

 物理的な距離は、どうしようもなく存在する。

 

 けれど。

 

『俺は、お前がいいんだよ』

 

 ……ああ、そうか。

 

 ボクは、気がついてしまった。

 さっき感じたあの苛立ち。

 胸の奥が焦げ付くような不快感。

 

 あれは、「彼が死ぬのが惜しい」からじゃない。

 「便利なバディを失うのが嫌」だからでもない。

 

 ただ単に、ボク以外の誰かが――特に、ボクにはできないやり方で――彼に触れるのが、嫌だったんだ。

 

「待ってよ、鈴木」

 

 ボクは少し早足で、アイツの隣に追いついた。

 夕日が、二人の影を長く、長く伸ばしていた。

 

 その影だけは、しっかりと寄り添って。

 まさに一つに重なっていた——。

 




影と影ならば、触れることだってできる
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