二週間の時が経ってなお帝国軍はハルード要塞にて健在だった。王国軍は毎日のように総攻撃を仕掛けたもののゼフォルが守るハルードの城壁は小揺るぎもしなかったのである。
初戦であれだけ勢いのあった王国もめっきり元気をなくしていた。無理もない、憶測だがすでに死者数は4千を超えている。すでにハルード要塞の総兵力より死んでいるのだ。
総攻撃から単純な包囲にとどめ、攻撃も一方向のみの限定的なものになっていた。
このまま籠り続ければ一月以上は耐えるだろう。しかしそれは許されなかった。
ハルード要塞の物資はほとんど底をつきかけていた。このまま包囲されてもあと食料は一週間しか持たないし、再び総攻撃があれば矢玉と武器が尽きてそれが最期の抵抗となるだろう。
そんな絶望的な状況ながらゼフォルは満足していた。すでに目標は達成していた。この二週間、ずっと王国軍を観察していたが、東から増援は来ても西へ進んでいく部隊は1つもなかった。
もう時間切れである。オドール達はヴァン・ウィルベートへと到着しているだろう。これで王国が帝国東部を制圧できる可能性はほとんど0になったのだ。
「エルディム少佐、最期の命令です」
隣に控えていたエルディムに命を下す。西部貴族たちに訓練をつけているときに偶々他よりはましだと思って起用しただけの男だが、なかなかに優秀で何を血迷ったのかここまでついてきてくれた。
「私は決死隊を募り、最期の攻撃を仕掛けます。貴方は残った兵をまとめて王国に降伏してください」
ゼフォルが死ぬまで王国は降伏を許さないだろう。今の今まで使者すら来ていないのがその証拠だ。
率いていた3千の兵はいまだにその戦力を残している。ゼフォルがオドールが撤退しきる時間を予測して食料だけはケチらずに支給し続けたからだ。だがこれ以上、付き合わせるわけにはいかない。
決死隊も集まらないならゼフォル一人で多くの敵兵を道連れにする腹積もりだった。
「何を言うのです閣下。このハルード要塞にゼフォル閣下だけを死なすようなものは一人もおりません。帝国男子として貴女一人を見殺しにしては、生き残っても胸を張れません」
「物好きなことを言いますね。すべての兵がそうなわけではないでしょう」
「いえ、少なくとも残った兵は全員、閣下に従えば勝てると思っております。空の上を駆けまわって指揮を執った将軍など古の飛将軍のようではないですか」
飛将軍とはイスペリア帝国建国初期、北部の異民族を撃破して現在の国境まで押し上げた伝説的な将軍のことだ。天才的な魔術の使い手でなんと空を飛べた伝承さえある。今まさに敗北に追い詰められている自分をそう称するのは明らかな世辞だが悪い気はしなかった。
「ははは……私はこの軍を敗北に追いやった張本人ですよ。そんな大層な人間ではありません」
「いや、それでも閣下はあのオドール司令や裏切り者のアンス侯爵に王国打倒の夢を見せたではありませんか、ならばせめて我々にも最後まで夢を見させてください」
「随分、勉強をしましたね」
「私を抜擢してくださった恩人に報いるためです……閣下、貴女がこの戦いに後悔をしているならば、最期まで東部方面軍最強の将として兵を導くべきです」
目の前の一介の少佐が東部方面軍の実態まで知っているのは驚きだった。
いつも黙って従っていたこの男が発破までかけてくるのはもっと驚きだった。別に3千の兵がすべて同じ気持ちのはずはないが、少なくとも目の前のエルディムが許すなら。ゼフォルは3千でも兵を率いて、将軍として死んでもいいのだと思えた。
「そうですか。ならばもう腹は決まりました……明日の夜すべての兵を率いて西門から脱出します」
「西門ですか、最短路ではありますがその分包囲が厚かったはずです」
「まだ不勉強ですね。少佐、西の包囲は見せ札です。動きも悪く、おそらく新兵を中心に守っています。私も随分王国に名を売りましたからね、馬鹿正直に最短路で逃げるとは思われなかったのでしょう」
「成程。勉強になります!」
そう説明すればエルディムはなるほどと手元の紙にメモすらしていた。こんな状況なのに熱心なことだった。
まさか最後の教え子が彼になるとは思わなかったが悪い気分ではなかった。
その日の昼間は城壁の上に兵は最低限だけ配置して交代で最後の休息を与えさせていた。最低限の兵士を張り付かせたのは王国に城内の異変を悟らせないためである。
食事は城壁の全ての食糧を用いて全軍で盛大なものになった。いまさら蔵の中の物資など持っていけないし、残しておいても王国軍に奪われるだけだからだ。だから残さず最低限の腰兵糧を残して、平らげてしまった。
これから向かうは帝国の大地だ。最悪その辺の農村にでも転がり込めば、同じ帝国民なのだから食糧くらい恵んでもらえるだろう。
兵の皆が休息と食事を楽しみつつ、覚悟を決めた顔つきをしていた。
本来ならば末端の兵が全軍の食糧を知っているはずないが、戦場の勘というものでこれが最後の食事ということに気が付いているのだろう。
この兵士たちはなんてことのない普通のオドール配下の東部方面軍の兵士たちだ。
ゼフォルの率いた精鋭はすべてエスメルに返すため、クレッチマーとアルセリアに預けて撤退させていた。
そこにはできるだけ練度の高い兵士を逃がすという冷徹な計算があった。
しかし今率いている兵士たちもこの死と隣り合わせの籠城戦で二週間で見違えるほどの精鋭になっていた。
かつて率いていた兵士と隣に並べても遜色はないだろう。冒険小説で追い詰められた主人公が突然大きな力を得る展開があるがまさにそれだった。
死に目とはこんなにも人を成長させるのかとゼフォルも驚きだった。
そんな新たな発見をしつつ、夜も更けはじめ、最期の晩餐も終わりつつあった。
「皆、ここまでよく戦ってくれました」
眼下に集まった兵士たちを睥睨しながら、ゼフォルは最後の命令を今出さんとしていた。
「我々はロッソ王国に攻め込み、ついには連中の根拠地たる王都近郊にまで攻め込みました。しかし卑劣な裏切りにより、武運尽きて敗れてしまいました」
敗戦に関してはゼフォルに責があるのは重々承知だ。ここまでついてきてくれた兵たちには申し訳ないがこの場で弱気なことを言うわけにはいかないので誇張した表現を用いる。
「だが心配はありません、我々はいまだに帝国東部に無敵のヴァン・ウィルベートを抱えています。かつて守将を務めた私が保証します。決して王国がこれを落すことはかないません。我々東部方面軍こそ大きな損害を被りましたが、いまだ帝国の領地そのほとんどが無傷で兵を鍛え、物資を生産し続けているのです。王都直前まで攻め込まれ国家としての多くを費やした王国、この二つを比べれば帝国の優勢は明かです」
これに関してはゼフォルの正直な予測だった。
王国は勝った。このゼフォルを打ち破った。しかしそれは帝国の一方面軍にであって、帝国そのものではないのだ。
「きっと王国は近々帝国に膝を屈するはずです。そうなれば帝国で初めて王都近郊にまで攻め込んだ我々の名は歴史に刻まれるでしょう。……しかし後世の歴史家たちに評価されるだけで満足ですか?」
少なくともゼフォルは満足だ。敗軍の将である今では望外の喜びである。
しかし万民が同じ価値観を持つわけではない、むしろゼフォルは少数派であろう。
「門を開け放ち帝国本土への撤退を開始します。せいぜい皆故郷に帰って自慢なさい。自分こそ王国を追い詰めた勇者だと」
もともと覚悟を決めたであろう彼らは精悍な顔つきをしていたがゼフォルの言葉に燃えんばかりの生への意思が蘇った気がした。決死の覚悟と、生きるための意思。相反するはずのそれらだが本質は同じなのだろう。
「これが東部方面軍副司令官ゼフォルの最後の出撃です。皆がむしゃらに西に向かって突き進みなさい!立ち塞がるものはすべて切り捨て、一人でも多く帰還するのです!」
そうゼフォルが叫び剣を振るうとそれまで閉ざされていた門が開かれ、帝国軍3千が出撃した。
それまで籠っていたのが馬鹿らしくなるほどゼフォルたちは面白いように敵を突破していた。
ゼフォルの戦術眼もまだ捨てたものではないらしい、西を包囲していた王国軍は数こそ立派かもしれないが明らかに練度が低く、もうゼフォルたちが出陣することがないと決めつけていたようで油断しきっていた。
最初こそ追い詰められたバカの突撃だと笑っていた王国軍兵士も帝国軍の決死の勢いに顔色はみるみると青褪め最後はゼフォルの刃の錆となっていた。すでに三つは陣を正面から突破したが柵の貼り方も甘い。斬った指揮官らしき兵士はまだ若く、経験が浅そうだった。
ひょっとしたら西にいる王国軍が弱いのではなく、全体がここまで弱体化しているのかもしれなかった。
すでに経験のある指揮官はゼフォルとの戦いで討ち取られておりこんな若者すら使わないほど王国は追い詰められているのかもしれない。希望的観測でしかないがこう思うと帝国の未来とゼフォルの戦いが無駄ではなかったと良い気分になった。
「と、止めろ!絶対に止めろ!悪魔の給仕が逃げ……ぎゃっ⁉」
4つ目の陣地の指揮官を一撃で首を刎ね、高速で部隊を動かしつつ、戦場を血走った目で見渡す。できるだけ守りの薄く、敵にとって死角に当たるところを狙わなければならない。
そう見わたしていると見知った、ゼフォルにとっては忘れられない家紋の旗が立っていた。
「奴を早く捕まえろ!そしてわしの前に早くつれてくるのだ!」
片腕のない男が周りの兵士に喚き散らしているのが見えた。忘れるはずがない、アンス侯爵だ。取り逃がしてからというものの激動の日々で半ば忘れていたが、怨敵の登場に急速に頭が沸騰する。
しかし今はそんなことをしている場合ではない、近場の敵兵を剣でかちあげ頭上で八つ裂きにする。大量の生暖かい血を頭に浴びて無理やり頭を冷やした。
考えなければならない。わざわざ寝返ったアンス侯爵をここで出す意味がどこにある?裏切り者は生きているだけで価値があるのだ。
腐っても帝国の元侯爵なのだから人脈を駆使して帝国に謀略も仕掛けられるだろう。アンス侯爵自身の様子から無理やりゼフォルを殺したくて、無理を言って出陣したのかもしれないが、王国がその気になら無理やり監禁してでもとどめておけばよいのにだ。
なめられたものだ。王国の真意に気が付いたゼフォルの感想だった。
わざわざ出てきた侯爵と、王国からのゼフォルへの殺意。そこから導き出される答えは撒き餌だ。自分がアンス侯爵を見つければ一目散に向かっていくと思ってあそこに配置したのだ。
弓を取り出してつがえる。こんな長距離狙撃、幽閉時代のエスメルに訓練中、見栄をはって外したとき以来だ。
チャンスは一回だけ。遠くのアンス侯爵もこちらを見ていた。何やら怒り狂って喚き散らしている。
馬鹿な男だ。その性根に相応しく惨めったらしく縮こまっていれば狙われることもなかったのに。
「当てた……が、外しましたか」
絶好のチャンスで放たれた矢はアンス侯爵の兜をはじき飛ばしたが、それだけだった。即死にこだわって頭を狙ったのが悪かったかもしれない。しかしアンス侯爵は兜が飛ばされたのがよほど怖かったのかみじめったらしく地面にうずくまっていた。それでいいのだ。
アンス侯爵が倒れるのに合わせるように周囲から王国軍が飛び出す。だがすでにゼフォルは急速に部隊を別の方角へ動かし、離れていく。まるで在りし日のアルセリアのようだと感慨深かった。
アンス侯爵の撒き餌を見抜いたのが功を奏したのか、一時的にゼフォルは王国軍を振り切っていた。もしかしたら、そんな考えが頭をよぎるがそうもいかないらしい。
続々と王国軍が集まっている。どうやらただで逃がす気はないらしい、動きや装備からして王都近郊で見た首都の兵士のそれだった。
先ほどのアンス侯爵の罠といい、結局西側の警戒はしていたのかもしれない。ついてきた兵も疲れがついに来たのか続々と倒れていった。もうすでに半数もいない。
「死ね!悪魔の給仕!」
勇猛果敢な王国兵が馬上から覆いかぶさるようにゼフォルにとびかかってくる。それも何人もである。普通に挑んでもゼフォルの双曲剣の錆になるので、こうして肉の質量でなんとしても止める兵が後を絶たなかった。
「ハァハァ……シィッツ‼」
ゼフォルもそれを迎え撃つように剣を振るう。
しかし、ただ人を切り殺すのと飛んでくる人体を弾き飛ばすのでは疲労度が違う。すでにゼフォルの息は上がっており、体力も限界だった。
この2週間碌に寝ずに指揮をとった体は再び錆びついたように軋みだし、悲鳴を上げている。
切り払いきれなかった矢も浅いが何本も身体に刺さっていた。
「いまだ!」
死角から再び、敵兵が現れる疲れで対応が一拍遅れた。
「しまっ⁉︎放せ!」
何とか落馬こそしなかったもの。身体に覆いかぶされるといくら膂力に優れてもゼフォルの体は軽く、質量ではそこらの兵士に劣るのだ。なかなか振りほどけないし、こうも接近されると剣も振るえない。
脇腹に鋭い痛みと生温かさを感じる。恐らく最初からとびかかるつもりで短刀を握っていたのだろう。
これは深い。
「がぁっ……⁉」
あり得ない話でしかなかった。2年前はゴルガマスという王国最強の猛将相手だったから納得できた。
それなのに、この自分が、まさか雑兵程度に遅れをとることなどあり得ないのだ。最後の意地で逆手に持った曲剣で王国兵を背中から貫くが、それでも刺さった刃は抜けないし、王国兵も最後の意地で踏ん張っている。
「閣下!」
しかし駆け付けたエルディムが槍で敵兵を引きずり下ろし何とか体制を整えることができた。
「ご無事ですか⁉」
「お手柄なんてものじゃないですよ少佐、生きて帰っても2階級特進です」
「はっはっは!それでは死ねませんなぁ!」
そう笑うエルディムに情けない姿は見せられないと奮起し、ひたすら西へ西へと逃げ去った。