集結
ついに帝国軍は大きく動きだしていた。
帝国軍の中でも、王国に対する最前線を務める東部方面軍、その司令部でもあるヴァン・ウィルベートは多くの兵士に将校、普段机の上で踏ん反りかえっている者が多い参謀たちも物資を纏めるために参謀たちも慌ただしく行き来している。
そんな慌ただしいヴァン・ウィルベートをゼフォルは総司令官であるエスメルの側で眺め、指示を出していた。
「エスメル閣下、既にクレッチマー将軍はハルードに到着したそうです」
「これで一安心ね。ベルズーフ元帥は?」
「元帥らの本隊も一週間後にはこのヴァン・ウィルベートに集結するでしょう」
「相変わらず早いわね。参謀長、出迎えの準備を抜からないように。空前の大軍がこのヴァン・ウィルベートに駐屯するわよ」
「御意」
ヴァン・ウィルベートの城壁の上で、エスメルとゼフォルは慌ただしい兵士や部下達の指揮を執っていた。
この帝国の大動員はすでに皇帝バルグリフの勅命となって帝国中に知れ渡っている。王国だって帝国の動きを把握しているはずだ。
そのため、念を入れて最前線のハルード要塞にクレッチマー率いる4万の増援を派遣済みだ。
これでハルード要塞の守将であるアルセリアの3万を合わせて7万の大軍が守りを務めることになった。
劣勢下にある王国が攻め込んでくる可能性は限りなく低いが0ではない。何せ敵の集結前に集結地点を攻撃する手法はゼフォルが一度やった手でもあるのだ。
だがクレッチマーとアルセリアが7万の軍勢で難攻不落のハルード要塞を固めれば、王国が全力を出して攻め込んでも早々に陥落させることはできなくなるだろう。二人の実力なら間違いなく帝国の援軍が間に合う。そうなれば流れは帝国の物だ。
一方でゼフォルはエスメルと共に、残った3万の兵でいまだヴァン・ウィルベートにあった。目的は東部方面軍総司令官として対王国の戦況を、一歩引いたところで見守ることと、この後合流するであろうベルズーフの本隊と合流するためである。
エスメルは帝国軍東部方面軍の総司令官だ。この帝国建国以来最大といっていい軍事行動に元帥と連携をしないわけにはいかない。だからこうしてヴァン・ウィルベートに残っていた。
一方ゼフォルはいてもいなくてもいい。東部方面軍参謀長にして帝国軍大佐と立派な肩書を持ってはいるが、ベルズーフだのベラムトだのが集まってしまえばその他大勢程度に過ぎない。そしてエスメルも二年前ならともかく今では立派な帝国軍大将だ。別にゼフォルが補佐にいなくても立派に務めを果たすことができるだろう。
だからこそゼフォルは当初クレッチマーに代わってハルード要塞の援軍に向かおうと思っていた。
ベルズーフ達の相手などほかに押し付けて自分は最前線でアルセリアと共に、盛大に開戦の狼煙を上げて、後から来るであろうエスメルをエスコートしようと色々練っていた。しかしそのすべての思索は当の本人によって無駄になっていた。
『参謀長を前線に送ってどうするのよ』
意気揚々とアルセリアの援軍に立候補したゼフォルだがエスメルのそんな鶴の一言で粉砕された。結局ゼフォルはクレッチマーに策を授けて送り出すことしかできなかったのである。
不満がなかったといえば噓になる。ゼフォルは確かに戦術に博識でそれを裏付けする明晰な頭脳を持っている。参謀として側に置くのは間違っていない。だがそれ以上に優秀な野戦指揮官としての能力と他の追随を許さない一騎当千の武勇を持っているのだ。
結局ゼフォルは最前線で暴れさせた方が最も真価を発揮する自負があった。それなのに安全なヴァン・ウィルベートで作戦を練るだけなど少々つまらない。
そう考えて元凶である隣の少女にチラリと視線を向けた。
厳つい黒い鎧はあのヴァン・ウィルベートの時の頃と変わらない。しかしその上からまとうマントや、装飾品の一つ一つは上がっていった階級章に相応しい繊細なものだった。そしてそれに合わせるようにその美貌も一段と輝きを増していた。
二年の年月で、あの儚げで幼い少女の美貌は鳴りを潜め、どこか怜悧な色香が漂い始めていた彼女だが、その雰囲気はさらなる進化を果たしていた。
まとう覇気はもはや女人とは思えない、重厚さを感じるそれはまさに英雄そのものだ。宝石のように輝いていた紫眼は、大海のごとき深みと理性を体現している。ゼフォルの前でころころと喜怒哀楽を浮かべていた容貌は不動の落ち着きを持っており、名工の造った人形のような、いやまるで神殿に鎮座する女神像のような存在感を持っていた。
確かに二年の歳月はエスメルを大人に近づけた。しかしそれ以上に、南部小国家群、北方蛮族、そして王国との激戦が彼女をさらに一段上の存在へと押し上げていた。
「?何かしら?」
「いえ、なにも」
しばしエスメルを凝視していると、彼女に気が付かれる。どうやら見すぎてしまったらしい。ゼフォルが見惚れるほどに成長したからこそ、今回安心してハルード要塞に行こうとした。
かつてゴルガマスとの戦いの傷で彼女のもとに離れたときはあんなに取り乱したのにである。それだけ今のエスメルは頼もしかったのだ。
しかし今、彼女の側にいて良かったとも思ってしまった。クレッチマーが出発してから東部方面軍の最高幹部はゼフォルくらいしかいない。そのためエスメルは四六時中側において重用してくれていた。やはり自分こそがエスメルの配下で一番の臣下なのだ。
前線に出られなかったのは少し残念だが、ゼフォルは戦場の憧れよりエスメルに必要とされていることが嬉しかった。
一週間後、ベルズーフ元帥率いる帝国軍主力部隊がヴァン・ウィルベートに姿を現した。ベラムト大将もいるその軍勢は既に20万の兵力を超えていた。さらに続々と援軍が来る予定だというからイスペリア帝国がこの作戦にどれだけの力を入れているかよくわかる。両軍合わせて20万の大軍とという数はこの大陸の歴史上でしばしば起こったことがあるが、片方の軍で20万を超えるなど聞いたことがない。
その大軍を見下ろしながらゼフォルはつくづく歴史の転換点に自分は立ち会っていると実感していた。
エスメルの帝国東部各地に分散した軍も合わせればすでにこの東部全線に集結した帝国軍の数は30万に達する。それもただの烏合ではなくベルズーフ元帥にエスメル、ベラムトの両大将が率いる一定以上の練度を持った正規軍たちだ。
かつてゼフォルは王国を落とすのに9万動員したが、その三倍、さらに練度も指揮官の質も大きく上回っていると来た。ここまで来るとかつての自分がどれだけ愚かだったのかと笑ってしまいそうになる。
この空前絶後の大軍はこの巨大なヴァン・ウィルベートにも収容しきれず、城外にあふれかえっている。だがそこに混乱などは見受けられない、城外であっても彼らは慣れた手つきで天幕を張って駐屯し、炊事は城内の設備を使っている。一般兵であっても交代で城内の壁も天井もある駐屯所で休憩するなど効率よくこの地に駐屯していた。
「さ、参謀長!そろそろお時間です!」
そうふけっていると参謀にして部下であるショクバ少佐がゼフォルに報告していた。かれは成績優秀者で事務作業もそつなくこなす。しかし実戦経験は少ないのでゼフォルは手もとにおいていたのだ。報告が来たということはそろそろこの大軍の運用についての会議が始まるということだ。
「きっかり五分前、流石ですね」
「こ、光栄です!」
「では、向かいましょうか……それはそうとショクバ少佐、この大軍、どう思いますか?」
「こ、この大軍がですか?そ、そうですねぇ、流石我らが帝国だと思いますが……」
「そうですか」
この空前の大軍に対してショクバに感想を求めるが、ありきたりな回答しか返ってこなかった。ゼフォルとショクバに温度差ができるのはしょうがないだろう。
彼は少し前まで前線に出ず、士官学校で勉強し、ようやく最前線に出てきたのだ。これから彼の常識は作られていくのだ。
それにたいしてゼフォルは、かつてヴァン・ウィルベートを寡兵で守り、帝国の瀬戸際であるヴァンダル高原の戦いですらその兵数は10万の大台を超えなかった。ゼフォルにとって軍勢などそう10万を超えないものだし、敵は強大でそれを打ち破るのに頭を悩ませるが当然だった。ゼフォルにとっての20万を超える大軍はこれまでの常識を覆す最強の戦力なのだ。
こういった所でベテランと新兵の差ができてきている。今は軍の中でゼフォルの方が多数派だが、ゆくゆくは彼らの方が多数派になっていくのだろう。
「ショクバ少佐、あなたは少々生まれる時代が遅かったかもしれませんね」
「それは……どういう……?」
「まぁ私にも言えることです」
そう言ってゼフォルは話すことなどないと言わんばかりに話しを打ち切った。
今回の戦いで帝国軍は必ず王国軍を打ち破るだろう。これは必然だ。あんなガタガタの、ゼフォルが率いる9万程度に押し込まれた王国が、ベルズーフ率いる30万を超える帝国軍に勝てるはずがない。今世の戦いはこれで決着がつく。ゼフォルはこの乱世で一時期は少将にまで出世した。しかしショクバ少佐はその時のように劇的な出世はできないだろう。あと数年の年月があれば華々しい活躍ができたかもしれないが、そのころには戦争は終わっている。そうなれば才能があっても劇的な出世はできない。
しかしそれは今のゼフォルにも言えたことだ。いまやっと大佐ではある。しかし将官に戻るならば今回の戦いで相当な戦果を上げなければならない。
そう気を引き締め、ゼフォルは会議に臨んだ。
「皆、良く集まってくれた。これより軍議を始める」
多くの将官たちが列席するヴァン・ウィルベートの会議室にてベルズーフの厳めしい一言によって会議が始まった。列席者はベラムト大将にエスメル大将と、帝国軍のそうそうたる面子が並んでいる。
「では王国国境の情報を、ゼフォル大佐、頼もうか」
「承知しました」
多くの士官たちの視線が集まる大きな地図の隣に、ゼフォルは立っていた。この場にいる理由など一つだ。この会議の進行役を任されていた。
帝国軍には膨大な人数の人材を抱えているが、王国の領土の中枢にまで攻め込んだ将官クラスとなるとゼフォルやアルセリア、クレッチマーくらいしかいない。そしてこの大会議の進行役に相応しい頭脳を持つのはこのゼフォルだ。
その自負があるからこそ多くの目上に囲まれてもゼフォルは怖気づかず役割を果たしていた。
「王国国境ですが、進めばまずザントン要塞という要害にぶつかります。王国にとっては国境を固める重要な拠点ですが、かつて元東部方面軍司令官だったオドール閣下の手によって陥落させられました。その後、修復作業自体は行ったようですが、目立った増築は行われていません。そこそこの規模がある要塞ではありますが、ところどころに時代遅れの構造が目立ちます。帝都の兵器工房とヴァン・ウィルベートで製造された新型の攻城兵器をぶつければ難なく突破できるでしょう」
あらかじめ調べていたことだった。ここ最近、最前線で戦う業務はほとんどアルセリアやクレッチマーに任せていた分、ゼフォルは東部方面軍の密偵部隊の指揮に心血を注いでいた。そのため、王国国境の情報は誰よりも知っていた。国力の低下により王国の密偵も質が落ちたのかかつてザントンを落として占領したゼフォルの知識も合わさって、その構造を高いレベルで把握している。それらの情報と集結した帝国軍の戦力と見比べればザントン要塞は無理なく陥落させられる試算が付いていた。
「問題はザントン要塞の先には大きな街道が三つ分岐していることです。この街道はそれぞれ王国北部、中央、南部に続いており、ここを押さえれば我が帝国軍は王国のどこへでも攻撃をしかけることができます。が、それがゆえに王国軍はここを死ぬ気で防衛するでしょう」
「けど、かつてのオドール閣下は今の我らよりは遥かに少ない数でザントン要塞も三街道も制圧したわ。その時の手法を再現すればいいんじゃない?」
解説を続けるゼフォルにエスメルが大将として質問を投げかけた。すっかり目上になった彼女の質問でもゼフォルに取っては想定内だ。淀みなく、ゼフォルは言葉を続けた。
「大将閣下、かつてと今では状況が大きく異なります。かつてオドール閣下の率いる帝国軍が快進撃をしたとき、帝国は劣勢でした。ベルズーフ閣下の本隊が南部小国家郡の制圧に向っている隙をむしろ王国が突くという形で戦端が切られ、当時司令官だったオドール閣下は帝国が守勢と見せかけて王国軍の侵攻前にザントン要塞を陥落させてしまい、集結前に王国軍主力部隊を各個撃破するという手法で王国軍を撃破し、その勢いに乗じて王国領になだれ込みました」
ゼフォルがすらすらと解説すると、幾人かの将官たちが「おぉ」と感嘆の声を上げた。この時の戦いぶりといったらゼフォルの人生の中でも空前といってもいい。
そもそもが命令違反ではあるがあんな寄せ集めの一方面軍で王国そのものと渡り合い、追い詰めたのだから。本当は絵を描いたのも、実行したのもほとんどゼフォルだが、オドールの功績であることをわざわざ訂正しなかった。そもそもが手放しで称賛できない内容だし、ちょくちょく大量の菓子やら何やらを送ってきてくれる元上司の評判が少しでも上がるなら、それでよかったのだ。
「今の戦況は帝国が著しく優勢です。こうしてヴァン・ウィルベートに大軍が集結しているのは王国も百も承知でしょう。間違いなく王国軍は迎え撃つ体制を整えてくるでしょう。おそらく、いえ九分九厘このザントンと三街道で守りを固めてくるでしょう。それも、この二つが連動するようにです」
全体の情報を俯瞰してみたゼフォルの結論がこれだった。オドールと攻め込んだときは畳みかけるような連撃でそれを許さなかったが、おそらくザントン要塞の正しい運用方法はこれのはずだ。ザントン要塞は行軍のし易い三街道に蓋するように守っており、三街道がある限り大きな補給路が確保されてザントン要塞が飢えることはない。この二つは助け合っているのだ。
必然的に迎え撃つ王国軍はその運用法をするだろう。ゼフォルだってそうする。
「つまり我らは、要塞に街道と駐屯する軍勢を一度に相手しなければならないということだな」
「おっしゃるとおりです。ベラムト閣下」
王国がこの二つの要地で連携する以上、帝国もそれに付き合わなければならない。ゼフォルが結論づけたかったことをベラムトは的確に言い当てた。
ベラムトの発言に是と返すとゼフォルも言いたいことはあらかた言ったのでチラリとこの場の最高階級のあの男に視線を向ける。あとは彼がすべてを決めるだけだ。
「街道にザントン要塞、この二つの要害を同時に攻撃せねばならない。難しい任務だ。しかし今の充実した帝国軍ならばこの任務もこなせるものと信じている」
ベラムトとエスメルその二人すら超える階級を持つベルズーフが会議の全体を締めくくるようにそう言った。これといって特筆のない声量だが、そこにはこの大軍の長に相応しい威厳があった。
「私は主力を率いて三街道の敵を殲滅する。その間、ザントン要塞にはベラムト大将の軍を当てる。無理攻めは避け、敵の出陣を防ぐことに徹せよ」
「はは!」
「エスメル大将は私と共に三街道の王国軍と相対してもらう。ゼフォル大佐ともども活躍を期待している」
「承知しました!」
「御意に」
続いてエスメルともども任を渡され、承諾する。ゼフォルとしてもこの命令に異論はない。むしろ同じことを考えてすらいたのだ。
王国は確かに万全の備えで帝国を迎え撃ってくるだろう。しかしそれが何だというのだ。かつてゼフォルはオドールと共に王国に攻め込んだ。その時ゼフォルは脳の血管が破れるのではないかというくらいに働かせ。身体を酷使して指揮を執り王国を相手どった。最後は敗れ去ったとはいえ、王国軍はゼフォルとオドールの相手でいっぱいいっぱいだったのだ。
そして今の帝国軍は単純計算でその時の三倍以上の兵力がある。さらにベルズーフ率いる主力部隊、ベラムト率いる経験豊富な各方面軍、そしてゼフォルとクレッチマーが育て上げたエスメル率いる東部方面軍だっている。単純な練度と指揮官の質を考えれば、その差は三倍じゃすまなくなるだろう。
もはやこの帝国の全力といっていいこの戦力を王国は防ぎ切る力など残っていないのだ。ゆえにどのような備えをしていようと正面から叩き潰せばよい。
その後会議はいかに正攻法で王国を追い詰めていくかにシフトしていった。流れを作ったのはゼフォルだった。その事実に幾分か満足した。