クレッチマーから説教を受けた後ゼフォルは自室で自身を省みていた。途中何度も部屋にあった酒瓶に手が伸びそうになったが寸でのところでひっこめた。
先の戦いは何だったというのか。かつて東部方面軍は6万5千の定員でそれを無理やり9万まで増やした。
その兵力をもって、王国に攻め込み、国境の要塞と主力の兵を撃破した。さらに王都を目標に多くの都市に砦を落とし続けたものの最後は敗れた。
王国にも相応の打撃を与えた。そう言い訳をしたかった。アンス侯爵の裏切りが敗因だとも言いたかった。
しかしそれが許されないのはゼフォルとて理解している。いつだって戦場は結果がすべてだった。
それでも見苦しい言い訳がいくらでもわいてくる。
あの時王国のハルディン第二王子を討ち取っていれば、西部貴族が勝手なことせず終始ゼフォルのもとで指揮に従ってくれれば、女々しい言い訳ばっかり浮かべる自身が忌々しかった。
結局ゼフォルは間違っていたのだ。最初からベルズーフやエスメルの言うとおり、この戦いでは守勢に徹し、本軍とともに攻めかかればこんな苦労もせずに済んだのだ。
そうすれば戦場に帝国の屈強な10万を超える兵士と優秀な指揮官がいくらでもそろった。ゼフォルが必死になって西部の敗残兵を集めて数だけの兵をそろえたり、盆暗指揮官どもを徹底して管理して起用する必要はなかった。
私物である手鏡で自分を映す。メイドならば身だしなみに気を遣いなさいとエルシアにもらったものだ。
そこに写るゼフォルは疲れ切ってはいるが、どこかつきものが落ちたような顔をしていた。特に獣のように鋭く光っていた目が、ごく普通の女性らしい瞳に戻っていた。
絶世といっていいエスメルには劣るが、雰囲気だけはかつての幽閉されていた時のエスメルのようだった。
目の光とともに自分の中の何かが抜け落ちてしまった気がする。きっとそれは大切だったのだろうが戦場では役には立たなかったものだ。
戦争はまだ終わらない。ほかならぬゼフォルがしくじったからだ。帝国はいまだ戦力も代わりの人材もいくらでもいる。
だがこのまま追撃の勢いで帝国東部を失陥でもしてしまえばいらぬ犠牲と労力がかかるだろう。その手間だけは少しでも減らさなければならない。エスメルのために。
追撃の王国軍が接近しているとの報があったのは数日後だった。数は2万と大して多くはないが、モタモタしていればもっと強力な部隊が追撃に参加してくるのは明らかだった。
「うろたえる必要はありません、右翼のクレッチマー准将が受けている隙に、アルセリア大佐の隊で横合いから殴りましょう」
「うむ。わかった」
ゼフォルは本陣にて副司令官らしく、オドールの隣で全軍の指揮を執っていた。
「ハルソー中佐、敵は次に左翼を攻撃する可能性が高いです。兵を率いて警戒に当たってください」
「承知いたしました」
クレッチマーやアルセリア以外の指揮官にもしっかりと戦術を説明して必要性を説いてから進撃させる。
すっかり冷めきったゼフォルの頭は冴え切っていた。味方の将校たちがこれまでとは全く違う人物のように感じられた。
いや、周りが変わったわけではない。ゼフォルのとらえ方が変わったのだった。
アルセリアとクレッチマーは確かに優秀だが、二人にも特徴があって全く違うのだ。
アルセリアは分かりやすい。気質がゼフォルに似て攻勢に秀でている。ただしあまり全体を見る力はないようで守勢には向かない。
一方クレッチマーは戦場全体をよく俯瞰し、足りないところに兵を回す力に秀で、守勢に強い。
ただ、ゼフォルやアルセリアのような火のような攻勢ができる人物ではなかった。人並み以上に攻撃もできるがそれまでだった。
二人以上に驚いたのはオドールの麾下の参謀たちだ。かつて主体性のない数だけの集団と称して西部貴族たちよりましと思っていたが、それは間違いだった。
ゼフォルが一方的に指示だけを出すのではなく、しっかりと全体の戦況を共有しあって、必要な兵数を割り振れば、あとは期待通りに働いてくれる。
右翼をクレッチマーに全体の遊撃部隊にアルセリアを置き、左翼はオドールの参謀を中心に守らせているがしっかりとその任を果たしていた。
そして一通りの全線を他の者に割り振ってしまえばあとは中央の本陣でゼフォルが全体を俯瞰して必要な場所に予備兵を動かして援護をしてあげるだけだ。
それだけで帝国軍は悠々と撤退戦を戦い抜きつつあった。
これまでゼフォルが身を削るように指示を出す必要もなかった。
なぜ、こんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。
以前まではゼフォルがすべてを支配して、戦場をコントロールすればそれが最強で最善なのだと思い込んでいた。
今でも自分の才覚がこの東部方面軍1であることは疑っていない。
しかしその力を常に全力で出し切るのでなく、他のものにできることは任せて、要所要所で力を振るえば何倍もの効果があった。
「閣下、敵の攻撃をさばきつつあります。最後の一押しで私が出ます。ここの指揮は閣下とその他参謀たちにお任せしたい」
「頼んだぞ、連中を蹴散らしてくれ」
しっかりと報告を欠かさず出陣の許可を任せればオドールはむんずと頷き、後任にあたる参謀たちも真剣な表情で見送ってくれた。
この時初めてオドールの期待に応えようとゼフォルは出陣した。
ゼフォルが出れば面白いように敵を追い散らすことができた。やはり追撃のために先走った連中か、慌てて集めた戦力のようで苦労はしなかった。
事前に右翼に左翼、前に出ていたアルセリアの隊にもこの攻撃を通知していたおかげで、各隊はゼフォルが動きやすいように小規模な欺瞞攻勢に出て敵の兵を引きつけられたのが大きい、討ち取った敵将の首を抱えてゼフォルはいつもよりほこらしげに帰陣した。
だが一方でしっかりとした指揮をとればちゃんと機能する東部方面軍を知ってしまってゼフォルは心に暗い影を落としていた。
むやみに指揮権をひっかきまわし、驕ってすべてを監督し、西部貴族という異物を引き入れたゼフォルこそが
この軍団で最も不要だったのかもしれない。その考えが脳裏から離れなかった。
帝国軍は大きな損失を出すことはなく撤退に成功した。たびたび王国軍の襲撃があったがすべて撃退していた。この攻撃の出発点であり東部方面軍の根拠地であるハルード要塞まで何とか撤退していた。
ハルード要塞の会議室でゼフォルらの首脳陣はようやく人心地ついていたがそうゆっくりしている場合ではなかった。
「報告です、王国軍は本格的な追撃を開始しました。その数は少なくとも5万を超えています」
密偵の報告をゼフォルは軍議で皆に伝えた。ゼフォルが態度を改めてからというものの多少和やかになったその場の空気は最悪に戻ってしまった。
「……援軍は間に合うだろうか?」
「南部諸国は降伏寸前といえど帝国は広いです。まだ時間はかかるかと」
「しかしこのハルード要塞で籠城戦をすれば耐え切るのでは?」
オドールの参謀がそう提案する。このハルード要塞は純軍事的な要塞で防御力はかなり高い作りになっている。なによりヴァン・ウィルベートをしっかり研究しつくしたゼフォルが手塩に増築したハルード要塞は小さなヴァン・ウィルベートといっても良かった。しかし重大な問題があった。
「それはできません。このハルード要塞には籠城に耐え切る物資は残されていません」
ゼフォルは今回の王国への進撃に要塞内のほとんどの物資を使い果たしてしまった。いくら城壁が高くても中に食糧もないのでは籠城はできなかった。
「ではここも放棄して帝国本土へ撤退ということになるか」
籠城戦もできない事実に頭を抱える一同。その静寂を破ったのは総司令官であるオドールだった。誰もが脳裏によぎりつつも言葉に出せなかったことだ。
本拠地であるハルード要塞を奪われるということ、それは東部方面軍の完全な敗北を意味する。
総司令官であるオドールは間違いなくその失態を糾弾されるだろう。もちろん副司令官であるゼフォルもだ。だから誰も言い出せなかったのに総司令官であるオドールが自ら進んで発言をした。
「このまま諸君らすべてをここで失うくらいなら、恥を忍んで本土へ撤退しよう。そうすればどこかで王国軍を止められる。援軍との距離も縮まって、助かるはずだ」
そういうオドールは完全に覚悟を決めた顔をしていた。いつもの空回りしたずれた威厳ではなく、真に国を憂う、総司令官としてふさわしい精悍な顔つきをしていた。
オドールの変貌にゼフォルも覚悟を決めた。もう彼のことも、この場にいる参謀や指揮官たちを格下だとは思わない。
真に帝国を守らんとする軍人だ。彼らの多くを撤退させれば、きっと帝国が王国を打ち破る助けになるだろう。そしてそれはゆくゆく頭角を現しつつあるエスメルの為にもなるのだ。
自分の思考の変貌にゼフォルはつい心の中で自分を笑ってしまう。
あれだけオドール達を見下して嘲笑っていたのが嘘のように献身的に支えようとしていた。こんな酷い手のひら返し、裏切ったアンス侯爵を笑えない。
「いえ、このハルード要塞を簡単に明け渡せば、敵の追撃から逃げ続けることになります。そうすればこれまでと同じこと、敵の本軍が相手となれば我々は逃げきれないでしょう」
「ではどうするというのだ?」
「ハルード要塞に最低限の兵力を残します。物資は少ないとはいえ0ではありません。少ない兵力で物資を節約し、このハルード要塞で数週間の時間を稼ぎ本体はヴァン・ウィルベートまで撤退させれば、必ず王国軍は止められます」
「……その任は誰がやるのだ?」
オドールの質問に場の空気が固まる。もちろん残ったものはほとんどが死ぬだろう。しかしゼフォルの回答は一つだった。
「もちろんこの私が」
「それは……よいのか?」
「このハルード要塞を増築したのはこの私です。だれよりも効率的に守ることができます」
もう決めていたことだった。