街道に陣取っていたダリウス将軍の軍を撃破し、ゼフォルらの帝国軍東部貴族連合軍はついに帝国中央の大高原、ヴァンダル高原にまで進出した。
帝都の東に広がるこの大地は、豊富な農作物をイスペリア帝国にもたらし、帝国がここまで大拡張できた原動力といっても過言ではない一大穀倉地帯だった。しかしそれは平時における評価であって、どんな大軍でも縦横無尽に動けるこの巨大平野はそのあまりの広さのため守りにくく、そのうえ帝都の巨大人口を安価な輸送費で養うため、しっかり整備された街道は帝都まで容易く移動できるという攻め込む側に有利な地形であった。
そんな大高原を見ながらゼフォルは歴史書の内容を反芻していた。
ヴァン・ウィルベートをエスメルの先祖である名将ピエールが過剰なほど固く作ったのも理解できる。帝国はロッソ王国の反撃を帝国東部で跳ね返す予定であってこんな帝都近郊の大軍が動きやすい平原まで侵入させる気はなかったのである。
「ケガは大丈夫?」
「この決戦で寝込んでいるわけないじゃないですか、直しましたよ」
半ば歴史の勉学に浸りながら兵らに布陣の指示を出しているゼフォルにエスメルが声をかけてきた。
ダリウス将軍の魔力弾で吹っ飛ばされ、鎧の下にはまだ一部包帯を巻いている個所もあるが、ほとんど痛みはひいていて問題はなかった。なによりこの戦いに参加しないという選択肢など最初からなかった。
「それより見てくださいよお嬢様、あの布陣は百の勉学に勝りますよ」
そう言ってヴァンダル高原に立ち並ぶ雲霞のごとき旗と陣地を指さした。
「私でもわかるわ、すごい布陣ね」
ゼフォルの指先にはイスペリア帝国軍中央軍とロッソ王国軍の大兵力同士がにらみ合っていた。軍略に自信のあるゼフォルから見ても帝国軍の布陣は見事なものであった。本来農作物に恵みをもたらす川には上陸できないようずらりと兵を並べ、浅い渡河地点となる場所は狙い撃ちできるように弓櫓を設置し、少しでも高低差のある棚田や小高い丘を見逃さずに防御陣地を敷いていた。
十分な兵力と複数のすぐれた将兵がいなければここまで見事な布陣は不可能だろう。
残念なのがロッソ王国の決戦のための布陣は見られないことだった。後から来たゼフォルでもわかる。今の布陣は撤退用の物であり、かつて敷いていたであろう布陣ではない。
感心すると同時に嫉妬の感情も渦巻いていた。
これまで見てきた中でゼフォルは自分こそが最も優れた指揮官だという自負があった。公爵家にいた武官たちは相手にならなかった。主であるエスメルこそメキメキと実力を伸ばしているし、途中参戦のクレッチマーもなかなかに優秀ではある。しかし最も優秀で軍の中核を担っていたのはゼフォルだ。
しかし目の前の完璧な陣地を見ればその自信も揺らいだ。あの軍勢の中にいてもゼフォルは頭角を現すことはできるだろうが一番になれるとも言い切れない。かつてエスメルに帝国にはいまだ隠れた逸材はいるといったが、まさに目の前の光景がその答えだった。
その態度を表には出さず、あくまでいつもの鉄面皮を維持していた。隣のエスメルにこんな醜い感情を知られるわけにはいかない。
「しかし我々も最良といっていい場所に布陣しました」
ゼフォルらもにらみ合う王国軍の真後ろの小高い丘に布陣し退路を邪魔するように布陣している。ここからならロッソ王国軍に対して妨害や補給路の遮断、追撃などやりたい放題できる好立地であった。
いくら帝国中央の逸材たちが優れていようとこの戦場で最も地の利を得ているのはゼフォルなのだ。この大決戦でも十分に戦功をあげることができるだろう。ゼフォルはすでに未来の同僚に敵意を燃やしていた。
「けどね、ゼフォル今回は」
「報告します!」
口を開いたエスメルを遮るように伝令の兵士が駆け込んだ。総大将と副将の会話を遮ったことに少し顔が青くなる伝令の兵だが、ゼフォルは何となくそろそろ来ると思っていたので、笑顔で続きを促した。
「中央からの伝令です!バルグリフ殿下の使者と名乗っております」
「来ましたか」
バルグリフ皇子からしたらここまでやってきた唯一の援軍なのだ。そろそろ接触してくるだろうとゼフォルは予想していた。
「お初にお目にかかる。バルグリフ殿下が配下ベルズーフ・カーディナルと申します」
ゼフォルの目の前でそう美丈夫が丁寧にお辞儀をした。
場はエスメルの本陣で、主たるエスメル、副将のゼフォルをはじめ、ウィルベート公爵軍の諸将がそろっている。末席にはエルシアもいた。
ゼフォルの主君たるエスメルも礼儀をもって返答する。
エルシアの情報からベルズーフがバルグリフ皇子の信任の厚い家臣だということは知っていた。そんな伯爵ですら公爵であるエスメルに頭を下げなければならない。その光景だけでここまでの苦労は報われた気がした。
しかし同時に焦ってもいた、皇子の側近だけあってその礼儀作法は完璧だ。あんまり詳しくないゼフォルでもそれくらいは分かる。それに対して公爵家で粗末な扱いを受けていたエスメルは礼儀作法など習っていないし、ゼフォルも禄に知らないので教えていない。
「ご足労いただき感謝します。カーディナル伯、ウィルベート公爵家の現当主、エスメル・ウィルベートと申します」
しかしその心配は杞憂だった。エスメルも完璧な礼儀をもって返した、そっと末席を見ると何故かエルシアが緊張した様子でいる。どうやらゼフォルの知らぬうちに教え込んでいたらしい。
「殿下は援軍を率いて駆け付けた公爵にたいそうお喜びです。共にロッソ王国の撃退に協力していただきたい」
「帝国の禄を食む身として当然のことです。何なりとお使いください。しかし私はまだ若輩の身、軍事に関してはそこのゼフォル将軍に多くを助けられています。会話に参加させてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
話を振られようやく本命が来たとゼフォルは内心で興奮した。会話の中で自然にベルズーフがエスメルを公爵当主として認められたのも良かった。
「お初にお目にかかります。ウィルベート公爵閣下より将軍に任ぜられましたゼフォルと申します」
「ヴァン・ウィルベートでのご活躍は聴いております。将軍、まさかこうも早くお会いできるとは」
会話の節々からどうやらこちらの情報もバルグリフ皇子の陣営には筒抜けだったらしく、情報網の強さが窺える。エルシア頼りのこちら側とは違う、むしろこれまでほぼ一人でこなしていたエルシアがすさまじいといったところか。
「将軍と公爵閣下の活躍で退路を失ったロッソ王国軍は撤退に移っております。つきましてはこのまま公爵と将軍らにはこの陣地を堅守し、王国軍の後ろを脅かし続けてもらいたい」
「……必要とあれば積極的に出撃し、追撃戦に参加しますが?」
「いや、後退しているとはいえロッソ王国はいまだ強大です。それにこの陣地は見ようによって敵中に孤立しているといってもいい、守りに徹してもらえばそれで十二分です」
ベルズーフは完全に善意で言っているのだろう。いくら情報を集めているとはいえ彼から見てゼフォルらの戦力は未知数、それなら下手に動かすよりも敵の後方を脅かし続けてもらったほうが固い。
隙を縫ってゼフォルの配下の諸将たちを見れば大いにその命令に満足している。先の戦いでの勝利に、皇子の使者から参陣したのを認識させた。降伏の汚名の心配がなくなったと思っているのだろう。
その後も、ベルズーフも含め、軽い軍議と化した場で方針は決まった。ウィルベート公爵軍は守勢に徹し、ロッソ王国軍の背後を脅かし続けるという方針に諸将も賛同した。しかしゼフォルは従う気などほとんどなかった。
ベルズーフが去ったのち、人払いを行った本陣でゼフォルはエスメルと二人で話していた、議題はもちろん先ほどの事についてである。
「お嬢様、おめでとうございます。皇子の最側近からもうウィルベート公爵家当主として認められました」
「そういうことよね」
「これまでやっていた越権行為もすべて合法になりました。帝室もお嬢様を粗末に扱うことはできないでしょう」
「そう、ようやく私もここまでこれたのね……」
そう感慨深く話すエスメルを見てゼフォルも嬉しかった。不義の子が武勲で大貴族の当主になるなど、まさに物語の中の話だ。そしてそれを成した第一の家臣はゼフォルなのだ。
「あとはバルグリフ皇子に戦いをまかせてここを守るだけね」
「いえ、せっかくなので打って出ましょう」
「は?」
ゼフォルがそう提案するが、エスメルはあまり良い反応をしなかった。
「ベルズーフ伯爵もここで堅守するようにと、貴女だけでなく、諸将も納得したじゃない。なのに打って出るというの?」
「どうせ我々は皇子の本隊から離れた別動軍ですよ。戦況次第で作戦を変えるのは必定です」
「けど伯爵の言い分にも一理あるわ、わたしたちは有利な場所に陣取ったとはいえほぼ敵中みたいなものよ」
「どうせ正面の皇子の軍に手いっぱいで、こちらの対処まで手に回りませんよ。ここでこの布陣を生かして首級をあげといたほうが後々にお嬢様のためになります」
ゼフォル的にもここでおとなしく陣地を堅守する気はさらさらなかった。
ベルズーフの人柄、敷かれた布陣からバルグリフ皇子の配下は粒ぞろいの人材がいるのが想像できた。この優勢の戦況で負けることはないだろう。ならばこの戦いはどれだけ追撃で敵を打ち取れるかといったところであり、ウィルベート公爵麾下の第一の将として皇子配下の将にも負けるつもりはなかった、先の戦いでクレッチマー将軍もなかなかに使えることが分かり、彼を後詰にして自身が打って出ればいくらでも功績をあげる自信があった。
そして何より、ここまで公爵軍を率いて功績を上げたゼフォルが、皇子の側近とはいえほぼ初対面のベルズーフの言いなりなのはいい気がしなかった。軍議の場こそ皇子の側近という威光でゼフォル以外の諸将を納得させていたが、あくまでこの軍の支配者はゼフォルなのだ。
そうエスメルに得意げに言うが、反応は芳しくない。それどころか明らかに不機嫌で静かに怒っていた。
「もう王国軍は撤退しているのよ。帝国の危機は去り、無理に攻撃する必要はないわ」
「だからこそです。追撃戦とは圧倒的に有利なものです。敵軍は討ち取れるときに討ち取るに限ります」
「それはできたらの話よ。ロッソ王国軍は撤退しているだけで敗走しているわけではないわ。逸れば大損害は必至よ。もう伯爵からも堅守命令を出されているのだから出撃しなくても責められることはないわ」
エスメルの言葉にゼフォルはしばし黙った。
エスメルの論にはしっかりとした道理がある、もともと賢いエスメルには昔からしばしば言い負かされることは多かったが、作戦でついにゼフォルが黙らされる事態になるとは思わなかった。
しかもこの重要局面で、である。
「ですが前に皇子の軍、後ろに我々という状況は変わりません、私が先陣を率いれば……」
何とか理由をつけて出撃の許可を取ろうとする。この軍を実質的に率いているのは自分だ。という自負がゼフォルにはあった。だからといって総大将のエスメルをないがしろにする気はなかった。聡明で総大将の業務をきちんとこなしているエスメルを完全に傀儡にすること等不可能だからだ。
それでもこれまではゼフォルの作戦をよく聞き、納得してくれたので衝突は皆無だった。今回に限って衝突する意見にゼフォルは内心ではかなり焦っていた。追撃はしたいが、エスメルに嫌われたくもなかった。
「もういいわゼフォル、あなたの考えは大体わかったもの」
そんなゼフォルをエスメルは溜息を吐いてまっすぐと見つめた。日常生活で平凡なミスをしたとき、ちょっとしたおふざけをしたゼフォルに呆れている時とは別の、初めて見る表情である。しかし真剣さを感じた。
「大方、伯爵を見て、功を焦ったのでしょう?だから功績で負けないように出陣しようとしている。」
「……」
当たっていた。エスメルの予想以上の聡明さに少し嬉しく思いつつも言い訳を考えるゼフォルだがさらにエスメルは口を開いた。
「私は命を助けてもらって、貴女は戦功をあげたかった。それが私たちの始まりだったわ。だからあなたの功名心を責めはしない。けどね、この軍の総大将は私よ、最後の決定は私が決める」
「ならば!」
私だけでも行かせてください!そう続けようとした。
心の中では自分に教わりっぱなしではなく、自らの足で自立しつつある、エスメルに感心していた。ここがあの離宮なら手放しでほめていただろう。同時にそれだけゼフォルの内心が分かるなら、出撃をさせてほしかった。エスメルとクレッチマーを陣地の守備に回し、自分だけでも出陣する。そうゼフォルは説得しようとした。
「貴女がただのメイドで、なんてことないお願いをするのなら私だって全力で叶えてあげたいわ。けど私は1万を超える軍の総司令官なの。将兵の命に責任を持ち、彼らを可能な限り生かさなければならない……無駄死にさせるなんてもっての他よ。そしてその中にはゼフォル、貴女も含まれているわ」
が、ここまでストレートに身を案じられてはさしものゼフォルも黙るしかなかった。
「私は命も立場も全部守ってもらったからこれ以上はいらないし、できればあなたの出世を応援したい。けどここで無理をして大損害を被れば全てがパァよ。あなたが死んだらなおさらのこと……だから今回は陣地を堅守しましょう?これで王国軍が派手に仕掛けてこなかったら私のせいでいいわ。だから今回は従って頂戴」
「お嬢様……」
それ以上はゼフォルも歯向かう気になれなかった。純粋な作戦だけで諭すならばいくらでも反論は思いつく、しかしそれ以上に己の身を案じてくれるエスメルの気遣いに反論する気は起きなかった。
思えばエスメルはずっとゼフォルの身を案じてくれていた。初陣の時には真っ先に巻き込んだことを気にしていたし、これまでの戦いのときもずっとそうだった。
それに比べてゼフォルは、大きな戦場を見て自らの実力試したさに焦って危険な橋を渡ろうとした自分が少し、いやかなり恥ずかしくなった。
「そんな風に言われれば、何も私は言えません……いえ、お嬢様のほうが今回は正しいです。発言を撤回させてください」
「ええもちろんよ、それに貴女今のところ防衛戦のほうが上手じゃない」
急に満面の笑みでゼフォルを褒めるエスメルに、ずいぶんと飴と鞭がうまくなったとゼフォルもつい微笑んだ。