西へと引いていく帝国軍を見送り、ゼフォルは東の方角を睨みつけていた。ちらほらと王国の旗印が翻っている。ついに王国軍がここまで迫っていた。
あれだけ執拗に騎馬兵などを駆使して追撃を仕掛けてきた王国軍はその足をぴたりと止め、ハルード要塞周辺に陣地を敷き始めた。明らかに撤退していくオドールたちを追撃するのではなく、このハルード要塞を落とそうという構えだ。
心情的にも経験的にも王国はそれを選ぶしかないだろう。ゼフォルはここ数日、あえて城壁の上で指揮を執り、王国の密偵部隊にその姿をさらし続けた。目につくような間抜けには矢すら浴びせ、撤退したのではなく要塞にこもっている姿を見せつけた。
そうなれば王国はゼフォルを討ち取るために追撃なんぞより要塞を落とすことを選ぶだろう。数に物を言わせて別動隊にオドールたちを追撃することなどできない。2年前その策をとってほかならぬゼフォルに敗北させられたのだから。
だがその動きはゼフォルにとっては勝ちも同然だ。
ゼフォルは討ち取れるかもしれないが、オドールらの本隊はヴァン・ウィルベートに入るだろう。大陸屈指の防御力を誇るかの要塞を易々と落とせるはずもなく、ベルズーフの援軍も間に合う。
もはや、王国は国境のハルード要塞を占領できても帝国の実りのある領土を奪うことはできない。
そうなればもう王国が帝国を滅ぼすことはできないだろう。王国はゼフォル一人にあまりに損害を受けすぎた。対して帝国は東部方面軍という確かに規模は大きいが、一方面軍が負けただけなのだ。
次に相対するのはベルズーフの主力部隊、南部諸国を下した今グローメルだっている。オドールがしっかりと責任を取ればクレッチマーやアルセリアだって前線に復帰するだろう。
そして何よりゼフォルの中では最強だと思っているエスメルがいるのだ。
負けてなお、冷静に全体の戦況を考えるが、どう考えても帝国が有利だ。だがそこにゼフォルはいない。
「私の最後が要塞の中ですか」
敵はすでに見えているだけで5万を超えていた。それに対してこちらの軍は3千、かつて9万の大軍を率いていたゼフォルに残された兵がこれだった。
眼下に犇めく大軍に、ゼフォルは将軍になったときからの事を反芻していた。
メイドとしては勝ち組でしかない公爵家に仕えたが、働いていてつまらなかった。エスメルの専属にされなければ退屈でしょうがなかったかもしれない。給金が良かったのでやめはしなかっただろうが。
しかしどんな縁かそのエスメルから請われて将軍になり、帝国各地を転戦し、最後は敵国である王国の深くまで進軍した。
生まれも育ちも帝国東部で、そこから出たこともなかったゼフォルは、軍隊を率いて色々な土地を見て回った。将軍にならなければこんな経験はできなかっただろう。
酸いも甘いもあったが全力を出し尽くしていた。バルグリフ皇子やベルズーフという本来なら相手にもされない雲の上の人物と大きく関わることもできたのだ。
総括してゼフォルは後悔などしてはいなかった。
あのままただのメイドとして一生を終えるより、思うがままに才覚を振るって敵を滅ぼしつくして、最期はそのツケが回って自分も滅びるのだ。
この乱世で悪でもないのに他者から害される人間がどれだけいるだろうか。少なくともゼフォルの兵糧攻めで死んだ人間はみなそうだったろう。
別に懺悔しているわけではない。それらの人間に比べればゼフォルは恵まれている。
なにせ自分は己の意思で戦争を起こしてそれによって敗れたのだから。少なくとも、抵抗もできず死んだその他大勢より自分の意思で地獄を作ってそこに突っ込んだのだ。
なんてらしい人生だっただろうか。将軍に任命してくれたエスメルには感謝しかない。
だから悲しくなんてないのだ。
泣く資格なんてないのに流れる一筋の涙を無視してゼフォルは城壁の上でくすりと笑っていた。
圧倒的な大攻勢だった。王国軍は大兵力を背景にハルード要塞へと突き進んでくる。
「悪魔の給仕を追い詰めたぞ!ここで絶対に殺すのだ!」
敵兵の一人がそう叫ぶのが聞こえた。王国軍の攻勢に、様子見で一当てしようなどといった手加減は一切なかった。必ずここで帝国軍をいや、ゼフォルを殺す。
その気迫で全力の攻撃を仕掛けてきた。雲霞のような敵兵の中には衝車に攻城櫓といった攻城兵器も多く見える。
かつてゼフォルが敵の集積地であったザントン要塞から接収し、王都を落とすために運んでいた攻城兵器がまわりまわって王国軍の元に戻ってきていたのだ。
撤退時にゼフォルもできるだけ破壊を命じていたが、時間がなく不十分だったため修理してここまで持ち込んだのだろう。
だが付け入るスキはいくらでもあった。
まず敵の熟練兵はそう多くないことである。
王国軍はそもそも主力部隊をゼフォルに撃破されており王都近郊の戦いでは新兵が多かった。その後、王都の守備兵や近衛らしき精鋭部隊をつかって帝国軍を撃破したもののその戦力をそっくりそのまま帝国国境まで進出させることはできなかったのだろう。
次にこのハルード要塞の完成度の高さである。
このハルード要塞は純軍事的な拠点であり、都市機能を有して普通の市民も暮らしているヴァン・ウィルベートに比べればとても面積の狭い要塞だ。だが面積が狭い分、攻め口も狭いのだ。
どんなに大兵力を有していても一度に張り付ける兵力には限りがある。
そして肝心の要塞としての機能はヴァン・ウィルベートにも劣らない、少なくともゼフォルはそう思っていた。長くヴァン・ウィルベートに住んで見て周り、実際に防衛戦の指揮も執ったゼフォルが学んだ知識と経験、西部貴族の蓄えに蓄えた財産を余すことなくつぎ込んだのである。
城壁の高さと堀の深さは並大抵のものではない。構造も入り組んでいて、あらゆる攻め口が城内からは十字砲火の格好の標的になるようにできている。
水源や倉庫もとても外からでは手出しできない場所に隠されている。投石機や連弩、仕掛け兵器など、ヴァン・ウィルベートを参考にした秘密兵器もかなりの数抱えている。
一般市民の居住空間を考えることなく純軍事的に建てられたからこそ、どこまでも攻めてきた敵を撃退するのに特化していた。
「弓兵今です。射かけなさい、投石は三時の方角からくる衝車を狙いなさい」
ゼフォルは城壁中を駆け巡って全軍の指揮を出していた。狭いからこそ容易に全軍に直接の指揮を出せる。指揮を出しながら敵の梯子を蹴り落すことも可能だ。
今のゼフォルはこれまでの人生で一番頭が冴えていた。死期を悟った体が最期のあがきで全力を出し尽くしているのか、破滅を避けるためにもがいているのかわからないし、どうでもいい。今はただ、王国兵を一人でも多くを殺すために動く頭に感謝していた。
かつて帝国軍9万すべてを管理しつくし、あの三街道の戦いでは敵合わせて20万近い兵力の動きを読みつくしたゼフォルの頭脳が、この小さなハルード要塞と3千の兵の管理のために全力を尽くしているのだ。
要塞周辺の戦況が手に取るようにわかる。王国がどこに重点的に兵力を割り振っていて、攻城兵器はどこに向かっていて、投石機がどこを狙っているかすぐに分かった。
敵の固まっているところに矢を射かけるように指示し、要塞に致命傷を与えうる攻城兵器には投石を指示する。
それに応えた帝国軍の攻撃は王国兵をハチの巣にし、攻城兵器は次々と破壊させられた。
王国軍の指揮もゼフォルを殺すために天を突かんばかりだが、最期の覚悟を決めた帝国軍も相当なものだ。
そして兵の士気が互角なら、あとは指揮官の質で決まる。王国軍は士気が高いが、その攻め手はどこか拙く、不効率な部分が見え隠れしている。
多くの指揮官を失った王国軍がこのゼフォルに勝てるものか。
王国軍の決死の攻撃を帝国軍は完璧にいなしつつあった。
「う、嘘だろ⁉あいつ飛び乗ってきたぞ!」
そして冴えわたっているのは頭脳だけではない、王国に進攻してからというものの、連日のように酷使していたゼフォルの肉体は、このハルード要塞でようやく数日の休憩を得ていた。
まだ二十代のゼフォルからすればそれだけで十分だった。気力もやる気も満ち溢れたこの体は、己の思うがままに動いてくれる。むしろ王都直前まで迫ったときの自分の体が、いかに錆付いていたかが分かった。
要塞の尖塔につけられたワイヤーにつかまってそのまま接近してきた攻城櫓に飛び乗り、中の兵士を惨殺し、そのまま火をつけて城壁へと戻る。
ワイヤーにつながれたまま城壁を駆け下り、そのまま地に足ついて曲剣を振るう、唖然とする敵兵をたやすく何人も刈り取り、そのまま声を大にして指揮を執っていった隊長クラスも真っ二つにした。
「引け!」
慌てて駆けよる他の敵兵を尻目に指示を出すとワイヤーが引き上げられてゼフォルは城壁の上へと舞った。
「撃て!」
そのまま空中で追加の指示を出せば連弩が放たれ、飛んだすんでのところを大量の矢が放たれる。ゼフォルを倒そうと駆け寄った敵兵を一瞬でハチの巣にした。
「す、すごいぞ!」
「ゼフォル将軍に続け!」
その姿を見て帝国軍は奮い立った。対して王国軍は本来追い詰めたと思った悪魔の給仕が城壁の上を飛び回っているのに驚愕していた。籠城戦において勢いは大事だ。これである程度有利になるとゼフォルは満足した。
この機能はヴァン・ウィルベートにもないが、公爵家開祖ピエールの秘伝書に書いてあったものをゼフォルがこのハルード要塞で再現したものだ。
その秘伝書はエスメルの盆暗兄弟が内容も理解できないだろうに誇らしげに持ち歩いているのを密かに盗んで急いで写本したものだった。本来ならそのまま自分のものにするはずだったが、思った以上に騒ぎになったので仕事をほとんどほったらかしにして一日中書き写したのをよく覚えている。数日いなかったのでエスメルに泣かれたのが懐かしい。
あのピエールも本の中で自分の体重ではできないと嘆いていたが、ゼフォルの身体能力と、その女性の体重が可能としていた。今ここにゼフォルは過去の英雄の奇天烈すぎる発想を形にして王国軍に恐怖を与えていた。
さぞ、あの世のピエールも喜んでいるだろう。だから秘伝書を盗み見たことは多めに見てほしい、もしくはあのウィルベート家の天才エスメルを表舞台に引っ張り上げたのだから感謝してほしかった。
城壁を飛ぶように駆け回り、流して倒れていく王国軍を見下ろしながら、ゼフォルは一番尊敬する歴史上の人物に思いをはせていた。
結局王国軍の総攻撃はハルード要塞の高い城壁と帝国軍の決死の反撃に阻止された。ハルード要塞の城壁には高々と帝国の旗が掲げられ続け、帝国万歳の大斉唱が行われた。
その一方で城壁の下には王国軍の死体の山が築かれた。