「閣下、アルセリア将軍がまた敵の一隊を粉砕しました。これを機に乗じて陣形を前に進めるべきです」
「ひとまずクレッチマーの隊を前に出しなさい。そして後方の予備戦力も動かす準備を」
戦況は帝国軍有利だった。王国軍も必至の抵抗を見せてはいるが、結局有効打に出ていない。ゼフォルも自分の献策の事は一回忘れ、ベルズーフの作戦が成功するように今は注力していた。
しかし現在この本陣の空気はどことなく、おかしなものになっていた。クレッチマーが違う陣地で指揮を執っているため、この本陣の次席は参謀長であるゼフォルだ。
そしてこの場の最高階級であるエスメルとゼフォルのあいだの空気が妙にギスギスしていた。
だからと言って二人で足を引っ張りあったりなど愚かなことをしているわけではない。しかしいつも階級差があっても隠せなかった仲の良さはどこに行ったのか、まるで機械のように業務的に話し合って、王国軍を追い詰めていた。
「え、エスメル閣下、ゼフォル参謀長」
「何?」
「何ですか?」
2人はともかく、この場の主席と次席の変わりように周りの者は冷や汗を流していた。見かねたのかショクバ少佐が2人に声をかける。ゼフォルは煩わしそうに返した。
「ひぃっ!お、お二人とも戦いが始まってからずっと働き詰めです。そろそろ全軍の総攻撃を始まる予兆があります。その前にお二人とも小休憩をはさんでは……」
そう提案するショクバにゼフォルは少しあっけに取られていた。彼の性格上、本気で心配をしてくれているのだ。そしてまだ経験浅いがゆえに言葉に出てしまったのだ。余計なお世話と言い切るのは簡単だったが、何気に彼を気にいっていたのと、本心からの言葉だと分かるから無碍にもできなかった。
「ショクバ少佐、気遣いはありがたいわ。けど総攻撃が近い以上私がこの場を離れるわけにはいかない……ゼフォル、貴女は休憩してきたら?」
「ご冗談を、するならエスメル閣下が先です。この場は私にお任せください」
ショクバ少佐の気遣いはありがたいが結局エスメルと休憩を譲り合う結果になってしまった。少なくともゼフォルにはエスメルより先に休憩する気は一切ない。
「ご注進!ご注進!エスメル大将閣下!ベルズーフ元帥より、気を見て総攻撃とのご下命です!」
再び場の空気がおかしくなるがここでベルズーフからの伝令が駆け込んできてリセットされた。元帥直々の命令が下った今、うかうかしていることはできなかった。
「……ゼフォル。私も前線に出るわ。供回りをしなさい」
「承知しました」
ひとまずこの場でのわだかまりは出陣によって流された。エスメルとゼフォルは本陣を構成していた精鋭1万を率いて前進した。
「ウィルベートの小娘に悪魔の給仕が!貴様らなんぞこの私が……グフっ⁉︎」
前線は酷い有様だった。すでにクレッチマーとアルセリアに程よく叩かれていてろくに活躍する機会もない。エスメル率いる最精鋭1万ならばどこへ突っ込んでも戦果を上げられるだろうという有様だった。
今も勇んで切りかかってきた王国軍士官の一撃をひらりと避けて返す刀でゼフォルは一刀両断にしていた。
傍を見れば主人であるエスメルがゼフォル以上に暴れ回っている。魔術というリーチがある彼女はゼフォルの数倍以上の速さで敵を殲滅できるのであった。
この戦中にあってゼフォルの思考は別のことに割かれていた。もうこの戦いに何の価値もない。これだけ崩れ去った王国軍にゼフォルが死力を尽くしてやることが何一つもないのである。
帝国の平均的な将校をずらりと並べて前進させるだけで勝利は降りてくる。ゼフォルがその明晰な頭脳をフル回転させ、その類稀な武勇を奮ってまでやることがないのだ。
やることといえばエスメルの魔術をかい潜って進んできた王国軍の相手をするだけだった。
「ようやく辿り着いたぞ!給仕!貴様だけはここで!」
また1人王国兵が目の前にまで現れた。血走った目でゼフォルを睨みつけ、怒りのままに突っ込んでくる。
「ここで……何だというのですか」
「っつ⁉くそ!」
だが所詮勢いだけだった。エスメルの魔術をかいくぐれるだけ多少腕が立つのだろうがゼフォルの相手が務まるほどではない。がむしゃらに振るわれる剣を最小限の動きで避け、片方の曲剣で打ち合い、そのまま相手の剣を弾き飛ばした。
王国軍も、もう人材が底を尽いているのだろう。ゴルガマスほどの英雄は二人といないだろうが、ダリウスほどの猛者も残っていない。剣劇の重さがあまりにも軽く、そのまま曲剣で袈裟懸けに切り捨てた。
「ぐふっ……所詮私では届かなんだか……だがきっとハルディン皇子が貴様ら帝国なんぞ……ぐふっ⁉」
「黙れ……貴様に安寧に死ねる権利があるものか……!」
名も知らぬ敵の最期の言葉を聞いてゼフォルはわざわざ顔を近づけておしゃべりを始めた。死ぬときにあまりに脳天気なことを言う彼に言いようのない怒りがわいてきたのだ。
わざわざこんなのに時間をかけ、声が出てしまったのにすこし驚きつつも周囲の喧騒と、都合よくエスメルの魔術の轟音が鳴り響いていたのもありゼフォルの口から言いたいことがあふれ出ていた。
「本気でハルディン王子が仇をとってくれると思っているのですか!この戦局で⁉所詮やつも私一人にしっぽ巻いて逃げた雑魚にすぎません!ベルズーフどころかベラムトにもお嬢様にも一矢報いることできずに敗退するでしょうよ!」
ゼフォルの貯めこんだ怒りは止まらない。勝っているのになぜこんなに怒っているのか理解できない。そのまま名も知らぬ王国兵の死体をズタズタにして言葉を続けた。
「あなたも一人の軍人でしょう⁉ならばこの劣勢時に希望を抱いて死んでいる暇があるというのですか⁉能なしでも軍に入ったのならば!血管がちぎれるまで頭を働かせて軍略を練りなさい!全身の肉がこそげ落ちても剣を振りなさい!そこで寝ている暇などないのです!あなたたちが!あなたが不甲斐ないから!王国は負ける!戦争が終わってしまう!私相手にはあれだけ抵抗したのでしょう⁉ならまだ立って私と戦え!」
そうやって言葉にだしてようやくゼフォルは己の感情に理解ができた。
ゼフォルにとって王国とはずっと立ち塞がってきた難敵であり、己の力を誇示できる好敵手だったのだ。そして一度は己を撃退せしめた強敵だったのだ。敵対国としてある程度の敵対心と憎しみを持ってはいたが根っこの方で嫌ってはいなかった。王国がいるからゼフォルはその存在価値を極限に引き出すことができるからだ。
そんな王国がいよいよ追い詰めえられ、ベルズーフの軍勢に蹂躙される様を見て愛憎に近い感情を抱いているのである。
一通り吐露し、少しは感情の高ぶりを押さえられた。エスメルと離れてしまった。急いでその傍らにもどった。
「強敵でもいたの?ゼフォル?」
「えぇ……まぁ……所詮私の敵ではありませんでしたが」
嘘は言っていない。あの名も知らぬ一兵士はゼフォルの心をいたくかき乱したからだ。
「そう?まぁ無事に帰ってきたのならいいわ。それよりもう王国は総崩れよ。追撃を開始するわゼフォル。後に続きなさい」
「御意」
そう言ってゼフォルはエスメルの後に続いた。しかしその心は余り昂らなかった。最高の上司にして主人と共に戦っているというのにその心はほとんど動かされない。エスメルはとても優秀だ。彼女と巨大な難敵と戦ったりできればとても幸せなのだろう。しかし今の王国軍にはそれだけの価値を見出せなかった。
その後の戦いはあっさり帝国軍が勝利した。王国軍の三街道を守っていた8万は3万近い大損害を出して撤退し、残ったザントン要塞も帝国の雲霞のごとき大軍に囲まれ、頼みの友軍には逃げられあっけなく陥落した。
「皆、よくやってくれた。王国軍はこの一戦で大きな被害を受けた。諸君らの献身に皇帝陛下もきっと喜んでくれてるだろう」
ベルズーフの隊天幕に主要な将校たちが集められて戦勝会が行われていた。すでに三街道付近に王国軍の姿はなく、まだ帝国領が近いのもあって大量の補給を受けなおした帝国軍は陥落せしめたザントン要塞とその近郊に陣を張って交代で休息をとっていた。
喜ぶ将校たちとは打って変わってゼフォルは冷めた目でこの光景を眺めていた。特にベルズーフをである。
なにが献身だ。この場にいる将校たち全員たいして全力を尽くしたというわけではないだろう。このゼフォルを含めてだ。確かに歴史に残る規模の大兵力による決戦だった。しかしその内容は35万対10万という兵力差三倍越えの一方的な戦いでしかなかった。特に上座で座っているベルズーフなんて全力など一つも出さしてないはずだ。ゼフォルを超える彼がこんなワンサイドゲームで力を出し切ったわけがない。そしてこの戦況を作ったのが彼なのだ。
「いまだ王国に勝利しきったわけではない。それでもまずこの歴史的勝利を祝おうではないか。乾杯!」
そう言ってベルズーフの音頭で戦勝会が始まる。机の上には戦場では本来食せないだろう馳走が並んでいた。掲げられたグラスに注がれたワインもなかなかに質の良いものだ。この並べられた食品一つ一つが帝国の懐事情の豊かさを現していた。
ゼフォルは内心の苛立ちを納めるように一気にグラスの中身を飲み干した。叶うなら何杯でも飲み干したかったが、儀礼的に一杯だけ用意されただけであって、いまだ陣中であるのだ。
「して諸君、我らはついに王都へと進軍を開始する。進軍前は三つの街道に分かれている。バルグリフ陛下のご下命は王国の完全制圧である。よって私の軍とベラムト、エスメルの両大将の軍勢を三つに分けて進軍させる。王国領の完全制圧を目指すのだ」
妥当ではあるが随分と贅沢な戦略だと思った。ゼフォルの時はたったの9万しかいなかったから、最短路で中央の道だけを進撃したが、いまの35万を超える兵力ならすべての道を進軍できる。目標が王国の制圧ならばなおさらだ。王国が降伏するにしても、占領地は広いに越したことはないのだ。
「そこで我ら三人の隊をどのように進ませるか意見が聞きたい、何か意見のあるものはいるだろうか?」
「エスメル大将の軍に中央を任せるべきです」
ベルズーフから意見を求められてゼフォルはいの一番に声をあげてしまった。
「ほう?それはなぜだ?」
「中央の道はかつてオドール閣下が進軍路に使った道です。その地図はいまだに頭の中に残っております。私が道案内すれば、効率よく進軍ができるでしょう」
それもあるが本音は別のところにあった。ゼフォルはこの三つの道についてある程度調べていたが、間違いなく中央が最短ルートで進むことができる。即ちエスメルに王都陥落という功績を与えることができるのだ。
「いや、我らが、中央の道を進むのは反対です」
「クレッチマー将軍⁉何を……」
「ゼフォル大佐が所属しているからこそです。かつての大佐……いや東部方面軍は王国のアルガンという都市で兵糧攻めを行いました。そんな土地に作戦を行った大佐がいるとわかれば王国軍は再び同じことをやられるのではないかと思い、決死の抵抗をしてくるはずです」
「アルガンは商業都市です。いざというときは力攻めをすれば問題ありません」
「ここまで帝国軍が優位な今、無駄な犠牲をこれ以上出す必要はないでしょう」
「ならばなおさら、地の利を知る私が中央に向かうべきです。地の利を知っている以上無用な損害を出さず進軍ができます」
「これは異なことを。アルガンを攻撃するといったのはほかならぬゼフォル殿ではないですか」
「っつ⁉」
なぜ、邪魔をしてくるのかそう疑問に思いつつもゼフォルはクレッチマーに反論した。しかし喋っている内容は彼の方に利があった。ゼフォルはこの戦勝会の場で苦虫をつぶしたような顔をしていた。
「二人とも少し熱くなりすぎよ。しかし戦後統治を考えればクレッチマーの案が正しいと思うわ……ベルズーフ元帥、中央の街道は王都まで一直線につながる重要な街道です。おそらく王国軍も最も守りを固めているでしょう……失礼ながら中央の街道は最も戦力に勝るベルズーフ元帥の軍勢を当て、私とベラムト大将がそれぞれ北か南の担当をすべきです」
「ふむ……ほかの諸将はどう思うだろうか」
「王国軍の戦力は弱小なれど、いまだ中央の道は守りを固めているはずです」
「確かに、ベルズーフ元帥の精鋭をぶつけたほうが良い」
「それに、ゼフォル大佐は一度負けているではないか、二度同じ過ちを……ひぃっ⁉」
エスメルの言葉に会わせて、ベルズーフが他の諸将に意見を求める。すると上がってくる意見のほとんどがベルズーフが中央に行くことに賛成だった。
妥当な話なのは分かっている。ゼフォルだって馬鹿ではない。最も敵の防御の厚いところに最も有力な戦力を当てる。誰だってわかる普通の事だった。
だから諸将らもその考えを支持している。
だがそれでもベルズーフに傅く取り巻き風情がとしか思えなかった。特に最後、自分が負けたことを口にした将軍を思い切りの殺意を載せた目線でにらみつける。階級も年齢も上だが知ったことではない。能力ではこちらが上なのだ。戦勝会で油断しきったのかその将軍はゼフォルの殺気を浴びて怯え切っていた。
「だとしてもです!エスメル閣下の東部方面軍は王国と戦い続けた精鋭中の精鋭!いくら王国軍が守りを固めようと敗残兵の集まりにすぎません!私とエスメル閣下なら一月、いや二週間で王都を落として見せます」
多くの諸将に反対されても、ゼフォルは納得しなかった。もはやこの戦いに負けた王国にいかほどの兵力が残っているというのか、どの道をどの軍勢が通っても全ての道で帝国は勝利するだろう。なんならここでベルズーフもベラムトの軍も帰ったとしてもエスメルの軍だけで王国を落とすことだってできる。
もちろんこんな考え、たらればでしかないのは分かっているのだ。しかしゼフォルはほかならぬエスメルに王都を落としてほしかった。
エスメルの、ひいては自分の功績を立てたいという欲望あるのは否定しない。しかしもう一つどうしても叶えたい思いがあった。かつてエスメルは王国軍に故郷であるヴァン・ウィルベートを襲撃された。仲はともかく父親や一族を殺されたのだ。ならその代償に王国から王都でも奪わないと割に合わない。
「ゼフォル大佐、貴官の能力の高さは理解しているし、意見にも一理ある。しかし王都攻略には戦術的だけではなく政治的な問題もある。その辺を全てクリアできるのはベルズーフ元帥しかいないだろう」
見かねたのかベラムト大将が宥めてくる。長年の経験が生きる論理的な説得だった。
「そう……ですね……差し出がましい真似を致しました……」
ようやく自分が大佐という範疇外を超えた発言をしているのに気が付く。納得したわけではない。これ以上はエスメルの名誉が傷つくからやめたのだ。
結局帝国軍の方針はベルズーフが中央の道、ベラムトが北、エスメルが南という風に落ち着いた。