こちらでも投稿を始めます。異世界誘拐事件録は私の描く長編小説です。
一巻分の内容を章ごとに分けて投稿していくつもりです。
一巻の内容で物語を完結させているのですが、
実は、カクヨムでは続編である二巻目を完成させており、三巻へと進んでおります。
並行して前日団の異世界誘拐事件録Chapter0も制作を着々と進めています。
この異世界誘拐事件録は本編一巻→続編二~九巻→前日談一巻の
合計十巻で完結となるシリーズです。
発覚
夢を見ていた。
恋人の雪と、夕暮れの砂浜に並んで座り、結婚について話している。
「雪、話があるんだ」
雪は俺の肩にもたれ、「なあに?」と微笑む。
「俺と、結婚してほしい」
ずっと言いたかった言葉だ。ようやく、口にできた。
——だが、雪の返事を聞く前に、無情にも携帯のアラームが鳴り響いた。
目を開けると、そこは薄暗い書斎。現実の中の、埃をかぶったソファだった。
夢だったことに苛立ちながら、俺は体を起こし、ポケットから煙草を取り出す。
火をつけて、深く吸い込んだ。焦げた煙草のにおいが、現実をはっきりと突きつけてくる。
雪がいなくなったのは、ちょうど一ヶ月前。
ある日突然、姿を消し、両親が警察に行方不明届を出した。
誘拐の可能性が浮上したのは、それからさらに一ヶ月後のことだった。
俺の名前は浪野 悠(なみの ゆう)。
23歳の探偵で、渋谷の雑居ビルに小さな事務所を構えている。
普段は警察と協力して、あちこちの事件を追いかけている。
そして今——
俺は、雪を見つけ出すと誓っている。必ず、どんな手を使ってでも。
洗面所で顔を洗い、携帯をポケットに戻しかけたその時。
ピピピピッ。
着信音が鳴った。
画面には「釜野」の名前。大学の同期で、今は警視庁の刑事をしている男だ。
「よう、久しぶりだな」
受話器越しの声は、相変わらずぶっきらぼうだった。
「例の事件だが……お前の力を貸してほしい」
「面倒くせえな……」
ぼやきながら、コートを羽織る。
俺は、雪に繋がるものなら何でも手を伸ばすつもりだった。
警視庁・連続誘拐事件捜査本部
重たい足取りで警視庁の門をくぐり、捜査本部へと向かう。
部屋に入ると、釜野が「よう」と軽く手を振った。
他にも数人の捜査官がいて、どこか冷たい視線をこちらに投げかけてくる。
「早速だが、これを見ろ」
釜野が地図を広げた。新宿の一角——最新の誘拐事件の現場を示している。
「現場に行ったんだが……とんでもないものがあった」
「待て。そもそも、なんで誘拐って断定できる? 行方不明ってだけじゃないのか?」
「現場に、犯人のものと思われるマークが残されていた」
釜野は用紙を机に置いた。
そこには、油性ペンで描かれた海賊旗のようなドクロのマーク。
「すべての現場に、このマークが残されていた。雪ちゃんの現場にもな」
釜野は静かに言った。
俺の中で、何かが確信に変わった。
雪は自分の意思で姿を消したわけじゃない。誰かに、連れ去られたんだ。
そして俺は、そいつを——地獄の果てまで追い詰めて、必ずぶっ潰す。
マークをにらみつけていると、釜野が声をかけてきた。
「大丈夫か?」
「……ああ」
「3日前、新宿で新たに男児が誘拐された。現場には同じマークがあり、そのそばに倒れていた妙な男を拘束した」
「俺たちは、そいつが犯人の一味だと踏んでる。だが、何も話そうとしない。まるで誰かに“喋るな”と命じられているかのようだ」
釜野は真っ直ぐ俺を見て言った。
「なぁ悠。お前、大学で心理学やってたろ? そいつから話を引き出してくれないか?」
「は? 結局、俺に雑用やらせたいだけじゃねえか。警察でやれよ、そんなの」
「……雪ちゃんの手がかりかもしれないんだぞ」
釜野の言葉に、俺は小さくため息をついた。
こいつは雪がいなくなってから、ずっと俺を気遣ってくれている。
きっと今回も、その一環だ。
「……わかった。話だけ聞いてくる」
俺と釜野は、拘留所へ向かって歩き出した。
警視庁・拘留室
「――奴と二人にしてくれ」
浪野の一言に、釜野は無言でうなずき、静かに部屋を後にした。
浪野は椅子を引いてゆっくりと腰を下ろす。対面に座る男が、目を伏せたまま口を開いた。
「俺の名はグリス。貴様が来るのを待っていた。海賊どもを野放しにするわけにはいかん。世界を繋ぐ力を持つお前の力が、今こそ必要だ」
「……は? お前、誰だよ。『世界を繋ぐ』って、何の話だ?」
唐突な言葉に浪野が眉をひそめると、グリスは虚空を見つめながら、低くつぶやいた。
「――長野にある“下町研究所跡地”へ行け。そこに全ての真実が眠っている」
その瞬間、グリスの指先が灰色に変色していく。
異様な光景に、浪野は思わず息を呑んだ。
「お前が……この腐りきった運命を変えるのだ……」
言い終えると同時に、グリスの全身が石のように硬化し、動かなくなった。
何が起きたのか理解しきれないまま、浪野はその場を飛び出す。
釜野への報告も後回しにして、彼は車を走らせた。
「――雪も、他の被害者も、もしかしたら……!」
胸中に強い確信が芽生えた浪野は、アクセルを踏み込み、新宿の街をワゴン車で駆け抜けた。
長野県郊外・下町研究所跡地
日が落ち、研究所跡地は夕闇に包まれていた。
浪野は車を建物のそばに停め、懐中電灯と、違法に入手した拳銃を手に慎重に足を踏み入れる。
薄暗い廊下を進むにつれ、異様な静けさと寒気が肌を刺した。
最奥の扉にたどり着くと、深く息を吸い込み――
「手を上げろ! 警察だ!」
扉を蹴破って突入した。
しかし、そこにあったのは荒れた木造の空間だけ。
――と思いきや、奥にもう一つの扉が立てかけられていた。
浪野が慎重にその扉を開くと、予想外の景色が広がっていた。
まるで別世界だ。
薄汚れた施設とは対照的に、内部はまばゆい照明と重厚な装飾に包まれた回廊。
拳銃を構えたまま、彼はその空間を進む。
そして回廊の突き当たり、大扉を開くと――
そこは異様な“宴”の真っ只中だった。
仮面を被った紳士淑女たちが、檻の周囲に集まっている。
檻の中では、手足を鎖で拘束された子供や女性たちが泣き叫んでいた。
「……まさか……こんな場所が、研究所の中に……?」
愕然としながら檻に近づいた浪野は、さらに信じ難い光景を目撃する。
淑女たちが被害者の手足を貪るように食らっていたのだ。
瞬間、怒りと恐怖が体を駆け巡った。
浪野は近くの淑女を羽交い締めにし、拳銃を突きつける。
「動くなァ!! 今すぐ檻の鍵を開けろ!! さもなくば、こいつを撃ち殺す!」
凄絶な叫びとともに、浪野の銃口が淑女の頭に向けられる。
だが次の瞬間――
背後から衝撃。
狼の姿をした大男が浪野の後頭部を殴りつけ、彼は意識を失った。
雪山・未明
どこかで風が唸っている――
凍てつく風に意識を引き戻され、浪野はうっすらと目を開けた。
「……っ、ここは……?」
そこは吹雪が吹き荒れる雪山の中だった。
体を震わせながら立ち上がろうとしたそのとき、目の前に巨大な蛇が現れる。
冷たい瞳が浪野を見据え、牙を剥いた。
「くそ……終わりかよ……」
絶体絶命の瞬間――
銃声が響いた。
大蛇の頭部がはじけ飛び、地面に崩れ落ちる。
そして――煙の向こうから、誰かが近づいてくる。
あの時の俺は、まるで世界を敵に回しているような気分だった。
高校生だった俺は、とにかく喧嘩っ早かった。目が合えば喧嘩、口論になれば即応戦。他校の不良どもとやり合うこともしょっちゅうだった。
「アハハハッ!痛ぇか? こんなんじゃ俺に勝てねぇんだよ!」
相手が呻き声を上げるのを見るのが快感だった。誰よりも早く、誰よりも残酷に——それだけが俺の存在証明だった。
当然、そんな奴に近づこうとする奴なんていない。俺は周囲から腫れ物扱いされていた。
……ただ一人、雪だけは違った。
「また試験サボって喧嘩してきたの? ほんっと馬鹿だよね〜。それじゃ成績落ちるの当たり前だよ」
雪は幼馴染だ。俺のどんな姿を見ても引かなかった。俺が血まみれで帰ってきても、眉一つ動かさずに絆創膏を渡してきた。
「うるせぇな。先に仕掛けてきたのは向こうだ。俺は正当防衛だっつーの」
「へぇへぇ。でも先生にはちゃんと謝っときなよ。反省したフリでもいいからさ」
口うるさいけど、いつだって俺を見捨てなかった。勉強も教えてくれたし、一緒に登校もしてくれた。
「なぁ雪……おれなんかとつるんでていいのか? 変な噂とか立たねぇ?」
「うーん、今のところ何も言われてないよ? そもそも幼馴染だし。私が関わらなくなったら、悠、ほんとに孤立しちゃうじゃん」
その言葉で、俺は自分の気持ちに気づいた。こいつを好きになったんだと。
雪は俺の世界を変えてくれた。俺の荒れた心を、少しずつ溶かしてくれた。だから俺は変わろうと思った。彼女の隣に立てる人間になりたくて、喧嘩の虫を押さえ込み、勉強に向き合った。
その甲斐あって、なんとか大学に進学できた。心理学部——特に臨床心理学を専攻したのは、自分の中の「怒り」の正体を知りたかったからだ。
そして、大学二年のある日。俺は一つの扉を叩いた。
「初めまして。私は飛鳥探偵事務所の所長、中沢飛鳥よ。渋谷で探偵をしているの」
所長は端正な顔立ちで、鋭い目をしていた。
「あなたの経歴、全部見たわ。前科はないけど……喧嘩で有名だったらしいじゃない」
正直、ダメ元だった。探偵ってのは資格や学歴がそこまで重視される職業じゃない。でも、まさかこんな俺を本当に採ってくれるとは思っていなかった。
でも飛鳥は違った。
「人の心を読めるのも才能の一つよ。臨床心理学を専攻していたっていうのも、強みになる」
こうして、俺は晴れて「探偵」になった。
目が覚めると、古びた小屋の中だった。暖炉の前に横たわっていた俺は、体にかけられた毛布を払い、辺りを見渡す。
「……ここは……」
ポケットにしまっていたはずの拳銃が見当たらない。あの雪山に放り出されたときに落としたのか。焦って周囲を探すと、机の上に見覚えのあるそれが置かれていた。
すかさず駆け寄って手に取った、そのときだった。
ガチャリ――。
小屋の扉が音を立てて開き、猟銃を背負った男がゆっくりと中へ入ってくる。
「動くな……!」俺は思わず拳銃を構えた。
だが、男は落ち着き払って言った。
「おぉ、起きたか。早速物騒なもんを持っておるが、残弾は確認したかの?」
「……は?」
言われるままに確認してみると、弾がすべて抜き取られていることに気づく。俺は舌打ちしながらも拳銃をポケットにしまった。
「諦めるんじゃな。わしには勝てん。まあ、安心せい。敵意はない」
男は猟銃を壁に立てかけると、やかんに水を汲み始める。
「わしの名はコロウ。このスモーク山で猟師をしておる。……お主の名は?」
「浪野悠だ」
彼は頷くと、棚からマグカップを二つ取り出し、見慣れない茶葉のパックを入れて沸かした湯を注ぐ。柔らかい香りが立ちのぼった。
「紅茶は飲めるか?」
「ああ、もらう」
俺がマグカップを受け取ると、コロウも椅子に腰を下ろした。その目が、じっと俺を見据える。
「その身なり……お主、この地の者ではないな? 一体どこから来た? なぜスモーク山道にいた?」
「それが、俺にもよくわからない。……パーティー会場で誘拐された子供たちを見たはずなんだが……あれは夢だったのか……」
記憶はまだ断片的で、靄がかかったようにはっきりしない。コロウは静かに紅茶を啜ると、低くつぶやいた。
「何やら、訳ありのようだな。……まさか……」
「なんだよ、言いたいことがあるなら言え」
「誘拐された子供、と言ったな。その子供、海賊にさらわれたんじゃないか?」
その言葉に、あのドクロのマークが頭にちらついた。
「まさか……海賊が犯人だってのか?」
「もしそうなら、思い当たる海賊がいる。奴らの名は――ティード海賊団。人身売買で悪名高く、世界的に危険視されておる連中だ」
「教えてくれ、コロウ……俺は一刻も早く、恋人を取り戻さなきゃならないんだ!」
だが、コロウは首を横に振った。
「やめておけ。お主が太刀打ちできるような相手ではない。奴らは並行世界を自在に移動し、必要とあらばどこへでも逃げ隠れできる。王国の監視の目すら欺いてきた、狡猾な連中だ」
そんな馬鹿な話があるのか……と、思いたかった。だが、あの仮面の貴族たち、檻の中で泣き叫ぶ子供たちの光景を思い返せば――すべてが現実だと認めざるを得なかった。
いやいや、ちょっと待て。並行世界? 能力?
さっきからこのジジイ、何をトチ狂ったことを言ってやがるんだ。
「長野の研究所の裏に、こんな雪山なんてあるわけねえだろ。……ここは一体、どこなんだよ?」
俺が顔をしかめて問い詰めると、コロウは眉をひそめ、怪訝そうに言った。
「長野? 研究所? ……一体何を言っておる」
「おいおい、ここは長野県だろうが!」
「……ここはアルタイル王国だぞ。お主、頭を殴られて混乱しているんじゃないか?」
ありえない。だが、コロウの目は本気だった。ふざけている様子も、からかっているような気配もない。
俺はふらつきながら立ち上がり、棚に立てかけられていた地図を手に取った。そして、目の前の現実に絶句する。
「……なんだよ、これ……」
地図には、見たこともない国名と広大な大地がいくつも広がっていた。その中に、たしかに「アルタイル王国」と書かれた名もあった。
腰が抜けるとは、まさにこのことだ。膝が勝手に崩れ落ち、床に座り込む。
俺の様子を見たコロウが、静かに口を開いた。
「お主……もしや、別世界から来たのか? だが、どうやって……」
一瞬考え込みかけたが、すぐに首を振る。
「まあいい。何かの拍子で迷い込んだのだろう。そういうこともある」
そんなわけあるか、と叫びたかったが、口が動かなかった。俺はただ、茫然と天井を見上げていた。
それを見たコロウが、やかんの湯気に目をやりながら続ける。
「……帰る手段が見つかるまで、ここに泊まっていくといい。明日は、ふもとの港町へ行く。ついて来たければ、ついてこい」
火の灯った暖炉の前で、現実離れした空気だけが、静かに流れていた。
翌朝、夜通し荒れ狂っていた吹雪は嘘のように止み、空には澄みきった青が広がっていた。
俺はコロウのあとについて、小屋を後にする。雪を踏みしめながら、山を下っていく。
——この異世界に、雪と子供たちが連れ去られた。
帰る手段があったとしても、このまま引き返すわけにはいかない。
前を歩くコロウは、がっしりした背中に猟銃を背負い、棚から持ち出した金貨をポケットに滑り込ませていた。
「オイ、じいさん。いつまで歩かせる気だよ」
「もうすぐだ。……見えてくるはずじゃ」
その言葉通り、視界の向こうに鮮やかな青が広がり始めた。
さっきまでの雪と吹雪が嘘のような、まるで絵画のような景色だった。
「……雪山の下に、こんな海があるなんてな」
紺碧の海を背に、港町が姿を現す。
「着いたぞ。港町ダイアリーだ」
街に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。通りには人の声が溢れ、活気ある市場の掛け声がそこかしこに響いていた。
「……なあ、なんであいつら耳が尖ってんだ?」
通りを行き交う住民たちの耳は、どれも三角形に尖っている。
「いいか。ここに住む者たちは“エルフ”という異種族だ」
「エルフ? なんだそりゃ」
「耳以外は人間と変わらん。だが、一つだけ決定的に違う点がある」
その瞬間だった——。
「キャーッ!!」
甲高い悲鳴が市場を切り裂き、街のざわめきが一瞬にして凍りつく。
人々の視線が、八百屋の前に集まった。乱雑な足音と共に、誰かが市場を駆け抜けていく。
「……ただの泥棒か」
「コソ泥が……即刻、逮捕だろうが」
俺はネクタイを外し、第一ボタンをはだける。そして、不敵に笑った。
「……行く気か?」
「ああ、もちろんだ」
走り出す。懐から拳銃を抜き、男の背中を正確に狙った。
バァン!
銃声が響き、泥棒の腹を正確に撃ち抜く。男は「ぎゃああぁっ!」と叫びながら膝から崩れ落ちた。
「ハハハ、何やってんだよぉ、てめぇぇえ!」
俺はそのまま男の上に馬乗りになり、拳を叩き込む。一発、二発、三発——。
息を吐き、無線を取り出した。
「……こちら飛鳥探偵事務所、現行犯で男を確保。引き渡しは……まぁ、いつになるかはわからねぇがな」
その時、八百屋から一人の少女が駆け寄ってきた。
「あ、あの……ありがとうございます。お怪我は……?」
「ああ、大丈夫。金も無事に取り返した。あんたに返すよ」
「私、アリスって言います! 八百屋の手伝いしながら、王都の大魔術学校に通ってるんです。もしよければ……お礼させてください!」
「いや、金を返しただけだっての」
「いいからいいから! パパとママに伝えてくるね!」
アリスは満面の笑みを浮かべたまま、八百屋へと走っていった。
コロウが背後から歩いてきて、肩を叩いた。
「……済んだか?」
「ああ、終わったよ」
彼はポケットから金貨を取り出して、俺に差し出した。
「ほれ、100ポカやる。どの店でもいいから、なんか買ってみろ」
「は? なめんなよ。おつかいぐらいできるわ」
だが、コロウは真顔で言った。
「お主はこの世界の常識を知らん。れっきとしたよそ者じゃ。……そんなお前を、わしはかくまっておる」
「……で、何が言いたいんだよ」
「いいか。決して、この世界のエルフを信用するな」
その言葉には、どこか切迫した響きがあった。
「その理由は……お前もあの会場で見たはずだ。——この世界のエルフは、人間を食う」
ゾクリと背筋が凍った。だが、俺は肩をすくめ、にやりと笑った。
「安心しろよ。……食われる前に、俺が全員、殺してやる」
港町ダイアリーの騒ぎが静まり返ったわずか数分後——。
町の上空、約五十メートル。
鋭く湾曲した嘴と、黒い羽毛に覆われた長身の男が、潮風に揺れながら空中を旋回していた。
彼の名はバードリー。鳥のような姿をした、ティード海賊団の偵察係だ。
「ケケケ……あれが、別世界から迷い込んだという人間か。面白くなってきたな……。ティード船長に報告せねば」
バードリーは大きく羽ばたき、海風に乗って飛び立った。
潮の匂いが濃くなる。陽光を跳ね返す水面の下、遥か彼方の水平線を目指して滑空する。
やがて、どこまでも広がる海の真ん中に、黒塗りの巨船が浮かんでいた。
巨大な帆をはためかせ、木製の船体にはドクロの紋章が彫られている。
——それが、ティード海賊団の旗艦《ノクターナル》だった。
バードリーは甲板に降り立つと、そのまま中央の舷階を駆け上がり、玉座の間へと歩を進めた。
「ティード船長、ただいま戻りました」
バードリーは翼をたたみ、恭しくひざまずいた。
「報告しろ、バードリー」
玉座に腰掛ける男が、ワイングラスを揺らしながら言った。
ティード——体躯は常人の倍ほどもあり、黒銀の長髪を背に流し、分厚いマントを羽織っている。
その姿はまさに、海の王と呼ぶにふさわしかった。
「我らがかつての研究所跡にて接続されたゲートから、どうやら一人の人間がこの世界に迷い込んだ模様です」
「ゲートは閉じたはずではなかったのか?」
「その通りです。ですが、ゲートの痕跡は残っており……不自然な点が多々あります」
ティードは、ふむ、と低く唸った。
グラスを傾けながら、視線を奥の牢へと移す。
「……やはり、“世界を繋ぐ能力”を持った者が他にも存在しているのだろう。ガウスと、あの女の他にもな」
「まさか……!それが真実なら、もはや前代未聞ですぞ」
ティードの視線の先、鉄格子の奥に、少女が一人うずくまっていた。
その名は——雪。
「なぁ、雪とかいう人間よ。貴様は他の奴隷とは違う。お前には並行世界を繋ぐ力がある。それを我らは必要としているのだ」
「……帰らせてよ。お願い、家に帰して……」
弱々しく、それでも意志を持って彼女は言い返す。
「諦めろ。助けなど、来るはずがない」
「……悠は来る。必ず、あんたを捕まえに来る!」
ティードは無言のまま立ち上がり、牢の前に歩み寄ると、鉄格子の隙間から彼女を見下ろした。
唇に、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「強情な女だ。嫌いじゃない」
泥棒を取り押さえた数分後、アリスは俺とコロウを店に招いてくれた。
八百屋の奥、木の香りが漂う小さな台所に通されると、湯気の立つ湯飲みが並べられる。
「こっちこっち!」
アリスは明るい声で先導する。
「まあまあ、お金を取り返してくれたんだってね。ありがとう。本当に助かったわ」
そう言いながら笑顔を見せたのは、アリスの母親——リザという女性だった。
柔らかな金髪をまとめた優しげな雰囲気の女性で、差し出された湯飲みからはほんのりと甘い香りが立ち上っていた。
「ありがとうございます。いただきます」
湯を口に運ぶと、ほっとするような味が舌を撫でる。
すると、古びた階段をギシギシと鳴らして、屈強な体格の男が降りてきた。
「おお、お前さんたちが泥棒を捕まえてくれたのか。本当にありがとう」
アリスの父親——トラスだ。この夫婦で八百屋を切り盛りしているのだろう。
「いや、俺はただの通りすがりだよ」
「わしは何もしておらん。全部こやつがやったことじゃ」
コロウがそう言って肩をすくめる。
「なぁ、爺さん。さっきもらった金、ここで使ってもいいか?」
「ん? まぁ構わんが」
店の片隅に積まれた果物に目をやる。
赤く、つややかで、まるでりんごのような実。
「すみません、この果実はなんて名前なんですか?」
「それはフレの実よ。とっても甘くて美味しいの。……というか、あなた変わってるわね。この世界でフレの実を知らないエルフなんて、聞いたことないわ」
「あ、いや……ちょっと頭を打ってて。まだ混乱してるんです」
苦しい言い訳をしながらも、俺はとっさに嘘をついた。
「それは大変だったな。無理せず、うちでゆっくりしていくといい」
トラスの声には温かさがあった。だが、どこか不自然な空気が心に引っかかる。
「いえ、お気遣い感謝します。じゃあ、この実を一つ、買います」
コロウがふと立ち上がる。「すまんな、そろそろ失礼させてもらうぞ」
「そうかい。残念だな、また来ておくれ」
「また遊びにきてね!」
手を振るアリスに軽く会釈し、俺たちは八百屋を後にした。
だが、数歩歩いたところで——。
「……あれ?」
視界がゆらぎ、意識が遠のく。頭がぐらりと揺れ、その場に膝をついた。
「この感覚……まさか……」
「やっと気づいたか。遅いわ、このたわけ」
背後でコロウの声が響く。
「睡眠薬……」
そうだ。あの家族は、俺たちに出されたお茶に薬を——。
「まだわからんのか。この世界のエルフは人間を食う。それがこの世界の常識なんじゃ」
「……あの家族も?」
「わしがおらんかったら、お前さん、今ごろ三枚におろされとったわ」
その言葉に、背筋がぞくりと冷える。
「……じゃあ、誘拐された子どもたちは……もう……」
「とっくに貴族に喰われとるじゃろうな」
淡々と語られる現実が、重く心にのしかかる。
——雪は、無事だろうか。
「……なぁ、あんたもエルフなんだろ? なんで俺みたいな人間を助けてくれる?」
問いかけると、コロウは小さく目を細めた。
「昔の友人のようになってほしくないからだ」
「友人……? 何の話だよ」
「いずれ話すさ。今は——買い物を済ませて、さっさと戻ろう」
買い物を終えた俺たちは、とぼとぼとスモーク山の雪道を登っていた。
——世界を繋ぐ能力?
——人間を食う種族?
冗談じゃない。じゃあ、あの雪や誘拐された子供たちはもう……。
「くそぉぉぉ!」
思わず怒りに任せて、足元の雪を蹴り上げた。
ブォンッ!
雪と一緒に空間が震え、突如として現れたのは——円形の、まるで鏡のような物体だった。
「……なんだ、これ」
唖然とする俺の横で、コロウが眉をひそめる。
「信じられん……本当に世界を繋ぐ力を持つ人間が存在するとは。ティードの言っていた通りじゃな」
「ティード……?」
その名前に、嫌な予感が背を走る。俺はゆっくりとその“円”の中を覗き込んだ。
そこには、雑踏が行き交う東京・渋谷の街並みが映っていた。
人々がスマホを見ながら歩き、タクシーが信号待ちをしている——見慣れた景色。
「……帰れる、のか……?」
信じがたい現象に、息を呑んだ。
「帰っても構わんが、お前さんの言う事件とやらは、何も解決しとらんのではないか?」
コロウの言葉に、心が揺れる。
確かに、ここで帰ってしまえば、すべてが中途半端のままだ。
けど——あの世界で、俺が何をどうすればいいかも、まだ分かっていない。
それに、こっちの世界も気になる。捜査本部はどうなっている?
並行世界を行き来する海賊? 誘拐と人身売買? そんな話をしたところで、釜野たちが信じてくれるはずがない。
それでも俺は、一度東京へ戻ることを選んだ。
「……行くのか?」
「ああ。本当に世話になった。せめて無事を伝えたい。……行方不明届なんて出されても厄介だしな」
コロウはうなずく。「また会おう、探偵よ」
俺は深く息を吸い、目を閉じてゲートをくぐった。
——轟音。風圧。感覚が裏返るような感触。
目を開けると、そこには渋谷のスクランブル交差点が広がっていた。
「……ははっ、本当に、帰れたのかよ……」
俺は捜査本部へと向かった。
警視庁 捜査本部
ドアを開けた瞬間、静寂に包まれた室内で、ただ一人座っていた釜野と目が合った。
「……」
「……」
「おまえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
次の瞬間、釜野は怒鳴り声を上げ、泣きながら俺に抱きついてきた。
「一体どこ行ってたんだよ! 飛鳥さんも、お前の親も、みんな心配してたんだぞ!」
意外だった。そこまで心配されるなんて、思ってもいなかった。
「わ、悪かった……ちょっと、捜査してただけなんだ」
「捜査ァ!? 何の捜査だよ!!」
「な、なぁ……ちょっと変なこと聞いていいか?」
「黙ってろ! まずは手続きだ手続き!」
「……手続き?」
「行方不明届の取消しとか、いろいろあるんだよ。お前、三か月も行方不明だったんだからな!」
「……三か月!?」
耳を疑った。俺の感覚では、せいぜい二日程度のはずだ。
もしかして、世界をまたぐと時間の流れが——。
一週間後、俺は警視庁の取り調べ室にいた。くたびれた刑事と、煙草の匂い。
「……で、あんたはどこに行ってたって?」
「さっきも言ったろ、異世界だよ。海賊が人間を誘拐して、オークションで売ってた。俺はそれを——」
「……またそれか。そんな話、信じろってのが無理だろ」
刑事は溜息をつき、資料をまとめて立ち上がる。
「事件性があるから、まだここに居てもらう。しばらくな」
「……嘘だろ、またここで生活かよ」
「お前が本当のことを喋ったら、帰してやるよ」
ドアを開けた刑事が、思い出したように言った。
「そうだ、お前が配属されてた誘拐事件捜査班な。上の命令で撤廃になったから」
「……は?」
「次からは“零殺人事件”の捜査を手伝ってもらう」
その言葉を最後に、刑事は出て行った。
「……撤廃? なに言ってやがる……」
あれだけの被害を見てきたのに。
あれだけ、痛みと恐怖を目にしてきたのに。
なぜだ。なぜ蓋をする。なぜ見て見ぬふりをする。
「……許せねぇ……」
どうしても納得できなかった。たとえ命令だとしても。
けれど、今は立ち止まっている暇なんてない。
この力を——世界を繋ぐ能力を使いこなせれば、またあの世界に戻れる。
そして、必ず雪を救い出す。あの地獄のような場所から。
取り調べ室での寝泊まり生活が、気づけば二週間に差しかかろうとしていた。
「……もうマジで帰りてぇ……」
机に頬杖をつきながら、ぼやく。
シャワーを浴びて、布団で寝たい。それだけのことが、今は果てしなく遠く感じた。
——ガチャリ。
不意に扉が開き、見覚えのある声が耳を打った。
「おぉ、元気そうね。見舞いのリンゴよ、ほれ」
「所長!?」
現れたのは、俺が所属する飛鳥探偵事務所の所長・中沢飛鳥さんだった。
普段は俺とふたりきりでゆるく事務所を回し、酒を飲んで寝落ちするような生活をしているのに、ひとたび事件となれば豹変する。目の色が変わり、細部まで見逃さずに事実を掘り出す、そんな不思議な女性だ。
飛鳥さんはドアを閉め、俺の向かいの椅子に腰を下ろした。
「で、今度君が配属される事件、聞いた?」
「えぇ、たしか“零殺人事件”でしたっけ。でも俺、まだこの部屋から出られないんですけど」
「ふぅん、いいだろう。私が人肌脱いでやろうじゃないの」
そう言ってスマホを取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。
「……そこをなんとか。……本当? うん、それで頼むよ」
短い通話を終え、にっこり笑って言う。
「よかったな、君はもう自由だ」
「え、まじで? どうやって交渉したんですか」
「ま、私は警視庁の上層部と仲良しでね。いろいろコネを使わせてもらったのだよ、少年」
どや顔で胸を張る飛鳥さん。
「……よくわかりませんけど、わかりました」
零殺人事件捜査班
「おぉ、出られたんだな!」
部屋に入ると、釜野が満面の笑みで声をかけてくる。
「……みたいだな」
俺もようやく、肩の荷が下りた気がした。
「じゃ、私は帰るわ。せいぜい頑張りたまえ、少年」
飛鳥さんは俺の肩を軽く叩くと、くるりと踵を返して去っていった。
「飛鳥さんって綺麗だよな。ああいう大人の女性、いいよなぁ」
「おいおい、それはあの人の普段の生活を見てから言ってほしいね……部屋の半分は酒瓶で埋まってるぞ」
「まぁ、それはそれとして——さて、お前がいない間に捜査が少し進んだ。まずはその説明から入らせてもらう」
釜野は部屋の電気を落とし、他の刑事がプロジェクターを起動させた。画面に、複数の事件現場写真が映し出される。
「被害者は全員、自宅で腹部を矢で射抜かれ、出血多量で死亡している。そして——腹部には、刃物で刻まれた“0”の文字があった」
釜野の声はいつになく沈んでいた。
「俺たちはこれを同一犯による連続殺人と見て捜査を進めているが……この犯人、痕跡を一切残していない。完全なプロだ。正直、お手上げに近い」
静かな緊張が室内を包む。
「そこでだ。お前と、もうひとり。将棋棋士として知られながら、数々の事件で鋭い助言をしてきた男を呼んだ」
「……将棋の棋士?」
「どうも、こんにちは」
扉の向こうから現れたのは、青のスーツに丸眼鏡をかけた長身の男だった。
「名取です。この事件の捜査に、本格的に協力させていただきます。よろしくお願いします」
深々と頭を下げるその姿には、嫌味のない礼儀正しさがあった。
「お前は名取と組んで動いてくれ。よろしくな」
釜野が言うと、名取がこちらに向き直る。
「君が浪野悠くんか。噂は聞いてるよ。武力で犯人をねじ伏せるという、非常に興味深いスタイルだ」
「……そりゃどうも」
「ふふ、これは面白くなりそうだ」
不敵に微笑むその表情は、どこか底知れなさを感じさせた。
(……気持ち悪ぃ奴だな)
とは思ったが、推理力には定評があるらしい。ここは謙虚に、協力を申し出るのが得策だ。
「まぁ、ともかく。一緒に頑張ろうな」
「こちらこそ。よろしく頼むよ」
新たな事件、そして奇妙な相棒。
この“0殺人事件”は、またひとつ別の闇へと続いている気がした。
飛鳥探偵事務所
夜、ようやく事務所に戻ってきた。飛鳥所長の姿はなかったが、念願のシャワーを浴びることができた。久々に浴びる温水の感触が、体の芯にまで染み込んでくる。
(……俺は何をやっているんだ)
浴室の湯気が薄れていくのと同時に、心の中に冷たい自問が残る。
あの異世界で誘拐された子供たちは、今もまだあの場所に囚われたままだ。
なのに俺は、こっちの世界で殺人事件の捜査に関わっている。
(やっぱ、あのとき……帰らない方がよかったんじゃないか)
——ピンポーン。
インターホンの音が、その迷いを打ち消した。
着替えて玄関を開けると、立っていたのはあの男だった。
「やあ、悠君」
「名取さん……?」
「食事を持ってきたんだ。もし良ければ、一緒にどうかな」
「ああ、じゃあ……どうぞ」
名取を汚れたソファに招き入れ、二人で向かい合って座る。
「サンドイッチを作ってきたよ」
名取は弁当箱を開き、綺麗に仕分けられたサンドイッチを二つ差し出した。
レタスとトマト、マヨネーズで和えられた卵。彩りと香りの調和に、思わず食欲をそそられる。
ひと口食べると、想像以上の味が口いっぱいに広がった。野菜嫌いの俺でも、これは美味いと思えた。
「……うまいな」
「気に入ってくれてよかった」
名取は微笑みながら、自分も一つ手に取る。
「名取さんって、将棋の棋士でしたよね?」
「ああ。テレビの将棋番組にも何度か出させてもらってる。……悠君もどうだい? 一局、付き合ってみるとか」
「いやいや、俺将棋なんて全然わからないし。名取さんとやっても、勝てる気がしませんよ」
「それはやってみなきゃわからないよ。人間には誰しも、生まれつき一つは光るものを持っている。探偵かもしれないし、将棋かもしれない。大事なのは、自分が何に向いているかを知ることだ。チャレンジしてみる価値は、きっとある」
「……かもしれないですね」
俺たちは静かに食事を終え、名取は「またね」とだけ言い残して、事務所をあとにした。
21:00 東京郊外・とある民家
名取は夜道を軽自動車で走らせ、郊外の静かな住宅地に車を停めた。
「……ここにしようか」
鼻歌を口ずさみながら、トランクを開ける。
彼が取り出したのは、小型のクロスボウと、銀色に光るポケットナイフだった。
ラップトップを開き、特定のコードを打ち込むと、周囲の街頭監視カメラのフィードが次々と停止する。
手際よくピッキングツールを取り出し、玄関の鍵を音もなく開けた。
「ふーんふんふーん♪」
無邪気な鼻歌と共に、彼は中へと足を踏み入れる。
「だぁれ?」
パジャマ姿の幼い少女が、クマのぬいぐるみを抱えながら廊下に立っていた。
「おじさんはね、君を救いに来たんだよ」
名取はやさしい笑顔を浮かべながら、クロスボウを少女の腹部へと構える。
「——今、“ゼロ”に還してあげるからね」
ヒュッ。
音がしたかと思った次の瞬間、矢が少女の腹部を貫き、身体はそのまま後方へ倒れ込んだ。
「ひよりぃぃぃ!!」
駆けつけた父親が叫び声を上げ、娘の身体を抱きかかえる。名取は躊躇なく、再びクロスボウを構え——発砲。
父親の身体が崩れ落ちた。
悲鳴を聞いて、キッチンから母親が飛び出してくる。
「やめてぇえええ!! 来ないで!!」
包丁を握る手は震えていたが、必死の抵抗だった。
「大丈夫ですからね……みんな、救ってあげます」
名取の目には一片の迷いもない。
彼の言う“救い”は、現実からの解放という意味でしかなかった。
矢が放たれ、母親の叫びが止む。
静寂が訪れた家の中。
名取は倒れた3人の腹部に、丁寧に“0”の文字を刻み込んでいく。
「……よし」
クロスボウとナイフを元のケースにしまい、手袋を外して車へと戻る。
カメラジャックを解除し、証拠の痕跡を一切残さぬまま、名取は夜の闇に消えていった。
早朝 東京郊外・事件現場
警察の規制線の内側では、警官たちが黙々と現場を検証していた。夜が明けきらぬ時間帯、薄明かりの中に浮かぶ民家には、昨夜の惨劇の痕がまだ生々しく残っている。
「……監視カメラの映像はダメだ。バグで犯人の姿が一切映ってない」
現場に到着していた警部・釜野が、手元の端末を見ながら苦い声を漏らす。
「これまでの事件でも、同じようにカメラの異常はあったのか?」
俺は現場の様子を一瞥しながら問い返した。
「いや、あっちはもっと田舎だった。異常どころか、そもそもカメラ自体がろくにない地域だったからな」
釜野が溜息まじりに肩をすくめた。
「なのに、なぜ今回は市街地寄りの民家を選んだ……リスクを冒す理由があるはずだ」
その時——。
「すみません、遅れました!」
息を切らせて駆けてきたのは、スーツ姿の若い女性だった。
「遅いぞ、姫野!」
「す、すみません!」
どこか頼りなさげな彼女は、小柄な体を一生懸命に動かしながら、現場へと歩み寄る。
「彼女は?」
「今日からこの事件の担当に加わった新任刑事、姫野沙耶だ」
釜野が説明する。
「本日付で配属されました、姫野です! 新米ですが、よろしくお願いします!」
緊張した面持ちで、俺に深く頭を下げた。
「悠、お前が面倒見てやれ」
「は?なんで探偵の俺が新人教育なんか……それ、警察の仕事だろ」
「一目見てわかった。お前と姫野は、相性がいい。頼んだぞ」
釜野はそれだけ言うと、さっさと背を向けて立ち去ってしまった。
(……マジかよ)
「はは、行っちゃいましたね」
「……そうだな」
「新人の子かい?」
突然、背後から声がした。
「うわっ!?」
「わっ……!」
俺と姫野が同時に声を上げる。名取が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。
「お前……脅かすなよ、棋士のくせに」
「ところで、監視カメラに異常があったそうだね。これまでの犯行にはなかった展開だ。面白い」
不気味に笑いながら、名取は視線を現場に向けた。
遺体はすでに回収され、鑑識による調査が始まっている。俺たちは捜査本部へと戻ることになった。
捜査本部
「で、どうなんだよ。にやにや棋士さん」
机に腰を下ろしながら、俺は名取に問いかける。
「君は探偵だろう? まずはそちらの推理を聞かせてもらおうじゃないか」
「私も、悠さんの意見が聞きたいです!」
姫野が目を輝かせながら身を乗り出す。
「……犯人はなぜ、わざわざ監視カメラの整備された場所を選んだのか。これは——スリルを求めてるんじゃないか?」
「……スリル、ね」
名取の表情がわずかに動く。
「だって、普通はそんな目立つ場所選ばないだろ? それなのに、わざわざリスクを背負ってまでこの家を選んだ。快楽殺人ってのは、往々にしてそういう刺激を求めるもんだ」
「でも……」
姫野が疑問を挟む。「監視カメラをいじってるんですよね? 本当にスリルが目的なら、そんな細工しないんじゃ……」
言葉に詰まる俺を見て、名取がニヤリと笑った。
「君、転職を考えた方がいいんじゃないか? 推理が少し……稚拙だ」
「はっきり言うな!」
「でも、“スリルを味わいたい”というのは、僕も同意見だよ」
「え、まじ!? 本当に……?」
「……そんなに驚くなよ。傷つくだろ」
「推理とは、犯人の心理にどれだけ深く入り込めるかが勝負だ。自分が犯人だったらどうするか、そう考えることで見えるものがある」
名取は手元の資料を一瞥しながら、淡々と話を続ける。
「たとえば……あの民家は古い木造だった。もし僕が犯人なら、証拠をすべて焼き払ってから立ち去るだろうね。だが、そうしなかった」
「それはつまり、痕跡をあえて残したがってる……」
「あるいは、時間の制約があった。理由は複数考えられるが、犯人はスリルだけではなく、何か“実験的”な意図を持って行動しているようにも思える」
「実験、ね……」
「それともう一つ。犯行に使われた武器はクロスボウ——音もなく、迅速に対象を殺害できる。今どき珍しい凶器だ。警察もすでにそこまでは把握している」
「でも、そこまで裏をかき続けて七件以上も殺害して逃げてる……」
「そう。ここが重要だ」
名取の瞳が細く鋭くなる。「犯人がここまで警察の動きを先読みして動けているということは、内部の情報を握っている可能性がある。つまり——」
「犯人は、警察関係者の中にいる……」
俺の言葉に、名取は静かにうなずいた。
飛鳥探偵事務所
扉を開けると、懐かしい煙草の匂いが鼻先をくすぐった。
窓際のデスクには、ポニーテールの女が脚を組んで座り、煙を燻らせている。
「おー、帰ってきたようだな、少年」
所長・中沢飛鳥は、軽く笑いながら振り向いた。
「ただいま戻りました」
俺はネクタイを緩め、埃の積もったソファに体を沈める。
「捜査の方はどうだ?」
「……正直、膠着状態です。新しい殺人現場が出たってのに、手がかりは皆無で」
「そりゃあ、難儀な話だ」
飛鳥は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。次の瞬間、隣に腰を下ろし、ためらいなく俺の肩にもたれかかる。
「……所長、やめてください。まだ昼間ですよ」
「それに、俺にはもう彼女がいるんで」
「ちぇっ、つれないやつめ」
軽く舌打ちし、飛鳥は立ち上がってキッチンへ向かう。
「コーヒー淹れるけど、飲むか?」
「お願いします」
やがて湯気を立てるマグカップが、俺の前の机にふたつ並ぶ。
その瞬間、ポケットの携帯がけたたましく鳴った。
「名取さん……?」
通話に出ると、低く落ち着いた声が響いた。
『君に見せたいものがある。すぐ終わる。僕の家まで来てくれないか』
「え? いきなり何ですか……まあ、時間はあるんで構いませんけど」
電話を切ると、隣の飛鳥が小さくつぶやいた。
「やめておけ」
「……え?」
「その“名取”ってやつには、深入りしないほうがいい。死にたくないならね」
真剣な声音だった。
「……勘ですか?」
「ただの勘さ。でも、私の勘が外れてばかりだと、信じてくれてるんだろ?」
飛鳥はマグカップを手にし、苦笑いを浮かべながら珈琲をすする。
東京都・品川 名取邸
「……うわ、でか」
和風の外観に石垣。外観だけで一目見て分かる、高級邸宅だった。
「棋士ってそんなに儲かるもんなんですかね……」
インターホンを押すと、重厚な音と共に門が開いた。
「名取さん、来ましたよ」
ゆっくりと開かれた門の先に現れたのは、着物姿の名取だった。
「ようこそ。悠、どうぞ中へ」
「いやこの扉の音……クッパ城以来ですよ、聞いたの」
名取は笑みを浮かべながら、悠然と邸内へ歩いていく。
玄関を抜けると、延々と続きそうな大理石の廊下が広がっていた。
無音の空間が、なぜか耳をざわつかせる。
「なぁ、悠君」
名取がぽつりと話しかけてきた。
「君は、犯人の動機を“スリルを味わいたいから”だと推理していたね?」
「まあ……はい」
名取はふと立ち止まる。そして、ある一室の前で言った。
「君となら、やっていけそうだ」
「……は?」
「さあ、中へ。これから見るものに、きっと驚くだろうね。わくわくするよ」
名取が開けたのは、古い木製の書斎扉だった。
中には、天井まで届きそうな本棚が壁一面に並び、薄暗い照明のもと、重苦しい空気が沈殿していた。
部屋の中央にあった小机の上に、ファイルが一冊置かれていた。名取がそれを手に取り、俺の前に差し出す。
「どうぞ、見てみてくれ」
受け取ったファイルを開くと、俺の脳が一瞬、思考を止めた。
中には、あの事件で殺害された被害者たちと思しき死体の写真——しかも、未公開のアングル、未報道の情報が収められていた。
これは……警察ですら持っていないレベルの情報だ。
沈黙の中、俺は名取をじっと見た。
「……あんたが、やったのか?」
問いかける声は、不思議なほど冷静だった。
「そうだよ。僕が犯人だ」
名取は、微笑んでいた。
日常の会話の延長線で言うように——まるで、それが何の罪でもないかのように。 飛鳥探偵事務所
扉を開けると、懐かしい煙草の匂いが鼻先をくすぐった。
窓際のデスクには、ポニーテールの女が脚を組んで座り、煙を燻らせている。
「おー、帰ってきたようだな、少年」
所長・中沢飛鳥は、軽く笑いながら振り向いた。
「ただいま戻りました」
俺はネクタイを緩め、埃の積もったソファに体を沈める。
「捜査の方はどうだ?」
「……正直、膠着状態です。新しい殺人現場が出たってのに、手がかりは皆無で」
「そりゃあ、難儀な話だ」
飛鳥は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。次の瞬間、隣に腰を下ろし、ためらいなく俺の肩にもたれかかる。
「……所長、やめてください。まだ昼間ですよ」
「それに、俺にはもう彼女がいるんで」
「ちぇっ、つれないやつめ」
軽く舌打ちし、飛鳥は立ち上がってキッチンへ向かう。
「コーヒー淹れるけど、飲むか?」
「お願いします」
やがて湯気を立てるマグカップが、俺の前の机にふたつ並ぶ。
その瞬間、ポケットの携帯がけたたましく鳴った。
「名取さん……?」
通話に出ると、低く落ち着いた声が響いた。
『君に見せたいものがある。すぐ終わる。僕の家まで来てくれないか』
「え? いきなり何ですか……まあ、時間はあるんで構いませんけど」
電話を切ると、隣の飛鳥が小さくつぶやいた。
「やめておけ」
「……え?」
「その“名取”ってやつには、深入りしないほうがいい。死にたくないならね」
真剣な声音だった。
「……勘ですか?」
「ただの勘さ。でも、私の勘が外れてばかりだと、信じてくれてるんだろ?」
飛鳥はマグカップを手にし、苦笑いを浮かべながら珈琲をすする。
東京都・品川 名取邸
「……うわ、でか」
和風の外観に石垣。外観だけで一目見て分かる、高級邸宅だった。
「棋士ってそんなに儲かるもんなんですかね……」
インターホンを押すと、重厚な音と共に門が開いた。
「名取さん、来ましたよ」
ゆっくりと開かれた門の先に現れたのは、着物姿の名取だった。
「ようこそ。悠、どうぞ中へ」
「いやこの扉の音……クッパ城以来ですよ、聞いたの」
名取は笑みを浮かべながら、悠然と邸内へ歩いていく。
玄関を抜けると、延々と続きそうな大理石の廊下が広がっていた。
無音の空間が、なぜか耳をざわつかせる。
「なぁ、悠君」
名取がぽつりと話しかけてきた。
「君は、犯人の動機を“スリルを味わいたいから”だと推理していたね?」
「まあ……はい」
名取はふと立ち止まる。そして、ある一室の前で言った。
「君となら、やっていけそうだ」
「……は?」
「さあ、中へ。これから見るものに、きっと驚くだろうね。わくわくするよ」
名取が開けたのは、古い木製の書斎扉だった。
中には、天井まで届きそうな本棚が壁一面に並び、薄暗い照明のもと、重苦しい空気が沈殿していた。
部屋の中央にあった小机の上に、ファイルが一冊置かれていた。名取がそれを手に取り、俺の前に差し出す。
「どうぞ、見てみてくれ」
受け取ったファイルを開くと、俺の脳が一瞬、思考を止めた。
中には、あの事件で殺害された被害者たちと思しき死体の写真——しかも、未公開のアングル、未報道の情報が収められていた。
これは……警察ですら持っていないレベルの情報だ。
沈黙の中、俺は名取をじっと見た。
「……あんたが、やったのか?」
問いかける声は、不思議なほど冷静だった。
「そうだよ。僕が犯人だ」
名取は、微笑んでいた。
日常の会話の延長線で言うように——まるで、それが何の罪でもないかのように。
俺はポケットに手を差し込み、小型拳銃を引き抜いた。
名取の額に狙いを定める。
「おい、外道。なぜ俺にこんなもんを見せた?」
声が自然と低くなる。怒りよりも、むしろ冷たく、乾いた音だった。
名取は両手を上げて一歩後退した。
「待て待て、殺すのは勘弁してくれよ」
だがその口元は、微かに笑っていた。
「君の経歴、少し調べさせてもらった。驚いたよ……高校時代は喧嘩無敗、街では名の知れた不良だったらしいじゃないか」
「……」
「しかも、君が中学二年生の頃——担任教師を刺殺した。世間では“少年A”として扱われたが、その裏には、雪という女子生徒をセクハラから守ったという話がある。……泣けるよ、本当に。悲しい話だ」
名取は恍惚とした表情で言葉を続ける。
「だが、そういう人間にこそ共感を覚える。君と僕は、根の部分でとても似ている」
「……は?」
「暴力だよ。君は暴力が好きだ。探偵として犯人を追い詰めるたび、法を盾にして、必要以上に殴る。叩き潰す。……楽しいだろ?」
「……」
「僕と一緒に“仕事”をしよう。殺しを。君なら分かるはずだ、この快感が!」
名取の目は異常に光っていた。人の理性などとっくに捨て去った、底知れぬ狂気がそこにあった。
「それだけか? 言いたいことは」
俺は淡々と、無線機に手を伸ばした。
その動きに気づいた名取が、背後に設置してあったクロスボウに手を伸ばす。
「残念だよ。なら、帰すわけにはいかないな」
——バァン!
一瞬の判断で俺は撃った。狙いは外さない。
「ぐぉぉっ!!」
名取の右腕が跳ね、クロスボウは床に転がった。
すぐさま無線を構える。
「至急、至急!こちら飛鳥探偵事務所所属・浪野悠。容疑者・名取が発砲——応援を要請!場所は名取邸!」
直後、屋外からサイレンの轟音が聞こえはじめた。
名取は血まみれの腕を押さえながら、どこか楽しげに笑っている。
「もう来たのか……さすが探偵君、段取りが良い」
そう言うと、名取は懐から銀色の筒を取り出した。
「はぁ……!? おい、それ——」
——バンッ!
スモークグレネードが炸裂。濃密な白煙が視界を奪った。
「ゲホッ、ゲホッ!」
咳き込む俺の横をすり抜けるように、名取の足音が廊下へ響き、やがて階段を駆け上がる音へと変わっていった。
「待てこらぁ!」
銃を手に立ち上がろうとするが、さっきの一瞬の混乱でバランスを失い、意識がふらつく。
「ちっ……頭が……」
その時、扉が破られ、数人の武装警官が突入してきた。
「悠!! 無事か!」
釜野刑事の声が聞こえる。
「問題ない……それより、名取が屋上に……!」
言い終える前に、目の前が暗転した。
屋上
釜野たち警官隊が階段を駆け上がった時には、すでに遅かった。
屋上に姿を現したのは、ヘリのハッチに乗り込む名取だった。
「またな、探偵君」
名取は余裕の笑みを浮かべ、離陸するヘリの中で手を振る。
「くそっ、逃がすな!! ヘリを出せ、すぐに追え!」
釜野の怒号が、空に吸い込まれていく。