「右翼!前進!左翼!後退!」
ハルード要塞の近郊で大軍がうごめいていた。指揮官の号令に合わせて兵士たちが陣形を組み機動している。
ゼフォルは集めた兵士、資金を活用して大規模な訓練を開始していた。西部からやってきた者で新たに徴兵した兵は1万では利かないほどに集まった。しかし彼らは所詮弱兵で知られる西部の兵士かあぶれた傭兵のようなもので、とてもではないがゼフォルの率いる精鋭についてこれるレベルではなかった。
そこで与えられた権限を活用してオドールの指揮下の兵と西部の兵を相手に教官役にゼフォルの兵を当てて、猛訓練を行っていた。
ゼフォルもこの訓練にかかりきりで、オドールお得意の会議もこれを理由に欠席すらしていた。あんな生産性のないものなどより新しく抱えた兵の強化の方が急務だった。
ゼフォルの権限はその活躍によって再び帝国が王国との戦いでの主導を握ったことにより、強化された。
オドールが西部の亡命貴族との付き合いで忙しいのもあるが。
まだまだぎこちなく動きの悪い全軍であるがこのままゼフォルは東部方面軍の全兵を自分色に染め上げるつもりだった。もはやオドールなど中将の椅子を磨いていればいいし、アンス侯爵などはただの出資者に落ち着いてればよいのだ。
「で?なにか申し開きはありますか?オルグ少佐」
訓練をひと段落させ、全軍に待機命令を出した後、動きの悪かった部隊の指揮官を何人か呼びだしていた。
「私の指揮が悪かったのではない!兵のやる気が足らなかったのです!」
「それをどうにかするのがあなたの責務では?5日あげます。なんとか水準をあげなさい」
「くそ!成り上がり風情が!」
「待ちなさい」
そう聞こえるように吐き捨てるオルグ少佐を呼び止めた。
そこらの貴族に成り上がりと馬鹿にされるのはゼフォルは後で覚えていろよと容認できるが、自部隊の軍の規律だけはゼフォルは厳格で早急に対処することにしていた。
「あなたが仕事をこなせないのは、上官である私にも落ち度があります。だから改善のためにこうして呼びだして日数まで指定しているのです。しかし先ほどの発言は別です」
「ふん、騎士爵ごときが私を罰するというのですか?私は男爵家の嫡男で……」
「二度は言いません」
「貴様は俺の親から金をもらっているのだろ!」
「はぁそうですが」
いまだに訳の分からない言い訳を続けるオルグ少佐にゼフォルはあきれ果てた。嫡男など言っているが、コイツはゼフォルより年上だ。良い年して上の命令に従うことすらできないのか。
「こうも抗命するのならば仕様がありません、棒叩き20回です」
「はっ!」
「は?貴様嘘だろ!俺を誰だと思って……」
ゼフォルの指示でいまだ喚き散らす愚か者がゼフォルの兵に連れ出されていった。しばらく言い合いが続いたがやがて棒を叩く高い音とともに、ぎゃぁぁぁという悲鳴が響く、これでようやく自分の立場が分かったのか先ほどまで笑っていた者たちも顔が青ざめ始めた。
「さて、トナシュ少佐、あなたの隊について聞きましょうか」
「こ、こんなことをして!父上達の耳に入ったらどう思うか!」
ゼフォルは前言を撤回した。相変わらず馬鹿揃いらしい。
「学習能力がないのですか?彼も棒叩き20回です」
「はっ!」
「な⁉ま、待ってください⁉」
そうして連れ出され、再び悲鳴が響き渡る。ゼフォルとその麾下の兵以外の空気は最悪であった。
「そろそろ模範解答が欲しいものです、ハルソー少佐、あなたはオドール閣下に仕えていた古参のはずです。申し開きは?」
「わが隊には新兵が多く……閣下の求める水準に届くにはもう少し時間をいただきたい。一週間以内に改善します」
「よろしい、私の隊から数人教官役で出しましょう、なるべく早く改善するように」
こうしてやれば後の顔を真っ青にした残りの連中はハルソー少佐の言葉を見よう見まねで弁明し、とりあえず罰を食らうものは皆無だった。そしてさらにゼフォルは棒叩きにあった二人の副官を呼びだす。
「あなたたちがオルグ少佐、トナシュ少佐の副官ですか?」
「そ、そうです」
「はっ!」
「で?どうするのですか?」
ゼフォルに二人は困惑と恐怖が合わさったような表情をするがトナシュの副官の反応が早かった。
「わ、私がトナシュ少佐に代わって訓練の指揮をとります!五日以内で仕上げて見せます!」
「よい判断です。名前を聞いておきましょう」
「エルディム大尉です!」
「後ほど教官役の兵を送ります。そしてこれからはトナシュ隊ではなくエルディム隊にします。励むように」
「承知しました!」
そう敬礼をするエルディムに満足した後、オルグの方の副官に目を向けた。怯えた表情で何とか挽回しようとするのが分かった。
「わ、私もオルグ少佐に代わって指揮を執ります!」
「よろしい。活躍次第では隊長はあなたです」
「は、はい!」
これでようやく全員の対応が終わった、解散を命じるとホッした表情でゼフォルの天幕から出ていった。
ふぅと息をつく。こうも人を指導するのはエスメル以来だった。
しかし今回は彼女のように物分かりの良いものではない、ゼフォルの率いる兵はほとんどがウィルベート公爵家の兵士が多く、武門で知られる彼らはすでに経験豊富なものが多かった。
なにせ古参兵ともなればゼフォルの年齢と同じくらい兵士を務めている者もザラだった。
それに慣れてしまったのもあるだろうが、本当に西部出身の兵は酷かった。フィリクス皇子も良くもまぁこんな弱兵でバルグリフ殿下に挑もうと思ったものだ。
しかし例外も存在した。
ゼフォルの練兵所の少し遠くで一部隊機動していた。それはしっかりと統率され、3千の集団であるのに関わらずまるで一つの生き物のようだ。ゼフォルが率いる隊に匹敵する動きだ。
旗印はエインへリル家のもの。ほかでもないアルセリアの部隊だった。
「全軍あれだけ動ければ……というのは贅沢なのでしょうね」
西部貴族でもアルセリアのようなものも居るのだ。そう思いながら全軍の練度を何とか上げなければならなかった。次の訓練からはクレッチマーに引き継ぐ。
そうしてゼフォルは単身で要塞に帰っていった。
「ゼフォル将軍!わが息子を棒叩きにするとは何事か⁉」
いつもの貴族の迎賓室で経過報告を行おうと入室すると急にゼフォルは罵声を浴びせられた。ドゥーベ男爵だ。
「ドゥーベ男爵、私が何か悪い事をしましたか?」
「当然だ!わが息子オルグを不当に棒打ちにしただろう⁉」
「不当ではありません、軍令に照らし合わせて正しいことをしました」
「その辺の木っ端の兵ではないのだぞ!オルグは男爵家の血筋なのだぞ!」
ゼフォルは手が出そうだった。拳ではなく腰の剣でだ。 今目の前にいる貴族どもなど怖くも何ないが、まさか本当に軍務を真面目にこなしているだけで親が怒鳴り込んでくるとは思わなかったからだ。
そしてこいつ一人が喚いているだけならばこの男爵が阿呆だからで済むが、周りが咎める様子もない。中にはゼフォルに同情的な目を向けるものも居るが大多数は当然といった感じだった。まとめ役であるアンス侯爵も何も言わないがそれだけでゼフォルではなく貴族たちの肩を持っているのが分かる。
「……男爵、爵位がどうであれ軍令には従っていただかなければなりません、そうでなくては軍というものは成り立ちません」
「うるさい!即刻謝罪せよ!」
もう目の前の阿呆をのさぼらせるのも飽きてきた。あの親にしてこの子ありというわけだった。ちょうどゼフォルも彼には用があったのだ
「では私も言わせてもらいますが、男爵この目録は何ですか?」
「なっ!こ!これは⁉」
そうゼフォルが持ってきた紙を見せるとあれだけよかった威勢が急速に衰えうろたえ始めた。ドゥーベ男爵の手が紙を奪おうと伸ばすが、ひょいと躱し、迎賓室の貴族たちが囲む大テーブルにぶちまけた
「数日前、ハルード要塞にて見つかった報告のなかった財産の目録です。見事な美術品ですね。男爵の名前が刻まれているようですが」
「ち……ちがう!」
そうゼフォルが言った途端にそのほかの貴族たちの敵意の目がドゥーベ男爵を直撃した。
必死に弁明しようとするドゥーベ男爵だが、ほとんど効果がない。
周りもけっしてゼフォルの味方をしようとしたわけではないのだ。この金勘定しか能のない連中は軍で起きた暴力沙汰などより、抜け駆けして己の財産を隠して守ろうとしたのが気に食わないだけだ。
この目録を作るのはゼフォルに取って造作もないことだ。1年間所属し続けたハルード要塞はもはや庭のようなもので、すべての隠し部屋や脱出路を把握し、主要な倉庫に兵糧や装備などがどこにしまわれているかも把握している。
そしていま行っている増築工事もゼフォルがヴァン・ウィルベートの知識をもって直々に監修しており、この要塞で知らないことなどないのだ。だからどこに財産を隠そうと一目瞭然だった。
「なんと嘆かわしいのでしょうか、皆様が真の帝国のために貴重な資金を提供しきっているというのに」
「だ、黙れ!元はメイド風情のくせに!あ、アンス侯爵!これは違うのです!この者が私をはめようと……」
「黙るのはそちらだ!男爵!」
まだ言い訳を続けようとするドゥーベ男爵にたいしてゼフォルの味方をしたのは意外な人物だった。
「我ら固い絆で結ばれた西部貴族一同を裏切り!その上我らの為に汗水を流すゼフォル将軍に罵声を浴びせろなど言語道断だ!恥を知れ!」
ツヴァル伯爵だった。この男も最近何かとゼフォルの味方になることが多かった。恐らくだがこうして会議での主導権を握ることによって最も爵位が上であるアンス侯爵より目立とうとしているようにも見える。まぁそんな派閥事情などゼフォルにはどうでも良かった。むしろ味方してくれるだけましだと思っていた。
「……ツヴァル伯爵、そこまでにしたまえ、すまんなゼフォル将軍、ドゥーベ男爵の件は私が預かりしかるべき裁きを下す」
「わかりました。それで納得いたしましょう」
そしてツヴァル伯爵がでしゃばると、トップとしてアンス侯爵も発言せざるを得ない。絶妙なバランスで会議は進んでいた。しかしゼフォルの要望は全て通っていた。
「ゼフォル将軍……アンス侯爵や貴族たちから言われたのだが、もう少し彼らに優しくしてあげれないだろうか」
「は?」
総大将であるオドールに呼び出され、妙に神妙な顔をしていると思っていたらそんなことを言われた。
「どういうことでしょうか?」
「いや、君が王国との戦争のために頑張ってくれているのは分かる。しかし彼らも領地を失って大変な身なのだ」
ようやくゼフォルは理解した。少々彼らをいじめ倒しすぎたらしい。
貴族の戦いでは最も重要な情報をいくらでも集められるというハルード要塞という地の利を持ち、全軍の指揮権を得た。
そして真なる帝国のためになどというよくわからない大義名分を持ちえたゼフォルはまさに無敵だった。西部貴族たちから金を随分とむしり取り、すべて軍にたたきこんだ。
一度横領をしているのではないかと疑いをかけられたが、そんなことは事実無根であるし、ため込んでいた貯金もアルセリアに渡してしまったので疑われる余地もなく潔白そのものだった。
そこでようやく彼らは唯一東部方面軍でゼフォルの階級を上回るオドールに泣きついたのだろう。軍令を重視するゼフォルとしてもオドールの言うことだけは守らなければならなかった。
しかしゼフォルもこんなことはとっくに予測していた。二年前、東部貴族連合軍を率いているときに、ゼフォルの頭を超えてエスメルに相談されるということがあった。その時の経験でいつかオドールに相談されることなど承知のことだった。
だから対策も用意していた。
「オドール閣下がお優しいのは理解できます。しかし、真にアンス侯爵らは閣下を尊敬しているでしょうか?」
「そうでなければ私を頼ったりはしないだろう」
「失礼を承知で言います。オドール閣下が貴族として権力闘争に負けた時彼らは助けてくれましたか?」
「な……」
当初はゼフォルもオドールが西部貴族として失脚してしょうがなくバルグリフ殿下の派閥に入った話などどうでも良かった。
しかしアンス侯爵らの話に聞き耳を立てればこれらの話はよくされていたのである。ゼフォルはこのハルード要塞の隠し部屋だって網羅しており。
彼らがよく集まる迎賓室のその隣の隠し部屋でアンス侯爵達の陰口もすべて聞いていた。
「フィリクス皇子が破れて、惨めったらしく泣きついた彼らと閣下は違います。閣下は縁もゆかりもないはずのバルグリフ殿下の陣営で中将という階級を確かに手に入れた実力者なのです」
「それは……そうだが……」
ここで変に失脚時の話をするのではなくすぐに今の現状を褒め称える。ゼフォルにとってオドールの扱いはすでにお手の物だった
「そして私も彼らとは違うつもりです。ここまで信頼をいただき、軍の指揮権を任された恩は閣下の出世で報いるつもりです」
「な、何を……」
「ベルズーフ閣下を超えるのでしょう?」
「!」
そう言ってやると目に見えてオドールの態度が変わった。
「不当な評価を正すべきです。私は大将の座はオドール閣下こそふさわしいと思っています」
「そ、そうだとも!あのベルズーフが!忌々しいあやつより私の方が殿下のお役に立てるのだ!」
ついにオドールは立ち上がって声を荒げた。いつも大物ぶって余裕ぶっているのでその姿は新鮮だった。
話は合わせてやっているが失笑ものだった。確かにオドールも金をはたいて参謀を雇ったりしてそこそこのことはできるのだろう。
何もせず談笑しているだけのアンス侯爵たちやウィルベートの家臣という真の無能の相手をしていたからそれはわかる。しかしそこそこどまりでは決してベルズーフには勝てないのだ。
「わかっております。ベルズーフ閣下は内戦で同胞を倒して功をあげただけです。そしてこれから南部小国家群との戦いでも起用されると聞いています」
「なんだと!ベルズーフめ!また私を差し置いて」
そう叫ぶオドールだが差し置かれる理由など明白だったバルグリフ殿下は速攻を望んでいるのにオドールはどうにも即断ができる性格ではないのでこうやって防衛戦主体の東部戦線に回されるのだ。
しかし今回ばかりゼフォルはこの優柔不断のオドールの首を縦に振らせる予定だった。
「王国を征伐しなさいませ閣下、そうすれば大将の座は間違いありません」
「な、何王国を討つだと⁉し、しかし中央からは防備を固めよという命令が……」
「それがベルズーフ閣下の罠です。はっきり言いますが西部貴族の討伐も、南部小国家群との戦いもそう大した功績でもありません、帝国の最も恐れるべき国は王国です。王国を征伐できればその功は帝国史上最高の功臣として残るはずです。その功績を取られたくないから、ベルズーフ閣下は防備を固めよと言っているのです」
自分で言っててなんだがよく回る舌だとゼフォルは思った。
ベルズーフの真意など明白だ。ウェストガルトで聞かされていたのだから、
最も強大な敵である王国はほかの憂いを断って全軍でつぶすつもりなのだ。それが正しいのはゼフォルだって理解していた。エスメルが賛同したのだから。
目の前で困惑しているオドールを見ながら、自分が異常なことを言っているのはわかっている。
自分は明らかにベルズーフの意から、バルグリフ殿下の意からそしてエスメルの意から外れつつある。しかしもう決めたのだ。そして目の前の都合のいい総司令官様が途中で降りるのを許しはしなかった。
「ご決断をなさいませ閣下、アンス侯爵らの連れて来た兵と資金、これで東部方面軍を強化し、私に率いさせていただければ貴方を帝国の歴史上最高の凱旋将軍にできます。そうしてアンス侯爵らの領地の回復も思いのまま、そうすればかれらも、心から尊敬するでしょう」
勢いよく捲し立てる。これが正解だ。西部貴族として失脚し、ベルズーフには出世で負けたオドールの夢のような欲望をかなえてやると言ってやればその心を操ることなど容易かった。
「し、将軍!そ、そうだな。よく言ってくれた!そ、そうだとも!君がいれば俺はベルズーフを超えて真の英雄になれる!」
「そうです、そのためならば彼らに資金を切り崩させ、軍の訓練に文句など言わせている場合ではないのです」
「わかった!私からもよく言っておく!」
興奮しすぎたのかオドールは総司令官としての態度をを投げ捨ててゼフォルの手すら握って感謝を述べ始めた。それを最高の作った笑みで迎えてやった。
これでオドールとアンス侯爵らが団結してゼフォルを追い落とそうとする面倒な事態にはならないだろう。
金はあっても根無草のアンス侯爵らはそれでもオドールに寄生しなければ生きていけないし、だからと言って西部貴族のこだわりである資産を奪っていかれるのは憎々しいだろう。
そして纏まっているように見えて実態はバラバラの東部方面軍はゼフォルへの依存を強めざるを得ない。 なぜならばこれを率いて王国と戦える人材など他にはいないのだから。
越権行為と勝手な徴兵、もちろんこれは大将であるベルズーフへの命令違反だ。すでにゼフォルとてバレればただの叱責では済まない事だった。
だが、それが何だというのか。ここで勝ちさえすればこの帝国最強の将軍の座が手に入るのだ。
軍令など所詮平凡な指揮官を前線で何とか役立てるためにあるのだ。ゼフォルにとっては身を縛る鎖でしかなく、己が思うままに戦争して思うままに功績を得るためなら、破ってもどうとも思わなかった。