ハルディンの暗殺計画も失敗し、ゼフォルはエスメルと共に自陣に帰還した。当たり前だが帰るとひと悶着あった。なにせ軍の総司令官と参謀長がボロボロで帰ってきたからだ。
講和の機運が高まっている以上王国軍を悪く言えないので、適当にクマに襲われたと言っておいたが、それはそれでこの二人をここまで追い詰めるクマは何なんだと騒ぎになった。
そんなハプニングはありつつもゼフォルは無事に陣地に帰ってきた。真面目に参謀長職を全うするため、エスメルの傍に侍り、ショクバらの他の参謀たちに指示を出していた。
とはいってもやることはほとんどなかった。先日ベルズーフ元帥とユースクリフ殿下の連名で全帝国軍に戦闘停止命令が下された。この命令は帝国側だけではなく、王国軍にもハルディン王子の名で広まっている。まだ、本格的な条約などは締結されていない。しかし確実にこの戦いは終わろうとしていた。
「なんか雰囲気変わったか?」
「なんですか藪から棒に」
今日の仕事、といっても待機状態の軍隊の管理という簡単なものも終わり、ゼフォルはアルセリアと共に晩酌をしていた。
もう、帝国はかなりの戦勝ムードだ。こうして交代で飲むことも許可されていた。
「そりゃぁ……つい先日まであんな思い詰めていたのに、強力なクマに襲われたらなぜかスッキリした顔をしているんだ。気になるに決まっているだろう」
彼女はなんだかんだでずっとゼフォルの事を心配してくれていた。今となっては恥ずかしくてしょうがないが、ゼフォルが捨てられると悩んでいたことをいたく気にしていて、エインへリル家に武官で雇ってやるとまで言ってくれた。最も今では東征大将軍に予約済みなので丁重に断っていた。
なお、クマの話題は彼女が一番騒いでいた。ゼフォルとエスメルに迫る実力があるからこそ、二人が苦戦するクマとはどんな化物かと騒いでいたし、なまじ真面目なエスメルが言い訳したものだから、本当にこの世にそんな生き物がいると思って兵が犠牲になる前に討伐しようと乗り気だった。
心配してくれる本人には悪いがゼフォルは内心で爆笑していた。
「この少しの間ですが色々あったんですよ」
「そのようだな。今のお前はとても何かに納得した顔をしている。憑き物でも取れたようだ」
「憑き物……そうかもしれないですね」
ゼフォルからしてもその思想と夢は重荷だったのだろう。下ろすのは惜しかったが、明らかに異常すぎるプライドと野心はその体を蝕んでいた。まだ戦場だというのに最近鏡を見ると日に日に少しずつ血色がよくなっている気がした。
「あの抜け道の事もエスメル閣下に報告していたとは、疑ってすまんかった」
「別に気にしていないですよ」
「いや!私が気にする!」
そう頭を下げるアルセリアに内心申しわけなくなっていた。彼女は間違ってなどいない。ゼフォルが報告したわけではなく、エスメルが察しただけだったからだ。
今回の話は王国中央への大事な抜け道をエスメルとゼフォルで秘密裏に偵察しに行き、そこでクマに出くわしたというものになっていた。
司令官ぐるみでそういうことにしたからこそゼフォルは真実を言えなかった。
「いいんですよ。アルセリア、貴女の行動は将軍として正しいものだった。あの時の私はちょっとおかしくなっていましたからね」
「本当に何があったんだ?今のお前は前よりずっといい、顔も穏やかだし、心に余裕がありそうだ……まさか!」
ついに気がつかれたかとゼフォルはその頬を赤に染める。
陣中に帰ってきた二人に何かがあったことなど、鋭いものはお見通しだった。なにせついさっきまで刺々しい態度をとっていた総司令官と、参謀長の仲が直っていたのだから。特に付き合いの長く頭の切れるクレッチマーなどは嬉しそうにうんうんと頷いていた。
「クマがよっぽど強かったのだろう!」
「は?」
「そうに違いない!お前が戦争の野心を忘れる程、クマが強くてそんな難敵をエスメル閣下と討伐出来て満足したんだろう!」
とんでもない推論を述べながら今度はアルセリアがうんうんと頷いていた。ゼフォルを除いた二枚看板と言っていいアルセリアとクレッチマーだが察しの良さは天と地ほどに差があった。
「良かったなゼフォル!きっとお前をみかねた戦神やらなんやらが遣わしてくれたに違いない!」
「ぷっ!はははは!」
ついにゼフォルは吹き出してしまった。普段戦場では鋭いのにどんだけ鈍いのだ。けどそれでこそアルセリアな気もした。
「えぇそうですね!私も最後に満足いく戦いができて良かったですよ!」
最もその相手はクマではない、エスメルだった。そうアルセリアに言ってやりたい衝動をゼフォルは我慢していた。
「……仲直りできてよかったな。ゼフォル」
そのつぶやきはゼフォルには聞えなかった。
それからさらに数日後、ついに帝国、王国政府両方から正式な停戦命令が下された。すでにベルズーフの軍勢は王都に入城し、戦後の話し合いをすべく準備に追われているらしい。
すでにエスメル率いる東部方面軍にも王都への参上が通達されていた。
その命令に従ってあの抜け道ではなく、正式な街道を通って王都へと軍を進めた。
道中にもいろいろな問題があった。停戦命令があったとはいえ国土を10万の軍勢が横断するのだ。
時には王国軍が決死の覚悟で様子を見に来るなどした。
しかしそのあたりは歴戦のクレッチマーや思考が柔軟なエスメルのおかげで激突までは至らず、死傷者を出すことなく東部方面軍は王都まで辿り着くことができた。
「ここが王都、帝都とはまた違ったつくりだけど立派なものね」
「意外と防御は甘そうですね、権威を重視していて実用性は低そうです」
「相変わらずの反応ね……」
ゼフォルとエスメルは王都の中を見て回っていた。今の東部方面軍に与えられた役割は王都の治安維持である。現在王宮では帝国からベルズーフ元帥やユースクリフ殿下、王国からはハルディン王子が出席してこの戦争の後始末について話し合っている。
「我が軍の様子はどう?」
「比較的落ち着いております。王国民に狼藉を働くものも、交渉に不満を言うものも少ないです。勝者の余裕がそうさせているのでしょう」
「王国軍も意外にもおとなしいわね」
「それだけハルディン王子が慕われているということでしょう」
両軍ともに停戦命令は下されているが、なにせ敵国の軍隊が首都にあふれているのだ。いくらでも諍いの種はある。
しかし帝国側は全軍の中でも選りすぐりの精鋭部隊のみを王都に駐屯させ、残りは近郊に野営かほかの都市の駐屯を行っている。練度に規律も高い帝国軍はそもそも勝利した側というのもあって、無用な諍いや狼藉を働くものは皆無だったのだ。
王国軍側は、その雰囲気は暗く、何かこらえるような表情で誰もが働いていた。それでも敬愛するハルディン王子が王国最後といっていい交渉を行っているのを邪魔するわけにはいかないと、王国側が不利になるような騒動を起こすことはなかった。
「これでいよいよ戦いも終わるわね。王国民の顔は暗いけど、こんなに両軍の兵が近くにいて何も起こらないなんて過去になかったわ」
「えぇそうです。案外王国民もあきらめが早かったようですね」
おそらくゼフォルがハルディン王子を暗殺していれば、王国民の怒りは最高潮に達し、徹底抗戦を挑んでいただろう、王都に入ってゼフォルなりに王国上層部の事について調べていた。すでに国王は病床に伏しており、ハルディンの兄たる第一王子は後継者争いを有利にするために二年前の大侵攻を起こし、その失敗で失脚していた。
その後表舞台に現れたのがハルディン王子だったのだ。そして彼は見事にゼフォルの進撃をはじき返し、国家の英雄になった。
そんな英雄でも交渉の席につかざるをえない。その状況が王国民の頭を冷やさせていたのだ。
「私の計画が失敗してよかったのかもしれませんね」
「急にらしくないこと言うじゃない」
「らしくなくしたのはお嬢さまですよ」
今では自身の暗殺計画が失敗してよかったと感じていた。ハルディン王子の死でどんなに王国が勢いずいても今さら優勢な帝国に勝てるとは思えないが、帝国軍にも大きな損害が出ていただろうし、この立派な王都も灰になっていたはずだ。
それ自体はどうでもいい。兵隊は死ぬためにいるのだし、敵国の首都が焼け落ちてもいいことじゃないかと思う。しかし今ではそんなおっかない予想すらどうでも良かった。すでに先日、エスメルに負けて生きる目標を変えたときから、ゼフォルの思考もすっかり変わっていた。
このまま戦争が続いたら、エスメルとゆっくりできないじゃないかと考えるようになっていた。
そうさせたのはエスメルだと、改めて声に出すがどうしても気恥ずかしくなってしまう。エスメルに変えられてしまったという実感がわいてしまうのだ。
「それよりお嬢様もいいのですか?大将でありながら交渉のメンバーに選ばれず、王都の治安維持担当って、明らかに蔑ろにされてますよ」
ベルズーフはもちろんのこと、同階級のベラムトも、エスメルより下の階級の将官たちも交渉に参加している。なんなら東部方面軍の代表としてクレッチマーが参加していた。むしろ大将で参加していないのが不自然なのだ。
質問しつつも、理由は分かっていた。エスメルは戦後、東征大将軍というその若さに似つかわしくない、古臭い役職をもらってほぼ引退状態になる。
この交渉はもはや、帝国と王国の戦争を終わらせるためだけのものではない。帝国内の権力争いの延長でもある。この会議で主要な役割を果たしてこそ戦後の帝国で重役を得ることができるのだ。
そしてその役割を果たすのがユースクリフ殿下であり、もはやエスメルは不要だった。
「良いのよ別に、私は名誉職でゆっくりするのだから。戦後の世界を作り上げなければならないユースクリフ殿下らに任せるわ。ウィルベート家自体もクレッチマー将軍が外戚としてきりきり働くことになるでしょうし」
「ウィルベート家の家督も降りるのですか?」
「ええもちろん。変に公爵家の仕事だけ残るのもいやよ。どうせ肩の荷を下ろすなら全部下ろしたいわ」
すこし前のゼフォルなら、きっと激昂していただろう。エスメル・ウィルベートともあろうものが何を呑気なことをと余計な思索を張り巡らせていたに違いない。だが今はそんなことを一ミリも思わなかった。だってエスメルがここまでやってくれたのは——
「なにより、貴女とのんびり暮らす時間が待ち遠しいわ。改めて宜しくね!」
「えぇ……どこまでもついていきますよお嬢様」
ほかならぬゼフォルの為なのだから。
感極まってゼフォルとエスメルは互いに抱き合った。得意げだった帝国兵も、憂鬱そうだった王国兵も何事かと二人を見ている。当然だ。こんな美女と美少女が占拠された王都で抱き合うなど何事かと思うだろう。だがそんな視線これっぽっちも気にならなかった。
敵国の王都でエスメルと抱き合う。きっとそれはただ王都を陥落させよりも甘美な味だっただろう。
その後、イスペリア帝国皇太子ユースクリフとロッソ王国第二王子の連名で和平条約が結ばれた。和平とは名ばかりで、内容はロッソ王国の全面降伏にほかならなかった。
こうして大陸をめぐるイスペリア帝国とロッソ王国の長きにわたる戦いはイスペリア帝国の勝利にて幕を閉じたのである。