「報告!クレッチマー将軍が敵将ゾルードを討ち取りました!」
「報告!アルセリア臨時大佐が敵軍を撃破!指揮官も複数打ち取った模様!」
「敵将カルデンの死体を発見!」
続々と伝令がゼフォルの本陣に駆け込んでくる。そのほとんどは吉報であった。戦いの結果は完勝といって良かった。優秀な兵を預けたクレッチマーとアルセリア、双方勝利したらしく、これによってイスペリア帝国軍は三つの街道すべてでロッソ王国軍の主力部隊に勝利したのだ。
流石の連戦のため、帝国軍の損耗もひどく、敵軍が完全に逃げ帰ったのを確認し、疲れ切った軍に陣をひいて休憩させていた。
勝利に沸く帝国軍の中で、ゼフォル自身は一睡もせずにガルセルの一撃でいまだ痛む右手をかばいながら本陣で執務作業にいそしみ、続々とくる戦勝報告を受けていた。
だがゼフォルはいつもの鉄面皮で兵を労いながらも心の中は荒れに荒れていた。捕虜からの情報で件の王族はハルディン第二王子というのが分かったが、まんまと逃げおおせられた。
ツヴァル伯爵らはゼフォルに代わって追撃を仕掛けたものの、偽兵の計や影武者にまんまと騙されたらしい。
その代わりにと討ち取った一般指揮官の首を功績だと誇るツヴァル伯爵を切り殺さなかったのはよく耐えたものだとゼフォルは自賛していた。
戦いには勝利したが逃がした魚は大きかった。
「少し休みます。急報だけ通すように」
ある程度の執務も終わり、副司令官用の天幕へ入る。連戦の指揮を執り、執務までこなした体には限界が来ていた。それでも普段ならば多少の無理をこなしただろうが、ガルセルにやられた傷が嫌な熱を持っていたためおとなしく休むことにした。
従者も追い出して乱暴に鎧を脱ぐと、そのまま寝台に体を横たえ仮眠をとろうとする。しかし先ほどまで執務で回転させていた脳内は止まらず、無用な想像を膨らませる。
考えるは獲り逃した大魚のことだ。
いっそのことこの戦場に出てこなかったらとすら思ってしまう。そうすればゼフォルは純粋なこの大勝利に満足していただろう。
だが、王族である。情勢を大きく左右する玉体なのだ。 戦略には疎いゼフォルでも捕まえた時の価値は想像がつく。それで王国が降伏などはしないだろうが、捕虜交換や停戦など、いくらでも使いようはある。
そう停戦である。ゼフォルの脳裏には本来の目標より後ろ向きなそんな言葉が浮かんでいた。
もし、ハルディンをとらえていたら、ゼフォルは何も恥じることなく堂々と撤退を選んでいただろう。それは最早撤退ではなく栄誉ある転進なのだ。
有力な捕虜を敵から奪回されることなく帝国に帰還する。その行動にオドールやアンス侯爵も文句のつけようがない。軍人としても正しい。何よりゼフォルの自尊心も満たされるだろう。敵の大軍を破り王族を捕らえたのだ。その功績はベルズーフにグローメル、そしてエスメルの功績を束ねても勝てやしない。
たらればを重ねても結果は逃がしたのだ。いくら王国の国境の城塞を粉砕し、主力を撃破しても、王国は戦いをやめないだろう。少し前のゼフォルならば望むところだと意気盛んにしていたかもしれない。
しかし下手に栄誉ある停戦を逃した今では、その先の展望が恐ろしく感じた。今回の戦いのツヴァル伯爵らの不甲斐なさを思い出す。せめて、アルセリアかクレッチマー、いや彼ら二人に回したゼフォルの部下の何人かでもいれば、決着はついていたに違いない。
この体たらくでこれ以上進んでも良いのかと考えてしまう。もしここで停戦できてればゼフォルは勝ち逃げができた。この分の悪い賭けから逃げられたのだ。
「っつ!あぁぁぁ!」
結局眠れず起き上がり、かっとなって枕元に置いていた剣を振るってしまう。何も罪もない机が真っ二つになった。
「ツヴァルの阿呆が!手負いのガキ1人捕まえられないのか⁉︎ここで捕まえていれば私は……!私は!」
切られるがままに真っ二つになった机がなぜかムカついて思い切り蹴り飛ばした。天幕の外に飛んでいく。
いつもの口調が崩れるのはゴルガマスに頭を砕かれた時以来だ。公爵家でメイドとして矯正される前はゼフォルの口調はこんなだった。もう何年も前のことで取り繕っている自覚もなかった。幼子が成長とともに口調が変わるソレと同じだと思っていたが、それが崩れるほどにゼフォルは怒っていた。
「し、将軍!何かありましたか⁉」
「あぁ……少し戦勝に気分が昂ってしまって、これ片付けといてくれますか?」
「は、はい!」
大きな物音に反応した警備の兵が駆け付け、ゼフォルはいつものように対応したつもりだった。しかしその兵の顔はまるで怪物を見たかのようだった。
南部小国家群と対峙する帝国軍南部方面軍の本営をエスメルは歩いていた。周りには中央から派遣されたベルズーフ大将麾下の士官の姿が見える。
「いやはやまさか東部方面軍が大勝利を収めるとは!」
「オドール中将もなかなかやり手ですな!」
「帝国万歳!」
彼らの顔色は一様に明るい、数日前まで張り詰めたような空気が流れていたのにである。
理由は帝国軍東部方面軍大勝利の報告を受けたからだ。ベルズーフ大将の旗本として帝国軍最強を自負している彼らは相応に能力が高い。今回の二正面作戦では自分達が担当する南部方面ではなく、本命は東部だと言うことに気が付いていた。
帝国で最も強いベルズーフの本隊がいかに南部小国家群を早く下し、ロッソ王国相手に奮闘する東部方面軍へいかに早く援軍に向かうことを念頭に置いていたのだ。
「ベルズーフ閣下に呼ばれたのだけれど」
「これはエスメル臨時准将!閣下はこの先の部屋でお待ちです」
エスメルは南部小国家群との戦いの中で大佐に昇進し、さらに将官の会議に出席できるように臨時准将の位にまで昇進していた。未だ階級では低いが、帝国最年少の将官の座をゼフォルの記録を破っての就任だった。
そんな年若いエスメルを旗本たちに見下すような態度は一切ない。
バルグリフ皇太子の直営軍といっていい彼らは実力主義政策の恩恵を最も授かっている軍隊だ。その構成員の中には下級貴族の次男、三男坊や平民出身のものすらいる。敵将ゴルガマスから奪った大斧を振るい、戦場で獅子奮迅の活躍を見せるエスメルを没落貴族の小娘と見下すものはいなかった。
案内された部屋に入る。そこには総大将であるベルズーフと南部方面軍の将軍であるグローメル少将もいた。
「エスメル臨時准将、小国家群での活躍ご苦労だった」
「責務を果たしたまでです」
「君も聞いているだろう。東部のことを」
「勝ってはいるようですね、私は会ったことがありませんがオドール閣下はとても優秀な方なのですね」
東部方面軍の戦勝報告はもちろんこの場の全員が聞いている。しかしこの場にいる将官たちは素直にその勝利を喜んでいなかった。
「いや、この場でいうのもなんだが、オドール中将はあまり攻勢に秀でた人物ではない。多くの参謀を率いて守勢に回るなら良い人物なのだがそうではないのだ」
「そうなのですか?では一体……」
エスメルは見たこともないオドールという人物がさぞやり手なのだろうと思っていた。いや思い込もうとしていた。そうでなければこんな無謀な攻勢をかけようとする人物など知る限り一人しかいないのだから。
「貴官もよく知っているだろう、ゼフォル少将がこの絵を描いた可能性が高い」
「……オドール閣下ではないのなら、そうだと思っていました」
そう言われても驚かなかった。細かな戦況はエスメルもよく聞いていた。
速攻で国境の敵の集結地点である城塞を陥落させ、そのまま畳み掛けるように集結前の敵を各個撃破する。こんな攻撃的な作戦を立案して実行する者などエスメルの知る限り一人だ。
目の前のベルズーフも優秀だがそんなことはやらないだろう。どちらかといえば慎重な指揮を好むタイプだからだ。
「証拠としてこの文字に見覚えはあるだろうか」
そう言って一枚の命令書を渡される。なんてことない方面軍から中央への報告書だ。しかしその字は見覚えがあった。読めることには読めるのだが、とても達筆とは言えない、速く書くことだけを追求したような書き殴られた文字。それはゼフォルの文字だった。
「間違いありません、ゼフォル少将の文字です」
「やはりそうか、そうなると今東部方面軍から送られてくる報告書のほとんどゼフォル少将が書いていることになる。しかもだ東部方面軍は元西部貴族の兵士たちを雇い入れてその戦力を増強している」
司令官の頭を超えて、ゼフォルが東部方面軍の指揮を執っている。
その言葉を聞いてエスメルはある意味納得していた。長い付き合いなのだ。自分の直属の上司の能力に不満を持てば、ゼフォルはそれくらいする。
昔から彼女は独善的で協調性など0に近く。ずる賢いのだから、抑えるものがいなければどこまでも増長し続ける。オドールとやらでは抑えられなかったのだろう。
エスメルの経験の中でも彼女を抑えきれる人材などわずかしかいない。目の前のベルズーフならできるだろうし、そしてエスメル自身もあと少しでそうなるつもりだった。
「東部方面軍の勝利は喜ぶべきことだ。しかしこの現状は危ういものがある」
ベルズーフのその言葉に一同は沈痛そうな顔持ちになった。この場にいる将官たちは帝国軍の重鎮として佐官クラスの指揮官達のように素直に喜ぶわけにはいかなかった。
「ゼフォル将軍は閣下の戦略から逸脱しているように思います。帝国東部は警戒命令の身で進撃の許可は聞いておりません」
「もちろんその通りだ。総司令官のオドールにもだ。しかし威力偵察からの戦果拡大の一言で報告書は済まされてしまった。しかも物資の動きから撤退する気はないらしい」
態度には出さないがベルズーフは怒っているようだ。無理もない、今回の戦いは、東で守りを固めて、南で攻勢に出る。これさえ守れば帝国は勝者になりうるのだ。今回の勝利は見事だが、これ以上リスクを求める必要はない。
もしかしたらゼフォルはこのまま王国を滅ぼそうというのだろうか、それは不可能だ。帝国だって二年前の大敗北からのヴァンダル高原で逆転をしたのだ。王国が同じことをできない道理はない。
「閣下、お願いがあります」
「聞こう」
「私を東部への援軍に行かせてください」
「それだけか」
「私を臨時を外して准将に昇格させ、さらに臨時少将の座を頂きたい。そして憲兵隊の一部をつけて東部に送りください」
法外な要求だが通ると思っていた。エスメルはこの南部で相当な功績をたてた。准将は確実といっていい。
そしてこれはゼフォルを将軍にした時もやった手法だ。ただ請うだけでほしいものは降りてこないのだ。いまベルズーフが求めていることはただ一つ、ゼフォルを止めることだ。それに必要なものをすべて要求する。これをよこせば成し遂げるという意思表示を示すのだ。
「満点の回答だよ。エスメル臨時少将、君の求めているもの、すべてに融通を利かせよう」
「ありがたき幸せです」
「グローメル少将、君の元からエスメル少将を引き抜くが、構わないな」
「はっ!幸い小国家群はすでに風前の灯です。確かにゼフォル将軍の独断専行は問題ですが、この勝利による小国家群の動揺はとても大きい」
意外にもゼフォルの勝利は南部前線に大きな影響をもたらしていた。
元々小国家群が戦争を仕掛けたのは、バルグリフ皇太子の政策で関係が悪化したのもあるが、その根元は国家戦略に由来している。
バルグリフ政権になってからみるみるうちに国力を伸ばしていく帝国と、ヴァンダル高原の戦い以降いいところが無かった王国。この二大国家のパワーバランスが崩れたせいだ。
南部小国家群はその国力の低さから大陸の趨勢を直接動かす力はなく、帝国と王国がうまいこと削りあってバランスをとることに腐心していたのだ。だから今回の戦いでは王国側について帝国の勢いを止めようとしたのだ。
つまり小国家郡の目的は自分たちが帝国を南部で足止めしているうちに、王国が帝国を撃破することなのだ。しかしその目標もゼフォルの勝利で根幹から崩れてしまった。
度重なる自国の敗戦以上に王国軍の敗北によってめっきりと元気をなくした小国家群はすでに構成国の半分が降伏しており、残りも時間の問題だった。
「そうだな、素早く東部に援軍を送れると喜ぼう。エスメル臨時准将、くれぐれも東部方面軍を頼む。貴官には酷だが、最悪憲兵を使ってでもゼフォル将軍を止めてほしい」
「承知しました」
エスメルとしては別にゼフォルが上官を蔑ろにして独断専行しようが、好き勝手に戦争しようがどうでも良かった。ヴァン・ウィルベートでの大恩もある。才能があるし戦争が好きなのだから伸び伸びと謳歌することを否定はしない。
越権行為だって責めやしない。彼女を扱いきれない上官が悪いのである。なぜなら二年前、当時15のエスメルは扱いきったのだから。
だがその結果死ぬのだけは絶対に許さない。その為ならゼフォルを憲兵に突き出すのも厭わない。
彼女は降格か最悪戦犯として裁かれるかもしれないが生きてさえいれば幾らでも庇ってあげる。そしてまた自分の副官にするのだ。それが一番良いに決まっている。
最悪軍から追い出されてしまってもまたメイドとして雇ってあげよう。メイドとして微妙でも人生で一番気に入っているのだから。
そうエスメルは決心していた。