布陣する王国軍を前に帝国軍は速やかに陣地を敷き対峙していた。確かに王国の盛大な歓迎を受けた。しかし所詮ヴァン・ウィルベートでの会議していたことが当たっていただけであり、帝国軍は事前の作戦の通りに行動を開始していた。
まさに集まった軍勢の練度の高さを見せつけるように簡単な早馬だけでしっかりと三つの軍が行動を開始し、あっという間にザントン要塞にはベラムト率いる10万が、三街道に陣取る8万に対してはベルズーフとエスメルが率いる25万が布陣を完了した。
敵軍を前にしてなお、粛々と布陣を整える帝国軍に何か嫌なものを感じたのか、王国からの妨害はほとんどなかった。これまでの戦いで一度も奇襲を成功させられなかったのが心理的に響いているのかもしれなかった。
「我が軍勢の布陣も完了しました。ベルズーフ元帥もベラムト閣下の軍も配置についたようですね」
「いよいよね。この一戦ですべてが決まるわ」
ゼフォルはもちろん、エスメルのいる東部方面軍の本陣で参謀としての業務をこなしていた。
現在の布陣はまず後方であるザントン要塞をベラムトの軍勢がすっぽりと囲い、要塞からの進撃を封じたうえで三街道の王国軍に真正面からベルズーフの軍勢が向かい合っている。さらにそのベルズーフの軍勢の斜め前にエスメルの10万は布陣していた。
最もザントン要塞から遠く、王国が本隊と要塞の連携してくる心配が最も少ないゆえに、積極的に攻める気持ちで戦列の一歩前にエスメルの軍勢は布陣をしていた。
「それよりエスメル閣下、本当に本陣の位置はここでよろしいのですか?少々前に出すぎでは……」
「くどいわゼフォル、此処より後ろでは前線を流動的に見えない。私はアルセリアやあなたに前線を任せて奥深くで指揮だけとるつもりはないわ」
「……承知しました」
軍勢の士気も十分だ。戦いの流れも予想通り、それでも気になることがゼフォルにもあった。少々エスメルのいる本陣が前に出すぎなのだ。不覚をとるつもりは一切ないが前線の指揮などゼフォルとアルセリアに任せてエスメルは後方で吉報を待っていて欲しかったのだ。
だがエスメルはこうして前線の少し後ろ程度に本陣を構え、そこで指揮を執っていた。
「もしかして私の身を案じている?」
「えぇもちろん」
「安心なさい。私自身そう簡単に打ち取られるほど軟じゃないわ。それに私にとって貴女の隣が一番安全だもの」
「そ、それはもちろんですとも」
本来ならエスメルのいない前線で逸脱しない程度に王国を撃退しようと張り切っていたゼフォルだが、当の本人にこう言われては従うしかなかった。もうしばらく参謀としての業務が続くだろう。
最前線にいるアルセリアを少し羨みつつ、まぁこれだけの大戦なのだいくらでも機会はあるとゼフォルは思っていた。
「報告!クレッチマー将軍より我王国軍と戦闘に突入せりとのことです!」
「報告!アルセリア将軍より我敵の戦列に突撃するとのことです!」
睨み合っていた両軍はついに激突し、静かだった三街道はあっという間に兵士たちの悲鳴と怒号が鳴り響く地獄へと変貌していた。
ゼフォルがいるこの本陣も前線にほど近いので前線の喧騒がよく聞こえる。
現在戦況は数に劣る王国が数に勝る帝国に攻撃を仕掛けるという状態が出来ていた。
「この戦力差、クレッチマー将軍なら手元の兵力でうまくいなすでしょう。ここは前に出たアルセリア将軍の後方援護に注力すべきです」
「そうね。オルドス将軍に一軍率いてアルセリアの援護を向かわせるように」
「御意」
ここからなら前線の様子もよく見える。全軍を上げて決死の突撃を行う王国軍にゼフォルは冷静に対処していた。
そしてその献策を受けるエスメルもまた一流の指揮官にしてゼフォルとはツーカーの中だ。東部方面軍総司令部であるこの本陣は冷静に決死の抵抗をいなしていた。
王国軍は完全に嵌められたのだ。同じように激突する帝国軍本隊、ベルズーフがいるだろう方向を一瞬ゼフォルは睨んだ。
遠目ではあるが、案の定あちらも圧倒する兵力差を背景に幾重にも守備陣を重ねに重ね、王国軍の突撃を弾き返している。
さらに遠目でザントン要塞の方を見やると帝国軍がこの日の為に持ち出した最新型の大型投石機が唸りを上げて要塞に巨石をぶつけていた。
軍勢の動きをよく見れば、ベラムト率いる帝国軍は投石を仕掛けるのと、牽制目的に少し兵を動かすだけで本気で要塞を攻める気はないのがわかる。
しかしそれはあらかじめ作戦を通達されていたゼフォルだからそう思えるのであって、三街路を守る王国軍からすれば帝国軍は巨大な攻城兵器群を持って今まさに総攻撃を仕掛けているようにしか見えない。
だから25万対8万という3倍を超える兵力差であっても決死の突撃をして要塞を助けにいかなければならないのだ。
確かに王国軍の攻撃は凄まじい、どうやら密偵の情報では総司令官にかつてゼフォルが取り逃した王族であるハルディン第二王子がついている。
王族自らの出陣と、国の存亡がかかっているだけあって王国軍はその兵力差をものともせずに決死の攻撃を仕掛けていた。
帝国軍でもいくつかの防衛線が突破される光景が散見されていた。
「敵の一軍が前に出過ぎましたね。あれはやれるでしょう」
「いい位置にアルセリアの隊がいるわね。横合いから殴りつけさせなさい」
「御意に、ショクバ少佐、アルセリア将軍の陣地の穴はケルン中佐の隊に任させなさい」
「は、はいっ!」
だが王国がいくら帝国の防衛線を突破してもそれだけだった。どんなに決死の勢いがあっても軍とは人間の集まりでしかないのだ。数で圧倒している帝国軍が幾重にも防衛線を敷けば最後まで突破は叶わず。道半ばで力尽きる部隊が続出していた。
これがベルズーフか、これが帝国元帥かとゼフォルは少し慄いていた。
ベルズーフからすればベラムトの10万も相当な予算を組んで造らせた攻城兵器群も王国に仕掛けさせるための見せ札にすぎないのだろう。
やっていることは案外、軍事的に基本的なものでしかない。ザントン要塞を囮に敵の攻撃を誘発させているだけだ。
だがそれでもベラムト率いる有力な10万を遊軍と割り切って作戦を立てている彼はやはり常人ではなかった。その甲斐もあってか面白いように王国軍は撃退されている。
同時にゼフォルは王国軍の不甲斐なさに理不尽な怒りを持っていた。
ゼフォルは自身の能力に凄まじい自信を持っている。一度の敗北でそれにヒビが入ったが、昨今の勝ち星で取り返したのでその傷は修復されていた。
それでもこの自分に黒星をつけた王国軍に一定の評価は下していたのだ。思い返せば腑が煮え繰り返るが、王都近郊で守備陣で耐え、アンス侯爵の裏切りを誘発させる手腕は見事だった。
今の王国軍もそうだった。ザントン要塞と三街道を連携して守る作戦もゼフォルから見ても妥当なものだと思うし、今の攻勢も、ただ突撃をしているようで偽装攻勢を行ったり、的確に帝国の陣地の隙間を縫った丁寧な攻撃なのもわかる。まさに王国軍は全霊をかけていた。少なくとも西部貴族の戦争音痴どもや北部蛮族の騎兵頼りの戦術といったものより洗練されていたのだ。
それなのに結局、王国軍はベルズーフの作戦一つに良いようにされていた。
どんな決死の抵抗もベルズーフが用意した25万の大軍の守りを突破し切ることが叶わないのだった。
「エスメル閣下、左翼で敵の動きが見られます。クレッチマー将軍に警戒させましょう」
今の攻撃もそうだ。王国軍は決死なのだろうが本陣で全体を見回せるゼフォルにあっさり看破されている。きっと失敗するだろう。
再びベルズーフの本隊を見やる。先ほど見たときのように帝国の陣形に綻びはなく、むしろ対峙している王国軍が疲れ切っているようだった。箇所によっては帝国軍が反転攻勢すら行っていた。こちらでもアルセリアなどは盛んに王国軍を強襲し、大きな損害を与えている。
いくら持てる兵力に差があってもあんまりな差だった。ベルズーフは皇帝陛下から与えられた大軍を十全に動かし、帝国の損害は最小に済ませ王国には多大な出血を強いている。
その事がどうしても吉報と受け入れられず、敗北した己と見比べてしまってゼフォルは心の中にドス黒い何かを滾らせていた。
この世紀の一大決戦にこのままではゼフォルはエスメルの本陣で突っ立っていただけで終わってしまう。
敵だというのに王国軍にもう少し頑張れないのかとすら思っていた。
こんな無様に撃退されるだけなら攻勢にでなければよかったのだ。いくらベラムトのもとに配置された攻城兵器が新型でも攻城兵器だけで城は落ちない。ザントン要塞の防御力を信じて、三街道にどっしりと陣を敷き時を待てばよかったのだ。帝国軍は大軍だがそれゆえに大喰らいだ。自国領という地の利を活かして補給線を攻撃するなりやれることはいくらでもあったはずだ。
もはやゼフォルには戦局が有利すぎてベルズーフの指揮の下で勝利するだろう帝国軍より劣勢の王国側で軍略を考えてすらあった。
しかしそんな馬鹿な考えを続けるわけにはいかない。ゼフォルはとっておいた献策をここでエスメルに伝えることにした。
「閣下、献策がございます」
「聞きましょう」
「戦局は我らが圧倒的に優位、いま考えるべきはこの戦果をどれだけ拡大できるかに焦点を当てるべきです」
「……それで?」
献策した瞬間、エスメルの顔が一瞬険しくなった気がした。なにかまずいことを言っただろうか?とゼフォルは一瞬疑問に思った。しかし今は陣中なのだ。顔が険しくなることなどいくらでもあると判断して言葉を続けた。
「幸い戦局は終始わが方優位でした。予備兵はまだ潤沢に残っています。私に1万を別動隊としていただきたい」
「目的は?」
「現在戦場はどこもかしこも派手に殺しあっています。今なら1万程度の軍勢が動いてもほとんど目立たないでしょう。私は戦場を大きく迂回し、敵の後方を遮断します。そして崩れ行く敵勢の退路を断ちます」
「却下よ」
その言葉を聞いたとき、ゼフォルは自分の耳がおかしくなったのかと思った。まさかこの渾身の献策がエスメルに却下されるなど思わなかったのである。
「……なぜでしょうか?」
「この一大決戦、損害少なく終われるのが第一よ、わざわざ博打のような別動隊を送る必要はないわ」
「私は敵の総大将ハルディンの顔を知っています。必ず、その首をとってご覧にいれます」
これこそが今回の戦でのゼフォルの切り札だった。かつてこの地でハルディンを取り逃がして以来、彼の顔を忘れたことは一度たりともなかった。それだけあの大魚を逃した悔しさは大きかった。
だからこそ因縁深いこの地でハルディンを討ちとろうとずっと考えてきた。もはやベルズーフになぶられるだけの王国軍など怖くはない。いくら敵地奥深くの侵入になろうと1万ほど兵がいればすべて蹴散らして奴のそっ首に刃を突き立てる自身があった。
「いや……そこまでする必要はないわ」
「なぜですか⁉︎」
「もう我らは十二分に戦果を上げている。必要以上の戦果は不要よ。それにもしあなたがしくじれば王国軍に希望を与えてしまう可能性がある。ベルズーフ元帥の敵を完封する作戦を台無しには出来ないわ」
「ッツ⁉︎」
エスメルに却下されつい声を荒げてしまうゼフォルだが、続く言葉の方が衝撃だった。
またベルズーフだ。一度挑んで負けて、納得していたつもりだった。しかし今のエスメルの言い方はベルズーフの作戦のためにゼフォルの献策を却下したように聞こえてしまうのだ。
エスメルも、お嬢様ですら私よりベルズーフの方が優秀だとでもいうのか。
そう言いかけてゼフォルは思い切り歯を食いしばった。そんなみっともないことを言い出せるはずがない。
「出過ぎた真似をいたしました」
「わかってくれればいいわ。この優勢、直に帝国は全面攻勢に転ずる。その時は私も出陣するわ。貴女は私の横を固めてくれればいい」
「はっ……」
そう言ってくれるエスメルにゼフォルは是と返すが、その内心は負の感情で一杯だった。
今ゼフォルが思い切り歯を噛み締めたのはエスメルにバレバレだっただろう。自分が悔しい思いをしているのをわかって彼女は活躍の場を与えてくれたのだ。
だがその気遣いはゼフォルの心に刃のように刺さっていた。結局策ではベルズーフに劣り、エスメルに気を遣われただけなのだ。
あの敗戦以来復活しつつあったプライドが音を立てて燃えだす感覚だけがそこにはあった。