「よく休めたかしら?」
久方ぶりの休日の次の日、ゼフォルは公爵当主の執務室に足を運んだ。
入室早々満面の笑みでニッコリと笑うエスメルを前に身構えてたとはいえギョッとした。どう考えても飲みすぎての寝坊した件のことである。
「ハイ……おかげさまで元気いっぱいです」
「いろいろ言いたいことはあるけど、今後はあなたも休みを取りなさい、私ばかり休んでいたのもわるかったもの」
まだ若すぎると言っていいエスメルにはたくさん休憩と睡眠をとってほしかったのと、交代できるような人材がなく、ここのところゼフォルは軍務に出ずっぱりであったが、今回の件は裏目だった。今後は口惜しいがエスメルの協力が不可欠となるだろう。
「それより……今後のことを考えると指揮官が私とあなただけだと心もとないわね」
「それはしょうがないでしょう、私なんかただのメイドですし、お嬢様はおつきの家臣など一人も与えてもらってません、そんな高度な教育を受けた人材なんていませんよ」
形の良い眉をへの字にして悩むエルシアにゼフォルは答えた。
ゼフォルも軍隊の指揮権を手に入れてから優秀な人材を探してはいたが、これといった人材はいなかった。まともな士官は戦争で死んでいるか、逃げ出していたからだ。まぁ逃げ出したやつなど数合わせにもならないだろうが。
「いっそエルシアでも登用してみる?明らかに過去に何かやってたわよ」
「メイド長は能力は素晴らしいですが、軍を率いるような器ではないですね。あの人は密偵とかで一人で仕事してたほうが良いです」
もちろんあのエルシアも指揮官に起用するのはゼフォルも考えた、完璧で能力も優秀だが、軍事的な教育はほとんどゼロだし、どうにもワンマンな気質がある。なまじ本人のスペックが高く無意識にそれを周りに要求するタイプなのがよく怒られていたゼフォルにはわかっていた。万一兵を率いさせたら気が付いたらエルシア以外全滅して戦ってそうだ。
「まぁないものねだりはしょうがないわね。今あるもので何とかしましょう」
そうエスメルが話に区切りをつけ机の上に目を向けるとそこには地図やコマなどの盤面が広がっていた。
「まぁそのメイド長のおかげで現在の戦況もよくわかっています」
籠城戦時から密偵活動を続けていたエルシアの情報をもとにゼフォルは指さす。帝国中央の地図上にたくさんの赤いコマと青いコマが立ち並んでいた。
現在ロッソ王国軍の進撃は停滞していた。ゼフォルの希望的観測でしかなった予想と同じように進み、イスペリア帝国は東部を見捨てたのが功を奏したのか帝国中央ギリギリのところで何とかその進撃を押しとどめ、膠着状態へとなっていた
「私の行いがよかったみたいでロッソ王国軍は帝国中央への道をいまだ突破できずにいます」
「絶対あなたの行いのせいではないと思うけど……帝国が滅びなくてよかったわ」
そうエスメルが胸をなでおろした、ゼフォルも勝ち目の高いかけではあったがこの結果にはほっとした。帝国が負ければこれまでの自分たちの勝利もすべて水の泡になるからである。
「中央の帝国軍は誰が率いているの?」
「第二皇子のバルグリフ=エスカロン=イスペリア様です」
「どんなお方だが知ってる?」
「もちろん知っていますとも」
そう胸を張るゼフォルだが実はエルシアにあらかじめ聞いておいた。就職先が大貴族様とはいえ地方の元メイドが第二皇子のことなど事細かに知っているはずもない。
「性格はよく、評判は良いですが第一皇子のフェリクス皇子と比べれば目立たない方らしいですね。しかしどうも皇帝陛下からは政治の考えの違いで気に入られていないらしく後継者も第一皇子だといわれていたみたいです。しかし今回の戦争で病に伏した皇帝陛下の代わりに軍を率いたそうです」
簡潔にまとめてゼフォルが報告するが、エルシアからの情報の濃さはには驚かされた。大貴族のもとでメイド長を務めていただけある。中央によく行っていたのは知っていたが、しっかりと必要な情報を持ってきていた。
「待ちなさい、皇帝陛下はご病気なの?それにフェリクス皇子はどうしたのよ」
「陛下はいわゆる敗戦の心労でといった感じですね。フェリクス皇子ですがその……西部の軍をまとめるといって帝都から離れたようで……」
「……世の中どこも似たようなものね」
「戦争で暴かなくてよい本性を暴かれたということでしょう。フェリクス皇子はもとは家臣からの評判もよく戦争がなければ名声も落ちなかったでしょう。逆にバルグリフ皇子はこのように注目を集めることもありませんでした。そしてそれは私たちもです」
「すごい迷惑ね、ウィルベート家の比じゃないわ」
エスメルの言う通り迷惑極まりなかった。皇帝が心労で倒れた今、後継者である皇太子を立てる必要がある。平時ならフェリクス皇子がすんなりその座に収まっただろうが、今回の件で国難に逃げた長男、立ち向かった次男という構図ができ上がってしまった。確実に皇太子の座は荒れるだろう
「……まぁ不穏な予測はおいておきましょう、まずは我々が何をするべきかです」
しかし今王国に侵攻されているこの国難に国が割れる可能性はほぼ0だろう、そんなことをすれば喜ぶのは王国なのだ。未来はわからないが。
ゼフォルは彼方の跡目争いを思考の端に追いやった。
「出陣……するのね」
「それが一番かと」
そう言って盤面上の駒の大軍から離れたところにゼフォルは新しく青いコマを置いた。ゼフォルたちの軍はこの拮抗状態のジョーカー足りえるだろう。なにせにらみ合う大軍の後背を完璧に突ける位置にあるからだ。
そう駒を動かして見せるもエスメルの顔はすぐれなかった。
「ねぇ……ゼフォル?ここでこのまま敵の補給路を断つというのもありだと思うけど」
「不確実です。聞けばバルグリフ皇子の軍勢は6万ほど、補給を断てども10万のロッソ王国軍が破れかぶれの突進を行えば帝都陥落もあり得ます」
「フェリクス皇子が援軍を連れてくる可能性もあるわ」
「西部諸侯はこの戦争にほぼ無関心でした、動員が間に合わないでしょう」
ゼフォルも逃亡した連中に迷惑をかけられたので、同じように逃げ出したフェリクス皇子を信頼できなかった。だがいくら何でもエスメルの前で皇族批判はできないので西武貴族たちと濁した。それにしても今日のエスメルは少し様子がおかしかった。どこか無理を、いやなにかを偽っているような雰囲気がある、ジョナス将軍を打ち取った時の鋭さがない、いつものエスメルならすぐに理解してくれただろう。
「お嬢様?本日はお加減でも……」
「はぁ……駄目ね、間違ったことをあなたに押し通せる気がしないわ」
様子を伺うゼフォルにエスメルは頭を抱えてため息をついた。
「ごめんなさいゼフォル、私もあなたの案が正しいと思うわ。けど少し甘えた考えが出たわ、余裕が出たせいでね」
「何故でしょうか?」
「もう私が処刑されることってないでしょう」
「まぁ、ないでしょうね」
エスメルの言うことは真実である。いかにウィルベート家の罪が重くとも、エスメルが処刑されることはない。むしろヴァン・ウィルベート防衛成功でおつりがくるだろう。このまま城にこもっていたって罪には問われない。
「そしてあなたも出世したわ。無理にロッソ王国軍10万に突っ込む必要はないじゃない……」
そう言われてゼフォルはエスメルの言わんとしていることに察しがついた。あの時馬車の前での誓いは果たされていた、エスメルの命もゼフォルの将軍位も確実なのだ。
「しかし、王国はいまだ帝国を脅かしています」
「ここまで戦ってもらって卑怯だと思うわ、けどね、私もあなたもただの不義の子とメイドだったじゃない。これ以上戦う必要はないと思うの」
ここまで言われてゼフォルは己の察しの悪さにようやく気が付いた。最初は急に消極的な案を出すと思ったが、なんてことはなかったエスメルはゼフォルの身を案じていてくれるのだ。
「お嬢様……ご心配はありがたいです。しかしあなたは私を高く見積もっていらっしゃる」
エスメルの心遣いはありがたかった。こんな適当に仕事をしていただけのメイドをこうも気にかけてくれるとは。
「私は平和に食っているだけでは満足できない人間なだけなのです。戦争が起こっているのならば、首を突っ込み功績をあげたい、そんな人種なのです」
メイド時代に退屈な日々を過ごしていたその心情をゼフォルは吐露するが、これ以上エスメルを巻き込む気もなかった。確かにまだ子供なのに魔法に優れ戦略眼にも優れたエスメルには戦争の才能がある。しかしもともと離宮で隔離されているだけのお嬢様だった。頼まれたとはいえここまで出世させてもらった時点で大きな恩があるし、それにこれ以上彼女を危険な目に合わせるのはエルシアにも悪い
「ただこれまでの功績を評価していただけるのであれば3千だけいただきたいです。残った4千とメイド長がいれば何があってもお嬢様なら対処できます」
「いえ、それは許可しないわ」
最低限の兵力を求めるゼフォルだがエスメルに断られてしまった。いくらゼフォルが強くて指揮に優れても、兵もなしに帝国中央に行っても何しに来たのだと思われるのがオチなので、急いでエスメルを説得するために脳を猛回転させた。
「私も行くわよ」
「ちょっと待ってください、いまお嬢様を説得させる言葉を考えているので」
「私も行くって言っているの!」
「え?」
思考に集中するゼフォルだがエスメルの大声に中断させた。エスメルも出陣すると聞こえた気がした。
「言ったでしょ!間違ったことを押し通しているって、ここで王国軍の背後を突くのが正しいとわかっているわ!それにここまでよくやったあなたを見捨てることなんてしないわ!」
戦場の時のように勇ましくエスメルはゼフォルに宣言しつつ、盤面の青いコマを増やした。
「けれどね、何度も言っているけどもう私たちは目標を達成しているわ、だから無理はしないで、死んだら許さないんだから」
「お嬢様……ありがとうございます」
ゼフォルはエスメルの宣言に感動していた、エスメルの気遣いが嬉しかった。
「それに、貴女は私がいないと調子に乗って死んじゃいそうだしね」
「お、お嬢様……今凄い感動してたんですよ、これじゃ感動の涙じゃなくて普通に泣いちゃいます」
「寝坊!」
「すみませんでした」
あの日のやらかしで分が悪い、エスメルも出兵に賛成でよかったと思うゼフォルであった。とっとと戦功を立てて寝坊を帳消しにせねばと真面目に盤面上で戦略を練り始めた。
「ならば私とお嬢様で兵は5千で出撃しましょう。メイド長からの情報でロッソ王国本国からのさらなる大規模派兵の動きはまだないそうです。今なら留守の兵2千と適当な士官を当てればヴァン・ウィルベートを空にできます」
「それでも5千……これで王国軍の本体とやりあうのね」
そう形の良い眉をゆがませ頭を抱えるエスメル、しかしゼフォルには秘策があった。
「大丈夫です、お嬢様」
「……相変わらずなんかあるのね」
「えぇもちろん、我に策ありです」
そう挽回のためゼフォルはにやりと笑った。