東部帰還
ゼフォルは慌ただしく麾下の5千を率いて帝国東部への道を引き返していた。すでにヴァンダル高原を越えて帝国東部に入ろうとしている。
こんなに慌てて帰る予定は本来ならなかったのだ。ウェストガルトから一度帝都で最後の休息をとり、ゆっくりしてから帰るはずだったが帝国東部から矢のような早馬が届いたのである。
報告を要約すると、帝国東部方面軍は王国に敗北したらしい。幸い全軍総崩れという大惨敗ではないらしいが、これまでゼフォルが何度も小競り合いに勝ち続けていたというのにその常勝記録に泥が塗られたわけだ。
何となく予想はしていた。おそらくオドールの周りの参謀たちがゼフォルを妬ましく思って不在時を狙って功績目当てに仕掛けたのだろう。もしくはオドール自身がベルズーフに階級を抜かされて焦ったのだろう。
心配していることとすればクレッチマーのことくらいだ。彼にはゼフォルの鍛え上げた1万を預けたし、気に入っているので油断しないように言い含めていた。もしこの下らぬ戦いで戦死して、ゼフォルの鍛えた兵が減っていないか。それだけが心残りだった。
最悪、大敗北を喫してクレッチマーや部下の兵士の多くが死んでもオドールも死んで東部方面軍総司令官にゼフォルが繰り上げ昇格するならば100歩譲って許せる。
だが、オドールは死ななかったし、このせいで自分は無用な強行軍を強いられることになった。
ただ戦況が悪化しただけでいいことは一つもなかった。
そのまま懐かしのヴァン・ウィルベートの城壁を眺めながら通り過ぎ、最低限の休息をはさみながらゼフォル率いる5千はハルード要塞に帰還した。王国との敗北でいまだにピリついているのか城壁にずらりと兵士を並べていた。
さすがに早馬で帰還を伝えていたため。誤射を食らうことはなかったがよほど今回の敗北が応えたらしい。
まぁオドールやその取り巻き連中にはいい薬だとゼフォルは思っていた。
「ゼフォル副司令ご帰還!開門せよ!」
そう見張りの兵士が叫ぶと、門が開き入城する。きっとやることはいくらでもあるだろう。ゼフォルの帰還報告を聞いてまずオドールからも呼び出しを食らうはずだ。
そう今後の予定を立てているとなにやら城内がすでに騒がしい、兵士達が波のように割れていく。その中からやたらと多い高級な格好をした参謀たちが固まって歩いてくる。
そしてその中央には総司令官であるオドールがいた。
「ぜ、ゼフォル将軍よく戻ってきてくれた!い、急いで対王国への会議を開きたい!」
この男は中将にもなって今人が帰ってきたばかりだということが分からないのだろうか?とゼフォルは純粋に思った。この強行軍には流石に疲労が溜まっていた。
「オドール閣下、ゼフォル将軍にも帰られたばかりです、少し時間が……」
「黙れ!貴様らが不甲斐ないから負けたのだろう!そもそも勝っていれば将軍にこんな負担を強いることはなかったのだ!」
見かねた参謀の一人が常識的なことを言ってゼフォルもほっとした。と思ったら怒られている。この会話だけで何となく今回なぜ敗北したのかが想像がついた。もう今日中の会議は回避できないだろうし、ここで喧嘩をされてもいいことは一つもないので止めることにした。
「まぁ閣下、すぐに部隊の入城指示だけ行い、すぐに向かいます。今しばらくお待ちください」
「おおすまんな!頼むぞ!」
そうさっきとは打って変わって喜ぶオドールにゼフォルは表面上こそ礼儀正しく振る舞っていたが、内心では呆れていた。
率いた兵に待機指示を出し、部屋に戻って荷物を最低限片付けたゼフォルはオドール閣下お得意の軍議に参加していた。すでに参加者はそろっているようだが、並んでいる連中を見ると何人か参謀が減っていた気がした。死んだのだろう。
オドールが軍議の開始を宣言するがまずはゼフォルに対する現状の報告会が始まった。
オドールの参謀の一人が恐る恐る口を開き、その他は一様にうつむき、オドールが彼らに文句を言うというひどいものだったがおおよその戦況はわかった。
ゼフォルが西部へと出征し、帝国で内戦がおこると、ロッソ王国軍も動きを活発化させ国境にまで王国軍が押し寄せてきたらしい。
東部方面軍はそれに対応して出兵し睨み合いになった。しかし激突には至らず、素早い内戦終結の連絡が入り、それを察知したであろう王国軍も兵を撤退させた。
ここでわざわざ兵を動かしたのに戦果なしはよくないとして帝国側が仕掛け、結果待ち構えていた王国軍に撃退されてしまった。
幸い予備兵力として控えていたクレッチマー将軍の奮戦によって大敗北には至らなかったものの、兵に数千の被害を出し王国軍には有効打を与えられなかった。ということらしい。
おどおどと話す参謀たちの反応で大体の裏事情をゼフォルは理解した。
帝国の内戦の好機に王国が兵を出し、その対応に兵を出した。ここまでは理解できる。しかし内戦が無事に終わって撤退する王国に手を出す?ここがおかしなところであった。
内戦という国家の最大の隙を睨み合いだけでやり過ごした時点でこちらの勝利といっていいのに、この場の連中はわざわざ仕掛けたのだ。大方、帝国西部でゼフォルやベルズーフが功績をあげているのに何もしていないことに焦ったのだろう。
ゼフォルが不在で余計な口出しをする者がいないというのもあったのかもしれない。そして結局不用意に王国軍に仕掛けて敗北した。姿の見えない参謀達もやはり冥府に行ったらしい。
そして作戦に反対したため予備兵力に回していたクレッチマーの活躍で何とか大敗北は避けられた。おおよそこんなところだ。
なおクレッチマーはこの功績で准将になっておりオドールからの覚えもめでたくなっていた。
「過ぎたことどうにもなりません、幸い私の率いていた5千を損害の穴埋めとして、守勢に徹すればこのハルード要塞が抜かれることはありません」
「おぉ!そうか!さすがはゼフォル将軍だ!」
「つきましてはハルード要塞を中心とした当面の防衛計画を私に一任していただきたく……」
「構わん!構わん!全てゼフォル将軍に任せる!」
実質的に東部方面軍の指揮権をゼフォルに渡すという宣言に誰も何も言わなかった。参謀連中は何か言いたげだが結局何も言わない。いや失敗したばかりで言えないのだろう。
唯一この場で発言権のあるクレッチマーもゼフォルが兵を率いるということにむしろ安心していてすんなりと少将のゼフォルに中将並みの権限が与えられた。
あまりの落差にゼフォルの感情は複雑だった。
帝国西部ではあまり満足に動けなかった。率いた兵が少なかったのもあるが、ベルズーフやグローメルなど、多様な人材が意見を出し合い軍議が進み、ゼフォルの意見がそのまま通ることはほとんどなかった。
しかし今は副司令である自分の一声で全軍の指揮権を得てしまっている。あまりに上手くいきすぎるこの落差に流石にどうかとゼフォルも不安が勝ったが、結局は率いる兵が増えるだけなのでありがたくこの恩恵に預ることにした。
とりあえず総司令官様の不安を取り除くためだけの会議は何とか早めに切りあげ、ゼフォルはクレッチマーを部屋に呼びだしていた。
「クレッチマー将軍、まずは准将への昇格おめでとうございます」
「ありがとうございます」
そう言って西部から買い込んでいたワインを前職のように恭しく注いでやる
ゼフォルがどうハルード要塞でふるまおうと、目の前の男を味方に付けるのは当然だった。この東部方面軍の中で唯一能力を認めていた。
そのためこのくらいのサービスは苦ではなかった。
「私の1万はほとんど損害もないようですね、見事です。それによほど苦労をしたと思えますが」
くくくと笑いながらそうゼフォルが問うと観念したかのようにクレッチマーも語りだした
「閣下に隠し事はできませんな、戦いに逸るオドール閣下とその参謀方をお止めしたのですが、聞き入れてもらえませんでした」
「そうでしょうねぇ、そんな中で東部方面軍の崩壊を防いでくれたことは感謝します。ところでオドール閣下らはなぜこのような無茶をしたか心当たりはありますか?」
「帝国西部の内戦がよほど応えたらしいです。バルグリフ皇子はなぜ私に連絡しないのか、ベルズーフに抜かされるのではないかといっておりました」
「オドール閣下にも困ったものですね」
自分の予想が正しかったのを確認したゼフォルは頭の中で今後の計画を次々と立てていった。クレッチマーはこちらの味方をしてくれるだろう。先ほどの軍議での態度と、今の発言から可能性は高かった。
「まぁ幸い、これからは副司令として私がオドール閣下の補佐をできます。閣下は要塞の全権を私に託しました。その時にはあなたの力、頼りにしていますよ」
「は、このクレッチマーの力、存分にお使いください」
「閣下、ゼフォルが参りました」
「おお!将軍よく来てくれた!」
クレッチマーとの話も終わり、日も暮れてきた。そろそろ休みたいが、ゼフォルはオドールの部屋を訪れていた。事前に連絡もしていたが、ほとんど二つ返事で認められた。
「災難が重なってしまったようで、心中お察しします」
「大変だったとも!将軍さえいてくれればとどれだけ思ったことか!」
「いえ、不用意に出て来た敵軍を叩く、作戦自体は間違いではありません、勝敗は時の運だったでしょう」
「そ、そうなのか⁉︎」
もちろん嘘であった。そもそも西部と中央で内戦がおこっているのだからゼフォルのいない東部方面軍はひたすら守りに入って情勢を見守るのが正解なのだ。しかし馬鹿正直にゼフォルが答えることはなかった。オドールの機嫌くらいならばとってやっても良いが、教育してやる義理はなかった。
「それ以上に、帝国西部の変は閣下でも予想外だったのではないのですか」
「そうなのだ将軍!なぜ最も西部に詳しい私に相談一つなく殿下は兄君を討伐してしまったのだ⁉」
「私も駆け付けたときには指令を聞いて驚きました。ベルズーフ閣下にも、オドール閣下に知らせるべきですと伝えたのですが、機密のためと取り合ってくれなかったのです」
ゼフォルはいつもの鉄面皮でほらを吹いた。西部貴族の討伐に異を唱えたことないし、オドールに相談しようなど考えたこともなかった。
「そ、そうだ!あのベルズーフ!私を差し置いて大将になったあの男が!殿下をたぶらかして強行したに決まっている!私ならもっと平和的に西部貴族たちを味方につけることができたのに!」
そんなだから相談されなかったのですよと言いたかったがぐっとこらえた。やはり元同階級のベルズーフに嫉妬しているようだが、はっきり言って役者が違うし、思い上がりも甚だしかった。ベルズーフはそこらの盆暗が挑んでいい英傑ではないのだ。
ゼフォルですら勝てないかもしれないのだから。
「ご無念はお察しします。ですが所詮は過ぎたことです。未来へ話を進めましょう」
「しかし、どうすればいいのだ」
「どこまで行っても帝国の恐れるべきはロッソ王国なのです。いくらベルズーフ閣下が他で功績を立てようと、王国に対する功績には及びません」
「し、しかし今回は負けてしまったぞ」
「大丈夫です」
ゼフォルはその整った顔をずいとオドールに近づけた。この男はこうするだけでやたらと喜ぶし、ゼフォルの言うことをうんうんと聞いてくれる。
「今は私が付いております。万事お任せください、ベルズーフ閣下は私の意見など聞いてくれませんでした、しかしオドール閣下には私を是非使ってほしいのです」
「も、もちろんだ将軍!私は君をいくらでも重宝するとも!」
考えているようで、何も考えていない。無責任に喜ぶオドールを尻目にゼフォルはエスメルのことを考えていた。
人に使われるなど性に合わない、目の前のオドールなど論外だし、ベルズーフにだって使われたくない。だがもし誰かに使われるとするならエスメルが良かった。
もうすっかり夜も更けゼフォルはようやく部屋に帰った。さすがに疲れたので最低限の片付けだけ行い、身を清めると早々に寝台へ横になった。
無駄な軍議を開かれてどうなるかと思ったが有意義な一日となった。ゼフォルの権限はあくまでハルード要塞の防衛のみに限るが、オドールがあの調子であれば、いずれ東部方面軍の全権を実質的に手に入れるのも近いだろう。
中将の階級は手に入らなかった。しかしこのままいけば少将の身で東部方面軍の指揮権が手に入る。そうすれば中将だったころのベルズーフとほぼ五分の力を手に入れられる。
それでも王国を倒しきるのは至難の業だ。どれだけ戦術に技巧を練っても無理なのかもしれない。しかし時間がなかった。
今イスペリア帝国はまるで仇敵であるロッソ王国を無視しているように見えるが、それは間違いだ。着々と王国以外の問題を片付け決戦の準備を行っている。
エスメルやベルズーフの言う通り時を待てば王国を簡単に倒すことができるかもしれない。しかしそれは二人に対する敗北宣言のような気がした。
この戦いの幕を引くのは時間でもベルズーフでもエスメルでもなく自分なのだ。
そう妄想しつつ寝台に横になって、寝た。