休養?
「ハッ⁉︎があっ……ぐうっ……⁉︎」
ゼフォルは目を覚ました。体が激痛で上手く動かず視界だけで周りを確認する。うっすらとだが思い出した。ここはヴァン・ウィルベートだ。
しかもエスメルが幽閉されていた離宮のかつて彼女の自室だった場所だ。
いつもは掃除なんて適当なゼフォルが唯一エスメルの為に全力で掃除をした場所だった。
戦争以来放置していたのでまた埃かぶっていてもおかしくないその場所は、埃1つなく整えられていた。今、ゼフォルが寝ている寝台も、一新されたのかやけに寝心地の良いシーツが使われている。
全力のゼフォルでもこんなにはきれいにできない。
「起きましたか」
起きたゼフォルに誰かが声をかける。その声ですぐにエルシアだと分かった。
随分とやられたはずだが、死ぬほどの痛みはもうない。目の前のエルシアが治療をしてくれたのだろう。そしてこのゼフォルの動きを縛る拘束もである。
「め、メイド長、私は何日寝ていたのですか」
「大体、二週間ほど」
二週間と数字に絶句する。東部方面軍副司令官が二週間も前線を開けているのは異常事態でしかない。しかし今のゼフォルにはそれすらどうでもいいことだ。
どちらにせよまずは拘束を解いてもらわなければ話にならない、本調子ではない今の体で目の前のエルシアを出し抜くのは不可能だ。ゼフォルは穏便に済ませることにした。
「傷の手当は感謝します。しかしこの拘束は何でしょう?」
「貴女は起きたら絶対に無理をするでしょう」
「外してくれませんか」
「駄目です」
「……私は帝国軍東部方面軍副司令官ですよ?貴女に私を拘束する権利があるとでも?」
「エスメル様の命令ですから」
「そのお嬢様はまだ戦っているのでしょう?」
「えぇ」
「だったら私を早く解放しなさい!お嬢様が戦場に出ているのに私を留めておくわけが分かりません!私は王国軍を最も撃破している将軍なのです!いくらでもまだ力に!」
「……しかし貴女は敗れたのでしょう?」
「な……!え、エルシアぁぁ⁉」
まさかあのメイド長にこうまで言われるとは思わなかった、いまだに激痛が走る身体で拘束を軋ませながら、恥も外聞もかなぐり捨ててゼフォルはエルシアに食って掛かった。
「貴女に何が分かるというのです!二年前何もできなかった貴女に⁉私が敗れたですって!否です!断じて否!私は西部貴族の役立たずどもを犠牲に王国に多大な失血を強いた!貴女のような戦争音痴にはわからないかもしれませんがね!まだ戦いは……!う⁉ぐ……!」
烈火のような罵声をゼフォルはエルシアに浴びせる。戦争に詳しくない彼女に言ったところで栓無き事だった。だがそれを言わないわけにはいかなかった。
そうでもしなければ、痛みと屈辱でプライドを失いそうになるからだ。
しかしそんな些細な現状への抵抗すらも激高した弾みで発生する痛みに中断してしまう。
くだらなく、生産性のない、そんな八つ当たりなのはわかっていた。何とか息を整える。この間エルシアは黙って聞いていた。
「もう無理はおやめなさい、貴女が傷つけば悲しむのはお嬢様ですよ」
「ですが……ですが……!」
少なくともエルシアなりの優しさだったのだろう。素直に受け取りたかった。
どれだけ取り繕っても傷ついた体と敗北による心の傷は大きすぎてごまかせない。相手が少しのさぼりすら見逃さなかったエルシアだからなおさらだ。
先ほどの発言もその裏返しに過ぎなかった。だが素直に受けられない理由もゼフォルにはあった。
「お嬢様を私に任せてくれたのはメイド長じゃないですかぁ……!」
「……」
「酷い!酷いです!お嬢様が戦っているのに、寝ていろと言うのですか⁉貴女だって娘に公爵家の全てを押し付けた碌な人間ではないでしょうに!ならせめて娘の為に一メイドでしかない私なんて使いつぶせばいいじゃないですか!今の私でも盾くらいにはなれます!」
ゼフォルにはすがるようにエルシアに泣きついた。恥も外聞もなく泣いて懇願するしかできない。
この悪口だってどれもこれも出まかせだ。確かにエルシアの行いは万民が目くじらを立てるだろうが、ゼフォルが万全なときならば才能のあるエスメルに任せるなんて見る目がありますね位で気にもしなかった。
だからこの悪口は窮地に陥ったゼフォルのやけでしかないのだ。
しかし声に出すことで改めて現状が、自分の敗北と落ちぶれっぷりが分かってしまう。
もうゼフォルは王国を独力で落とすことは叶わないだろう。勝ってさえいれば、すべてを手に入れることができた。帝国最大の功績も凱旋将軍としての地位も、なによりエスメルやベルズーフを超えるこの時代最強の英雄の称号も手に入れられた。
しかし結果は虎の子の東部方面軍は壊滅し、ただ負けただけならともかく度重なる命令違反で命すらないのかもしれない
エルシアは黙ってその涙を拭いていた。それだけのことでしばらくの時間が過ぎた。本心も何もかも涙とともにぶちまけたからだろうか、やっと心が落ち着いてきた。子供のようにあやされている現状に羞恥心もわいてきて、それが逆に煮えたぎるような感情に冷や水を浴びせていた。
「貴女の献身は母としても従者としても喜ばしく思います。だからこそお嬢様は、エスメルは忠臣である貴女に報いなければいけないのです。今は自分を大事になさい」
「自分を大事にって……どちらにせよ私はもう処刑です。それだけのことをやりました」
「ここは私とお嬢様、そしてあなたしか知らないヴァン・ウィルベートの離宮です。少なくともここなら憲兵には見つかりません」
「私を匿うと?」
「最悪の場合、私に他国まで亡命させるようにと仰せです」
「その行為に何の利点が?お嬢様のキャリアに傷をつけるだけです」
「貴女は2年前、お嬢様を庇おうとしてくれましたではありませんか」
「あの時と今は違いすぎます。あの時の私はただの根無草でしかなく今のお嬢様は帝国に認められた公爵家当主なのですよ?」
情けない話でしかなかった。この期に及んでゼフォルは命を助けられ、その後の人生までエスメルに面倒を見てもらおうとしているのだから、
それならまだ、戦場で戦死するか出頭して刑場の露ときえたほうがマシだった。
「それだけお嬢様はあなたのことを買っているのです。今は素直にその好意にありつきなさい。いいですか」
「はい……」
とっとと殺してくれと言わんばかりのゼフォルの態度についにエスメルは少しの怒気をもっていった。ゼフォルはそれに従うしかなかった。やがて医療道具を取ってくるとエルシアも退出して部屋にはゼフォルだけになった。
「お嬢様のベッド……」
一人だけの部屋でゼフォルはそうつぶやいた。いつもはこのベッドでエスメルが眠るまで見守っていたが、今はまるで逆なのだ。
ゼフォルはここ数年で最も穏やかな日々をすごしていた。
未だ身体は痛むものの我慢できないほどではない、メイドとしての腕は一流であるエルシアにまるで王侯貴族のように甲斐甲斐しく世話と治療を受け入れていた。
しばらくおとなしくしていたからか、もう拘束は解けている。エルシアはほとんどの時間部屋にいるが、それでも四六時中ではない、その気になれば脱出するか、いっそのことここで自分の首をねじ切って自刃することもできた。少し前のゼフォルならそうしただろう。それだけ生き恥を晒したくはなかったからだ。しかしそれはできなかった。
心の内を吐露してからというもののゼフォルはすっかり無気力になっていた。かつて9万の大軍を全てを管理運営し、王国という大国を破るためにひっきりなしに回転していたその頭脳はその稼働率を著しく減退させていった。9割も働いていないだろう。
そんな自分を生かそうと必死に治療と面倒を見てくれるエルシアの努力を無駄にはしたくないし、何よりこれ以上の迷惑をかけたくないから、死のうとも逃げ出そうとも思えなかった。
時たま現在の戦況はどうなっているかと考えることもある。ほぼ幽閉状態のゼフォルは外の状況は分からないが、それでも想像くらいならばできる。
帝国にとってそう悪い状況ではないはずだった。ゼフォルこそ敗れたが、王国だってそれ以上に辛い状態なのだ。主力が一度壊滅し、王都の精鋭部隊や、新兵などまさに国家の危機に根こそぎ使って反撃していたのだ。
それにゼフォルが数カ月かけて進撃した距離を短期間で追撃して国境のハルード要塞にまで攻め寄せたのだ。
進軍路のほとんどが自国領とはいえ、相当に無理な強行軍を行っているはずだ。
敗走する部隊ならともかく、完全に充足しきったエスメルの部隊とぶつかれば、易々と突破は叶わないだろう。
そしてエスメルが来たと言うことはきっとベルズーフも東部に来ている。あの男が東部の守りを固めてしまえば、王国軍の反転攻勢のシナリオは完全に破綻する。
そういろいろ考えたが、もう無駄なことかもしれない、どれだけご立派な戦術を考えてもそれは机上の空論以下でしかない。ゼフォルに兵を率いる権利はもうないのだから。
最悪亡命しろと言われてもどうすればいいというのか、ゼフォルとて愛国心がないわけではない。どうせその武を振るうなら帝国がいい、少なくともこの大陸にはあと、王国と異民族くらいしかない、南部小国家群は降伏してしまったからだ。
王国は論外だし、さすがに異民族だって帝国に敵対しているし、生活レベルが低く、暮らすのすら遠慮したい。いっそ海でもわたって別の大陸にでも行くのだろうか、船なんて乗ったこともないのだが。
「メイド長、化粧とかでいい感じに別人にできませんか」
「なんですか急に」
「もうゼフォルは死んだことにして別人としてお嬢様にお仕えしようかなと」
「四六時中私に化粧をしろと?」
いい案かと思ったが、そっけなく返されてしまった。もっとも、ゼフォルも本気ではなかったが。
「いつまでこうしてればいいですか?」
「貴女の傷が治るまでです」
「もうここから出してくれませんか?」
「……なぜですか?」
「出頭しようと思うのです。これ以上迷惑はかけられません、メイド長だけでもお嬢様の元に戻ってください」
匿ってくれているエスメルや治療をしてくれるエルシアの献身はありがたかったが、これ以上自分に構ってほしくなかった。
敗北の責任はゼフォル自身で取らなければならない。脱出したオドールだって今ごろとっているだろう。
ゼフォルはろくでもない人間だ。この世のほとんどの人間は自分以下だと見下しているし、他人には軍の統制と練度の維持のために軍律を守らせるが、自分が功績を立てるためなら平気でその軍律すら破る。
そしてそのプライドの高さは驚くべきほど高い、ゼフォル自身高位貴族の出身でもないのになぜこんなにプライドが高いのだろうと疑問に持つくらいだ。
もともと高くはあった自覚が決定的になったのは多分、東部方面軍副司令官に就任したときだ。あの時、上司にしてトップクラスの貴族出身のオドールを飛び越えて自分の思うがままに大軍を動かせたので、ここまで増長した自覚があった。
その高すぎるプライドがエスメルとエルシアに迷惑をかけてまで生き延びるのをよしとはしないのだ。軍律を破ったことに後悔はない、敗れたとはいえ、王国奥深くまで攻め込む快挙はゼフォルの功績なのだから。そして責任もだ。だったら刑場で声高に叫んでやろう、王国を追い詰めたのは私だと。
「貴女は死にたいのですか?」
「そんなはずないじゃないですか。裁判の場で王国領の情報などそういったものを条件に助命を懇願しますよ。きれいさっぱり罪を清算してからでないとお嬢様に会えないでしょ?」
「貴女のやったことにそれが釣り合うとでも?」
「私はまだ利用価値があると思っています。しっかりそれを示せば、まだ道具として生かされるはずです」
「いえ、貴女は嘘をついています。何年私が面倒を見ていると思っているですか」
ペラペラと言い訳を並べるゼフォルだが、エルシアは誤魔化せなかった。
「はっきりと言いなさい。そんなに貴女は死にたいのですか」
「……死にたいに決まってるじゃないですか。この私がメイド長にもお嬢様にも迷惑をかけて生きながらえるなんて耐えられないです。このざまをお嬢様に見られたくないんですよ。メイド長もこんな死にぞこないに構っていないで、早くお嬢様の元に――」
なんだかんだで頼りになるエルシアにゼフォルは本心を吐露すると急にエルシアに頭をつかまれ視線を合わされた。
「聞きなさい、ゼフォル。貴女は確かに敗れたかもしれない、しかし勝敗は兵家の常というでしょう?貴女は負けたくて負けたわけでない」
「それは……そうですけど」
「その程度でエスメルが、忠臣である貴女の死を望むはずがありません。なぜなら貴女以上の恥知らずをお許しになられたからです」
「それは……」
「領地の危機に、流されて幽閉されていた娘とお付きのメイドに全てを任せきった愚かな女をお嬢様は許しました。それどころか忠臣である貴女を救うために駆け回っておられます」
「……迷惑をかけたくないです」
「いえ、かけるべきです。貴女は最も落ち目の時のウィルベート家を救った名臣なのだから。私もお嬢様もあなたを救うのに奔走するのは当たり前なのです」
「メイド長……」
「いいですか?この後何があっても早まってはいけませんよ。必ず、貴女の命は救います」
そこまで言われてゼフォルはやっと生きようという気になった。自分のことはまだ許せないが、主人と元上司、二人の為ならば、まだ生きていても良いかもしれなかった。
ゼフォルは離宮で静かにすごしていた。エルシアから紙とペンだけ持ってきてもらい、王国の覚えている限りの軍事力や地形といった情報をまとめていた。
亡命するにしても軍法会議を受けるにしてもこの情報は王国との戦いに必要になるだろう。今はエルシアもやることがあるのか外出していた。
一人でも逃げ出したりしないだろうと思われるくらいの信頼はあった。
思えば、ここまで人に尽くされたのは初めてだった。将軍という立場の時は、アルセリアとクレッチマーには随分と迷惑をかけたし、二人とも尽くしてくれた。
しかしそれはゼフォルが全軍をほぼ掌握する副司令官だったからで、特にクレッチマーは2年前のエスメルの恩のほうが大きかっただろう。今二人が尽くすかと言われれば否だ。少将という立場と勝ち続けたからこそゼフォルに人はついてきたからだ。
戦争で勝てないゼフォルなど見てくれだけはいい性格の悪い成り上がりでしかないのだから。
その分、今の何もないゼフォルを匿ってくれるエスメルとエルシアの二人の好意に必要以上に甘えそうになっていた。
エルシアに頼もうとした化粧の件も本当は冗談ではなかった。もし生かされるのならば、見知らぬ土地に亡命するより、顔や名前を変えてでも二人の傍にいたかったからだ。
そう物思いにふけっていると離宮に誰かが来た気配がした。少し違和感があったがメイド長だと思って特段気にしなかった。
ガチャリとドアが開かれるとそこにいたのはエルシアではなかった。
「東部方面軍副司令官ゼフォル少将ですね。お久しぶりです」
「アティア少佐……」
そこにいたのはかつて帝都で西部貴族のクーデター計画を止めたときにともに戦ったアティア憲兵少佐だった。ゼフォルのもとに憲兵である彼女が来る理由など一つしかない。
「貴女の身柄を拘束させていただきます」