ついに帝国軍は大きく動き出した。ベルズーフ率いる主力部隊15万がエスメルの3万の案内のもと、ハルード要塞まで進出したのである。さらに後ろからは攻城兵器を満載したベラムトの10万が続き、これらの戦力がハルード要塞の7万と合流する。総勢35万の大軍が一路、ロッソ王国へと進軍を開始した。
「やばいな、あんな大軍初めて見たぞ」
「私もですよアルセリア」
ハルード要塞に入城し、受け入れ業務を終わらせると、早速ゼフォルはアルセリアに会いに行っていた。向こうも快く歓迎してくれて、今ではアルセリアの部屋で優雅にお茶を飲んでいた。傍らにはすっかり彼女の参謀になってたヘルトアもいた。
「あれが全部、ぜーんぶ味方ですよ?笑ってしまうくらい戦況も変わったものです」
「まったくだ。これまでの大規模な戦いを幾度もこなしたが、それらがまるでおもちゃだ。こんな大軍にお目にかかるとは人生わからぬものだ」
「私が副司令官だったときもあれくらいいたらよかったのに」
「ヘルトアが困っているからやめてやれ」
和やかな雰囲気で始まったお茶会だが、ゼフォルも今さら大して気にしてない過去の失敗を匂わせるとヘルトアがピシりと心底困った表情で固まってしまう。その様子をアルセリアはジト目で咎めていた。付き合いが長く、気質もゼフォルにかなり近いアルセリアならともかく生真面目なヘルトアはやはり気にしてしまうのだろう。失敗した罪で投獄されたゼフォルの牢番をしていたのだから余計だ。
「ま、別に囚われのお姫様だったころの私はどうでもいいんですよ」
「なにが囚われのお姫様だ。良いとこ檻の中の猛獣だろうに悪ければ封印された悪魔」
「……ヘルトアはこの大軍をどう思いますか?」
失礼なアルセリアは置いておいて、ヘルトアに意見を求める。最近ショクバといった新任士官たちの相手をしてきたがなんだかんだで優等生だったヘルトアはかわいいのだ。もちろんエスメルは色々と別格なのだが。
「空前の兵士数を有しながら、その巨体に似合わぬ綿密さで、ベルズーフ元帥にエスメル、ベラムト両大将閣下らをはじめとした将官たちによって指揮系統がしっかりしております。これなら手足のようにこの大軍を扱えるでしょう」
「ほぉ、ではヘルトアがこの軍の総司令官だったらどのように動かします?」
そうゼフォルは試すようにヘルトアに疑問を投げかけた。
「これだけの兵士数に練度、そして優秀な指揮官たち、この軍勢に下手な作戦や策は不要です。並みいる敵すべて正面から対峙し、踏みつぶすだけで問題ないかと」
試すようなゼフォルにヘルトアは臆さずに答えた。
満点といっていい回答だった。ゼフォルはこれまで何かと策を弄して敵を撃破してきたがそれはいつも敵より味方の方が弱いか、互角の戦ばかりだったからだ。逆に言えば、敵を撃破するの十分な戦力を持っていれば下手な策を弄するよりも、堅実な指揮で敵を追い詰めるだけでいい。追い詰められた敵が弄してくる奇策に反応して撃退していけばよいのだ。
二流の策士の中には自分の才覚を見せびらかすように下手に策を弄する者もいるが、少なくともヘルトアはそうではないらしい。
また、なり立ての参謀というものはそういったものでなくとも功を焦って策を弄しがちだが、ヘルトアも前線で揉まれて落ち着きと貫禄というものが育ってきたということだろう。
「良い答えですね、アルセリアの元で良く経験を積んだようですね」
「はい、はい!アルセリア准将の元ではよくしてもらいました!」
「ふん、当然だろう」
ヘルトアを手放すのは正直惜しかった。もしこのままゼフォルのもとにつけていたら新米仕官の教育やらなんやらまで手伝ってもらえただろう。しかし結論かから言えばアルセリアの元に送って正解だった。ヘルトアもアルセリアもお互い信頼しあっている良い上官と参謀になっていたからだ。
「まぁ再開の挨拶はこの辺で……アルセリア、ずいぶん私を差し置いて前線で暴れたようですね」
「まぁ……な。だが最近は小競り合いも全くおきやしない。まぁこの日の為だろうがな」
かつてハルード要塞からはいくらでも面白い戦況報告が上がっていた。そのほとんどがアルセリアが小競り合いで勝ったというものだった。今帝国の敵対国家が王国しかいないからこそ、その戦勝報告はよく目立っていた。
「私は生産力どうこうにはあまり詳しくないからどれだけ王国軍が回復しているかわからない。だがここ最近王国は守勢に撤し、守りを固めていた。流石にこの大軍が負けるとは思えんがかなりの抵抗が予想されるぞ」
「ですが、それを込みでも帝国軍は基本的な攻撃だけで王国を撃破できるはずです。今王国が動員できる兵力は相当に無理して10万程度、これ以上動員してもそれは役に立たない新兵、いや民兵と言っていい練度でしょう」
アルセリアの報告に補足するようにヘルトアが続けた。そこには澱みない、参謀としての冷静な分析があった。
「おそらく王国は国境のザントン要塞を中心に防衛線を築いてくるはずです。しかしそれらの布陣全てに対応できるだけの戦力を持っていると思っています」
「ふふふ……いい判断ですね。アルセリア、貴女はいい部下を持ちました」
「もともとお前が育てただろうに。だが、本当に役に立ってるよヘルトアは、お前と比べても遜色ない。素直だしな」
ヘルトアは先のベルズーフを中心とした会議の内容と同じことを彼女なりに導き出していた。それだけで彼女が、今の帝国軍の中でも平均以上の実力を持つことがよく分かる。
アルセリアは相変わらず挑戦的な言葉を言ってくるが、ゼフォルは別にどうでもよかった。
エスメルという最高傑作にすでに抜かれているのだ。今さら可愛い弟子の成長を認められないほど狭量になるつもりはなかった。
ベルズーフを総司令官とする帝国軍35万は無人の野を駆けるように王国国境を進んでいた。
とは言ってもいくら練度が高いとはいえこの大軍が一気に行軍できるわけなく。ベルズーフの方針もあるのか慎重にその巨大な軍勢はゆったりとだが確かに前へ前へと進んでいた。
補足をつけるとしたらまだ最後尾のベラムト軍はハルード要塞に数万で駐屯しており、要塞内にこの大軍が戦い抜くだけの物資の貯蓄作業を行っていた。
一方で先頭を走るのはエスメル率いる東部方面軍であった。
「報告!敵の偵察部隊思わしき2千、抵抗することなく撤退したとのこと!」
「ゼフォル、やっぱり予想通りとなったわね」
「えぇ、この軍勢に正面からぶつかるなど愚策以外の何でもありません、王国が総力を上げても遅滞戦術がせいぜいでしょう」
ゼフォルはというと、アルセリアに先陣を任せ、軍勢の半ばで本陣を張っているエスメルの側にいた。
ゼフォルらが睨んだとおり王国軍から碌な抵抗を受けることもなく前へと進んでいた。
「奇襲一つもないのは妙じゃない?」
「閣下、奇襲というのはまず大前提として敵軍に隙がなければ成立しません、今我らはベルズーフ元帥の指示で軍勢が間延びしないようにゆっくりと動いております。王国がどう奇襲してこようとも巨壁にぶつかる小石のように砕け散るでしょう」
恐らく王国側も有利を取れるところで迎え撃とうとしているのだろう。だがそれ以外にも帝国軍はその巨体に見合ったゆっくりとした進軍で、軍勢が間延びすることのないように密集していて陣形の厚みを損なわないようにしている。
これもベルズーフの指示なのだが、その油断なき重厚さが王国軍の奇襲やら何やらを予防していたのである。
「なるほど、ベルズーフ閣下はこの戦い一切の隙なく完勝するつもりね。敵軍を勢いづける気が一切ない」
「おっしゃるとおりです。王国はこの戦いこそが興亡がかかっています。否応なしに士気は高いでしょうが、同時に帝国の空前の大軍に怖気づいてしまう可能性も孕んでおります。大なり小なり奇襲を成功させれば、王国軍も勢いづくでしょうがそれすら一切成功しないとなると一気に士気も下がるはずです」
言っていて恐ろしい男だとゼフォルはベルズーフの評価を一段上げた。
ベルズーフはこの戦い頭から尻尾まで完封してしまう気でいるのだ。そのためなら多少時間がかかっていいと思っているから軍勢の進撃もゆったりとしていた。
このまま奇襲も許さず、潤沢な戦力と物資で作戦通りに王国軍を追い詰めてしまうつもりなのだ。
一切敵に成功体験を経験させず、そのまま押し込む。そんな負け方をしてしまえば、敵はその兵力以上に士気を大きく減らしていくことになるだろう。特に今回の戦では王国は存亡の危機がかかっている。軍がこんな負け方をしてしまえば一気に世論が降伏に傾きかねない。
あのベルズーフのことだからこの辺まで予測しているのだろう。ただ目の前の敵を倒すだけでなく戦後のことまで考えられるから彼はバルグリフ陛下の最側近なのだ。
感心しつつも相も変わらず馬が合わない、ゼフォルなら多少の損害を許容してでも敵の奇襲を起点に逆襲を与えるだろう。だが今はエスメルが従っている以上勝手ことはできなかった。
「ザントン要塞まで戦いは起きなさそうね。でもゼフォル、前衛を任された以上、無様な真似は出来ないわ。良く警戒するように」
「えぇもちろんです」
確かにベルズーフは未だに馬は合わない。しかしだからこそ彼の前でエスメルが、東部方面軍が無様を晒すわけにはいかないのだ。それに今回の戦いはあのベルズーフの指揮をまじかで見られるチャンスでもあった。
「ふふふ、精々お勉強させていただきますよ。元帥」
「何か言った?」
「いえ、何でもないですとも」
小声でゼフォルはつぶやき帝国軍の後方を見やる。これまでゼフォルはエスメルをはじめとしてヘルトアやショクバなど多くの人間に戦術というものを教え込んできた。
しかしゼフォルはだれかに教えてもらったことはない。独学で平均以上に通用したのだし、自分以上の人間などそうはいないと思っていたからだ。しかしベルズーフなら学ぶのに遜色はない。
以外にもゼフォルはそのことが楽しみだった。
無様を晒さぬよう、万全の構えで軍を進めるエスメルとゼフォルだったが結局王国からの攻撃はなく、目標地点であるザントン要塞にまで進軍を完了した。
「やはり、待ち構えていたわね」
「ええ、そうでしょう、でなければ連中は降伏しかないでしょう」
案の定というべきか、ザントン要塞とその後方の三街路には王国の大軍がひしめいていた。かつてゼフォルとエスメルがヴァン・ウィルベートの城壁の上で見下ろしていたときのように様々な王国有力者の旗がたなびいていた。
「いよいよ王国主力の登場か……」
「ですがお嬢様、あれで帝国軍35万を迎え撃つには少なすぎますね」
王国の大軍を見たゼフォルの感想はそんなものだった。見たところ城塞に2万、三街道に8万といったところで合計10万を数える大軍である。まさにかつてエスメルの故郷であるヴァン・ウィルベートを襲ったときの軍勢と同規模だった。
かつてのゼフォルは、王国の軍勢を前にして表面上はともかく内心では焦っていた。結局はヴァン・ウィルベートを無視して撤退させることしか出来なかったのだ。
しかしそれはかつての話だ。いまやただの10万などゼフォルにとっては怖くもなんともない、完全武装し練度も十分にある味方が35万もいるのだから当然であった。むしろ王国はこの国難に高々10万しか用意できなかったのかと残念ですらあった。
「ゼフォル、あまり油断しちゃだめよ」
「もちろんそんなことは致しませんとも、連中は私に黒星をつけた軍隊なのですから」
エスメルに発言を咎められるゼフォルだが決して油断などしていなく、ドス黒い感情があふれ出していた。この軍勢でいかに効率よく王国の防衛線を食い破り蹂躙するかに思考が裂かれ、信じられないくらい頭が回転していく。
どうやら自分はいたく王国に復讐したいようだ。一度は落とした要塞、一度は通った街道そこに再び我が物顔で布陣されると妙に腹が立った。我が子のように育て上げたハルード要塞奪還戦でも大して感情が高ぶったりしなかったのに不思議な感覚だった。
「要塞の2万、あれは無理なく兵を収容できるぎりぎりの数です。余計な兵力をなくすことでただ籠城するのではなく、攻め寄せる軍勢をいかに効率よく撃退するかに焦点を置いた布陣です。それでいてもし要塞を迂回するようなら嬉々として打って出てくるでしょう。街道に布陣する8万はまさに本命です。我らが要塞を攻撃するならその背後を脅かし、常に街道に陣取ることで物流の流れで優位に立ち、何年でも睨み合いに興じるでしょう」
すらすらと冷静に敵の布陣を分析していく。流石のエスメルも面食らったのか。聞き入るばかりだった。
解説しつつもゼフォルは王国もまぁ面倒な布陣をしてくれたものだとある意味感心していた。もう国力も限界なのか数こそはたいして多くない。それでも10万いるのだが、それを差し置いても最もザントン要塞とそれに付随する三街道の形を最も効率よく守っているといっていい布陣だった。
もしこれをオドールと一緒に攻め寄せたときにやられたらゼフォルはぐうの音出ないどころかあらん限りの負け惜しみをぶつけて撤退していっただろう。
こんなもの帝国でもゼフォルかあのベルズーフくらいしか思いつかない。だが、だからこそ捻じ伏せるのに不足はなかった。
「あれを突破するには街道の軍勢、ザントン要塞の軍勢をどうやっても同時に相手する必要があります。生半可な軍勢ならともかく今の帝国軍ならそれが可能です。作戦通り我らとベルズーフ元帥が三街道、ベラムト閣下がザントン要塞というように攻め込めば……」
「エスメル大将閣下!ベルズーフ元帥から報告です!貴殿の軍勢はわが軍と共に三街道の敵勢に向うべし、要塞はベラムトに任せる。とのことです!」
「ほらね。当たったでしょう?」
そうゼフォルはエスメルにウィンクすらして見せた。予想が当たったことへの満足感と、回答を同じとするベルズーフの思考に習う相手として不足はないと感じたのだ。
「えぇさすがだわ。頼りにしているわ。ゼフォル」
ゼフォルの態度に頬をひくつかせつつもエスメルはそう言ってくれた。その言葉に満足し、彼女に戦果を捧げるため、さらに明晰な頭脳を回転させた。