「今……のは……」
閃光と土煙が晴れてようやくゼフォルは周囲を確認した。今の一撃は見た目と音こそ派手だが、威力はほとんどなかった。それだけでどれだけ練度の高い一撃かがわかってしまう。そしてゼフォルがこの紫の魔力を見間違えるはずはない。
「随分、物騒な休憩ねゼフォル」
「……お嬢様」
そこには漆黒の鎧に豪奢な大将のコートをまとい、煌めく銀髪をたなびかせたエスメルがいた。この場一番の貴種であるハルディンがお忍び用の装備をしているのもあって、彼女こそこの場で最も豪奢な装いをしていたのである。
「ロッソ王国のハルディン王子ですね。お初にお目にかかります。エスメル・ウィルベートです」
「貴様が、当代のウィルベート当主か……あぁそうだ。私がロッソ王国第二王子ハルディン・ルクレツィア・ロッソである」
「申し訳ありません。わが方の不手際で王子を危険な目に合わせました」
「不手際ということは私はここを通っていいのだな?」
「もちろんです。ベルズーフ元帥とユースクリフ殿下によろしくお伝えしてください」
「すまん……」
そう言ってハルディンがエスメルに礼を言って去っていく。思わずゼフォルが追おうとするがそれはできなかった。エスメルの大斧がその行く手を塞いでいたからだ。
「どこへ行くの?」
「お嬢様こそ、敵の首魁を逃してどういうつもりですか?あれの首は値千金の価値があります」
素面を気取っているようでゼフォルは内心困惑しっぱなしだった。なぜエスメルがここにいるのだ。なにも伝えていないというのに。
「そもそもなぜお嬢様がここにいるのです」
「貴女の様子がおかしかったからよ、いくら私が大好きな貴女でも陣中でお嬢様って言うのはほとんどないもの」
「う⁉」
「もう一度聞くけどこへ行こうとしているの?もう王国は降伏へ舵を切り始めている。いまさらハルディン王子の首に価値はないわ」
「帝国にとってはそうでしょう。しかしウィルベート家には意味があります」
「それもないわ」
「なぜですか⁉先代の仇をとりウィルベート家の栄光を作り上げるのはお嬢様しかいません!今からでも遅くはありません!ハルディンの首を獲るのです!」
「ウィルベート家の栄光はもう十二分よ。貴女にはまだ言っていなかったわね、私の戦後の役職はもう決まっているわ」
「それは何なのですか!」
「東征大将軍」
「ピエールの……しかしその役職に実権はあるのですか?」
東征大将軍、歴史に精通するゼフォルは知っている役職だった。かつて帝国東部の守りを担ったエスメルの先祖であるピエールだけが任じられた古い役職だ。
しかしそれは当時帝国東部の守りの全てを担っていたピエールを称えるためだけの役職で、彼の権力ありきのものだ。
もしエスメルにピエール並みの軍権と行政権があたえられるなら良い。しかしこれから平和になるのに絶大な権力を皇室がエスメルに与えるはずもなかった。希望薄ながらもゼフォルはエスメルに事実を確認した。
「薄々気が付いているでしょう?実権なんてありやしないわ。ただの名誉職よ」
「それでお嬢様は良いのですか⁉」
「いいわよ」
「いいはずがありません!なんでその程度で納得できるのですか⁉︎お嬢様は素晴らしい才能をお持ちです!至らずとも私はどこまででもついて行きます!私とお嬢様ならベルズーフだって超えることができるはずです!」
「私はウィルベート家を復活させたのよ!偉大な先祖であるピエールと並び立った!これ以上何を求めよというの?」
「二十にもならない小娘が老人みたいなことを言わないでください!お嬢様はいくらでも伸びる可能性がある!所詮凡百ばかりの此の世に、強く賢く美しく生まれたのならば!頂を目指すべきなのです!それが強者の義務なのですから!」
「真の強者はいたずらに世を乱すべきではない!引き際を心得て役割を終えたら退く勇気があるものをいうのよ!」
「いいえ!違います!それは凡人の発想です!そうやって譲って引いた者を褒めたたえるのは強者の激突に巻き込まれたくないからです!そんな妄言をほざく連中が歴史で名を上げられますか⁉いいえ、けっして上げられません!我々は大衆に迎合せず思うが儘にふるまえばいいのです!」
売り言葉に買い言葉だ、しかしどれもゼフォルの本心だった。ゼフォルの失敗はいつも能無しに足を引っ張られていたからだった。確かに自分は高慢で独善的だ。
だが言っていることに間違いはなくそれに従えば上手くいくのに、それを下らぬ見栄やプライドで聞かない連中がいくらでもいるのだ。
力を振るえばまず犠牲になるのはそういった弱い連中だ。だが奴らの為に己の力を振るうのに遠慮するつもりは一切なかった。
もちろん他者から見れば身勝手な道徳観のかけらもない価値観だ。けど少なくともエスメルには解ってほしかった。だって彼女はゼフォルより優秀なのだから。
「成程……それが貴女の価値観。いや、夢といってもいい。そういうことね」
「えぇ……そうです」
「意外と優しいのね」
「……は?」
ゼフォルは先ほどの熱意はどこへやらエスメルの以外すぎる発言に遮られた。優しいとは誰の事だ。ゼフォルの事だとでもいうのか。そんなはずがない。少なくとも目の前のエスメルの方が百倍優しいはずだ。
「どういうことですかお嬢様……突拍子のないことを言って動揺を誘うつもりですか?」
そうとしか考えられなかった。きっとエスメルは変なことを言ってこちらの動揺を誘い、時間を稼いでいるのだ。しかしその手は通じない。いまさらハルディンなどどうでもいい。エスメルさえその気にさせればどうとでもなるからだ。
しかしゼフォルの本心を全てさらけ出したのにこういう扱いをされるのはとても傷ついた。
「いいえ違うわ。貴女にはそれなりの優しさがあるわよ」
「私のどこが優しいというのですか⁉馬鹿にしているのですか!」
ゼフォルはエスメルのことを信用できなくなっていた。よりによって自分が優しい?そんなはずがない。これが嘘じゃないならどれだけ節穴なのだ。今ゼフォルはエスメルに自分の夢が受け入れられるどうこうではなく、嘘をつかれたのが悲しかった。
「馬鹿になんてしてないわ。今のが貴女の夢でしょう?」
「……そうです」
「なら私の答えは変わらないわ。だって……どんなに取り繕っても全部私のためでしょう?自分の力も夢も全て人にたくせる人間を優しい以外の言葉でどう表せばいいの?」
「それは……!お嬢様だからこそ!全てを託せるのです!」
「そんな私はもっと自分本位よ」
「お嬢様のどこが自分本位だというのですか⁉」
いよいよ訳が分からなくなってきた。どんな複雑な戦術でも読み解くゼフォルの頭脳が完全にショートしている。エスメルはとても優しい。それはゼフォルにだけではない。常に帝国の民の事を考えているし、クレッチマーやアルセリアとも友好的に接している。それだけでなく社交界や帝室にも顔が利く。万民に愛される少女なのだ。自分本位という言葉からかけ離れた存在だ。
「あなただけ語っちゃ不公平よ。私にもしゃべらせなさい。ここからが私の本心よ」
「……はい」
「まずだけどね。私は帝国大将、そして貴女はその部下よ。部下の手前軽率な発言はできないわ。だからいい子ぶったけど、私だって凡百がどうなろうとどうでもいいわ」
「は?」
「そして強者がどんな行動しようがどうでもいい。ベルズーフ元帥が反乱を起こそうが、バルグリフ陛下がくたばって国が割れようが、貴女がこの大陸の全てを滅ぼそうが正直言ってどうでもいいのよ。……私の邪魔さえしなければ」
「う……えぇ?」
いよいよエスメルが分からなくなってしまった。ずっと幼少期から面倒を見ているのに、エルシアですらろくに接触出来なかったのだから、彼女を一番知っているのはこのゼフォルなのだ。それなのに何もわからなくなってしまった。
そしてゼフォルと同じように己の全てを語るエスメルから凄まじい気迫が立ち上る。
「私が帝国大将になったのも、公爵家当主になったのも、東部方面軍総司令官になったのも東征大将軍になる予定なのもゼフォル、全て貴女の為よ。じゃなければこんな面倒なことやらないわ。私の夢は貴女と一緒にいること。それだけよ」
「わ、私と……ですか?」
「ええそうよ。私は貴女の主人であることだけが誇りだった。貴女さえ仕えてくれれば何もいらなかった。けれど、ただ公爵家の不義の子であるだけではゼフォルという傑物を繋ぎとめるには足りない。だから公爵家の他の血族を蹴落として公爵家当主になった。だから南部小国家群と王国を血祭りにあげて大将にまでなった」
「う、嘘です!それは公爵家当主としてふさわしくあるために」
「貴女のために公爵家当主としてふさわしくあろうと思ったのよ」
「な、何で私なんかの為に……」
「私のゼフォルになんかなんて言わないで、貴女でも許さないわよ。そんなに不思議なことかしら?貴女の頭脳でもわからない?」
わからない、わかってたまるものか。公爵家当主も、帝国軍大将も、貴族の頂点、軍人の頂点だ。その片割れすら極められなかったゼフォルにそれらに類する価値があるとでもいうのか。
「大方貴女は生まれたころから強く、賢く、美しかったのでしょう。だからそれらが根源だった。そうでしょう?」
「えぇ……そうです」
「私はそうではなかったわ。公爵家と言えど不義の子、片隅の離宮でそこらの使用人よりひどい扱いを受けていた。力も今よりはるかに弱かった。けれどそんな私には立派なメイドがいたわ」
「そ、そのメイドは……」
「そう。ゼフォルよ。私は生まれてから何も誇るものがなかった。けど貴女が仕えてくれてようやく誇れるものができた。それを自分の思想の柱石にして何かおかしいかしら?」
おかしいなんて言えるはずがなかった。まだ頭は混乱している。けれど嬉しかった。エスメルはゼフォルをこんなにも思ってくれるのだった。こんなに性根がねじ曲がっている醜い怪物を軍に入って大将になってまで追ってきてくれたのだ。
頭がどうにかなりそうだった。ゼフォルの夢は王国の大軍も軍事法廷でベルズーフを相手にしても折れなかったのに、いまやエスメル一人が喋っているだけで大きくひびをつけられていた。
エスメルのためなら折ってもいい気がしていた。
「おかしくなどありません……それでお嬢様はそれを果たすのにどうしたいのですか?不出来な私に教えてください。今は頭の中が上手く回らないのです」
そう言いつつも、一つだけ今のゼフォルにも分かることがあった。今のエスメルとゼフォルは相いれない思いを互いに抱いている。故にどちらかが折れなければならなかった。
「ええ、もちろん。私は東征大将軍の名誉職をもらって、あの離宮を豪華に改装して優雅に暮らすわ。けど身の回りのお世話をしてくれる使用人の当てがないの。どうせなら勝手知ったる元専属メイドがいいわ。貴女は?」
「私は敬愛する上司に今すぐハルディンを討ち取り、王都になだれ込んで大功をあげてほしいです。そして戦後はその能力にあった役職に就いて、帝国の実権を握り、ゆくゆくはその身に流れる血をつかって帝位についてほしいです」
「それは素敵な夢だわ!私の命なら全てかけてもいいくらい!けどやっぱり駄目ね。私の大切なメイドの命はかけられないわ」
「私だって帝位にいたれるその玉体を、あの離宮なんかにうずもれさせるわけにはいかないのですよ……!」
気が付けばまるで談笑するような雰囲気でエスメルと会話していた。だからだろうか、ゼフォルが無意識に避けていた禁忌の言葉も口に出ていた。
ゼフォルとて帝国に忠誠心はあるし、バルグリフ陛下は優秀な君主だと忠誠を誓っている。エスメルの出世も彼の治世下のおかげだ。
しかしこうしてエスメルにどれだけ思われているかをわかってしまったからこそ、その一線は脆くも簡単に壊れてしまった。
エスメルはやはり皇帝になるべきだ。この時代の覇者として君臨するべきだ。それがエスメルへの忠誠と愛なのだ。
残ったプライドと矜持をかき集めてエスメルをまっすぐ見つめる。ひび割れてもゼフォルの夢は折れていないのだから。
「本当に困ったわ……貴女とこんなに意見を違えたのは本当に久しぶり、貴女が持ってきたおやつの最後の一個を取り合ったとき以来よ」
「あれは私が持ってきたのだから当然です」
「あのねぇ、当時子供だった私に大人げないと思わなかったの?」
「どちらにせよもうお嬢様は大人です」
「そうね……じゃあ、あの時のように決めましょう」
そういうとエスメルは大斧を構えた。その意図は一瞬で分かった。
昔から、エスメルに剣を教えたときからやっていることだった。当然ゼフォルは一度も負けたことがない。そのため、掛けたおやつも総取りしていた。最もエスメルが可哀想だったので結局半分に分けていたが、今回ばかりは半分こできるものではない。雌雄を決さなければいけなかった。
「私が負けたことありましたか?」
「だからこそ挑むのよ。私は貴女のように強くなった」
あの離宮にいたときよりも、ゼフォルは強くなった。二年に及ぶ実戦経験がさらなる力を与えていたのだ。今ならゴルガマスも一人で相手できるだろう。
だが、今のゼフォルをもってしても間違いなく目の前の相手は難敵だった。
「一騎打ちよ。ゼフォル」
エスメルのその言葉と共にゼフォルも曲剣を抜いていた。