ロッソ王国の主力部隊を撃退したゼフォルは総軍の休憩も再編成も終わりさらなる侵攻を開始していた。
主力も破った今、王都を落とせる可能性すらあるのだ。仕掛けない手はなかった。
もう東部方面軍にはゼフォルの障害になるものはない。オドール一派もアンス侯爵も先ほどの輝かしい勝利で戦争に関しては何も言えなかったからだ。
三街道の戦いの後行われた軍議ではまさにゼフォルの独壇場であり誰も文句は言わなかった。
無人の野を駆けるように進んだゼフォルの軍団は複数の城や街を占領し、順調な快進撃を繰り広げていた。しかしゼフォルの内心には焦りがあった。
「王国軍のザントン城塞を落とし、敵の主力を潰した我々の優位は明らかです。このまま戦果を拡大していきましょう」
軍議でゼフォルが地図を指さしながら参加する面々に説明をする。それを遮るものはいない。先ほどの戦いで勝利を果たしたゼフォルに横やりを刺そうものなどいなかった。オドールもうんうんと頷いているだけで、その配下の参謀も黙っている。
何か喋ろうとしてもゼフォル以上の論を出せる自信がないのだ。
「我ら帝国は二正面すべてで勝ちつつあります。先ほどベルズーフ閣下が南部小国家群に大勝した報告が来ました。……そろそろ援軍が来るかもしれないですね」
その報告にオドールと西部貴族たちの顔色が変わる。帝国の勝利自体は喜ばしいが、せっかく勝てたのに功績を奪われるのでは?という考えが浮かんでいるのだろう。
勿論これもゼフォルの策だ。怠惰な彼らの尻をこうやって叩いているのだ。
「ゼフォル将軍の言うとおりだ!このまま王国を叩き潰すべし!」
「ベルズーフなど必要ない!我々だけで十分だ!」
その証拠にツヴァルが意気揚々というと西部貴族たちはやんややんやと勝手なことを言い出した。
一体それを発案し実行するのは誰なのか?といいたいところだがゼフォルはぐっと我慢した。このままいけばまたゼフォルの考えが軍議で通る。
そう思ったが意外な人物が待ったをかけた。
「いや、我々は十分に勝ち、時間も稼ぎました。無理せず撤退しベルズーフ閣下の援軍を待ちましょう」
クレッチマーだった。これまでなんだかんだでゼフォルに従っていた彼が異を唱えたのだ。
「何を――」
「なんと臆病なのだ!見そこないましたぞ!」
ゼフォルが真意を問いただそうとするがその前にツヴァル伯爵がクレッチマーを怒鳴りつけた。
「これまでの進撃はゼフォル将軍が入念に準備し、情報を集めたからできたものなのです。これ以上深入りするとなると。我々は未知の敵地を進むことになり、兵站も伸びて苦しい戦いを強いられるでしょう」
「黙れ!ゼフォル将軍がせっかく敵を撃破したのだ!恐れる必要はない!それに兵站など我々の財力ならばいくらでも補える!」
「金はあってもどう運ぶつもりですかな?」
「ゼフォル将軍が作戦をたてれば問題はない!」
感情的に叱りつけるツヴァルにクレッチマーはあくまで冷静に返す。彼の論はゼフォルも納得できるものだった。これで二人とも准将だというのが信じられなかった。
いったいツヴァルは何の才能があってゼフォルの大事な部下であるクレッチマーを怒鳴りつけているのか?明らかに建設的な話ができるのはどちらなのか。
「少し黙りなさい准将」
「そうだぞ准将!」
やんわりと注意しようとするゼフォルだが、とんでもない勘違いをされた。そりゃ同じ准将だがそっちじゃない。月とすっぽんとは言うが、すっぽんが月を責めてるところなど初めて見た。
「……ツヴァル准将、あまり人の意見を封殺するものではありません」
「は、はい」
「それで少将、補給線の守りは誰に任せるおつもりで?」
なぁなぁで済ませようとするゼフォルだが、意に介せずクレッチマーは追及をつづけた。
「ハイデン大佐に任せようと思っています」
「ハイデン大佐はいまだ経験浅く任に耐えうるとは思えません」
「将軍!息子が任を果たせないとはどういうことか!ひぃっ⁉」
ハイデン大佐の親である貴族がクレッチマーに食って掛かるがゼフォルがすさまじい眼光で黙らせた。今はクレッチマーと話しているのだ。無用な横やりなど聞きたくなかった。
「ではあなたは誰ならいいと思うのですか?」
「9万の大軍の補給線を守り切る。この大任に耐えうる人物はわが軍でこの私か、アルセリア大佐、そしてゼフォル少将、貴女しかいますまい」
「話になりませんね、あなたもアルセリアも私の軍の要、これから攻め込むというのに欠かすわけにはいきません、それに私を下げる?できるはずがありません」
「そのどれもできぬのならばいっそ撤退してしまうべきです。それなら無用な犠牲を出さず、我らは帝国に凱旋ができます」
この発言にはゼフォルも閉口した。ここまで盤石の態勢を築いたゼフォルに歯向かってくるのは想定外だった。クレッチマーのことを見誤っていたのかもしれない。
「勝っているというのになんと弱気な!」
「将軍は東部の出身であろう!国境を脅かす大敵を討てるこの機会を不意にするつもりか!」
「恥を知れ!」
固まったゼフォルに代わるように西部貴族たちが責め立てるが、クレッチマーは意に返さずゼフォルだけを見つめていた。その様子にゼフォルはまるで取り巻きを使って責め立てているようで恥ずかしくなった。
「皆!静まれ!クレッチマー将軍と帝国のためという気持ちは同じだ。ただ慎重論を言っているだけではないか」
ゼフォルに代わるようにオドールが総大将として一喝をした。これでようやくゼフォルの思考も再起動する。何かと舐めていたがこの男、あれだけの参謀をまとめていた辺りこういうことは得意なのかもしれなかった。
「で、ゼフォル将軍いったいどうするつもりだ?」
「……そんなに言うならクレッチマー将軍自身に補給線を守らせましょう。それで文句はないですか」
「御意」
オドールに言われて、ゼフォルはようやく決断した。クレッチマーの能力は惜しいが戦争に乗り気でないものを連れてきてもしょうがないと思考を切り替える。だがそれでも、信用していた相手にこうも否定され抜けられるのは悲しかった。
クレッチマーを欠いたとはいえである。名目はオドールではあるがゼフォル率いる帝国軍はいまだ8万を超える大軍である。破竹の勢いで王国領を進んでいた。
「落とせ!敵は寡兵だぞ!」
「このままいけば俺らが英雄だ!」
「我がお家の再興のために死力を結集せよ!」
それはもう面白いように敵の城や陣地、都市に村を侵攻していた。王国軍は先ほどの戦いで主力を失ったのである。だがしかし総司令官であるゼフォルの表情は晴れなかった。
明らかに敵の抵抗が弱すぎる。王国はこの大陸で帝国と張り合う大国なのだ。このまま終わるはずはない。主力を撃破されたといってもこの無抵抗さはおかしかった。
おびき寄せられている。
肌ではそう感じていたが、このまま王国の降伏を目指すゼフォルは進撃を止めなかった。いや止められなかったというのが正しいだろう。
「アンス侯爵、あなたの部隊が予定にない村を襲ったようですがなぜですか?」
「将軍、敵将が逃げていったから追ったまでだよ、それに物資の補給も必要だったのだ」
「……あの村は戦略的にも無意味です。物資の補給としてもたかが知れている備蓄しかないはず」
「戦争なのだから物資は少しでもあるに越したことはないだろう?」
目の前のアンス伯爵を強い口調で咎めるが飄々といなされてしまった。
物資兵糧に関しては後方にクレッチマーを回しただけあって、補給が途切れることはなくこのままできるだけ最短路で大きな都市や砦から奪えばなんとかやりくりできる試算が出ていた。
つまりアンス侯爵がやっていることは全くの無駄なのだ。侯爵がゼフォルの命令を無視してまでこんなことをしたのはおおよそ予想が付く、絶対に勝てるであろう小さな村に対してその嗜虐欲を満たしたのだ。
別にゼフォルとて聖人君子ではなく、必要なら略奪命令などいくらでも出す。しかしまったく意味のない行為をしろとは言わない。
それもあってアンス侯爵を問い詰めるのだが、貴族らしいふてぶてしさで全く耳に入れていない。
少し前は東部方面軍の支配者であるゼフォルの命令は絶対であった。それは侯爵でも例外ではない、しかしその支配に綻びが生まれつつある。
「まぁまぁ将軍、べつに良いではないのですか、ほかならぬ将軍のおかげで勝っているのですから」
そうアンス侯爵の取り巻きの一人に窘められる。
東部方面軍は先ほどの勝利で完全に油断しきっていた。あれだけゼフォルは王族を逃したことを後悔し、今後の展望に頭を悩ませているというのに、あの大勝によって西部貴族を中心とした将校たちはすっかり王国を見くびるようになった。
その結果がこれである。
これでもゼフォルが徹底した訓練をした軍隊ではあるので、最低限の命令は聞くが、世暇があれば余計なことをしだすようになっていた。
それを咎める力はゼフォルにはなかった。ある意味これが厄介で彼らは別に急にゼフォルを嫌ったわけではない、王国はこんなに弱いのに副司令官サマは心配性だと思っているだけなのだ。
このいびつに膨れ上がった東部方面軍に真に信頼関係があるわけでもない、結局利用しあっているだけなのだ。
ゼフォルは西部貴族たちに圧倒的な軍才を提供し、王国軍を撃破することでその資金と戦力を供給させ続けていた。
しかしこの関係も貴族たちが王国を見くびるようになれば、生意気なメイド上がりの言うことを聞く必要などなくなるのだ。
今はまだ戦地とあって決定的な決裂は起こっていないが、結局ゼフォルの提供する軍才は形ないもので、貴族たちの出す資金に物資は形あるものである。貴族たちがいらないと判断すればゼフォルは不利な立場に陥った。
「侯爵、将軍の言うことは最もだ。勝手な真似は慎んでほしい」
「む……」
ここでゼフォルの援護に回ったのは意外にもオドールだった。単純にゼフォルを助けているようにも見えるがそうではない、彼も結局この戦いで自信をつけて独自に指揮を執ろうとしているだけだろう。
その後も軍議は続いたがゼフォルももう強く何か言おうとはしなかった。こんな連中になめられている事実が無気力にさせていた。何か手を打たなければならないのにこの軍は強敵にぶつからないと変わらないだろう。
「将軍このままで良いのですか?」
「……」
会議の後、ゼフォルの陣地にアルセリアが訪れていた。唯一残ったまともな将校である彼女の言葉はいくらゼフォルでも聞かなければならなかった。無言で続きを促すとアルセリアは口を開いた。
「いつまで連中を好き勝手になさるつもりですか?ただでさえクレッチマー将軍を後方に下げ、前線にまともな将校が減っているというのに、ここでゼフォル閣下の命令すら聞かないなどこの敵地で自殺行為としか思いません」
「……連中など痛い目を見ればいいのです。そうでなければわかりはしないのですから」
「一度手痛く負けようと?」
詰めるようなアルセリアにこくりとゼフォルは頷く。
もう策とも言えない強硬策しかなかった。一回適度に痛い目にあって再びゼフォルの影響力を高めるのだ。そのために兵を失うのは惜しいが、どうせ2万ちょっとは泡銭のように湧いてきたようなものだ。
それで再びゼフォルの手のひらに全軍が戻るならそれでよかった。
しかしそんな壮大な下策を流石のゼフォルも一人ではこなすことはできない。目の前のアルセリアだけは説得しなければならなかった。
「アルセリア、貴女だけは特別です。この手痛い損害の中に貴女も部下もいれないことは約束しましょう」
「魅力的な提案ですが、ゼフォル将軍にしては随分後ろ向きではないか?役立たずの一人や二人命令違反で首をはねて規律を正すべきだ」
「できればやってます。貴族どもの厄介さは伯爵であった貴女ならわかるのでは?」
「それ以上に戦場が厄介なのを将軍はご存じのはずだ」
「……アルセリア!」
反抗的なアルセリアについ声を荒らげてしまう。ゼフォルとてわかっているのだ。今のままではいけないと、だからこそアルセリアだけは味方にいてくれればならなかった。
「まぁ連中の厄介さはよくわかります。わたしとて西部貴族の端くれでしたから。しかしあなたが力を振るうわなければこの軍団はどうしようもないのです。その点だけはご留意を」
「……わかっています」
アルセリアの心配交じりの忠告にゼフォルはうなずくしかなかった。