ゼフォル率いる帝国軍は王国都市アルガンを兵糧攻めで降伏させ再進軍を始めていた。アルガンを陥落させれば王都ロッソリアへの道を防ぐ障害はほとんど存在しない。こんな王国奥地にまで軍を進めたのは帝国史以来ゼフォルが初めてであろう。
しかし王国軍も黙ってこれを見ていたわけではなく、アルガンで稼いだ貴重な時間を活かして再び5万の大軍を再編成し、今まさにゼフォルの眼前に展開されていた。
対陣する王国軍をゼフォルは忌々し気に見ていた。
この戦いも本来なら必要なかったものだ。アルガンで一か月も時間を取られなければ、この軍勢は間に合わず、帝国軍は王都への攻撃を開始したはずだ。
いやそもそもあの戦いで王族を捕まえていればアルガン攻城戦すら発生しなかった。
この大きすぎる二つのミスすべてが、西部貴族どもの能力不足と油断に起因しているのだ。
この地は要害もなく、なんてことのない平原地帯だ。たかが5万程度の王国軍など今の8万の帝国軍を率いるゼフォルにとって取るに足らない存在だ。
だがすでに何度か刃を交えたものの王国軍は粘り強く抵抗を続けていた。
もう王国軍に余裕がないはずなのだ。主力部隊は撃破され、目の前の軍は動きの悪い部隊が多く、新兵や訓練中だったであろう兵が多く見られた。
しかし士気は非常に高かった。ここを突破されれば後がないのは百も承知なのだろう。指揮官や兵に練度不足は見られるがそれを補うように必死になって戦っていた。
下手に動かず、亀のように布陣を固めてひたすらに足止めをしてくる。こうなると奇襲や奇策で一気に畳み掛けるのが得意なゼフォルにとってはやりにくい相手となっていた。
だがそれ以外でも問題があった。
「ハイデン大佐は何をしているのですか?攻撃指示を出したでしょう?」
「は、はぁ……そのはずなのですが」
なにがはぁだと目の前の将校を殴りつけたかったが、我慢した。目をかけていた将校達はすでに各戦区に派遣している。特にアルセリアなどはもうずっと最前線だった。ゼフォルの周りには二線級の戦力しか残っていなかった。
副司令官であるゼフォルが怒りを飲み込んでいるのに、目の前のこいつは困惑しかしていない。能力もなければ気も利きやしない。
ゼフォルとその他指揮官達の関係も微妙なものとなっていた。アルガンの戦いの結果、今でこそ実権はゼフォルの元にあるが、一度離れたものはそう元には戻らない。最初は素直に言うことを聞くが、戦いが長引くと堪え性がないのか独自に動き出すものまで現れる始末だった。
さらには決死の勢いで抵抗してくる王国軍に及び腰になっていた。いまの帝国軍はザントン要塞以来、連戦連勝で、戦勝ムードがはびこっている。勝っているのに死んでしまってはもったいないとやる気を出していないのだ。
ゼフォルからすれば王族も捕らえられず、王都も落としてないのにそんな能天気な思考ができるのが理解できないどころかうらやましかったが、この温度差が帝国軍の動きをぎこちなくさせていた。
「エルディム少佐」
「はい!」
「貴方は麾下の兵を率いて援軍として駆けつけ、攻撃を開始しなさい、聞かないようでしたらハイデンを切っていいです」
「は⁉︎はい!」
ゼフォルにとって手元に残った最後のまともな将校であるエルディムに命を下す。その命令に青ざめた彼は陣地から逃げるように出ていった。ゼフォルが仕立て上げた東部方面軍8万は数こそ立派だったが長期戦の弊害で様々な問題が表面化しつつあった。
「アルセリア大佐に至急攻撃を仕掛けるように伝えなさい」
「伝令!急ぎの伝令です!」
万全を期して切り札たるアルセリアの部隊に命令を出すゼフォルに急の伝令が駆けつける。しかしゼフォルは彼に違和感があった。
「死ね!悪魔!」
「っつ⁉︎」
駆けつけた伝令は剣をゼフォルに振り翳した、辛うじで曲剣で弾く。
「その程度で私をやれるとでも?」
「くそっ⁉︎む、無念……」
「ぜ、ゼフォル将軍ご無事で⁉︎」
「健在です。こいつに尋問を」
「し、承知しました」
そしてそのまま偽伝令をバッサリと斬りふせた。慌てて駆けつけた護衛の兵に不届きものの体を足で転がしながら預ける。その声色はかなり苛立ったものだった。
ゼフォルを狙った襲撃は今回が初めてではない、アルガンを陥落されてからと言うものの幾多かゼフォルを狙った暗殺は起こっていた。比較的被害の少ないであろう王国の密偵達が必死になってゼフォルを狙っているのである。
心当たりはいくらでもあった。王国に対してゼフォルは殺し過ぎた。前回の決戦や兵糧攻め然りである。王国民の怒りは間違いなくゼフォルに向かっている。しかし別の理由もまだあった。
「左翼、王国軍が攻撃を仕掛けてきました!」
「ハルソー中佐に対応させなさい」
明らかにゼフォル襲撃と敵軍の攻撃タイミングが被っているのだ。おそらく帝国軍東部方面軍の実態がゼフォルの指揮一つで動いていると言う内情に薄々と王国は気がついている。数の面では強大な帝国軍だが、ゼフォルがいなければ機能しない張子の虎だという弱点をついているのだ。
ゼフォルが殺されるまでいかなくとも襲撃によって注意を引ければそれだけで帝国軍の動きは鈍くなる。
眼前の兵力こそ少ないものの、徹底してゼフォルを対策したような王国の動きにゼフォルはこれまでにないやりにくさを感じていた。いや、違う。自分の戦術が対策されるなど指揮官として想定の範囲内だ。本来ならいくらでも次の手、その次の手とくりだせば済むはずなのに、今のゼフォルはこの東部方面軍の維持で手一杯なのだ。
死力を尽くしている敵にどこか腑抜けている味方。そのすべてがゼフォルにとって忌々しかった。
その日の戦いは王国も帝国も勝者のないまま日が落ちた。もうここ最近本陣には戻っていない。
強大な帝国軍を率いるには本陣で引き篭もってはどうしても命令が遅れるし、今さらオドールやアンス侯爵と会議しても利になることもないからだ。これ以上邪魔されても殺意しかわかないので、適当な後方に配置してゼフォルは二人を放置していた。
それでも停滞気味の戦況に成果を要求してくる彼らに辟易していた。無視するように前線に程近い場所に陣地を設け、そこでゼフォルは全軍の指揮権を握り、全ての指示を出し続けていた。
「戻りました」
「良い働きでしたアルセリア」
書類に判を押しているとアルセリアが入室する。まだ鎧姿でそのまま休憩もせずに来てくれたらしい、人払いをして迎い入れた。アルセリアがいれば下手な護衛兵より役に立つからだ。
「貴女には助けられていますからね、紅茶でも入れましょうか?あぁそうだオドールから送られていた菓子が……」
「らしくないな」
労わろうとするゼフォルだが、アルセリアの一言にピシリと固まる。
「労わってくれるのはうれしいさ、だがあまりにお前らしくない、少なくとも私にかしずいたりしなかったはずだ」
「そんなことは……」
「言っておくが悪口を言っているわけじゃないぞ、不遜な振る舞いに相応しい実力を持っていたのがゼフォル将軍だった。それが私にかしずくほど弱っている」
ゼフォルは何も言えなかった。アルセリアの実力は認めている。しかしあくまで部下なのだ。必要以上に労ったりはしない。
しかしもはや彼女はゼフォルの生命線と言っていいほどの存在になっている。昼間の戦いといい、アルセリアにそっぽ向かれればゼフォルの作戦は成り立たないのだ。だから必要以上にゼフォルは気を遣っていた。
「……貴女に背かれれば、まぁ困りますからね。これくらいのことはしますよ」
「こんなところまで来てしまったんだ。今さら背かんよ。それよりもう何日も寝てないんじゃないか?」
「貴女以外に重責を任せられる人間などここにはいません。やれる事をやっているだけです」
アルセリアの指摘の通りゼフォルは最近寝てもいないし休憩もせず全軍の指揮に勤しんでいた。ゼフォルとてまだ20代前半だ。多少の徹夜など問題ではない。
「一回鏡を見たほうがいい」
そう言って手渡された手鏡を見てゼフォルは絶句した。そこに写っている自慢でもある整った顔立ちの美女はゼフォルではある。目元には濃い隈ができており、髪の艶も失われている。よくみれば何本か白髪すら混在していた。己の美貌に自信しかないゼフォルにとってこれはショックだった。
さらに表情がゼフォル本人ですら見たことがなかった。いつもの鉄面皮は爛々と光を放つ目を中心にまるで獣のような狂相になっていた。いっぽうでその表情は神経質そうに不安を隠せていなかった。
多少の身だしなみの乱れなら戦場なのだから許容できる。しかしこんなひどい表情と目をしたことなど一度もなかった。
「こ、これが私……」
「この軍はお前がいなければ終わりだ。だからこそ休憩くらいは取ったほうがいいぞ。前線にも出てないのにすごい表情だぞ」
「ええ……そうかもしれませんね……」
みればアルセリアは顔に疲労の色こそ見られるものの、その凛々しい美貌は健在だ。そんなに体力があるのだろうか。
ここまで疲弊した事をアルセリアに言われるまで気が付くことができず、さしものゼフォルも参ってしまった。気を遣うように早めに話を切り上げてくれたアルセリアが退出するとその日ゼフォルは大人しく寝ることにした。
だが自分のあまりの変貌ぶりと戦況の不安から結局まともには寝られなかった。ひとしきり戦場をシミュレートし、脳を限界まで酷使させた後、ようやく気絶するようにゼフォルは就寝した。