帝国西部征伐の軍議後、帝都は再び動き出していた。ゼフォルがヴァンダル高原に待機させていた4千も帝都に到着し、再編成と物資の補給を進めている。そのほかにも各方面軍の増援に、中央軍の動員も進んでおり帝都の郊外に続々と7万の大軍が形作られていった。
当初こそ帝都でのクーデター騒ぎで人心は乱れていたものの、手の空いた軍勢が復興作業を手伝ったこと。バルグリフ皇子の名の下でフィリクス皇子がクーデターを起こしたと公表されたこと。
なにより帝都の近くにこんな大軍が現れたことで急速に混乱は解消され、今では商人たちも復興事業と、大軍への商売で軽い好景気が起こっている。
民たちもフィリクス皇子や西部貴族に怒りを見せ、この混乱を迅速に治めたバルグリフ皇子を称賛していた。
ゼフォルは帝城で将官用に手配された部屋でそわそわしていた。すでに麾下の5千への指示出しも終わっており、後は全軍の集結が終わるまで待機状態だ。しかし鏡の前で服装を見直したり、用意した茶菓子を見直したりしていた。そうしているとドアがノックされた。
「ゼフォル将軍、エスメル少佐がお越しです」
「通しなさい」
ゼフォルの言葉にドアがガチャリと開けられる。事前に言っておいたので護衛の兵は入ってこなかった。
やっと会うことができた。さすがに鎧姿ではないがスラリとした体を佐官服で包み、大人びてきた顔はエルシアに似てきただろうか。可愛らしい、儚げといった要素は鳴りを潜め、氷のような美しさだ。身長も随分と伸びた。ゼフォルより少し高いかもしれない。
「失礼し……ま……」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
氷のような美貌を驚愕に染めたエスメルにゼフォルは少ししてやったりと思った。どうせ前回のようにゼフォルの階級を気にして下手に来るのはわかっていたので、あえて軍服ではなく公爵家で着ていたメイド服でエスメルを迎えていた。
「ゼフォル少将……お戯れを」
「お嬢様だって2年前、私にいつも通りで良いと仰ってたではありませんか」
「ふふふ……アハハハハ!」
そう問い詰めるとエスメルが破顔する。
「そういえばそうだったわね、けどいいの?もう私に媚びを売らなくてもあなたは将官で、私は実家がいまだ没落している少佐よ?」
「いえ、どれだけ月日と階級が違えど、私の主人はエスメル様一人です」
「そう、ならお言葉に甘えようかしら。ただいまゼフォル」
「お帰りなさいませ」
そう言ってゼフォルはやっと自室に主人を迎えることができた。恭しくエスメルの佐官服のコートを脱がせ、席に案内する。その時にエスメルの成長した体を間近で見ることができた。
自身も女性にしては長身なほうだが、エスメルは少しだけ高かった。少しだけである。そしてそのコートの下は、ゼフォルをもってしてもうらやむスタイルをしていた。
普段は公爵令嬢らしくない素朴な服ばかり着ていたお嬢様が、二年前どんなに頑張っても厳めしい黒い鎧が似合わなかったお嬢様がこんなにも立派になるとは思わなかった。
「……立派になられましたね」
「あなたのおかげでここまで成長できたからね、そういうあなたも随分と東部で暴れているのでしょう?見事だわ」
「所詮小規模な小競り合いですよ。きっとお嬢様でも同じことができます」
そう近況を報告しつつエスメルが着席し、ゼフォルはあえてその後ろに控えようとする。
「流石に向かいに座りなさいよ」
が、エスメルの言葉で素直に座った。
「ひさしぶりに飲むわね、あなたの紅茶」
「正直、おいしいですか?メイド長の紅茶のほうがおいしいかと思うのですが」
「けど入れてくれたのはなんで?」
「それは……」
そうまっすぐ微笑むエスメルにゼフォルは言いよどむ。
このお茶一つにかなり悩んだ。メイド業務はさぼりがちだったゼフォルはそこまでうまくお茶を入れられるわけではない。そのため適当な帝城の使用人に頼んで入れてもらうか悩んだが、どうしても人に任せたくはなかった。うまいこと言語化できない思いがゼフォルにあったのだ。
「ええとですね……うーん」
「ふふふ、いいのよ別に、ゼフォルの淹れてくれたのも好きよ。私は」
そう微笑むゼフォルに不覚にもドキリとしてしまう。ゼフォルも自分の容姿には自信があるほうだがエスメルは別格だった。
「ま、まぁ喜んでくれたのならいいのですよ……」
何とか鉄面皮を維持したつもりだが維持できているかもわからず、とりあえず久方ぶりのお嬢様とのお茶を楽しむことにした。
「結局軍に入られたのですね、将軍のひとりとしてお嬢様ほどの才能がきてくださるのは嬉しいものです。今の帝国の情勢に何かありますか?」
そして仕切り直しを含めてそうエスメルに切り出した。今の帝国の戦況をどう考えて居るか確認をしておきたかったからだ。
「やっと将軍らしいことを言ってきたわね。そうね、帝国はこのままなら王国に負けることはないと思うわ」
「それはなぜです?」
「バルグリフ皇子のもと帝国は正常に運営されつつあるわ、今回の西部貴族との問題をはじめとして少しづつ各方面の問題を解決して内患を排除できれば、もっと多くの戦力を王国にぶつけられる。そうなればもう二年前のような悲劇は起こらないでしょ?」
「その前に東部が突破されたら?」
「あら、東部には優秀な将軍がいるじゃない、今はひと段落つけて中央にいるけどね」
「あまり褒めないでくださいよ」
概ねゼフォルとエスメルの認識は同じものであった。帝国はこれまで内部の腐敗でその国力を生かしきれなかったが、もとは王国よりも1回り大きな国なのだ。中身が正常化されれば、決して負けることはないのだ。
その後も二人で今後の展望を語っていった。やはり帝国は守勢の時期だと二人で結論付けていた。
しかし二年前はゼフォルがエスメルに教えるという構図だったが、学園主席であるエスメルは対等に話せる段階に達しており、時折ゼフォルでも感心するような意見も出る有意義な会話だった。この時ゼフォルはひたすら真の目標を黙っていた。
「例えばこの政策で更に1万は動員できるわ」
「なるほど……」
帝国最高の学府を首席で卒業しているだけあってエスメルはすでに戦略や内政などに関しても一流になってる。ここに関しては明確にゼフォルを上回っていた。
ゼフォルとて将官になった時の詰め込み教育と、多数の人間の上に立つものとして多少の知識はあるのだが、やはり専門は戦術である。用意された兵力を生かして敵を撃破するのはできても兵力を用意するのは不得意だ。
二年前はヴァン・ウィルベードから出陣した後クレッチマーを含めた1万の軍勢を集めたが、あれは降伏していた帝国兵をかき集めただけで、一から徴兵をして集めたわけではない、さらに兵を集める金を稼ぐ内政関連など頓珍漢もいいところだった。
気が付けばエスメルがゼフォルに戦略を教える立場になっていた。
不思議と不快感はなかった。よく文官、武官の集まる会議で、ゼフォルはよく過激な発言をして、文官肌の人間から嫌味を言われたこともあり、内心いらだつことも多かった。
しかし不思議とエスメルの授業はするすると頭に収まっていく。教え方が良いのか教師と仲が良いのかなのかはわからなかった。
「お嬢様、これだけの知識があるなら官僚としても活躍できたのでは?」
「私の成績ならできたわよ。けどバルグリフ皇子との約束もあるし、それに私斧の腕もなかなかのものなのよ」
エスメルのこの言葉にゼフォルは現実に戻された。
これまでの話は甘美だった。本来の目的を忘れるほどに、確かに帝国は今力を蓄える時勢なのかもしれない、そして来るべき時に王国へと大反抗を行う。恐らくバルグリフ皇子やベルズーフといった帝国首脳陣もそう考えて居るはずだ。ゼフォルの理性だってそれが正解だと言っている。
その時間違いなくエスメルは前線に出るだろう。その時轡を並べて戦えたらどれだけ幸せだろうか。
そこまで考るとゼフォルはついエスメルの頭に手を伸ばして撫でた。さらりとしていてとても撫で心地が良かった。
「ど、どうしたのよ急に」
「い、いえとても頑張ったなぁと」
「嬉しいけどなんからしくないわよ貴女……」
メイド時代褒めていた時のようにやりたかったがあまりうまくいかなかった。
どうにもエスメルに会ってからというものの、気が弱くなっている気がした。かつて二年前守るべきだった少女は十二分に立派な大人へと成長しつつある。ゼフォルの助けなどいらないほどに、いやむしろこれだけの知識量を見せつけられこちらが寄りかかりそうになっている。
ありえない話であった。ゼフォルはこれまでの人生、己の力で切り開いたつもりであった。身体能力と家事に優れるエルシア、軍才と人格に優れるベルズーフ、金だけは持っているオドール、など特定分野でゼフォルを上回った人間はいくらでもいる。しかしそれらに完全に迎合せず張り合ってきたつもりだった。
くだらないかもしれないがそれが自分のプライドだった。
それなのに目の前のエスメルだけはそのプライドをたやすく突き崩す。気が付けばこの自分がしだれかかりそうになる。もうすでにエスメルを守るためという目標はほかならぬ彼女によって破綻しかかっているのかもしれなかった。
エスメルとのお茶会の時間はあっという間に終わってしまった。名残惜しそうにエスメルを見送る。そして控えていただろうもう一人にゼフォルは会うつもりであった。
エスメルには内緒にである。
食器は片づけず時を待つ。予想通りならば向こうから接触するはずだからだ。
ノックもせずに扉が開かれた。警備を完全に出し抜いてきたのだろう。本来なら少将になど会えないはずだからだ。
「ゼフォル……」
「お久しぶりです。メイド長」
完璧にぴしりと決めたメイド服の美女、エルシアがそこには立っていた。成長したエスメルによく似ている。
「何の用でしょうか?」
「いえ、その……」
しかし明確に違う点がそこにはあった。エスメルから感じた頼もしさを全く感じない。かつては上司として尊敬はあったのだが。
埒が明かないし、この元上司には言いたいことがあったので打って出ることにした。エルシアの襟首をつかみ、壁に押し付けた。
彼女の実力ならたやすく振りほどけるはずだが、エルシアはされるがままだった。
「何故、お嬢様が軍に入るのを止めなかったのです?」
ゼフォルはエスメルが軍に入らないようにエルシアに手を回していた。いくらバルグリフ皇子との約束があろうが、軍属は命がけなのだ。
最悪学園でその手の成績が低いなら無理強いもできないだろうし、その他の成績が良ければ今の急成長を続ける帝国ならいくらでも役職はあるのだ。
「ぐっ……私も再三申し上げましたが、お嬢様は首を縦に振りませんでした」
「それをどうこうするのが貴女の仕事ではないのですか?お嬢様の成績なら軍以外でも選り取り見取りのはずです。なにより貴女はお嬢様の何なのです?」
そう問い詰めれば、エルシアは俯いて黙ってしまった。
半ば八つ当たりなのはゼフォルも自覚している。
今日会った時点でゼフォルもエスメルに何も言えなかった。それどころかその成長と少佐への任官を祝ってすらいた。
メイド長とはいえ、メイド風情が主君の進路を決めるなど聞いたこともない。だとしても、遠く離れた帝国東部で戦っていた自分とは違ってエルシアは二年間傍についていたはずなのだ。
そして何よりエスメルの実の母親なのだから、娘の進路くらい何とかしてほしかった。
「その件に関しては正直に話しました」
「それでも駄目だったのですか」
エスメルの姿を一目見た時から、これ以上誤魔化すのは無理だろうと思っていた。エスメルは大人びすぎており、エルシアは若々しすぎるのだ。今の二人はあまりにそっくりであり、目の色くらいしか違いがない、服さえ変えれば入れ替わりすらできるだろう。
「母親らしく叱ってやればよかったではないですか、言うことを聞きなさいって」
「いえ、怒られたのは私のほうで、ウィルベート家のいざこざに貴女を巻き込んで恥ずかしくないのかと」
存外に情けない元上司の醜態を聞かされさすがに毒気を抜かれたゼフォルは手を離した。
あのメイド長も娘にはこうも弱いのかと。
「あなたの言う通り、私はエスメルを軍から離すことはできませんでした。けどあの子の気持ちも分かってほしいのです。エスメルはあなたが心配だから軍に入りたいと言ってました」
「お嬢様が、私をですか……」
悪い気持ちではなかった。むしろ嬉しくすらあった。それだけ自分のことを大切にしてくれているのだ。ここまで報いてくれる主は稀であろう。
先ほど会ったエスメルの能力なら少将である自分を助けるのも別に思い上がりではない、むしろゼフォルが一層寄りかかってしまいそうだったのだから。
その甘い考えをなんとか押し込めた。
ゼフォルの少将位などあの日エスメルが誘ってくれなければ到底もらうことはできなかったのだ。むしろゼフォルがその恩に報いなければならなかった。