「今……なんと言いましたか?」
エルシアから指導された化粧の技術を総動員して普段ならしない厚化粧で顔色を誤魔化しながら、今日も今日とて王国軍を相手ににらみ合い、帝国軍を率いていたゼフォルはその報告に耳を疑っていた。駆け込んできたときはわずらわしさすら感じていたが、今はその伝令を穴が開くほどに睨みつけていた。
「は、はい!アンス侯爵が裏切りました!我が軍の後方を襲撃しております!」
恐怖に震えつつも役目を果たした伝令にゼフォルは震えるその手を伸ばして……引っ込めた。ようやっと湧き上がる怒りに理性が追いついたのだ。このままではなんの罪もない伝令兵をどうかしてしまうところだった。
追いついた理性とともに急いで頭を回していく。怒りの次に来た感情は困惑だった。帝国軍は確かに苦戦しこの場で足踏みをしている。しかしいまだ兵数も帝国軍の方が多く、王国は領地奥深くまで攻め込まれているのだ。寝返るにしても訳が分からないタイミングだった。
「あ、アルセリアを呼びなさい!早く!」
「ははっ!」
急いで最も信頼できるアルセリアを呼びださせる。その最中もゼフォルは対応策を考え抜いていた。
目の前には王国軍が5万ほど、アンス侯爵が兵を動かしたとすれば1万ほどは引き入れるはずだ。そうなれば兵力差は7万対6万、後ろを取られたと考えればまずい兵力差だ。何より味方の裏切りに兵は浮足立つだろう、戦略的にも自身のメンツのためにも急いで裏切り者どもを撃破しなければならなかった。
「アルセリア参上いたしました!」
「アルセリア!あなたは急いで私の隊から1万を率いて本陣に行きなさい!私からの命令といってオドールの兵を奪ってもいい!」
「お待ちを!閣下はどちらへ⁉」
「私は5千を率いてアンス侯爵を消します」
それまでは声を張って指示を出していたのにアンス侯爵の名前を出すと恐ろしいほど静かで底冷えするような声が出た。
「いや!貴女が本陣に戻って指揮を執るべきだ!アンス侯爵ごときこの私で十分です!」
「半日でいいから耐えなさい!それだけあればやつを消せる!」
確かにゼフォルが本陣に戻ってすべてを差配できるのならばそれが一番だ。アルセリアならばアンス侯爵に負ける道理もない。だが日数はかかってしまうだろう。その点、ゼフォルならアンス侯爵の兵を鍛えたのもゼフォルなのだ。その兵の気質も動かし方も手に取るようにわかる。目の前の王国軍を防ぐためにも回せる最低限の兵力は5千。そしてその兵力で瞬殺できるのはゼフォルだけなのだ。
総合理的に考えているはずだが、それ以上に裏切りへの怒りがゼフォルを支配していた。
「お待ちを閣下!……ゼフォル!いい加減にしろ!お前が本軍私が別動隊でいいだろう!おい!ゼフォル!」
「くどい!オドールにも貴女に任せると伝令は入れた!5千続きなさい、裏切り者は粛正する!私の手で!」
呼び止めるアルセリアの声を無視してゼフォルは5千率いて後方へ出撃した。
「ふん、私の指揮がなければこんなものですか。不甲斐ない」
眼前にいるアンス侯爵の布陣を見てゼフォルは逆に人心地ついていた。眼前に見えるアンス侯爵の布陣は1万と少し、しかし後ろをつくまではよかったのだがその先をあまり考えなかったのだろう。迫るゼフォルの軍を前にようやく危機に気が付いたのか慌てふためいて陣形を引いている。もちろんこれを待ってやる道理はないが、一つだけやらなければならぬことがあった。
単騎で敵軍との距離を詰めゼフォルは息を吸った。
「アンス侯爵、それに従う兵たちよあなたたちは重大な命令違反を犯しています、今すぐ命令に伏し、持ち場に戻りなさい」
この言葉だけで従うなら苦労はしないがそれでももとはゼフォルが鍛え上げた兵たちなのだ。自ら声をかけて動揺を誘えればしめたものであった。ただでさえ慌ただしかった敵軍の動揺がさらに広まったように感じる。すると敵陣から何騎か身なりのいい騎士たちがゼフォルに対峙するように出撃してきた。
「この成り上がりのメイド風情が!私のことを覚えているか!」
「将軍である私が木っ端ごときを覚えているとでも?」
「き、貴様ぁぁ⁉」
口ではそう言うものの、大声で喚く騎士をゼフォルは覚えてはいた。悪い意味で目立っていたからだ。いつぞやの訓練の時、落第だったうえに反抗したため罰したオルグ少佐だった。後ろにはトナシュ少佐やゼフォルの訓練についてこれず落第した貴族子弟たちもいる。
ゼフォルの言葉に激高している彼らだが、怒りたいのはこちらだった。いまさらこんな連中が多忙の自分に何の用だというのだ……と考えたところでゼフォルはおおよその敵軍の目的を察知した。
「お前は私たち西部の貴族たちをメイドの分際で使いつぶそうとしている!だから私たちはやむなく……」
「御託はいいから挑めばよいではないですか。出来損ないの貴方たちでも全員でかかれば傷一つくらいつけられるかもしれませんよ」
「こ、殺せ!全員で袋叩きだ!」
ゼフォルの挑発で激高したオルグ少佐らが駆けてくる。人数は5人でこれでは一騎打ちとは言えないだろう。だがこれでよい、敵軍のアンス侯爵の目的は少しでも一騎打ちなり舌戦なりで、陣形を敷く時間を稼ぐことだ。目の付け所はよいが付き合う気は一つもない。ゼフォルもまた馬に鞭をくれてやりオルグ少佐めがけて突撃し、弓の速射を放った。
「ぐわぁ⁉」
「ぐぎぃ⁉」
「お、おのれ⁉卑怯な!」
「お前らごとき虫けらに時間が惜しいのですよ」
放たれた二つの矢が正確に二人を射抜いた。時間が惜しいのはそうだがこいつらは5対1で何を言っているのだろうか。
「こ、こちらもぐぎゃ⁉」
弓に驚愕して、慌てて弓で反撃しようと安直な考えをしたもう一人を馬から飛び出して急接近をして曲剣で首を刎ねた。彼我の距離もわからないのだろうか、いやゼフォルの速さを見誤ったのだろう。
「これで終わりだ!メイド!あわせろ!トナシュ!」
「おう!」
着地した隙をつくようにオルグとトナシュ連携で槍を突き出す。落第だった二人だがその一撃は息ぴったりで同時にゼフォルに迫った。
「落第生でしたが最後の一撃はよかったですよ」
「ぐ……お……」
「く、くそ……」
ゼフォルは突き出された二つの槍をその柔らかい体をしならせて隙間を縫うように回避し、そのまま突き出した勢いを利用して曲剣で二人の体を串刺しにしていた。
「そのやる気があれば私のもとで出世できたかもしれないのに……己の不真面目とアンス侯爵なんぞについた愚かしさを呪いなさい」
才能はないし、根性もない虫けらだ。しかしそんな連中でも自分に挑む無謀さくらいは持ち合わせていた。ゼフォルなりの彼らへの最大の讃辞であった。
「蹴散らしなさい!」
初戦の一騎打ちを制したゼフォルはそのまま全軍を突撃させた。
敵兵は倍を超えるほどの数だが問題にはならない、アンス侯爵では多少の小細工はできても指揮官としての力量も場数も全てゼフォルが上なのだ。その上かつて鍛えた兵士たちはゼフォルの強さをよく知っており誰も彼もが最前線で突撃してくるゼフォルを恐れていた。
先ほど5人の指揮官をあっという間に仕留めたのも一役買っている。
蜂矢陣を敷いてまっすぐ突撃するゼフォルの部隊はあっという間にアンス侯爵の拙い陣地を突破しその奥深くまで進んでいた。
「降参しなさい!今なら命は助けましょう!アンス侯爵を出しなさい!」
言葉通りゼフォルの狙いはアンス侯爵の首一つだ。あの身の程知らずの首さええればあとはどうでも良い。非常に厳しい戦局に立たされた今、降兵はどれだけいても良いのだ。最も一度裏切った兵など王国との戦いで使い潰すつもりでしかないが。
恐れ慄く兵士たちを10数人切り飛ばし、敵軍中央に突き進めば、一際豪華な陣地が見えてくる。本当に豪華なだけでそこに戦争するのに有効な価値など持たない飾り付けをされており相変わらず見栄のためならばどうでも良いところで無駄金を使うとゼフォルは思った。
本陣回りの敵兵を切り殺して陣屋へと突入する。ようやく奴の首を刎ねられると思ったゼフォルだが、陣屋の中はもぬけの殻だった。
「しまっ……」
その有様を見た瞬間ゼフォルの直感が濃密な殺気を感じ取った、即座にその場から飛び引こうとするが、強烈な閃光とともに爆発が起き、爆風と衝撃にゼフォルは巻き込まれた。
「……やっと……この女を……」
「……ですね……」
先ほどの衝撃でわずかだが気を失っていたらしい、意識を回復させつつも耳に入ってくる話し声からそのまま気を失ったふりをする。明らかに味方の話し声ではなかったからだ。体の具合は問題はなさそうだ。衝撃で体を強く打ち付けてこそいるが致命傷は受けていない。さすが妙なデザインだが、公爵家秘蔵の品である。
ばれぬように薄目を開けて周りを伺う、残念ながらゼフォルとともに突入した兵たちは逃げきれなかったらしい、悪趣味な陣屋内の調度品とともに赤色の液体とグズグズになった肉が散乱していた。この犠牲になった兵の責任は自分にある。軽率に突入させなければこうはならなかったであろう。
「ザヴァン殿!この女は私がもらうぞ!そのために王国に寝返ったのだからな!」
「こちらについていただいたのはありがたいですが、その点は少し……わが王国はそこの女にさんざん煮え湯を飲まされているのですよ?それよりアンス閣下、総大将を討ち取ったとはいえ大丈夫なのですか?敵軍の攻撃はいまだに続いていますが?」
見知った顔であるアンス侯爵とザヴァンといわれた青いローブの男が護衛と思わしき兵を何人かつれてそこにはいた。特にザヴァンの手には杖が握られており、いまだに魔力の残滓が残っている。エスメルとの訓練で魔力を放った後はこういった残滓が残るのを知っていた。
恐らくこの陣屋を吹き飛ばしたのはこの男だろう。間違いなくエスメルと同じ魔力を放出できる人間で、なおかつ練度も高そうだった。
その隣で喚き散らしているアンス侯爵も多少は頭を回したらしい、最初から王国と組んでゼフォルを罠にはめるつもりだったのだろう。
「ふん、こちらの方が倍の数いるのだ。それにこの女がいなければもう何もできんよ。それよりだ私のおかげで捕らえられたのだから私の好きにしていいだろう!」
「わかりませんねぇ……どうしてそんなにこだわりになるのですか」
「この女は侯爵である私をずっと見下してきおった!たまたま運よく成りあがったメイドの分際で!その体にわからせてやらねば気が済まぬわ!」
そう言って伸びてくるアンス侯爵の手にゼフォルはこれまでかと思った。
出来れば厄介そうなザヴァンとやらをやりたかったが贅沢は言ってられない。ゼフォルの曲剣が伸ばされた手を切り上げた。
「ひ、は?ひ、ひぎゃぁぁぁ⁉」
「なっ⁉くぅ⁉」
腕を切り飛ばされたアンス侯爵は汚い悲鳴をあげ、そのまま間髪入れず仕込んでいたナイフをザヴァンに投げるが魔術で弾かれる。
本命を逃がしたことに舌打ちしつつも、できた隙を逃さずゼフォルは跳躍してその場から離れた。
「逃がしませんよ!」
後ろから魔力弾が飛んでくるが気にせず距離を取ると戦場はいまだに乱戦が続いていた。手近な敵兵を切り殺して馬を奪うと急いで駆け抜け自軍の指揮官に急いで近づいた。
「し、将軍⁉ご無事で!」
「エルディム少佐、よく聞きなさい。まず全軍に私の無事を大声で伝えなさい。そしてすでにアンス侯爵は討ち取りました。敵軍はもう崩れ行くだけです」
「ま、誠ですか⁉」
本当は討ち取っていないがそういうことにしておく、どうせあの大けがで前線に出てくる度胸もないからだ。できるだけ短く指示を出すつもりだったが、時間切れらしい。急いでエルディム少佐の馬に鞭をくれてやる。驚いた馬は急いでその場を離れるとエルディムがいた場所を魔力弾が通過した。
「そのまま敵軍を攻撃し続けなさい!私は敵魔術師を撃破します!」
「ぎ、御意!」
遠ざかっていくエルディムに大声で指示を出すと同じく大きな声で是と返ってくる。そのことに幾ばくか安心するとゼフォルは魔力弾をはなった張本人。ザヴァンへと向き直った。
「逃がしませんよ。貴女だけは絶対に。帝国の重鎮を寝返らせてようやく捉えたのですから」
「あれが重鎮?魔法ばかりできても戦争は知らないようですね。頭でっかち」
「その余裕がどこまで続きますか!悪魔の給仕!宮廷魔術師たる私の力!思い知りなさい!」
そう言ってザヴァンは魔力弾を放った。啖呵こそ切ったもののその威力にゼフォルは苦戦を強いられていた。魔術師としてあまりにも能力が高すぎる。
一つ一つの魔力弾がすべて直撃すればただでは済まない威力で、なおかついくらでも連発ができるようだ。魔術の腕だけでいえばエスメルを上回ってるだろう。ゼフォルも隙を縫ってナイフを投げるがその守りは全く応えていない。
「ザヴァン様に続け!」
「悪魔の給仕を仕留めろ!」
護衛の兵士たちもゼフォルに攻撃を仕掛ける。一人一人は問題はないが、数も居てなおかつ後ろからはザヴァンの援護射撃でゼフォルは防戦一方だった。幸いザヴァンの魔力弾が直線的なことと、威力が高すぎで味方の誤爆を心配しているのか、いくらでも避けようはあるので、何とかいなし続けた。
「そうら!そうら!このまま嬲り殺しです!」
「くっ!」
エスメルと魔法の訓練をしてなければ、手に持つのが公爵家秘蔵の曲剣でなければ、とっくにやられていただろう。しかし反撃の糸口がつかめない。転がってた槍を投擲もしてみたが、それでもびくともしなかった。しかしこの拮抗状態は意外なところから破られた。
「進め!ゼフォル将軍を救援せよ!」
「な、なんだと⁉」
帝国軍の一隊がゼフォルの元まで駆け付けたからだ。あっという間にその場は百人ほどの帝国軍に囲まれ、護衛含めても20人ほどのザヴァンたちをあっけなく囲んでしまったからだ。
「なぜですか⁉こちらは1万もいて敵軍は半分ほどなのですよ!どこに救援に駆け付ける余裕が⁉」
「そんなこともわからないから頭でっかちだと、私は言ったのですよ」
「な、なんだと⁉」
防戦一方で黙っていたゼフォルが勝ち誇るように口を開いた。
このザヴァンという男。肩書通り宮廷魔術師としてやっていけるくらい優秀なことには優秀なのだが、それは魔術師としてだけで戦争そのものはからっきしなのだ。
会話の節々からわかることだった。帝国の重鎮を寝返らせ、1万の大軍に無謀にも突っ込んだゼフォルを自慢の魔術で仕留める。そう言った絵を頭の中で描いていただろうが、あまりにも目論見が甘すぎる。
アンス侯爵を寝返らせたまでは良い、しかしその程度でゼフォル率いるヴァン・ウィルベート以来の精鋭部隊を止められるはずがないのだ。この部隊は歴戦の強者ぞろいで、ゼフォルがいなくても機能するように指揮系統も割り振っているし、最悪ゼフォルが死んだって動けるよう組織しているのだ。
それに対しアンス侯爵の兵など訓練こそ積んでいるものの兵の質に厳しいゼフォルからすれば付け焼刃程度で、寝返ったのも落第生ばかりの無能な指揮官達だ。それが開幕早々五人も討ち取られて、なおかつ総司令官のアンス侯爵が戦闘不能になったのだから兵が多くてもまともに戦えるはずがない。
互いに指揮官不在だがゼフォルの兵がアンス侯爵の兵を掃討するのは当然のことなのだ。
それに気が付かずザヴァンは額面の兵力とアンス侯爵の元爵位を信じて撤退する機会を知らず知らずのうちに逃していたのだ。
「お、おのれ悪魔め!」
「私の戦歴の中で最もくみしやすい相手でしたよあなたは。全軍弓構え、嬲り殺しにしなさい」
戦争の知識もなさそうだがザヴァンには甘いところが多々あった。味方への誤射を懸念して魔力弾を撃たなかったことだ。あそこでむしろ数人の兵を捨て石にしてでもゼフォルさえ殺せればよかったのだ。
それができないあたり本当に宮廷で魔術を研究しているだけの人材で、そんな人間なのに王国の戦況の悪さが彼を駆り出してしまった。しかしここは戦場。甘いやつから死んでいくのだ。
矢が雨のようにザヴァンたちを襲った。護衛の兵たちはあっさりとハリネズミのように矢を体からはやして地に倒れ、ザヴァンは魔術を駆使してしばらく耐えていた。
「急いで全軍に追撃を、特にアンス侯爵を逃がさぬように」
耐えているザヴァンに興味をなくしたゼフォルは全軍に指示を出し始めて一瞥もしなかった。やがてザヴァンは矢に埋もれるように倒れた。味方すら殺せないザヴァンと容赦のよの字もないゼフォル。戦場で相まみえた時点で勝負は決まっていた。