軍議の結果、ゼフォルが守兵3千とともにハルード要塞に残り、残った兵はオドールを中心にすべて帝国東部最大の要塞であるヴァン・ウィルベートを目指して撤退することになった。
「クレッチマー、私が不在になるため、貴方を臨時の副司令になるように推薦しました」
「……御意」
「アルセリア、貴女には残った私の精鋭部隊を全て与えます。遊軍として全軍の撤退を支援してください」
人払いをしたゼフォルの執務室で直属の上司として二人に最後の命令を伝える。あのおとなしいクレッチマーも明らかに不満を隠せていない。
「認められるか!今のお前なら撤退戦などいくらでもこなせる!この場の全員がいればやれんことはないだろう!」
そう食って掛かるアルセリアに悪い気はしなかった。なんやかんや言っているが要約すれば全員で協力するからゼフォルも一緒に逃げようといっているのだ。
アルセリアといいクレッチマーといい、この自分も死を惜しまれるくらいは慕われていたのかと考えると少し嬉しかった。
「気持ちは嬉しいですが、それはできません」
「なぜだ⁉」
「王国の狙いは間違いなく私だからです。撤退する軍の中に私がいると知れば、王国はハルード要塞にほかのだれを残しても本隊を狙うでしょう」
王国の動きからそれは確定といっていい、ゼフォル個人に暗殺者を送り込んだり、不在時を狙って攻勢を仕掛けたり、明らかに王国の動きはゼフォル個人の動きを狙ったものが多い。
理由は簡単だ。ゼフォルは王国の人間を殺しすぎた。二年前は後方から大攻勢を失敗させ、名将ゴルガマス将軍を敗死においこんでいる。討ち取ったのはエスメルだが、そして東部方面軍に配属された後も10を超える小競り合いで多くの指揮官を討ち取り勝利した。
今回の大攻勢では主力軍を撃破し、都市を兵糧攻めし、果ては王都目前にまで迫った。王族すら負傷させている。
今や王国中の人間がゼフォルの首を求めている。そんな疫病神が付いていては逃げられるものも逃げられないだろう。しかしこれは逆にチャンスでもある。共にハルード要塞残る3千には悪いが、自分を囮に多くの兵力を逃がすつもりだった。
「クレッチマー准将、これはヴァン・ウィルベートの見取り図に兵器の配置です。もし王国軍が攻め込んできたらアルセリアとともに堅守しなさい。貴方なら守り切れるはずです」
「……かつてかの地を守り切った閣下がいればもっとやりやすいかと」
「あなたも言いますか、この敗戦の責は私にあります。そもそも反対をしていた貴方を死なせるわけにはいきません。アルセリアも、私に十分尽くしてくれました。貴女にはまだ家臣たちが待っているはずです」
「それならば!お前だってウィルベート公爵がいるだろう!」
その言葉についクレッチマーを睨んでしまった。ゼフォルとエスメルの関係は別に隠しているわけでもないが、公言しているわけでもないからだ。まず漏れるとしたらクレッチマーからだろう。
「アルセリア、そなたは相変わらず口が軽いのは玉に瑕だな……申し訳ありません閣下、私がアルセリアに公爵との関係を漏らしました」
「ふふっ、口が軽いのは貴方もではないですか」
まぁ、別に隠していたことでもない、エスメルとの関係なんて二年前二人で大活躍したのだからわかる人は分かるし、調べれば見つかる程度の話題だった。なによりこんなところで目くじらを立ててもしょうがない。
「ならば口を滑らせた貴方たちにお願いがあります。公爵はいまだ若く、階級も下ですが、きっとすぐに頭角を現すでしょう。そして私の率いていた兵のほとんどはウィルベート公爵家の兵士たちなのです。私のせいで数を減らしてしまいましたが、それでもどこに出しても恥ずかしくない精鋭たちです。その兵を公爵に無事に返してあげてください。そしてアルセリア」
「な、なんだ⁉」
「貴女はこの戦いの後どうしますか?軍に残りますか?」
「こんな半端なところでやめられるわけないだろう!残るに決まっている!」
「ならば、ウィルベート公爵の軍に志願してください。クレッチマーが推薦してくれれば通るはずです。クレッチマーも公爵を頼みます」
そう言ってゼフォルは前職のメイドのようにうやうやしく頭を下げた。
「承りました」
「クレッチマー准将!」
「いうな!それとゼフォル閣下、公爵様のことですが」
そう言ってクレッチマーは一通の報告書を見せた。それは軍に人事通知書でありエスメル・ウィルベート臨時少将の名前があった。
ゼフォルはエスメルがここまで昇進していたことを初めて知った。中央からの命令書や報告書などそのほとんどを握りつぶしていたが、それはベルズーフの命令書などがほとんどで必要のないと思った報告書には見向きもしなかったからだ。
うれしいことだった。エスメルが、可愛い教え子がまさか既に臨時とはいえ自分と同階級にまで上がっているとは思ってもいなかったからだ、これが他人なら嫉妬してたかもしれないがエスメルなら純粋に祝福できる。同時に確信した。ここでゼフォルが死んでも帝国に敗北はあり得ない。いやきっと、必ずエスメルが王国を滅ぼすだろう。
「……そうですか、お嬢様が私と同じ階級ですか。ならなおのこと私の兵とあなたたちが必要になりますね」
そう覚悟を決めて改めて二人を見ると、ゼフォルの決意が固いのを理解したのか二人はもう何も言わなかった。
二人の優秀な部下に最後の指示を出し終えたゼフォルはオドールの執務室を訪れていた。副指令として呼び出しを食らったからである。
「閣下、ゼフォルです」
「よく来てくれた。まずは改めて、アンス侯爵の件は私の責任だ。私が起用したのだからな」
そう言ってオドールはゼフォルに頭を下げる。あたりは人払いされて人目はない。
だが今オドールが自分に頭を下げるのはなぜかゼフォルは許しがたかった。侯爵の件は自分にも非があるからだ。
「顔をあげてください。侯爵の件は私に非があります。奴の資金に私も目がくらみました。それに……あれだけ大口を叩いておいて、結局閣下を覇者にはできませんでした」
「いや、そんなのは当然だ。結局俺はベルズーフを超える器ではなかったのだ。君のような優秀な部下ができて舞い上がってしまったのだろう。きっと少将が5人いても上司がこれではどうにもならなかっただろう」
互いに己を卑下しながら謝罪をした。以前のゼフォルなら口汚く内心で罵っていたかもしれない。しかし今は奇妙な一体感にオドールに親近感すら沸いた。
徹底的に彼は人がいいのだ。だから金で雇った参謀たちからもそれなりに慕われていたし、それでこれまで功績を上げてきただろう。
それがゼフォルや西部貴族にたかられておかしくなってしまったのかもしれない。そう考えればゼフォルが彼の栄達を歪めたのかもしれなかった。
しばし和やかな談笑が続いた。世辞で付き合うこともあったが今日ばかりは心からその会話を楽しんだ。
ともすればゼフォルを一番評価していたのはオドールだったかもしれない。敗北してなお軍権を任せるのだから筋金入りだ。しかしその時間も短くまじめな表情をしたオドールはゼフォルに向き直った。
「ゼフォル将軍、本当に残るつもりなのか?まさか脱出の手筈があったりするんじゃないか?」
「ありませんね」
「私がこのハルード要塞に残っても良いのだぞ」
そう言われて、ゼフォルはポカンと固まった後つい笑ってしまった。
「くくく……いやすみません、オドール閣下では無理ですよ」
「それは私が一番わかっている!だが私は君の才能を良く評価していたつもりだ。私なんかより、君が生き残ったほうが帝国のためになる!」
「うれしい提案ですね。しかし無理です。オドール閣下、ここはひとつ不出来な部下の本心を語ってもよろしいですか?無礼を承知で」
「今さら、無礼も何もないだろう。聞かせてくれ」
なんだかこの数分でこれまで以上に距離が縮まった気がするゼフォルは無礼をあらかじめ断って、オドールに話をつづけた。
「一つ!ハルード要塞の籠城をとても閣下では指揮しきれません。閣下に籠城戦の経験は?」
「……ない」
「そうでしょう?ここは籠城戦玄人にしてハルード要塞増築を監督した私こそが最も適任です。二つ!王国軍はオドール閣下と私の首どちらが欲しいかと聞かれれば後者を選びます。なにせこの東部方面軍は実質的に私の指揮の下、王国軍と戦い続けたのですから!そして3つ!」
とても無礼な態度で、すらすらと喋るゼフォルをオドールは黙って聞いていた。そして次が本命だった。
「私は、もう帝国に帰りたくありません」
「……」
「こんな大敗北をして、おめおめと逃げ帰りたくありません。極刑を恐れるつもりはありませんが、どうせ死ぬなら城を枕に死んだほうがましです。しかしこの敗北の責任は誰かがとらなければならない」
そこまで言い切ったゼフォルにオドールもやるせない表情になった。
「オドール閣下、私に代わって此度の敗戦の責任を取っていただきたい、法廷では私に脅されたなりどう証言しても構いません。代わりと言っては何ですが、ここで私は東部方面軍最後の意地を見せましょう」
こればかりはアルセリアやクレッチマーとは共有できない総司令官と副司令官のオドールとゼフォルだけの問題だった。
このまま撤退を成功させたとしてもオドールとゼフォルが裁かれるのは確定だ。なにせ大将ベルズーフからの命令違反に勝手な徴兵と軍備増強など、ただ負けたでは済まされない罪がいくらでもある。
だからオドールも代わってここで死ぬなどという提案をゼフォルに持ち掛けたのだ。ベルズーフもバルグリフ皇太子も命令違反者に慈悲をかけるほどやさしくはないが、戦死した人間を辱めるほど冷酷ではないはずだ。
ゼフォルとてもはや自分の名誉などはどうでもいいが、こんな無様を晒してはエスメルに合わせる顔がなかった。
エスメルの前では完璧な姉替わりの存在としてふんぞり返りたかったのだ。幻滅されるくらいなら戦場で死にたかった。
だから敗戦の責を負う相手としてオドールには生きてもらわなければならない。成り上がりのゼフォルより大貴族であるオドールならもしかしたら首がつながる可能性も高いだろう。
「そうか、わかった。私は君に死なせてやることでしか報いてやれんのだな」
「今の私には望外の報酬です」
「最後に何か、私にやってほしいことはないだろうか。もはや私もどうなるかわからないが、万一があれば、将軍のためにやれることならやってやりたい」
「もうベルズーフ閣下をライバル視するのはやめてください。とてもではありませんがオドール閣下では勝てません。それとバルグリフ殿下の言うことを私以上によく聞いてください。間違いなく帝国史上でも指折りの皇族です。逆らわなければ悪いようにはされません」
もう遠慮は無用だろう。せっかくなので常に思っていたことすべてぶつけてやった。もはや才能や能力、年齢どうこうではなく、生き残れる可能性の低いゼフォルよりもオドールの方が未来があるのだ。このアドバイスを糧にしてくれるなら、言った甲斐もあるというものだ。
「それとエスメル大佐、今は少将でした。彼女を気にかけてあげてください」
「エスメル少将……ウィルベート公爵、あのヴァンダル高原での君の主人かね?」
「そうです。彼女は私などより優れた才能を持っています。間違いなく王国を滅ぼす大きな力となります」
ついでにクレッチマーとアルセリアに頼んだように、オドールにもエスメルのことを頼んだ。敗戦したオドールがどこまで役に立つかわからないが、今の彼になら頼んでみたくなった
「わかった。全て言うとおりにしよう」
オドールもそれに頷いた。これでゼフォルに思い残すことはなかった。