「ば……かな……」
勝ちを確信し、目を開いたゼフォルだが、そこには全く予想だにしていない光景が広がっていた。
ゼフォルの曲剣は振りぬいて未だ半ばだ。エスメルとはまだ距離があった。
一方で、エスメルの大斧でも魔術の刃でもない、この戦いでは抜かれなかった腰に帯びていた公爵家の宝剣、それがきらりとまばゆい輝きを帯びながら、ゼフォルの首元に充てられていたのだ。
皮肉にもそれはまるでエスメルがゼフォルを将軍に任じたときの鏡写しのようだった。
呆然とするゼフォルだが、その脳内は無情に敗因を考えていた。エスメルは大斧を振り下ろす半ばで手を放し、腰の剣に手を伸ばしたのだ。勢いよく自由落下する大斧をゼフォルは思い切り踏みつけにしただけだった。
目をつむらなければすぐに気が付けたことだった。ゼフォルの経験や才能は何も裏切っていない。視覚がない中でよくやってくれていた。すべては己の心を守るために視覚という情報をシャットアウトしたせいだ。
「私の……勝ちね」
そうエスメルに宣言されていよいよ実感がゼフォルを襲った。振りぬくはずだった曲剣はカランと地面に取り落とし、そのまま膝をついてしまった。
「なぜ……魔術の刃ではなく腰の剣を抜いたのですか?」
「わからないわ……けど貴女の特大の隙をついたとき思わず抜いていたのがこっちだったというだけよ」
「……そうですか」
悔し紛れのようにエスメルの勝因を分析してしまう。無手になったのならなったで魔術の刃の方が速かったはずだ。しかし抜いたのは腰の剣だった。ゼフォルがずっと昔から教え込んだ基本の剣の方だったのだ。おそらく、新しい技ではなく経験をとったのだろう。
それは嬉しい。どうせならエスメルの独学のものより、自分が教え込んだ剣で負ける。悪くない気分だった。
しかしそれはそれ、これはこれである。彼女の勝因を分析してしまったからか、急速に敗北という現実がゼフォルの目の前に降りてきた。
「私が負けた……負けたというのですか……⁉」
「貴女が変に思い煩ったり目をつむったりしなきゃ勝てなかったし、それでも10やれば8は負けていたわ」
「今ここで!勝たなきゃ意味がないじゃないですか⁉︎」
そうだ、ここで勝たなかったら意味がない。ゼフォルはいつもエスメルに百戦すれば百勝していた。彼女が軍人になってメキメキと力をつけたのはよく知っている。しかしそれを込みでもまだ自分の方が上だという自覚もあった。
エスメルの才能は凄まじい、ゆくゆくは抜かれる覚悟もしていたし、その時を密かに楽しみにしていたが、まさかこんな肝心なときに彼女との戦いを落とすことになろうとは思わなかった。
「……そりゃ私だってもう死ぬ気で頑張ったからよ。とにかく今回の戦いは――」
「うぐっ……ひぐっ……うわぁぁぁぁん‼」
「ええっ⁉︎」
ついにゼフォルの鉄面皮は完全に崩壊した。かつて王国軍に負けてエスメルに助けられたときもぐずったが、決定的な感情の崩壊は起こさなかった。
ゼフォルが泣くことなんてほとんどない。痛みも屈辱も大体が怒りに変換されるからだ。
しかし今回ばかりは溢れ出す感情を我慢できない。エスメルの眼前であるというにも関わらず、溢れる涙を堰き止めるように顔を抑え、わんわん泣いてしまった。
ゼフォルのあんまりな醜態が予想外だったのかエスメルは驚愕している。
「ちょっ……泣くことはなくない⁉せっかく勝ったのに私が悪いみたいじゃない⁉」
「だって……だって……!戦いに負けた私に何が残るというんですか⁉あと少しで私を軍で負かしたハルディンを討ち取れるはずだったのに、あろうことか剣の腕でお嬢様に負けてしまった⁉」
「何よ!そこは私の腕が上達したのを褒めてくれればいいじゃない!いっつもお嬢様なら私なんか超えられますよって言ってくれたじゃない!」
「言いましたけど本当に超えられたら困ります!しかもこんな今日に限って!」
「じゃあいつならいいのよ!」
エスメルの問い詰めるが、結局ゼフォルはいつエスメルに追い抜かれても心穏やかにいられなかっただろう。
超えるのが楽しみだと思っていたのもこちらが上だという余裕と強がりでしかなかった。
「いつでも駄目です!お嬢様は家柄も血筋も特別です!それに見合った戦略や政治の知識も備えてる!もう私には戦いで勝つことしか貢献する手段が残ってないんです!それなのに、戦も終わって剣でも負けたら、私はもういらないじゃないですか⁉」
「誰がいらないって言ったのよ!さっきまでの私の話聞いてた?貴女が欲しいからここまで頑張っていたのよ!その辺りについてはなんか思うところないの⁉」
そうエスメルは嘘は許さんと言わんばかりの顔で迫ってきた。もちろん思うところなどありまくりだ。けどそんなに顔を近づけないでほしかった。いまのゼフォルは非常に涙腺が弱っているのだ。
「うぐ……ひぇっぐ……」
「だからもう泣かないでよ!私が悪いみたいじゃない⁉あーもうしょうがないわね!」
小一時間が経ってゼフォルはようやく落ち着いてきていた。それでも未だ心得休まらないといった様子で膝を抱えて座り込んでいる。その横にはエスメルが自然体で座っていた。
「少しは落ち着いた?」
「……はい」
「本当に?顔が真っ赤よ」
「そこは気にしなくていいです」
落ち着いたといってもゼフォルの悲しみが晴れたわけではない。しかしそろそろ悲しみの感情より羞恥心の方が勝ってきたのだ。なにせここまでの時間、エスメルがつきっきりでゼフォルを慰めていた。決して嫌ではなかったが、頭まで撫でられてしまった。姉替わりとしてのプライドがズタズタだったのだ。
「ともかく、いい加減吐いてもらうわよ。私の考えをどう思っていたの」
「……そりゃもちろんうれしかったですよ。私が勝利と栄光を渇望しているのとおなじくらいお嬢様は私の事を思ってくれてるのでしょう?」
「ま、まぁそうだけど……なんで撫でられて顔を真っ赤にするのにこういうことは臆面もなく言えるのよ。で?それをわかっていて何でいうこと聞いてくれないの?」
「それはお嬢様が私のことを大事に思ってくれているからですよ」
「あいかわらずわからんことばかり言うわね。詳しく説明なさい」
「私はお嬢さまを絶対に裏切りません、そしてお嬢様も絶対に私を裏切らないでしょう?いまは反目していますが、所詮は意見の食い違いをしているだけです」
「確かにそうね」
「この何が起きるかわからない乱世で絶対に裏切らない関係なんですよ。私とお嬢様がですよ?こうなったら二人で行けるところまでいかなければ勿体ないでしょう?」
ゼフォル一人ならある程度のところで妥協している。しかしこの広い世界でこれだけ仲の良く能力に優れた二人は出会ってしまったのだ。こうなったらいけるところまで、それこそこの大陸の覇者くらい狙わなければ勿体ない。
「勿体ないって……本当にそんな理由で戦争を続けようと思ったの?」
「そんなとか言わないでください。お嬢様と私、不義の子とメイド、この組み合わせで二人とも一騎当千の英雄で大の仲良しなんて偶然が起こりうると思いますか?私はオカルト的なことは信じない達ですが、こればかりは運命を信じますよ」
ここでゼフォルが、いやエスメルが終わってしまうなど世界の損失だ。そうとしか思えなかったのだ。だからハルディンまで殺して戦火を拡大させようとした。
「貴女の考えもわからなくはないわ。私もクレッチマーに言われて、実権のない役職に身を引いた方が良いと言われたときはなんで私が身を引かなければと思ったもの」
「成程、お嬢様に悪いことを吹き込んだのはクレッチマーですか、少々手荒な真似をしなければならないようですね」
「絶対にやめなさいよ。いい?ゼフォル、私たちはまだ若い、異例の出世をしているだけでまだまだ若造と言っていいわ。クレッチマーは彼なりに歴戦を重ねた助言をしてくれたのよ……かつて貴女がメイドの将軍を名乗ったとき、シーン・カーン将軍の逸話を出したわね。彼は最期どうなった?」
懐かしい名前が出てきたものだ。シーン・カーン将軍は遠い昔、帝国がまだ公国だったころに活躍した将軍だ。当時最強と謳われながら平民の乞食上がりだから乞食将軍と言われていた。彼の最期はよく知っていた。
「公国の敵を一通り打ち払い、高い官職を得ましたが、主君に警戒され、失政を理由に殺されました。濡れ衣だったという説もあります」
「そうよ。貴女は賢いわ。ならば歴史に学ぶべきなのよ。私たちは強い。だからこそ強者なりのふるまいをしなければならない」
「そんなこともちろん知っていましたよ」
「へ?」
そうゼフォルがあっけらかんに言うとエスメルは心底困惑したように動きを止めた。流石にゼフォルもシーン・カーンの最期はよく知っている。どれだけの歴史書を読んだと思っているのだ。彼の生きざまは評価するが、最期だけは情けない。そこを修正するべきなのだ。
「じ、じゃあ!なんでそれの後追いのような真似をするの⁉」
「後追いなんてしません!いいですかお嬢様!あの時代にシーン・カーン将軍に勝る将軍などいませんでした。彼が負けたのは疑いをかけられたとき、主君の忠誠に揺れ動き、まごついて勝機を逃したことにあります。そのまま反乱を起こしていれば今の帝室はカーン家だったでしょう!」
修正するべきはそっちだ。シーン・カーン将軍は中途半端に高位の役職を持ってしまったがゆえに殺されたが、もう最初から歯向かうくらいの気概でいればよかったのだ。幸いゼフォルにその気概は出来ている。バルグリフ陛下も良い主君だが、エスメル以上に忠誠を誓ってはいないのだ。本気でエスメルならカーン将軍を超え、反逆すら成功できると思ったのだ。
「はぁ……私でも貴女の野心は滅ぼし尽くせないってことね。一応勝ったのは私なんだけど、言うこと来てくれるの?」
「そりゃ、聞きますよ。お嬢様に負けたのは悲しいですけど、嬉しいですから」
「言っていることと同じくらい複雑な顔をしているんだけど……」
自分を打ち破ったエスメルの成長は喜ばしいと同時に、じゃあなんでその力で世界に挑まないのだ。と思ってしまうからだ。
エスメルとの約束だからもちろん守るが、エスメルの指摘通り、納得はしてなかった。
「お嬢様との約束です。守りはしますとも」
「貴女がそう言うならそうしてくれるでしょうね。けどそんなわだかまりを抱えて一緒に暮らしても楽しくないわ。だから少し説得の方法を変えさせてもらうわよ」
エスメルの指摘通りだった。このまま彼女の提案を受け入れて一緒に暮らしても、どうしてもぎこちなくなる。
だがどう変えるというのだろう。ゼフォルではここまでこじれた問題を解決する方法など思いつかないが、今のエスメルの話なら気になってしまった。
「ゼフォル、あなたの夢と私の夢に優劣はなかったわ。それどころかどこまでも上を見上げるその姿勢は私のそれより立派よ。どこまで言い訳しても私は貴女と一緒に暮らすことしか考えていないもの」
「今さら言われても……」
「貴女がどう思っても、本当にそう思っている。過程に積み重なるであろう人死にの山を度外視すればだけど、どこまでも上を突き詰めるその姿勢は尊敬されるべきだし、常人に真似出来たものではない」
またゼフォルの顔が紅潮した。まさか流れで急にこんな褒められるとは思っていなかった。つい抱えていた膝に顔を突っ伏しそうになるがあくまで真剣な表情のエスメルを無視するわけにはいかない。
「そんな貴女だから私も尊敬した。そしてここまで登ってこれた。今の私があるのはゼフォルのおかげよ」
「買いかぶりすぎですよ……」
「いいえそんなことはない。公爵家当主エスメルは、帝国大将エスメルはゼフォルの庇護のもとで守られ、育てられなければ誕生しなかった。私は貴女の事を姉のように思っている。だから特大の我儘を聞いてちょうだい」
そう言うとエスメルはゼフォルの頬を持ち上げてその瞳をまっすぐ見つめた。あの日ゼフォルが釈放されたときと同じしぐさだ。違うのはその瞳の中の感情が怒っているのではなく、本当に真摯な気持ちを伝えようとしていた。
「夢を諦めて私と生きて。鉄火事場で勝利と屍の山を築くのではなく、私のもとで茶菓子と紅茶をつくって頂戴」
「そ、それは」
「今の私は貴女以上に傲慢よ。ゼフォル・オデュッセルという稀代の豪傑を戦場に放つのではなく、あくまで専属メイドとしてとどめておこうとしているのだから……ねぇいいでしょ。私のおねだりなら大体なんでも聞いてくれたじゃない」
そう言われて、ゼフォルは過去に思いを馳せる。過去のエスメルは傲慢とは程遠い、謙虚な女の子だった。何か欲しければゼフォルがたいていの物を用意したが、あまり多くを求めなかった。ゼフォルにとってヴァン・ウィルベートは庭である。なんでも言ってくれれば盗み出せるというのに、彼女はそうしなかった。
薄々だがその理由を知っていた。エスメルはゼフォルが公爵家で悪いことをするのを嫌っていたのだ。当時の公爵家の雑魚どもごときに尻尾をつかまされる気はないが、結局昔からエスメルはゼフォルの心配をしてくれていた。
「その言い方はずるいです……」
「ずるくないもん、昔からこうだったんだから」
本当にずるかった。エスメルはゼフォルの夢を力づくで捻じ伏せる真似はせず、自分の我儘だからという体裁をとったのだ。むかしは謙虚だったのに、ずっと好きなだけ我儘を言ってくれればよかったと思っていたが、今日になって特大の物を強請ってきた。
「わかりました、このゼフォル・オデュッセル、エスメル・ウィルベートの専属メイドに復帰いたします」
居住まいを正して、軍人ではなくメイドとしての礼儀で頭を下げた。完敗だった。エスメルはゼフォルの最後のとっかかりを完全に制したのだ。
思想や夢の正面激突ならゼフォルはずっと反抗していた。いくらエスメルでもそれだけは打ち砕けないだろう。しかしそうではなくあくまでエスメル個人の我儘という形ならゼフォルは聞き入れないわけにはいかない。昔からそうして欲しかったのだから。
「本当⁉嘘じゃないわよね!」
「本当です」
「ありがとう!ゼフォル!とても嬉しい!」
そういって抱き着いてくるエスメルにゼフォルも抱擁で返した。大きく立派になったが、甘えたがりなのは変わらないらしい。最もそれはゼフォルも同じだった。
急速にゼフォルが広げていた今後の戦術やら戦後の立ち回りの考えが消えていく。残ったのはエスメルとゆっくり暮らす、あの離宮での光景だった。
ついにゼフォルはその光景を心の底から悪くないと思えた。