ロッソ王国軍を撃退したヴァン・ウィルベートは大いに賑わっていた。民らはお祭り騒ぎをおこし、兵士たちや武官らは素直に無事に生き延びたことと、勝利を喜び。あれだけゼフォルやエスメルにしかたなく従っていますという態度を隠さなかった家臣らもこの時ばかりは心の底から喜んだ。
ゼフォルもさすがにこのムードに水を差す真似はせず、籠城のために節制していた倉庫の備蓄を使って盛大に祝うことを認めさせた。
正直言えばゼフォルも今日くらいは羽目を外して贅沢をしたかった。ゼフォルにとってこういった祝事ではメイドとして給仕をする。むしろ繁忙期なのだが、今の身分は将軍様である。さらに今回の勝利の主役でもあり、いくらでも贅沢ができる。むしろ奉仕される側であった。
だがゼフォル自身は素直に贅沢する気にもなれなかった。城内の兵士らの気持ちはわからなくもない、この数か月ヴァン・ウィルベートはまさに危機の連続であった。帝国の敗戦、当主の死亡、10万のロッソ王国軍相手に籠城戦と本当に激動の日々にさらされていたのだ。
その危機を救ったのは誇りすらあるが、どうもここまで盛り上がられるとエスメルの警告をゼフォルは思い出した。
そのため兵士たちにはあくまで交代で祝うように厳命し、ゼフォル自身もほどほどに顔を出した後は規範として軍務に戻ろうとしていた。
「というわけでメイド長、注いでください」
「な、なにがというわけなのですか」
というわけで祝勝会と化したヴァン・ウィルベートの場内で給仕を取り仕切っていたエルシアの暇そうな瞬間を捕まえて近場の休憩室に引っ張り込んだ。突然のことに困惑するエルシアに構わずゼフォルは酌を要求すると持ったグラスに完璧な所作で酒が注がれた。
赤く染まったグラスを思わずうっとりと見つめる。注いで回ったことなら何度でもあるし、何なら隠れて飲んでいたことも一回や二回ではない。しかしゼフォルはこの一杯が極上のものに思えた。作法や味わいかたもよく知らないがたっぷりとグラスを回し、下から横から見まわし、香りを楽しんでからようやくグイっと飲み干した。
「ふふふふ……戦争で勝った後にかつての上司に注がせた一杯、最高ですね」
「あなたはまた……そのために私を呼んだのですか?」
「いやーそれがですね」
そう言ってゼフォルは口ごもる、少し、いやかなり恥ずかしいがどうしても言いたかった。あまり見ないゼフォルの態度に不思議そうにエルシアが口を開こうとするが先に答えた。
「メイド長私すごい頑張りましたよ」
「それは……そうですね。あなたの功績は明らかです」
「自慢していいですか?」
「私はそこまで戦争のことは……」
「だからこそなんですよ、お嬢様には油断しないって言った手前みっともない真似できませんし、部下たちに自慢したら嫌な上司ですし、他の家臣は論外ですし……メイド長しかいないんですよ」
そういうとエルシアはごく稀に素直にゼフォルが仕事を完璧にこなした時、褒める時のように言った。
「そうですね……あなたはよく頑張りました」
「でしょう?最初は将軍なんて快諾しましたけど大変だったんですよ、私以外頼れるのがお嬢様だけってどういうことですか?なんで他の連中らは逃げてるんですか?」
そうこれまでの不満を口にすると止まらなかった、最初は将軍になれたことは喜ばしかったはずだったが、その重責は流石にゼフォルも心に来た。
最初の襲撃と10万大軍に包囲されたときは成り立ての全能感に酔っていたのだろう。その後の期間はかなり緊張しきっていた。最初はいざというときはエスメルと逃げればよいと思っていたが、いけ好かない家臣らはともかく期待してきてくれている兵士たちには愛着がわいてたし、城中の人間の運命が己の采配にかかっていると意識してからは緊張で眠れないときもしばしばあった。もちろんそれを表に出すことはなかったが。
もしも作戦通り10万の大軍が迂回せず、そのまま包囲を続けていたらヴァン・ウィルベートの城壁より先にゼフォルの精神が持たなかったかもしれなかった。
「それでですね、援軍なしで籠城戦に勝利する。これは大変すごいことでですね……」
「ふふふ……そうですねゼフォルはすごいですよ」
もともと一杯でやめるはずであったがかいがいしく酌をするエルシアを前に今日くらいはいいだろうと飲み続け、気が付けば瓶は空になってた。
「あぁ~いつもならお嬢様に言いふらして褒めてもらうのに~かわいいんですよお嬢様は?私のやることなすことにたくさん目を輝かせてくれてですね~!」
完全に出来上がったゼフォルはもうすでに自分が何を言っているかもおぼつかなかった。
将軍になっていいことはたくさんあった。しかし主君であるエスメルの前ではしっかりしなけれならない。昔から主従を超えて姉のように振る舞っていたのだ。だが目の前のいまや同僚といえるエルシアならば多少はいいだろう、かつてはコキ使われていたのだから。
「流石のあなたでもここまで弱るのですね……今日はもうゆっくり休みなさい」
エルシアが何かを言うがもはやゼフォルは何を言ってるかもよくわからなかった。しかしいつも厳しかったメイド長らしくなく優しげなのが安心感があった。それから少しするとゼフォルは心地よい酔いの中、睡魔に体をゆだねた。
ゼフォルは気が付くと部屋にいた。
寝起きだが、身体の調子は最高だ。将軍になってからと言うものの安眠したことはなかった。休んでいても頭の片隅で何かしらは考えていたからである、しかし今日はどうだ、場所は専用の高級将校用のベッドルームだ。最初はここで寝られるとはしゃいだが結局忙しくて使用したことはない。
そして服装も変わっている。着心地は悪くないが決してリラックスできるものではない軍服から少し触っただけで、質の良い寝間着に着替えているのが分かる。
窓を見ればとても快晴で鳥も鳴いている心地の良い朝だったが、起きた時からどこかひしひしと感じる嫌な予感をゼフォルはすぐに理解した。
「は、はは……寝坊ですねこれは……」
急いで寝心地の良いベットから飛び起き、着替える。幸い直ぐわかる場所に軍服が置いてあったので即座に着替える、しっかりと洗ってあるのか良いにおいがした。
うれしいことだがこれはまずい、ゼフォルだって服や身だしなみは清潔にはしているがここまで品の良い香水はつけていない、着替えてる最中に昨晩のことも思い出し始めた、メイド長にまで迷惑をかけていると。
「まずいなんてもんじゃないですよ。これどうするのですか」
誰もいないのでただの独り言だ、いう必要などこれっぽちもないが言わずにはいられなかった。急いで着替え終わり鏡で軽く確認をする、こういう時化粧もいらないくらい整ってる顔に感謝した。
急いで部屋を出ると早速今会いたく人間にゼフォルはあってしまった。
「ゼフォル、起きましたか」
「ーッツ⁉︎」
出てすぐにカッチリと完璧にメイド服を着込んだエルシアがいた手には美味しそうな朝食がある、昨日は酒ばかり飲んで固形物はあまり食べなかったため正直腹が空いているし、エルシアが自分を気遣っているのはわかっているが、急がなければならなかった。
「すみません失礼します!」
素早くエルシアの横を抜けようとする、体力は全快しており全力で駆け抜けた。
「待ちなさい」
「⁉」
しかし次の瞬間無理やり止められた。そんなはずないと思いつつも原因は一つしかない。振り返るとエルシアがゼフォルの首根っこをつかみ物理的に止めていた。ゼフォルは戦場でも通用する身体能力を持っていたが、昔からエルシアにはなぜか捕まってばかりだった。さぼったり教育から逃げようとしても逃げきったことは一度もない相変わらず何者なんだ。
「め、メイド長殿⁉私は将軍ですよ⁉何をなさる⁉」
半ば観念して冗談めいた言い方で抗議の声をあげる。こうなっては逃げきったためしもないからだ。
「はぁ……あなたはいつも……いくら急いでもエスメル閣下には報告しましたよ」
「はぁ⁉ちょちょちょっと待ってくださいよ!よくある戦功あげすぎたのを妬んで讒言するやつですか⁉見そこないましたよ!」
「讒言ではなくて酔いつぶれて寝てたのは事実でしょう!これからエスメル様の言伝を伝えます!」
そう言われてようやくゼフォルも頭が冷えた、ここでメイド長とふざけているわけにはいかない、この戦争の第一功労者は自分でエスメルはずっと面倒を見てきたかわいい主だとしても今はれっきとした主君だ。罪を犯したならばしっかりと償わなければならなかった。
「承ります……」
「ゼフォル将軍は戦いの心労でひどく疲れているようなので、よく休むように、です」
「へ?」
ポカンと阿呆のようにゼフォルが口を開けた、飲みすぎで寝坊したはずだった。
「言っておきますが私が誤魔化したわけではありませんよ、しっかりとエスメル様に酔いつぶれて寝たと報告しました」
「んな殺生な……」
「あなたも自分が仕事を外れるのは気にしていたでしょう、エスメル様は将軍はずっと仕事しっぱなしだから私が交代するわと」
そう言われてゼフォルは再び背を向けた。さすがに主人に交代してもらって休むほどゼフォルは図太くない、それもエスメル相手なら尚更である。エスメルの前ではかっこよくありたいのだ。
しかし無情にもエルシアの手にとらえられた。
「離してください!お嬢様に顔向けできません!」
「閣下の要望なのだから今日は休みなさい!休まないからあんなことになったのでしょう!」
「でも……」
「閣下は怒っていません、むしろあなたの体を心配していましたよ」
「むぅ……本当ですか?」
ようやくゼフォルは落ち着いた。失態ではあるが、エスメルが許すというならおとなしく今日は休もうかと思った。
「じゃあそれ食べます」
そう言ってさきほどから結構騒いでいたのにエルシアが片手でもってピクリとも揺らさなかった盆の上の朝食に手を伸ばした。
「部屋で食べなさい」
「はい」
しかし食べれなかった。
ゼフォルは部屋でこれまでの人生で一番贅沢な朝食をとっていた。なにするにしても傍らで立っているエルシアがなんでも用意してくれるからである。最初は少し優越感に浸っていたがじきに下手なマナーで怒られないか少しひやひやしていた。それはともかく朝食はとてもおいしかった、ふんわりと柔らかい白パンにたっぷりと塗られたバターとジャムに、詳しくはないが高い茶葉をつかっているだろう紅茶には砂糖をたっぷり入れた、副菜に新鮮なサラダにハムまでついていた。
もともとメイドだったので既視感があった、これは公爵一家用の朝食だ、ゼフォルも運んだことと野菜を切るくらいはしたので覚えていた。
「メイド長これ当主様の朝ごはんですよね?」
「今のヴァン・ウィルベートで食べれる地位にあるのはお嬢様とあなたくらいですよ、エスメル様も同じものを食べています。それに将軍にもふるまってほしいと」
公爵一家向けの極上の料理をエルシアという一流のメイドにして料理人にふるまってもらいエルシアの計らいに歓喜し、同時にこんな最高の食べるタイミングがあったのならメイド時代につまみ食いしなければよかったなと頭の片隅にあった過去の記憶を消した。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
エルシアが隣で立っているせいで少し心が休まらなかったがとにかくおいしかった、特にここ最近は干し肉などの軍用の携帯食料ばかり食べていたからなおさらだ。横ではエルシアが食器を片付け、「失礼します」といって出て行った、相変わらずの手際だ。
一人になった部屋でゼフォルは余韻に浸っていた、そしてふとエスメルも同じものを食べたという話を思い出した。
とても感慨深いことだった、最初ゼフォルが専属メイドとして配属されたとき、エスメルはまともなものを食べていなかった。メイドの自身よりも質素なものを食べさせられていた。そのため意気投合した後は食糧事情も改善させ、お忍びで城下町で買い食いしたり狩った獣を焼いて食べたりもしたが、あれだけ上等なものはゼフォルがたまにくすねた時くらいしか食べたことがなかった。そんな食事をエスメルとゼフォルは大ぴらに立派な執務室でメイド長を侍らせて食べられるほど出世したのだ。まぁゼフォルは成り上がる気満々だったが、エスメルはあの幽閉同然の扱いだった不義の子がこの短期間でここまで来たのである。
元々戦争が始まっても、エスメルの親兄弟が死んでも出世のチャンスとしか思わないくらい己を薄情だと思っていたが、エスメルの出世は自分のことかそれ以上にうれしかった。
ふと窓からエスメルが現在働いてるであろうヴァン・ウィルベートの本城を見ながらゼフォルはつぶやいた。
「今度は一緒に食べたいですね」
そう喜びをかみしめながら同時にこれで今日寝坊してなければなぁとゼフォルは思った。