就任
「ゼフォル!あなたを将軍に任命するわ!」
「いきなり何を言い出すのですかお嬢様」
一人の少女が声を荒げてゼフォルに言った。
ゼフォルはただのメイドである。没落騎士爵の一人娘ながら帝国でも有数の大貴族であるウィルベール公爵家のメイドに上手いこと就職し、目の前にいる銀髪紫眼の美しいお嬢様、エスメル・ウィルべートの専属メイドにまでなった。
もちろんこれには裏があった。本来没落騎士爵の娘風情が大貴族である公爵様の血族の専属メイドになれるはずがない、エスメルは公爵家の血こそ確かに継いでいるがいわゆる不義の子で追い出されるなり隠されたのか母親すら定かではない、公爵家の腫物扱いで、厄介払いといわんばかりに身分の低いゼフォルがあてがわれたのだ。
「あなたは何故馬車を修理しているの?準備なさいと私は言ったのだけど」
ゼフォルは釘を口にくわえながらメイド服には到底似合わない金槌を振るってトンカントンカンと作業をしていた。
「車輪を鉄輪で補強しているんですよ。お嬢様こそ支度をしてくださいといったのですが、何ですかその恰好は」
現在このウィルベート公爵領は危機に陥っていた。理由は単純、外敵の侵略である。
ウィルベール公爵家が仕えるイスペリア帝国が東の隣国、ロッソ王国に侵攻し大敗したのである。特に領土を接する大貴族としてこの戦争に当主をはじめとして多くの兵士を費やしたウィルベート公爵家の損害はひどく、すでにエスメルの父親である当主は討ち死にし、ほとんどの将軍も討ち死にしていた、そして勝ちに勢いを得たロッソ王国はそのまま10万ともいわれる大軍で逆侵攻を開始しており間もなく領内に流れ込んでくるだろう、この敗北には帝国中がてんやわんやで、中央も今回の派兵でかなりの損害を被っており、東部に援軍を送る余裕もなく、最前線になる。東の大貴族であるウィルベート公爵領はもはや風前の灯だった。
そのためゼフォルはこうして馬車を補強して逃げ出す準備をしており、主君であるエスメルにも準備をするようにと言っておいた。
しかし現れたのは15の可憐な容貌に似合わぬ黒染めの鎧を着た主人、エスメルの姿だった。
「決まっているじゃないの、戦うのよ」
「本気ですか?」
急にとんでもないことを言いだす主人の姿にゼフォルはその鉄面皮の下で驚愕した。
「お嬢様……気持ちはわかりますが現実を見てください、継承権が無いに等しいお嬢様に何ができるというのですか、長男様、次男様は討ち死に、そして領に残っていた三男ドロア様はどうしました?」
「ドロアお兄様は一昨日逃げたわね」
「でしょう?じゃあ公爵様の弟のサイマン様は?」
「五日前に逃げたわ」
「四男のフィン様」
「昨日ね」
「良く物事を見ておいでですと普段なら褒めたいところですが、まともな男子は皆逃げてしまいました。ここで頑張っても無意味なのですよ」
すらすらと逃げ出した親族を述べるエスメルに感心しつつもゼフォルはお手上げだと言わんばかりに手を挙げた。
ゼフォルの見立てではまだ公爵家の誰かが抵抗するため兵をまとめれば地の利や鉄壁の公都ヴァン・ウィルベートにこもって戦えばある程度戦えるかもしれないが、それをできそうな継承権上位の人物はみな逃げ出していた。
「いいえまだよ、お兄様がたは金銀財宝を持って逃げたけど武器兵糧、兵士は連れずに側近だけで逃げ出したわ、戦争に必要なものは残っているわ」
「いまだ戦う力は残っている。と言いたいのですね、お嬢様は勇ましい限りですけど、相変わらずご兄弟はとんでもないですね……」
一メイドであるゼフォルから見てもウィルベート家主要な人物に大物といえる人間はほとんどいなく、まだまともそうだと思った人物はみんな戦場で冥府にいって帰って来なかった。残った連中もろくでもなかったがまさか公爵家本拠地である公都ヴァン・ウィルベートを捨てて全員逃げるのは予想外だった。当主の死に仇討ちどころかしっぽ巻いて逃げる小人しかいなかったのである。この帝国の未曽有の危機に大貴族であるウィルベート家もこんなものかと落胆しつつ、目の前の継承権が無いに等しいのに抗わんとするエスメルを立派だと思いつつ、だからこそ死なせたくはないので何とかしなければならなかった。
「だからこそです、本来戦うべき成人した男子のご親族らが逃げ出したのに、まともに継承権のない女子のお嬢様が逃げ出すのをだれが咎めましょう?」
「いいえ!ここで逃げだせば一族連座に決まっているわ!貴女ならよくわかるでしょう⁉このヴァン・ウィルベートの武器兵糧そのままそっくり王国に渡してみなさい!必ず奴らはその勢いで帝国中央まで攻めこむわ!そうなったら私の首どころじゃない!」
「それは……」
怒気を纏いつつも理論的なエスメルの意見にゼフォルは反論できなかった。
エスメルの言うことは正しい。帝国は今回敗れたりといえど大きな国だ。一度の敗戦で滅んだりしないが、流石に帝国有数の貴族であるウィルベート家がこのまま何も抵抗せずに城砦と物資を明け渡し、無抵抗で王国軍が進軍できれば流石に勝負はわからなくなる。そんなことをすればいくら公爵家といえど責任は免れないだろう。
もちろんこのくだらない連座にエスメルを巻き込むつもりなど毛頭なかった。まともに抵抗せず逃げ出したウィルベートの一族は無事に済まないだろうが、王国の侵略に混乱するであろう帝国にほとんど公の場に出たことのないエスメルを探し出す余裕もないだろうとゼフォルは踏んでいた。
「けれどもです、失礼ながらお嬢様はまともに家系図にすら数えられぬお方、どこかにひっそり身をひそめればしつこく追いかけられることもありません、これまでの御恩で私がかくまいましょう」
エスメルはただの世間知らずのお嬢様ではない、他の兄妹たちがやれ社交マナーだの帝王学だのを学んでいるのに対し離宮に幽閉同然で誰にも相手にされていなかった。
そのため専属であるゼフォルも正直暇でしょうがなく、たびたび実家がちゃんと騎士爵だった時代に読んだ軍略や武器の振り方などをひそかに教え込んだ、驚くことにエスメルは才能があったのか真綿が水を吸うように吸収し、これにはゼフォルも一目置いた。らしくもないと思いつつ、公爵家の人間としてはほぼ価値のない彼女に入れ込んでしまい、一緒に変装して町に繰り出したこともあった。そのため一市民に戻ってゼフォルの下で暮らしても文句は言わないだろう。
しかしその説得もほかならぬお嬢様の論争で封殺されそうだった、エスメルの論にはゼフォルも納得できるだけの理がある。このままほぼ無傷でウィルベート公爵家領を明け渡すのは公爵家どころか帝国の興亡そのものに関わる可能性もあるし、一帝国人としてみるならこのヴァン・ウィルベートで抵抗するのは正しい。才能があるからと軽々しく軍略を教え込んだのは間違いだったかもしれない……ゼフォルは過去の自分を呪った。
「……その申し出はありがたいわ、あなたのことだから戯言ではなく私を匿う当てもあるのでしょう、これを使ってね!」
そう言うとエスメルは用意された馬車の荷台の幕を剣で切り裂いた、幽閉されているご令嬢とは思えぬ腰の入った見事な一撃だった。自分が教え込んだだけあると感心しつつもどう誤魔化そうかとゼフォルは考えた。
馬車の中には公爵家秘蔵の宝剣や魔法の武具、それに公爵領の地図や人口などが描かれた機密文章等が所せましと詰められていた。本来ならば厳重に保管されているはずの品々である。
「で?ゼフォル、ただのメイドのあなたがこんなものどうするつもり?」
「王国に渡れば帝国は不利になります。それにこれがあればお嬢様の助命の材料になります」
「嘘は言ってないけど本当のことも言ってないでしょう?これを手土産に良い待遇で帝国軍にでも入るつもりだったのでしょう?」
「よく人を見ておられますね……」
「当然よ、あなたは唯一の私の味方だもの。メイドとして働くあなたはいつもどこか楽しくなさそうだったわ、けど私に軍略と剣を教えるとき、そして戦争が始まった時は本当にうれしそうだったわ」
あまりの観察眼に、本当に幽閉された15歳のご令嬢なのかとゼフォルは思った。同時にバレバレだった自分の態度を恥じた。
エスメルの指摘は全てが当たっている。没落したとはいえゼフォルの実家は戦場で功をたてた騎士爵である。当然彼女にもその武功を挙げた血が流れておりこのままメイドとして主人の後ろをついて回って給金を得るだけの職などまっぴらごめんだった。最前線で、鉄と血によって成り上がりたい野望が心のどこかにあり続けて生きてきた。ウィルベート公爵家に仕えたのも給金が良いのもあるがどうせなら敵対国家であるロッソ王国と国境を接するウィルベート公爵家なら何かが起こるかもしれないと考えていたからであった
そしてようやく起こった大戦と帝国軍の敗北はまさにゼフォルにとって天啓であった。ただの小競り合いではなく帝国が敗北して大きく地図の色が変わる予感にさらに喜んだ。帝国軍とて馬鹿ではない、敗北してなお血筋や賄賂による登用を続ければ国が亡ぶ、この瀬戸際でこそ自身の出世のチャンスでありここで頭角を現せば騎士爵どころかさらに上を目指すこともできるだろう。その為の退職金代わりだと、ゼフォルは公爵家の武器や地図などをかっぱらっていく気だったのだ。
「……必ず、必ず私は名を上げます、その時はお嬢様をウィルベール公爵当主につけるお手伝いを」
だからこそ目の前の公爵家の血を引くエスメルを説得しなければならなかった。
ただの一メイドが恐れ多くも公爵家の機密に家宝を盗もうとしている現行犯である。この場で切り捨てられても文句は言えなかった。
追及を切り抜けるのはたやすいことであった、いくら武装をしようとエスメルの剣の師は自分なのだ、癖も何もかも知り尽くしているためここで切ってしまえば足もつかないし、そのまま攻め込んだロッソ王国の仕業として処理されるだろう。そもそも継承権が無いに等しいエスメルの生死を気にする人間はいない。
しかしその選択をゼフォルは絶対にとることができなかった。
エスメルのことが気に入っていたからである。ロッソ王国との戦争で帝国軍が敗北し、多くの帝国人が死んだときも出世のチャンスとしか思わなかったゼフォルであるが退屈な公爵家のメイド仕事の傍ら、剣や軍略を教え込み、一緒に街に抜け出して遊んだエスメルは別であった。主に対して失礼かもしれないが妹のようにも思っていた。
「それよ。いくらあなたでも中央に行って名を上げるのは時間がかかるわ、だからこの場で公爵家の将軍として任命する。あなたはメイドから将軍に一気に出世して万歳、私は領土を守り切れて万々歳、それでどうかしら?」
「お嬢様に任命権がおありで?」
「あるわよ」
少し試すようなゼフォルにエスメルは金色に光る印と宝剣を取り出した。
「公爵家の印綬に宝剣!まさかお嬢様がお持ちとは…」
もしかしたらと思ってゼフォルも機密文書とともに探していた公爵家の身分を証明する品々だった。流石に兄弟の誰かが持っていたと思っていたがまさか己の主人が持っているとはゼフォルも思わなかった。
「ドロアお兄様が必死に探していたから先回りしてやったのよ、この非常時なら私でも次期当主くらいにはなれるわ」
少し誇らしげなエスメルを前にゼフォルも考えを改めていた、もし本気で、無策でゼフォルを信頼しきって付け焼刃の知識でエスメルが王国に挑むつもりならどうにか説得するか、最終的には無礼を承知で気絶させて逃がそうかと考えていた。だがどうやら生兵法で戦うつもりではなくきちんと実を示してきた。
これならば行けるかもしれない。
「フフフ……お嬢様がここまでやり手とはこのゼフォル、見誤っておりました。謝罪させていただきます」
「謝罪を受けとるわ。それで将軍の座を引き受けてくれるということでいいのね」
「えぇもちろんです。ですがこの一介のメイド風情で宜しいので?任命権をお持ちなら他の者もいるのでは?」
「何人か武官は残ってはいるわ。けどあなたほどの軍才があるものなんていやしない、それにね、私が信頼できる人間なんてあなたしかいないのよ。他の人間に頼んだらいつ寝首をかかれるかわからないわ」
「そこまで信頼していただけるというのならこのゼフォル、任を果たして見せましょう」
「ありがと。じゃあここで任命式をやるわよ」
そう言ってエスメルは宝剣を抜いた。
「もっと正式な場でやるべきでは?」
「それもちゃんとやるわ。けど今はあなたと私だけ、良い?ゼフォル、あなたにこの城も兵士も兵糧も武器もすべて預けるわ、それを使ってせいぜい成り上りなさい、その代わりに私を裏切ることは絶対に許さない」
「えぇこのゼフォル父母に誓いましょう」
そう言ってゼフォルはエスメルの前に跪いた。
自身が将軍になるときはもっと壮大な場で多くの人々に羨望と嫉妬を浴びながら盛大になるものだと昔から考えていたが、実際は脱出用馬車の傍らで授与者と二人きりの状況であった、予定と大いに違うが、目の前にエスメルがいるならそれもよいかとゼフォルは思った。
「ウィルベール家臨時当主であるエスメル・ウィルベールが我が従者ゼフォルを将軍に任命する」
「謹んでお受けいたします」
そういうと宝剣の腹がゼフォルの肩を叩いた。
ここにそこそこ長いイスペリア帝国史上初であろうメイド上がりの将軍が誕生した。